全文書き起こしサイト

地上波テレビの字幕を全文書き起こします

スポンサードリンク

字幕書き起こし 100分de名著 中原中也詩集 第2回「“愛”と“喪失”のしらべ」 2017.01.16

夭折の詩人中原中也。
16歳の中也が故郷を離れ京都で一人詩人を目指し必死にもがいていた時。
関東大震災が起こります。
帝都東京ばかりでなく国じゅうが揺れ動き中也の運命もまた大きく変貌しようとしていました。
女優志望の年上の女性との出会い。
そして別れ。
そこには大切な友人が関わっていました。
自らを喪失するような挫折感の中で決定的な詩人になってゆく中也。
中也の恋と喪失の軌跡を読み解いてゆきます。

 

 

 

 

 

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…前回はふるさとを離れた中也が京都で寂しさと闘いながら「ダダイズム」という新しい芸術運動と出会うというところまででしたね。
30年ほどしかない人生をものすごいスピードで駆け抜けているのでそのダダイズムすらもすぐに追い抜いていくようなすごみも感じましたね。
今日は中也の青春時代。
いろんな事が起こりますのでお楽しみに。
はい。
指南役をご紹介しましょう。
作家の太田治子さんです。
(一同)よろしくお願いいたします。
中也が京都に移り住んだのが大正12年。
この年というのは関東大震災が起こった年だったんですよね。
大変な年でしたよね。
建物も文化の面でも東京は本当に壊滅的な状態になってしまったと思うんです。
小説家の谷崎潤一郎さんももうすぐに関西へ移住されましたしね。
新聞社なども一斉に関西に機能を移したと。
そんな中中也に一つの出会いが訪れます。
9万人以上の死者と135万人の罹災者を出した関東大震災。
東京の2分の1が消失するほどの惨状でした。
多くの人が関西に避難する中一人の女優を志す女性も罹災者として京都へやって来ます。
大正12年冬京都。
1人暮らしを始めて間もない中也はある劇団の稽古場を訪ねます。
そこにいたのが女優の卵だった長谷川泰子でした。
中也が自分の書いたダダイズムの詩を見せると…。
彼女もまた新しい芸術に敏感な若者でした。
2人は意気投合し急速に親しくなります。
劇団が潰れ泰子が行き場を失った時中也は「僕の下宿においで」と声をかけます。
16歳と19歳2人の同棲生活が始まりました。
大正14年春中也は詩人としての成功を求めて上京します。
その傍らには女優への夢を抱えた泰子がいました。
うん…これまたその結果を知ってる者から言えば急いで経験すべくして経験した恋愛かなという感じが僕はちょっとしましたね。
はい。
とても早熟な少年だったんですね。
大変に早熟ですよね。
だってつい半年前までは山口にいて短歌青年だったんですよね。
そういう人が年上の大学生に交じって詩を書いて「ダダさん」と呼ばれて。
時代のこういう転換期のスピード感という事も感じる一方で彼自身がもうすごいスピードで走り続けている。
生き急ぐ人だったように感じますね。
でも気持ちがすごく分かるのはねそのふるさとを後にして実年齢としてはまだまだ幼くて孤独感もある中にね東京から来た3歳も上の女優の卵が自分の詩をいいって言ってくれたという事だけでワクワクする中原中也のこれ言い方合ってるかどうか分かんないけどちょっとかわいらしくもある。
うれしかったんでしょうね。
褒められてね。
うれしかったと思う。
単純にうれしかったと思う。
彼女はですねこちら本当に凜とした。
大人っぽいね。
美人なんですけれども。
中也も中也でまあ男前ですね。
銀座の高級写真館で撮ったそうですよ。
精いっぱいお帽子かぶってマント着て「日本のランボー」のつもりで。
フランスの詩人のランボーを大好きでしたのでランボーになった気持ちで。
役者ですよね。
何かそれだけ何者かになりたいという意識の強い人だったんだろうなっていう。
さあ上京した2人がこのあとどうなったのかご覧下さい。
強烈な自我を発散させていた上京直後の中也。
間もなく友人を介して後に批評家となる小林秀雄と知り合います。
小林は中也より5歳年上で秀才の呼び声高い東大生。
2人は才能を認め合い互いの家を行き来する親しい友人になります。
中也と違う都会的な優しさを持った小林に泰子もまた惹かれてゆきました。
やがて泰子と小林は中也にないしょで2人きりで会うようになり…。
11月のある日ついに泰子は小林のもとへ行く決意を固めるのです。
中也はその後泰子の荷物を抱えて小林のうちまで運んでやったといいます。
その帰り道独りぼっちになった中也は大きな衝撃に見舞われます。
何かこの初めてつきあった人と別れた口惜しさの表現すらもちょっと詩というかね共感させちゃう力を持ってるのがむしろすごいと思っちゃって。
「私は棄てられたのだ!」。
ここまでの感受性は持ってないけれども似たような失恋はみんなしてるので恐らくこの文章を自分が高校生の時に読んだら「分かるよ」ってなる気が。
ええ。
振られて親友に恋人を奪われたわけですよね。
口惜しくて当然という事でこんな文章を書きます。
…とまで言ってるんですね。
だけど泰子さんに逃げられて…。
まあ一番つらかったのはそのね自分が自分で分からなくなってしまう。
自己を見失ったその衝撃はとても大きいものだったんじゃないんですか?僕そこすごい男心として大事なところで彼が「おお泰子」ってずっと書いてるならまた別の話なんです。
彼実はそこじゃないんですよね。
その失恋っていうもののショックに対して混乱した自分が恥ずかしくて恥ずかしくてってここに書いてますよね。
そこが何て言うのかなとてもその中原中也のすごさみたいなものを感じる。
あの心の動きを書き留め始めてるっていうか。
その自分をもう一人の自分が見つめるというねそれができる人ですよね。
だから彼は常にもう一人の自分がいたから救われた。
猛烈なスピードでねそのえたいの知れない無力感をここで昇華し始めてるというか。
そこまで言うかという感じですよね。
びしっとくる表現をもうここでやってるじゃないですか。
詩的表現にもうなってるというか。
別れたあとなんですけれども度々中也は泰子の事を詩によみます。
その中から「盲目の秋」という作品をお聴き下さい。
すごいね。
その一度の失恋をエネルギーにこれが書けちゃうんだから。
何か自分をこう震わせるものがありますね。
もうこれ別れてから4〜5年後に書いたものなんですよね。
それぐらい時間がたっての作品なんですけれども何ともこう訴えてきますよね。
自分から去っていった人をね偶像化していくっていうそういうところは確かにあったと思うし去っていったからこそ懐かしく慕わしく思えた。
ふるさとを懐かしく慕わしく距離感を持って思うという事はありますよねそれはとっても。
ではこちらの内容に入っていきましょうか。
…と始まりまして。
すごい。
ここ独特な表現ですね。
独特。
怖いぐらいね。
血管の中にそこに「曼珠沙華と夕陽」両方とも真っ赤ですよね。
もう真っ赤だけれど曼珠沙華も夕陽もたまらなく悲しくなるとか切ないものがありますよね。
それが「ゆきすぎる」わけですよね。
これは青春っていうものがこうやって激しく過ぎていってしまったという。
私この「無限の前に腕を振る」というその言葉の重さね。
美しいですね。
美しいですよ。
その果てしないものの前で膝から落ちるわけでも立ち尽くすわけでもなくて果てしないのは分かりましたよ切りがないのも分かりました。
だけど私は腕を振るんですという決意表明というか。
たまらないです私。
僕やっぱり今回ちょっと思ったのは中高生の時に中也に惹かれたのは同じ年代だから惹かれたんだと思うんですね。
だけど今中也に惹かれるのはもしかしたら中也ってこの時余命が多分もう1桁なわけですよね。
結果的に見ると。
晩年って事ですよねこれ実は。
若いんだけど。
実はね。
だから中也は…生い立ちから何歳まで生きたって年表から始まるとそんな事をちょっと感じるんですよね。
友人からも詩作からも遠ざかり孤独のうちにあった中也。
しかし泰子との別れから半年後。
中也はついに一編の詩を書き上げます。
…と自ら記すほどのターニングポイントとなる詩でした。
この詩が完成したあと中也はまず小林秀雄に見せたと言われています。
佐々木幹郎さんは中也がこの詩になぜ自信を持って「方針立つ」と位置づけたのかを次のように考えています。
どういう形で今現在の自分がいるかそして今いるままでいいんだという事がよく出てる詩なんですね。
この詩の主人公はみんなが朝早く起きて仕事し始めてる時間でもず〜っと長く寝てるんですね。
そして私は何もする事がない。
倦怠感にいっぱいになってる自分の心「早く起きなさい」というふうにいさめてくれる人はもう誰もいない。
かつては泰子がそうだったかもしれない。
その前はお母さんだったかもしれない。
でもそんな人もう誰もいない。
たった一人東京で一人にされた中也がいるわけですね。
この詩の中で中原中也が小林秀雄に見せたかったのは自分自身はたくさんのものを失った。
「お前には女はとられるし」という事も踏まえてます。
女の事何も言ってませんよ。
でも失ったさまざまの夢が今こういう形で「うつくしきさまざまの夢」になって自分の中では昇華していってるんだと。
朝起きた時たった一人で起きた時にそういうふうに感じる自分がいるんだという。
だから喪失感と倦怠感に満ちた詩ですけれども…そういう世界を俺はみごもったよみごもっているよという。
これは僕は中原中也の詩人としての出発のベルの詩だと思います。
たった一人になった中也が書き上げた「朝の歌」。
中也は自らの喪失感と正面から向き合いうたう事で詩人として再び歩きだしたのです。
何かこう一気に作風が変わったというか…。
ようやくこの失恋の苦しみから半年かかって書き上げた詩ですね。
これまでよりもちょっと難しい詩に思えますけれども。
そうですねいわゆる文語定型詩ですからね。
でもよく読むと決して難しくはなく音楽を感じさせる柔らかな詩だと思います。
すごくよく分かります。
これ。
(太田礒野)そうですか。
僕ものすごい悩んで悩んで半ば一歩も前に進めないような状態だった時期に渋谷のスクランブル交差点をぼんやり見てたらこの人全員に夢があるんだと思ったの。
夢とか絶望とかあるんだと思った。
ああ俺だけの事じゃないんだと思った途端に厚紙が剥がれるみたいに大丈夫になってたの。
俺だけがそんな深刻な目に遭ってんじゃないじゃんと思った事があって勝手にすごい似てると思ってその土手を見てたら土手に夢がいっぱいあがってく。
いっぱいあるじゃん。
そこでちょっとグッときちゃったのは…。
どこですか?ここの「さまざまのゆめ」はね平仮名で割とぼんやりと書いてる。
失った方の夢の話。
でも最後ね「夢」こっち漢字でガチッと決めるのは何か明確に頑張ろうと思ってる感じというか。
漢字の方はそうね。
希望がちょっと見えるんです。
「うしなひしさまざまのゆめ」と「うつくしきさまざまの夢」。
ちょっと何か計算して書かれた。
それは十分計算してると思いますね。
思いますよね。
でもそれを計算とね…中也さんの詩のすばらしさは計算して書いたなって思わせないんですよね。
そういう事を忘れてしまう。
淡々とこう天井からもれてきた光とか情景をよんでるんですけど何かその心情というのが伝わってきますよね。
心が伝わってくる。
もう一度再生したいっていうねそういう気持ちで書いたんじゃないんですか。
だからこういう状態の自分を彼は肯定してますよね。
ちなみに泰子との関係なんですけども泰子は小林とも結局別れるんですよね。
破局してどちらのもとにも戻る事はなかったそうです。
何かそんな感じする。
分かります?中也さんはねずっとやっぱり一旦好きになった人の事をず〜っと思いを持ち続けるというその持続力というもの。
そしてそれがすばらしい詩をずっと亡くなるまで書き続ける事ができた。
そういう意味ではミューズだったのかもしれませんね。
今日は中也が恋をして振られて再び歩きだすというところまででした。
次回もどうぞお楽しみに。
太田さんありがとうございました。
2017/01/16(月) 22:25〜22:50
NHKEテレ1大阪
100分de名著 中原中也詩集 第2回「“愛”と“喪失”のしらべ」[解][字]

長谷川泰子との恋、小林秀雄との三角関係、そして別離。その苦悩が中也を詩人にした。「愛」や「喪失」が人間に何をもたらすのか。その苦悩からどんな言葉が生まれるのか。

詳細情報
番組内容
長谷川泰子との恋、小林秀雄との三角関係、そして別離。その苦悩が中也を詩人にしたともいわれている。切ないまでの恋心、そして別離の哀しさ。あふれ出すような激烈な思いが「ことば」として結晶していくとき、そこに「詩」が生まれるのだ。第二回は、「盲目の秋」「朝の歌」といった中也の詩を通して、「愛」や「喪失」が人間に何をもたらすのかや、そうした苦悩にぶつかったときに生まれる言葉の奥深さを明らかにしていく。
出演者
【講師】作家…太田治子,【解説】詩人…佐々木幹郎,【司会】伊集院光,礒野佑子,【朗読】森山未來,【語り】山根基世,【声】田丸裕臣,秋元うらら