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書き起こし 徹子の部屋 真琴つばさ 2017.01.13

(黒柳)まあ今日のお客様のご幼少のみぎり。
可愛いお写真ですけど今とは随分違うという感じですけどもとてもお可愛らしい。
どなたでしょうか?元宝塚男役のトップスターでいらっしゃいます。
どうぞお入りください。
歌にお芝居にもう大活躍です。
最近はバラエティーのほうでもご活躍。
真琴つばささん今日のお客様です。
ようこそおいでくださいました。
よろしくお願いいたします。
どうもよろしくお願いいたします。

 

 

 


(拍手)ちょうど退団なさる間際にちょっとお仕事ご一緒にしてお知り合いになったことから大変お親しくさせていただいてあれからもう15年?17年ぐらい経ってます。
もうそんなになってますか?1999年が初めてでした。
そうですか。
すごいですね。
これ何だ?これ…。
これ退団の時に…。
そうそう。
私行ったんだわね宝塚までね。
宝塚までいらしてくださったんです。
そうそう。
このあと最終でお帰りになって。
そうそうそう。
これ宝塚の格好ですもんねあなたね。
ありがたいです。
そうそう。
それでしばらくしてから突然私はニューヨークへ行ってたんだけどあなたがあの時燃え尽き症候群になったのね。
そう。
退団して本当に…。
7月に退団して8月が燃え尽き症候群もいいところで。
本当に。
それで私がたまたまニューヨークへ行ってたんで「あなたニューヨークへいらっしゃらない?」って言ったら「行きます」なんてね。
そうなんです。
本当あの時お声掛けしていただいて初めてなんか外の空気を吸ったなと思ったんですけど。
宝塚ばかりだったから?でもちょっと荷物を空港間違えで送って黒柳さんを一日向こうで待たせてしまったという…。
そうだったんですっけね。
はい。
でも本当に何の用事があるわけじゃなかったからあなたはホテルで私は友達の家にいたのかな?それで朝ホットケーキ食べようってぶらぶらぶらぶらニューヨークを歩いてね。
でも本当に壁に当たったっていうような感じだったんですか?そうですね。
やめたあとどうしようかなとも思ってましたしちょうどあと…何となくそこからは勢いで来れたんですけれども人生半世紀を過ぎた辺りぐらいからいやあなんか自分がどの道に行っていいかわからなくて。
それまでは皆様の栄養ドリンクみたいな存在でいたかったんですね。
でいつか携帯カイロのようにあのね皆さんの心を温めるような存在になりたいけどどうやって変わっていっていいかわからなくて。
でちょうど今その時期なんですけど何かちょっと変えたいなって思うのとあとご縁があって宝塚の大先輩の越路吹雪さんの歌をよく歌わせていただくことがありまして。
そうなの?なのでたまに迷った時に「越路さん!」って頼ったりして。
私越路さんは親しくてよく越路さんの歌いっぱい聴いてたじゃない。
ミュージカルも一緒にしたりなんかして。
越路さんの歌とすごく似て…。
ちょっと聴いてみますね。
岩谷時子さんのメモリアルコンサートっていうので『ろくでなし』ってこれ越路さんもよく歌っていらしたんだけどあれのVTRがあるんですって。
いやあ!ちょっと見せていただいて…。
初めて。
「古いこの酒場でたくさん飲んだから」「古い思い出はボヤケてきたらしい」「私は恋人に捨てられてしまった」「人がこの私をふだつきと云うから」「ろくでなしろくでなしなんてひどいオーウィ!」「云いかた」よくでもあれですねちょうど音域が合って…ちょうどいいところなの?実は越路さんより低いキーなんです。
そうなの?でも高いところ同じように聴こえますよね。
なんか声がちょっと似てるって仰ってくださったことがあってなんかそう思われると色んなことがこう…勇気を与えていただけるような気がして。
でもみんなに似てるなってこの頃言われるようになった…。
前はそういう感じなかったですもんねあなたね。
そうですか?そういう越路さんと似てるなとかって思ったことなかったんだけど最近の曲聴いてるとあれ?越路さんに似てるなって。
みんなもそういうふうにね仰るって聞いたので。
ああ良かった。
だったらいいねあんな歌のうまい方にね似てるって言われたんだから。
去年除幕式…。
三十七回忌だったんですね。
越路さんの歌碑ができまして参加させていただいたんですけれども。
実際に生前の越路さんにお会いしたことがないんですよ。
で高校時代にインタビューされてる越路さんしかお会いしたことなくて。
きっと黒柳さんはたくさん共演なさってるんですよね?じゃあこちらにも出ていただきましたんでちょっと今日越路さん『徹子の部屋』…。
ただ越路さんはね申し上げておきますけど顔がねこっちの顔とこっちの顔がものすごく違うんでこっちの顔じゃないと絶対駄目っていうね…こっちの顔。
だから場所…座った場所が変わってますからちょっとびっくりなさらないで。
でも本当に越路さんってこういう方だったんです。
ちょっとご覧ください。
可愛い…。
「パリでピアフのリサイタルをご覧になったのがとても大きな…」「あれがやっぱり…」「最初に1人で行った時とそれからその次の時も見れたんですよね」「昭和28年…。
25〜26年前にいらした時にピアフのをご覧になってとてもなんか大きな…」「要するに観客の立場でやっぱり人の歌を聴いて自分自身の…歌い手としていくべきかどうかっていう自分の心の確かめ方っていうかなんかそんなものよね。
感激して…」「1人だったから余計だったかもしれない」「日記をお書きになったでしょ?その時」「でも日記書いて今見ると何となく…ねえ」「私知ってるの。
その日記何て書いたか」「“悲しい悲しい”って書いたでしょ?」「悲しかったんじゃない?じゃあたぶん」「“パリに来て初めて1人で”…」「いいわよ」「その時はまだご主人は…?」「1人ですよ」「あなた様ご主人様いらっしゃらなくてお一人で?」「でもその時にあれですか?やはり歌手としてこれからやっぱりやっていこうっていうような…」「深い気持ちはその時やっぱり持ったのかもしれませんね」「その時が一番ね」「だけど歌い手だけでなくやっぱり女優としてもやっていこうという気持ちもあったんですけどね」「今のところはちょっと歌い手ですわね」いやあなんかお二人の間柄になんか涙が出そうになっちゃいました。
とても可愛がってくださいました。
なんで「泣いて泣いて」…。
日記読まれたんですか?違う。
あれは話聞いたの。
ああお話…。
うんパリでね。
そういう話…そういうことを言うと恥ずかしがるのすごく。
「やめてやめてやめて」って。
すごくお可愛らしかった。
でも今この左半身だけってお顔は…。
いつも私そうなんです。
こっちだけなんです。
あなたもそう?今日は特別にこっち分けにしてきたんです。
越路さん緊張なさるとよく背中に「虎」「虎」…。
あれも本当に緊張魔で。
じゃああとで書いてあげますよ。
お願いします。
でも自分で誰も書く時いない時には尊敬する方の名前を書いて飲むといいっていうんで書いたことあるんですけど緊張しましたかえって。
でも岩谷時子さんがねいつもマネジャーだったり作詞だったりする時必ず岩谷さんが背中に書いて。
じゃないと出ていかれないっていうねもうすごい気弱なところ…。
出ちゃうとねいいんですって。
出るまでがね大変で。
何回も舞台一緒にしましたけどね。
でもちょうどあの頃の…あのねあれは今ご覧になった2年後にね越路さん亡くなるんです。
夢にも思ってませんでしたけど。
であの頃の越路さんはね五十いくつだ?あなたもなんかそんなぐらいなんですって?そうですね。
56ぐらいで亡くなられてたはずなんで。
そう。
だから54ぐらいかな?あれ。
53〜54。
そうか。
もうすぐですね。
もうすぐ?じゃあ同じぐらい?だから私たちOGっていって越路さんのご遺志を継ぐためにも越路さんが歌えなかった…亡くなられた年から先の思いも伝えていけたらなぁなんて…。
真琴つばささんは品川の辺り…?はい。
旧東海道の商店街の小さなお化粧品屋さんで生まれました。
あっ可愛い。
あら可愛い。
可愛いわね。
可愛い時代もあったんですね。
可愛い。
男の子か女の子かわからないけどすごい可愛い。
生まれる前に男の子だと思って「タロウ」って名前付いてたんです。
そう。
本当?お父様?父ですね。
随分また俳優さんみたいな顔だわねお父様。
ちょっと藤田まことさんに似てらっしゃる。
「似てらっしゃる」…。
似てるって言われてたんですけど。
これ大きくなったあなた?あら可愛い。
そうです。
これ祖母ですね。
あら可愛い。
一人っ子だったのでおばあちゃん子で…。
でもおばあ様奇麗ねお顔ねやっぱりね。
なんか品川娘みたいに言われてたらしいんですけど。
やっぱりね。
今でいえばミス品川。
当時はね…。
小町とか言いましたね。
そうそう。
これさっきね。
相当の線いってるわよこれあなた。
私どうもね写真撮られるの嫌いなんですよ。
膨れてる。
膨れてるんですね。
今では想像もできないぐらい膨れてますよね。
でもまあちゃんとおばあ様だの何だのが可愛がってくださって…。
これは可愛い。
これ可愛いです。
可愛い写真もあるんです。
大概白黒なんですけれども。
時代が時代だからね…。
ねえ。
本当に。
なんでこういうところから宝塚に入ろうって思ったの?小学校の時に親友に誘われまして『ベルサイユのばら』を見たんです。
でそれではまりましてあっここに入るんだって決めてそこからまあ両親の…家族の反対もありましたのでこそくに高校に入ってから徐々にお稽古を内緒で通ったりしてました。
そうなの?話違うんですけどこの間私芝居やったらあなた見に来てくださってその時に私と一緒に…。
麻実れいさん。
そう。
あの方…。
それがすごかったんですって?まさに私が初めて見て惚れ込んだのが麻実れいさんで。
その麻実さんと大好きな黒柳さんが共演なさってる…夢の共演と思って。
楽屋に行ったら今度麻実れいさんともう名コンビだった遥くららさんがいらっしゃって。
この楽屋でも夢の共演があるみたいなもう。
大変でした心の中は。
それ知らなかったです。
そうですか。
そうなの。
私そしたらねとても…。
その時写した写真ねこれね。
そうですそうです。
そうそう。
これ普段のあなたですね。
そうですね。
その時ねそしたら…。
でもその方があなたが初めてご覧になった『ベルばら』。
はいそうなんですね。
もうそれでお化粧についてはどんなに濃くても化粧品屋の娘だったので全く抵抗なかったんです。
驚かない?はい。
これ子供の時?そうですね。
ちょっとおませな。
可愛い。
あら可愛い。
なんかやってるのねもうね。
ちょっとずつこう目覚めていってるんでしょうね。
本当ね。
可愛いわね。
お風呂上がりで。
お風呂上がりで。
なんかしな作ってる感じがちょっとしないじゃないけど。
周りはたぶんねお店のなんか台帳とか散らばってるんですね。
もう恥ずかしい。
面白い。
こういうちっちゃい時代だったのね。
でもまあ一人娘だったからみんなに可愛がられて?はい。
それは良かったですよね。
そうですね。
写真もたくさん撮ってもらいましたし。
でもあなた宝塚にお入りになるって言ったらお父様何て仰った?大変だったんでしょ?「うちの家から芸人を出すことはできない」って言われて。
芸人…。
芸事をするということなんですけど。
受験当日に両親そろって仏壇に手を合わせて「どうぞ落ちますように」って言って拝んでたらしい。
だから1次受かった時に「もういいだろう」と。
「もうこれでやめなさい」って。
1次受かって…ねえもう2次行かなかったら…。
「だったら私は学生ローンを借りてでも行きます」って言ってで1人で受けに行きました。
なんかアルバイトもしてたって。
私ね知らなかったんだけどあなた巫女さんのアルバイトしたんだって?巫女さんもしました。
どこで?友達が近くに住んでて。
ここにこういう毛つけて白いお着物と赤い袴で。
赤い袴。
そうそうそうそう。
あと「いらっしゃいませどうぞ」「こちらに揚げたてのポテトあります」みたいな。
そうなの?そういうのもやったの?そう。
自分でアルバイトをしてお稽古代払うわけなんですけどなんか皆さんピン札…奇麗な新札を出すと…もうくちゃくちゃなんですよ千円札が。
先生たちのところに出そうとすると?そう。
お月謝出す時に…。
なんかそれがすごい悲しくて。
でもこれが自分の精いっぱいって思ってたのをすごい思い出しました。
そうか。
アルバイトでもらったお金だからくしゃくしゃなのね。
くしゃくしゃなんです。
みんな1万円で払うところを千円札で払ったりなんかして…。
そうそうそう。
でもまあ反対は受けましたけど入学して今から大阪行くよっていう時に車で送ってくれたんですね。
お父様?はい。
父がぽそっと「お前は自分の夢を叶えたな」って言われて。
それがなんかすんと入ってきてあっ許してくれたんだ。
でもそこから何となくでもこう亀裂が入ってるような感じがしてなんかこう狭間ができちゃったんですねいつの間にか父と。
そう…。
なので初舞台公演も見に来てくれたしその後数年まだ…。
もう亡くなって30年経つんですけれども。
早く亡くなったんですってねお父様って。
そうなんです。
宝塚入って3年目か4年目かな?そんなに早く?はい。
でもそれを見に来たのを知らないんです。
「見に行くよ」とも言わずにただお友達がお家に遊びに来てると父が「この間」…。
マナミっていうんです。
「マナミの舞台を見に行ったんだよ」っていうのを友達に喋ると私はそれを聞いて父親は来たんだなっていう…。
あなたマナミっていうの?マナミっていうんです。
大体ちょっと芸名みたいな名前だね初めからね。
お父様は何歳で亡くなったの?58です。
ああそう…。
はい。
じゃあその後の大活躍…月組のトップスターにおなりになったところは…。
知らないですね。
で本当やめてからかな?走り抜いていた時はあんまり色んなことを考えなかったんですけど徐々に周りが見えたりとか家族のことを考えた時に…なんか車を運転しててお知り合いの方ともちろんイヤホンで「久しぶり」なんていう電話がかかってきた時に「実はお父様ね宝塚に行っちゃった時に“マナミはもうお嫁に出したつもりでいる”…」ってぽそっと言われた時に何げないよく聞く言葉なんですけどなんかぽろって涙が出てきて父親のことを考えてなかったんだなって。
自分の入りたいとかねやりたいっていうことだけだったんだね。
お父様…。
これ親子関係?これ小学校の卒業式なんです。
あなた可愛いわね。
すごいいいところのお嬢さんみたいな格好してる。
そうですか?一張羅で買っていただいたんですけど…。
買ってもらったんです。
何敬語を使ってるんでしょう。
でも考えたらこれが…父とちゃんと撮った写真が最後なんです。
そうなの?反抗期がやって来たんですね。
そう。
でも可愛いねやっぱりね。
相当可愛い。
お父様どんなにか可愛かったでしょうきっとね。
なんかそれをお互いに口に出せずに終わっちゃったんだろうなと思って。
ああ悪いことしたっていう思いはすごくありますね。
でもどこかでその後あなたの大活躍は見ててくだすった…。
そうですね。
ではいよいよ歌っていただきたいと思います。
しかも皆さんのよくご存じな『酒と泪と男と女』を歌っていただきますので。
はい。
よろしいですか?ちょっとコマーシャルです。
それでは真琴つばささんに河島英五さんの『酒と泪と男と女』歌っていただきます。
どうぞ。

(拍手)どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
緊張します。
でも「虎」って書いたもんねさっきね。
黒柳さんに書いていただいてどうにか…。
でもあれですよねひと頃ちょっと随分あなたのコンサート…やめてからね笠置シヅ子さんやったり色んなことをやってたのを拝見してたんですけど。
それからくると随分歌上手になったしそれから本当に越路さんに似てるなって。
だけど越路さんだったら似てても嬉しいぐらいなもので…。
もう嬉しいです本当に。
本当ね。
でも途中から私今の…越路さん風になってから聴いてないから。
ある日ああいうのを思い付いたの?どうなった…?ポンッとこう出てきたんですね。
声の出し方が全然違うもんね。
はい。
ちょっと低音なので低音を生かせるようにしていきたいなと思いまして。
そう。
はい。
河島英五さんの『酒と泪と男と女』を歌っていただいたんですけど。
そう。
こういう歌も歌えるもんねそうすればね。
昨年出した『眠れない夜にあなたのそばにいたい』っていうソロアルバムが本当に低音で皆様のちょっとそばにいたいということで…。
すごい。
これなんか随分色んな方のカバーなんですって?はい。
70年代を中心に去年お亡くなりになられたりりィさんの『私は泣いています』とかも歌わせていただいて。
なるべく携帯カイロみたいな人間になっていきたいなと。
そうですか。
みんなをほっこりとさせるというようなね。
でもそういうふうな感じがしましたよさっきのね聴いてたらばね良かったと思いました。
黒柳さん随分昔のお約束なんですけど…。
何です?変装をして横浜の中華街へ行きましょうっていうのがあったんです。
馬鹿みたい…。
本当?行きましょう。
いつか変装をして。
行きましょう。
別に私この頃何でも平気でこれで行っちゃうのよ私は。
そうなんですか?でも私はいいんですけど一緒に行った人が見られるからね。
なるほど。
いいですよ変装をしても何しても。
行きましょう。
ぜひとも。
えーとコンサートがあるんだ。
そうなんです。
2月13日にこのアルバムを元にライブをヤマハホールで…。
石井さんなんかやっていらしたもんね。
シャンソンの…歌った時にアンコールで『サン・トワ・マミー』歌ったんです。
なんかこう越路さんへのリスペクトの思いを込めて…。
なんか違いますね。
そう?あの響きと思って。
なるほど。
ヤマハホールって銀座にありますあそこでおやりになるそうです。
ところがあなたここのところ3回ぐらい連続してなんかすごいケガしたんだって?何なの?それ。
もうね半年おきに3回顎を6針縫い…。
どうして6針も縫って…?これはベニヤ板につまずいて向こうまで飛んでいって切ってしまい。
でその半年後におばあさんの格好をして立ち回りの稽古をしたらドレスが広がらなくてそのままバンとぶつかって唇を2針縫って歯が…前歯が折れ。
その半年後にセットに当たりここを切り…眉間…切り。
縫ったの?それで。
ここは縫わなくて済んだんですけどまた歯が欠けて。
でもあなた歯が欠けたらみんなびっくりしちゃうでしょ?一緒にいた人は。
舞台稽古だったのとおばあ様の役だったのでちょうど良かったんです。
ハハハ…。
前歯が折れたの?はい。
全部ぼそっと折れて。
ここ血で…。
でもこの辺血付いてたりする役だったのでちょうど良かった。
本当に?すごい役やってるのねあなたね。
はい。
そう。
でも本当にご活躍でね本当に良かったです。
ありがとうございます。
ますますお磨きになって…。
はい。
まあやっぱり歌があなた似合うと思うので…。
そうですか?一緒に旅ができたらいいけどね。
ぜひともよろしくお願いします。
横浜行きましょう。
ぜひとも。
真琴つばささんでした。
ありがとうございました。
2017/01/13(金) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 真琴つばさ[解][字]

〜50代で人生に迷い…“憧れ”越路吹雪さん(秘)映像〜真琴つばささんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
宝塚月組トップスターとして活躍、退団後も舞台にテレビにと活躍する真琴つばささんがゲスト。
◇番組内容
真琴さんは50代に入り「今までと同じ自分ではダメだ」と悩んだ時、宝塚の先輩・越路吹雪さんの生き方に励まされたと語る。今回は39年前に越路さんが出演した際の貴重なVTRを公開する。宝塚入りを反対していた父を振り切り芸能界に進んだ真琴さん。入団後、数年でその父が亡くなった。父との仲に亀裂が入り、和解しないまま死別したことを長年後悔していたが最近知り合いから当時の父の心境を聞き、その親心に号泣したと明かす。