猛烈な吹雪にあらがい走るアスリートたち。
南米パタゴニア。
141km走り抜く極限レース。
荒ぶる自然の中不眠不休で進む。
選手たちは言う…このレースに日本のトップアスリートが挑んだ。
筋肉が悲鳴を上げ意識さえも遠のいていく。
それでも前へ。
彼らを駆り立てるものは何なのか。
レース終盤。
進み続けてきた選手たちは未知なるゾーンに突入する。
それは一体何なのか。
アスリートたちの肉体に秘められた驚異の能力が限界を打ち破る。
その瞬間を追った。
ア〜!南米大陸の最南端には見た事もないような絶景が広がっている。
垂直にそそり立つ岩の峰。
吸い込まれるような青い氷河。
この荒涼とした大地が極限レースの舞台となる。
大会前日選手たちが一堂に会した。
世界18か国から集まったトップアスリート。
その数男女合わせて91人。
このレースが世界一過酷と呼ばれる理由。
それはコース設定にある。
全行程141km。
スタートはパタゴニアの大草原。
15km先に待ち受けるのは最初の難関原生林だ。
木が密集し見通しの悪い凸凹の悪路が30km続く。
肉体的にも精神的にも消耗する。
原生林を抜けると次なる難関標高850mの険しい岩山だ。
パタゴニア特有の強風が吹きすさぶ最も危険な岩場が7kmも続く。
この山を越えてようやく97km。
その先にはまだフルマラソン以上の距離が残っている。
目まぐるしく変わる141kmを46時間以内に走りきらなければならない。
昨年のレース。
完走率は僅か30%。
次々と現れる川泥沼雪山がトップアスリートの体力気力を徹底的に奪い取る。
このレースに出場するには誓約書を提出しなければならない。
命に関わる事態も覚悟する。
スタートは真夜中。
60km先に待ち受ける難関の岩山を昼間に抜けられるよう深夜の開始となった。
優勝候補の筆頭は…100kmを超えるレースで連勝を続ける地元チリの絶対王者だ。
そしてアメリカの…昨年走行距離200kmのレースで優勝しすい星のごとくデビューした23歳。
40〜50代のベテランも数多く参加している。
何が起こるか分からない極限レースでは経験が物を言うのだ。
その中に特別な覚悟でこのレースに挑む男がいた。
日本のアスリート…レース歴は20年。
数々の国際大会で好成績をあげてきた世界的アスリートだ。
現在47歳。
ここ3年で2度のリタイアを経験するなど思うような結果を残せていない。
今回のレースで上位に入れなければ引退する決意だ。
このレースには乗り越えなければならない巨大な壁がある。
コース終盤体力を使い果たした選手たちは意識さえも飛んでしまう極限状態に陥るという。
それが神の領域。
もうろうとしながらも前に進み自らの限界を打ち破らなければゴールにたどりつく事はできない。
深夜0時幕が上がった。
いきなりハイペースだ。
時速15km。
長距離レースでは考えられない速さだ。
川が現れた。
水温5度。
冷たい水だ。
早くも選手の間隔が開いてきた。
優勝候補のエイブリー。
先頭集団を引っ張っている。
鏑木は少し遅れ10位につけている。
鏑木は心拍数を気にしていた。
この時体につけた心拍センサーの値は毎分150。
これ以上上がると疲労が一気にたまる。
前半は心拍数が上がり過ぎないよう自分のペースを守る作戦だ。
序盤飛ばしてきた選手たちが失速。
先頭集団がばらけてきた。
ここから最初の難関原生林に入る。
鏑木だ。
暗闇の中足元に神経を集中し進む。
岩が転がり木の根が飛び出している。
一つ間違えば大ケガだ。
うわっ!立ち上がった。
足場が悪く体が上下に揺れる。
こうした道で選手たちが恐れるのが内臓へのダメージだ。
走っている時血液は筋肉に多く流れている。
更に内臓が揺れると消化機能が低下する。
エネルギーは吸収されず走れなくなる。
スタートから3時間半。
選手たちに疲労の色が浮かび始めた。
鏑木は走り続けていた。
順位は5位に上がった。
コースにはおよそ10kmごとに水や食料を置く補給ポイントがある。
35kmの補給ポイントに選手がやって来た。
優勝候補のエイブリーだ。
現在2位。
何か様子がおかしい。
序盤でペースを上げ過ぎ戻してしまったらしい。
レース序盤にして優勝候補の一角が早くも脱落した。
実はこの時点で12人もの選手がリタイアしていた。
最初から飛ばし過ぎたのが裏目に出た。
なんとチリの絶対王者エンソも。
原生林でかかとを痛めたらしい。
波乱の幕開けだ。
40km地点。
トップの選手がやって来た。
鏑木より年上の51歳だ。
49km地点の補給ポイントに到着した。
スタートから5時間20分走り続けてきた。
余裕の笑顔。
疲れた様子は全くない。
経験は豊富だが世界的には無名の存在。
台風の目になりそうだ。
2位の選手がやって来た。
なんと日本の鏑木だ。
トップとは10分差。
トーマスと同じく自分のペースをキープしたのが功を奏した。
入れ代わるようにトーマスが出発。
お互い目もくれない。
10分間の休憩ですぐに出発。
トーマスを追う。
この先に待ち受けるのは次なる難関岩山だ。
30分後後続選手たちも山に入った。
歩くのもやっとの急斜面を駆け上がる。
馬力が必要な登り。
鏑木は疲労がたまらない心拍数を守っている。
今回のレースで上位に入れなければ引退する。
決意の背景には2年前の苦い経験がある。
2014年に出場した160kmのレース。
山越えの区間でその異変は起きた。
突然心拍数が乱れる不整脈。
結局リタイアした。
今回は精密検査を受けての参加。
無理をすると保証できないと医師に告げられている。
それでも出場を決めた。
命を懸けて挑む。
山を登り続けて2時間半。
雪が舞い始めた。
あ〜きついわ。
ハアハア…。
寒い。
次なる難関岩山が近づいてきた。
標高850m。
風が強くゴツゴツした岩場が延々と7kmも続く。
今大会で最も危険な区間だ。
その地点に鏑木がさしかかる。
吹雪だ。
慌てて何かを探し回っている。
コースを示す目印。
見つけられなければこの吹雪の中をさまよい続けるところだった。
トーマスはそのころ鏑木の2km先を進んでいた。
容赦なくたたきつける風と雪。
寒さを通り越し痛い。
見渡す限りの吹きっさらし。
逃げ場はない。
それでもひるまずに確実に前へ進む。
トーマスには長距離レースの経験に加え20年にわたる登山歴がある。
これまで真冬のアルプスや7,000m級の山も制覇している。
こうした悪天候も何度となくくぐり抜けてきた。
一方雪山でのレース経験が浅い鏑木は苦しんでいた。
おわっ!この時鏑木が恐れていたのは低体温症だ。
厳しい寒さにさらされ続けると体の芯まで冷えて動けなくなる。
長居は危険だ。
しかし手足が凍えて思うように動けない。
体にむち打ち先を急ぐ。
トップの2人から遅れる事1時間。
激しい吹雪にさらされながら後続の選手たちが岩場にやって来た。
女性ランナーが大会スタッフに抱きかかえられている。
低体温症だ。
この風では救助のヘリコプターも呼べない。
救護用のテントに避難する。
もう一人凍えている。
世界一過酷なレースパタゴニアは容赦ない。
スタートから10時間。
トーマスは吹雪を抜け山を下り始めていた。
急斜面を小刻みなステップで駆け下りていく。
ボディーバランスを保ち転倒を防ぐ走り方だ。
鏑木もやって来た。
59分差だ。
慣れない雪道で離されてしまった。
体力の消耗も激しい。
大丈夫か…。
パタゴニア極限レース141km。
選手たちが目指すのは優勝だけではない。
自らの限界と向き合うためにこのレースに臨む人もいる。
大会最高齢だ。
本職は弁護士。
仕事のかたわらハードなトレーニングを積み長距離レースに毎年出場しているベテランアスリートだ。
おっ!あえて危険な極限レースに挑み続けるオスカル。
もう駄目だ。
まだ走れる。
そのせめぎ合いの先に何かがあると信じている。
目標は完走だ。
パタゴニアの大地を駆ける極限レース。
トップは依然…97km地点にある補給ポイントに現れた。
ここまで一睡もしていない。
チャオ。
シーユー。
10分の休憩で再び走りだす。
鏑木が現れた。
体力を振り絞り山の下りでトーマスとの差を1分縮めた。
休憩を9分で切り上げ追走する。
トーマスとの差を更に1分縮め57分。
諦めない。
逃げるトーマス。
追う鏑木。
このあとレースは最大の難関へとなだれ込む。
延々と40kmも続く砂利道。
ここから疲れ切った肉体との最後の闘いが始まる。
スタートから14時間。
鏑木のペースが落ちてきた。
うっ…。
100km以上走り続けてきた事で全身の筋肉が細かく損傷しダメージを受けていた。
それでも走り続ける。
先を行くトーマスもまた異変を感じ始めていた。
5kmあとを走る鏑木。
肉体は限界に近づいていた。
駄目だ…。
昔の自分と…。
これからの自分。
今までの自分と。
不整脈でのリタイアから2年。
ここを乗り越えなければ次はない。
ありがとう頑張るわ。
レース最大の壁が近づいていた。
選手たちが呼ぶ神の領域だ。
神の領域。
それは自らの脳との闘いだという。
肉体を酷使し続けると人の脳は疲労や痛みという形でもう限界だという信号を出す。
体が完全に壊れるのを防ぐためだ。
神の領域とはこの脳からの信号にあらがって走り続ける状態をいう。
疲労はピークに達し意識はもうろう。
それでも前へ。
極限レースの終盤は脳が発する限界の更に向こう側へと進む闘いなのだ。
鏑木が歩き始めた。
様子がおかしい。
神の領域に…入った。
よし…。
よし…。
う〜!必死に足を動かすが意識は途切れ途切れになっている。
やめろという脳の声。
それでも走る。
そしてそれは突然起こった。
不思議な力が鏑木を後押しした。
限界を超えた男たちの戦いはついにフィナーレを迎える。
(拍手と歓声)トーマス・エルンストトップを守った。
51歳にして初めて大きな大会で優勝した。
(拍手と歓声)ゴールに迫る鏑木。
足取りは確かだ。
ラストスパートをかける。
この2年間乗り越えられなかった神の領域。
(拍手と声援)自分に打ち勝てた。
(拍手と声援)47歳鏑木毅。
2位でフィニッシュ。
やった〜!あ〜!あ〜!あ〜よかった。
あ〜よかった。
あ〜よかった。
極限レースのドラマはまだ終わっていない。
後続の選手たちも限界と闘っていた。
最高齢のオスカル。
85km地点であがいていた。
レース開始から21時間。
2度目の夜。
最後尾の選手だ。
体力気力ともに尽き果てる寸前だ。
ここにも限界と闘うアスリートがいた。
(寝息)アッ!ア〜!ウ〜!ア〜!鉛のように重い体を引きずりながら一歩また一歩。
ゴールを目指す。
彼らをそこまで駆り立てるのは果たして2017/01/03(火) 05:10〜06:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル選「神の領域を走る パタゴニア極限レース141km」[字]
南米パタゴニアの荒々しい大自然の中を不眠不休で141キロ駆け抜ける。道なき原生林、荒れ狂う吹雪…疲れ果てた選手を待つ「神の領域」とは。世界一過酷なレースの記録。
詳細情報
番組内容
南米パタゴニアの荒々しい大地の中を不眠不休で141キロに渡り駆け抜けるレースが行われた。道なき原生林、荒れ狂う吹雪、そしてレース終盤、疲れ果てた選手が陥る「神の領域」…次々と立ちはだかる難関を乗り越えゴールまでたどり着けるのか!?完走率30%、世界一過酷とされるレースに日本のトップランナー鏑木毅が挑んだ。47歳、選手生命をかけて走る鏑木を中心に、自らの限界を超えようとするアスリートたちの姿を追う。
出演者
【語り】仲村トオル