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地上波テレビの字幕を全文書き起こします

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書き起こし 徹子の部屋 阿部寛 2017.01.24

今日のお客様は俳優生活30周年でいらっしゃいます。
モデルのご出身。
さあどなたでしょう?お背の高い方です。
阿部寛さん今日のお客様です。
どうぞお入りください。
彫りが深く端正なお顔立ちで二枚目から三枚目まで役柄も幅広くこなす方でいらっしゃいます。
面白い色んなお話伺います。

 

 

 


いらっしゃいませどうも。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
どうも。
(拍手)ひときわあなたが入っていらっしゃるとやっぱり大きいですね。
そうですね。
今…。
でもあれですよねこの頃大きい方も多くなってきたんで昔に比べればね。
そうですね。
だいぶ若い人でも僕ぐらいの身長の人いますからね。
そうそう。
昔は本当にいなかったです。
そうでしょ。
だからやっぱり建物でもちょっと何ていうの?ぶつかったりするような時も…。
そうですね。
セットも今だいぶね大きくしてもらえるようになりましたので。
そうですってね。
時代物なんかの時もね。
そうですね。
それはいいと思いますよね。
30年ということですけどもモデルから俳優におなりになって。
この30年はどうですか?長かった?いやあもう本当にあっという間でしたね。
本当に30年もこの仕事をやったのかなって今考えてもちょっと想像というかはっきりつかめないですけども。
僕の場合はモデルからこっちの世界へ来てそれで俳優としての下積みがなかったものですから。
そうですか?なかったんですよ。
で20代の時は勢いだけで色々出させてもらってて30になってから少し勉強するようになったんで。
実際なんかちゃんと足元を見て…踏み締めて仕事できたっていうのは20年ぐらいですかね。
20年?でもこちら大変ね長くこちらの『徹子の部屋』へ出ていただいてて今日7回目のご出演なんですけども。
はい。
ありがとうございます。
『徹子の部屋』は6回出ていらっしゃるものですからその6回の20代30代40代とあなた様のお若い時からこれまでの変遷をVTRでちょっと拝見させていただこうと思います。
ご覧ください。
「どうもはじめまして」「はじめまして」「座ってお話ししてる時はそんなに思わなかったんですけどお立ちになったらあんまり驚いてしまったんですお背が高くて。
何センチ?」「189今あります」「189?」「家は本当に175センチぐらいしかないんですよ敷居が」「だから15センチぐらい頭が出ることになるんですね」「だからしょっちゅうお辞儀しながら」「ご家族ですごく背の高い方っていらっしゃるの?他に」「いや僕だけなんですよ」「父は150台なんですよ」「お父様?あっそう」「兄も170ぐらいですからあとみんな大体普通…」「お母様は?」「母が160ぐらいですから」「小学校の時からもう大きかったんですか?」「いや僕はね高校ですね。
小学校の時はそんなに…」「後ろのほうでしたけどそんなに大きくなかったんですけど高校の時に中学と同じぐらいずつ1年に5センチずつぐらい伸びてたんですよ」「たぶん阿部さんのイメージ前はモデルのご出身っていうこともあったんだけども今面白いところもおありの…」「やっぱり『TRICK』からですかね」「ええ。
『TRICK』もそうだしつか先生の舞台をやってから…」「そうですね」「コミカルな方向で仕事するようになってから色んな役が増えましたね」「でもなんか大人っぽくいらっしゃるんですけどまだ40代ですってね?」「そうです。
47ですね」「わあすごい」「若い頃はやっぱりこの身長ですから高校生の時でも既にもう30ぐらいに見られてました」「そうですよね。
そういうことあるでしょうね」「そうそう。
私忘れないうちに言っておきます」「近藤真彦さんとお正月ちょっと一緒だったんです」「私ね阿部さんにお会いするって言ったら伝えておいてって」「39年会っていうのがあるんですって?」「はい」「それをねやろうよ」「ぜひやってないけどやろうよって言っておいてって」「そうですね。
15〜16年前に共演した時に39年会やろうって話をしてて」「39年生まれなの?」「39年生まれなんです」「高橋克典さんとか堤真一さんとか椎名桔平さんとか。
数えるとまだ…」「あららら」「ぜひお願いします」「じゃあ近藤さんお伝えしましたので」なるほど。
それからおやりになったの?やってないですね。
やってないの?この間ちょっとお会いしましたけどやってないです。
誰かやろうって…何ていうの?先頭に立ってやる人がいないとね。
そうですね。
結構なんかバラバラですねやっぱり。
誰か一人っていうのは…。
それだけいらっしゃるならね。
そうなんですね。
いつかやってみたいなというあれはありますけど。
やっぱりお互いずっとやってきてて何かしら意識して見てるんでね。
苦労をしてるところは同じだからたぶんきっと面白いと思うんですけど。
でもさっき20代のあなたご自分のをご覧になってご自分どうでした?一番最初この時は…。
奇麗でもねすごく。
この時とその次の時の声の違いにびっくりしました。
そう?急に低くなったんだなと思って。
この時は高かったですか?最初これモデル…モデルをやってる時だったと思うんですよね。
そうかもしれない。
出たばかりだったので。
そこから少しずつやっぱり…。
おぐしの形も…髪の毛の形も違う。
この辺から同じになったんですね。
だんだん怪しくなっていくんだけど…。
でも色んな役をおやりになるので。
そうですはい。
なるほどね。
面白いでもそういうのってね見てるとね。
でもこの30年の間俳優をやめたいとお思いになったことは一度もない?なかったですね。
20代の時にそれほど多くの役をもらえなかったんですよ。
自分の実力もなかったから。
ハンサムな役とかねそういうのばかり。
だからその時の悔しさというか…あるので30過ぎてから色んな役をやらせていただけるようになった時にやっぱりもうなんかそれはすごく嬉しいんですよね。
だからどんどんどんどん貪欲に色んな役やりたいと思いながらここ…50まで20年間きたんですけども。
だから今のところ20代の…何ていうんですかね?コンプレックスがあったおかげでやめたいと思ったことはないですね。
でもほら奇麗な方だから奇麗な役でいいじゃないかって人は思うかもしれないけどやっぱりさ顔がいいだけの役ばかりっていうのもちょっとねご自分だとね。
なんかやっぱりもう少し人間的な役をやりたいなとか弱い男もやりたいなとか20代の時は思いましたけどなかなかそういう役はいただけなかったので。
そうですよね。
その反動で色んな役をやってます。
だから今になってみるとその時のもっと違うのをやりたいとかなんか思ったその20代が今役に立ってると思いますよねすごくね。
はい。
そう思います。
なるほどね。
あなた学校随分難しい勉強をなすったんですね?驚いちゃった私。
理数系なんですよ。
そう。
すごい理数系なの。
それで中央大学理工学部電気工学科っていうところを出てらしたの?はいそうです。
すごい。
なんかそういうことをやろうと思っていらしたの?うちはおやじもサラリーマンで兄もそうなんですけども理数系なんですよね。
だから僕もそうなるだろうなと思って。
元々数学とか好きだったのでそのままいくだろうと思ってる矢先にこっちの世界の話が来て。
で移ったんです。
こっちに来たんですけど。
それ「モデルにならないですか?」って誰かが言ったの?当時『MEN’SNON−NO』という雑誌…それの前の『non−no』のほうで車がもらえるという…優勝すると車がもらえるという企画に…。
それはいいわね。
それはいいわね。
姉が「出さないか?」って言って僕出したんですよ。
それでまあ本当車いただきまして。
もらえたの?良かったね。
それからこの世界に来たんですけどね。
そうなの?へえー。
そしたらその間ずっとモデルになるっていうことになっちゃったの?その間に。
そうですね。
アルバイトぐらいの気持ちで事務所とか入らないでやってて。
でその雑誌が有名になったから『はいからさんが通る』という…伊集院少尉という役をいただいてそれでこっちの世界に来たんですね。
そうなの?へえー。
お兄様とお父様はエンジニアなの?そうです。
今もそうですね。
じゃあそういうふうになるんだなってご自分もって思っていらしたんでしょうねきっとね。
そうですね。
そうなると思ってましたね。
でもお父様エンジニアってどんなものをお作りになったんですか?ダンプカーとか。
そんな大きなもの?世界一大きいといわれるダンプカーとかを作ってたんですよ。
すごいわね。
で子供ながらにやっぱりそれを誇りに思っててそれを友達にも自慢するわけですよね。
そうですよね。
ダンプカー。
だからそれもあったから兄もねそっち系に行って自分もそうやっていくんだろうなと思っていたので。
でも基本的にはやっぱりこういう仕事をしても理数系の頭なんですよね。
なるほどね。
文科系の方々が多い中でなんかやっぱり自分はそういう理数系の頭を持って…。
でも世界一大きいダンプカーっていうのはどんな大きいんでしょうね?タイヤの直径だけで確か3メートルとか4メートルとかすごい…。
えー!5メートルぐらいあるのかな?わからない。
とにかくすごい…ビルみたいな。
すごい大きいですね。
もうだから普通の一般道というか…。
ダンプカー…。
日本じゃ走れないんじゃないですかねたぶん。
へえーすごいのね。
えー。
運転する人は一人なんですかね?一人でもう本当に小さく上のほうに乗ってる写真見たことありますけど。
そう。
でもお父様は俳優になるっていう時になんか後押ししてくださったんですって?そうですね。
今年90になるんですけども。
90?嬉しいんですけど。
俳優になる時に…僕3人兄弟の一番下なんですけども「一人ぐらいちょっと道をそれて色んなことをやってチャレンジしてもいいんじゃないか」って言って。
えー。
でもよくその世界一大きいダンプカーを作っていらした理数科のお父様があなたが俳優になるって…モデルになるってものすごい違う世界なのに。
そうですね。
堅い家庭ですからおやじもたぶんびっくりしたと思うんですけど。
でもそこは柔軟にオーケーしてくれましたね。
それはそれで良かったですよね。
なんか手先が器用で髪の毛自分でお切りになるって本当?ええ。
本当?切ります。
後ろも?前はもちろんだけど。
前は全部。
後ろも切るんですよ。
へえー。
自分で?自分で切って。
でまあここ15年ぐらいですかね。
友達がヘアメイクさんなんで「切れるんじゃないか」って言われて自分でこうやって切ってて。
たまにこの後ろのほうへ行くとハゲちゃうんですけど。
フフフ…。
ちょっとね…。
切りすぎて。
切りすぎてね。
でもうまくいってますね。
すごくお似合いになるように。
そうですね。
床屋さんっていうか行くと結構切ったって感じになるじゃないですか。
自分だとね自然…。
そうなんですよ。
僕なんかこういう仕事をしてると「つながり」っていう…。
そうですよね。
ドラマであるじゃないですか。
そうするとやっぱり切ったってわかっちゃうとまずいんで。
自然に素人で切ってるほうが結構雑なんでねあまりそのむらもわからないと思って。
でもご自分でねお切りになると度胸がいりますよねちょっとね。
最初はそうですね。
何回も失敗しましたね。
一回思い切りそのつながりのことを忘れて。
ちょうど飲んで酔っ払って帰ってきた時に次の日の撮影があるのを忘れてごっそりなんか…なんか気になって切っちゃったんですよ。
そしたらもう本当に長くなきゃいけないのに5センチぐらい短くして切っちゃってどうしようかなと思って。
焦って朝その…まだ夕方の撮影だったんで東急ハンズへ行ってパーティー用のなんかビニールのカツラみたいなやつを…。
本当?それを買ってきて。
貼り付けたの?何とか…何とかアイロンをかけて癖っ毛にしてそれで挟むのを付けて。
すごい。
ごまかそうと思って行ったんですけどメイクさんから「そんなものは役に立ちません」って言われて。
その日は襟巻きかなんかで無理やり何かしてごまかして次の日なんか作ってきてもらって。
そう。
でもそういうこと…そうね。
そういうことありますよね。
素人のやることはそういうことかもしれません。
でもうまくそこのところはいっちゃったんでね良かったですよね。
結構やるんですよね。
それが一番大きいあれでしたけど結構本当にばっさりいっちゃって黒く塗ってもらったりとかして。
フフフ…。
首も黒く塗っちゃって?結構やります。
なるほど。
でもあれですよねあした撮影延びますって…阿部さん髪の毛切りすぎたものですからって伸びるまでちょっと待ってくださいなんて相当おかしい…。
いつか芝居を見に行った時に楽屋でお会いしてたら何だか『テルマエ・ロマエ』でみんなで裸になってどうのこうのって。
その時体鍛えなきゃならなくて大変だとか言ってらしたけど。
そうなの?やっぱり。
『テルマエ』はそうですね。
それ黒柳さんにお会いした時はたぶん市村さんのね…。
市村さんの芝居の時。
そう。
楽屋でお会いして。
あそこはもうみんななんか顔濃い仲間で。
そうね。
本当顔濃い仲間っていう感じでしたよね。
いまだに交流がちゃんとあるんですけれども。
そうなの?やっぱり『テルマエ』の時はやっぱり外国の人に見えなければいけないっていうんでどうにかしなきゃいけないって…まず鍛えたりとかスタイルから見せるようにして。
あれも50近かったんですけど頑張りました。
すごいんですってね。
やっぱり胸板を厚くさせたりとか。
うん。
なんかちょっと裸になるシーンがすごい多かったんですよ。
ほぼ裸みたいな。
お風呂の話でしょ?だって。
そうです。
だからもう外国の人っていうのは背中に筋肉が付いてたりするんでちょっとそういうものを意識しながら何とか外国の人に近付くように頑張りました。
でもあなた外国人って言われない?人に。
大概海外へ行くと英語で話し掛けられたりとか。
そうでしょ絶対ね。
たまに日本でも話し掛けられたりします。
店員さんとか。
でも全然外国人はないの?ないですねうちは。
おやじはまあ川崎でおふくろは秋田の人なんですけど。
そうなの?えーそうですか。
でも中学の頃ですか?陸上?はい。
陸上やってましたね。
へえー。
走ったりして?短距離でしたけど。
えー。
そんなに速いほうではないんですけどやってましたね。
ふーん。
速くないのに結構いけるっていう?小学校の時はずっと速かったんですよ。
学年で一番速くて。
足が長いのよ。
もう足が速いことだけが自分の取りえだったんですけど中学入ったらやっぱり…何ですかね?やっぱり周り…みんな成長してきたりとか本当にスポーツ得意になってくるっていうか鍛えてる人たち…。
だからもう中学の時はそれほどでもなかったんですけどやってました陸上競技を。
私はねものすごく…。
私も選手だったんですけど。
そうですか。
スタートが速かったんですよ。
このスタートがねフライングにしない程度にバン!っていうのの「バ」ぐらいで出るっていうね。
ちょっとフライングみたいな。
そう。
ちょっとフライング。
だけどみんなには見つからないっていうか。
随分それでも違うんですよね。
違いますね。
そこで随分…だから瞬発力っていうんですかね?そういうのは良かったのかなと思いますけど。
あなたはずっとそういうのじゃなくてちゃんとやってたの?確かに小学校の時は結構フライングしてやってましたね。
よくあんな堂々とできたなと思うんだけど。
中学入ってちゃんと陸上部に入ったら今度はそれができなくなったから…。
もうやっちゃいけないって。
そうか。
私やっぱりそれやって大丈夫だったんだけど本当はいけなかったのかもしれないもしかするとね。
フフフ…。
今でも速かったなっていう思い出はあるんですけどもそうかもしれない。
でもその頃から背はどんどんどんどん大きくなって?僕は高校ですね。
高校入ってから皆さんが止まるのに自分は相変わらず10センチぐらい余計に伸びてしまって。
そうでしょ。
あなた向こうから歩いていらしたら誰よりも高かったからさ大変だなと思って見てたんだけど。
そうですね。
そういう背が高くなる方って夜寝てるとビシビシビシビシ音がするとかって聞いたけど。
僕はねあんまりなかったんです。
常に一定に1年間5センチずつぐらいで一気に20センチみたいなのなくて。
そうなの?うちのおやじは本当150何センチなんですよね。
そうなの?兄も170ぐらいなんで本当僕一人だけ群を抜いて大きくなって。
お母様は?母親は昔の人より…161あったんで…。
じゃあ大きいですね昔の方ではね。
兄弟で一人だけなんですね。
そうなの?でもいいですよね。
今度お出になる映画は天海さんとお出になるんですね。
天海さんも背が高いからやりいいでしょ?すごくやりやすかったです本当に。
そう思いますよね。
やっぱりしょっちゅう話してる時に背が違うと…。
私テレビでとても背が高い人と一緒にやった時やっぱり大変でした。
箱持ってきて乗っかったりとか色々ね。
そうですか。
2人の顔をこの中に入れたいと思うとどうしても下のほうなんでちゃんと入ってないといけないんですね。
昔は本当に女優さんにご迷惑を掛けたんですけど今回は天海さんだったんで。
天海さんちょうど良かったですね。
その代わりなんか低い声を出しちゃいけないっていうか今あなたが出してるような声じゃないのがいいって?監督が遊川さんってね天海さんといつもドラマをやってて脚本家をやられてる方で。
でその監督僕すごく作品を見ていつかご一緒したいなと思ってたんですけども。
そうですか。
最初にお会いした時に…「今まで見たことがない阿部さんの演技を僕は演出したい」って言って。
「まず一つ低い声を出さないでくれ」と。
フフフ…。
でも僕基本的にもうね今見たけど二十何年前からずっと低いんだけどそれは絶対に出さないでほしいって言われたんですよ。
どうしたら…?だから最初自分で…自分で喋ってるんだけどなんか違和感があるんですよね。
だけど役者としては今まで見たことない演技を要求されるっていうのはこれはもう監督がそれを作ってくれるっていうのは本当に嬉しいことですから…。
嬉しいけど声っていうのは大変ですよね。
高い声でやるってね。
大変ですね。
だから僕の低いところの部分は抑えながら…。
でちょっと前に説得力のある社長の役をやってたんですよテレビドラマでね。
その役とも全く違くしてくれって言うんで。
すごいですね。
もう監督の演出はずっといつもそばにいてきっちりと…。
そう。
すごい。
この年になってあれほどなんか演出をしていただくっていうこともないんでね。
放っておかれることが多いんで。
「そこ…そこのところもうちょっと高く」とかってそういうふうになっちゃう?常にそうですね。
だからそういう経験もないんでねやっぱりちょっと変わった芝居をしようと思って。
うまくいきました?うまくいったと思います。
天海さんもそういうふうに監督から言われて…。
また不思議な題なんですねこれね。
何て読むの?あれ。
あれはね『恋妻家宮本』って…。
「こいさいか」って読むんですか?私何て読むんだろうなと思った。
「愛妻家」じゃなくて「恋妻家」という。
『恋妻家宮本』。
あなた宮本なの?宮本です。
はい。
ちょっと見せていただきます。
(生徒)「先生ってさ教師に向いてないかも」
宮本陽平と…
(宮本陽平)「あっ!まだ決まってないんだけど」
宮本美代子
すごい。
「子育てが終わったタイミングが一番多いらしいよ熟年離婚」
(陽平)「こんなものあったけど何なんだ?一体」「ドッキリか何かか!」「覚悟を決めるしかないのか?」
(陽平)「伝えろ宮本陽平」「俺はお前が…」ハハッ。
面白い。
意地が悪いわね。
ああいうのって本当によくある…実際でもあるんだけど「好きなんだ」って言おうとしてるのにああいう…。
有名な昔ねジャン・ギャバンっていう人がワーッて言ったところに船のボーッていう音と一緒になってね名前言ってるのにね聞こえなかったっていうのあったけど。
本当にああいうの気の毒だなって思いながらちょっと笑えちゃう。
でも天海さんと相当激しいケンカがあったんですって?そうですね。
今もなんか「離婚届から始まった夫婦」っていうことでなんかお互い…ケンカのシーンもあるし。
だけどこの映画は…何ていうんですかね?やっぱり子供…一人息子は巣立っていってそれで夫婦生活をろくに…何十年も2人きりのことをやってなかった夫婦が突然2人になったところから始まるんですよ。
しかも離婚届を…奥さんのを内緒で隠してるのを見つけてしまったところから始まるんですけど。
大変。
すごいその…優しい話で。
重松清さん原作の話なんですけどもこれぜひご夫婦で見てほしいなって。
本当に?普通こういう夫婦の映画の話って旦那さんが居場所が悪くなったりとかするじゃないですか。
そういうことはなく…。
でも全然知らないうちに奥さんが離婚届を用意してたっていうのはすごいショック?すごいショックなわけですよね。
彼もものすごいショックを受けてそこから奥さんに言い出せずに…。
僕が今回やってる役は優柔不断な男の役なんですけども。
優柔不断なの?はい。
ずっと聞き出せずになんか色々考えるというね。
そこのところが…その優柔不断なところが彼女は嫌なわけ?彼女は嫌で…。
なるほど。
でもあなたがもしお家でもって離婚届見つけたらどうします?これはびっくりするでしょうね。
僕は逆に…逆に長引かないように聞いちゃうほうだと思います。
ああそう。
彼はねそこを聞けないから色んないざこざが余計起きていくっていう…。
宮本さんはねそういう優柔不断だから。
でもそうね。
子供…お子さんいらっしゃるんでしたっけ?僕は…そうですね。
まだ小さいですけどね2人います。
この話になるにはまだちょっと時間があるんですけどいい経験を先にさせてもらった…。
そうですね。
その映画がどんな面白いかケンカのところをちょっと見せていただいていいですか?はいはい。
(宮本美代子)「ああっ!」「ずっと前から同じ空気吸うのも嫌だったの!」「ちょうどいいわ。
今すぐ判押して!」「あなたさ自分が食べたいものの一つもはっきり言えないでしょう。
ずっと優柔不断なのよ!」「いつもね優柔不断なのよ!」「食べ物食べる…食べるにしたってさ何にしようか悩んでばかりじゃない!」「わかってる?自分のこと!」
(スタッフ)「はいカット」痛かったでしょ?首が。
「同じジム友達です」今のをやったから疲れてるだろうって。
ああそうそう。
肩?優しい。
優しいんです天海さん本当に。
僕は20年前に天海さんとご一緒して彼女はまだ本当に初めてのテレビドラマ…。
出たばかりで。
そのあとまた一回ご一緒したんですけどちゃんとお仕事をしたの今回初めてだったんで。
いつもジムでちょくちょく…。
同じジムなの?本当にしょっちゅう会ってて。
ようやく共演できたなっていう話をしてて。
あの人ジムへ行ってるの?行ってもう…彼女はねちゃんと定期的に鍛えて。
僕は『テルマエ・ロマエ』とかそういう時しか鍛えないですけど。
そう。
彼女ちゃんと行ってるの?そう。
行ってます。
割と仲いいほうなのよ。
そうですね。
いつもお話ししてますねジムで。
面白い…本当に天海さんって面白い人ね。
もうハキハキしてるし…。
顔の奇麗さからくると考えられないぐらい面白いね。
面白いですね彼女は。
本当に最高です。
そう。
じゃあこの映画はうまくいきました?そういう…。
うん。
夫婦のあれで本当に天海さんに包まれながらねすごい優しい映画になったなと思って…。
良かったですねでもねそれ本当にね。
でもそのみんなが言いたいけどなかなか口に出して言えないのが題名になってるのが面白いですよね。
ご夫婦で見に来てくだされば嬉しいという…。
ぜひぜひ。
ひどい目に遭ってるの?でも。
いやいや。
僕は問題ないです。
大丈夫?どうもありがとうございました。
2017/01/24(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 阿部寛[字]

〜エンジニアだった父は90歳に…〜阿部寛さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
現在52歳、俳優・阿部寛さんがゲスト。
◇番組内容
子どもの頃から理数系が好きだった阿部さんは、中央大学理工学部電気工学科を卒業し、父や兄と同じようにエンジニアになろうとしていた。ところが、父の後押しもあって俳優の道に進むことになったと語る。また、手先が器用で、自分の髪を自分で切るという阿部さん。だが、ドラマの撮影中にも関わらず、間違えて5センチもカットしてしまい、何とか取り繕おうと試みるが…。ほか、懐かしい映像を見ながら俳優としての転機を明かす。