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字幕書き起こし ハートネットTV NHK障害福祉賞2015「それからの日々」 2017.01.12

暮らしの中のほとんどのものがナチュラルな洗剤できれいになるんですね。
安心な素材を使ったおそうじ皆さんも試してみて下さい。
この日NHKにやって来た兄と妹。
兄の靖紘さんは統合失調症。
45年間にわたり病院で入院生活をしていました。
妹の万里子さんは兄を病院から引き取り今生活を共にしています。
生まれて初めてよねこんな事するの。
「はあ〜」とか言って。
いいじゃないか一回ぐらいこういう体験もと思います。
さまざまな困難を乗り越えてきた2人。
今回のテレビ出演も新たな挑戦です。
万里子さんは今年のNHK障害福祉賞に応募した手記にこうつづっています。

 

 


「私はいま過ぎた悲嘆の日々を語りたいのではない」。
手記をもとに兄弟の日々を見つめます。
こんばんは「ハートネットTV」です。
今日は昨日に引き続き今年で50回目を迎えたNHK障害福祉賞の入賞作品をご紹介してまいります。
今夜は優秀賞に選ばれた佐賀県の堤万里子さんの手記「それからの日々」をご紹介します。
精神に障害のあるお兄さんを思う妹の気持ちが丁寧に描かれた作品となっています。
作者の堤万里子さんそしてお兄さんの古賀靖紘さんです。
よろしくお願いします。
今日は遠く佐賀からお越し頂きましたけども万里子さんの今回の手記どんな思いで書かれたんでしょう?そうですね随分長い間病院で療養生活をしなければいけなかった兄ですけれども十数年前にもうなんとかなるんじゃないかといろんな事があって覚悟を決めましてね病院からうちへ帰ってきてもらいました。
今考えてみれば少しずつやっぱりよくなってきているとそう思いましたらそれをやっぱり誰かに聞いてもらいたいというか話したいというか。
そういう気持ちもありましてねひとつまとめました。
靖紘さん今の生活楽しいですか?フフフ。
まずはお二人のこれまでの歩みをご覧頂きます。
朝8時。
(取材者)おはようございます。
ああ。
今年72歳になる兄の…15歳の時に統合失調症と診断されました。
ちょっとこれ脱いでごらん。
45年間病院で療養生活をしていましたが12年前に退院し妹の万里子さんと暮らし始めました。
この日は撮影初日。
靖紘さんカメラを向けられてちょっと落ち着かないようです。
(取材者)ないですか?うん。
統合失調症はおよそ100人に1人が発症するという精神疾患です。
幻聴や幻覚が現れたり他人との関わりが持てなくなるなどの症状があります。
靖紘さんもかつては独り言を言い続けたり突然笑ったりというような症状がありました。
一緒に暮らすようになってからそうした症状は随分少なくなってきたといいます。
言葉で気持ちを伝える事はまだ苦手ですがちょっとしたやり取りはできるようになりました。
勝った勝った勝った。
日馬富士勝った勝った。
勝ったね。
万里子さんが見逃した相撲の結果を靖紘さんに教えてもらうのが最近の日課です。
幼い頃から仲がよかった2人。
万里子さんは兄との一番の思い出を手記に書いています。
「それにしても子どもの頃から無駄遣いもしない人だったと思い出す」。
「そうやって…」昭和何年かな…30年ぐらいかな?30年か31年ぐらい。
そのころクリスマスケーキなんて想像つかないでしょ?食べられるもんじゃなかったですよ。
それを兄が買ってくれるというからもう大喜びで兄についていって。
いい兄でしたから。
自分がめったやたらとかわいがられたっていうのはよく覚えてるんですよ。
妹思いだった靖紘さん。
中学校の成績も優秀で親の期待に応えようと勉強に励み九州でトップクラスの進学校に入学します。
電車で往復2時間かけて通学し勉強に打ち込む日々。
そんな中異変が現れました。
ある時高校から呼び出しが来てどうも授業中の態度がおかしいというふうに先生からお話があったんですね。
勝手に雨の降る中夜出ていってみたりね。
全然話が通じなくなったり職員室に行ってねひれ伏してみたりね訳の分からない行動が出てきたんですよ。
病院で検査を受けた結果当時の病名で精神分裂症と診断されました。
変わってしまった靖紘さんに父親は冷たくあたりました。
病状は悪化し高校を退学。
家族とも会話ができなくなり自宅での生活が難しくなりました。
両親は靖紘さんを病院に預ける決断をします。
万里子さんは大好きだった兄と離れて暮らす事になりました。
それは悲しかったですね。
だってあんなに立派な兄がですよ。
高校もやめなくちゃいけないし病院に行きっぱなしになるんですもん。
私とは全然違う真面目で優秀な人でしたから。
父親が冷たくあたった一方で母親のアキさんは靖紘さんを決して見捨てませんでした。
2週間に1度の面会を30年近く欠かさず続けました。
万里子さんはそんな母の姿をずっと見ながら育ちました。
やがて結婚し自分の家庭を持ちますが兄の事は片ときも頭から離れませんでした。
学校給食の栄養士として働き始めた頃の事をよく覚えているといいます。
バスで通勤をしてるんですよね。
帰る時はもう夜の9時近くです。
そのバスの路線が兄が入院している病院の近くだったんですよ。
兄のいる病院のそばを通ると自動的に涙が出るんですよ。
兄ちゃんはこのままなのかなあって。
突き詰めて考えればひょっとしたら半分ぐらい諦めかけてたのかもしれませんね。
それ以上よくならないってね。
面会に行ってもほとんど会話もできません。
そんな日々が何年も続きました。
しかしある日万里子さんは靖紘さんから思いがけない言葉をかけられます。
ある時私が見舞いに行って帰ってすぐですね病院の近くで交通事故があったらしいんですよ。
だから兄はその次お見舞いに行った時に「あんたじゃなかろうかと思って心配しよった」って言いました。
30年ぶりに聞く妹を気遣う言葉。
やがて万里子さんにある思いが芽生えます。
いつかどっかでふんぎりをつけないと棺の中に入ってね病院を出る事になるんじゃないかなってちらりと思ったんですよ。
「やっちゃんねあんたがお留守番さえできればねうちに帰ってきてもいいんだけどな〜」って何気なしにひと言言ったらですね本人がパッと「留守番ぐらいできるよ」って言うんですよ。
「えっそうよね!」って…「失礼しました」ですよね。
そして万里子さんは医師の許可を得て兄を自宅に迎え入れました。
万里子さんは54歳靖紘さんは60歳になっていました。
退院後は通院で治療を続け週2日のデイケアサービスを利用しながら様子を見守ってきました。
急な環境の変化に不安はありましたが靖紘さんは予想以上に早く自宅での生活に慣れていきました。
「教えたら電気ポットからお茶をいれる事ができるようになった」。
できなかった時はできなかった時でまあいいじゃないかですかと。
できた時によかったねという感じでね過ごしてるとだんだんご本人がやっぱり自信を持ってきますよね。
お二人とも優しい表情でご覧になってましたけれどもだいぶ症状がよくなってきて…。
そうですね。
今どんな思いがあります?ここまで来れたんだなってここまでよくなったんだなっていうのはやっぱりちょっと感動しましたね。
一番最初社会に戻ってきてした事が選挙の投票に連れていったんですね。
だって選挙権もらってから一回も投票した事ないんですもん。
もったいないと思いましてね広報を開いてできるだけ不公平のないように説明をしてそれで漢字が難しかったら平仮名でもいいのよっていよいよ分からなかったら書かなくてもいいからって言って連れていきました。
そしたら大丈夫かなと思ってハラハラしながら待ってたんですけどちょっと時間かかりましたけどちゃんと終わりましたもんね。
一度だけ最近間違えて自分の名前を書いちゃったって言うから大笑いしてました。
こんなふうにね笑って出てくるんですよ。
えらいニコニコしてるなと思って「どうしたん?」って聞いたら「いや間違って自分の名前書いちゃった」って…。
でもその時の笑顔って「ああ健康な笑顔だな」って思いました。
今靖紘さんもご覧になってる私たちの後ろにあるこちらの写真ですがおよそ60年前の古賀家の写真。
そうなんですよ。
靖紘さん万里子さんそしてお母様お父様という…。
りりしいですよ靖紘さん。
ハハハハハ。
なかなかかわいいじゃありませんか。
今になればね父親の嘆きっていうのも分からないではないのです。
息子の出来が突拍子もなくよかったのでやっぱり期待するじゃないですか。
それは無理はないですよね。
それなのに高校に上がったところで病気をしてしまった訳だから本当絶望したと思います。
でも病気の兄に対してねああいう態度に出るのはやっぱり私はそれを許してやろうかなってそうだろうねと思うのに50年かかりました。
50年。
そうですか…。
もうね執念深いでしょ。
そういう父でしたけれども母親がああいうふうでしたから結局この家族壊れなかった訳ですよね。
長い間社会となかなか接触する機会もなかったと。
そういうお兄さんを迎え入れる時に何か不安などはありませんでしたか?やっぱり症状が急に動かなければいいけどなって本人が不安になってね落ち着かないっていう状態にならなきゃいいけどなってそういう事は思ってましたけど。
本人の人柄っていうのは信頼できる人でしたからそこに期待をしてたというところもあります。
元の場所を取り戻すというかですねもう取り戻せないものもいっぱいありますけれどもただ最後言えば私にはこういういい兄ちゃんがいたんだという事は言えますのでね。
一緒に暮らし始めて12年。
2人で新しい事に挑戦し時に失敗もしながら兄妹の絆を深めています。
去年の夏テレビを見ていると靖紘さんが意外な言葉を口にしました。
私も「ん?これは」と思ったから「行ってみたい?」って言ったら「うん」って言うのね。
へえ〜珍しいなあって。
自分の方から何かをしたいって言いだすなんてってとても貴重なものに思えたので。
万里子さんは靖紘さんを海外旅行に連れていこうと決心しました。
まずはパスポート。
申請には本人の署名が必要です。
入院以来ずっと字を書いていなかった靖紘さんに万里子さんは名前を書く練習をしようと提案しました。
毎日ノートに漢字とカタカナで10回ずつ。
これが一番最初の古賀靖紘さんですよね。
7月1日の日付で。
それから1か月ばかりたって少しはましかなと思うものも出てくるというか。
70過ぎてから自分の名前の書き練習をする訳だから余計な事考えたらあほらしくてね嫌でしょう。
でも何の抵抗もなく「うん」って言ってから受け入れてくれましたよ。
練習のかいもあって本人のサインが入ったパスポートが取得できました。
そして今年1月。
万里子さんの友人に同行してもらい念願の台湾旅行に出かけます。
靖紘さんが見たがっていた景色を見せてあげる事ができました。
療養中どこにも行けなかった靖紘さんにとって大きな一歩でした。
そんなやさきある問題が起こります。
手の震えを改善するため新しい薬を試し始めた時の事。
靖紘さんが急に夜眠れなくなったのです。
手の震えがねよくなると本人のためにもいい事だからと思ってしばらく経過を見ようと思って続けてたんですけどやっぱりどう考えても…一日置きぐらいに徹夜状態ですよ。
ああ寝ないんだと。
今日も駄目なんだって。
きついなあ眠れないなあって。
本人も私も眠りたいのに眠れない訳ですよね。
そんな日々が1か月も続きました。
そしてある夜万里子さんはいつまでも寝つかない靖紘さんについ冷たい態度をとってしまいます。
もうその時は駄目でしたね。
「やっちゃん少し静かにしなさいよ」って余計な事言っちゃう訳ですよ。
そうすると向こうは「ああ悪いな」と思うんでしょうね。
そしたらもう…つらいのは兄も同じ。
万里子さんは悩んだ末素直に謝る事にしました。
それまで兄妹げんかもした事がなく初めての事でした。
「『兄ちゃんごめん!あんたのせいではないのにね。
薬が変わったから今度は大丈夫だよ』」。
「そう言うと…」ふんわりしてました。
優しい顔でした。
恐らく人をとがめたり責めたりする事をね一切しない人の笑顔じゃないのかなあれは。
…でほら兄妹意思疎通ができたじゃないですか。
兄は今のままの自分でもいいって安心をしたんでしょうね。
今靖紘さんがとりわけ楽しみにしている事があります。
2週間に1度万里子さんと通っている図書館です。
子どもの頃から本が好きだった靖紘さん。
一冊一冊中身を確認して読みたい本を選びます。
歴史小説を中心に今では年に50冊以上。
これまで学べなかった分を取り戻そうとしているかのようです。
それでいい?はい入れて下さい。
よいしょ。
いいかな?兄のささやかな楽しみ。
万里子さんはその一つ一つを大切にしていきたいと思っています。
「兄は家族や身近な人達とふれあいきれいな花やめずらしい物を時折ながめ…」仲よく手をつないで散歩をされてましたけども本当にいろんな事が靖紘さんできるようになっていたんですね。
おかげでですね。
海外旅行に行ってみたいっていう。
何々したいっていう意欲が自分から…。
私も言うとは思いませんでしたもんね。
かえってこっちの方がほらパスポートの事なんか準備しなきゃいけないと思ってるから最初から考えてないんですよね。
でも本人は妹が行けた所だったら自分も行けるだろうと思ったんでしょうけど。
どうですか楽しかったですか?うん。
台湾。
よかったよ。
よかったね。
どっちかっていうと支えられてるんじゃないですかね私の方がね。
それはどういう事ですか?争わない人でしょ?それでこういうふわっとしたお人なもんですから何か気が休まるんですよねこっちもね。
兄がいるからああしたらいいんじゃないかこうしたらいいんじゃないかって自分で思いつく事があったりしてみたり。
やっちゃんがいるからいいよねって言った事があったんですよね。
そしたらその時はねはっとしたような顔をしてました。
そうですか。
言われてちょっと自分も感じるものがあったんでしょうね。
よかったですね万里子さんと一緒に暮らして。
うん。
改めて今回一番伝えたかった事っていうのは万里子さん何でしょう?やっぱり諦めない事ですよね。
何があるか分かりませんでしょう。
良くも悪くも生きてる間。
明日の事だってみんな分かってないんですよね本当はね。
いい事は少なくてきつかった事の方が多いかもしれないしもうこれは駄目だと思うような事も多分あるだろうと。
だって思いませんでしたもの半世紀前。
この人が病気した最初の頃の事を思い出しても父も母ももし姿があれば絶対こんな日が来るとは思わなかったと言うと思います。
だから諦めないでほしいなって。
諦めて世の中がうち捨ててしまうとこういう病気の長くかかる患者さんたちなんかね救われないじゃないですか。
でも自分だってそうなるかもしれないんだし…ねえ。
本当健康に気を付けて…。
ありがとうございます。
どうも本当に今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2017/01/12(木) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV NHK障害福祉賞2015「それからの日々」[解][字]

障害者やそれを支援する人の体験記を募集する『NHK障害福祉賞』。番組では入賞作品をシリーズで伝える。今回は佐賀在住の堤万里子さんの作品を紹介する

詳細情報
番組内容
佐賀県に住む堤万里子さんが記した、統合失調症の兄との日々をつづった手記を紹介する。万里子さんは、精神を病んで45年近く療養生活を送ってきた兄・靖紘さんを引き取って一緒に暮らし始めた。徐々に家での生活に慣れ、気になっていた症状が落ち着いてきた兄。初めての海外旅行などさまざまなことを経験しながら、残りの人生を穏やかに送ろうとする万里子さんと兄の日々をみつめる。
出演者
【出演】NHK障害福祉賞入賞者…堤万里子,古賀靖紘,【司会】山田賢治