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字幕書き起こし 先人たちの底力 知恵泉▽天下統一の秘策は城にあり!〜若きカリスマ 信長の知恵 2017.01.24

この人にならついていきたい!そんな人周りにいますか?戦国の世をまさに風のように駆け抜け天下統一の志半ば49歳でこの世を去った天才武将織田信長。
しかしそんな信長も初めから天下のリーダーだったわけではありません。
名だたる武将たちが群雄割拠する中尾張の一弱小武将にすぎない信長は世間からほとんど注目されていない存在でした。
大混戦の戦国レースを抜け出し若き信長が天下を目指すまでになったのには理由があります。
それは自分こそが「天下人」にふさわしいリーダーだと世の中に認めさせた事。

 

 

 


そしてそのために信長が驚きの知恵を駆使していた事が近年発掘が進む信長の城から明らかになってきました。
若くして信長が築いた小牧山城そして岐阜城。
現地を訪ね最新の発掘成果から誰もが認めるリーダーになるための信長の知恵をひもといていきます。
今回その知恵を一緒に味わうのはあの伝説の歴史シミュレーションゲームの生みの親…シブサワさん自身がゲーム画面に込めた戦国時代ならではの武将の知恵もたっぷり話して頂きます。
戦国の風雲児織田信長。
若き日のスケールの大きな知恵をご堪能下さい。
さあ今週も信長の若き日の知恵なんですけれどもその知恵が「城」を見れば分かるという事なんですね。
鈴木ちなみさんは岐阜出身ですから。
はい。
岐阜県の飛騨・美濃観光大使をしています。
じゃあしょっちゅう岐阜には行かれてらっしゃる。
行きますねはい仕事で。
そうすると岐阜城を見上げて。
はい。
今は夜もライトアップされてるので。
ああきれいでしょうね。
うわ〜と思って。
昔の人はね多分夜は見えなかったと思いますけど。
思いをはせてますいつも。
その岐阜城はもちろんなんですけれども信長というと安土城というイメージも強いかなと思うんですが。
信長最初にいたのが那古野城でそのあと小牧山に移ってその後岐阜そして最終的には安土へ移るんですけど信長はだから戦国武将には珍しく引っ越しが好きなんですよ。
どんどんどんどん城を移してく。
それもただ移したのではなくて次の攻撃目標に近いところに移してるというのはやっぱ信長らしさですね。
ちゃんとねらいを持ったお引っ越しだったわけなんですね。
単なる引っ越しマニアじゃない。
そうですよね。
でなければ上まで上り詰めてないですよね。
シブサワさんお城は?もうお城大好きです。
お城のここに信長が立ってたとかここに家康が立ってたとかここに信玄がこう見てたんだとかそういうところに私も城跡に立ってるとじ〜んとくるんですよね。
よくかみさんと行くんですけどもそうすると「何そこでぼ〜っと立ってるの?」。
今日のテーマはですねこちらです。
…という事で最初の知恵味わっていきます。
桶狭間で僅かな手勢を率い2万の大軍の今川義元を倒した織田信長27歳。
すい星のごとく戦国デビューを果たした若き信長を陰から支えていたのが「美濃のマムシ」と呼ばれた戦国大名斎藤道三です。
信長が10代の頃からいち早くその才能を見抜いた道三は…それを遺言にもしたためます。
「信長にもそう譲り状を送ったところである」。
若き信長は戦わずして尾張の隣国美濃までも手中に収めようとしていました。
ところが思わぬ事件が起こります。
信長の後ろ盾だったその斎藤道三が実の息子に殺されてしまうのです。
「自分を差し置いて信長に美濃を譲るなどとんでもない」。
そう考えた長男義龍の仕業でした。
信長は道三の遺志を継ぐため美濃に攻め込みます。
しかし木曽川を一気に渡った信長を待ち構えていたのは斎藤一族に強い忠誠を誓う強力な美濃の家臣団でした。
信長は度々戦を仕掛けるもののその度にはねつけられてしまいます。
「強固な結束を誇る斎藤氏の家臣団をどうすれば切り崩す事ができるのか」。
そこで信長は意外な作戦に出ます。
信長はそれまでの居城清洲城を出て新たに造った小牧山城に引っ越しをしました。
小牧山城は斎藤氏の拠点稲葉山城まで僅か20キロしか離れていません。
広大な濃尾平野には珍しい小高い山小牧山。
ここに拠点を移して一気に美濃を攻め落とす…という事なんでしょうか?いやいや信長の考えはそんなに単純なものではありません。
長い間小牧山城は斎藤一族の稲葉山城を攻めるための小さな砦のようなものだと考えられてきました。
しかし近年発掘調査で巨大な石が大量に見つかり大規模な石垣が築かれた本格的な城だった事が分かってきました。
重たい石を山の上まで運んで石垣を造るのはとてつもない重労働。
美濃を攻めるためだけの城であればここまでして防御に力を入れる必要はないはずです。
しかも小牧山城は石垣が三層にも連なる見た目にもインパクトのある威圧的な城でした。
しかし信長が本当に美濃の人々に見せつけたかったもの。
それは実はふもとに広がる城下町でした。
城郭研究の第一人者奈良大学の千田嘉博教授と一緒に小牧山のふもとを歩いてみました。
あるんですか?あるんですよ!本当に何かもう何でもない町並みに見えてしまうんですけれども。
ここ道が曲がってるでしょ?確かに「急カーブ注意」。
そうそう急カーブって言われるぐらい。
この絵図を見て頂きますとまさにこういう形で道がこう急カーブしてるじゃないですか。
他まっすぐなのにここだけ曲がってますね。
キュッと曲がっててこの昔からの道のこの曲がりが今残ってるんですよね。
これですかこの曲がり!この角度!いや〜これが信長時代から続くカーブ。
はい。
いいですね〜。
これが。
いいですね。
曲がりましたね今。
曲がりました。
曲がってますね。
静かな住宅街で我々かなりこう騒いでますけれどもね。
申し訳ないです。
申し訳ないですけれども…。
このカーブもそうですか?これもそうです。
カーブを抜けるとトーンってほらこの直線の道すばらしいでしょ?これが信長が小牧に城下町をお城と一緒につくった時に畑だったところをそこに計画的なこの直線の道をつくったというまさに…それが今も道として続いてて私たちが今歩いてるっていう。
そうなんですか。
千田さんうれしそうですね!確かに信長の城下町は残っていました。
信長が生涯で初めて整備したこの城下町は南北1.3キロ東西1キロにわたって碁盤の目のように広がる…しかも当時としては最先端の都市計画が盛り込まれています。
残された地図をよく見ると紺屋町や鍛冶屋町といった通りの名前が記されています。
小牧市が行った発掘調査で鍛冶屋町と書かれた地域から出土したのは…まさに鍛冶屋の道具。
その名のとおり何軒もの鍛冶屋がそこで商売をしていたのです。
同じように染め物屋が集まる紺屋町油屋が集まる油屋町などそれぞれ同じ職種が同じ区域に住み競い合いながら経済活動を行っていた事が明らかになってきました。
信長が新しい城下町をこの小牧山城を造る時に一緒につくったっていうそれもすごいんですけども実はその町をつくる時に同じ業種の職人さんをこういう町のところに集めて効率的な町をつくってたというですね。
日本のですね……という事が見えてきたというところなんです。
江戸時代の城下町の先駆けになるような…実はその事こそが美濃の家臣団を切り崩す切り札になると信長は考えていました。
というのも信長の城下町づくりには実はお手本があったのです。
それは斎藤道三のつくった美濃稲葉山城の城下町。
当時井口と呼ばれていた町でした。
その時代の一般的な城下町は…しかし道三は意図して斬新な町づくりを行います。
新たな通りをつくって美濃の守護がいた村から商人を移住させもともと町にいた商人にもまた別の通りをつくってあてがいました。
そうやって方々から商人を集め人為的に町のにぎわいをつくり出したのです。
その道三の城下町の目と鼻の先でそれを引き継ぎ更に凌駕するような町をつくってみせる。
それが信長のねらいでした。
美濃の国とですね対比するという事があったと思うんですね。
いや尾張も負けてないぞそれよりももっとすごい事をしてるぞという事を見せようとしたという事じゃないかと思います。
小牧山城の城下町は信長が自分こそが斎藤道三の「正当な後継者」である事を美濃の家臣たちに見せつけるための…この信長の美濃攻略作戦は次第に功を奏します。
城下町をつくって5年がたった頃の「美濃三人衆」と呼ばれた斎藤氏の有力家臣たちの合議の記録が残っています。
かつて道三を支え強固な結束を誇った美濃の家臣たちは次々と信長の下に下っていきました。
永禄10年信長は満を持して弱体化した斎藤軍を一気にたたき念願だった美濃攻略を果たします。
敵の心理を見事についた若き信長の知恵でした。
すごいですね。
自分の力を見せつけるためにお城も造ってかつ城下町もつくって人を呼んで。
そこまで大がかりにやっぱりやったんですね信長は。
そうですね。
義父にあたる斎藤道三が稲葉山城下の井口という町を結構整備していたのを見ていた。
だから信長という人は単に戦いに勝つためにいろいろ戦略を考えるだけではなくて…そういう生き方をした武将かなと思うんですよね。
シブサワさんはどうご覧になりました?我々もそういう前の価値なり前のすばらしい出来上がったものであるとかそれを更に良くしていくという事はゲームの世界ではず〜っとやってまして。
より面白いものを作っていくというのをず〜っとシリーズ作としてはやってきています。
それをですね今日は映像をお借りしましたのでシブサワさんの解説で。
豪華ですね!豪華ですよぜいたくですよ。
ちょっと見ていきましょうか。
最初の頃のゲームの画面こちらです。
これが最初のオープニング画面です。
これ壊れたわけではないですよね?カラーかモノクロかもここで選択するんですね。
その当時はそういった選択もするような時代だった。
白黒テレビとカラーテレビというのがありますから。
面白い。
それぞれ信長の特性を決めてそしてこれが最初のメイン画面で中部地方を中心にした17か国これで国盗りを行うというゲームとしてまずスタートいたしました。
これキーボードで入力してるんですか?テンキーで入力しました。
まだマウスありませんでしたので。
ガラッと変わりました。
これは第7作目ですね。
全部でこの歴史シミュレーションゲーム13作作ってるんですけどこれ7作目でこれは全国にマップを広げて全国の武将がそれぞれ国盗り合戦をするというゲームになりました。
これもちょうどですから進化していく一つの表現になります。
へ〜。
そしてこれですよ。
これが現在ですね。
もうほんとに宇宙ステーションからだんだん日本に近づいていくようなそんな表現を3Dで立体的に表現ができるようになりまして。
ちょっと「真田丸」で見たあれですよね。
これもう全く「真田丸」で使って頂いた表現方法です。
そしてこれが…。
これが現在の最新作の合戦の場面です。
それぞれ自分が従えてる武将を配置して。
うわ〜!具体的に合戦のようにそれぞれの部隊が。
小さい顔が出てますけどあれが各武将ですね。
各武将がああいうふうに配置。
どこにいるかが分かるように。
それで敵方は…「咆哮」というこういう戦法を使いながらさまざまな武将にはさまざまな特徴のある戦法を持っていましてそれをみんな発揮し合いながら。
ちょっと押し込んでますね信長勢が。
すごい!今ちょうど突撃をするところですけども。
あれ最初の画面は本当にコンピューターのプログラミングをするのかなという感じの画面だったんですけどすごい進歩ですね。
そうですね。
やっぱりパソコンの技術的な進歩もありますしそれから本当にこう今までの…ゲームに対する没入感というんですかゲームの世界の中にバーッと入り込んでいける。
いかにも自分が戦国時代で合戦場で自分が采配を振るってるような。
采配を振るってね。
「進め!」とか「退け!」とか。
そうですね。
そういう没入感にああいった3Dの技術というのは非常に貢献をしてると思います。
信長は見事美濃を攻略するんですけれども実はこのあとまたお引っ越しをするんですよね。
そこで発揮された更なる知恵を味わって頂きます。
美濃攻略を成し遂げた信長は…そしてその僅か1年後室町幕府最後の将軍となる足利義昭を擁して京の都へ。
上洛を果たすのです。
この上洛は全国の戦国大名たちに信長こそが天下人に一番近い事を知らしめたまさに決定的な出来事でした。
それにしてもやっとの思いで美濃を攻略してからたった1年でなぜそのような快挙を成し遂げる事ができたのでしょう?実は最近信長の上洛に関する新しい史料が熊本で発見されました。
この文書が書かれたのは美濃攻略の1年前。
なんと信長がまだ小牧にいた頃既に将軍と共に上洛する事を計画していたというのです。
しかし…足利義昭の十分な信頼が得られなかったのです。
当時義昭は「自分を京へ連れていってほしい」と上杉景虎や朝倉義景など幾人もの有力大名に声をかけていました。
信長はまだまだ尾張一国を統一したばかりの新参者の小さな大名でしかなかったのです。
この失敗の経験から信長は考えました。
義昭や他の大名たちに他の誰でもなく自分こそが上洛にふさわしい天下人だと認めさせるにはどうすればよいのか?そして導き出した答えは…。
天下を目指すなら天下人らしく振る舞う事が大切だ。
このころから信長は「天下布武」という印を使い始めます。
自らが天下を武力によって平定するという世の中への高らかな宣言です。
そして新しく「岐阜城」へと名を変えた信長の城の大改造に乗り出します。
地上300mの山の上そこで信長は当時の常識を覆すような城の使い方を始めます。
岐阜市教育委員会の橋方紀さんに案内してもらいました。
ちょうどここからがですね山の上のお城の入り口と。
この先はどんな場所なんですか?お城の中で。
そうですねまあお城なので防御施設でもあるんですけれども…こんな山の上で暮らしてたんですか。
そうですね。
ふもとから歩いて片道1時間はかかる山の頂。
なんと信長はそこで暮らし始めたというのです。
中世まで山の上にある城は戦いの時にだけ使う臨時施設のようなものでした。
しかし信長はその中世以来の常識をあっさり捨て去ってしまいます。
しかも信長の館がある場所には身の回りの世話をする者以外…着きましたね。
着きました。
お〜これはすごい!うわ〜!当時信長だけが見る事のできた絶景です。
信長はまさに天下人にふさわしく人々が見上げる山の上に暮らしふもとで暮らす下々の者との立場を明確に区別しました。
下剋上の世の中に厳然たる「身分や格の違い」を目に見える形でつくり出していったのです。
天下人らしく振る舞うという信長の知恵が明確な形であらわれている場所が山のふもとにもあります。
10年前から行われている本格的な発掘調査。
岐阜城のふもとには信長が客をもてなすための「迎賓館」がある事が分かってきました。
斜面を利用して棚田のように整備された敷地に複数の建物が建てられそれぞれが渡り廊下で結ばれていたと考えられています。
まるで「山あいにある巨大旅館」といったイメージでしょうか。
中でも注目すべきものが山際の一番深い場所にありました。
橋さんだいぶ登ってきました。
谷の際まで館があったんですね。
下の平地から25m上がった場所ですけれどもこれ谷の一番奥になるんですが。
一番奥には何があったんですか?山の際一番高いところに建てられた「茶室」。
発掘現場からは大量の茶碗の破片が見つかっています。
岐阜城で盛んにお茶が振る舞われていた事をうかがわせます。
という事は?ああおいしいですね。
こうして信長もお茶を飲んだんですかね。
多分そうだと思います。
やっぱり天下人らしく振る舞うなら優雅にお茶を楽しまないと。
…という話ではありません!重要なのは茶室が造られていた「場所」にあります。
一番高いところに茶室を造ったというねらいは何だったんでしょうか?単純にお手本なしに造ったというよりかはモデルがあったと考えてまして。
山のふもとに室町文化の粋を集めた銀閣が建っています。
寺の敷地内一番高い山際には「漱蘚亭」と名付けられた小さな茶室の跡があります。
足利将軍家がプライベートで使っていた茶室だと考えられています。
ふもとの建物群より一段上の山際にある茶室。
まさに信長の岐阜城のふもとと同じ構造なのです。
これはもう想像でしかないんですけれどもやはりこれから天下統一を目指そうとする信長…非常にあったんではないかと思いますね。
信長は岐阜の地に足利将軍家がつくった京の文化の極みをわざわざ取り入れ客人をもてなしていたのです。
自分こそが将軍足利義昭と共に京へ上るにふさわしい天下人なのだ。
まさにその事を天下万民に認めさせ義昭本人にも納得させる。
これこそが信長のねらいだったと考えられています。
こうして見事上洛を果たした信長は誰もが認める天下のリーダーへと躍り出ていったのです。
またまた驚きな事がありましたね。
まさか山の上にお城を建てただけじゃなくてそこに住んでいたとは思いませんでしたね。
結構上ったり下りたりしてます信長。
お客が来ると上から下りて出迎えたりしてます。
健康ですね。
でも上から下りてこられたらちょっと威圧感感じるかもしれないですね。
現代で言うタワーマンションの最上階に住んでいるような感じですもんね。
ちょっと距離があるというか…感じしますもんね。
小和田先生は岐阜にも行かれたんですよね。
今発掘の調査のあれ出ましたけど私その調査委員をやってるんですよ。
ちょうど銀閣の…慈照寺銀閣の一番上のお庭と同じなんですよ。
びっくりしました。
信長すごいなぁと思うのは単なる…やっぱりいいものはいいもんだっていう事で。
そこはだから上下関係とともに俺知ってるぞというところを。
都の文化は俺も知ってるよ。
俺も受け継いでるんだよっていうみたいなねそんなプレッシャーを周りに与えてるという感じですね。
らしく振る舞うってシブサワさんのご経験でありますか?私はゲームを作っていますので…意識してやっています。
例えばこちらゲームのソフトの発表会の時にいかにも戦国ゲームを作っているような格好をしてそれでプレゼンテーションをしたりですねそれからもう一つはこれは日本を代表するデザイナーの山本寛斎さんが「信長の野望」の大ファンで是非とも新しい衣装を作りたいと。
…と言うので私がモデルになってですね。
信長になってしまったって事ですか?もうなりきっちゃいましたこの時には。
こういう恥ずかしげもなくこういう格好をしてるんです。
ゲームの発表会に出てきて私は面白いゲームを作るために頑張ってますというところを着る事によってまた表現する。
それも一つのプロデューサーらしさっていうんでしょうかね。
周りのリアクションどうですか?周りのリアクションはバカな事やってるなというふうな…。
いやいや…。
それとああいうふうな事をやってるんだったらきっとゲームも面白いのかなという。
そこまで入れ込んでやってるんだったらとかかたい事ばっかり言っていると面白いゲームを作っているプロデューサーにやっぱり見えないので割合こうやわらかくジョークも入れながらとか。
それから格好についても面白いゲームを作りそうな格好をしているなとかそういうところまで意識して全人格が結局はゲームに全部結び付きますので「シブサワ・コウが作るゲーム」という時にどういうふうなイメージをゲームファンの方が持って下さるか。
今でいうブランド戦略ですよね。
らしく振る舞う事によって外への影響もそうですけれども中が変わってくるという事はありそうじゃないですか。
「らしさ」っていいますかね役割が人をつくるっていうんでしょうかね。
一皮むけるようなね…ありますよね。
それまではプログラムしかしなかったんだけども急にこう抜てきをして今までリーダー的な仕事をしていないんだけどもディレクターをやってみる。
やりますっていうふうな場合に私は立場によって人がつくられるっていう事は大いにあるんじゃないかなと。
実際私もそういう事を実践してやってきましたし。
やっぱり今おっしゃったように置かれた立場が人をつくるっていうのは戦国時代もありますよ。
お坊さんなんですね。
それが家督を継いでそれで自分が駿河遠江三河3か国はちゃんと支配しなきゃいけないとなった時に有名な雪斎という軍師をね招いたりしてそれでカバーし合いながら伸びてきますのでねやっぱりそれあると思いますね。
そうですね。
いやいや信長本当に話が尽きないんですけれども実は地元岐阜がまさに今そうで今年入城450年という事で非常に盛り上がっているんですよね。
その盛り上がりを私ですね観光大使に断りもせず行ってまいりましたので。
行って下さったんですか?ようこそ岐阜へ。
ご覧下さい。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタをお届けする…
岐阜の駅前にやって来ました。
黄金の信長像がキラキラに輝いています。
今日はこのあと信長ゆかりの岐阜の町なか歩きます。
今年は岐阜に信長が入城してちょうど450年。
信長はここに10年ほど暮らし岐阜の町を大きく発展させました
頑張ろう!頑張ろう!
今年1年間岐阜ではさまざまな記念イベントが開かれる予定です
市内を走るバスにも信長がいました
かっこいいですねこれ。
信長さん大きい!ポーズ…合ってます?これね結構写真撮る人も多いんですって。
いやこれ迫力ありますね。
ちょっと見て下さいこれ。
つり革が家紋ですよ家紋。
だから立ってるお客さんは常に織田家の家紋が目に入るわけですよねこれ。
これお城の調度品をイメージしていてこれも家紋なんですって。
天井もお城の天井をイメージしてるんですよ。
ですからこのバスに乗ってるだけでね信長の城にいるような気分になれるんですって。
この信長バスの走る岐阜の町。
そのにぎわいももとは信長の楽市楽座令から始まりました
「楽市」という文字があります。
おっこれもしかしてすごいあの楽市楽座を知らせる札ですよ札。
これでこれを町なかに立てて皆さんに庶民に知らせていたんですね。
信長はこの札の中で岐阜に引っ越し暮らす者には常に自由に商売できる権利を与えると宣言。
更に借金も棒引きし税金を取らない事を約束します
こちらの榎の大木は楽市の目印として祭られたもの。
榎には商売の神が宿ると考えられていました。
大正のころまで岐阜には楽市楽座という青空自由市が残っていたそうです。
博物館には信長時代の岐阜の町の様子が実物大の模型で再現されています
これ分かります?これ。
お風呂じゃないですよ。
これ塩です。
塩。
当時こうやって塩って売ってたんですね。
他にも美濃特産の和紙。
そして魚を扱う店もありました
これ見て下さい鯛ですよ。
鯛っていう事は海の魚も当時はここまで流通してきてたっていう事なんですね。
町の商業を支えていたのが清流長良川です
岐阜の川港跡にはかつての問屋街の古き良き町並みが残っています。
川下からは塩や海の幸。
川上からは竹や木材紙が運ばれてきて提灯などの生産が盛んになったといいます
当時岐阜を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは町の様子をこう記しています
信長の岐阜はまさに世界レベルのにぎわいだったのです
うん?今のは呪文ですか?呪文じゃないです。
あれ「信長」のあれですよね。
そうですそうです。
大河ドラマの「信長」の一番最後のセリフですよね。
そうなんですよ。
フロイスさんがナレーションしていて最後にあの挨拶が出てくるんですよ。
へ〜。
調べましたらあの大河はちなみさん3歳の時でしたから見てなくてしょうがないですね。
そうですね。
平成昭和昭和昭和ですからね。
でも岐阜の町ね…。
本当にあの金華山と長良川の眺めが本当に最高なので私ももうすぐ見たくなっちゃいますね。
いい所でしたよね。
いい所なんですはい。
観光大使から私の案内大丈夫でしたか?私が知らない所まで見せて頂いてありがとうございました。
勉強になりました。
ありがとうございます。
小和田さんどうですか?ご覧になって。
どうしても信長の楽市楽座っていうと安土って皆さんイメージがあると思うんですけど岐阜の方が先ですよっていうね。
やっぱり信長っていうのは岐阜でやった事を次の安土で更にグレードアップするっていうかね私だからやっぱり…先生の今の言葉レコーダーに入れてみんなに聞かせたいですね。
岐阜に帰る度にみんなに…。
こう言ってるんだよって。
シブサワさんどうご覧になりました?岐阜の町。
着々と天下統一に向けてそういう階段を上っているなというのを分かりましたそれは。
それから計画的にやってるなという事ですね。
偶然そういったものが出来上がったというんじゃなくてちゃんと目的を持って。
何か「計画」っていう言葉と「信長」っていう言葉があんまり合わないんですけど。
そういうイメージですよね。
でも非常に着実にやってるなというのを非常に強く思いました。
ちなみにフロイスの格好というのは我々の持ち出しではなく博物館に行くと借りられるので是非気になった方はどうぞ。
分かりました。
さあ今日はですねテーマとしてこちら「誰もが認めるリーダーになる」という視点で見てきましたけれども最後にシブサワさん極意を教えて頂ければ。
う〜ん私の正直な気持ちは「野望を持つ」という事だと思います。
信長も野望を持って天下統一にまっしぐらに進んでいった。
やっぱりそういう大きな志ビジョンといいますか大きな夢それに向かってまっしぐらに進んでいった。
ただそれが暴走したんじゃなくて一つ一つ階段を上るように計画的に周囲の情勢を見ながら着実に行っていった。
そういう野望の持ち方というのを私も非常に勉強になりましたしこれからもそういった野望を持っていきたい。
大きな志を持っていきたいというふうに思います。
若い人からするとなかなか野望を持てない時代かなという声も聞くんですけれどもその辺りはどうでしょうかね?どっちでもいいと思います。
でもやはり夢を持つっていう事は私はすごく大切じゃないかなというふうに思います。
はい胸にしみました。
ありがとうございます。
では2017年1月それぞれ皆さん今年の野望もあろう事かと思いますけれども最後乾杯で締めたいと思います。
今夜はどうも皆さんありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
今年一年も野望を持って!2017/01/24(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉▽天下統一の秘策は城にあり!〜若きカリスマ 信長の知恵[解][字]

信長が若い頃に築いた小牧山城と岐阜城には、天下統一を目指す信長の秘策が詰まっていた!現地を訪ね、最新の発掘成果を交えながら若き信長の驚きの知恵に迫る。

詳細情報
番組内容
名のある武将たちが群雄割拠していた戦国時代、織田信長がライバルたちを押しのけ、天下の覇者への階段を上っていくことができたのはなぜか?その秘密は、信長が若き頃に築いた「城」を見ればわかる。小牧山城と岐阜城を訪ね、最新の発掘成果から信長の驚きの知恵を探る。ゲームプロデューサーのシブサワ・コウ氏をゲストに迎え、天下統一をテーマにした歴史シミュレーションゲーム誕生秘話も交えて送る。
出演者
【出演】ゲームプロデューサー…シブサワ・コウ,鈴木ちなみ,静岡大学名誉教授…小和田哲男,奈良大学教授…千田嘉博,【司会】近田雄一