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字幕書き起こし 歴史秘話ヒストリア「挑戦!80日間世界一周」 2016.11.04

今から120年前。
蒸気の力で世界がぐ〜んと小さくなった時代。
2人のアメリカ人女性記者がニューヨークを旅立ちました。
一人は東へ。
一人は西へ。
そのミッションはただ一つ。
「相手より早く世界を一周せよ!」。
2人は19世紀末の世界を駆け抜けていきます。
エッフェル塔が完成し万博に沸くフランス。
キャラバン行き交うアラブの国々。
そして明治維新間もない東洋の神秘日本。
初めて訪れる世界には発見や感動が満ち満ちていました。
でも女性の一人旅。
危険やトラブルが連発!果たして2人は無事世界一周できるのか?どちらが先にゴールできるのか?本日の「ヒストリア」は皆様を究極の世界一周冒険旅行にお連れいたします!始まりました「歴史秘話ヒストリア」。
今夜はスペシャル!ここアメリカ・ニューヨークから世界一周の最速記録に挑んだ2人の女性の物語をお届けします。
どうしてこんなレースが始まったのかというと元ネタはこちら。
皆さん読んだ事があるでしょうか。

 

 

 


ジュール・ヴェルヌの冒険小説「80日間世界一周」です。
「SFの父」と呼ばれた作家ジュール・ヴェルヌ
海底二万里」「月世界旅行」など数々のロマンあふれる空想科学小説を執筆しました。
中でも「80日間世界一周」はヴェルヌの代表作です。
物語の主人公はイギリス紳士フォッグ。
彼は最先端の鉄道や蒸気船を駆使すれば80日で世界を一周できると主張。
証明のために旅立ちます。
そして数々のピンチを知恵と勇気で乗り越え見事成功させたのでした。
もちろんこれは…1873年にこの本が出版されて以来実際に80日間で世界一周した人はいませんでした。
時は流れ1889年。
その記録に同時に挑戦したのがニューヨークで働いていた2人の記者。
二人とも20代で海外に出るのも初めてだったというから驚きです。
さあそれでは早速2人の知られざる旅についていってみましょう。
歴史秘話ヒストリア」。
ここはニューヨークのとある新聞社。
世界の歴史を塗り替える大冒険の旅が始まろうとしていました。
おおネリー。
今君の企画の採用が決まったところだ。
いやいや今すぐって…すごいですよね。
この女性はネリー・ブライ25歳。
ワールド新聞社の若きエースです。
得意技は体当たり取材。
患者のふりをして悪徳病院に潜入したりブラック企業で働いて告発記事を書いたり数々のスクープをものにしてきた熱血記者です。
私だったら絶対できます。
是非私にやらせて下さい!この世界一周企画もネリーが考えたものでした。
ヴェルヌの小説をヒントに世界中の船や鉄道の時刻表を徹底調査。
計算上は75日で世界を一周できると突き止めたのです。
(編集長)君は急いで船を予約しろ。
君はネリーの渡航手続きを手伝うんだ。
さあ諸君時間との闘いだ!こちら当時の新聞記事。
一面まるまる使っての大特集。
熱血記者ネリーのアイデアは一大プロジェクトとして動きだしました。
ネリーは急いで荷造りに取りかかります。
当時の女性の旅はといえばトランクを何個も持ってゆくのが当たり前。
…とここで問題!ではネリーの荷物は?実はアメリカのニュース博物館にその答えが保管されています。
正解はこちら…実物です。
なんとネリーはこのカバン一つで世界一周の旅に出ました。
中身はこちら!着るものは上着と寝巻きと下着だけ。
新聞記者なのでペンや紙などの筆記用具はマスト。
どうしても外せなかったのが…巨大なコールドクリーム。
お肌の手入れには欠かせないものでした。
左手にはあの手さげカバン。
ウール製で動きやすいデザインのアルスターコートにトレードマークの…ネリーは世界一周の荷物について聞かれるといつもこう答えました。
1889年11月14日。
ニューヨークの玄関口ホーボーケン港。
空想上の記録「80日間世界一周」に挑む旅がここから始まりました。
(汽笛)ネリーが乗ったのは蒸気船「アウグスタ・ヴィクトリア号」。
当時の最新の技術で建造され大西洋航路最速のスピードを誇った船です。
最初の目的地イギリスまではおよそ5,000km。
7日間で大西洋を横断する予定。
しかし出航直後思わぬ事態がネリーを襲います。
うっ…ああ…。
どうしました?大丈夫ですか?実はネリー海外旅行はこれが初めて。
こちらのレディーは世界を一周するとおっしゃっているがこんな調子で本当に大丈夫かねえ。
この先心配ですな。
(笑い声)心の声見てなさいよ…必ずやりきってみせるから!ちょうどそのころ…。
こいつはクレージーだ。
世界一周に挑戦だぁ?しかも女一人だぜ。
いけると思うか?いや〜無理だろ。
無理に決まってる!「『80日間世界一周』に挑戦」の第1報は大きな話題になっていました。
そこに…。
実はこの紳士ネリーのワールド新聞社のライバルコスモポリタン社の編集長でした。
諸君世界一周には何日かかると思う?ネリー・ブライが75日でできると宣言して今朝出発しました。
私もその記事を読んだ。
この企画だが宣伝効果は抜群だ。
チャンスだ諸君。
うちも今すぐ女性記者を送り出してネリーと競わせよう。
ただしうちは…編集長の予想ではネリーの東回りルートには2つの問題がありました。
一つは南シナ海
冬場北東の強い季節風が吹きます。
船は向かい風の中を進む事になり最悪4日ほどの遅れが出る可能性があります。
もう一つはアメリカに戻ってから。
予定では真冬の1月に大陸を横断する事になります。
大雪が降れば列車が止まりかねません。
ネリーと反対の西回りならこの問題は避けられます。
後から出発してもネリーより先にニューヨークに戻って話題を独占できるという作戦でした。
早速一人の女性が呼び出されます。
業界一の美人記者エリザベス・ビズランド28歳。
エリザベスは根っからの文学少女
シェークスピアをこよなく愛しふだんは文芸欄のコラムを担当。
感性豊かで…やあエリザベス。
気持ちのいい朝だね。
急な話で悪いんだが今から出張に行ってもらえないか?出張?どちらにですか?世界一周だ。
今夜出発して80日以内に帰ってきてくれたまえ。
ええ!?いわゆるむ・ちゃ・ぶ・り。
エリザベスの返事は?明日は友達とお茶会の約束があるんです。
それに世界一周と言われても私はアメリカから出た事もありません。
(編集長)ノープロブレム。
とにかく君に行ってほしいんだ。
編集長は一刻も早く出発させようと猛烈な勢いで説得します。
結局押し切られてしまいました。
ニューヨークグランド・セントラル駅
ネリーから8時間後エリザベスも出発。
80日間世界一周しかも女性の2人のレースという前代未聞の旅が始まったのです。
(汽笛)エリザベスが乗ったのはニューヨークと西海岸を結ぶ大陸横断鉄道。
開通したのは1869年。
それまで馬車で2か月以上かかっていたアメリカ横断の旅は一気に短縮されます。
こちらはエリザベスが旅した頃に造られた蒸気機関車
蒸気機関車は当時人類が手にした最も速い乗り物。
アメリカ横断に必要な日数は僅か5日になっていました。
ニューヨークを出ておよそ48時間後。
エリザベスに最初の試練が訪れます。
大陸横断鉄道最大の難所ロッキー山脈です。
線路は急勾配。
更に急なカーブが連続します。
いかに最新の機関車でも速度を落とさなければなりません。
旅の遅れは避けられないかと思われたその時…。
エリザベスの前に強力な助っ人が現れます。
人呼んで「つむじ風のビル」。
つむじ風のビルはレバーを握るや列車を急発進させました。
絶妙な蒸気のコントロールで機関車は山あいをすり抜けていきます。
実はビル山専門のすご腕機関士
(口笛)いい酒が飲めそうだ。
この夜つむじ風のビルはロッキー越えの史上最速記録を打ち立てました。
エリザベスの目の前に広がっていたのは果てしない海太平洋。
ここから先は未知の世界です。
ニューヨークを出て7日目。
エリザベスもネリー同様アメリカを離れ世界へと飛び出していきました。
ハーイ!ニューヨーク・ワールドのネリーよ!ここからはライバルのエリザベスの事は置いといて私のおしゃべりにつきあってもらうから!私が75日で世界一周なんてむちゃな計画を立てたのは「蒸気機関の時代」だったから。
ボイラーで水を熱して水蒸気を作りその圧力を動く力に変えるのが蒸気機関。
これが実用化されたのは18世紀の終わり頃なんだけど私の時代19世紀末には最新の交通手段はぜ〜んぶ蒸気の力で動いていたの。
(ネリー)中でも進歩していたのが「船」。
初期の蒸気船といえば日本の皆さんも「黒船」は知ってるわよね?こちらはペリー提督の「サスケハナ号」。
煙突は1本でマストが3本のこの船。
まだまだ蒸気機関が不安定で帆を張って風の力も利用していたの。
(ネリー)でも私が乗ったアウグスタ・ヴィクトリア号だと煙突は3本。
もう蒸気だけでOK!
(ネリー)当時最新技術だったスクリューも採用されて黒船の倍近いスピードまで出たのよ。
人呼んで「海の猟犬」。
大西洋横断の最短記録も出したのよ。
更にこの20年ぐらい後には…。
(ネリー)大きさもスピードも桁違い。
現代の皆さんが目にする豪華客船とそう変わらないものになったってわけ。
でもどれだけ船や列車が速くなっても予想外の事って起きるのよ。
大変なのよ!あっ遅れるじゃないのよ!行くわ!ニューヨークを最速の蒸気船で出発した東回りのネリー。
無事海を越え最初の国イギリスに到着します。
当時のイギリスはシャーロック・ホームズが活躍した…世界に植民地を広げ大英帝国は黄金期を迎えていました。
船が着いたのは長い歴史を誇る港町サウサンプトン
あの悲劇のタイタニック号が出発したのもこの港でした。
船から下りるやすぐ鉄道に乗り換えようと急ぐネリー。
その時…。
お待ちしてました。
あなたに飛び切りすばらしいニュースがあるんです。
男はワールド新聞社のイギリス特派員。
ネリーに手渡したのは…なんとフランス・アミアンの自宅へ来いとの事。
でもそんな時間は…。
80日以内という急ぎの旅。
アミアンに行くのは大きなロスです。
しかし世界一周に挑戦中の記者が「80日間世界一周」の作者と世紀の会見。
まさに特ダネです。
行くわ!こんなビッグチャンスみすみす逃したら記者の名折れよ!ネリーが訪れた2つ目の国はフランス。
折しもパリではエッフェル塔が完成したばかり。
ですがネリーはそんなパリには目もくれずヴェルヌのいるフランス北部の街アミアンを目指します。
距離にすると300km以上の遠回りです。
(鐘の音)世界遺産にも登録されている…フランスでも有数の歴史と文化を誇る街です。
ヴェルヌの自宅も大切に保存されています。
ネリーが訪れた120年以上前と変わらぬたたずまいです。
大作家に招かれついにその自宅へと足を踏み入れたネリー。
心の声
(ネリー)「勝手にわしの小説をパクリおって!」とか怒られたらどうしよう…。
いや〜よく来てくれたね。
君に会いたかったんだよ。
君はこのあとどんなルートで世界を回るつもりなんだね?地中海からスエズ運河を通ってアラビア海に出てそれからインド洋を横断するつもりです。
どうしてインドで船を下りないんだ。
インドを象で旅すればすてきな結婚相手が見つかるかもしれないじゃないか。
それはあなたが書いた本の話でしょ。
お嬢さんが困ってるじゃない。
おふざけもほどほどにしなさい。
偉大な空想科学小説の父。
頭の中は冗談ばかりでした。
こうなれば体当たり取材のネリー。
ヴェルヌに頼み込み書斎を見せてもらいました。
その時です。
(ヴェルヌ)見てごらん。
古びた世界地図。
青い1本の線が書き込まれています。
小説「80日間世界一周」で主人公が旅したルートです。
ヴェルヌが小説の構想を練ったまさにその地図でした。
君のルートはこうだね。
ヴェルヌが書き入れたのは小説とは異なるネリーのルート。
ネリーはこの先の旅をたどります。
アラビアのアデンインド洋のコロンボ極東の横浜。
自分はもちろんアメリカ人のほとんどが行った事のない未知の場所ばかり。
心の声私は今から本当にこのルートを行くんだ…。
ニューヨーク在住でネリーとエリザベスの伝記を書いた歴史作家マシュー・グッドマンさん。
この出会いがネリーを変えたと考えています。
ネリーが80日以内にゴールできますように。
旅の無事を祈って…。
乾杯!
(一同)乾杯!フランスを後にしたネリー。
その後イタリアから船で地中海を渡りスエズ運河を通過。
インド洋に出ます。
そのころライバルのエリザベスはというとまだ太平洋の上。
ようやく最初の国にたどりつこうとしていました。
こんばんは。
コスモポリタン社の記者エリザベスです。
いよいよ私たちのレースも本格的に走り始めました。
私がネリーのライバルとして急きょ送り出されたのは新聞社が激しい部数争いをしている時代だったからです。
こららはニューヨークの中心部「ニュースペーパー・ロウ」と呼ばれていた場所。
名前の由来は新聞社がずらりと並んでいたから。
そしてそしてこっちが私ネリーが働いていた「ワールド」。
どう?建設当時世界で一番高いビルだったのよ。
ボスはあのジョーゼフ・ピュリツァー!ジャーナリズムなどの分野で優れた業績をあげた人に贈られるピュリツァー賞で知られる超大物よ。
今回の私の企画が始まってからワールド新聞社は過去最高の発行部数を記録したんだからボスも大喜びよ!う〜んネリーに負けてられない!ここからは私エリザベスの旅応援して下さいね。
ニューヨークを出て24日目。
太平洋の先に見えた光景をエリザベスはこう記しています。
山の名は…エリザベスが初めて訪れた国それは日本です。
当時の日本は明治22年。
急速に欧米の技術や文化を取り入れていた新興国でした。
今や世界遺産となった「富岡製糸場」では生糸が作られ「鹿鳴館」では華麗なパーティーが開かれていた時代です。
エリザベスの船は横浜に停泊し36時間後に出港する予定。
この間未知なる国日本の取材に飛び出しました。
これは当時横浜を撮影し色を塗った貴重な写真です。
花屋に八百屋に魚屋さん。
街にはまだ江戸時代の名残が残っていました。
エリザベスは呉服屋を訪ねます。
(呉服屋主人)もしくはこれなんかどうです?このピンクの布が気に入ったわ!とってもきれい。
うふふっ。
ほんとすてきね。
いや〜そないに喜んでもろたらうれしいですわ。
今日はね特別なものをお見せしましょう。
ちょっとお待ち下さい。
何かしら?「特別なもの」ですって!
(呉服屋主人)これが「暁の衣」と申します。
「It’sthreadsshimmerlikethecrystalsofdrysnow…」。
わあ…本当にきれい。
これを下さい。
更に耳寄りな情報が飛び込んできました。
「ヨコハマの隣首都のトーキョーにニッポンを治めていたショーグンのグレートなレガシーがある」というのです。
飛び乗ったのはちょっとかわいい蒸気機関車
全線開通したばかりの…そして東京の人が教えてくれた将軍ゆかりの場所とはお寺。
増上寺でした。
エリザベスは境内の石段を上りその先にあった徳川2代将軍秀忠の壮麗な霊廟を訪れました。
しかし現在は見る事ができません。
空襲で焼失してしまったからです。
127年前エリザベスが目にした霊廟とはどのようなものだったのでしょうか?これは明治時代一流の職人たちが手がけイギリスの博覧会に出品された霊廟の精巧な模型です。
エリザベスの言葉とともに彼女が見た日本ご覧下さい。
エリザベスは日本で得た感動をこう表現しています。
心の声この先どんな事があってもくじけずにいよう。
想像をはるかに超える美しさに出会えたのだから…。
エリザベスにとって…思えば何が何だか分からないまま始まったエリザベスの世界一周への挑戦。
しかし初めての国日本でエリザベスは旅をする意味を見つける事ができたのです。
もっと世界を見てみたい。
記者魂に火がついたエリザベス。
日本を出たあと香港シンガポールに向かいます。
一方東回りのネリーも時を同じくしてアジアの海へ。
ちょうど地球を半周した辺り2人のルートが重なります。
さあリードしていたのはどっち?次回「80日間世界一周」決着です!2016/11/04(金) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「挑戦!80日間世界一周」[解][字]

19世紀末のNY。SF作家ジュール・ベルヌが『80日間世界一周』を著した16年後、この小説に挑み、史上最速の世界一周記録を目指す2人のスゴイ女性が現れた!

詳細情報
番組内容
19世紀末のNY。SF作家ジュール・ベルヌが『80日間世界一周』を著した16年後、この小説に挑み、史上最速の世界一周記録を目指す2人のスゴイ女性が現れた!2人は、激しい部数争いを繰り広げる新聞・出版業界の若手記者。東回りと西回り、2人は同じ日に出発し、デッドヒートを繰り広げる。大陸横断鉄道の開通、巨大蒸気客船の誕生、蒸気機関の進歩で一気に小さくなった世界を舞台にした大冒険レースの結末やいかに?
出演者
【キャスター】井上あさひ