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書き起こし NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」 2016.12.11

うににうににうにに〜!彼は人と会話する事ができません。
自分の衝動を抑える事もできません。
重度の自閉症である東田直樹さん24歳。
しかし東田さんは文字盤を前にした途端話せるようになります。

 

 

 


自閉症者が高い表現力を持つのは世界的にも極めてまれな事です。
2年前私たちは東田さんを取材したドキュメンタリーを制作しました。
東田さんの言葉を通してこれまで闇に包まれていた自閉症の世界を明らかにし大きな反響を呼びました。
終わり!物語の始まりは東田さんのエッセー…この本を読んだ多くの人が初めて自閉症者の心の内を知りました。
このエッセーは多くの言語に翻訳され30か国以上で出版されました。
そして自閉症の子どもを持つ多くの人に希望を与えました。
子どもが何を考えているか分からず途方に暮れていた人たちが初めて自分の子どもに備わった愛情や知性を信じられるようになったのです。
それから2年今東田直樹さんはプロの作家として歩み始めています。
自閉症である自分の内面世界だけでなく障害認知症病気などさまざまなハンディキャップを抱える人々全体にも視野を広げエッセーや小説を書いています。
苦しみを抱えた人がどう幸せを見つけていけばいいのか。
新たな挑戦を始めた一人の自閉症の作家の迷いと成長の物語です。
6月私は東田直樹さんのもとを2年ぶりに訪れた。
どうもこんにちは。
お久しぶりです。

 

 

 


直樹君お久しぶりです。
直樹さんはエッセーや詩集など20冊の著作があり既にプロの作家として身を立てている。
自閉症は状況の変化にうまく対応したり対人関係を築く事が難しい脳の先天的な機能障害である。
軽度のものも含め自閉症スペクトラム障害と診断されるのは100人に1人といわれている。
自分の気持ちをコントロールするのが難しい直樹さんは母親がそばにいると気持ちが落ち着く。
大変なのにありがとうね。
はい。
この2年間で直樹さんは作家としての幅を広げた。
自閉症のみならずハンディキャップを抱える人全体がどう幸せを築けばいいのかメッセージを発し続けている。
実は私には直樹さんを再び取材したいという特別な理由があった。
私自身も思わぬハンディキャップを抱えてしまったのだ。
直樹さんちょっと最初に伺いたいんですけど…終わり!前回の番組を制作した直後私は胚細胞腫瘍というがんと診断された。
既に肺や肝臓にも転移し5年生存率は5割以下と告げられた。
大量の抗がん剤と手術。
闘病は1年間続いた。
治療のかいがあってがん細胞は死滅した。
しかし再発の不安治療の後遺症が残った。
そして去年11月職場復帰した。
突然背負う事になったハンディキャップと私はどう生きていけばいいのか。
私は直樹さんの姿をもう一度見つめ直したいと思った。
直樹さんも私の闘病について詳しく知りたがっていた。
終わり!なるほど。
いきなりガツンとやられた気がした。
私はどこか借り物の言葉で語っていたのかもしれない。
作家として自信をつけてきた直樹さんの成長を実感した。
私も覚悟を決めて話し始めた。
いやいろいろ結構考えるんですけど…。
終わり!取材の翌日。
直樹さんは私に話した事に更に思索を加えた文章を送ってくれた。
日本から9,000キロ離れたアイルランド。
直樹さんの存在が世界で知られるようになったのはここに住む一人の作家との出会いがきっかけでした。
「クラウド・アトラス」などの作品で知られる…ミッチェルさんにも10歳になる会話のできない自閉症の息子がいます。
息子が何を考えているのか分からず子育てに半ば絶望していたミッチェルさんは4年前直樹さんのエッセーの存在を知りました。
日本で英語教師として8年間過ごし日本語が読めた事が幸運でした。
なぜ息子は床に頭を打ちつけるのか。
突然パニックを起こすのか。
全ての答えがそこにありました。
ミッチェルさんはすぐさま翻訳に取りかかりました。
それがまたほかの言語にも翻訳され世界30か国で読まれるようになったのです。
今ミッチェルさんと直樹さんは往復書簡を交わしています。
直樹さんの言葉を通してコミュニケーションがとれない息子の事を知ろうとしていました。
2人の往復書簡の中にもがんとともに生きる私が学べるものがあるのではないか。
私はそう考えていた。
この日ミッチェルさんから新しい質問が届いていた。
「Ifyoucouldemailadvicetoyour13year−oldselfwhatwouldyoutellhim?」。
ラジオ講座を聴き続けたおかげで直樹さんは英語を読む事ができる。
ミッチェルさんの質問は「13歳の時の自分にアドバイスするならどんな言葉を送るか」というものだった。
直樹さんが障害を抱えている事を自覚したのが13歳の時だった。
小学校の授業についていけず知能が遅れていると見なされ特別支援学校に進路を変えざるをえなかった。
自分には知能がある心があるそう言いたくても訴える手段はなかった。
そんな13歳の頃の自分に送ったのは…しかしそのあと当時のつらさを一つ一つ思い出した時直樹さんの頭に違う言葉が浮かんだ。
「ありのままでいい」という言葉を消して書いたのは「人生は短い」という言葉だった。
がんと生きる私もまたいつ落ちるか分からない不安定なブランコに乗せられている気がする。
どうこぎ続ければ止まるのか。
見える風景が変わる時はあるのだろうか。
直樹さんはこの夏母親の実家がある北九州に帰省しました。
ここには認知症となった祖母が暮らしています。
祖母の認知症を母親は嘆いていました。
しかし直樹さんは悲しむべき事ではないと考えていました。
悲しいと思うのは周囲の人の勝手な思い込みではないか。
自分なら認知症の祖母の幸せを見いだせる自信がありました。
あら〜お帰りなさい。
こんにちは。
79歳になる祖母の京子さん。
7年前から記憶を失い始めています。
この前いました…。
祖母の京子さんは早速直樹さんの大好物だったホットケーキを作ろうとしていました。
(京子)いいですよ。
上手上手。
おっうまい!
(母)じゃあ殻ここに…。
(京子)これにつかんやったらいい。
(母)うんうん。
だから大丈夫だと思うよ。
料理上手だった祖母。
以前作ってくれていたホットケーキはいつもこんがりきつね色でした。
直樹さんは祖母の認知症を温かく受け止めようとしていました。
しかしその変わりようは想像以上でした。
捜し物をしているうちに何を捜しているのか分からなくなる。
やかんの火をつけたり消したりを繰り返す。
会う前は自分なら祖母の幸せを見いだせると考えていた直樹さんは実際に過ごしてみて「おばあちゃんはそれでも幸せなはずだ」と言い切れなくなっていました。
私は月に1度検査を受けなければならない。
自分が病気というハンディキャップを背負っている事を強く自覚する瞬間である。
(医師)大丈夫ですね。
幸い再発はなかった。
これでまた1か月生きられると安堵する。
直樹さんはしばしば「自閉症でよかった」という言葉を語っていた。
直樹さんは障害を自分の強さに変える事ができた。
私にも「がんになってよかった」そう思える日が来るのだろうか。
取材を始めて3か月。
直樹さんは私たちの取材にいらだっているように見えた。
自閉症をどう強さに変えたのか。
繰り返し聞く私に対して直樹さんは自閉症者としてではなく作家である今の自分に注目してほしいと訴えてきた。
終わり!少しさっきと重複するかもしれないんですけど…直樹さんはこれから幅広く読者を獲得しプロの作家として生き残っていくためには自閉症の作家という特殊な目で見られたくないと考えていた。
直樹さんの言葉に私は戸惑っていた。
自閉症であれがんであれハンディはハンディでしかない。
そう言われた気がした。
8月中旬直樹さんは往復書簡を交わすミッチェルさんからアイルランドに招かれた。
是非自分の家族に会ってほしいというのだ。
2年前日本で出会って以来の再会。
ミッチェルさんは直樹さんに自分の自閉症の息子と直接会ってもらう事で自分にはなかなか見えない息子の心の内を知りたいと願っていた。
おはようございま〜す。
おはようございます!おはようございます!お元気でしょうか?うん。
よかったよかった。
よろしくお願いしま〜す。
ミッチェルさんの重度の自閉症の息子は今10歳。
子どもの成長は親にとっては喜びのはずだがミッチェルさんには不安の方が膨らむ。
終わり!
(ミッチェル)多分…ミッチェルさんは自閉症の息子の幸せを自分の尺度で捉えようとしていた事に気付かされた。
この日ミッチェルさん一家と直樹さんたちの食事会が開かれた。
息子のノア君も一緒だった。
ミッチェルさんからはノア君の意思を確かめる事ができないため撮影は遠慮してほしいと言われた。
ノア君も直樹さんに会う事を楽しみにしていた。
しかし食事会の場に入れず外のベンチに座って母親と気持ちを落ち着かせていた。
30分がたちようやくノア君が部屋に入ってきた。
3時間の食事会で直樹さんとノア君が言葉を交わす事はなかった。
期待していた友情の芽生えはかなわなかった。
(直樹)さようなら。
食事会が終わり家族同士が別れようとする時の事だった。
さようなら。
ノア君が直樹さんに近づいてきてその手を取りお別れの挨拶を交わしたのだ。
ミッチェルさんがふだん見る事のできないノア君の心を直樹さんが引き出してくれた。
ミッチェルさんには直樹さんが日本に帰る前に伝えておきたい事があった。
旅に出る前「自閉症にばかり注目しないでほしい」と訴えていた直樹さん。
ミッチェルさんの言葉をじっとかみしめているようだった。
2週間後直樹さんは再び北九州の祖母を訪ねました。
アイルランドの旅は直樹さんに自分にしか見えないものがある事を改めて気付かせてくれました。
夏に帰省した時には認知症になった祖母の京子さんの事をつらがっていた直樹さん。
京子さんの家事は相変わらずの危なっかしさです。
あっ熱いよ直ちゃん。
それでも京子さんが丁寧にいれてくれたお茶の味は格別でした。
おいしい?うん。
自分もまた知らず知らずのうちに世間一般の物差しで祖母の事を見ていたのではないか。
そう思い直し始めていました。
それを確かめるために直樹さんは一つの質問を用意していました。
記憶が失われていようと京子さんの優しさは昔のままでした。
おばあちゃんは変わっていない。
不幸だと決めつけていたのは自分も含めた周りの人ではないか。
直樹さんはそう確信していました。
直樹さんは今作家として新しい挑戦を始めている。
これまで書いた事がない長い小説の執筆である。
タイトルは…交通事故に遭った自閉症の少女が入院先の病院で患者看護師や医師さまざまな人と出会いながら恋し傷つき成長していく物語だ。
ミッチェルさんは作家としても人間としても成長した直樹さんに本格的に小説に挑戦する事を勧めていた。
直樹さんにしか見えないものを誰もが共感できる物語に置き換える事を目指している。
取材の最後私は一番聞きたかった事をストレートに聞いてみた。
直樹さんはじっと考えていた。
数十秒後その言葉は私に勇気を与えてくれた。
終わり!2016/12/11(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」[字]

2014年に放送し、芸術祭大賞など国内外で多くの賞を受賞した番組の続編。ひとりの自閉症の若者が、アイルランド在住の作家と出会うことで生まれた希望と成長の物語。

詳細情報
番組内容
重度の自閉症である東田直樹さんは、人と会話をすることはできないが、文字盤を使えば豊かな表現力を発揮する。世界的にもまれな存在である。24歳になり、プロの作家となった東田さんは今、自閉症のみならず、さまざまなハンディを抱える人たちがどう幸せを見つけていけばいいのか、エッセイや小説を書いている。前回の番組後、ガンを患い、自らもハンディを抱えることになったディレクターの視線で描く感動のドキュメンタリー。
出演者
【朗読】三浦春馬,【語り】滝藤賢一,ayako_HaLo