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書き起こし 徹子の部屋 さだまさし 2016.12.05

来年の夏ごろをめどに方向性を決め、「総合こども館」として利用する予定だった施設の活用法も検討する方針です。
一方、現在の7施設は老朽化を指摘する声もあり、市は耐震補強工事を進めていくとしています。
(さだ)先日私はですね黒柳徹子保存会を始めまして初代会長になっております。
そこで今日は特別企画「まさしの部屋」。
ゲストはもちろんこの方黒柳徹子さんです。
今日は黒柳さんの素顔に迫ります。
(拍手)これはいつ…?いいんですか?まあ!すごく奇麗。
うわー。
これ奇麗ね。
いい香りでしょ?ずっしりしてる。
これお名前ある…?イブピアジェっていうバラの種類なんです。
すごい。
匂いがすごい。
香りいいでしょ。
じゃあスタッフの方どうぞ下げてください。
でもいいんじゃない?ここに置いておきましょうよ。
置いておいていいですか…?奇麗だから。
今回で第3回目になります「まさしの部屋」でございます。
早速ですがまずは皆様も一番聞きたがってることから伺ってみましょうね。
黒柳さんの私生活についてちょっと今日は暴いていこうかと…。
いいですよ。
黒柳さん靴って何足ぐらい持ってるんですか?靴はね1足と言ってもいいですね。
今履いてるこの靴は…。
この靴だけなんですか?これずっとねこれ3年ぐらい履いてるかしらね。
ずっと同じ靴。
3年ぐらい?お外いらっしゃる時も?そうそう。
お宅には何足ぐらいあるんですか?家にはね50足ぐらいあるかしらね。
50足?大体ご婦人ってそのぐらいお持ちなんですか?50足とか。
そんなには持ってない?せいぜい10もあれば?そうですわね。
収納っていうのは丁寧にされる…几帳面なほうですか?靴の箱みたいなのをこうね…棚みたいなのを作るんですけど。
棚こう作ってね。
そこまではいいんですけどあとは突っ込むだけになっちゃうんですけど。
どこに何があるかわからなくなっちゃう?だからもう取ろうと思う時は取れないからいつも同じのを履いてるっていう感じね。
例えば人に頼んであそこの扉こうやって開けた時に右の何段目にこういう靴があるからそれ取ってきてとか…。
そんなの私全然。
そういう性格じゃないのよ。
そう見えませんねでも。
本当に?なんかすごくこう細かいところまで奇麗に整理する方なのかな…。
嬉しい。
もしそう思ってくださったならそんな素敵。
そういう生活に憧れてます私。
お洋服だってざっと…ウォークインクローゼットかなんかあってそこへダーッと並んでてもうイメルダ的な…。
こうシャーッとあってそれをピュッと入って「今日はこれにしようかしら」って…。
スタッフが「黒柳さんこっちのほうがいいですよ」。
「そう?じゃあこっちにしようかしら」「やっぱりこっちにしようかしら」っていう感じの…。
あのね誰かが奇麗にしておいてはくれるんですけど私が脱ぐじゃない?すると違うところに掛けちゃうから結局最終的にはぐちゃぐちゃ。
脱ぎっぱなしってことはないんですね?歩く時蹴つまずいたら危ないからね。
ああなるほど。
お若い頃からですか?いや若い時はちょっと適当でしたね。
もうちょっと。
脱ぎっぱなしとか?うん。
僕もそういうところあるんですけどね。
僕なんか酔っ払って例えば旅先で自分のホテルへ帰ると翌朝起きた時に昨日何をしたか全部わかりますね。
だから脱いだ順に着ていくと昨日の姿になるんです。
一回お手洗いに寄ってるっていうのわかりますね。
そこでなんか脱いでますから。
本当?ええ。
ひどいもんですね。
私お酒は飲まないからそういうことはないですね。
全く飲まれないんですか?正気です。
はあ…。
実は今日あとでお伺いしようと思ってる永六輔さんのお話なんかあとで伺いたいと思ってるんです。
永さんもお酒飲まれなかったですね。
永さん飲まないですね。
黒柳さんと永さんとどっちが喋ったでしょう?同時ね。
同じ。
同時?うん。
あそこのお家のお嬢さんがね結婚の話が…冗談でも結婚の話が出たんですよ。
だから僕その話も聞きたかったんですよ。
永六輔さんと黒柳徹子さんを結婚させようっていう動きがあったんです。
事実なんですか?これ。
動きがあったか知らないけど永さんは「僕は黒柳君と結婚しません」って講演で言うとみんなが笑うって喜んでましたよ。
だけどお嬢さんがね「いいですけど両方が同時に喋ってね相手の言うことを聞いてないだろう」って。
「だからうまくいかないんじゃないか」と仰ってましたけど。
なるほど。
どっちがお喋りだったんですか?永さんとは。
それは永さんでしょう。
えっ?永六輔さんって黒柳さんよりお喋りだったんですか?私よりは喋るでしょう。
そう思いますよ。
それは口数のことですか?それとも話題の多さですか?両方ね。
私負けちゃう。
あんな旅してないから。
黒柳さんが負けちゃうんですか?永さんに。
負けちゃうことありますね。
永さん旅してるから。
「それで駄目ならこれだ」って言ってさ…。
いっぱい持ってますよね。
ポケットにいっぱい入れて。
お宮の大工さんの…かんなくずみたいなものとかさそういうものをいっぱい持ってるでしょ?私そういうものを持ってないから負けちゃう。
永さんの大好きだった部分ってどんなところですか?そうね。
次々とやっぱり面白いことを考える…。
あのヒット曲でもわかるようにいつ書いてるんだか何してるんだかわからないけど気が付くとああいうすごい作詞ができてるっていうのはやっぱりね。
じゃあ嫌いなところはどこですか?永さんの。
嫌いっていうか…見場。
苦手なところ。
見場。
見場?見場駄目ですか?いい男じゃないですか若い頃。
私ねお葬式へ行ってわかったの。
うんと若い時と50ぐらいの時と最後のほうと3つ出てたじゃない?真ん中のほうを見たらすごいハンサムなので永さんってこんなハンサムだったんだと思って。
ハンサムですよ永さん。
だからその辺だったら良かったかなと思いますけど。
ほら。
これご覧ください。
これは駄目ですか?これは駄目ねこの時は。
えっ駄目?これ笑っちゃうでしょ?これ徹子さんでしょ?隣。
私だけどおかしいのこれ。
飛行場かなんかでねなんかこれ渥美清さんもいるんですよ。
だからこんな格好して私ねあんな足組んじゃってどうしたんでしょう。
なんでこの見場が…見場がね…。
僕もこの間武道館で「見場が」って言われましたから。
あなたのこと言ったっけ?そうですよ。
「見場が」…。
ハハハ…!「見場が悪い」って言われましたよ。
「同じバイオリン弾くのでも見場がね」って。
見場が悪うござんして申し訳ございませんでしたという。
そうそう。
あなたのこと言ったわね。
「同じバイオリン弾くのでも」…。
「同じバイオリン弾くのでも見場がいいほうがいいでしょう」って。
そんな失礼なね。
どう思いますか?それ。
僕思うんですよ。
ごめんなさい。
「見場」って言ったんだそういえばね…。
「見場」というのはどういう意味かというと「見栄え」っていうことですよね。
「見栄えが良くない」…。
中村八大さんとはどういうお付き合いだったんですか?もう八大さんとはねなんていうのかしらね…。
『夢であいましょう』っていう番組はとにかく全部がね末盛さんっていう演出家といい永さんといい八大さんといい全部独身だったの。
みんな独身?だからより取り見取りっていう感じで女は私しかいないみたいな感じだったから。
八大さんに「結婚したらピアノ弾いてくれる?」って言った話は本当ですか?聞いてるの?知ってるの?本当ですか?それ。
それ本当。
「寝る前にピアノ弾いてくれるかな」って…。
中村八大さんに「私と結婚したら寝る前にピアノかなんか弾いてくれる?」って本当に仰ったんですか?ええ。
言いましたよ。
そしたら?そしたら「タダじゃ嫌だ」って。
ハハハ…!はい。
黒柳徹子さんをゲストにお迎えいたしております「まさしの部屋」でございます。
さっきなんかちょっとコマーシャルの時に言いかかった話何ですか?あれ。
永さんの?「いい話」って。
永さんと?それはね林英哲さんから聞いたの。
太鼓の林英哲さん。
お葬式の時青山斎場で私が花をこう置くじゃない?「すごく強く叩いて」って言ったんだって永さんが。
ああ…。
だからそれでそのあとでビデオを見たら私が跳び上がって驚いてて。
「驚かすつもりなかったけど永さんから頼まれたんで」って…。
本当に永さんそうやって言ってたんですか?そうですって前から。
だから私が置いた時にドンッて届くように鳴らしてって。
英哲さんがあの時に?そうです。
私驚いてよろめいたぐらいだったんですけど。
だからそういうところからすると永さんはやっぱりちょっと気にしてたのかな私のことをとも思います。
そうだろうな。
やっぱり黒柳さんのことを好きだったんだろうなと思いますよ。
そう?うん。
ただ永さんはねすごく失礼なところがあったでしょ?林英哲さん僕同い年なんですけど英哲さんとその日にちょっと話したら…。
彼が鬼太鼓座を始めた頃から永六輔さんがすごく可愛がってくだすってて。
太鼓ばかりずっと叩いてたらある時ね言われたって言うんですよ。
「君はねそんな太鼓ばかり叩いてるんじゃ体がね持たないだろう」って。
「話ししたりなんか色んなことをしなきゃ駄目だ」って。
「さだまさしなんか9割喋ってる」ってそんなことを言ったって。
9割喋ってませんから。
でも私1曲しか歌わないであと全部話してるコンサートだっては聞いたことある。
あいたたたた…。
嘘ですってそれ黒柳さん。

 

 

 

 


嘘?それは講演会に呼ばれて最後に「歌って」って言われて嫌々歌ったんですよ。
本当に?そしたら「アンコール」って言われてアンコールでもう1曲歌って2時間半で2曲っていう伝説ができたんです。
そうでしょ?だからすごい。
でもね黒柳さんに僕永さんが亡くなってね何をしなきゃいけないかって本当に途方に暮れて…。
僕デビュー前から永さんに可愛がっていただいてたんで…。
僕バイオリンの練習をしてたんでなかなか歌謡曲を聴くチャンスってなかったんですよ。
だから僕は初めて歌謡曲を聴いたのが『夢であいましょう』だったんですね。
「今月のうた」ってあれ僕ねむさぼるようにあの歌を聴いてたんですよ。
良かったですよねどれもね。
素晴らしかったですよね。
僕はそれをどうしてもね忘れてほしくないんですよ後世の人たちに。
だから僕がここでバトンを一個作っておけばこれを聴いてくれた後の歌い手がこんなにいい歌があるって思い直してくれないかなと思って永さんのものをたくさん歌ったんです。
でアルバムを作ったんです。
『永縁』っていう…。
永さんの「永」に「縁」っていう字を書いて『永縁』。
そう…。
はい。
それにどうしてもね僕黒柳さんに参加していただきたくて。
この中でやっぱり『夢であいましょう』ってエンディングテーマ坂本スミ子さんだったじゃないですか。
僕おスミさんにお願いをしたらすぐ来てくだすって歌ってくださったので黒柳さんに何か一緒に歌ってくださいってお願いしたんです僕。
そしたら「歌は嫌だ」って。
そう。
下手…下手だから嫌だ。
そんな歌は上手じゃないですか黒柳さん。
お世辞にもそんなこと仰っちゃ駄目よ。
私下手なんだから。
オペラ歌手じゃないですか。
オペラ歌手になろうとしただけのことであって。
なろうとしたんだから下手なわけないじゃないですか。
歌詞が覚えられないんだから。
歌詞が覚えられないんだから駄目なんだから。
最近は見てますよみんな。
そうねこの頃はね。
でもまあ…。
ですからね僕が黒柳さんにお願いしたら「じゃあ朗読だったらいい」って言ってくださったので坂本スミ子さんの歌の間奏部分で『夢であいましょう』これを…とても素晴らしい詞なんですけど黒柳さんが朗読してくだすって。
そうです。
世田谷のほうのなんかすごい狭いスタジオまでわざわざ来てくだすって。
いえいえ。
その朗読が素晴らしかったです。
これその時の写真です。
あの時も僕花を持っていったんですよ黒柳さん。
あっ本当にね。
いつもくださってるのね。
本当。
黒柳さん僕お目にかかるたんびに花を差し上げてます。
しかもバラです。
本当ね。
ありがとうございます。
いい方だなと思いますよ。
ハハハッ。
でも本当なんていうのかな?僕永さんと黒柳さんと…永さんが本当に達者な頃に3人でお目にかかりたかったなと思いますね。
永さんってねおかしな人なのよ。
ご飯食べに行ったことないんだから私と一緒に。
一度も?うんとね一度もないと思います。
誰かが一緒の時は食べましたよ。
『夢であいましょう』で。
渥美清さんとかみんなでね。
結局ね私食べてないからみんなと食べなかったのかと思ったらみんなご飯食べたって言うのよ永さんと。
なんで私と食べなかったのかなと…。
照れくさかったのかな?何だかわからないけど。
いわゆるグルメじゃないじゃないですか。
そうそうそう。
食べましたか?でも一緒に何か。
あんなに日本中を歩いてねあんな…。
あっ!そう。
永さんってねグルメ…グルメだったかどうか…グルメではあったかもしれませんよ。
でもね私鹿児島で芝居をやってる時にね…。
鹿児島で?鹿児島ですよ。
鹿児島で芝居をやってる時に昼間終わったら永さんが会いに来て…。
永さんもお芝居だったんですか?一緒に。
永さんは講演かなんかに来てたの。
偶然?偶然。
終わったところへ永さんが来たから「あらー!」って言ったらさ飯でも食うかいってことになって…。
食べてるじゃないですか。
だから違う。
「いいな」って言ったらさ「ネギ飯好き?」って言うから…。
ネギ飯?うん。
だからねちょっとおネギが細く切ってあって何かなってんだろうなと思ってさついていったのよ。
そしたら森進一さんのお母様が前勤めてたっていうラーメン屋さんみたいなところがあってそこのラーメン屋さんはもう閉まってるのに昼間ねガンガンガンガン叩いてねよしずみたいなものを開けてもらってね「ネギ飯を食わせてやってよ」って永さんが言ったのよ中のおばさんみたいな人に。
おばさんにね。
「はい。
いいですよ」って言って。
ネギ飯?ネギ飯どんなものだと思います?どんなものだろう?ご飯がお茶碗の中に入っていてその上にラーメンの上にのせるおネギがあるじゃないですか。
あります。
よく切れてなくて下のほうがちょっとくっついたような感じの…。
斜めにシャーッと切ったような?それがちょっと上にのっかっててその上にラーメンのおつゆね豚骨ですか?豚骨?なんかそんなようなものを掛けてあるの。
それでそれ…。
うまそうじゃないですか。
でもあなたね私鹿児島だったんですからなんかとてもおいしいものを食べようと思ったの。
黒豚とかね。
なんか知らないけどなんかね。
でもそれを食べて「うまいだろ」「うまいだろ」って言うのよ。
だからなんとも…。
「うん」って言ったけど…。
だから永さんと生涯ご飯を食べたのって…2人だけで食べたのってそれだけしかないの。
ネギ飯?ネギ飯。
ネギ飯か。
なんか今年あなたお母様をお亡くしになったって?4月のね7日の日に…。
花散らしの風の強い日だったんですけどね。
母は入院してて。
パーキンソンって永さんもそうだったですけど。
パーキンソンの病気があって長年ずっと同じ先生とお付き合いしてたんですね。
で検査入院をしててじゃあ今後どうしようかって妹が話をしているさなかにフッとねなんかちょっと思い出して買い物に出たみたいにフッといなくなったんですね。
母らしいなと思って気まぐれらしいな…。
で妹はねお医者さんとあしたからどうしようかって話してる時に具合悪くなったっていうんでびっくりして行ってみたらね本当にスーッとろうそくの火が消えるようにねフッと亡くなったそうですけどね。
僕と弟は間に合わなかった。
父の時には僕と弟で見送って妹が間に合わなかったんですね。
母の時は妹だけが送ったって親ってそこまで公平なものなんですかね?そうかもしれませんね。
様々に考えました。
4月の7日に亡くなって7月の7日に永さんが亡くなったでしょ。
実は4月10日っていうのは永さんの誕生日ですけど僕も4月10日生まれなんですよ。
あら同じだったの?永さんと。
永さんと同じだから…。
あの当時は…今でこそなんか4月10日生まれの有名人とかっていうとさだまさしだとか和田アキ子とか堂本剛とか木村佳乃とかまあこの辺ですね主にね。
奇麗な人ばかり言うんじゃない?んっ?何ですか?奇麗な人ばかり言うんじゃないの?そうそうそうそう。
僕以外のね。
僕が子供の頃に4月10日生まれの有名人っていうと淀川長治先生。
ああそう。
それから永六輔さんイラストレーターの和田誠さん。
えー同じなの?和田さんも。
あとレーニンさん。
えー。
ロシアのねレーニンさん。
この辺が書いてあったんです。
ある時おすぎがえーと…「その4人で会ったことある?」って聞かれて「ないよ」って言ったら「集まらなきゃ駄目よ!」って言われたんですよ。
レーニンは別でしょ?レーニンさんはねもういませんでしたから。
それで「一度集まろう」って言ってお寿司屋さんで集まったんです。
淀川先生お元気な頃。
僕ももう有名になってましたよ徹子さん。
それだけ覚えておいてください。
覚えてます。
淀川先生がいらして僕は向かいに座って永さんがお隣で和田誠さんがえーとこっちにいらして奥さんの平野レミさんも一緒においでになっておすぎが僕の脇にいてえらい盛り上がったんですお寿司屋さんで。
永さんと和田誠さんがなぜか僕のコンサートトークに詳しくて。
「淀川先生にまさしあの話しなさい」と指示が出るんですよ。
僕コンサートトークずっと話すと淀川先生手叩いてアハハハハハッて笑って。
3時間ですよ徹子さん僕。
寿司も食べず3時間喋りっぱなしですよ。
フフフ…。
食べずに?食べずに。
そしてお茶飲みながらですよ。
そしたら僕がその日名古屋に行かなくちゃいけなくなったんでまだ盛り上がってたんだけど「すいません。
僕中座します」って僕はいなくなったら僕の背中を見送って淀川先生が「いやあ愉快な青年だね。
あの人何する人?」って。
ハハハ…。
それわからないね。
全然わからなくて。
歌手とも思わない…。
歌手とも思ってないんですよ。
永さんが喜んじゃってそれ本には書くわ…。
それですぐに僕のところにはがきが来ましてね「まさし残念ながら君はまだ無名です」って書いてありました。
もうあれはね忘れられませんね。
面白い。
本当にねなんか淀川先生がその時にでも「誕生日ってね」…。
「同じ誕生日で4月10日の生まれなんだけど」。
「お誕生日っていうのは自分が生まれたことをお祝いする日じゃない」って仰ったのが印象的だった。
「僕は悔しい思いもしたし悲しいこともいっぱいあったし嬉しいこともあったし」「でも生まれてきて良かったと思ってる」「だから僕は命懸けで僕を生んでくれたお母さんを」…。
そう。
あの方はもうお母様のこと大好きだった。
「お誕生日にはお母さんを思って過ごす日って決めているんですよ」ってそう仰ったのがね胸に残ってますね。
僕驚いたのは徹子さんがコンビニに行くっていう話。
もうしょっちゅう行きますよ。
本当に行くんですか?行きますよ。
だってアイスクリーム買ったりとか。
アイスクリーム?うん。
それからキャベツとかそれから電池。
電池?電池でしょ。
それからあと新聞とか。
新聞とかね。
そういうもの。
みんなね「みんなに見られませんか?」って言うけどねみんなねコンビニに来る人は忙しい。
人のことなんか見てない。
お金払うところの人も見てない誰も。
だからどんどんみんなね有名人の人もコンビニは行ったほうがいいですよ。
僕も行きますよコンビニは。
しょっちゅう行きますけども。
なんで僕がこんなところに座ってるのか疑問をお持ちの方もおいででしょうけど。
今日は徹子さんに伺いたかったのは永六輔さんの話なんです。
それで「まさしの部屋」と題しまして黒柳徹子さんに永六輔さんの思い出などを中心に…。
僕はやっぱり『夢であいましょう』って本当に憧れの番組だったんですけどあの中に「リリック・チャック」っていうコーナーありましたね。
私が詩をね読む。
黒柳さんが詩を読まれるその詩は全部永さんがお書きになる?そうです。
それはいつ渡されたんですか?当日ですね大体。
あれ生放送ですよね?生放送です。
生放送だから色んな音がしてましたね。
ええ。
滑ったり転んだり…。
誰かが滑ったり転んだりって。
おそばのこういうものの上に乗っかっててザラザラザラザラガチャガチャガシャンガシャンってね…。
その中で平然と読んでいらしたんでしょ?そう。
「リリック・チャック」はね。
「リリック・チャック」はね。
今日はですねその「リリック・チャック」というコーナーを再現してみたいなと思うんです。
中村八大さんの演奏されたソロピアノをバックに黒柳徹子さんが永六輔さんの詩をお読みになる「リリック・チャック」のコーナーで今日はお別れしたいと思います。
ではよろしくお願いします。
昭和38年…。
うわー…。
いやあちょっと八っちゃんのことを思い出して涙が出ちゃう。
もう一回やります。
昭和38年3月2日土曜日。
『夢であいましょう』第93回目です。
「煙草の煙が消えない間に」「クリーム・ソーダが泡だっている間に」「かげろうの生命が燃えつきる間に」でしょうかね?「信号が赤から青になる間に…」「そんな短い間にでも愛は芽生え永遠を誓う愛に育ちます」「私はその愛の芽生えを沢山見逃したような気もします」
(拍手)いやあ…。
いや…八大さんのピアノを聴いたらなんかね思わず…。
八大さんのピアノって素敵でしたね。
そう。
大好きだった。
本当にこのコーナー素晴らしいコーナーだったと思います。
やっぱり永さんってすごい人だったですね。
そう。
今思うと本当に…。
今日は本当にありがとうございます。
あなたお母様はお父様のことを好かんかったって?うん。
あんまりね。
なんで?どうしてそれ?どういう時わかったの?僕の父が亡くなって一周忌で家に帰りますわね。
その時に「お母さん寂しかろ?」って聞くんですよ。
「何が寂しかと?」。
「お父さんおらんで寂しかろ?」。
「何も寂しないよ」「私は大体あの人は好かんやったもんね」って。
お父さんはねでもねお母さんのこと大好きだったんですよ。
でもねお母さんはそんなに好きじゃなかったみたい。
「私好かんやったもんね」って言ってましたからね。
「好かんやったもんね」っていいね。
本当にねうちのお母さんはね私の好きだった人が今銀行のどことかの支店長になってるから…。
ハハハ…!相当おかしいそれ。
「お前がヒット曲が出て有名になったらその人から…お正月の年賀状をやり取りしてるだけだったけどお前がそんなヒット曲が出たんでその人が会いたがってるから会いに行け」って言われて僕会いに行ったんですよその人に。
あなたが行ったの?ええ。
向こうが来てくれて一緒にご飯食べたんですよ。
えー。
この空気感は微妙でしたね。
そうね。
この人お母さん好きだったんだって思いながら…。
ステーキごちそうしてくれたからいい人だなって思いましたけど。
もしかしてこの人がお父さんだったかもしれないなと思ったけどでもこの人お父さんだったら俺じゃないなと思ったりして。
そうそうそう。
微妙だったですね。
本当永さんの話は聞き足りないです。
僕もね永さんの話はやっぱり聞き足りなかったですね。
で永さんにお願いして3年前から「永さん暇な時ちょっと時間をください」って言って対談をお願いしたんですよ。
そう…。
はい。
黒柳さんの話もいっぱい出てきたし…。
本当?うん。
それからえーと…あの頃の小沢昭一さんの話だとかたくさんね出てきたんですよ。
それをねこの機会に永さんがどんな人だったか知ってほしくて僕は自分の知ってることをいっぱい話をして一冊の本にしたんです。
そうやってバトンを作っておくとね永さんが仰ったように人間は2度死ぬっていう…忘れ去られた時に本当に死ぬんだよっていうその永さんの死をね防ぐためにもね語り続けていこう。
本当に永さんと話しすると笑って泣いて考えてたくさんねお話ししたいことあるんですよ徹子さんと。
本当?そう。
川島芳子の話とかね怪しい話とかね。
私がね「永さん」って言うとね私見てね「ハハハハ!」ってそのたびに笑いましたよ。
ありがとうございます。
2016/12/05(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 さだまさし[字]

〜今日は『まさしの部屋』…黒柳徹子の私生活に迫る!〜さだまさしさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
先日“黒柳徹子保存会”を立ち上げたと言うさだまさしさん。そこで今日は特別企画!黒柳さんをゲストに迎え、さださんが司会となって『まさしの部屋』がスタート!
◇番組内容
まずは気になる“黒柳のプライベート”に迫るさださん。「靴は何足持ってる?」「片付けは上手?」など質問に真面目?に答える黒柳さんの姿が。そして、さださんの興味は黒柳さんとは旧知の仲で今年7月に亡くなった永六輔さんとの関係に。「二人の時はどっちが喋っていた?」「本当は結婚していたのでは?」「苦手だった部分」など二人の仲の確信に迫る!?永さんとは長い付き合いだったさださん自身も心に残る思い出の数々を語る。