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字幕書き起こし 団塊スタイル「悔いなく老いらく〜橋田壽賀子(91)〜」 2017.01.13

たかみな流人づきあいのアドバイスは番組ホームページへ。
みんなもクラスの「空気」見直してみない?おしん!危ない!座ってろ。
母ちゃん母ちゃん母ちゃん!テレビドラマ史上最高視聴率の金字塔を立てたドラマ「おしん」。
なんと世界68の国や地域で放送されたメガヒットドラマ。
このドラマの脚本を書いたのが…。
半世紀以上にもなる脚本家人生の中で数々のヒットドラマを手がけ今まで書いた脚本のタイトルは300本を超えています。
希代のヒットメーカーの知られざる日常生活とは?だめだって私はもう。
テレビ見てる間こうやって2時間ぐらい。
90歳を超えても現役であり続ける健康の秘訣とは?41歳の初恋の相手はテレビ局のエリート社員。
交際3か月スピード結婚の裏に隠された驚くべき秘密とは?いつも明るく元気いっぱいで笑いの絶えない橋田さんですが…。
今人生の最期を迎えるための準備終活を始めています。
今日は橋田さんの91歳の今に迫ります。
風吹ジュンです。
国井雅比古です。

 

 

 


今回の「D’sスタイル」は脚本家の橋田壽賀子さんです。
橋田さんといえばあれですねもう日本のドラマには欠かせない。
もう世界でも有名ですよね。
そうですね。
たまたま「おしん」をね見直す機会があったの全部。
特集のやつを。
号泣しましたね。
忘れられないシーンがありますよね。
もう思い出すだけで涙ぐむという。
しかもそれが日本だけじゃなくね先ほどありましたように世界中で評価されたというのはやっぱりそれだけ普遍的なテーマなんだなという事はつくづく感じましたね。
では早速お招きしましょう。
橋田壽賀子さんです。
よろしくお願いします。
はじめまして。
よろしくお願い致します。
91歳って見えない。
もうババアになりました。
いやいやお元気ですよね。
お二人とも初めてお目にかかるんですけどいつもテレビで拝見してますし。
それから国井さんは旅番組が私旅が好きですから欠かさず拝見しておりました。
今日お目にかかれて光栄です。
去年9月ですかね民放ですけれども4時間のスペシャル「渡る世間…」ね。
あれは1か月でお書きになられたようですが。
はい。
すごいですね。
1か月であれだけ。
はい。
書けといえば書けますよ。
慣れてるドラマですから。
初めて書くの大変ですけど20何年書いてきたドラマですから。
だから書けるんです。
キャスティングのイメージがちゃんとあって。
そうです。
ちゃんと大きくなってるしそれからその時その時に時代にテーマがあるんですよね。
だからそのテーマを誰かを通して書く。
登場人物を通して書くというね。
すごい楽なんです。
そうすると今でも常にテーマというかその時代のテーマというのは考えたり?独りぼっちになる時が来るよとかいろんな事考える訳です。
それをずっとテーマに入れて書いてます。
今日はもういろいろ伺いたい事がたくさんありますのでじっくりと伺います。
よろしくお願い致します。
という事で橋田さんの現在の暮らしぶりを取材しました。
ご覧下さい。
静岡県熱海市です。
相模湾を一望できる山の上に並ぶ2軒の家橋田さんの自宅です。
そのうちの1軒3階建ての茶色い家に住んでいる橋田さんを訪ねました。
現在一人暮らしを満喫しているという橋田さんです。
(取材者)広いですね。
60年以上も使っている机です。
橋田さんの家事を手伝っているヘルパーの皆さん。
自分で家事ができなくなってからは午前中だけ4人のヘルパーさんが橋田さんの生活をサポートしています。
そんな脚本家橋田さんは今一体どんな暮らしをしているのでしょうか?橋田さんの家の朝。
毎朝7時には起床する橋田さんの朝食をヘルパーさんが準備。
朝食はハムエッグにのりを巻いたトースト1枚。
こちらは橋田さんが最近食べたメニューを記録したノート。
1日3食肉も揚げ物もしっかりと食べるそうです。
新聞で一番にチェックするのはやっぱりテレビ欄なんですね。
…といって指さしたのは「流行語大賞」の記事。
90歳を超えた今も衰える事のない旺盛な好奇心。
新聞を読みふける橋田さんのそばに猫がやってきました。
一人暮らしの橋田さんを気遣って「渡る世間は鬼ばかり」の出演者がプレゼントしてくれた猫ちゃん。
これで大丈夫です。
さらに部屋の片隅に気になるものを発見。
むむむ?
(取材者)これもしかして先生やるんですか?こうやって座るでしょ。
こうやってこうやってこうやってる。
トレーナーの言うには。
こういうふうにやったらもっといいの。
(取材者)先生それ本当にやってますか?だから置いてあるんじゃないの。
脚本作りは体力勝負。
長年水泳でその体力を築き上げてきました。
(取材者)本当ですか?はい。
(取材者)10曲歌う訳ですよね?なんとこちらは体力作りのために買った最新のエアロバイク。
(取材者)結構速いですよね。
週に3日1日1時間以上トレーニングする日も。
ヘルパーさんたちが帰ったあとは橋田さんの一人だけの時間です。
こちらの書庫にはこれまで書いてきたドラマの脚本のほとんどが保管されています。
橋田さんが書いた生原稿を各テレビ局が製本して寄贈してくれたものです。
大河ドラマ「おんな太閤記」。
鉛筆で書いた直筆の原稿です。
こちらはあの「おしん」の原稿。
「母ちゃん!」と思わず立ち上がるおしん。
よろける。
「危ねえ座ってるだ」。
(筏にしがみついて)「母ちゃん!」。
今まで数え切れないほどの脚本を精力的に書いてきた橋田さん。
しかし去年は「渡る世間は鬼ばかり」スペシャル版の1本だけでした。
今素顔を見てるとしゃべり方にしてもちょっとしたそぶりでも本人の前で言うのはおかしいんですけどもかわいい。
かわいいですよね。
本当にそんな感じがします。
本当に。
本当に何か。
憎まれ役ばかりやってきました。
かわいらしいって言っちゃ失礼なんですけど。
本当にそうなんですよね。
それで何か本当に話しかけやすい実は…。
気さくに。
そうなんですかね?わりに人見知りはしませんけど私は。
だから失礼な事を言っちゃうんです。
この人はちょっと遠慮しなきゃなんない人にまでずかずか言っちゃうから嫌われちゃうんです。
でもとっても運動を意識されてていい事ですけど今も続けてらっしゃるんですね?書くためには体力なんです。
才能と関係ない。
体力で書くんですからあれは。
ですからずっとこうやって書いてましたでしょ。
だめですね本当に。
今頃鍛えても遅いぐらい。
普通に動いてた人と全然衰えが違います。
腰今やられてますし。
やっぱり書く仕事を一生やってたというのはよくないですね。
あ〜そうですかね。
橋田さんの生活ぶりを見てるとお昼すぎからは今度テレビ三昧。
まず新聞を広げていろいろチェックをして。
○つけるんです。
2時間スペシャルがお昼から2時からとあって4時からまた1時間「相棒」なんていうのがあって5時から「はぐれ刑事」があって6時からまたあるんです。
ドラマ三昧ですね。
私7時までドラマ見るのよ。
「はぐれ刑事」なんかご覧になっていかがですか?今見て藤田まことさんっていいなと思う。
もう亡くなりましたけど。
分かりいいんですよ人情。
私たちの人情にはもう人情もろい人間にはもう本当にうまくはまるように。
今のドラマは見ないんです。
あっ再放送。
再放送の方が何か合うんですね年寄りには。
分かりやすいの。
今のドラマは分かりにくいというか分かんないんですよ私もう。
だからもう私の書く時代は終わったなとはっきり思いますね。
私たちにとってはすごく書いて頂きたいなってまだまだ思いますけども。
私は「人殺し」と「不倫」だけは絶対書かないからもう今書けないですよ。
人殺しと不倫がなかったら。
あ〜それもあるんだ。
なるほどね。
さてこれまでに数々の名ドラマを手がけた橋田さんですけれどもどんな経緯で脚本家になったのか生い立ちから振り返ってみます。
橋田さんが生まれたのは1925年。
日本統治下時代の韓国現在のソウルで生まれました。
日本で教育を受けさせたいという両親の思いで母親と2人で日本に戻りました。
大阪におばがいましたから。
韓国に残った父親と日本に帰国した橋田さんと母親。
別々に暮らす事になりました。
父親は月に一度2人が暮らす大阪に顔を見せる程度。
橋田さんがドラマで描く家族団らんとは程遠い生活だったようです。
そもそもなぜ橋田さんは脚本家の道を目指したのでしょうか?話は今から70年近く前に遡ります。
そういう言語学過去形の文章論文書いたりして結構評判よかったんですけど。
日本女子大学国文学科を卒業した橋田さんでしたが卒業と同時に母親が結婚の準備をしていたそうです。
そう思った橋田さんは改めて大学に入り直そうと東京大学を受験します。
ところが受験失敗。
学者になる事を諦め同時に受験をしていた早稲田大学国文学科に入学しました。
この時に学生演劇部に所属した事がきっかけで舞台の脚本を書く事になりました。
女子大に続いて2度目のキャンパスライフ。
どんな青春を謳歌したのでしょうか?今でも友達と笑ってるんですけど…早稲田大学2年生の時に映画会社「松竹」が脚本の研究生を募集していたのに応募。
24倍という競争率を勝ち抜き初の松竹の女性脚本家として合格。
大学を2年で中退し脚本家人生をスタートさせます。
初めてのオリジナル脚本を書いたのにもかかわらず…。
入社して10年脚本部から秘書室への異動を命じられたのを機に会社を飛び出してしまいます。
橋田さんが松竹を辞めた1959年。
皇太子ご成婚のパレードの中継放送を一目見ようと一般の家庭にテレビが一気に普及しました。
皇太子様が結婚なさるというのでテレビ買ったんですね月賦で。
それで8畳の部屋でテレビ見て「あ〜テレビってすごいな。
あんなすごいものが部屋に入ってくる」。
これからはテレビの時代だと確信。
テレビ局に脚本を売り込みます。
橋田さんの脚本がテレビで初めて採用されたのは「夫婦百景」というドラマでした。
それでびっくりしたのは…そのころ出会ったのがTBSのプロデューサー石井ふく子さんでした。
石井さんは橋田さんがずっと書いてみたいと思っていたドラマ「東芝日曜劇場」のプロデューサーとして名をとどろかせていました。
初めて出会った時石井さんにかけられた言葉を50年以上たった今でも忘れられないといいます。
…とおっしゃったんでホームドラマ書いたんですね。
それがドラマ「袋を渡せば」。
夫がもらってくる月給の半分は妻の取り分だという橋田さんが初めて書いたホームドラマでした。
本当に私の身の回りのもの。
さらにこのころ一人の女性として運命の人と巡り会いました。
後の夫となる岩崎嘉一さんでした。
岩崎さんは当時大ヒットしたホームドラマ「ただいま11人」を企画したTBSのエリート社員。
交際期間わずか3か月のスピード婚。
橋田さんの誕生日に2人は結婚しました。
親しい人たちに結婚を知らせる挨拶状にはこんな言葉が。
…と41歳の恋心が。
結婚をした2人にはある約束事がありました。
それは夫の前で仕事をしてはいけないという約束。
夫が仕事に行って家にいない限られた時間内で仕事をする。
一見高圧的な夫の物言いに聞こえますが橋田さんはこれがよかったといいます。
新しい家族ができた事で生まれたドラマがNHKの「となりの芝生」。
念願のマイホームを建てた家族のもとに姑が転がり込んできました。
どうしておばあちゃんうちにいるの?だっておばあちゃんのうちはちゃんと大阪のおじさん所にあるんでしょ。
あっおかあさん。
まあねえ。
あいつはえばってさお母さんはやたらへえこらへえこらして変じゃないかそんなの。
あいつとは何だ。
お前のおばあちゃんなんだぞ。
おしん!危ない座ってろ。
母ちゃん母ちゃん母ちゃん!そして不朽の名作「おしん」。
このドラマには橋田さんのある思いが込められていました。
そんな思いを裏切るかのようにその後の日本はバブルの狂乱に酔いやがて崩壊を迎えます。
そのころ橋田さんがお茶の間に届けた家族の物語。
ご存じ「渡る世間は鬼ばかり」。
2017年橋田さんはどんなテーマでドラマを書くのでしょうか?いや〜楽しい人生って言っちゃいけないんでしょうけど。
結婚する時にね交換条件で月給は全部下さいと。
そのかわり俺の前で脚本はやめてくれって言った。
仕事は。
ヒットして脚本家として世に知られるようになってこれからという時でしょ。
いやいやまだ連続の長いのなんか書かせてもらえないんですよ。
だから単発東芝の単発とかそれから昼帯そういうのはもう安い原稿料でしかも食べてなかなかいけないですからね。
あ〜そういう不安もあったんだ。
それもあってこれで一生下積みのライターで終わるのかと思ったらやっぱりお金欲しいですよね。
一番いい就職は結婚だと思って。
いや〜岩崎さんだって3か月でしょう?スピード結婚つきあい始めて。
本がね遅れたんですよ書くのが。
石井さんに怒られて。
だからやけくそで「好きな人がいて書けない」って言ったんです。
そしたら「誰?」って言うから「岩崎っていう人」って言ったら「あ私が言ってきてあげるわ」って行っちゃったんですよ石井さん。
それで「あなたを好きだっていう人がいるけど」って言ったら…それでつきあい始めたんです。
すごい結婚話。
愛もヘチマもないの。
そもそもの松竹ですが当時初めてでしょ?女性シナリオライターというのは。
はい初めて。
それは橋田さんにとってみればこれからやるぞと思って行ったけど随分書き換えられたりしてショックだったようですね。
とにかくセリフ書いてもラブシーンでも男の方がうまいという…。
何で女がこんな下手なセリフ書くんだって言うんですよ。
女に書けるものはないみたいなそういうあれで誰も使ってくれないんですよ。
そしてテレビの世界へ入りますね。
で今度は自分の書いた脚本が一文字も書き換えられない。
よほど感動したみたいですね。
はいびっくりしました。
え〜一字も直してないっていうんで。
杉村先生がお出になって下さった時相手の俳優さんが「なんとかですね」とか「よ」とか「ね」とか「よ」とかを飛ばすんですね。
勝手にちょっと語尾を変えたりすると「あなたね橋田さんは一生懸命これは『ね』がいい。
付けるか何を付けるか語尾をどうするか考えて書いてらっしゃるんだからちゃんとおしまいまでおっしゃい」。
言って下さった事があるんですよ。
それを聞いておろそかに語尾もできないなと思いました。
逆にね。
そういう先生がいらっしゃるって事がすごくやっぱりテレビの仕事が楽しかったですね。
大事にして下さる方がたくさんいたという。
身近なテーマでみんながちょっと共感できるようなドラマチックじゃなくて地味なテーマって言いますかね。
一生それ書いてます私。
その地味なっていうとこはどういうところで気が付いた?これなんだというように思われたんですか?結婚してからの方がもっとシビアに書けましたね。
というのは家族ができましたから。
お姑さんもできましたし小姑さんもいますし。
何かごはん食べるでしょ。
「ここのうちは薄味だ」って怒るんですよ。
ちゃんとうちの嘉一はねもっと塩辛いの味の濃いのが好きだと。
田舎で。
だから「いやもう年ですから私たち年ですから塩分控えめにしなきゃいけない」。
で帰ったら「壽賀子さん口答えするね」って。
いいモデルですね。
はい。
口答えするんで有名になっちゃった。
そうかそういうところの人間関係を観察しながら「となりの芝生」ができたり。
はいそうです。
ですから別にけんかした訳でも何でもないんですけど何か言われたらカチンとくるじゃないですか。
そういうのが全部向こうも私が言うとカチンときてるらしいんですよね。
そういうのが表面には出なくても全部書いちゃえばいいみたいな。
だから家族ができてそういう別の家族ができて初めて書けた。
「おしん」のところの中で一つの時代のメッセージっていいますか。
あれは83年だったと思いますがちょうど日本の経済が調子よくなってある面ではそのあとバブルになるんですけども。
危ないなと思ってました。
世の中はねどんどんどんどん華やかに若者たちはどんどん派手になっていくしお金は飛ぶし…。
その時身の丈の暮らしというのは私いつも思いましたね。
世界的にある意味でこれだけ反響を呼ぶかもしれないなんて事は考えない?全然全然思ってません。
ただ書きたくてその一生を書きたくて書かせて下さったNHKさんにものすごく感謝してますだから。
どこもあれは取り上げてくれません。
TBSももちろん主人が企画部にいますから出しましたけど「あんな今貧乏物語なんかはやんないんだよ」って一蹴されました。
でも田舎へ行っておじいちゃんおばあちゃんが「おしん」のあとなんか拝んで下さる方がいるんです。
小説なんか読まない方ですよ。
芝居なんか見に行かない方ですよ。
だけどテレビは見て下さる。
今書きたいテーマというのは何かありますか?今もう皆さんが全部お書きになりましたから私が書く事はないと思います。
え〜。
先ほど企業秘密とおっしゃってましたけどちょっとその秘密を教えて頂ければというか大体…。
もう恥ずかしいから言いません。
大体この辺りじゃないかなってありますか?時代感覚で言えば。
やっぱり夫婦の話は書きたいですね。
熟年夫婦の話とか。
なぜ別れるのか。
別れなくて済む夫婦が別れたりもしかしたら別れなくてもいいかも離婚しなくてもいいそういうふうな夫婦を書いてみたいなという気はありますね。
夫婦離婚あんまり多すぎじゃないですか簡単に。
高齢でしかもねこれからという時に。
これまで耐えてたのに今なぜみたいな。
身につまされるようなところが…。
続いては人生の最期に向けての準備いわゆる終活を2年前から始めたという橋田さんがどんな活動をしているのか拝見しました。
91歳の橋田さんの人生はテレビに捧げてきたといっても過言ではありません。
夫との思い出が詰まった熱海の風景。
一人での生活ももう28年目になります。
いろいろいるんじゃないですかね。
そんな橋田さんは今人生の最期を迎える準備終活を始めています。
ふだん生活をしている家のすぐ下。
こちらは訪ねてきた客をもてなすために建てたというゲストハウスです。
眼下に広がる広い庭には橋田さんが育てた四季折々の果物がたくさん実ります。
広い庭もこちらのゲストハウスも自分が亡くなったあとは処分する事に決めています。
ここがゲストハウスでございます。
(取材者)お邪魔します。
かつては自分の書いたドラマに出演する俳優さんなどでにぎわったというゲストハウス。
しかし今訪れる人はほとんどいません。
そういう気がするんです自分で勝手に。
ホームドラマを1行も書いた事がないというこちらの机や椅子も処分しなくてはなりません。
(取材者)で先生は?処分する前に一度座ってみてはいかがですか?本当いい気持ちこれ。
なんとエレベーターまで完備されています。
(取材者)でも車イスじゃないじゃないですか。
橋田さんの脚本を保管している書庫はこのゲストハウスの中にありました。
片づける前の部屋の状態を知るヘルパーさんに聞くと。
先生もねやっぱり忙しかったですしね昔。
(取材者)仕分けして入ってた訳じゃないんですね?精魂込めて書き上げてきた膨大な数の脚本。
そのどれも生きているうちは処分できません。
放送に携わるすべての人々を応援したい。
そんな思いで設立した橋田文化財団にすべての財産を寄付したいと考えています。
結構な整理ですよね。
2年かけてって先ほどおっしゃってましたもんね。
どうして終活的な事をなさろうと思った?何かきっかけがあった?もう90になった時にちょっと仕事が来なくなったというかしなくなってその時に「あっ私もそろそろ終活しなきゃ」と思って。
90になってもう字を一字も書くまいと思ったんですその時。
もう日記もやめて出納簿もつけないで。
それで終活に始めたんです。
エンディングノートも書かれてるような話を。
はい。
お墓もちゃんと書いとかないと。
お葬式はしないで下さい。
みんな義理で来て下さるの嫌じゃないですか。
しないでいいと思いますから。
義理で来て頂いても嫌だからお葬式はしないで下さい。
それからお墓も主人はマザコンなんで自分で実家のお墓を建てて母と一緒に入ってそこへおにいさん長男夫婦が入るんで。
で私もそこへ入るつもりだったらおにいさんから電話があって「壽賀子さんは入れない」って言うんですよ。
ほっとしましたよ。
死んでまで他人のとこ嫌じゃないですか。
他人だらけのそういうの。
すごいほっとしました。
逆にほっとした。
それで私は今治に両親の墓がありますので「骨だけ運んでね」って書いて。
「文学者の墓」ってのがありましてそれは買ってあるんですね。
それは夫婦で入れるんで「時計を入れてくれ」って書いたの。
主人の時計と私の一緒に時を刻んだという記念に2人の時計を入れて下さいというのが遺言なんです。
これからお迎えが来ると思うんですけどもどういう最期を?あしたの事本当分かりません。
私けがした時にそう思いました。
本当にあした車イス交通事故に遭うかもしれないし。
それを考えたらまあ確かに。
もうその気持ちだけはちゃんと整理しとかないといけないなという。
自然に老いて自然に年取って自然に逆らわないで本当に死ねたらいいなと思いますね。
楽しい話ありがとうございました。
何かつまんないあれで申し訳ありません。
ありがとうございました。
今日のお茶は?今日のお茶は「ほうじ茶」ですね。
もういい香りがしてます。
何かこう香りが。
やっぱり日本人ですよね。
何かなじみのあるいい香りですよね。
お煎茶やお番茶茎茶などを焙煎したものを「ほうじ茶」ねいいますけどはいどうぞ。
じゃ頂きます。
ほっとするいい香りがしますけども。
あ〜何とも言えないですねこの…。
正月で疲れた胃や腸にはいいですよねこれは。
そうですね。
何かリラックス効果抜群ですね。
お茶漬けもおいしいですし何にでも合います。
あっという間でしたね。
楽しかったですね。
もう91歳とは思えないぐらいとっても頭の回転が速いというかしっかりしてらっしゃって。
何よりもそばにいて健康でいらっしゃるのでお肌もすごいきれいなんですよ。
そういえばそうですね。
今も何か書きたくないなんておっしゃってるけどネタは何かまだまだいっぱい。
実は書ける。
ちょっと見たいですよね。
今年も書けるかもしれないね。
次のドラマ楽しみですね。
楽しみですね本当に。
2017/01/13(金) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「悔いなく老いらく〜橋田壽賀子(91)〜」[解][字]

「おしん」を始め、数々の名作TVドラマを生み出してきた脚本家・橋田壽賀子さん91歳。“終活”を始めているという1人暮らしの様子に密着取材!その素顔の魅力に迫る。

詳細情報
番組内容
脚本家・橋田壽賀子さん91歳。「おしん」を始め、数々の名作ドラマを半世紀以上にわたって書いてきた。しかし「もう脚本は書かない!」「すでに終活を始めている」と言う。その1人暮らしを密着取材!すると、食事、運動と、驚くべき元気な姿が!残された膨大な数の脚本の直筆原稿。中には「おしん」の名場面も!ドラマにかけた思い。亡き夫との結婚秘話。そして、人生をどう終えたいと思っているのかなど、大いに語ってもらう。
出演者
【出演】脚本家…橋田壽賀子,【司会】風吹ジュン,国井雅比古,【語り】バッキー木場