というわけで今日は横浜の中華街にやってまいりました。
「ヒデちゃん」の愛称で親しまれバラエティーからドラマ情報番組までさまざまなジャンルで活躍しています。
群馬県藤岡市に生まれた秀征さん。
自らのルーツについて長年気になっていた事があるといいます。
早速今夜のゲスト中山秀征さんです。
どうぞ!よろしくお願いいたします。
お願いします!お願いします。
さあ中山さんと言えば「ぐんまの顔」ですよね。
ありがとうございます。
今現在「ぐんま大使」。
僕と井森美幸ちゃんでやらせてもらっています。
長いですよねもう。
群馬の利権を一手に引き受けてます。
もうデビューで何年になるんですか?そうなると33年ぐらいですかね。
僕より芸歴で言うと1年か2年ぐらい先輩のはずです。
今ちゃんの方が年はもう先輩ですけれども。
もう潰しきかないですね。
もう潰しきかないです。
他の事はできないです。
できない。
我々もう他の事はできない。
群馬で生まれ育った秀征さんは平成20年「ぐんま大使」に選ばれました。
本当に真ん中なんですよ。
そんな秀征さんが「ぐんま大使」としてPRに力を入れているのが世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」。
明治5年に設立された…古くから生糸や絹織物の生産が盛んだった群馬に明治政府が建てたものです。
実は中山家も製糸業と関わりがありました。
秀征さんの父親が生まれ育った中山家の本家です。
(取材者)お世話になります。
よろしくお願いいたします。
現在この家を守る…母屋は江戸時代の中頃250年ほど前に建てられたものだといいます。
中山家でも昭和40年ごろまでこの2階で蚕を飼っていました。
お蚕がねいっぱいいましたねここにね。
古い資料が残されています。
一枚の写真がありました。
(俊晴)この人が多分おじいさんだと思うんです。
これがその親の彌一郎。
その親の彌平ですね。
大正時代に撮られたこの写真。
秀征の祖父や曽祖父に囲まれ中央にいるのが4代前の高祖父彌平です。
彌平は幕末の嘉永2年1849年に生まれています。
群馬県立文書館で彌平の名前が書かれた資料が見つかりました。
群馬県には明治の初めにかかれた県内のほぼ全域の地図が残っています。
明治6年の地租改正の時土地の所有者を明確にするためかかれたものです。
現在の中山家の周辺に「中山彌平」名義の土地がいくつもある事が分かります。
うわぁこんなにあったのか!すごい数…。
群馬の歴史に詳しい秋池武さんにこの地図を見てもらいました。
注目したのは村の役人として書かれた彌平の名前。
肩書は「副戸長」。
いわば村の助役にあたります。
本家から程近い田んぼの脇に中山家の墓地があります。
秋池さんにこの中山家の墓を調べてもらったところ更に興味深い事が分かりました。
そうですねこの中でいきますと…戦国時代豪族だった中山家。
この地を守るため多くの合戦に加わったといいます。
神流川の合戦ってあったんですよねそこの川で昔。
(秋池)この地域一帯が南の方には後北条氏がおりますしまた甲府の方から武田信玄。
北の方からは上杉謙信が入ってくるというような時代が戦国時代になりますので…豪族の末えいとして幕末に生まれた高祖父の彌平。
明治に入ると村の役人を務めるかたわらある仕事にも携わっていた事が分かりました。
「養蚕改良高山社社員台帳」。
彌平の名前がありました。
この高山社は「絹産業遺産群」の一つとして世界遺産に登録されています。
明治17年現在の藤岡市につくられた養蚕技術を教えるいわば学校です。
高山社では遠くは北海道沖縄からやって来た全国の若者たちに蚕の育て方を教えました。
当時の教材です。
蚕の成長に合わせた温度や湿度餌となる桑の葉の量蚕の病気の予防法などが分かりやすくかかれています。
同時に高山社では「授業員」と呼ぶ指導者を全国に派遣していました。
明治21年当時39歳だった彌平もその一人でした。
こうして養蚕の技術を全国に広めた高山社。
日本を世界一の生糸輸出国へと押し上げる原動力になりました。
村の副戸長で高山社の指導者としても活躍した彌平。
しかし意外なものが残されていました。
「借用金」と書いてますね…。
借金の明細表です。
当時の1円は現在の2万円に相当します。
今のお金で何百万円もの借金をなぜ彌平はしていたのか。
借金の理由を聞いていました。
「義太夫語り」とは江戸時代に始まった人形浄瑠璃の「語り手」の事。
義太夫に魅せられた彌平は一座を組んで何度も東京に巡業。
そのため多額の借金をしていたのです。
こういう系の人はいないと思ってたんですから。
こんな新聞が見つかりました。
彌平の孫で当時藤岡市の市会議員だった寅松が彌平の事を語っています。
「おじいさんが竹本富士登太夫という近隣に知られた義太夫の語り手だったため門前の小僧以上に習わぬ義太夫を覚え込んでしまった」。
多額の借金を抱え傾きかけた中山家。
その再建に取り組んだのが彌平の長男で後の秀征の曽祖父彌一郎でした。
彌一郎は筆まめで数多くの記録を残しています。
これは「養蚕日誌」。
繭のとれた時期や品種ごとに取れ高を詳細に記録しています。
父から受け継いだ高い技術を生かし生産量を増やしていきました。
父親が借金の形に売り渡した土地も彌一郎が買い戻しました。
壁に掛けられた彌一郎の肖像画。
彌一郎は戦争にも行っていました。
戦地で書いた記録も数多く残されています。
明治27年21歳で日清戦争に従軍。
戦史研究家の白石博司さんに見てもらいました。
工兵の任務は戦闘部隊が進む道路を修繕したり川に橋を架けたりする事。
彌一郎は最前線で銃を携え弾丸が頭上を飛び交う中その任務に当たりました。
そして10年後には日露戦争にも従軍。
通信所の所長として奉天など中国大陸を転戦しました。
日露戦争で日本は勝利。
藤岡でも祝賀パレードが行われました。
彌一郎は人々の歓声に迎えられ無事帰国を果たします。
激動の明治時代中山家の人たちはこうして歴史の荒波を乗り越えてきたのです。
その中山家の…。
そうなんですよ。
でも実は…。
ねえ。
だから…その彌平さんは。
多分そうですね。
(笑い声)今年8月77歳で帰らぬ人となりました。
そんな美江さんの「ファミリーヒストリー」にも興味深い事実が隠されていました。
この女性は母方の高祖母もそ。
もその戸籍を見ると父親は金井清左衛門と書かれています。
群馬県沼田市。
戦国時代真田家が治め大河ドラマの舞台にもなりました。
もそが生まれた金井家は江戸時代にある事を始めています。
こんにちはおじゃまいたします。
金井竹徳さんいらっしゃいますか?人形芝居…竹徳さんの曽祖父と秀征の高祖母もそがきょうだいでした。
(取材者)このお芝居どれぐらい昔から…?あけぼの座は幕末の安政年間に生まれた県内では有名な人形芝居の一座です。
代々金井家の人たちが座長を務めてきました。
こういう感じの人形ですかね。
一座は今もほぼ毎月公演を行っています。
「沼田の小松にもたらされる」。
熱心なファンが多く平成7年沼田市の重要民俗文化財に指定されています。
江戸時代から人形芝居を引き継いできた金井家。
秀征の芸能のルーツは父方だけでなく母方にもあったのです。
江戸時代からの芸能一家金井家に生まれた秀征の高祖母もそ。
同じ写真に祖母のさとが写っています。
さとは沼田市の隣昭和村で長年小学校の教員を務めました。
地元の小学校に歴代の教員名簿が残されていました。
こちらですね。
それが本校創立以来の職員氏名となってますですね。
こちらの方ですね。
さとは昭和3年から38年まで35年の長きにわたってこの小学校で教えていました。
さとの教え子が見つかりました。
あっNHKの「ファミリーヒストリー」といいます。
昭和15年1年生の時さとが担任でした。
昭和9年さとは専売局に勤める原澤恒吉と結婚。
しかしその後の暮らしは平たんなものではありませんでした。
昭和14年3人目の子供として生まれたのが長女美江。
後の秀征の母です。
昭和19年恒吉は出征します。
中国大陸で終戦を迎えるとシベリアに抑留され鉄道の線路工事を強いられます。
過酷な環境で病に侵された恒吉は昭和22年に復員。
その後回復する事なく亡くなりました。
夫を失ったさとは教員を続けながら3人の子供を育て上げます。
母の姿を見て育った長女の美江。
手に職をつけるため高校を卒業すると和裁の専門学校に通います。
そんなある日美江は母と買い物に出かけました。
2人の横を1台のバイクが通り過ぎます。
その時…。
「危ない!」。
(ブレーキ音)この出来事が美江のその後の人生を大きく変える事になります。
このバイクの男性こそ後に夫となる中山教男だったのです。
ええっ?知らない…?知らないと。
聞いてないですか?え〜っ!だったんですね〜。
「里見八犬伝」とか。
「新八犬伝」ね。
あれ見て…。
やっぱり同世代ですね。
同世代。
バイクに乗っていた男性中山教男。
教男の実家は群馬県藤岡市で養蚕を営んでいたあの中山家でした。
教男は子供の頃から手先が器用で工作が得意でした。
こんにちは。
NHKの「ファミリーヒストリー」と申します。
教男さんを訪ねました。
今は秀征の兄正史さん一家と一緒に暮らしています。
これは教男さんが10歳の時父忠夫の名前を彫った表札。
長年実家の玄関に掛けられていました。
昭和29年地元の高校を卒業した教男は三男だったため仕事を求めて上京します。
そして知り合いの紹介で神田にあった洋服問屋で働き始めました。
仕事は営業。
飛び込みで洋服を売って歩きます。
しかし…。
営業には向かないと悟った教男はもともと手先が器用だった事もあり洋服の仕立ての修業を始めます。
次第に腕を上げた教男は7年後ふるさと群馬の藤岡で独立を果たします。
その2年後の昭和38年。
教男はある女性と見合いをします。
和裁を学んでいた女性でした。
女性の名は原澤美江後の秀征の母です。
教男を見た美江は驚きます。
なんと見覚えのある男性だったのです。
あの日母と街を歩いていた美江。
通り過ぎるバイクの前に少年が飛び出しました。
(ブレーキ音)急停止したバイク。
少年は驚いて逃げ出します。
「叱りつけるのか!」と思っていると男性は「大丈夫か?けがはないか」と優しく少年に声をかけたのです。
その姿が美江の心に強く残っていました。
その話を秀征の兄正史さんが聞いています。
聞いた事ないよ俺。
昭和38年二人は結婚。
教男27歳美江24歳の時でした。
二人は藤岡市内に新居を構え中山縫製という工場を立ち上げます。
教男と美江が働いた作業場が今もそのまま残されています。
(取材者)ここに座ってやってらっしゃったと…。
美江は和裁を学んだ経験を生かしミシンを踏んで教男を支えました。
当時は高度経済成長期。
背広を着て通勤するサラリーマンが急増していました。
洋服の仕立ては時代の波に乗り従業員を雇うようにもなりました。
結婚から2年後長男の正史が誕生。
そして昭和42年に生まれたのが次男の秀征でした。
仕事が軌道に乗ると美江の母さとそして祖母のきちも一緒に暮らすようになります。
四世代が暮らす家族の中で秀征は明るく芸達者な少年に育ちます。
幼稚園の頃秀征は工場の従業員たちの前でよく歌を披露しました。
・「あなたのために」十八番は当時流行していた「なみだの操」。
秀征はアイドル歌手になりたいという夢を抱くようになります。
それにはある目的がありました。
孝ちゃん。
秀征は渡辺さんたちと3人のグループを結成します。
なんとここには「くそがきトリオ」と書いてある。
当時のアイドルたのきんトリオに憧れていた秀征がくそがきトリオと命名。
学校で歌やものまねを披露し人気者になりました。
そんな秀征のため母の美江が手作りしたものがあります。
それは…レッグウォーマーでした。
中学3年になった秀征は決意します。
「東京に出てタレントになる勉強をしたい」。
最初は驚いた教男と美江。
しかし秀征の意志は固く二人は送り出す事にします。
スカウトされたわけではなくデビューの見込みもないまま秀征は一人東京へ向かいました。
タレント養成学校に通いながらさまざまなオーディションを受けます。
しかしことごとく落とされる日々。
そんな中実家から秀征にあるものが届きます。
秀征の大好きなしょうが漬けでした。
「成功するまで決して群馬には帰らない」。
そう誓いました。
その後次第にテレビに出演するようになります。
どう?英語の勉強進んでる?それがね先生大変だったんですよ。
ねっ?もうめちゃくちゃですよ。
(英語)ポテト?ノーノーノーノーノー…。
新しいアシスタントの男の子です。
かわいいよ。
若くてピチピチ!そして17歳の時人気番組のレギュラー出演が決まります。
こうして秀征は幼い頃からの夢をかなえたのです。
何かでもほんとに…いやぁでも改めて…いやぁもう何ですかね…。
おお小堺さん!秀征さんのデビュー当時を知るタレントの小堺一機さんです。
4人の息子に恵まれました。
孫の顔を見せるため秀征さんはよく群馬の両親を訪ねるようになりました。
母の美江さんはそれを何よりも楽しみにしていました。
8年前から「ぐんま大使」を務める秀征さん。
生前の美江さんはそのポスターを見かけるとうれしそうに眺めていたといいます。
秀征!
(拍手)平成15年秀征さんが母美江さんと共演した番組の映像が残っていました。
(三宅)ヒデはですね小さい頃どんなお子さんでした?そうですね…。
そうですね。
まあお母さん無理やり私の名前出さなくても…。
秀征さんの夢を応援し続けた美江さんは今年8月がんのため亡くなりました。
77歳でした。
亡くなる1か月前美江さんを番組のスタッフが訪ねていました。
その時の声が残っています。
夫の教男さんと秀征さんについてこう語っていました。
母美江さんの遺影。
その横に飾られていたのは「ぐんま大使」として活躍する秀征さんのポスターでした。
もう本当に最期はなんかすごく自分に感謝をしてくれてて…。
何にもしてないのにと思って…。
所さん今日は食欲の秋という事で「牛肉」がテーマです。
2016/11/17(木) 19:30〜20:15
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「中山秀征〜宿命のぐんま大使 芸に生きた先祖〜」[字]
「ぐんま大使」をつとめる秀征さん。群馬で江戸時代から続く伝統芸能や地元の世界遺産と先祖の関係を今回初めて知ることに。また、母が死の直前に残していた声に号泣する。
詳細情報
番組内容
秀征さんは「自分の芸能のルーツを知りたい」と言う。無口な人が多い中山家の「突然変異」と言われていたからだ。取材を進めると、江戸時代から続く伝統芸能とのつながりや、借金を重ねて芸を極めようとした先祖の存在が判明。さらに、秀征さんの祖先と地元群馬の世界遺産との関係も明らかに。また、両親が運命的な出会いで結ばれていたこともわかる。番組のラスト、今年の夏、母が死の直前に残していた肉声に秀征さんは号泣する。
出演者
【ゲスト】中山秀征,【司会】今田耕司,三輪秀香,【語り】余貴美子