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書き起こし 先人たちの底力 知恵泉 あなたの煩悩ズバッと解消!の極意▽お殿様もつらいよ編 2016.12.27

 

 

何が重要かをまず考えてから書こうと思います。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
年の瀬積もり積もった煩悩も大掃除のチャンス!今宵はいろいろと訳ありなお殿様から学びます。
真剣勝負ですよ。
(真矢)ファイッ!
(井上)あ〜っとっとっとあれ何だ?えっ?先輩。
先輩。
やった〜勝った〜!人のふり見て我がふり直せって言いますでしょ。
本当にね身につまされますよ。
ああいう煩悩にまみれた人たち。
うん。
先週もそうでしたけれども今週も煩悩で痛い目に遭った人の話たっぷり用意しています。
(鐘の音)皆さん煩悩たまってませんか?煩悩とは人の心を煩わせ悩ませる怒りや欲迷いの事。
先週に続いて今日の「知恵泉」も年末特別編。
煩悩に惑わされいろいろあった江戸時代のお殿様たちから学んでいきますよ。
(鐘の音)大坂の陣であの真田信繁を討ち取る大活躍!しかしその褒美は壺たった1つ?自分だけの狭い考えにとらわれてしまう「我執」の落とし穴。
(鐘の音)教科書にも載っている…出世のための独自の戦略。
それは…?辞表を出す事。
辞表を出しても周りが気を遣って止めてくれるはず。
自分は絶対大丈夫という「慢心」がさく裂!

 

 

 

 

 


(鐘の音)幕末重要な外交交渉を託された老中堀田正睦にもある煩悩が。
開国に突き進む堀田。
反対意見をかわしたい「保身」のため仕事の進め方で非常手段を。
それが幕府崩壊の引き金となる大騒動を引き起こす。
権力者であるお殿様がはまってしまったまさかの煩悩。
それを解消する極意とは?始まりま〜す!さあというわけで今週もテーマはこちらです。
あ〜迎えたいわ。
ねえ気持ちよく迎えたいじゃないですか。
そこでね煩悩に振り回されずにどう生きていけばいいのか歴史上の人物の知恵ならぬ失敗談から学んでいこうと思います。
今日の最初の一人はこちらです。
松平忠直というお殿様なんですけれども先生この人物はどういう方?越前藩の75万石の大名なんですけどもともと父親は家康の次男の秀康なんで将軍のライバルでもあるようなそういうお殿様なんですね。
「真田丸」で最後に…でもその割にはあんまりメジャーな印象がないですよね。
そうですね。
どちらかというとマイナーな存在なんですね。
それには理由があったんです。
ある煩悩に陥ってしまった。
それがこちら。
自分だけの小さな考えにとらわれすぎてそこから離れられない事なんです。
忠直に一体何があったのか見て下さい。
江戸幕府が開かれてから12年後の慶長20年。
徳川と豊臣の最後の戦いが始まります。
これはその激闘が描かれた…よろいや旗を赤で統一した「赤備え」は豊臣方の猛将真田信繁。
この部隊と真正面から向き合っているのが…これを率いるのが21歳の若き武将…忠直は徳川家康の次男の息子。
時の将軍秀忠は家康の三男。
忠直は徳川一門の中でも一目置かれる名家に生を受けた男です。
自ら率いる大軍で何としても手柄を立てようと忠直はこんな言葉を残しています。
決戦となった5月7日。
豊臣方の真田信繁が予想外の勢い。
家康の首を狙うべく…家康危うし!混乱に陥っていた徳川の部隊をいち早く立て直し真田勢に果敢に攻め入ったのです。
激闘2時間。
ついに忠直の部隊は…家康の勝利に大きく貢献しました。
この忠直の戦いぶりに家康大満足。
大坂の陣が終わって3日後。
家康は忠直を呼びこう約束しています。
この時恩賞の手形として家康が忠直に与えた品がこちら。
当時茶器は城一つにも相当すると言われる品もあるほど高い価値を持つものでした。
こうして忠直は…しかしここから忠直の転落が始まったのです。
大坂夏の陣から1年後の…2代将軍秀忠の世に。
秀忠は忠直に家康とは全く違う態度を見せます。
そもそも秀忠にとって忠直は自分の兄筋に当たる家柄。
しかも75万石を治める大大名です。
(雷鳴)忠直は大名の義務である…自分に恩賞を認めない秀忠への不満を態度で表したと言われています。
更に家康からもらったあの壺にも忠直の怒りが…!なんと忠直はこの壺を玄関で投げ捨て割ってしまったといいます。
更に忠直の行動はエスカレートしていきます。
一日中浴びるように酒を飲み続け…。
罪もない家臣や女中たちを…次々惨殺。
その刃は自分の妻にまで及びました。
忠直の乱行を聞いた将軍秀忠。
天下を統べる者としてこの不祥事を放ってはおけません。
秀忠は忠直に処分を下します。
忠直は藩主の地位を取り上げられ豊後今の大分へ流される事になりました。
全国有数の大大名でありながら自らの恩賞に執着したために全てを失った忠直。
その後幕府の厳しい監視の下九州から一歩も出る事はなくその生涯を終えました。
う〜ん素直に参勤していればよかったんですけどね。
本当ですね。
今頃歴史に残ってたんでしょうね。
ねえ。
あっいらっしゃいませ。
お待ちしていました。
精神科医の斎藤環さんです。
お待ちしてましたどうぞ。
引きこもりなど若者の心の問題に大変お詳しい斎藤さんです。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
斎藤さんは今の忠直の気持ちどのようにご覧になりましたか?参勤交代へ行かないのもそうですけれどもその後の家臣を斬り殺したりとか…病跡学?はい。
パトグラフィーというんですけど。
こういう偉人とか…ちょっといやらしい学問がありまして。
そこで言うと…そもそもですけれども恩賞は何が結局欲しかったんですか?大坂の陣で大活躍するわけですよね。
自分はその将軍の兄の子ですよね。
大坂城が欲しかった。
大きいですねまた。
野望ですねすごい。
でもそのあと秀忠の時代になるわけですよね。
それとのまあ何て言うかな対立ですよね結局。
その客観的な状況を俯瞰視できてなかったんですかね。
そうですね。
だから忠直としては…この煩悩からじゃあ忠直もそうですし我々はどうやったら距離を置いてと言いますか過ごせるかというまさにこの失敗談から学びたいんですけれども。
忠直のまずかったところはすごく若いですよね。
当時の基準では分かりませんけど21かそこらで大変な大成功をしてしまうと。
未熟な自己愛。
ええ。
未熟であるがゆえに…要するに白か黒かしかない世界なんですよね。
100%かゼロかしかないという。
本当にちょっとした傷も許せないというそういうふうになりやすいと思うので…灰色に対しても寛大になれるというふうな…しかし本当に何かよく分かるような気がするんですよ。
今現代の我々もね。
例えば私だってボーナスの査定がどうだろうとか転勤がどうだろうとか。
(真矢)真に迫っちゃってる。
それは無理ですよ。
それは無理ですか。
突き詰めれば…単純にフェイスブックのいいねボタンじゃないですけどああいう感じで安直に褒めたりけなしたりするような関係だとなかなか安心できませんけど。
まず今夜の1つ目の煩悩「我執」。
ここから解き放たれるためには解消するための格言をお願いしたいと思います。
難しい。
では真矢さんからの格言よろしくお願いいたします。
悟りってそんな甘くないぞって思うんですね。
だからこの成功というのを悟りにまずくっつけるのが一番間違いなのかなと思って。
こっちだ。
(鐘の音)さあ次に見ていく煩悩のお殿様はこの方です。
松平定信さん。
江戸の半ばの老中。
この方は有名人ですよね先生。
そうですね。
注目してほしいのはこの肖像画。
真矢さんどうですか?このお顔だち。
(真矢)はい美しいですね。
美しいですよね。
これ実は自画像で自分で描いてるんです定信さんが。
あそうなんですか。
そうなんですよ。
(真矢)どうとでもでも描けますけどね自分で描くと。
ですから結果も残してるエリートであり多才な人物なんですが陥ってしまった煩悩がこれ。
何があったのか見ていきましょう。
寛政の改革で有名な松平定信。
自ら描いた肖像画にはその信念がしたためられています。
定信がリーダーとしてその能力を発揮し始めた頃世の中は大変な混乱のさなかにありました。
東北地方を中心に農村は厳しい飢饉に見舞われ飢え死にする人が続出。
江戸も食料不足から庶民の暮らしはひっ迫。
大きな暴動が繰り返し起こります。
財政難に陥り状況は悪化の一途をたどっていました。
(鈴の音)夜な夜な大奥に通い詰める暮らしぶりで…幕府は国を治める力を失いかけていたのです。
この状況を何とかしなければ…。
将軍にとって跡継ぎをつくる事は重要な役目の一つ。
しかし定信は度を超せば健康に差し支えるとこれを制限。
更に出費がかさんでいた大奥にまで厳しい倹約を求めるようになります。
聖域とされた大奥にまで大胆な改革を要求した定信。
こうした努力により幕府の貯蓄は100万両ほどになるなど改善の兆しを見せます。
しかし一方で…このままだと自分の立場が危うくなると感じ始めた定信。
周囲を驚かせる行動に出ます。
それは…。
周りの不評を買い定信は改革を続けていく自信をなくしてしまったのか?実はこれ定信の作戦。
本当に辞めたかったわけではありません。
「改革を続ける事ができるのは定信しかいない」と将軍に…政治的な対立や不利な出来事が起きる度辞表を書き続けた定信。
その数なんと数十回にも及びます。
この辞表作戦を続けるうち定信の中でいざとなれば辞表をちらつかせればよいという「慢心」が膨れ上がっていきました。
定信に転機が訪れます。
このころ将軍家斉は既に21歳。
定信の権力の源である…このままでは一介の老中に逆戻り。
そこで定信が繰り出したのがまたもやあの辞表作戦でした。
定信が言う「早めに帰宅できる仕事」とは…。
幕府の最高位大老と考えられています。
江戸城に居続けなくてもよい役職です。
自分以外に幕府のかじ取りを担える人材はいないという自負心から定信は暗に昇進を求めたのです。
将軍のご意見番である御三家も定信の意図をくみ取り次のような意見を表明します。
1年後。
将軍家斉が定信の新たな処遇を決定します。
それは…。
なんと辞表受理。
まさかの結果となった定信。
部下たちが苦渋の挨拶を述べる定信の様子を記録しています。
いや〜やっぱりオオカミ少年じゃないけど1〜2回…345と回を重ねるとやっぱり浮いて見えてきますよね周りから。
その時に人はどう見るかという計算がなくなるというのは自分が見えてないんですね。
定信からしたら「え〜察してよ。
もう大老になりたい…」という。
ちょっと甘ったれですよねその言葉を…。
成果も上がってるし。
定信が実際辞めさせられたという事になった時に幕臣たちみんな泣いたりして定信様がいなきゃどうにもならんとか言ってるんですよね。
実際にそうなんですか。
そうなんですか。
斎藤さんは精神科医の立場からどのように分析します?定信の慢心を。
要るか要らないかって言われたら要る人なわけですよね。
ただやってる事がいいかどうかに関してはまた別だと思うんですけどそこに関してはあんまり本人は聞く気はないわけですよね。
自分が組織に必要な人間なんだという自信は大切だと思うんですけどそれが過信になってしまうとなかなかやっぱりやっかいかなと思いましたね。
ちょっとご本人の場合はそういう方向に行けなかったというね残念なところがありますけれども。
ついつい自分の成功体験だったり周りからどうぞどうぞと言われれば有頂天になりますし。
真矢さんはそういう事なかったですか?調子に乗った事ですか。
あります。
多分あのころ鼻高かったな。
鼻をへし折られてもしかたなかったなって思う事あります。
例えば宝塚の時に何か私結構集客能力あるんじゃないかみたいになった時にある時それは作品と私の演技かもしれないけどそれが相まってというところなのにそういう感謝を忘れず…。
「私は動員はできる」みたいな感じでたかをくくって生きてたら赤いシートをいっぱい見た時に「はっ…」。
何かねほろほろとね自分で折りだしましたけどね。
すぐに調子に乗っちゃうんだからと思って。
ありますあります本当に。
私結構調子に乗りやすいです。
「実るほど」って。
「でも実ってないもん」とか言いながら。
実ってなくって実ってなくて頭も垂れないという最悪なお話なんですけど。
なるほど。
失敗する事によって客観視できて自己愛だったり自意識というのが多少自分で分かってくるんですかね。
そうですね。
それはどうやったら知る事ができるんですかね。
失敗から学ぶっていう事はつまり「俺は駄目」みたいな方に行きすぎちゃっても駄目なんですよね。
全否定になっても駄目だし。
かといって失敗はこれは例外にすぎなくて俺はやっぱり偉いんだみたいな方向に学習してもいけないので。
いや〜勉強になるな。
恥ずかしいな。
では「慢心」という煩悩を解消するための格言よろしくお願いします。
「実るほど頭を垂れまくる稲穂かな」。
(鐘の音)本日最後の煩悩にまいりたいと思います。
出てくる殿様はこちらです。
堀田正睦さんですね。
幕末の老中。
この人物はどんな人だったんですか?ヨーロッパのいろんな学問についても非常に詳しい人なんですね。
順天堂大学なんていうのはこの人の藩でつくられたものですよね。
その堀田が担当した外交交渉においてとある煩悩に陥ってしまうんですがそれがこちら。
「保身」なんですね。
何が起きたのかご覧頂きましょう。
黒船来航から始まる混乱を極めた幕末。
その激動のさなかにいたのが佐倉藩主堀田正睦でした。
堀田は藩内に西洋式軍隊をつくるなど…その知識を買われ外交担当に抜てきされたのです。
堀田は重大局面に立たされます。
アメリカ総領事タウンゼント・ハリスとの会談で次のような要求を突きつけられたのです。
それは200年以上外国との貿易を制限し続けた政策を根底から見直すよう迫るものでした。
このハリスの要求に堀田は前向きな態度を見せます。
西洋の進んだ技術をいち早く導入しそこから学ぶ他に道はないと考えていたからです。
堀田は2か月かけて通商条約の草稿を作成。
しかし幕府の方針が世に広まるやいなや…中でも将軍の親戚筋に当たる御三家徳川斉昭の批判は厳しいものでした。
国の行く末を思って判断したにもかかわらず世間ではけんもほろろの扱い。
批判の矢面にさらされ堀田の決心は少しずつ揺らいでいきます。
条約の調印が間近に迫った…堀田はハリスに突如こんな提案を切り出します。
「精神的皇帝」とは時の孝明天皇の事。
堀田は天皇の許しつまり「勅許」を求めると言うのです。
本来外交政策を決めるのは幕府の役割。
ペリーと条約を結んだ時も朝廷に事前に許可を求めるまではしていませんでした。
しかし堀田は「厳しい批判を幕府だけに向けられたくない」という保身の心から天皇の権威を利用する作戦を立てたのです。
1か月ほど後の2月。
堀田は京都に赴き条約の許可をもらおうと天皇に近い公家たちと面会します。
彼らは外国の事情などまるで縁がありません。
堀田は懇切丁寧に外国との交流の歴史をひもといて説得しました。
それまで幕府が担う外交問題に朝廷が異を唱えた事はなかったためいずれ勅許は下りると思われました。
堀田に条約問題に対する朝廷の回答が届けられます。
ところが…。
なんと勅許は下されなかったのです。
堀田は更に説得を試みるもまたしても失敗。
その後幕府は天皇の意向を無視する形で条約の調印を強行。
それが引き金となり幕府は崩壊への道を歩んでいくのです。
慎重になりすぎたんでしょうかね。
当時の慣行からいって…だからお願いさえすれば許可されてその事によって朝廷の許可まで得てるんだから他の反対者を黙らせる事ができると思って。
これはどうにかなるだろうというね。
保身に走ったがために言ってみればパンドラの箱を開けてしまったという事になってしまった。
そういう事になりますね。
堀田が自分だけの責任でやってしまえば。
そうそうそういう事ですよ。
条約は結べたし自分が責任を持って老中を辞めるなり何かすれば幕府と朝廷の対立というのは回避できたかもしれませんね。
保身に走ってしまう心境というのを斎藤さんはどういうふうに見ました?ある種の官僚の考え方というかですね大きく見れば今の…空っぽのおみこしを担いで…びっくりしたのは…この当時からしかも21世紀まで変わってないという見方もできるわけですよね。
はい。
結局責任をたらい回しにしてしまう形になってるので特に官僚の方々は匿名性を好みますよね。
名前が出る代わりに責任取るっていう事がもっとあっていいと思いますし。
誰かがやってくれるはずだあとは誰かが決めてくれるはずだというとこなんでしょうかね。
真矢さんは…
(真矢)多くを求めず。
だから将来自分こうなってこうなってというのをともすると逆算して考えるみたいな人生じゃなくてとにかく今だったら今ここでこの歴史的人物を見て何を思うってみんなで一生懸命考えてってそういう事でいいと思うんですよね。
やっぱり考えすぎると決められないっていうのはどうしてもあると思うんですよね。
比較しちゃったりとか将来の事を案じすぎちゃったりとかして。
立ち止まって考えるとどうしても保身いろんな事が浮かび上がって保身に走るところを走りながら。
行動しながら。
前を向きながら。
とりあえずやりながら考える。
(鐘の音)人の失敗からこんなに学べるのかと思って。
申し訳ないと思うんですけど。
若い頃プラス思考でありたいと思って生きてきたんですね私。
すごく大人になって思うのは…やっちゃったけどあしたもあるさみたいな事だと違うみたいな。
自分で何がいけなかった要因なのかっていうのを…だからマイナスを持ったマイナス思考を持ったプラス思考でいたいなって思いました。
ほんとに自分の煩悩が見えてきましたね。
こういうのあるあるって。
ちっちゃくても。
今年でも大みそかの除夜の鐘が違って聞こえそうですね本当に。
皆さん今日は本当にありがとうございました。
(一同)乾杯!ありがとうございます!2016/12/27(火) 22:00〜22:45
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先人たちの底力 知恵泉 あなたの煩悩ズバッと解消!の極意▽お殿様もつらいよ編[解][字]

あなたの煩悩、一気に解消!良い新年を企画第2弾。今回は江戸のお殿様たちの失敗談の数々。慢心、こだわり、保身…、私たちにも起きそうな心のスキを防ぐにはどうする?

詳細情報
番組内容
今年もあとわずか!積もり積もった煩悩、一気に解消して良い年迎えよう企画、第2弾!です。今回取り上げるのは江戸時代に活躍した、3人のお殿様たちの失敗談。徳川家康の孫・松平忠直、「寛政の改革」のリーダー・松平定信、そして幕末の外交交渉を担った老中・堀田正睦…歴史の偉人たちが、慢心やこだわり、保身などささいな心のスキで起こした失敗とは?現代の私たちも思い当たる煩悩を、どうやれば解消できるのかを考えます。
出演者
【出演】東大史料編纂(さん)所教授…山本博文,真矢ミキ,精神科医…斎藤環,【司会】近田雄一,井上二郎