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セリフ書き起こし サワコの朝【三田寛子▽苦しい時こそ笑って】 2017.01.14

(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは梨園の妻となって25年。
銀婚式も終えられたそうです。
ほんとにすばらしい奥様すばらしいお母さんになっていらっしゃる三田寛子さんです。
おはようございます。
よろしくお願いいたします。
どうも。
今ちょうど…。
ええ今この1月はですね芝翫襲名橋之助福之助歌之助のもう4人の襲名を…。
大阪の松竹座での公演なんです。
もう見事に本当に成駒屋の広報マンとして。
いやもうたくさんのお客様が来てくださって「寛子ちゃんよく頑張ってるね」とか「今日いいお芝居だったわこれからも…」ってもうね愛情のシャワーを毎日受けちゃって私一人もう元気いっぱいすぎちゃって。
あっもう元気いっぱい?はい。

 

 

 


(ナレーション)今日のゲストは15歳の時TBSドラマ「2年B組仙八先生」でデビュー。
全然。
そやけど私東京の一流高校にいくために京都から引っ越したんや。
その後はアイドルとして歌番組やバラエティー番組などで活躍。
・16だから恋初め人気絶頂の中歌舞伎俳優の中村橋之助さんと結婚し周囲を驚かせました。
そして現在は梨園の妻として今年12月まで続く歌舞伎界初の親子四人同時襲名披露興行を陰で支えています。
そこには特別な思いが…。
襲名というのはまあ現実的にはほんとにお客様をいっぱいにしなくてはいけない。
だから今日は歌舞伎一家を切り盛りする三田さんの笑顔の裏にある強さにサワコが迫ります!さっきもおっしゃってたけれども襲名披露公演っていうのが去年の10月から始まって。
あの…口上っていうのがあるでしょ。
あれをお父さんとご子息長男橋之助さん福之助さん歌之助さんと並んでなさった時のお母様の気持ちってどんな感じでした?聞いて。
もっと感情がわあ〜っと湧いてきたりいろんなことがあるのかなと思ったんですけど自分でもびっくりするぐらいにすごくその時は冷静にほんとにこの日が迎えられてもうありがとうございましたっていうすごく冷静な気持ちで迎えられたんです。
ただその逆に歌舞伎座の舞台稽古の時に主人も含めて家族の頑張ってる子たちがそこの舞台稽古で…ほんとにそれを初めて私が見た時にもうひとしきりになんか感動してうわ〜って一回自分の中でなんかこう出ちゃったっていうか泣いちゃってこううわ〜っていうのがあって。
でキュッと締まって初日を迎えたって感じで。
もう泣いても笑っても今日が本番の初日ですよっていう。
だからこう感情に浸ってるような浮ついた気持ちではいけませんって自分の中でもそういう何かがあったのかすごく冷静に終わりました今日初日をどうにか迎えられましたありがとうございますっていう気持ちでしたね。
またね蒸し返すようでなんですけれどもその初日を迎えられるちょっと前にちょっとした騒ぎがおありになって。
やっぱりパニックにはなられたでしょ?あの記事が…スキャンダル記事が載った時は。
いやもうとにかくまあ今こうなっていろいろねあの時はどうでしたかと聞かれることもあるんですけどほんとに必死だったんですよね。
例えば旦那様に向かって「何よ!」とか「ひどい!」とかそういう気持ちは起こらなかったんですか?いやもうひどいとか何よとか言ってるレベルではなくって目の前に襲名があるんですからまずはこの襲名をきちっとしないと…。
そっちの方が大きく。
家族の細かいそういう感情とか細かいことよりも人様に迷惑をかけちゃいけないことまずそれをきっちりしてから次でしょっていう気持ちももちろんあったのかもしれませんけど。
襲名っていうのはまあ現実的にはほんとにお客様をいっぱいにしなくてはいけない。
だから成駒屋としては私がやっぱり妻としての仕事で一番大事なのはお切符を1枚でも多く売ることイコール客席を埋めなくては。
もう満員で大入り満員にしなきゃいけないっていうこう使命がやっぱり一番ではあるんですね。
いやだから主人のことをそういう感情的に考えてることはびっくりの方がおっきくて。
そのことを考えると逆に生きていけないぐらいなんかそれを今考えてたら私一歩も前に進めないかもっていう思いに駆られて。
まずは一つずつこのやらなくちゃいけないことを一生懸命やってるうちにいろんなことが見えてきたり分かってきたり自分の気持ちが整理できるのかなっていう思いだったんですね。
ですからもうほんとにあの…いろんな方がご心配くださって。
結局はもうほんとに大変お恥ずかしい…。
私が会見っていうかたちではないにしてもこう取材陣の方に対して私の言葉で言うっていう…。
あの時のその雨の中でねビニール傘をあの…あれして皆さんへの対応を見た時に奥さんの感じいいっていうかよくしっかりしてるっていう…。
ええ〜でもねほんとにね私ねそんなふうに言っていただいてもう…もう恥ずかしいぐらいで。
あの時ほんとにあの〜そこでおじぎだけして来てくださった方に対応をして「ありがとうございました」かまあひと言ふた言言ってちょっと襲名の事務方の仕事がいっぱいあったんで入んなきゃいけなかったんですけど…。
家の中にね。
なんかフッとね見たら女の記者の方がもうずぶぬれになって「三田さん!三田さん!」って言ってる姿を見て私こんな「どうも」ってだけでは入れないって。
おんなじお仕事をしててどれほどスタッフの方が大変な思いをしてこの現場に仕事としていらしてるかと思ったらあっやっぱりここは私一生懸命お話をしようと思ってしゃべりだしたらしゃべり過ぎちゃった。
ふふふっ。
あははっ!ねえ阿川さん私しゃべり過ぎちゃうの止められないでしょ?いやいやそこが愛らしいんですよもう。
心配になっちゃうんですよ。
でも子供としてだってやっぱり動揺なさると思うんですよこれから僕たちも襲名するのに一体なんの騒ぎなのっていう。
子供たちはもう記者の方がいきなり来たんでなんかあったの!?みたいな感じでしたから。
もうほんとにそれはそれはもうほんとに子供たちには一番申し訳なかったなと思いましたし。
もうとにかくあの〜主人と私がこう話をするにしてももうそれはお母さん夫婦の話としてまあしてもらってもいいんだけどゆっくり違う所に行って話して。
ただ僕たちがいるからとか子供がいるから…子供だっていうことを理由に答えを出したりしないでくれって。
それはお父さんとお母さんの人生だからお父さんとお母さんがいいようにっていうことを言ってくれましたね。
へえ〜。
お父さん分かりますか?お母さんがどんだけ傷ついて悲しい思いをしているか…。
詳しいことは分からないけれどもまあ子供なりにお母さんを気遣ってまあちゃんとお母さんに優しくしてくださいみたいなことを言ってくれましたね。
もう〜驚きですよね。
いや…まあそれだけね子供が成長するっていうなかにはその分親が頼りなかったり一生懸命頑張ってるつもりでもふだんはドジだし失敗ばっかりして怒られてばっかりだし。
そんな私ですからきっとそういう反面教師も含めていろんな学びを家庭の中でしてくれてるんだなって思いました。

(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
だいぶ慣れてきたぞ。
意外とできるのね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
和食の厳選レシピが50種類選べるレンジ。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
どう?なかなかのもんだろう。
ふふっご自分でおっしゃるんですね。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」じゃあちょっとここで2曲選んでいただいてる1曲目三田さんにとって今でも記憶に残っている1曲は?あの〜菅原都々子さんの…。
・月がとっても青いからっていう曲。
おお〜上手。
そのままだったんですね。
タイトル知らなかったんですよ。
これはどうして思い出になるんですか?うちの実の母が…。
京都の。
ええ京都の。
お台所でこうなんかタンタンタンタン切りながら「・月がとっても」ってこう歌ったり鼻歌を歌ったり歌がとっても好きな人でよ〜く聴こえてきたんでもう耳になんか…母といえばこの曲がふわ〜ってこう出てくる感じなんですね。
もう他界してしまったんですけど私にとってはもう母っていう存在が…芸能界に来たのが15歳で東京に参りましたので親元を離れて。
常にやっぱり母っていう存在が心のオアシスみたいな気持ちもあったし私が知ってる中で誰よりも優しくて誰よりも強くてほんとに頑張って人生を全うした人だと思うんで。
これやっぱりラブロマンスの歌でねお父様のことがすごく好きだったのかなっていうイメージがあるんですけど勝手に。
私も勝手になんですけど…。
あとちらちらって聞くところによるともう10年つきあって。
あらそうだったの。
大恋愛で結ばれたみたいです。
やっぱりこれはねお父様とお母様がね…。
私感動してなんかこう夢をいとしく抱きしめて2人で帰ろうってほんとに2人で夢を見てね頑張ったんだなと思うともっと親孝行したかったって思いますよね。
したでしょでもちゃんと。
いやほんとにもう母への感謝はもっともっとできたのになと思いますね。
でも15歳で東京に出ていらしてアイドルになってそれだって大変だったろうしお母様としてだって15歳の娘を京都から東京に出すのは…。
いやもう私絶対反対されると思って。
厳しい家だったので…。
厳しい家だったんですねやっぱり。
厳しくて厳しくて。
もうほんとに父は厳しいから怒ると…まず泣くと「なんで泣いたんだ!女はずるい泣きゃいいと思ってんのか!ちゃんと自分でいけないことを反省して謝ってきちっとお話をしてから人のいないとこで泣け」って言ってそういう父だったんですよ。
だから私最近ほんとよく泣いちゃうなって昔泣けなかったからだと思うんですよね。
ほんと泣いちゃいけないって言われて育って。
だからもうほんとにあの〜東京に出てきてからもつらいことがあっても泣く時は寮のシャワーをぶわ〜って出してシャ〜って音を消してうわ〜って泣きなさいって言われて。
かわいくないな女の子でね…隣の子はうえ〜んとか言ってかわいく泣いてるのに私は泣いちゃいけないんだって。
んっ!って歯食いしばれみたいなねそんなことを言われてかわいくない女子だとは思いつつも父親の教育はその根性が悪そうな女の子に別にしようとは思ってなくてやっぱり泣き言を言う前にきちっと謝ったり…。
泣いて逃げるなってことなのね。
そういうことを言ってて。
ただ女の子は常に笑顔を…朗らかな笑顔をこうふわってあふれ出さないといけない。
それはもう絶対に心に女の子だったら思っていつも暮らしなさいっていうことも言われました。
(草刈)連れてけって言うから。
(友人)来たかったのショウルーム!10年も?
(コンシェルジュ)ファンそうじがいりません。
え〜!10年も!?泡で!?自動で洗ってくれるんです。
え〜!泡で!えっ?酸素?酸素を含んだミクロの泡でぽっかぽかになるんです。
ぽっかぽか〜。
リフォームしたくなっちゃった!私よりこだわるかも。
お任せください。
(ナレーター)リフォームはパナソニック。

(娘)《久しぶりの実家だった》
(父)みんなで食べるとおいしいよなぁ!
(母)いつもはこんなに食べないのよ。
そうなの?
(ナレーター)愛する家族に贈りたい家電があります。
2人分でもかまど炊きのおいしさに炊き上げる炊飯器。
パナソニック「Jコンセプト」最高だよ炊飯器!ふふ。
また食べに行くからね。
15歳の時におうち出られたからあれだけどもお父さんとお母さんの価値観っていうか教育方針っていうのはご自分が親になった時に影響してるなって思うところはあります?いやもう私たぶんもう…もうすごいほとんどその影響を受けて子育てしてて。
主人は忙しくてやっぱりあの〜歌舞伎の師匠としての面が強くてその師匠としていっぱい厳しく叱ったりつらくさせなきゃいけないことがもう目に見えてこの先もあるって分かってますので主人は最初から子供は怒りたくない褒めて褒めて育てたいって。
お父さんね〜。
優しくしたいんだって最初から頼まれて。
じゃあ…。
怒る担当は私に全部やってくれってことですか?っていう。
子供にはほんとに…。
雷親父…。
親父の役もやってて。
だからどっちかっていうとお母さんっていう雰囲気よりお父さんみたいな家の中では…。
怒ってたんですか?怒ってもう「お前んとこの母ちゃん怖ぇな」って。
国生のお友達が家に来た時にしばらく来なくなっちゃって「なんで何々君来ないの?」とか言ったら「いやさお前んとこの母ちゃんすげぇ怖いな」って言われてみんな寄りつかなくなっちゃったって言われたんですよ。
へえ〜!でも「銀婚式」っていう本をお出しになってあの中に書いてあるのが傑作だと思ったのが男の子だからね女の子よりも更に反抗期っていうのがいずれ来るだろうと。
それを母親としては覚悟をしていなきゃいけないっていって思った時にご長男がようやく来たんですね反抗期がね。
来たんですよ。
なんかのことが口論になってうお〜!って私のこう…この辺にぐわってつかまりかかるように来たんですよ。
まあそのころまだ小学校6年生でかわいい熊みたいだったんですようちの子太ってたから。
ちょっとご長男ちょっと太ってたのね橋之助さん。
でぐお〜って来て正直うわっと思ったんですけどその時一生懸命勉強を前もってしてて。
何を勉強?反抗期にどういうふうに親が対応したらいいか。
いろんな本を読んで?いっぱい読んだんですよ。
である本にまず男の子が反抗してきて暴力をグッと振りかざしてきた時に親としては絶対にその暴力にひるんではいけません。
ひるんではいけません。
そこでひるんであっ!って母親なんか特になりがちですがそういうことをすると助長して家庭内暴力の始まりですって書いてあったの。
でうわっ来た!って内心ちょっともうやった来たぞ!みたいななんかその来たことにちょっと感動を覚えながらよっしゃと思ってこっちの…やったことないですよ女の子だから。
でも国生の胸倉をグッとつかんで…。
よくケンカの本も読んでみたんです。
こう上げたら1回ねじり込んでこう上げるとか書いてあって。
ケンカの本も読んでたの。
こうやってそのまま壁にドンとかいってみた。
壁ドンしたんですか。
うん壁ドン。
それででもやっぱり私の力なんか大したことないんですよどんなに頑張っても。
とりあえずそれ以上国生が来なくてその次の日から一切もうなんか反抗期が終わったような感じになって。
あっという間ですね。
それで国生に後々聞いたら私がグイってやった時にやっぱりやわだったんですって。
その時にあっ女の人の力ってこうなんだなこの弱い力を守るために自分は力を持って男として生まれてきたんだって思ったんですって。
小学校6年にしてそれを悟ったの。
後々なんとなく感じたことをたぶんこうまとめたのかもしれませんけど。
だからよかった本読んどいて。
(一同)あははっ!勉強の甲斐がありましたね〜。
ねえ〜。
ちょっとねその3人の大事な大事なお坊ちゃまの貴重な映像がありますので。
それをご覧いただいてなんと思われるか。
実は3人の息子さんたちに事前に三田さんについて話を伺いました。
お母様が昔歌手だったっていうことを認識したのはいつごろなんですか?
(橋之助)いろんな方にものすごく言われて。
ご飯をそれこそ家族で食べに行ったりしたりする時に「昔お母様のすごくファンで」っていうことをすごくいろんな方から言っていただいてそれでどういうことなんだろうっていうのでだんだんだんだん気づいていったというか。
だんだん気づいていった?で宗生君は?
(福之助)いや僕は母親とカラオケに行った時に歌われて。
(橋之助)ふふっ。
お母さんと一緒にカラオケ行ったの?
(福之助)2人の時に歌われて。
僕は歌があんまりうまくなくてただ叫んでるだけで。
そしたら「こうやってやるのよ」ってなんか自分の曲を入れて歌いはじめて。
マジ歌ってたんだって。
その時初めて知ったの?
(福之助)その時たぶん初めてですね。
そんな息子さんたちに三田さんのアイドル時代の映像を見ていただきました。

(三田・スタジオ)笑ってる笑ってる。
どう思うんでしょう。

(福之助・スタジオ)今もこんな感じで歌ってる。
こんなにちゃんとお母様の歌を聴いたことは…。
(橋之助)初めてです。
(福之助)初めてですね。
私から拝見すると変わらない。
(橋之助)あんまり…息子が言うのも変かもしれないですけど変わらないなと思いました。
ねえ変わらないですよね。
で実際に聴いてみていかがですか?
(橋之助)いかがですか?16歳だったんだぞ。
(橋之助)かわいかった?
(歌之助)うん…。
(橋之助)あははっ!ああ〜。
ねえ〜。
昔アイドルだったんだぞってうすうす分かっていたけれども。
言わなかったんですか?あえて言ったことないですね。
ただ思い出すと私15で東京へ出てきて仕事を始めたもんですから15の時には3人とも呼んでしゃべりました。
お母さんは15でお仕事を始めました。
親元を離れて1人で寮に住んで頑張ってきた。
だから15歳がうちでは一つのポイントでそのあとほんとの成人式が来る。
だから15になってからはほんとは一緒に…一緒の部屋で寝たいとかもっともっとくっつきたいとかいろんな思いはあるんですけど私の中でも15歳で一旦は線を引いてこう背中を見てあげなきゃって。
なるほど。
結構あれ始めるこれ始めてみたいとか何年後にこれを目標達成させたいとか考えるのはお好き?大好きなの。
40代は毎年新しいことに10個以上は10年間で挑戦しようって予定を立ててたの。
でいろんなことを…。
何やったんですか?あのねいわゆるフラワーアレンジメントとかハーブソムリエとかアロマテラピーとかあとこうマッサージも行って…なんだったら池袋でアシスタントとして働きませんかって言われたぐらいこういうマッサージのところも行って。
役に立つ立たないはともかくとしてまあ全部修了書レベルで大したことないんですけど…。
一応修了書は…。
一応修了書はちゃんともらいたいからそこまでは頑張って。
七代目芝翫さんがお亡くなりになった時…芝翫さんは競馬がお好きだったんですか?
(三田)そうなんです。
競馬も始めたんです。
あははっ。
うれしそう。
もっと早くにちゃんと始めてお義父様と一緒にお勉強すればよかった。
一緒に行かれたら大喜びだっただろうに。
その時分かんなくてほんとに冗談みたいな話なんですけど私こう見えても結構冗談なことも真面目に考えてやってる時が多くて…。
そうでしょうね。
父が亡くなって私何ができるかな。
成駒屋…お義父様が亡くなってはっ競馬…って思っちゃったんですよね。
それで?でネットで調べたら府中の競馬場で初心者コースっていうのが2回通うのがあって朝から一日中あるんですよ。
一から競馬の…。
教えてくれるんですか?そうなんですよ。
テキストもあって…。
競馬スクールなわけね。
教習所みたいにちゃんとサンデーサイレンスっていう馬がこういう歴史がこうでイギリスがこうで。
それでそういう歴史をひもといたお勉強のあとにジャ〜ンって競馬新聞の読み方予想のしかた馬の血統について。
でおもしろくなっちゃって。
お義父様があの〜賭け事とかゲーム以上に競馬を愛されてた意味がすごく分かって。
馬の血統のお話とかを瞳を輝かせて私によくしてくださったんですよ。
やっぱり歌舞伎もこう血筋も大事だしやっぱり血っていうもので癖が出たりいいことも悪いことも出るとかあとよく「第3コーナーでなむち打って走るような馬じゃ駄目だ!もうズドンって先行馬でグンと走り抜いてゴールそれが強い馬なんだ」って何言われても分かんなかったのが今全部分かるから…。
あははっ!ついつい子供に「あんたもうねそこでパンパンパンってむち打ってね命からがら追い込んでいくような馬じゃなくてもうエイシンヒカリみたいにぶわ〜って走っていきなさい!」とかってねついでに言っちゃうんで子供に。
そしたら子供が「はあ〜?ちょっとお母さんやめなよ。
そんな…」って言われてちょっと注意を受けております最近。
へえ〜。
もう一曲選んでいただいている「今、心に響く曲」は…。
(三田)私これずっとなんですけどレミオロメンさんをレミオメロンって読んじゃって「あらおいしそうなアーティストさんが出たの〜」って言っちゃって子供に怒られてそれで子供から教えてもらって出会った歌なんですけど「3月9日」。
ちょうどもう卒業シーズンでよく学校や何かでもみんな歌ってるんですが…。
じゃあ時々聴いていらっしゃるんですか?いやもう毎日のように聴いちゃう。
自分をリセットするっていうか取り戻したいっていうんですかね。
何かこう自分がぶれそうになったりなんか不安になった時にこの曲を聴くとスッと自分のもとの位置に戻れるって…。
やっぱり私にとって日常の暮らしっていうものがあるから自分がここに立ってるんだなって。
なるほど。
いい歌ですよね〜。
さりげない静かな…。
これが日常だなって思いますね。
だって洗濯物干してたら本当につむじ風ぐわ〜ってなったりああお月様お昼間出てるとかねなんか普通のことがすごく幸せだなと思える。
でもまあほんとに体を壊さないように…。
ありがとうございます。
お母さんが倒れたらみんな将棋倒しになっちゃいますよ。
ほんとですよね。
もう元気しか取り柄ないから一生懸命頑張って私が倒れないでやることがちょっとでも誰かの支えになってくれたらいいなと思います。
まずもうちょっと睡眠時間を長くしてください。
そうですね。
美容のためにも健康のためにも頑張ります。
そうですよ。
今日何時間寝てきましたか?今日は2時間半ぐらい。
何をやってるんだかなぁ。
もう洗濯物が乾かなくて。
あははっ!今から40年前のオーディション映像を大発掘。
若様!ありがとう若様。
今後も…。
多彩なゲストが続々登場します。
お楽しみに。
2017/01/14(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝【三田寛子▽苦しい時こそ笑って】[解][字]

女優/三田寛子▽(夫の)スキャンダルが出た時「一生懸命お話ししようと思って、そしたら…」今だから話せる襲名披露直前の様子…笑顔に秘められた強さに阿川が迫る!

詳細情報
番組内容
ゲストは、女優の三田寛子さん。歌舞伎俳優・中村芝翫の妻である三田さんは、昨年10月に夫と3人の息子が、歌舞伎界初の親子4人同時襲名を迎え、現在も、その襲名披露興行の真っ只中。寝る時間もほとんどなかったという去年の襲名披露直前の様子や今だから話せる当時の心境を語ります。
“泣いて逃げるな”が口癖の厳格な父の教えを守り、どんな時でも踏ん張ってきた三田さん。
番組内容2
息子の友達が“怖い”と言って家に寄り付かなくなるほど厳しく育ててきたといいます。だが、そんな彼女もいつの日か訪れる息子の“反抗期”に向けては、喧嘩の仕方が書かれた本も読むほど勉強したとか…。勉強しておいて良かったという“男の子が反抗したときに、親がしてはいけないこと”とは!?
梨園の妻として、母としてタレントとして輝き続ける三田さんのバイタリティにサワコが迫ります。
 
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
三田寛子(女優)
 
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ