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字幕書き起こし ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「夫婦介護はシーソーゲーム 川津祐介」 2017.01.24

1964年赤い糸で結ばれた2人。
それはあります。
何が起きるか分からないでしょ。
それで…夫婦となり50年以上。
妻愛沙さんと一緒に歩んできました。
川津さんは「ザ・ガードマン」シリーズなど数多くのドラマや映画で活躍。

 

 

 


正統派から個性的な役まで幅広い役柄を演じてきました。
もし生きて帰る事があったら雄太を昭と同じように自分の子として育てたい。
そう思っとったんや。
・「…のよい子」その歌な…。
22歳でデビューしてからずっと第一線を走ってきました。
仕事一筋の川津さん。
その川津さんをサポートしてきた愛沙さん。
夫婦二人三脚でやってきました。
しかし川津さんが60歳の時撮影中病に倒れます。
いつもはもう元気が当たり前と思ってましたから病気になるなんて思ってなかったですもんね。
それまでは健康な私しか知らなかったですから出会った時から心臓止まるまで。
元気で働き者でよく稼ぐ人だったですからね。
一命を取り留めたものの川津さんはその後何度も病をかいくぐり命をつないできました。
一番近くで夫を支えていた愛沙さん。
しかし今度は愛沙さんが脳梗塞で倒れます。
片まひの後遺症から思うように動けない日々が続きました。
時に妻に介護され時に妻を介護し次第に変わっていく夫婦の在り方。
(2人)頂きます。
病気っていうスパンをここ20年っていうふうにすれば本当変わったと思います。
大切さっていうんですかね。
生きられる間はこの世界で生きた方がいい。
で愛せるだけ人を愛した方がいい。
本当に大切っていう事は言葉を使って伝える。
思いを送る。
物に託して送るっていう事。
本日のゲスト俳優の川津祐介さんそして妻の愛沙さんにお越し頂きました。
(一同)よろしくお願いします。
本当に2〜3分拝見しただけでこんなに本当の本当に赤い糸で結ばれたご夫婦って感じですね。
…とおっしゃる荒木由美子さんでらっしゃいますけれども。
今日とですね明日の2日間は「リハビリ・介護を生きる」というテーマでですね夫婦の介護についてお話を伺ってまいります。
荒木さんも仲よろしいですけれども圧倒されますか?いや私大概負けた事はないんですけどちょっと負けたっていう感じがしましたね。
もう左半分が熱くて熱くてしょうがないんですよ。
勝ったぜおい。
(笑い声)負けました〜。
もう本当に川津さんほど「あなたを愛してるよ」っていう言葉がお似合いな方いらっしゃらないですね。
でも実はお二方とも病気をされてるんですよね。
心筋梗塞で心臓止まりました。
60歳の時にね。
わ〜。
それまではもう元気そのものだったですね。
「あ〜痛いな〜」と思ったら心臓が止まっちゃった。
この人は脳梗塞1回脳出血1回。
半分ね全然動かなくなっちゃうから動かない方へ舌が出てきてデロンと垂れてる。
うそついてるとしか思えないんですよ私は。
その時はもう意識が行ったり来たりですから。
いつもいつも一緒というのはもう昔からそうでらっしゃるんですか?もういっつもバラバラでした。
っていうか仕事で…ともかく…。
私はね売れてたんですよ。
家へ帰ると大体2時か3時。
で5時に起きて新宿6時集合ですから何も食べずに行く…。
それがいつも一緒にご一緒なのはいつごろからなんですか?主人が倒れてからずっとそのあとはずっと一緒でした。
だから一緒にいらっしゃるから「あれ?いつもとちょっと違う」っていうそれに気付かれる訳ですよね。
やっぱり病気になった時に本当にそばについていたいなっていうふうに思いました。
・は〜い!・は〜い!いらっしゃ〜い。
ようこそ〜ようこそ!さあどうぞどうぞ。
川津さんが家の中を案内してくれました。
こちらから上がって頂きます。
ここは素通りして下さいね。
(取材者)すごい写真がいっぱいですね。
私がねカメラ好きなもんでね。
ほとんど私が撮った写真なんですけど。
あのねこれがね2人の結婚式です。
いろいろ理由があって結婚式も披露宴もできなかったんです。
箱根神社に2人でお参りして結婚式に代えたの。
友達に立ち会ってもらって。
家族の写真をず〜っと撮り続けて。
アルバムも何十冊あるかなっていうぐらいです。
(取材者)皆さんここ立ち止まるんじゃないですか?そう!僕も座っちゃったけど。
ハハハハハ…。
どうぞ。
川津さんは22歳の時慶應大学在学中に木下惠介監督にスカウトされ1958年にスクリーンデビュー。
「青春残酷物語」など数多くの映画に出演し青春スターとして人気を博します。
そして女優の卵だった4歳年下の愛沙さんと出会い5年後に結婚。
夫としてはですね「愛沙さん大変じゃない?」って皆さんおっしゃるぐらいもうともかく全て…例えば食べ物も何も手作りじゃなきゃ嫌みたいなところもありますしどんなに遅く…おうちに11時に着くかもしれないという時でも外食しないで帰ってこなきゃならない。
とにかく俳優として仕事一筋で働いてきた川津さん。
地方でのロケなど家を空ける事が多かったと言います。
主人ほとんどおうちにいませんでしたからもう夜中に帰ってきてお食事を一緒にしてそれからまた明け方行く時にお食事をしてで出かけてしまうので。
会話もほとんどなかったですから30年か40年の間。
挨拶の言葉だけ。
「おはよう。
じゃ行ってくる」。
「ただいま。
寝る」それだけです。
あやっぱりベージュ似合うよ君。
わっすごいいい羽になった。
いいよすごく。
個展を開くなど画家としても活動している川津さん。
自身のある体験を描いたデッサンを見せてくれました。
あこれ。
これがねあの〜魂が体から離れた時に見た光景です。
これの上。
このぐらいかな?このぐらい離れてたかな?こっちから見てるんです。
臨死体験があるという川津さん。
実は1996年60歳の時群馬県での撮影中に心筋梗塞で倒れたのです。
左心室の後壁が壊死。
川津さんの心臓は3/3しか働いていなかったと言います。
「心配の気は送らないでちょうだい」って家族全員に言ったんですね。
「もう絶対お父様は生きて帰ってくるんだよ」って。
「その事だけをね願ってね」っていう事を言って。
で「みんなごはん食べないっていう事じゃなくてみんなもきちっとごはんを食べてお父様が元気になるのを待つという事をしようね」って声をかけてました。
手術は無事成功。
奇跡的に一命を取り留めました。
しかしその後も冠状動脈が閉塞。
カテーテル手術をはじめ幾度も手術を経験します。
川津さんはそんな状況でも仕事を続けてきました。
病気をした時にはロケが多かったんですね。
往復何が起きるか分からないでしょ。
である時期はもう歩けなくなって新聞紙を東京駅で敷いて少し横になってそれから電車に乗るっていう事は何度かありました。
それがもう日常的にありましたからだからついていかない訳にいかないし。
倒れたあとはもうほとんど全て主人中心。
今まで夜中に帰ってきてごはん食べてちょっと寝たら出かけてしまうっていう生活から…使い勝手は全然違っちゃいました。
…ていうのは心筋梗塞を起こすまでは週に3回はプールで1回2キロ以上泳いでまして。
それで筋肉鍛える事それから睡眠不足に耐える事泣き言を言わない事をアイデンティティーにして役者としてやってました。
今まで全部できてた事が全部奪われてしまう訳でしょ。
だからそういう意味ではすごくつらいだろうなというふうには思いましたけれど。
川津はすっごい無邪気で子どもっぽくてうれしい事があったらものすごく表現しますね。
そのかわりつらい時もグ〜ッとなるんじゃないですか。
川津さんの体調を気遣い支えてきた愛沙さん。
しかし2004年。
今度は愛沙さんが脳梗塞で倒れます。
脳梗塞起こした事が分かりまして。
本当に半身不随になるっていう事は片側全部動かなくなっちゃうでしょ。
で手足だけじゃなくて顔半分動かなくなっちゃうんですね。
だから舌もダランと外へ出てきちゃう。
そういう状態だったんですけど。
片まひの後遺症。
愛沙さんは思うように動く事ができなくなってしまいました。
「絶対安静してくれ」って。
で「洗濯もお掃除も炊事もあと食器洗いも全部私やるから完全看護の患者さんになって」って3か月。
でごはんは食べさせました。
でも洗濯はね知らない間に終わってるんですよ。
(笑い声)3か月。
戻ってきてからは少しずつ…やっぱりやりたい事も多いじゃないですか。
散らかってるの分かってて…でもやると叱られてしまうので彼が何かに集中してる時とか寝てる時にちょこちょこちょこっと。
ですから「洗濯が干してあったね」とかいう事になってしまうんですけれど。
でも男の人にとってはそれはすごく大変な事だったと思います。
今まで全く家事をやってこなかった川津さん。
しかし愛沙さんのためにある事に挑戦します。
何にもできない。
何ができるかなと思って。
「そうだこの人パンが好きだからパンを焼いて届けよう」。
そこからパンの勉強を始めたんです。
でもある時「もうやめて下さい」って言われて。
やっぱりちょっとボソッとしたパンなんで。
「おいしいおいしい」とは言うんだけど…。
違うのよ。
何が違うの?理由は違うんです。
あのねこねるでしょ。
すごい力をかける訳ですよ。
倒れちゃうんです。
後で…。
うん倒れるよ。
何だろうっていうとパンこねた日なんですよね。
具合悪くなっちゃうんです。
それで「パンはいいからやめて下さい」って…。
まずいからとかそんな事じゃないんです。
おいしかったですよすごく。
じゃ作ろうか?「お願いします」って言いたいけどいや昨日ねコーヒー焙煎したら「もうこれ最後かな」って言ってるんです。
もうだから私…。
もうやだパパ。
何が「やだ」って…。
現在も川津さんの心臓は全身に血液を送り出す力が弱いままです。
心臓をいたわってやらねばなりません。
心臓が非常にパワーが弱いんでいっつも温めてなきゃなんない。
それでここへカイロ入れてます。
背中にもおんなじの入ってるんだけど。
心臓挟んでサンドイッチにしておくと止まらないんです。
止まったらおしまいになっちゃうんだけど。
おしまいにしないためにこれいっつも入れてます。
若い頃はゆっくり会話をする余裕もなかったという2人。
年を重ね病を抱え夫婦の形も変わってきました。
笑いが多くなったと思います。
それから恨み言を言わなくなった。
2人ともいつ死ぬか分かんない病を抱えてる。
恨み事を言い愚痴を言い…その中でピュッと心臓が止まったらド〜ンと下へ落っこっちゃうからいつも笑ってる。
命ははかないし死んでしまったらどんな思いが強くても何もしてあげられないっていう事はもう身にしみて分かりましたから。
一瞬一瞬を大事に生きるっていう事。
介護し介護されながら何かこう…ただベタベタでもない仲のよさのちょっと違う歴史を感じますねご夫妻の。
基本的には信頼…。
ちょっとベタベタしてみるか?
(笑い声)いいですよ。
非常に信頼関係にねこうね…信頼で結ばれたご夫妻というふうに思いましたけれども。
心臓の機能が30%っていうのはどういうような状況なんでしょうか?そうですね…私は心室性と心房性と両方とも細動があるから心臓の状態が悪くなると痛くなりますまずね。
呼吸とかっていうのは苦しくなったりって事はないですか?ちょっと舞台に立って跳んだり跳ねたりすれば苦しくなりますけど舞台に立つ時は酸素を吸いながらニトロ使いながら1か月ちゃんとつとめます。
へえ〜。
愛沙さんいつもご一緒で介護するお立場からはねどの辺りを一番見てらっしゃるんでしょうか。
川津さんの。
う〜ん…。
見てる?
(笑い声)ひどい。
見てるよね。
ね〜。
愛を持ってね。
うん。
ちょっとあれかなと思うと首の後ろをもんだりするんですよ私は。
ここのね。
はい。
それはどういう…例えばお顔の表情とか顔色とか。
顔色が悪くなった時とか。
それからこう指をもんだりとかここを指圧したりとか。
ふだんやってるかどうかバレちゃうぞ。
やってらっしゃいます。
このところあまりやらないでも結構健康でいてくれてます。
それに対して川津さんは毎日奥様がいつもどんな所にもお仕事もおうちの中でも一緒にいて下さるって事に関してはどのように思われてますか?感謝してます。
感謝してますよ。
それと…。
その感謝はどのように表現なさるんですか?けんかしながらでも大切っていう思いは伝わるんじゃないかって思ってますこのごろはね。
だいぶこの人も我慢できるようになったし。
待つ事できるようになったんで。
愛沙さんはご自身はそれこそねまあ脳梗塞ですね。
…はどういうご病気かと改めて今教えて頂けます?何て言うのかな…数字駄目ですよね。
数字が駄目っていうのは血圧や何かの数字じゃなくて電話番号を覚えられない。
そうだろ?そうですね。
壊れちゃっててね。
記憶がなかなか…。
記憶がちょっととぶ時もあるし。
ええ。
そういう意味で本当に支え合ってらっしゃるんですね。
やっぱり若い頃と比べて今お互いご病気があると。
そういう中で夫婦っていうもののね考え方って何か変わりましたか?何かしてちょうだいっていう気持ちよりも何ができるかしらっていう気持ちの方が強くはなってきてます。
すごい!すごい。
うん。
変われるんだ人間って。
でもそういう会話もおうちの中でもいつもなさってる訳ですよねご夫婦で。
そうです。
おんなじような事を笑いながらする時と…。
真剣になって…。
真剣になって…。
そのうち大げんかになって…。
けんかに見えるだろうと思います。
ただうそ言ってうまくいってるふりするっていうのはもったいないんですよ人生の使い方として。
腕を組んで買い物に向かう2人。
ちょっと遅かったかな?大丈夫かな?あ〜大丈夫そう。
おはようございま〜す。
おはようございま〜す。
2キロあればいい?ただおさえにちょっとあった方がいいかな。
合いびきが…。
合いびきが食べたい?川津さんが24歳愛沙さんが19歳の時に2人は出会います。
しかし事情があり結婚式を挙げていませんでした。
2014年結婚50年を節目に金婚式と結婚式を挙げます。
お互いに命に関わる病を抱えながらも支え合い共に過ごしてきた2人。
私が具合悪くなって最初にね。
それからライフスタイルが一気に変わりました。
でライフスタイル変わっていく中で私がほぼ回復してきたら彼女が脳梗塞。
で今度私が倒れて。
で私がカムバックしてきたら彼女が倒れてっていう状態なんですけど。
一緒に倒れちゃったら助けてくれる人が今のところ…。
子どもたち皆独立してますんでね。
それも考えとかないといけないなと思いながら。
愛沙さんが病に倒れてから作るようになった食事は川津さんの楽しみになりました。
(取材者)ふだんも一緒に作られるんですか?いや一緒に作んないです。
一緒に作ったら「違う違う。
それ違うでしょ」って始まるから。
この切り方も叱られるに決まってるんです。
そんな事ないですよ。
あそう?そういう事は言ってない。
全部切っちゃうんですか?え?全部わさび漬けに…。
じゃあ半分残すねこれを。
え?いやいやいや。
今炒め物に入れるのかと思った。
炒め物に入れるの?「入れる」ってあなたがおっしゃってたんでそれの準備をしてるんだと。
5分前に言った事は覚えてない。
そんなに…炒め物にそんなたくさん入れない方が。
2人で食べるんだから。
はい分かりました。
お願いします。
じゃこれやめろっていう事だね。
言うなれば。
やめましたはい。
家事なんてやった事のない人がそれ引き受けなきゃならないというのは絶対大変だと思います。
それでも作ってあげたいっていうそういう気持ちはすごく強くある人なんで。
自分で使える分だけにして下さい。
はい分かりました。
作ってる時は相手の事しか考えてないんですね僕の場合はね。
こういう肉の軟らかさ野菜の火の通り具合。
彼女がおいしく感じるだろうなというふうに思いながら作る事が好きなんで。
振り返った時に「あの時大変だったよね」って全然思ってなくて。
確かにそういう事実はいっぱいあるんですけれど。
ただ病気がなかったらもしかしたら本当にここまで来れたかなって思いました。
いろいろ反発する事ありますけど本当はすごく好きなんですよ。
調理から食べるまで昼食は2時間かけてゆっくり過ごすという2人。
日々の小さなやり取りがとても大切な時間だと言います。
神様すばらしい一日をありがとうございます。
彼女にとってはリハビリの時間でもあると思います。
脳梗塞それから脳内出血っていうのは何らかの形で傷痕が残るんですね。
でそれが回復してくのは楽しい会話だという信念があるんですね。
楽しいんですよこれ。
ちょっとトゲがお互いにあるけどチクチクしながら刺激になってるんじゃないかな。
よそのご夫婦のこういう感じって楽しいですね。
面白いって言ったら失礼ですけれども面白くて楽しくて。
でも昼食に2時間もかけられるっていう事は日々の体調は全部分かると思いますね。
ああいう感じでお暮らしになってるんですよ。
昨日はね2時間ず〜っとけんかしてました。
ん?次々にね種を見つけては投げてくる。
例えばどんな事でけんかなさるんですか?5分たったら覚えてませんもう。
きっとゲームですね。
けんかじゃないですね。
ゲームです遊びですね。
遊びですよね。
でも金婚式ですか?あのお写真すばらしいですね。
まあ私たちにとって忘れられない場面を頂いたと思ってます。
ちょっと条件があって結婚式ができなかったんです。
駆け落ちです。
一緒になった時に祝福してもらうっていう場がなかったんですねその事を。
でそれはそれでいいじゃないか50年一緒にいられたし。
で「金婚式やろう」って言って金婚式になる時に「結婚式も一緒にやっちゃえば?」とおっしゃって頂いた方がいらして。
それで結婚式をやって15分後に金婚式。
でも奥様2014年に撮られたお写真をまあ長い事いろんな事があってでお互い病があって今支え合ってそれであのお写真をご覧になるとどんな思いですか?倒れてからここまでよく命がつながってきたなって本当に守られてきたなっていう事をありがたいと思ってます。
本当にありがたい。
今こんなに幸せそうな顔をしてるっていう事はいい人生だったんだな彼女にとってね。
で私もいい人生を歩ませてもらったなと思ってます。
でそれは2人だけで作る事ができるものじゃなくて出会わせて頂いた全ての方に感謝したい思いでいっぱいです。
本当に病気があったからこそ今があるというのは実感ですね。
病気の人を置いては逝かれないでしょ?けんかしても離れられない。
ちょっと恩着せてない?
(笑い声)あなたはどうなんですか?
(笑い声)川津さんにとって病といいましょうか病気があって…。
これは頂き物です。
本当にありがたいと思ってます。
病気がなかったらこんなに優しくなれなかったと思います。
人の痛みが分かんない…。
私佐賀の侍の家ですから「葉隠武士いかあるべきか」しか考えずに生きてきたから「痛いのかゆいの言うな!」っていう生き方しかできなかったんですけどいや痛いっていうのはこんなにつらいんだな〜。
狭心症の発作っていうのは…魚みたいに跳ねますよベッドの上でピョンピョン。
痛くて。
(2人)へえ〜。
で愛沙さんに対するお気持ちというのはいかがですか?フフッ。
病気があろうとなかろうと大切な人は大切。
でもお互いが病気をする事ができて病というのを体験できたおかげで人間の大切さ伴侶の大切さっていう事が少しずつ分かりつつある。
まだ若造ですので…。
(笑い声)人生これからですけど。
ねえ。
はい。
でも60歳を機に川津さんも「あれ?ちょっと僕も奥様のために…」。
いい人になろういい人になろう!そうですよねえ。
いい人になられましたか?奥様。
なってますよね。
前からいい人だよな。
ね〜。
あ?
(笑い声)大事な事はね耳が遠くなるんですよ。
今日はですね本当にいい人いいご夫婦のですね…。
ユーモアいっぱいの…。
川津祐介さんそして愛沙さんご夫妻にお越し頂きました。
どうもありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
2017/01/24(火) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「夫婦介護はシーソーゲーム 川津祐介」[字]

俳優・川津祐介さん。妻愛沙さんとの夫婦生活は50年を越えた。時に妻に介護され、時に妻を介護してきた。川津さんは「夫婦介護はシーソーゲーム」だと語る。

詳細情報
番組内容
長年映画やテレビで活躍してきた川津祐介さん(81歳)は60歳のとき重篤な心臓病を患ったが、奇跡的に手術で乗り越えた。妻の愛沙さんもその後、脳梗塞と脳出血を起こしたが、今ではすっかり回復した。夫婦の介護を「シーソーゲームでかわりばんこ」にやってきたという川津さんは語る「介護をする側に回った時、介護をどのように受け止め、どのように行うかで、楽しくもやれるし、互いの老いを受け止めることも出来る」
出演者
【出演】荒木由美子,桜井洋子,川津祐介,川津愛沙