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書き起こし 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 新春スペシャル 2017.01.02

 

 

歴史酒場「知恵泉」。
今年は2日から営業開始。
豪華な新春スペシャルです!皆さんあけましておめでとうございます!獅子舞に餅つきしめ飾り。
日本にはお正月ならではの風習がたくさんありますよね。
今宵はそんなお正月の過ごし方に隠れた「先人たちの知恵」が満載です。
初夢で見ると縁起が良いと言われるご存じ富士山。
おめでたい象徴としてお正月には欠かせません。
しかしこの富士山。
江戸時代後期までは人々に畏れられていた存在だったんです。
江戸の人々はどうやってありがたみを感じるようになっていったのか。
その過程を見つめていくと自分一人だけでなくみんなで幸せになろうとする知恵が秘められていました。

 

 

 

 


(星田)なるほどこれが!一方お正月の食べ物といえばおせち料理。
子孫繁栄を願う「数の子」。
五穀豊じょうを願う「ごまめ」など験担ぎの知恵は有名ですが…誰もが知るあの有名な人物。
彼のひねり出した知恵は現代にも生かす事ができる示唆に富んだものでした。
そしてお正月の一大イベント初詣。
この初詣にもある知恵が秘められていました。
明治神宮ではその初詣のある役割を感じてもらうためにさまざまな工夫がされています。
これからですね…「知恵泉」新春スペシャル。
今宵は今年一年前向きに楽しく暮らせるようになるめでたい知恵をご紹介します。

(笑い声)いやいやいやちょっと1杯下さいよ。
ちょちょちょちょ…。
先生も先生も。
ああどうも。
いや〜いいですね正月はもうめでたくて。
いや〜おとそが最高ね。
もう1杯もう1杯。
もううれしいもんじゃないですか。
向こうからお坊さんが2人来たよ。
和尚がツーなんて…。
(笑い声)さみしいね。
でもほんとしかし正月なのに何でこう華がないんですかね。
いいじゃないですか男だけでこうやって飲むのも。
(麻木南沢)こんばんは。
あらあらあらあら!こんばんは!お邪魔します。
いやいやいらっしゃいませお二人。
いや〜すばらしい。
お花が来ちゃったよ。
急に華やかになりまして今までの騒ぎは何だったんだというね。
どうですか?造花違う。
造花じゃないんですね。
いやいやそんな事ないですよ先生笑いすぎですよ!先生のせいにしない。
ちょっとちょっと表にまでねあんまり面白くもない冗談が聞こえてましたわよ。
新年早々おにぎやかに。
まいったまいった。
でもね今年もどうぞねよろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。
あけましておめでとうございます。
改めて2017年年が明けました。
今年酉年なんですけれどもね酉年というのは歴史を遡るとどんな年って言えるんでしょうか?そういう年なんですね。
それから「酉」という字は…それがまあ収穫っていう事なんですね。
だから我慢しなきゃいけない年かもしれませんね。
あの文字からしたらもういきなり飲めや歌えかと思ったらそのための準備をしようという事。
はい種をまくと。
(麻木)あら今まで不心得でしたわ。
準備する年という事で遡るとちょっと調べましたら水戸光圀が「大日本史」という壮大な歴史書を編さんするんですけれどもそれを始めたのが酉年だったんです。
すぐには完成せずに200年でしたっけ。
はい。
相当かかりましたけれどもそのスタートが酉年。
更にですね最近ですけれども93年サッカードーハの悲劇が。
あ〜あった!酉年なんですよ実は。
あの決まっちゃった瞬間日本中がシーンとしたやつだ。
覚えてる!私も覚えてますね。
あれが酉年ででもあれがなかったらもしかしたら今の日本サッカー躍進はなかったかもしれない。
そう考えるわけか。
その悲劇を生かしていったというふうに。
そうとも捉えられるんじゃないかなというところなんですよね。
そうですよね〜。
私はね二ツ目になる直前だったんですよ。
だからそこで一生懸命二ツ目になる準備をしなきゃいけなかったんですよ。
したんですか?準備を。
できない落語を一生懸命覚えましたよ。
できなくはない。
その時覚えましてね次の12年目巡った年は今度真打ちになる準備に入ったんですよ。
節目節目がそれぞれ酉年に近い。
まさに種まきの時。
びっくりした今。
いや怖い怖い。
私は93年2つ前の酉年の頃はちょうど司会とかキャスターとかそれまでやってなかったお仕事が頂けるようになってそこから始まってのそのあとのお仕事ですから。
ご活躍されて。
じゃあ知らない間に何かね始まってたのかしらね。
踏み出していたのかもしれないですね。
南沢さんの93年というと。
93年は3歳であんまり記憶がないんですけど。
若すぎでしょ3歳。
人生の準備を始めた時ですよね。
12年前の2005年はちょうどスカウトされた年で。
お〜!やるかどうか迷ってて翌年にデビューを果たしたんですよ。
何かちょっと種がまかれた年ではありましたね。
ちょうど。
まかれてるなみんな。
いや〜ありますね酉年。
ありますね。
そういう年なんですよ。
そういう酉年だからこそ見ていく今日の知恵こちらです。
ザンと。
新年にはそういう知恵が実はいろいろ詰まってるんです。
それを皆さんと味わって新年酉年気持ちいいスタートを切ろうじゃないですかという今日の趣旨であります。
こいつは春から縁起がいいや!いやいやいやいや…!という事で今日1月2日。
1月2日の夜に見るものといえば南沢さん。
あれですよね初夢。
そうです初夢。
でもちょっと考えるのが元日じゃないんですよね。
そうそうそれは毎年ねあれ?今夜だったっけ?明日だっけ?とか思っちゃう。
だからその日見るのがまあ初夢では本来なくて…だんだん江戸時代になったみたいですね。
割と適当な理由。
割と適当なの。
みんな挨拶行ったりとか。
ドタバタしてるから。
そんな時に夢なんか見てられないという。
ちょっと落ち着いてから見る夢が初夢なんですね。
それで初夢で見たらいいなというのがいわゆる…どうして富士山の夢を見るとめでたいかというところに実は庶民の知恵がギュッと詰まっていたわけなんです。
それをまずは皆さんと味わっていこうと思います。
毎年25万人を超える人々が登る富士山。
登山者の楽しみの一つとなっているのが…。
あ〜出た出た!ご来光です。
こうした光景に多くの日本人が親しみを感じるようになったのは実は歴史が浅く僅か280年ほど前の事でした。
それまでの富士山は親しみよりも畏れの対象として見られていました。
その富士山がなぜ初夢で見るとめでたいと言われるほどありがたい存在になっていったのか。
ちょっとちょっとちょっとこれすごいよ!見て下さい!誰よこの場所見つけたん。
ベストやね。
あっどうも!見て下さい。
テンション上がるよね。
お笑い芸人で俳優の星田英利さん。
今まで仲間や家族と一緒に富士山に5回も登頂。
他の山には目もくれず富士山だけに引かれる理由が自分でも分からないと言います。
そんな星田さんが富士山にまつわる日本人の知恵を探る事にしました。
まず訪れたのは富士山の歴史が全て分かる…かつて人々が富士山を畏れていた理由が展示されているといいます。
これ実は富士山が噴火した時に1,500年前ですけれども流れた溶岩が固まったものなんですね。
は〜確かに普通の岩と違って一回溶けた感じがありますね。
(篠原)しぶきがですねそのまんまこう積み上がったようなね本当に当時流れた様子がそのまま形になっていますけれども。
結構じゃあ頻繁な。
そうなんです。
何度も何度もね噴火していたそういう時代なんですね。
富士山の噴火は文献にも度々記されてきました。
平安時代初期の貞観6年864年の事。
噴火の炎が20丈およそ60メートル上がり石が雨のように降り注いだと記録されています。
特に江戸時代宝永4年1707年の大噴火の被害は甚大でした。
関東一円に火山灰が降り注ぎ頭の大きさほどの燃えた石が降ったといいます。
農作物は壊滅。
田畑も使い物にならなくなりました。
そんな富士山の印象が変わり始めたのは江戸時代中期の享保年間。
当時洪水や疫病イナゴの被害による米の不作などで人々は苦しんでいました。
その災いを振り払うために行動を起こした人物がいます。
富士山信仰の指導者食行身禄。
人々の富士山の印象を変えていった人物です。
食行身禄は富士山の七合目近くに入山。
人々が救われるように断食修行を行いそのまま命を落とします。
自分よりも他の人々のために生きてきた食行身禄。
その教えは弟子によって書物に残され江戸の人々に富士山はありがたい存在として広がっていきました。
日頃の仕事与えられた…ああなるほど。
それ一気に身近になりますよね。
は〜…。
その後関東一円から富士山に登って拝む「登拝」が行われるようになります。
しかし一般の庶民にとって富士山を目指すには費用と時間がかかり簡単な事ではありませんでした。
人々はそれをどうやって実行したのか?江戸の人々は近所や仲間で「富士講」と呼ばれる集団を作りみんなで少しずつお金をためていきました。
日本に古くからある相互扶助のシステム「頼母子講」を参考にしたのです。
それによって集まったお金で数人ずつが代表となり富士山に登る事ができるようになったといいます。
江戸には八百八の町があるけれどもそこには必ず一つは富士講があるので八百八講あると。
本当に大流行というかすごい広がっていったという事なんです。
みんなで。
みんなで助け合おうという気持ちは富士山にたどりつけないお年寄りや費用を出せない人への配慮にまで及んでいたといいます。
では実際に富士山に行けない人に仲間たちは何をしていたのか?東京にその名残があると聞き訪ねてみました。
ここで…。
あどうもこんにちは。
こんにちは。
すいません今日はお世話になります。
よろしくお願いします。
案内してくれるのは富士山にこだわった作品を制作している…富士山の名所を描き込んだオブジェやキャンドル。
作品を制作するために富士山を調べ続け今では本を書くまでの熱狂的なファンになりました。
そんな有坂さんが連れてきてくれたのは千駄ヶ谷にある…境内に入っていくと現れるのが遊び場のような小さな山。
(星田)なるほどこれが!富士塚。
へ〜!これは「富士塚」と言われ富士山を模して造られました。
寛政元年のもので当時のままに残っています。
富士塚は関東に900ほど造られたと言われています。
富士塚に登れば富士山に登ったのと同じ御利益があると言われ富士山に行けない人たちにもその幸せを分かち合える仕組みでした。
じゃ行ってみましょう。
裾野から行きましょう。
足を踏み入れてすぐに現れたのがこちら。
これどこかで見た事ありますか?この感じ。
この感じは僕あります。
いわゆる溶岩ですよね。
はい。
(有坂)ゴツゴツ感が。
(星田)この感じもそうですもんね。
似せているのは溶岩だけではありません。
富士塚を半分ほど登った所に石碑がありました。
実際の富士山にもあります小御嶽神社。
この石碑は富士山の五合目にある小御嶽神社と同じ効用のあるものだといいます。
富士山に登る時に大体小御嶽神社でお参りしてこれから頂上まで無事に行かせて頂きますと。
実際の富士山にもありますが…は〜全くだから一緒なんですね。
全く今のところ一緒。
この富士塚は庶民の富士山信仰のきっかけとなった場所も再現されています。
あっ。
何やら食行身禄さんですね。
身禄さんが31日間ずっと断食行をされていたところが。
(星田)ちゃんと模して。
なるほどすごいな。
ちょっとなめてましたけどすごい!登り始めて僅か2分。
到着しました。
来た!登頂成功。
では拝みましょうか。
はい。
(有坂)ありがとうございました。
(星田)ありがとうございます。
(星田)思いやりが。
本当にそうだと思います。
信仰の対象そして助け合いの象徴でもあった富士山。
庶民にとってありがたい山はいつしか初夢で見ると縁起のいいものになっていったといいます。
次に星田さんは初夢の「一富士二鷹三茄子」のいわれについて調べる事にしました。
有坂さんが連れてきてくれたのは駒込にある…ここにある富士塚は江戸時代一番有名だったと言われています。
こんにちは。
すいませんお世話になります。
こちらは今も富士塚を守る…「一富士二鷹三茄子」は駒込の自慢のものの列挙だといいます。
私たちが今いるのがここなんですけれども「富士」って書いてあるんですね。
これが駒込富士。
「一富士」の富士は江戸で一番と言われた駒込の富士塚。
「二鷹」の鷹は徳川幕府の鷹匠屋敷があった事の自慢。
そして「三茄子」の茄子は…。
は〜!それ川柳やったわけですね駒込で詠まれた。
そうですね。
まあ諸説ありますけれどもそれが…お富士さん登りに来たりとかしたんですね。
駒込自慢の縁起物それを年の初めに見る事が人々の間に広まっていったと言われています。
…というですね「一富士二鷹三茄子」の由来といいますか。
(麻木)駒込発。
駒込が諸説ある中でもこうあるんですねそういういわれが。
…とも言われている。
いろんな説があるんですけどね。
家康は駿府に引退するんで富士山きれいですよね。
鷹狩り好きだし。
茄子はねよく分かんないですけどね。
先生もちょっともう聞こし召してるのかいいかげんな。
でも確かに茄子は謎ですわ。
茄子はたくさんできるんで子孫繁盛というふうにも言われるんですけども。
駒込では裏の畑で茄子がとれておいしかったからという説になってるという。
それはそれで筋が通ってるんですね。
今でも富士講やってらっしゃるという事?駒込は。
そうですね。
よくやってますね今どこでも。
あらいいですね。
ああいうふうに伝えてる方々がいらっしゃるという。
南沢さんはどうご覧になりました?いや〜きっと今のVTR食行身禄さんが見たら喜ぶだろうなと思って。
最初畏れられてたから。
でもそれにみんなが協力して向かっていく富士山がめでたい存在になったというのはすごい事ですよね。
富士講を作っていわゆる助け合いの精神ですよね。
富士塚自体は師匠下町ですから。
私下町ですかうちの近くに半径200mの所にありますよ。
それも五合目とか七合目とか決まってるんですよ。
やっぱり決まってるんですか?そうそうそう。
そういう場所ありますよ。
あれ富士講でみんなでお金を集めて中から何人かが行きますよね。
そうすると行った人はお留守番の人たちの分も拝んでくるという事で行くわけ?当然お土産も買ってくるという事なんですよね。
伊勢講なんかもありますけど同じですね。
ただ富士山の場合はああいう富士塚を造ってましたよね。
江戸にたくさんあるんですね。
これが一番の信心なんだというのが食行身禄の教えですよね。
お金出し合ってそこまでやっぱり行く助け合うという形だったんですか?もちろん江戸の庶民というのはみんな長屋暮らしですからね土地も持ってないしまあその日暮らしの人が多いんで…だからそうしないと生きていけなかったという面もあるんでしょうけど何かやっぱり今ね助け合いの姿というのを見てるとああいいなっていうね。
何かすごく温かい感じはしてね。
あったかい人情という。
南沢さんの世代からするとその結び付きだったりというのはどういうふうに感じます?私正直マンションにずっと住んでるんですけど隣の部屋にどんな人が住んでるとか知らないんですよね。
あ〜。
ああそうか。
不思議ですね。
今は近くの人知らないけど遠くで全然他県の人とつながってたりとかあるんで。
でもさ時代は変わったって…奈央さん世代はまた私たちが思うのとは違う人情があるんじゃない?というかあってほしくない?あるんだよ。
その中で逆に知らないからこそ深い相談ができたりとか逆に自分も名前を言わなければ答えが返ってくる。
今クラウドファンディングってあるじゃないですか。
ネット上で「こういうプロジェクトがあるから支援をお願いします」。
あれなんかまさに現代の助け合いかなと思って。
見知らぬ人がお金を集めてある金額に達すると実現するってあるじゃないですか。
あれがまさに通ずる部分があるのかなとちょっと見てて思いましたね。
それがだからコミュニティーの形は変えつつも時代を超えて現代でもできてるという事なのかもしれないですよね。
それだけやっぱり生きていくのが本当に大変な時代だったんでしょうね。
そうですね。
一人で生きていけるような時代じゃないってまあいつの時代もそうですけど。
いやいやいやいやいやいや…。
一富士二鷹三茄子ですけれども。
ええ。
一富士二鷹三茄子ですよね。
ただこの続きがあるんですよね。
四扇五煙草六座頭。
四は?「せん」というのは扇なんですね。
末広がりだから非常に縁起がいい。
四扇これですよ。
末広がりでと。
縁起がいいと。
だからこれは縁起がいいって事で。
煙草ってこういうふうに…。
お〜上ってく上ってく。
その煙は要するに天に通ずるわけですよね。
最後の座頭というのは目が見えない人が歌舞音曲をやりますよね。
官位をもらうのが座頭でてい髪するんですね。
お坊さんだからツルツルになるんですね。
だから…茄子もつるっとしてるから「けがない」んじゃないかというそういう説もあってですね。
割とあのころっていろいろ語呂合わせというか。
単にシャレなんですね。
シャレがきいてるというかそういうの多いですね。
そういうの好きなんですね江戸の庶民はね。
験担ぎといえばお正月に欠かせないもの。
初夢そしておせち料理。
おせち料理も験を担ぎますよね。
担ぎますね。
お豆黒豆。
まめまめしくねまめに働く。
そうですいろいろありますね。
その験担ぎ以外にも実はですね人と人とを結び付ける知恵がおせち料理にはあったんです。
正月を象徴する食べ物…始まったのは奈良時代の宮中と言われています。
季節の変わり目となる節日を祝う行事に出された御節供料理が起源でした。
その後御節供料理は室町時代武家社会にも広がります。
敵に勝つ「勝栗」や敵を討つ「打ちあわび」などこのころから験担ぎが始まったと言われています。
武士たちはおせち料理を三方に載せて床の間にお供えし新しい年の神様「歳神様」を迎えました。
やがて戦乱が収まった江戸時代になるとおせち料理は庶民の間にも広まっていきました。
歳神様をお迎えする正月には火をなるべく使わないという考え方も現れ同時に三が日ぐらいは女性もゆっくり休めるようにと作り置きのおせちが定着したのです。
正月をのんびり過ごすための知恵でもあるおせち料理。
このおせち料理を利用して逆境を転換させた大名がいました。
徳川家康が幕府を開いてからおよそ30年。
その基盤を固めるために福島正則をはじめ最上蒲生加藤など有力な外様大名が次々と改易や減封されていました。
そうした状況の中危機感を覚えていたのが伊達政宗です。
政宗は戦国時代の後期遅く生まれたために天下を取れなかった武将とも言われ幕府から煙たい存在として見られていたのです。
そんな政宗が目をつけたのが料理。
政宗は無類の料理好きでした。
戦乱の時代には兵糧確保のために携帯食を研究し伊達家独自のしみ豆腐や仙台みそなどの開発に関わったと言われています。
ある史料によると便所の中でさえ日々の料理を決め係の者に献立を渡すほど関心が高かったといいます。
この料理を使い政宗は将軍家との関係改善に乗り出しました。
寛永6年正月28日。
政宗は江戸城二の丸において三代将軍家光をおせち料理で接待しました。
その中で最もこだわった食材の一つが鮭でした。
これはその時政宗が供したと言われている…冬の季節は身がかたく味が落ちる鮭を見栄えも味も最大限引き出しています。
伊達家伝承の料理を長年研究してきた調理師の…家光を接待した献立表から「鮭の子籠り焼き」にどんな工夫があるのか再現してもらいました。
使うのはおなかにイクラが入ったメスの鮭。
武士にとって縁起が良くない「切腹」をイメージさせないように腹に包丁を入れずに輪切りにします。
そして政宗が編み出し特別に造らせたと言われるうまみ成分の高い日本酒で身を浸します。
その後炭火で背中だけを焼いていきます。
こうする事で身の部分は香ばしく焼けイクラの部分はジューシーな半生状態に。
(高橋)実際食べてみると大変おいしいもんですよね。
仕込みから焼き加減食べ方に至るまで考え尽くされた一品が家光に供されました。
更に家光への配慮はお雑煮にも表れています。
干しあわびや干しなまこなどこだわり抜いた食材を全国から取り寄せました。
接待を受けた家光はこうした料理の数々にいたく感激したと伝えられています。
政宗のこうしたもてなしの心あってこそ仙台藩はその後も改易や減封される事なく明治まで続きました。
言いかえる事もできると思います。
この作戦は今も使えますよね。
ちょっと今奈央さんの口から衝撃発言が今。
それに反応する麻木さんもびっくりしたけどね。
え〜だってさうれしいでしょつかまれたいでしょ。
でもやっぱり斬って張ったの血生臭い時代が終わって…「ああ料理か」っていうのが面白いですね。
まあもともと兵糧を作る時にみそを工夫するとかねそういうのも政宗やったらしいんですよね。
何かそれで料理が好きになって…政宗流の。
大変ですよね。
それを正月にあててきたという。
ああいう雑煮とかね。
当時はそれだけ政宗というのは危機的な状況だったと言えるんですか?まあ徳川家とは非常に親しい大名なんですけれども…政宗なんかもう家光にとっては伝説的な武将ですからね。
ある意味憧れの意味もあるんだろうけどそれがうまくいかない時どうなるかっていうのは結構家光厳しい性格ですからね。
若いお殿様が父親の代の偉い人を煙たがるなんてよくある話じゃない。
俺みたいな事言ってんじゃないですか?それ。
俺の事を言ってんじゃないですか?それ。
大丈夫大丈夫あなたはかわいがられてるから大丈夫。
フラットなねここの店に来るぐらいの人間ですから。
どうもありがとうございますいつも。
ありがとうございます。
でも現代でもあるかもしれないですよね。
年に一度のお正月におせち料理を用意してちょっと煙たい親戚ともまあ一年の始まりだから少し垣根を越えて仲良くしようかなって事あります?それはありますね。
南沢さんもそういうご経験というか。
でも煙たい親戚はいないですけど。
言えないですよね。
言ったらさ親戚が見てたら怒るよね。
いないです。
いないよね。
大好きですよね。
あんまりそのふだんの食事ではないのでそれぞれに取り分けられてたりとか。
そうやってみんなでこう取り合いになるのも面白いよね。
高いもんからいくんだよね。
数の子でしょ。
何いきます?私はえび。
伊勢えびなんかあるとねそれに真っ先に。
伊勢えびですか先生。
(麻木)あれすぐなくなっちゃう。
いやいやいやもうここまで来ましたらお料理用意いたしました。
こちら。
鮭の子籠り焼きでございます。
どうぞどうぞ。
(麻木)将軍様にお出しした。
そうなんです。
(麻木)うわ〜これが!そうなんですよ。
しかも先ほど紹介しました高橋さんがわざわざ仙台から来て下さって作って下さいました。
私じゃ作れませんこれ。
秘伝ですから。
すごい。
きれいですね。
ぜいたく。
(麻木)胴の中にイクラがどっさり。
(南沢)いただきます。
ちょっとこれは楽しみだわ。
じゃあいきますね。
いただきます。
(麻木)いただきま〜す。
私結構好きですこれ。
おいしい。
私もこれ結構いけるわ。
確かに塩鮭な感じなんですけど何だろうこれ。
ただ焼いてるのかしら?何かちょっと風味がというか香ばしい風味がよくうちでやる塩鮭とは違うんですよね。
あのねイクラのねまろみとねうまみがね身をまた引き立てるんですよ。
やっぱりイクラが一緒にあるのがミソですねこれね。
このイクラの部分がいくらでも食べられるね。
でもね家光公が好きになるの分かります。
食べた事ないですもんこんなの。
だって将軍様といったらずっとお城にいるわけですよね。
これ生に近い状態で卵を食べられるなんてこんな事ないですよ。
食べた事ないでしょうね。
家光なんて「目黒のさんま」の話があるぐらいでさんまもろくに食べてないわけですからね。
ただこの料理はやっぱり…他に製法は教えないという。
これを管理するために…え〜!子籠り役が子籠り焼きを作ってたと。
それをずっと秘伝としてね伝えてるわけですね。
今日ですねお正月ですからせっかくですからそれだけではありません。
全国のめでたい正月料理を準備いたしました。
これも併せて召し上がって下さい。
どうぞどうぞ。
まず真ん中これは「氷頭なます」と言いましてこれも鮭なんです。
鮭の鼻のあたりの軟骨透明なんですね。
半透明。
これ氷っぽく見えるので氷頭と言いましてそれをなますにしたものなんですよ。
これ北海道などで赤白でめでたいという事で食べられているものなんです。
ほら縁起のいい南天がついてるなんていうのはまたいいねえ。
(麻木)ねえかわいらしい。
お〜!これが軟骨なんですか?これですよ。
それが氷頭です。
いただきま〜す。
うん…ああおいしい。
何て言うのかしらコリコリして。
あ〜!ねえ。
初めての感じです。
この食感病みつきになりますねこれ。
病みつきになる。
(南沢)おいしい。
食感的にはナマコ。
(麻木)あそうそう!そうです。
続いては皆さん向かって左側。
その黄色いものですねそれがですね石川などで食べられている「べろべろ」といいます。
溶き卵をだしの入った寒天で固めたものなんです。
あこの中のは…。
卵なんですよ。
石川富山などで食べられて「えびす」と呼ぶ所もあるんですけれども金沢ではべろべろと。
(麻木)えびすって呼んだ方がいいんじゃない。
先生どうぞ。
ああトロッとしておいしいですね。
トロッとしてますか?うん江戸で言うと煮こごりです。
煮こごりはい。
煮こごり。
さめの皮で作った。
寒天ゼラチン質なんですけどねこれさっぱりしてません江戸より。
やっぱり古都金沢でしょ。
金沢の上品さが出てる。
(麻木)おだしがしっかりしてておいしい。
(南沢)いやだしが本当においしいですね。
あと見た目好きですすごい。
よくこの卵のフワッとした感じが固定できるっていうのはね。
きれいですよね。
かんざしのべっ甲あるじゃないですか。
あれにも似てるから「べっこう」と呼ぶ地域もありべっこうからべろべろになったという説も。
いやべっこうからべろべろはないでしょう!でもべっ甲ですよ。
べっ甲の模様です。
飲みすぎちゃった人がべっ甲っていうのべろべろって。
べっ甲って言えなくなっちゃって。
べろべろ…になっちゃった。
今べろべろが生まれた瞬間に立ち会いましたけど。
さあ最後の一品まいりましょうか。
(麻木)これ何ですか?賀正の賀に日ですね。
元日?要するにめでたい日の和えものだよと。
広島の尾道でお正月とかめでたい日に食べられてるものです。
うんおいしい。
アナゴが結構しっかりね味が付いてておいしい。
うんおいしい。
ほうれん草の青菜の香りとねやっぱりアナゴは合いますよ。
これなぜアナゴとほうれん草かというと…瀬戸内の地域で。
感謝しようという事でこれが出来たそうです。
なるほど。
山海の珍味ってやつですね。
まさにまさに。
でも今日皆さんで召し上がって南沢さんどうですか?ちょっと壁が取れたといいますか。
いや〜!食べる事でまた違ってきますよね。
違いますね。
やっぱり…やっぱりいいですよね。
私も何か年の違いを感じなくなってきた。
今2人同意して下さいねちゃんと。
何で遠くを見るのよ。
ちょっとべろべろになってきちゃった。
これがまさに政宗時代の知恵も現代にやっぱりこう通ずるわけですよ。
元日から正月からおせちをつつく事で関係改善。
苦手な親戚もこれで。
いないですけど。
やっぱりいるんですか?いないです。
それだけは本当に。
さあ正月初夢それからおせちと見てまいりましたけれども欠かせないものは初詣ですよね。
初詣にも実は先人たちのお正月新年に込めた知恵があったんです。
それを最後味わって頂きます。
年が改まると各地で一斉に始まる初詣。
例年正月の三が日だけで9,000万人を超える人々が参拝していると言われています。
この一年の願い事が多い初詣ですがそれ以外にも重要な役割があるんだそうです。
毎年日本で一番多くの参拝者が訪れる…ここで初詣の歴史と奥深い意義を探ってくれるのは…。
やってまいりました明治神宮です。
今日は初詣に隠されためでたい秘密を探りたいと思います。
それでは行ってまいります!今年本厄数えで33歳になる中川翔子さん。
去年前厄のおはらいを受けた事をきっかけに神社の魅力にはまり50か所以上訪れたといいます。
特に興味があるのが…それ格好いい!生きた証しを積み重ねるという。
一枚ずつが直筆だしその瞬間だけの宝物になるので今すごく集めてます。
はい。
そんな中川さん初詣の歴史についても興味があると言います。
こんにちは。
本日はよろしくお願いいたします。
禰宜の廣瀬浩保さんにまず初詣の由来についてお聞きしました。
まあご存じのように…これは平安時代から続く新しい一年を守る歳神様を迎えて祭る…初詣は江戸時代この祭りが庶民に広がっていったと考えられています。
大みそかの日暮れから元日の夜まで一家の家長が自分の家や神社に籠もって歳神様を迎えました。
江戸末期になると歳神様が来る恵方の方角に位置する神社に家族で参拝するようになります。
これが今の初詣の原形と言われているのです。
初詣の隠れた意味をお聞きしました。
そういう事につながるんだと思うんですね。
明治神宮では参拝者が神と出会い再生できるようにするために境内の至る所に工夫を施しているといいます。
例えば敷地を覆い尽くす森。
これらはおよそ100年前に創建された時自然の森として作られました。
(廣瀬)こちら本当にたくさんの生命が循環しています。
例えば公園の木が枯れてしまったらそれはまた植え替えますけれどもこの明治神宮の森では倒れた木が朽ちて土に戻ってそこから新しい芽が生まれてきます。
本殿へと向かう参道にも仕掛けがあります。
鳥居をくぐるとしばらく下り坂が続きます。
ところが本殿に近づくにつれて上り坂に。
体に緊張感を与えて心を引き締めさせるようにしているのです。
更に本殿直前にあるこの角。
上から見ると直角に見えますが…。
(中川)88度。
めちゃくちゃ運気が上がりそうないい角度ですね。
そうですね。
末広がりダブル!これから行われる神との出会いがよりよいものになるように験を担いでいるのです。
生命力が再生される。
いいですね気持ちを新たに新しい一年を心元気に健やかに過ごすには。
歳神様を自分の内面に迎え入れて心を再生させる。
正月は新たな一歩を後押ししてくれる機会でもあるのです。
初詣に込められた知恵でしたけれども。
確かにでも初詣行ってああ今年はこれやろうみたいな。
何かそういうつながりというかあったんだなと思って。
でもあれですよね…だからやっぱりみんな生まれ変わるというか改まるっていう気持ちが今以上に強かったんでしょうかね。
そうですねみんな一緒に年取るわけですからね。
それにまあどうしてもね一年過ごすというふうな事とか何とかもありますからね心機一転する機会がないとね駄目ですよね。
ほら人生にはリセットはないとか言いますけど…それを改めて感じますね。
そうですね。
いや〜でも明治神宮がこう下がっててまた上がってて緊張を作って90度じゃなくて88度だと。
末広がり。
明日行く人みんな説明するよこれ。
ねえ1月3日。
並んでる人が全員その話。
「知恵泉」見た?「知恵泉」見た?絶対なりますね。
そうなるとうれしいですけどね。
これはいい事教わりました。
でもこう思うとやっぱり…そういう事を家族でする事によってまた絆が生まれる。
一つの方向に向かおうとする日本人の心があるというのはすてきですよね。
それが毎年というか一年一年できるというのがまたそのつどそのつど心改まる改めて一歩を踏み出せる生まれ変わるというところですよね。
そのリセットっていうか何かやっぱり改まったという感じですかね。
別にその過去を捨てたいとか消したいとかそういうネガティブな事ではなくて一年ありがたかった。
でもまた新たな一年だというような。
そうですね。
また今年も生きられたというそういう事ですよね。
おっしゃるとおりだと思いますね。
何か私奈央さんの話聞いてて「そうだ!」って強気になってきちゃった。
そうよね。
今は強気でいいんだ。
いいでしょう。
一年に一回この時期ね三が日ぐらい強気で。
三が日と言わずどんどんどんどん節分からそしてひな祭りどんどんどんどん強気で。
続けましょうよその強気を。
とりあえず夏まではいきましょう。
そうか。
いや今日のお正月に新年に込められた先人たちの知恵を見てまいりました。
南沢さんいかがでしたでしょうか?あのですね私は料理が実はあんまり得意ではないんですよ。
ただ今年は料理やってみようかなという気になりました。
強気になって。
そう。
やっぱり関係を深めたりする一つのツールとして本当にいいなと思うので。
料理には心があるなというのが代々歴史があって今もやっぱり当たり前のように頂いてたりするけどそれを当たり前のように頂くんじゃなくてちゃんと誰かの気持ちがあるんだなというのを考えながら生活していかなきゃなと思いましたね。
その上で胃袋をつかむ。
つかむ。
今年はちょっとそっち方向にねいい方が見つかって。
そうですね行けたらいいですよね。
麻木さんいかがでしたか?いや今日のね富士山にしてもおせちにしてもね初詣にしても今に残る習慣が出来上がるまでにほんとにたくさんの人たちの人情とかねいろんな思いが積み重なってできてる事なんだなって思うと最近ちょっとねもう面倒くさいから今年は初詣いいかとかねついつい思いがちだったんですけどやっぱり年に一度はねきちっとやっておこう。
…という事にもつながるんだなという事を感じました。
ありがとうございます。
さあそして先生は?やっぱし正月というのは新しい気持ちにならなきゃいけないんだなってしみじみ思いましたね。
まあちょうどね還暦でもありますし新たに頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。
寄席のトリと一緒ですからね。
ええ。
でもねやっぱり先人たちの力が全部生まれてきてるなというのはありますね。
だって伊達政宗公が命懸けであのお料理作ったわけですよね。
あとお参りも行くし富士参りもうち近くで行きますしそう思うと本当に…改めて感じましたね。
いや〜本当にね今日のごちそうそして説明もう何一つこれは文句の付けどころがないです。
失礼いたしました。
(拍手)何ですかこのパラパラとした拍手は。
いいんです。
このお店いつも閑散としてますから。
飲んで飲んで。
もうほら飲まずにいられない。
今年もよろしくお願いします!元気で健康で。
ハッピーニューイヤー!ハッピーニューイヤー!急に英語になっちゃった。
ほんとパラパラでしたね。
「いよっ!」とかじゃないですもんね。
みんな見合いながら…。
「今ですか?」みたいな。
2017/01/02(月) 21:30〜22:30
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 新春スペシャル[解][字]

初夢・おせち・初詣…。そんな正月の当たり前の風景も歴史をひもといてみると、1年をより良く生きるための“めでたい”知恵であふれている。年始ならではのSP版を放送。

詳細情報
番組内容
初夢の「一富士二鷹三なすび」の中で、めでたいものの筆頭に挙げられている「富士山」。江戸時代に、ある出来事をきっかけに大ブームとなる。そこから「富士講」や「富士塚」など誰もが富士山を楽しめるような知恵が生まれていった。さらに「おせち料理」には苦手な相手と関係改善を図った戦国大名の知恵が、「初詣」には、生きながらに生まれ変わる「再生」の知恵が秘められている。おとそ気分で歴史の知恵を味わえる年始拡大版。
出演者
【出演】東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,南沢奈央,林家三平,麻木久仁子