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地上波テレビの字幕を全文書き起こします

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字幕書き起こし ミュージック・ポートレイト「カンニング竹山×大久保佳代子 第1夜」 2017.01.19

(竹山)どうぞどうぞ。
(大久保)こんばんはですかね。
うんこんばんはですね。
ああ…ちょっとあれでしょ?今歩いてくるのをちょっと嫌らしい目で見てたでしょ。
見てないね。
見たでしょ?ここ結構な距離あったから。
一回も見た事ないね。
大久保さんの事をそんな目で。
ああ結構長いつきあいですけど一回も?一回はあるでしょ?一回もないです。
芸人カンニング竹山とタレント大久保佳代子。
今テレビで顔を見ない日はないほど活躍している2人が人生を語り合います。
竹山です!本業のバラエティーはもちろん情報番組でも切れ味鋭い本音で引っ張りだこ。
おらのようなボコでもめとってくれる人はいるずらか?そりゃあねえこたねえら…。
近年はドラマや映画にも出演。
今や全世代から注目を集める人気タレントです。

 

 

 


はい。
あざっす!さっき手を挙げられてた時どうしてタクシーだって分かったんですか?その原点はお笑いコンビカンニング。
やかましいわコラッ!辺り構わず怒りをぶつけるキレ芸で一躍人気芸人となりました。
出てますよ〜!しかし華やかに見える人生の裏側は波乱に満ちていました。
駆け出しの頃何度も脱走を繰り返しました。
不幸を笑いに変えてようやくつかんだ大きなチャンス。
戦闘だから。
いっつも戦争だから。
そうか。
テンションバ〜ッて上げて。
相方の闘病そして別れ。
現在テレビのレギュラー7本。
肉食系熟女として世の女性の不満を代弁する存在。
失礼すぎない?この人。
21歳の時光浦靖子と組んだオアシズですぐテレビに出ます。
へいへいどっこいおうくろまめイワブロ。
お聞き下さい。
ツーツースリーフォー。
しかし人気が出たのは相方の光浦。
大久保には長い屈辱の日々が待っていました。
う余曲折の人生で大久保が大切にしている音楽とは?少女の頃から好きだったビートたけし。
いち男。
諦めない事だけを心に誓う日々。
ブレイクしてもまだ追いかけてくる不安。
同じ年に生まれ共に荒波をくぐり抜けてきた2人。
気の置けない者同士今夜は本音トークでお互いの大切な音楽と人生を語ります。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
1971年成田空港の建設を巡って日本が揺れていた年。
カンニング竹山こと竹山隆範は福岡市に生まれました。
裕福な家庭で何一つ不自由のない生活を送っていた隆範少年。
小学2年の時テレビから流れてきたこのメロディーに心を躍らせます。
自分で初めてドーナツ盤のレコードを買ったのがこのレコードなの。
レコードですもんねまだ全然ね。
レコード真ん中穴開いたさ。
多分ねまだね裕福な時代だったのよ。
竹山家が?うん。
俺ね小学校3年ぐらいまで結構裕福だったのよ。
その時までずっとバイオリンとかやらされて。
家もでっかいスピーカーとかあってさ。
へえ〜!何かこう…木のステレオみたいなのあったじゃん昔。
あった。
もういいおうちにあるやつ。
でかいやつ。
え〜!そんなうちの子なんだ。
だから「ビューティフル・ネーム」を聴いている時代はまだ幸せな時代よ。
早いな。
このあとどんどん不幸になっていく時代に入っていくって事ですか?小学校3年ぐらいからある日突然だぜ。
食卓にさ家族集まったの。
「実は会社の何々が」会社の社長だったんだけど「会社の何々が倒産してしまって」クア〜ッと泣き出してびっくりしちゃって。
父の会社の倒産で竹山家の生活は一変。
今も当時の光景がよみがえります。
社長でさ外車とかめっちゃ乗ってたのにそんなもんどっか全部行って。
あと国の人が入ってくるのよ。
裁判所の人が入ってくるのよ。
それでね「はいこれ駄目ねはい触っちゃ駄目です」って。
差し押さえみたいな。
差し押さえの札貼られるのよ。
ああそんなの経験してるんだ。
そう。
それで母ちゃんとかが「これは勘弁して下さい」みたいな。
映画みたい!やだやだ。
こうやって見てるっていうさ。
子どもが?そう。
あ〜やだ。
それでお母さんなんかも要は昔は社長夫人みたいな事だったけど。
スーパーの下にさテナントみたいなお店あるじゃない。
フードコートみたいな。
ああありますあります。
そこでうどん屋を開くのよ。
カウンターのうどん屋の前にお客さん通る所にはいなりずしとかお握りをさ。
あるあるある。
うどんとセットでちょっとね。
売るじゃん。
それを小学校4年5年ぐらいの時に手伝わなきゃいけないから。
「おいなりさんいかがですか」とか言いながら。
竹山少年が?俺と姉ちゃんと。
そういうとこの手伝いを小学校4年から5年ずっとやってる訳ですよ。
お客さんをさばくという事。
それが後に東京に出てきて芸人になっていろんなバイトする時にどのバイト先でもやっぱりお客さんのさばきがうまいから全て「社員にならないか」って誘われるっていう…。
もうそんな小学校の時に。
それはだから親のおかげよ。
小学校の時のその経験が後々生かされて。
働く小学生だった竹山。
いつか俺もあの舞台に立ちたい。
小学校4年の時に漫才ブームが来てもうやっぱりたけしさんですよ!もうツービート見て。
一緒。
一緒。
意味はよく全部は子どもだから分からないけど。
分からないの。
早口だし毒舌みたいな事言ってるけど。
でもどんどんどんどん憧れるんですよ。
あの爆発力に。
こういう漫才師っていう仕事があるんだと。
俺も漫才師になってこの箱の中に入りたいというのがそこからどんどんどんどん生まれてくるんですよ。
あれがなければ多分人生違う人生になってたかもしんないね。
竹山と同じ1971年生まれの大久保佳代子。
海に囲まれた愛知県の渥美半島で育ちます。
小学校では明るく愉快な人気者。
そんな少女はテレビに映るアイドルに夢中になりました。
初めて自分で買ったレコードはシブがき隊の「サムライ・ニッポン」。
シブがき隊がまず好きだったのすごく。
その前のたのきんじゃないの?たのきん。
女子はたのきんから始まったよね小学校の時。
一とおり行ったの。
たのきんから入りたのきんはマッチに行き次シブがき来たかな。
次にそうシブがきよ。
…でヤッくん。
本当に「ベストテン」「トップテン」の時代だったから。
だからアイドルになれるんじゃないかっていうのもちょっとほんわり思ってて。
なれると思った?思ったね。
だからいわゆる当時こういう聖子ちゃんカットっていうのかな。
みんなこういうちょっと外巻き。
ああいうっぽい髪形もしてたし…。
本当にこの「アッハ」みたいな。
まねして。
ちょっとぶりっ子っていうやつ。
親は注意しなかったの?しなかった。
ただ今からだと想像できないかもしれないけどまあまあのブスだったのね。
いやもう全然想像できるよ。
多分今一番いいぐらいでしょ人生で。
今一番仕上がっているぐらいでしょ。
そうなのびっくりする。
1984年ロサンゼルスオリンピック。
相次ぐ日本人選手の金メダルに国中が沸いた年でした。
大久保佳代子は13歳。
異性を意識するお年頃です。
世の中は漫才ブーム。
多くの人気者の中佳代子が憧れたのは…いや〜たけしさんですよ。
うんいいね。
だから竹山さんもさっき漫才ブームたけしさんツービートを見て漫才師になりたい格好いい私もすごい衝撃を受けたんですよ。
アイドルからさたけしさんに行く訳?シブがき隊とかそのジャニーズから心を奪われるのはたけしさんだって事?たけしさんだった。
男のアイドルとして見てた。
面白い男のアイドル的な。
…でかっこよかったのよ。
当時たけしさんも。
めっちゃかっこよかった。
色気がもうあって。
今でも昔のたけしさんのVTR見るとやっぱりかっこいいもんね。
かっこいい。
私ちゃんと太田プロファンクラブに最初入るんだけどたけしさんが抜けてSWEETBEATCLUBってファンクラブに変わるんだけどそこに入って。
雑誌は全部買うレコードは全部買う「OK!マリアンヌ」なんかは多分中学の時なんだけど全部ほとんどアルバム持ってて。
たけしさんにその事話した事あるの?ないの。
今ほら会えるじゃん俺ら。
会えるの。
ちょっとしゃべってもらえるじゃん。
しゃべってもらえるの。
私ここ最近だけど「大久保さん」とか言われるの。
一番最初に会ったのは今でも覚えてて何か医学の番組の時に。
多分ひな壇とか座ってて知らないからでも「おねえちゃんはさ」って言って「おねえちゃんって私の事を言った」と思って。
仕事になんなかったの覚えてる。
まだその思いがあるの?昔の。
ある。
後にバブル経済と呼ばれる一大好景気が始まっていた1987年。
16歳の竹山は血気盛んな高校生になっていました。
世の中はバンドブーム。
個性豊かなバンドが次々にデビュー。
若者の心をわしづかみにしていました。
「バンドやろうぜ」っていう事になってそれでもう高校時代は一旦お笑いは忘れてというかそれ誰にも言ってない夢だからさ。
ああなるほどね。
お笑いの方は。
みんなでバンド組んでバンド活動が始まるの。
バンドではボーカルを担当。
自分でもイケてると思っていた高校時代夢中になったのはT.REXの「20thCENTURYBOY」。
T.REXのこの「20thCENTURYBOY」もさ1973年の歌なんだけど。
昔のなんだ。
いつの間にかみんなT.REXとかに憧れて。
長髪でちょっとこう何て言うの…。
気持ちちょっとメークしているみたいなさ。
何かそういう感じに憧れる訳。
全然似合いもしねえしメークのしかたも知らねえけど。
みんなそうなりたいからさ母親とかのさ化粧品盗んでさ。
口紅みたいなのを手に塗ってさこの辺にグッてやるとさアフリカの部族みたいな。
そうでしょう。
みんな分かんねえから田舎の少年たち。
みんなでギャ〜ンってギター弾きながらさ。
情熱の全てを注いだバンド活動。
あるメンバーとの絆が人生を変えます。
今福岡で芸人やってるケン坊田中っている訳。
同級生でバンドも一緒にやってたの。
初め真剣にコピーバンドでさいろんなコピーをただやってるバンドだったけどさそのうちそのケン坊とかとさちょっとしゃべりだしたりする訳。
ケン坊もその時ぐらいからちょっとお笑いやりてえなって2人でたまに話す訳。
「実は俺やりたかったんだ」。
「いや俺も実は」みたいな。
俺たち仲よかったから。
ほんでバンドの時にちょっとおしゃべりをさ「ちょっと2人でやってみる?」みたいな。
ちょっとウケだす訳。
そしたら欲が出て「ショートコントやってみる?」ってなる訳。
バンド曲と曲の合間ぐらいのイメージで。
気付いたら徐々に徐々におしゃべりとコントが長くなって高3の時に50分の尺があった訳俺たちのバンドね。
50分の尺があるんだけどやった曲は2曲で。
すげえな。
あと2人でおしゃべりとコントやった訳。
その時に覚えたんだ笑われる…笑いをとる快感を。
まさに笑われるだよねまだね。
笑わしてはないよね。
1987年大久保佳代子も高校に入学。
同じクラスには後にコンビを組む光浦靖子もいました。
仲よしグループの間で女の友情が育まれます。
普通科と商業科といろいろあるんだけどその中でも普通科の一クラスだけ選抜クラスっていって後々大学を目指す子たちが集まるクラス。
学力で成績いい子たちね。
そん時に3年間光浦さんとクラス一緒なんだけど結局男子と3年間口をきかない同盟みたいな…。
最低だ最悪。
ただの負け惜しみだよね。
3年間5〜6人いたんだけどまあまあのブスがね5〜6人で組んで「私たちが一番面白いでしょ」っていう女の子でキャーキャーなんか「笑いのセンスありますよ私たち」みたいな子ってちょっといなかったんでこっちだけで5人だけで…。
いたよ変なノリのね。
変なノリのそう。
光浦さんはどっちかっていうと当時からプロデューサー気質だから「大久保さんちょっとこういうのやったら面白いと思うんだよね」。
私やらされる方だったの。
何か長い廊下があった時に「一人タンゴってやってみなよ」って一人タンゴっつってもここエアーで「タッタッタッタン」って長い1組から5組まで行くみたいな。
誰も笑ってないの。
光浦さんがこうやって見ながら笑うぐらいな。
見方によりゃいじめだぜ。
そうなの!私ね後々気付いたの。
30過ぎてからこれいじめだよねと思って。
でもそれが結局2人でコンビ組んでそういう事になっていく訳だもんね。
高校生活をエンジョイしていた佳代子も3年生。
周囲は受験モード一色になります。
勝手にその…そういう時期だから自分たちはすごく縛られて抑圧されてると。
勝手に思うそんな事ないよね全然自由…。
みんなそういう時期だから。
時期?何でこんな自由がないんだってもがき苦しみたいみたいな勝手に。
そんなに締めつけられてもねえし。
締めつけられてもない。
もう勝手にどうぞだったんだけど。
早く自由な世界へ飛び出したい。
抑えきれない気持ちをブルーハーツのこの歌に重ねていました。
いいね。
音今聴いても音もいいね。
何で古くないんだろうね。
古くない。
今でも聴くもんね。
やっぱりほら言ったとおりバンドブームががっつり来て授業と授業の間の10分の休憩がある時に公衆電話しか当時なかったからぴあ持ってライブの…。
あ〜ぴあね予約そう。
ぴあ持ってライブのあれを取りに行って。
それで遅れてくるのよ授業に。
そうすると先生にスリッパで今はあれ駄目だけどバ〜ンって殴られてまた先生に「何だこいつ。
自由がない私には」みたいな。
ぴあで取ってる時点でものすごい自由だよ。
ブルーハーツの歌詞とかが本当よかったんだよね。
自分がいるところは世界の片隅なのかみたいなの言ってるけど自分はこんなとこにいる人間じゃないって急に出てきてこんな狭いところじゃ自分を発揮できない。
東京に行かなきゃって思わせてくれたの。
そこで思った?そこで。
東京に行けば何かがあるっていう。
これを聴きながらよく受験勉強をしてた。
一方高校を卒業した竹山は芸人の道へ進む事を本気で考え始めます。
一緒にバンドやってた田中後のケン坊田中って芸人なんだけど。
さっき出てきた子だ。
そいつとどうしようかと。
もう2人で芸人になろうという話はしてる訳。
どうしようかって言ってるんだけどいろいろ思ってて東京の芸人になりたいっていう事で2人で一致する訳よ。
福岡ではないんだ。
福岡じゃないの。
といっても東京に出なきゃいけない。
どうしようかと大学だと。
ケン坊田中と2人東京の大学を目指すも不合格。
地元福岡の予備校へ通い始めたそのやさき…。
お笑いで有名な事務所が九州に進出。
オーディションが行われる事を知りました。
「東京行こうぜ」って言ったけどとりあえず受けるだけ受けてみようやと。
俺たちどれくらいできるか分かんねえからと。
多少ちょっと自信を持ってたじゃない2人とも。
バンドでライブハウスでやってたから。
そこで?そう。
やった事あると勝手に思った訳人前で。
じゃあ受けようかっていう事で受けた訳。
そしたらさ東京とか大阪みたいに人数多くねえから受ける人も。
なるほど。
少ないじゃん。
バンバン勝ち上がっていく訳。
結局決勝行く訳よ。
決勝行ってテレビ出て優勝する訳。
特別賞が今の華丸・大吉よ。
すごい!それでよしもとさんに「プロになるだろ?」って言われたの。
「来いよ福岡に。
福岡事務所に」って言ったらもうそう言われた時にはさ2人とも一つ返事で「はい!」よ。
地元福岡で芸人デビューを飾った19歳の竹山。
しかしプロの世界は想像以上の厳しさ。
これではついていけない。
その当時の所長さんは福岡よしもとをでかくしなきゃいけないって。
そん時一番俺たち若かったから一応優勝者じゃん。
俺たちを中心にいろんな事を置く訳よ。
番組やりますよっていう時も俺とかが中心な訳。
華・大がサブでいる訳。
俺とかめっちゃ怒られる訳。
「事務所来い」って言われて事務所行って夜10時から朝5時まで駄目出し始まるんだよ。
長い。
それがもうワ〜ッてちょうどなっちゃって。
楽しい事しようと思って入ってきたのに全然楽しくないなっていう。
怒られてばっかで。
子どもだからさ分かんないじゃん。
どっかで東京行きたいなってある。
ちょうど1年たとうかたたないぐらいの時に島原の営業って長崎の島原。
島原。
島原の乱の乱が起きたとこ。
そうそう島原の乱の。
島原の営業にイベンターに乗せられた車で行ったのよ。
こんなはずじゃなかった。
そう考えているとカーラジオからこの歌が流れてきました。
これ聴いて本当に苦しんでたから涙出てきちゃって。
これ聴いた瞬間に辞めようと思ったの。
辞めようじゃないんだよ逃げようと思ったの。
あっやろうじゃないんだ。
逃げようと思って。
それで福岡帰ってその日の夜に…どこに?まず東京の兄貴のところに。
あ〜お兄ちゃんいるから。
ケン坊は?ケン坊だけ残ってるのまだ。
いやケン坊には言った?言わない。
逃げてるから。
いやいや最低。
最低じゃん人として。
え!?仕事飛ばしてるから。
逃げて兄貴のとこ行ったら「お前何やってんだ」って今の大久保さんと一緒の意見よ。
「そんなに言うなら帰ります」って福岡帰った訳。
事務所の人と話し合いとかになって「お前何やってたんだ?」。
「いやちょっと嫌で…」。
番組に穴開けたと。
本当だったらクビだお前って言われたけど1か月だけペナルティーがあるから劇場とか出た時に表は出さないと。
ケン坊にも謝れと。
裏方やれと。
音響とか雑用とか。
それがペナルティーって事だ。
「それをやったらいいよ」って言われて。
「分かりました。
もう一回お願いします」って言って1週間ぐらいかな。
嘘でしょ?本当です。
嘘でしょ。
逃げます。
もう嫌になって。
1週間ぐらい本格的に逃げます。
誰とも連絡取れないようにして。
取れない。
携帯ないじゃん当時。
うん。
ない。
ところが夜親不孝通りかなんかで遊んでたのかな。
福岡のメインの当時。
夜遊んでたら華・大かケン坊か何かに見つかったのかな。
「何やってんだお前!みんな心配してるぞ!」って。
「すいませんでした」っつって。
ちょっと嫌いになったわ今。
そんな人じゃないと思ってたから。
「もう一回やらせて下さい」って言っちゃって。
本当ね?本当にやるのね。
じゃあ1か月ぐらい裏方やれと。
雑用とか掃除とかずっとしてちょうどねそれはね1週間半ぐらいたったかな。
いやいや駄目だこいつ!そん時はもう俺駄目だと思ったのよ。
もう本当に駄目だと。
本当にいよいよ駄目だと思ってその時には言った朝。
朝うちの親父さんが寝てて当時俺「パパ」って呼んでたけど「パパ。
パパ」。
甘えてんな。
「おお」って起きて。
「ちょっと俺もう駄目だ。
東京行くわ。
ちょっと駄目だ」っつったの。
やっぱ親父は感じてたんだろうね。
何も言わずにさ金庫があって金庫行って金庫から30万パッと渡して「母親にバレんように出てけ」っつった。
お父さん!そこからどうしようかなと思ってでも30万円。
うわ〜30万ある。
どうしようかなと思ってそこで思いついたのが俺北海道行った事ないと思って。
その30万で日本中を旅します。
あ〜歌にねリンクするよね。
違う。
違う違う。
違う違う。
東京でしょ?せめて。
まずね広島行った。
広島で観光して次大阪行った。
あれれれ?初めての名古屋も行った。
人としては最低だよ。
その土台って変わらないからね人って。
ところが変わってくのよ。
北海道の大通り公園で昼間もろこし食ってたの。
観光じゃねえかよ!観光だよもう。
もろこしの屋台があってさもろこしなんか福岡ないからさあんまり。
こうやって屋台でこうやって食べて一人でずっとやってたら多分アメリカかカナダからいらっしゃった外国人の留学生みたいなのがいてその人が片言の日本語で「ナニヤッテルノ?」みたいにこうやって来て。
男の人?そう。
実は僕は福岡でコメディアンやってたんだけど今もう嫌になっちゃってどうしようかっつって旅してるって言ったら「実は僕は宣教師として宣教師の勉強をしに北海道に来てるよ」って言ってその人がもうリアルに俺に「ドリームズカムトゥルー」って言うの。
「夢はかなうよ」って。
「だから東京行きな」って。
え〜すごい!その人に言われて「はい」っつって。
それで結局東京に来るんですよ。
19の終わりぐらい。
さっさと行けたけどね本当はね。
本当はね。
あのね3回目の逃走で行けたのよ。
行けたね。
高校を卒業した佳代子は千葉大学へ進学。
束縛から解放され向かったのは男と出会える場所。
それこそ大学ですっごい恋愛をしたりキャンパスライフを楽しもうと思ったの。
共学?共学!大学だから。
最初スカッシュサークル入るの。
ハハハッ!出会いだけ目的。
そう。
当時一番やばい軽いサークルってうちの大学ってスカッシュってあったのよ。
やっぱ大学生の頃ってさ19二十歳の男って一番残酷じゃん。
かわいいビジュアルがいいのがもう一番でしょ。
そしたら不思議と落ちるよね。
いやそれは落ちるよね。
全然見てくれないの。
新歓コンパとか行っても。
そのころに光浦さんそういう思いしてたかどうか分かんないけど「お笑いサークル入らない?」と。
光浦は別の大学?別の大学。
東京には来てたけど別々なんだ。
別々。
2人して早稲田の寄席演芸研究会に入る。
軽い気持ちで入ったお笑いサークル。
これが後に光浦とのコンビ結成につながります。
女の子来たんだ。
一応もてはやしてくれて飲み行こうよって連れてってくれたんだけど翌日部室行ったらさ部誌ってあるのよノート。
「昨日女の子女子大生来たけど栃乃若とハナコだった」って書いてあって。
低レベルの男に言われたと思って。
でもやっぱりそういう人たちにも見向きもされない訳よ。
なかなか。
恋愛はない?そこで。
あったんだけど。
間違いがね。
うん間違いが。
夜中呼び出されるのよ。
「缶ビール買ってきて」って言われて缶ビール買って。
2時ぐらいとかに。
…で飲んで。
そうするとその男の子が「あっもしもし」っつって「あっ来れるの?じゃあ来て」って言ったらきれいな女の子来るのよ。
1人。
「大久保さんそれ一とおり飲んだら帰れる?帰れるでしょ」って。
もう帰れないから3時とかに出されるの。
…で駅前のマックとかで始発待って。
何のために呼ばれてるの?何なの?それ。
その女の子が来なかったら私なんじゃない?誰でもいいから探してたって事か。
そういう時期あるでしょ男って!いやでもそのメンバーに選ばれただけでもよかったじゃん。
エントリーされてるだけでね。
でもそんな中それこそ本当西千葉着いて雨とか降ってるじゃない。
もう雨ぬれるよね自らね。
森高千里歌うよね。
しみこんでる訳だ。
しみこんでる!もう悲劇のヒロインっていうか悲劇じゃんもう。
恋愛が駄目ならお笑いがある。
ままならない青春をお笑いに懸けて佳代子は光浦と芸能事務所のオーディションを受けました。
じゃあちょっと本当に大学時代記念にそれこそ人力舎のライブのネタ見せ行こうよって光浦さんが言ってくるんだけど。
あ〜なるほど。
行こうよって行ったら「すごいね。
普通女のコンビってブスとかわいいがセットなのに君たちブスブスじゃない。
新しいよ」って言われて。
それで採用になるんだ。
採用。
そこからドンっと。
プロ入んなさいと。
どんどんいろんなライブ出してくれて。
こうして21歳の佳代子はお笑いコンビオアシズとしてデビュー。
芸人人生が本格的に始まります。
宣教師の言葉に背中を押され東京にやって来た二十歳の竹山。
夢はあっても芸人になる当ては何もありません。
そんなある日立ち寄った食堂で思いがけない人物に出会います。
そこガラッと開けたらさそしたら中島さんがさビール飲んでナイター見てたの。
へえ〜。
えっ初対面って事?中島はだから俺小学校中学校の時からもうずっと親友ですよ。
そうですよねそうですよね。
でも俺が西荻窪に住んでるのとかも何にも知らないはずなの。
後に漫才コンビカンニングを結成する中島忠幸。
小学校からの同級生であり親友でした。
こっちは「やべえばれたかな」と思った訳。
追っかけてこられたみたいな。
そう。
でも向こうも同じ顔して「え…」ってまずそうな顔したの。
「お前何しようと?」みたいな。
「いやお前こそ何しようと?」みたいになって。
それで事情を聞く訳。
あいつはね高校時代高校中退とかしてアイドルの親衛隊とかやってた訳。
アイドルの親衛隊?「何とか〜」って言うやつ。
そうなの!?職業じゃないけど九州で一番偉くなる訳。
誰がそれ依頼するの?各プロダクションの人とか何かあったらしいよ当時。
俺ちょっと詳しくないけど。
ほんでだからさそれこそ名古屋支部とかさ関西支部とか東京支部の偉い人と交流が出てくる訳。
そういうのをやってたんだけど18歳の時にあいつ親からも言われて板前として修業に入った訳。
ところがけんかっ早い人間だったから中島さんは実はね。
板前の兄貴さんと半年ぐらいでもめちゃって。
ほんでバ〜ン行っちゃって「辞めてやるよ!」って言って飛び出して福岡空港行ってどっか一番早い飛行機乗ろうと思ったのが東京行きだったのよ。
それ乗って東京に来て東京で知り合いは…。
あっそうだ!西荻窪にいたな親衛隊の友達がと。
親衛隊の友達を当てに来てたんだ。
それで親衛隊の友達のアパートに行ったらもういなかったのよ。
そこに住んでなかったのよ。
…でやっべえなって事になったんじゃない。
ちょっと飯でも食うかって事でその近くにあった定食屋に入った。
ビール飲んでナイター見てた。
そしたら親友の俺が入ってきた。
うわ〜!住むとこないだろって事で住め住めって風呂なしのアパートにさ。
何て巡り合わせ。
福岡を飛び出した2人は東京へ来たうれしさのあまりひたすら遊ぶ日々を過ごしてしまいます。
10か月ぐらいそんな生活してる時に俺フッと気付く訳よ。
俺何しに東京来たんだろうと。
そうよ10か月たってますよ。
中島にお笑いをやりたいんだよなと。
「一人じゃあれだからお前やる?」って言ったの。
そしたらあいつ何もやった事なかったけどあいつが「ああやろうかな」って言ったの。
ハハハハハッ!「じゃあどうしようか。
まずネタ作んなきゃいけねえな」って言ったら中島が「じゃあ事務所は任せろ」と。
「親衛隊でツテがある」と。
そうかプロダクションは。
そう。
「お前ネタ作れ」と。
「オッケーオッケー」って俺ネタ作ってあいつ「渡辺プロさんは今度の日曜日何時からネタ見せ。
ホリプロさんは何時に来れるんだったらネタ見せ」みたいな事を全部つけてくる訳。
すごいね。
すごいよ。
敏腕だね。
敏腕。
それで渡辺プロさんに行ってネタ見せしたら「君らじゃあ預かりますよ」ってその場で言われてカンニングになる訳。
へえ〜!21歳の時カンニングが誕生。
しかしここでも楽し〜い生活に溺れてしまいます。
まさしく俺が夢に見てた芸人の生活な訳よ。
東京の芸人になって友達もいっぱいいて…。
そうですよ。
ナベプロ入ってってね。
ナベプロ入ってっていう…。
ものすごく楽しくなっちゃってその辺からもうネタ作んなくなる訳。
早いなちょっと。
うん。
ちょっと早いな。
もうね1年半か2年目ぐらい。
早いないろいろ。
その時ぐらいにちょうど今のかみさんだよね。
僕が21か22の時に今のかみさんとも出会ったりして。
かみさんがスカパラとか音楽が好きな人で。
ライブハウスとかいろいろ行ったりとか東京スカパラダイスオーケストラの初期のものを見てたりとか。
…でするうちに僕もだんだんスカというジャンルも好きになってきて。
あ〜かっこいい。
スカパラとかを見に行くようになったんですよ。

(歌声)当時ボーカルだったクリーンヘッド・ギムラ。
型破りなファッションや自由気ままなパフォーマンスに竹山は触発されます。
これだ。
かっこいい訳ですよ。
当時そういうスタイルの人いなかったの。
今結構バンドでそういうさ歌わないけどみたいな人いるから。
たまに何か言うけどみたいな。
あんな感じの芸人になりたいなと。
そしたら何かネタ漫才作るとかバカバカしいなと。
絶対言ってる事支離滅裂だよもう本当に。
結局それがもう訳分かんなくなって適当に遊びだす20代に突入だよね。
早かったな。
そっか遊びだしちゃうんだカンニング一回。
みんながライブとかで頑張ってる時に俺たちはもう全然駄目になってく。
20代中盤ぐらいから。
全く売れないまま時間だけが過ぎていきます。
竹山本当に大丈夫なのか?オアシズでデビューした21歳の大久保佳代子。
テレビ出演などもありさい先のよいスタートでした。
おはようございます。
おはようございます。
申し遅れました私今日からここでアルバイトさせて頂く事になりましたハシモトドジコ。
あっいっけないドジっちゃった。
トシコどぇ〜す!駄目だあんた。
人前に出ちゃ駄目な人だ。
光浴びないで。
来てこっちにちょっと…。
ガチャ。
トイレ掃除。
あ…。
髪の毛いっぱいですね流しに。
うわ〜汚い!うわ〜こんな…。
先輩ロング似合うじゃん!汚いじゃない!汚いじゃない。
何でつけんの?人の髪を。
ところが強烈なキャラを放つ光浦だけが売れていきます。
置いてけぼりの大久保。
1個レギュラー番組があった時に光浦さんだけが選ばれてしまうと。
当時はまあ一人だけ行っちゃってあれ何だろうなみたいな何でだろうなって思って若干モヤモヤした気持ちもあって。
ちょっとコンビとのバランスが悪くなってそん時に「じゃあどうしようかな辞めようかな」とは思わないのね。
何か変な本当それこそ根拠のない自信だけど私何か頑張ってたらまだ何かあんじゃないのって思って。
何をやるかっていうと劇団をやりだすんですよ。
当時OLもしだすから働かなきゃと思って。
月金でOLやって土日で社会人の劇団。
生活のためにOLとして働き始めた佳代子。
それでも人前に立つ事への情熱は失いません。
女優じゃないかってちょっと思ってた時期もあるんだよね。
お笑いじゃないと。
私は芝居だと。
うん。
笑われるとかもちょっと違うっていうような。
やっかいな女芸人に入ったね。
笑われるの違うってなりだすとね。
そうなの。
だから宮本亜門さんの舞台とか勝手に履歴書出したりさ。
それ以外は意外と…。
亜門さんとこまで行ってないわ多分それ。
本当?何で滑ったんだろうなあれ。
そうやって劇団何やかんやはしごしてる時に稽古場行く前に自分で集中力を高めようと思って公園の片隅で朝10時ぐらいにイヤホンで聴いてたのがこの曲。
あの時辞めようとしてたんじゃないの?俺OLさんやってる時は大久保さんってもう辞めるつもりなのかなって。
全然ない。
この世界に足を踏み入れとけば誰かが見つけてくれて何かのし上げてくれるんじゃないかと思ってたから。
今はまだね原石で光ってないけど…。
言い方が違うんだよ。
原石とかそんな言い方じゃない。
私は高校時代にすごい面白い人だっていう立場にいたと思ってたのよ。
今光浦さん出てるけどいやいやいや…。
いや私じゃんって。
廊下で一人タンゴしてたの私じゃんって。
高校の3年間の5〜6人の中のこれを自信に持ってきてるのがすごいでしょ。
その根性はさつながってんだねずっとね。
つながってると思う。
それがあったからそん時もいける訳じゃない。
いける…そうなんでしょうねこれね。
それがだからよかったんじゃない?だから今あるんじゃない。
一方全く売れないまま7年目を迎えたカンニング。
30歳目前で芸人としての収入はなし。
それでも仲間と遊んだり後輩におごったりの毎日。
竹山は大きな借金を背負っていました。
いくらあったんですか?もうねその時は450万。
そんな時にライブですよ。
ライブに行こうと思ったら借金取りの人来ちゃって行けなくてアパート逃げて。
逃げるねよく。
うん。
向かった先は大先輩ブッチャーブラザーズが待つライブ会場。
ここでのライブが2人にとって大きな転機となります。
もうその時に思ったの。
これ辞めなきゃ駄目だなと。
もう30も目の前だし。
ネタなんか俺たちずっと作ってねえし客にも毎回ウケてねえし。
いよいよ来たな辞める日がと。
その時にもう初めてだけど本当の気持ちを出す訳よ。
お客に向かって「お前ら帰れ!おら!」とか言いながら。
借金取りから今逃げてきたんじゃって言いながら住んでる住所は杉並区何とか何とか住所言って。
むちゃくちゃ。
当時女子高生が座ってて「おいお前!お前お前女子高生!お前あいつら見に来たんやろ。
なああいつら。
あいつらを応援してるという事自体でお前らにお笑いの才能がねえ。
なぜならあいつらは一生売れねえ」とか。
お前だよ。
嫌いな芸人の名前とかガンガン言ってたら周りのお客さんが「かわいそう」って。
うん引くよ。
「かわいそうなのこっちだ!」って言いながら。
え〜そんなむちゃくちゃな事…。
全然ウケないけど袖大爆笑なのよ。
そりゃ笑うな。
でも俺興奮して分かんないの。
もう芸でも何でもねえから。
ほんで「終わりじゃ!」っつって帰ったらブッチャーブラザーズのリッキーさん。
「竹山…」。
アハハハッかっこいい!まさに「けがの功名」。
チャンスをつかんだカンニング竹山はこの歌を聴きながら全力で走り始めます。
レニー・クラヴィッツ「自由への疾走」。
初めウケなかったけど1年半か2年ぐらいたつとライブで優勝とかしだす。
そしたらオーディションの話が来だす。
その時ね生まれ変わるのよ何か俺も中島も。
今やんないと多分終わりだと本当に思ってたから。
そっからのキレ芸なんだ。
その時にず〜っと頭の中駆け巡ってたのはレニクラのこの曲よ。
気持ち戦闘だから。
いっつも戦争だから。
テンションバ〜ッて上げて。
「トゥルルリンデンデン」っつって「おら〜!」って行けるっていう。
そんな曲に…。
こっちを見るな!見るに決まっとるやないか!かっこええ訳あるかコラッ!もっとお前らガーガーガーガー言えばいいやないか!もっと面白いやついっぱいいたやろうが!僕ら絶対売れません!
(歓声)2017/01/19(木) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「カンニング竹山×大久保佳代子 第1夜」[字]

2人の著名人が、人生の大切な10曲を持ち寄り、対談。まったく違う道のりを歩いてきた2つの人生が音楽を通して響き合う番組/カンニング竹山×大久保佳代子

詳細情報
番組内容
芸人カンニング竹山とタレント大久保佳代子。今テレビで大活躍している二人は、共に「売れない日々」を長く過ごした。竹山はデビュー後、プロの洗礼に耐えきれず逃亡を重ね、その浪費癖から借金地獄の20代を送る。一方の大久保もデビュー直後から相方だけが人気者となり孤立、OLとの二足のわらじ生活を強いられる。苦闘時代とその後の大ブレイクを経て現在に至る二人が、心の支えになった音楽を持ち寄り、語り合う。
出演者
【出演】カンニング竹山,大久保佳代子,【語り】ヒロ寺平