全文書き起こしサイト

地上波テレビの字幕を全文書き起こします

スポンサードリンク

字幕書き起こし スタジオパークからこんにちは 川合俊一 2016.11.11

生字幕放送でお伝えします川合⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!伊藤⇒本日のゲスト元バレーボール選手の川合俊一さんです。
川合⇒こんにちは。
すごいね人が。
相変わらず背が高いですね。
清水⇒かっこいいですね。
なかなか縮まないですね。
伸びていますか。
引退してから1.5cm伸びました。
うそでしょ?27から1.5cm伸びたんです。
問題はどこが伸びたかなんですよね顔が伸びたんじゃないかと思って。
電球もかえられますよ。
便利。
バレーをするときはさらにジャンプをしますからね。

 

 

 


これから日本のバレー界オリンピックがありますね。
その辺のお話も東京オリンピックに向けての秘策とかあるじゃないですか。
いろいろ考えていますよ。
じっくりとお話を伺っていきたいと思います。
川合さんへの質問・メッセージも募集しています。
本日のゲストは元バレーボール選手の川合俊一さんです。
川合⇒よろしくお願いします。
川合さんはスタジオパーク21年ぶり2回目。
意外ですね、もっと出ていらっしゃるのかなと思って。
あまり出たりしないしあまりないですよね。
発表するものはないので。
歌を歌うわけでもないし。
しょっちゅうテレビでご活躍されているイメージがあるんですけれども久しぶりに出ていただきます。
そんな川合さんバレーボールに関するある肩書を主に2つお持ちです。
ちょっと長い肩書もありますね。
バレーとビーチバレーですね。
2つお持ちで。
ちなみにどういうことをやってるんですか。
バレーボールは強化事業本部です。
強化の方向性を決めるんです。
どういう強化をするのか強化本部というところがあってそれこそ高校の関係者大学の関係者もいたりお医者さんがいらっしゃったりもちろんバレーボール協会の人もいます。
どうやったら強くなるのかというのを考えています。
会議をしょっちゅうやっています。
毎年あがるのが男子バレー虫歯が多すぎるというのがあって虫歯0でいてほしいんですよ。
食いしばるからどうしても歯が欠けて虫歯になりやすくなるんです。
食いしばれなくなると力が入らなくなるんですよ。
虫歯を治すためにはどうしたらいいのかどのカテゴリ大学なのか高校なのか治療をどうやってさせるのかという会議細かいところから3時間くらいずっと会議をしています。
運動神経だけじゃないんですね。
あとはデータ分析のものをどうやって活用していくのか。
これから大きい選手がやっぱり欲しいから獲得するにはどうしたらいいのかまずは小学校ぐらいからだろうとか。
相撲部屋で体格のいい人を探すみたいな。
あのレベルですよ。
大きい選手がいたら本当に今とりにいきますよ。
身長は大事ですか。
大事ですね、ルールが変わったんですよ。
うまくてバレーボールが勝ってる時代があったんですけどルールはヨーロッパが決めるのででかくてちょっと下手だったんですよ、ヨーロッパってでかいと器用じゃないでしょうでかいんだけれども機敏じゃなくてもいい。
機敏の人もいるんですけども180cmと2m10cmだと動き方が違うんです。
でかい人たちが有利な国の人たちが決めるからでかいほが有利なルールに変わっていくんです。
日本人は不利ですね。
オリンピック種目は大体日本が強いとどの種目でもルールが変わってきます、スキージャンプも水泳もお前たちみたいな島の小さい人たちを勝たせないと思われてる感じですよね。
個人差はありますけれどもね。
ビーチバレーボールは会長をやられています。
ビーチバレーの普及とか育成とか来年から国体も、正式種目になるのでそれを援助する指導者育成とかやったり地味な作業ですよ。
年に2回大きい会議があるんですよ。
その司会進行が僕で僕がやっているんです。
会長がうまいからやれって。
まずは冒頭のあいさつという感じでやるんです。
そんな川合さん、視聴者の皆さんにぜひ聞きたいことがあるということで書いていただきました。
バレーボールじゃなくてもビーチバレーでもいいですよ。
いろんな人たちがバレーボールに携わってると思います。
いろんな思い出があると思います、そんな話を聞きたいし、本当は違ったんですよ。
本当はあなたの身近なでかい人を教えてくださいとそうすると、お便りがだいぶ少ないんじゃないかなと思って変えました。
小学校6年生なのに180cmありますとか本当に探していますね。
清水さん、バレーボールの思い出ありますか。
中学のときにバレーボール好きで参加することは好きなんですけど自分のところにくると失敗してみんなの足を引っ張って本当にだめな人間だなと思ったことはありました。
バレーって難しいんですよ球技の中でも持ってはいけなくてワンバウンドさせてもいけない。
オリンピック競技の中で球技でそれはないんですよ。
卓球もテニスもワンバンド野球もサッカーも大丈夫でしょ。
バレーボールだけ持っちゃいけなくて落としちゃいけないというのは難しいスポーツなのでできたほうがすごいですよ。
伊藤⇒球技大会はなぜかバレーボールをやっていてちょっとスパイクをやったりすると女の子が来たと言って盛り上げてくれるんです。
ちょっと勘違いしちゃったりしてただ単に勝っているだけなんですけどもね。
勘違いは多かったですか。
きゃーと言われるから。
僕はてれ屋だからあまりそういうのは苦手でした。
田舎から出てきた子だからちょっと方言が最初出てきてちょっと恥ずかしくてあまりしゃべっちゃいけないかなと思って。
他校から試合とか女の子が見に来ていたんじゃないですか。
高校男子校だったのでほかの女子高の子が練習を見に来ていました。
それはうれしかったでしょう。
めっちゃ決めたんじゃないですか。
ちょっと頑張りますよね。
いろんな青春時代そして川合さんの試合を見たとか思い出近くに大きい人がいたら情報をお寄せください。
川合さんはなんと言ってもオリンピック学生時代に出場、そして富士フィルムになっても2回ロスとソウルに出られましたけれどもオリンピックのこういう思い出があるというのはありますか。
ロスのときは試合はほとんど覚えていないですね。
テンションが上がるんですよね。
とんと上がって、試合が終わったら大概覚えているんですよ。
あとでビデオを見るまでこんな感じだったんだって覚えていなくて何か出ているんでしょうね。
ジャンプ力は上がるしね。
大会がでかくなればなるほどアドレナリンが出るんでしょうね。
いつもネットから肩ぐらいまで出ていたのか。
腕の辺りまでおなかのあたりまで出ていたんですよ。
そうするとセッターの人がジャンプ力、みんな上がっちゃうから試合前の練習で打つでしょ。
低いよというんですけどセッターはいつもどおりなんだろうなと不思議なんですよね。
これはそのころですか。
22歳23歳ごろですね。
そのとき試合自体覚えていないけど、予選の印象とか何かあると聞きました。
アジア選手権で優勝しないとオリンピックの出場権がないというときそこを覚えています。
2セットまで取られていたんですよ。
僕は学生だったのでベンチにいたんです3セット目の途中から出場でそれはで冷静に見ていたから負けちゃうなと思っていたんです。
呼ばれて出ていって。
そこでさく裂したものがありました。
ロサンゼルスオリンピックを決めた、秘技がさく裂したということです。
3セット目で出ろと言われて。
この秘技は封印されていたんですよコーチから。
使うなと普通にやれと言われたんだけど練習終わってからセッターの人とあの攻撃絶対に効きますかやりましょうと隠れてやっていたの。
本番だからいいやと思ってやったら、ものすごい決まっちゃったんです。
3セット目に逆転したらコーチがあんなのやるんじゃねえと怒っていたコーチがあの攻撃どんどんやれと言われたんです。
これが川合さんという設定でアタックをします。
背中ですね。
通常セッターがいてトスを上げるんですよ。
センターは、Aクイック普通はAクイックを打つときはAクイックの下でまっすぐにジャンプするんです。
そうすると必ずブロッカーが1人いるわけです。
Aをかわしながら打つわけです。
CだったらCの下から跳んで打つわけです。
それが嫌だったんですよ。
こねて打たないといけないからだったらAからCクイックを打つふりしてAに流れて、打ってしまおうと思ったんです。
斜めにジャンプすると高さがなくなるのでだめだと言われていたんです。
高さを生かせとコーチに言われていてブロックが誰もいない状態で打てるわけですよ。
相手はCにいるからということですね。
高さもないけど、塀もないということですね。
CのふりしてAですね。
逆もありますよ。
逆もあるんですよ。
流れ攻撃といいます。
83年のアジア選手権対中国戦です。
これに負けたらオリンピックに行けないというときです。
右のコートの真ん中から打ちます。
Cですよね。
その振りして斜めにいきます。
相手のブロックも見てください。
いないですね。
これで決まる。
気持ちいいですよ、誰もいないんですからバレーボール誰もいない状態で打てるってこんな気持ちいいことはないですよ。
いろんなバージョンがあってそれが世界で誰もやってなくてBからAに流れるというのやっていたんですけどセッターの手前を跳ぶやつっていないんですよ。
セッターが邪魔だから。
セッターの人にしたら誰もまだ準備していないところにボールを上げなきゃいけないわけですよね。
そのときセッターは真鍋という全日本の監督だったんですけれども女子の監督だったんですけども誰もいないところにトスを上げるの恐怖だったみたいで本当に来るんでしょうねとちょっと怖かったと言っています。
いないところからでかいのが出てくるからね。
この試合、世界中見ていて次の年ぐらいからロシアとかがやりだしたんですよね。
中国もやりだして、いろんなところでやりだしました。
だけど、そのあと封印されていくわけですよ、これが。
斜めに跳ぶから膝に悪くて故障するんですよ。
故障しやすくなるんです。
歯とか膝とか大変ですね。
歯とか膝とか肘とか首とかね。
練習の段階から大変ですね。
すごい鍛えてやったら今でも全然できる攻撃だと思う。
東京オリンピックに向けて新技というかそういうのを作ったりとか。
誰もやっていないから、またこれ1年間ぐらい決まると思うんですよね。
壁が嫌で。
気持ちよく打ちたいというだけです。
何か方法ないかなと考えたんです。
野性的。
東京オリンピックに向けて日本のバレーボールに必要なのは技を生み出すとかそういう部分はどうなんでしょうか。
試合を見ていても背のでかい順で勝ってきている感じがするんですよ。
でかい選手は男性だったら2m以上5、6人いるんですよ。
そういう選手をずっと使うというのはものすごく大事なことでいい試合をしようとすると背が小さい選手を入れたほうがいいんですよ。
勝つとなるとでかい選手がいないと勝てなくて2年間ぐらい負けてもいいからずっとでかい選手を使い続けるのが大事かもしれない。
意地ですね。
2年間ずっと負けていたら嫌ですよ。
海外だったらあれですけど自国の大会で戦って負けていたら嫌ですよね。
その辺も期待を込めてきょうは大きい人の情報が来るかもしれませんしね。
ビーチバレーでもいいですよ。
ビーチバレーもオリンピック競技なので。
コートの中で活躍されて秘技を生み出した川合さんですが実は次のテーマはバレーはコートの中だけではなくコートの外でも秘策があるということですね。
どういうことでしょうか。
ここでクイズです。
実は川合俊一さん全日本代表のとき川合さんがやったことがきっかけで変わったルールがあるそうです。
それは何なのか視聴者の皆さんお考えください。
コートの外の話です。
リモコンの準備はよろしいでしょうか。
皆さん、お考えください。
どれもありそうですね。
たぶん感謝されていることですよね、今。
感謝はそのときの選手にはされました。
でも今は、それがきっかけで。
定番になっているんですね。
メールがきています。
大阪府の40代の女性の方です。
中学生のころバレーボールが大人気で私は川合さんの大ファンでした。
川合さんが載っている雑誌は必ず買って、切り抜きを下敷きに挟んでいたほどです。
それから10年ほど後に就職した会社のイベントに川合さんが来られていて握手をしていただきました。
大きな手で笑顔で握手をしていただき、とても感動したのを今でもよく覚えています。
いつまでも応援しています。
引退してから講演とかしたときかな。
バレーボールの思い出ですね。
そして、もう1つ愛知県の方からです。
川合さんがもし全日本バレーの監督になったら何をしますか。
何をするかな…。
僕が監督だったら、全日本の合宿中はあれですけれど違うシーズン。
全部イタリアとか海外のクラブチームに出向させる。
なんで?イタリアとか世界中のでかい人たちが集まってやるからそこでやってるとでかい人たちに慣れるから今、全日本に石川選手っているんですけど大学1年のときかなイタリアのリーグに勉強しにいったんですよ。
帰ってきたら全然プレーが変わったのでそういうところに行ってふだんから勉強させておいてから全日本集結してほしいんですよ。
海外の選手の中でプレーをするんですね。
大きな選手の中でということです。
そんな川合さんコートの外での秘策川合さんの行動がきっかけで変わったもの視聴者の皆さんの答えです。
いちばん多いのが?合宿時の門限ですね。
すでに川合さんだったら破っていそうですけれども。
あとはきっ抗していますね、ちょっとだけ多いのが移動服です。
川合さん、答えは何でしょう。
答えは移動の服です。
時間かと思った。
僕は全日本に入ったとき全日本の選手は、スーツで移動しなければいけないというのがあっていただいたんですけれどもちょっとださい…ださいと言ったらいけないんですけどかっこよくない。
スーツなんだけど今はお尻の上ぐらいではくのがはやっているでしょうジャケットがお尻が全部隠れていて色が茶色の薄いベージュの変なやつみたいな色で肩にチーフとか入れるところがあって。
サファリジャケットみたいなやつ。
そして胸のところに日の丸が付いているんですよ。
これはだめなんじゃないかなと思って。
みんな大きいから仕立てるんですよ。
きっちりしているから学生はそういうの着たことないので移動のときに着ていると肩が凝っちゃって移動先で肩凝って試合で肩が上がりづらくなるからコーチに言ったんです。
これ着て移動すると活躍がなかなかしづらいからTシャツとジーパンで移動してもいいですかね?って言ったらだめだろう!と言われてこのスーツで移動して普通の活躍するのと、Tシャツ、ジーパンで移動して大活躍するのと違いですかといい。
学生だったから言っちゃうんですよ、そういうこと。
何言っているんだお前と言われてじゃあお前だけでそれで移動しろ、きょうの試合だめだったらただじゃおかないと言われて僕だけTシャツとジーパンで移動してその日のソ連戦ですね。
自分の記憶にはないぐらい大活躍して。
必死。
それで活躍して監督がいいんじゃないかという話になって洋服はフリーになったんです。
移動服が。
みんな感謝したでしょうね。
そのときは男も若干DCブランドブームおしゃれになってきた時代だったので、そのときの同級生とか後輩は結構みんなよかったと言っています。
目の前のにんじんがあるとすごいんですね。
ちょっと違うんですね。
そういうふうに私服を着ることによってバレー選手かっこいいとかね。
それによってファンの方がプレゼントしたのをみんな着るでしょ。
普通のスポーツ選手だから。
みんなかっこいいのくれるからだんだんみんなおしゃれになっていくんですよ選手が。
おしゃれだとあの当時ってみんなスポーツ選手ってパンチパーマと角刈りだったりして当時おしゃれじゃなくて洋服もそうだったんですがだんだんおしゃれになってバレーボール選手っておしゃれだよとなって注目されるんです。
バレーボール雑誌だけでなく一般のアイドル誌例えば「セブンティーン」とか「明星」や「平凡」とかに特集されたり。
バレーボール人気に一役買っていたというところが当然あるわけですね。
そういうことも大きいでしょうね。
そのころアマチュアスポーツ選手はバラエティー番組でさえ出ちゃいけないからテレビに僕らは出たことないんですよ。
試合かインタビューだけでメディアに出なくて人気を高めるって相当難しいですよね。
雑誌だ、ということで。
雑誌という話が出ましたが実はこんな本も出しています。
「スタイルブック川合俊一」という。
調子に乗りましたね。
周りが調子に乗せるんですよ。
ジャンプスーツ着たバレー選手いないでしょと。
スタイルブックだから全部私服なんですよ。
好きだったんですね、洋服が。
こういう服を着ていると思いきや服を着ていないのもあります。
カメラマンがやらせたがるんですよ。
こういうのでだんだんバレーボールを知らなかった人たちのファン層が増えてきてバレー人気が出てきたんです。
バレーボールの環境がこれで変わっていったんですね。
人気がないとバレーボールやろうとは思わないですよね。
次の世代がね。
そのころは野球が人気があったから今もありますけれどもみんな野球にいっちゃったりするからバレーをやりたいという子どものときに思ってもらわないと。
川合さんの取り組みがバレーボール人気に一役買ったんですね。
川合俊一の秘策でございました。
メールをご紹介します。
冒頭でバレーボールの思い出は何ですかという質問にお寄せいただきました。
千葉県の男性40代の方です。
高校時代よく川合選手が所属していた日本リーグチームを応援するために、代々木体育館などに見に行っていました。
当時は女性のファンが多く、私のような男性には肩身の狭い気がしました。
川合選手で記憶にあるのは一度だけ見たジャンプサーブです。
あまりやらなかったんですけどたまにやっていたぐらいです。
貴重なものを見ましたねこの方は。
ジャンプ必要なさそうですよねサーブするときに。
今に2m10cmぐらいの人がジャンプサーブをしていますよ世界は。
このころ今もそうかもしれないですけど女性のお客さんが多くてブラジルがくると観客席を見て、この国の人口の9割は女かというぐらい女性が多かったです。
栃木県の20代の女性です。
中学校のときにバレーボール部だったのですが試合のときにレシーブしたらバスケットゴールに入ってしまいました。
天才ですね。
会場は笑いの渦に。
持っていますね。
YouTubeで見たことあります。
この人じゃないと思いますけどレシーブしたものが体育館の横にあるでしょバスケットゴール、あそこに入って笑いが起きるんですよね。
10年たった今でも一緒にやっていた仲間からいまだに言われます。
僕やっていても一度もないですね。
珍しいですね。
思い出をお寄せいただきましたまだまだ募集しています。
そんな川合俊一さん現役で活躍されていたんですが1990年に引退をされましたまた新たな出会いがありましたこの競技との出会いです。
引退したのは1990年でそのころちょっとアメリカに3か月くらい行っていたんです。
サンタモニカビーチの近くにマンションを借りてそこに住んでいたんですけれどもそこのビーチに行ったらビーチバレーコートがいっぱいあって地元の人たちがやっていたんですビーチバレーを。
僕も2回ぐらいやったことがあったからやってみようかなと思って。
ちょっと入れてくださいと。
みんなで試合をやっているからね入れてくださいと。
でも、だめだと日本人の観光客なんかだめだよと、でかいからと。
全日本とは僕言っていないから日本の観光客のでかい人が来たとみんな思っていて。
バレーボールプレーヤーだと思っていなかったんですね。
言わなかったんだけれどもいちばん端のコートの60歳ぐらいのおじさんと40歳ぐらいのおじさんが俺たちとやってやると俺は27歳ですよ。
先月まで全日本ですよ。
ふざけんなとなんでそんな年のおっさんとやらなければいけないと後輩もバレーボールやっていたからちょっとやってみようということで60歳の人が3歩ぐらいしか歩けないんですよ。
砂の上だからね。
ジャンプもできない。
何だ、このおっさんいいやでも入れてもらうんだからいいかなと思ってやったらこてんぱんに負けたんですよ。
そうなんですか。
2対2でやるでしょ砂の上でしょう。
太陽が、まぶしいでしょう。
コツが違うんですよ。
全く普通の室内のバレーと違うんですか?ジャンプしなくてもいないところを見つけて、ぽんとそこに置くと後ろにいったら前に落とし前にいったら後ろに落としそしたら負けてそのときに、おもしろいとこんなおじさんになっても全日本の選手に勝てるんだなと思ったらやってみようと思って毎日行ったんですよ。
ビーチにね。
そうしたらね。
1週間とか10日したら慣れてくるじゃないですか砂にも。
そのおっさんたちに勝つようになったんです。
そうしたらそのおっさんがお前はなバレーのセンスがあると。
代表だからね選手ですからね。
ああそうですかとここから北に2マイルぐらい行くとプロがいっぱいいるところがあるからそこに行ったほうがいいということでプロの方は俺のことを知っていたんで、何だ川合かとビーチバレーで大会があるからやってみろとプロの大会もあるということで大会に出るために毎日練習するようになっていろいろランキングがあるんですよ。
そのランキングの下のほうから出ようと思ってこんなおもしろいものがあったら本当にビーチバレーで自由でおもしろいんですよ。
日本にも紹介しようと思って帰ってきたら、日本でビーチバレーを紹介したんですよね。
知られていませんでしたね。
「トップガン」という映画でちょっとやっていたぐらいで。
それからですよビーチバレーの宣伝をさせてくださいと、メディアにいって。
だったら番組出るということでそれからですよ番組に出るようになってそれが今に至るという感じなんですよ。
人気のスポーツになってきましたからね。
選手として有名だったんでその続きでタレント活動して有名になったんだろうと思ったんですけれども違ったんですね。
昔は有名な選手は引退してタレントになりますけれどもね。
でもスポーツ選手はそのころタレントになろうなんていう意識はないんですよね。
でも、ビーチバレーを広めるということで新聞とか雑誌とかテレビに出るようになってそこでだらりとしていたらこんな感じになっちゃったんですよ。
あくまでもビーチバレーを広めるためにテレビにメディアに露出してということだったんですよね。
はい。
さらには川合さんはビーチバレーのスターを見いだすわけです。
ビーチバレーの妖精と言われた浅尾美和さんです。
川合さんが見つけてきたんですね。
僕メディアのほうにずっと出ると現場のほうは、いろんな人たちがやっていたんですけれども現場を見ていなかったんですね僕は。
それで何年かして久々に、ちょっとビーチバレーの現場に行って大会を見てみようと。
日本でいちばんでかい大会を見に行ったんです。
4000人ぐらい入るスタンドをたてて3000人ぐらいのお客さんが来ていたんです。
入れるかなと思っていたらそのときはそこにスタンドがなくて関係者にお客さんが入るスタンドは?と言ったら川合さん、スタンドはねお客さんが来るからスタンドをたてるんですよと今は選手の友達とか家族しか来ないからスタンドはたてなくていいんですよって言われてそんなに人気がなくなっているのと、びっくりしてなんとかしなくちゃいけないということでバレーボールの男子も女子も強い選手はいたんですよね。
それでかわいい子がバレーをやっていて強かったら人気が出るかなと思って。
バレーボールの全国大会見ていたら、浅尾美和がいてかわいいなと思ってうちのスタッフに高校の監督にいってビーチバレーやらしてくださいと取りにいけと言ったんですよ。
高校1年生のときだったんですけどね。
高校3年生まで待ってくれと言われて。
またそれからアプローチしてビーチバレーのほうに入れたんです。
それでうちの事務所に入れて。
清水⇒すごい先見の明がある。
最初大変でしたよ。
支配人に見えてくる。
ビーチバレーやったことないからまず強化しなくちゃいけないということで2、3年強化したんですよね。
浅尾の給料とかペアの給料とか保険、コーチのお金コーチの家賃とか遠征費とか年間一千数百万とか出て行くんですよ。
歴史がないからね。
僕自分の会社で自分で社長をやっているんで稼ぐのは僕だけなんです。
一千何百万4年間のお金を僕が稼がないといけないんですよ。
3年、4000万とかかかったかな教え込んだら浅尾がだいぶうまくなってきたから僕がたまたま行っていたスポーツジムにあるスポーツ関係のバラエティー番組をやってるプロデューサーがいらっしゃってすごい今いい子いますから1回出してくださいと。
客引きしたんだ。
スポーツジムだから言いやすいじゃないですか。
それで1回だけということで有名な番組なんですけどねフジテレビの…言えませんけれどもそれで出たら火がついたんですよ。
それで川合さん来月もどうですかということでそれから出るようになって持っていますね。
それでビーチバレーボール人気も上がっていったんですね。
大人気。
そこからスタンドをたててお客さんが来るようになって。
お客さんが座れるスタンドね。
そんなことがあったんですね。
知らなかった。
人気にならなかったら大変でしたよ。
もしかしたらね。
なかったかもしれない。
投資して終わったかもしれない。
お疲れさまでしたとね。
美和ちゃんのおかげでもあり、川合さんのおかげでもあり。
今後ビーチバレーどういうふうに。
もちろんオリンピックもありますけれども。
この間、リオのオリンピックも行ったんですけれども世界で勝つチームはうまいチームも多いんですけれどもビーチバレーもバレーボールと同じで、大きい選手が多いんですよ。
この間行った中国の選手は女子で190cmとか。
190cm前後ですよねみんなね。
強くするにはということで今、女子の選手でも180cm台が日本で3人ぐらいバレーボールからビーチバレーに転向してきてそれを今強化選手にして4年間かけて強くしようと。
男子のほうもちょっと大きい選手は、今募集中で4年はね、でも短いですね。
やっぱり6年ぐらいあるとちょっとやっぱ違うんですよ。
4年は短いんでね、どうかなと思っていますけれどもでも一生懸命頑張るしかないんで。
4年後に向けて盛り上げていくということですね。
もう始まっているんですね。
実は、NHKの番組でもバレーボールを盛り上げようというものがございます。
「ぼくらはマンガで強くなった」という番組です。
トップアスリートがスポーツ漫画からどういうふうに影響を受けたかという番組です。
今回のテーマはバレーボールです。
今、人気急上昇中のバレーボール。
そのバレーボールを扱った漫画の中で最大のヒットを記録しているのが漫画「ハイキュー!!」。
日本代表チームの1人柳田選手も熱心な「ハイキュー!!」の読者の1人です。
バレーをやっていく中で人間関係だったりとかチームを作ったりだったりとかそういうところ結構細かく描いているのでこういうときもあったなと思ったりとか同感するところは結構ありますね。
「ハイキュー!!」を愛読する選手は柳田だけではない
漫画読んでてバレーしたくなるなとかテンション上がるって言ったら変ですけどくるものはありますよね。
さらに「ハイキュー!!」に出てくるバレーのシーンをプロの選手が再現。
アタッカーが目をつぶってスパイクする。
セッターの正確なトスが求められるコンビプレーです。
比較的合わせやすいかなと思います。
見えないです、全く。
お願いします。
いちばんのポイントはどこになりますか。
もう100%セッターですよ。
セッターがしっかり山内君がスイングするところにトスを上げることができるかですね。
山内はただ振ってるだけですから。
驚きの結末は番組の中で明らかになります。
川合⇒いろんなのことをやっていますよね、おもしろかったですよ。
すごくベテランの選手になると学生時代にも全日本に入ったときにお前そこでジャンプして振ればいいから、そこにトスを合わせてあげるからと言われてそれぐらいベテランはうまかったですね。
打たせていただきました。
お前に合わせるということですよね。
でも目をつぶるというのはないですよね。
川合さんは影響を受けた漫画がありますか?今回は「ハイキュー!!」が出ていましたけれども。
僕らは、「アタックNo.1」実写版で「サインはV」かな。
木の葉落としというのがあって上に上げてひゅっと落ちるんですよ。
何回やってもチャンスサーブに間違えられて。
ドラマだから。
X攻撃とかありましたね。
三位一体攻撃とかありましたね。
よくやっていましたね。
自分でやってみたりするんですねアスリートの人たちは。
みんなやってました。
稲妻落としというのもあってあれは「サインはV」かな。
好奇心を持ってやるというのが大事なことなので。
実験してみるのがね。
遊びの中から新たな自由な競技の発想というんですかね、そういうのも。
さっきの流れの攻撃も練習でやったら怒られるから遊びでやっているうちにおもしろいねということになったんです。
自由な発想ももしかしたら大事になると。
「ハイキュー!!」の中で流れ攻撃というのが紹介されたみたいでネットにね川合がやっている、川合がやっていると言っていたんですよ。
俺何やったかな、と思ったら「ハイキュー!!」の流れの攻撃が中にあって昔川合がやっていたということでネットに載っていたんですよね。
「ぼくらはマンガで強くなった」BS1で今夜スタートです。
今回からレギュラー化です。
全14回の放送です、ご覧ください。
今度はプライベートのお話を伺っていこうと思います。
実は川合さん普通の一般家庭なら1個、2個あれば十分だろうというものを大量に持っているみたいです。
何個ぐらい持っているんですか?いちばん多いときで30ぐらい。
今は20ぐらいかな。
それが何なのか。
この写真です。
これは懐中電灯です。
白いのは?コンセントに挿しておいてそれに上のものをのせておくんですよね。
暗いところでちょっと光ってるんですよ。
コンセントのところから取るとばっと光るんですよね。
何でこんなところにこんなにいっぱい持ってるんですか。
いちばん大きなのはマグナムというんですよ。
コンサート仕様ですね。
1つの公演ぐらい照らせますよ。
頭につけるものもありますね。
ヘッドライトですね。
なんではまったんですか。
僕8歳まで新潟の今、糸魚川市になってるんですけれどもそういうところに住んでいて昔はドカ雪といっていっぺんに雪が降るんですよね。
そうすると電線が切れてしょっちゅう停電していたんです。
降雪でですね。
うちは2階建ての8LDKぐらいの家ででかかったんです。
懐中電灯が1階のおじいちゃんの部屋に1個しかなくて2階で電気が消えると電灯も周りに何もないから目をつむった感じになって子どもながらに怖いんですよ。
懐中電灯があるところまで階段を下りていくんですよ。
怖い怖い!と言っておじちゃん怖い!とおじいちゃんもおばあちゃんもみんなも怖い怖い!って言ってやっと探すんですよ。
それがトラウマで大人になったらぼんと停電になっても2歩歩けば懐中電灯があるように家じゅうに全部置いてあるんです。
部屋には1個必ず置いてあると。
リビングには4つぐらいあったりとか2歩で行けるところに置いてます。
そうするともっといっぱいあったんですけれども。
3.11のときに停電になったりして東京中の懐中電灯がお店からなくなって情報を知っている人がいて友達でお前、懐中電灯持っていたなということでいろいろ持っていかれてしまって10個ぐらい持っていかれて今はこのぐらいの量になったんです。
さすがにいちばん上のものは使っていないですよ。
非常事態に。
キャンプに行ったときとかに使いますね。
びっくりしますよ、これ。
みんなで使うような明るさですよね。
まあそうでしょうね。
でもこれだけではなくて川合さんは常に身につけているものもあるそうです。
今ポケットの中に懐中電灯というかあれですけれどもふだん腰に鍵をつけていますけれども今外してますけどね。
鍵と懐中電灯、ホイッスル。
光った光った。
それから大地震で潰れて粉じんを吸ってしまってレスキュー隊が来たのに助けてください、と声が出なかったとき。
あるらしいですね。
そのとき用に…。
笛の音
ここですということで。
これは大事らしいんですよね。
いつも持っているんですか。
意外ですね。
防犯というか防災意識。
でっかい男がそういうことを気にするとすごくおもしろい。
でかいとかかぎらずけんかも僕、しないんですよ。
でかいからけんかを売られないのに売られたときは絶対何か持っているか拳法使いかすごい人じゃないとけんかを売ってこないからすぐ謝るんです、すみませんと。
ナイフとか出されたらこのでかいのになかなかけんかをみんな売ってきませんからね。
実は家にはそれだけではなくてこんなものもあるそうです。
たてと棒ですね。
機動隊みたいですね。
珍しい。
ベッドの左横にあるんです。
今までに木刀とか三段警棒とかいろいろ置いてあったんですけれども。
ことし気が付いたんですよ。
三段警棒があっても長さが短くて強盗が入ってきての向こうが包丁を持っていたら三段警棒で殴りにいっても刺されちゃいますよね。
相打ちになるなと思ったから、なんとかしなくちゃと。
じゃあ盾があればいいということで。
そしてロープもありましたがそれは。
マンションなのでね火事があったときにロープを下に投げておりるという。
用意周到ですね。
どこで買うんですがこの盾とか。
通販です。
盾と検索したらいっぱい出てきますよ。
大きなものを買おうと思ったけどそれはいらないなということで。
そろそろメールに行ってもいいですか。
思い出のバレーボールきています。
愛知県の方からです。
小学6年生のときに出会いました。
先生たちが職員バレーと称して放課後楽しんでいたのを見たのが最初です。
やりたいと思って中学1年生から始まって60超えた今もやっています。
寿バレーと呼んでいますということです。
東京都の方は中国戦のVTR流れましたが高校3年生のとき友人と朝5時から当日券を求めて学校をさぼって試合を見たということです。
あのときの興奮は忘れられないということでした。
福井県の方はバレーボールの思い出は息子です。
小学校高学年のときには相撲と柔道をやっていました。
体重は80kg。
それが何を思ったのか中学校に入ってバレーボール部に入部。
みるみる痩せて身長185cm体重は55kg。
スマートになりました。
JOCに選ばれたということです。
ほかにもいろいろ届いています。
高校時代のバレー部は当時男子が少なくて女子の中に混じって練習していました。
サーブの練習のときに相手のコートから女子の強烈なサーブが飛んできて顔に当たって鼻血を出したということです。
それからトラウマだということですよ。
2016/11/11(金) 13:05〜13:55
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 川合俊一[字][双]

東京五輪ビーチバレー飛躍に我、秘策あり! ゲスト:川合俊一 司会:伊藤雄彦アナ、清水ミチコ

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】川合俊一,【司会】清水ミチコ,伊藤雄彦