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セリフ書き起こし ファミリーヒストリー「松方弘樹・目黒祐樹〜芸能一家の歳月 兄に送ったエール〜」 2017.02.02

先日亡くなった俳優松方弘樹さん。
昨年1月この番組への出演が決まりました。
しかしその直後病に倒れます。
病状の回復を待ち弟の目黒祐樹さんと共に出演する予定でした。
しかし2人での収録は実現しませんでした。
そして突然の訃報
さあ今夜のゲストは目黒祐樹さんです。
どうぞ!
(拍手)よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
どうぞよろしく。

 

 

 


勝手なイメージですけど。
松方さんと目黒さんの父…戦前からチャンバラ映画で活躍した「剣戟スター」です。
許さんぞ!その豪快でスピーディーな立ち回りは当時日本一とも称されました。
しかし目黒さんたち兄弟は父の生い立ちについて詳しく知りません。
松方さんと目黒さんの父近衛十四郎の本名は目黒寅一。
大正3年新潟県長岡市で生まれました。
寅一の戸籍には昭和20年以前の情報がなく親戚をたどる手がかりがつかめませんでした。
その訳は「長岡大空襲」。
人口およそ8万の長岡に16万発余りの焼夷弾が落とされました。
市街地のおよそ8割が焼け野原になり多くの戸籍が焼失しました。
何らかの手がかりを求めて寅一の出生地長岡市西新町に向かいました。
西新町ね…。
松方さんと目黒さんにはこの地域につきあいのある親戚はいないといいます。
取材を進めると幼い頃寅一と遊んだという人が見つかりました。
同じ目黒ですが親戚ではありません。
よく一緒にしたのがチャンバラごっこ。
一緒に映画館にも通いました。
豪雪地帯の長岡。
1年の半分近くは雪に閉ざされ外で遊べないため映画に夢中になりました。
中でも熱心に見たのがチャンバラ映画でした。
寅一はある夢を抱きます。
うわっ!うわっ!えいっ!うっ!うっ!えい!てやっ!うっ!「いつか剣戟スターになりたい」。
しかし寅一が13歳の時父が他界します。
母ミカが女手一つで3人の子供を育てる事になりました。
母ミカの事を伝え聞いている親戚が見つかりました。
寅一の妹チヨの娘にあたります。
そして姉の…松方さんや目黒さんと交流はないといいます。
18歳になった寅一は鉄道関係の会社に就職します。
しかし働き始めたものの仕事に身が入りません。
幼い頃からの役者への夢をどうしても諦める事ができなかったのです。
思い切って母に打ち明けます。
「長岡を出て剣戟の役者を目指したい」。
母ミカは猛反対しました。
中でも特に反対したのが…隆一の妻…その時の事を聞いています。
しかし寅一は母や親戚の反対を押し切り家を飛び出します。
昭和7年時代劇スター市川右太衛門のプロダクションに飛び込みます。
市川右太衛門はあの北大路欣也さんの父親です。
その2年後。
寅一は端正な容姿と巧みな剣さばきを評価され近衛十四郎の芸名で初主演を飾ります。
寅一が出演した戦前の映画はほとんど残っていません。
しかし今回ある貴重な映像が見つかりました。
こんにちは。
和田さんは近衛十四郎好きが高じて16年前にファンサイトを立ち上げた管理人。
資料集めに奔走する中で仲間のファンから昭和16年の主演映画を入手しました。
(取材者)あっそれですか。
幕末福澤諭吉のもとで学問に励む主人公を演じています。
このころ長岡で暮らす母ミカがひそかに続けていた事があります。
寅一が家を飛び出して以来人目につかない早朝にこっそりこの神社で息子の成功を祈っていたのです。
この神社にはこんなものが残されていました。
寅一が映画の主演をはる役者になった事に感謝して母ミカが奉納した一枚の幕。
寅一がこの幕の存在を知ったのは戦後の事でした。
母ミカの33回忌。
この神社を訪れた時母が奉納した幕を初めて目にしたのです。
そしてここにはもう一枚幕が残されています。
かつて母の反対を押し切って役者の道に進んだ寅一。
母ミカの思いを知り感謝の気持ちを込めて自らも幕を奉納したのです。
ねえ!やっぱり…最近ですよ。
昭和10年寅一は東京に移り住み新興の映画会社大都映画で活躍していました。
ここで一人の女優と出会います。
新人の…後の松方弘樹さん目黒祐樹さんの母です。
目黒さんは母方の家族に関してずっと気になっていた事があります。
ヤイは…地元の図書館で調べるとかつて浅草界わいでは象牙彫刻が盛んだった事が分かりました。
そもそも象牙彫刻が人気となったのは江戸時代。
印籠やたばこ入れにつける根付け更には置物が作られました。
(取材者)あこれですね。
角西武山という職人の名前。
しかし母方の祖父の名前は角西清太郎。
果たして関係はあるのでしょうか?台東区に大正8年創業の象牙彫刻を扱う問屋があります。
(チャイム)はい。
あ〜こんにちは。
すみません。
3代目の…
(三輪)めっちゃきれい…。
目黒さんがトーテムポールを作る祖父の姿を覚えているという話を伝えると…。
(取材者)片山さんトーテムポールというのは何用なんですかね?祖父が作っていたトーテムポールは主にアメリカ向けに輸出されていたと考えられます。
そんな象牙職人の家に母ヤイは生まれます。
通った女学校の記録に成績優秀者として名前が残されています。
学業優秀だったヤイですが近くの浅草で映画を見るのが何よりの楽しみでした。
そしていつしか女優になる事を夢みます。
17歳の時友人の紹介で大都映画に女優として入社。
清そでかわいらしい容姿からすぐに水川八重子という芸名でデビューします。
そして人気絶頂の近衛十四郎こと目黒寅一と出会ったのです。
当時の寅一について後にヤイは雑誌のインタビューでこう語っています。
「所内の女優さんをはじめ撮影所まで押しかけてくるカフェーの女給や芸者さんに十重二十重と取り巻かれてまるで女の垣根の中にいるみたい。
駆け出しの私なんかめったに顔も見られませんでした」。
共演を重ねるうちに2人は次第に恋仲になっていきます。
翌年には長男浩樹に恵まれます。
後の松方弘樹さんです。
こんな写真あるんだ。
しかし時代は戦争の真っただ中。
昭和20年3月31歳だった寅一にも召集令状が届きます。
寅一はヤイにこう告げます。
「俺は絶対に死なない」。
生まれたばかりの息子のために「必ず生きて帰る」と誓いました。
寅一が本籍地の長岡から出征する時見送った人が見つかりました。
寅一が向かったのは現在の北朝鮮の北部に位置する羅南。
出征から僅か5か月で終戦を迎えます。
そしてソ連軍の捕虜となり延吉の収容所へ送られました。
今回この延吉の収容所で寅一と一緒だった人が仙台で見つかりました。
昭和20年伊藤さんは21歳の時学徒出陣で朝鮮半島に向かいました。
終戦後延吉の収容所での不安な日々の中で10歳年上の寅一に出会ったのです。
僅かな食糧しか与えられない空腹と絶望の日々。
多くの日本兵が生きる気力を失いかけていました。
そんな中寅一が突然見事な芝居を披露したのです。
しかし収容所での生活が長引くにつれある病気が流行します。
高熱や頭痛を引き起こし死に至る危険な病でした。
寅一も感染してしまいます。
当時の状況を知る人がいます。
収容所近くの病院に勤務していた…日本赤十字社の看護師として戦地に派遣されていました。
ある日ソ連軍による身体検査が始まります。
健康状態の良い日本兵をシベリアに送るためでした。
発疹チフスにかかっていた寅一は労働にたえられないと診断され日本へ帰される事になりました。
一方寅一と親しかった…シベリアドゥナイの収容所に送られました。
厳しい寒さと空腹の中で過酷な労働を強いられます。
ある日伊藤さんは作業中に倒れソ連兵に銃を突きつけられました。
その時脳裏に寅一と交わした言葉がよみがえります。
伊藤さんはその後2年間をシベリアで過ごし無事日本に戻りました。
映画界に復帰するつもりでしたが思わぬ事態に遭遇します。
「軍国主義を助長する」という理由からGHQがチャンバラ映画の製作を規制していたのです。
出演できる映画はなく寅一は途方に暮れるしかありませんでした。
さあいかがでしたでしょうか?そうですね。
気力ですね。
戦後GHQがチャンバラ映画を規制した事により仕事を失った寅一。
やむなく妻ヤイと共に一座を組み全国の芝居小屋をまわる事にしました。
しかし映画出身の2人は舞台での芝居に戸惑います。
目の前の客に見せる演技ができず劇場はガラガラ。
そのころ東京浅草でひときわ人気を集める役者がいました。
まだ10代にして一座を率いていた「女剣劇」のスター。
「どうすれば客を喜ばせる芝居ができるのか」。
寅一は教えを乞いに行きます。
その剣劇スターを訪ねました。
(取材者)近衛さんの立ち回りはいかがでした?映画界出身の寅一は「目の前にいる観客の反応を待つ」という意識が欠けていたといいます。
演劇史に詳しい作家…実はこの時の経験が後の寅一の演技に影響を与えたといいます。
(三輪)かわいい!かわいい!ところがまたしても大きな壁が立ちはだかります。
各地の芝居小屋が続々とストリップ劇場に姿を変えていったのです。
再びぎりぎりの生活となります。
4歳の頃の目黒さんには忘れられない思い出があります。
家族4人で八百屋の前を通りがかりミカンをねだった時の事です。
サンフランシスコ講和条約が締結されるといわゆる「チャンバラ禁止令」が解除されます。
映画界に復帰した寅一はその後主役に返り咲きました。
や〜っ!参った!このころヤイは女優を引退。
家庭に入り家族を支えます。
昭和33年。
高校2年になった長男浩樹は役者ではなく歌手を目指していました。
父親も俳優やってましたし母親も女優業やってました。
子供の…ちっちゃい頃ね。
その職業は嫌だと。
父親とは違う商売を自分はなりわいとしてやりたいな。
そこで美空ひばりや島倉千代子に楽曲を提供していた作曲家上原げんとの内弟子になります。
しかし歌手への夢はあっけなく砕け散ります。
やなやつが入ってきた。
やなやつが。
後の五木ひろしさんでした。
すごいな面白い。
彼の歌を聴いた時に頭トンカチでたたかれたような思いですわ。
彼はもう全然完成してるの歌が。
切なくてね。
歌手になる夢を断念した松方さんは父寅一の紹介で映画界に入ります。
面白いですねやっぱり。
こんなうまいやつがいるんだと。
近衛十四郎の息子としていきなり主演デビューを果たします。
運命だな〜。
しかし父の評価は厳しいものでした。
松方さんが当時の事を振り返っている新聞記事です。
一方弟の祐樹さんは幼い頃から子役として映画に出演していました。
しかし祐樹さんは次第に役者が嫌になっていきました。
高校からアメリカに留学。
外交官を目指して大学へ進学します。
卒業写真なんですけど。
向こうの。
高校のね。
しかし留学生活を続けるうちにある変化が生じます。
そして帰国後いきなり映画で主演デビューしました。
昭和30年代半ば以降寅一は活躍の場を映画からテレビに移します。
これですか「月影兵庫」。
当時この時代劇で共演していた俳優の品川隆二さん83歳です。
このドラマは最高視聴率35.8%をたたき出し8年間も続く人気シリーズになりました。
そのころ松方さんはある作品に出会います。
神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみいや!おう!昭和48年松方さんは映画「仁義なき戦い」に出演。
迫真の演技が高く評価されます。
寅一もこっそりとこの作品を見に行きました。
当時目黒家で家政婦をしていた…寅一とヤイの2人がリビングで息子の演技について話していたのを覚えています。
当時寅一のマネージャーをしていた…3人で出た…これだけ。
舞台ですか?舞台です。
親子3人の立ち回りがよく似ていた事を覚えています。
私もいる。
(取材者)そういう事って…近衛さんがお子さん2人に教えたんですか?当時家政婦だった益本さんが撮影した家族の写真が残っています。
(取材者)こんなポーズもつけてくれるんですね。
(益本)ちゃんとやって頂いたんです。
役者として活躍する親子3人。
ヤイは夫と息子たちの芸能活動を支えていました。
しかし昭和51年7月一家に思わぬ不幸が訪れます。
母ヤイが胃がんのため亡くなったのです。
58年の生涯でした。
寅一のマネージャーを務めていた川野さん。
最愛の妻を失い酒に溺れるようになった寅一の姿を鮮明に覚えています。
ヤイの死から10か月後。
寅一はヤイの後を追うように他界。
時代に翻弄されながらも芝居に打ち込んだ63年の人生でした。
いや〜いかがでしたでしょうか?そうですね。
今…。
そうですよね。
目黒家で家政婦をしていた…広島から京都に一人出てきた益本さんを優しく受け入れてくれたのがヤイでした。
益本さんには今も肌身離さず持ち歩いているものがあります。
(益本)変な事してますけど。
40年前ヤイからもらったお守り。
(益本)なんか入ってる。
(取材者)あっお守りがある。
懐かしい五千円。
ごめん。
うわ〜すごい。
これも一緒に収めておこう。
ソ連軍の捕虜になり…戦後は仙台で銀行員として働きました。
日本に無事戻り10年後の昭和32年突然寅一から連絡が入りました。
「伊藤くん芝居を見に来ないか」。
寅一からの誘いでした。
しかし当時は仕事が忙しく見に行く事はできませんでした。
するとブロマイド写真が送られてきたのです。
過酷な収容所で寅一に励まされた思い出。
伊藤さんはいつかこの事を松方さんに伝えたいと思っていました。
そこで去年5月仙台で予定されていた松方さんのコンサートのチケットを買っていました。
長年寅一のマネージャーを務めていた…
(取材者)松方さんとのお写真が飾ってあるんですね。
川野さんの書斎には4年前に撮った松方さんとの写真が飾られています。
更に川野さんが大切にしている腕時計があります。
(川野)松方さんから近衛さんお父さんの形見の時計だと言って俺にくれたんだよ。
もう一度お兄さんと一緒にでも。
(三輪)お兄さんにも見て頂いて。
見て頂きたいですね。
もう僕より涙もろいですからね。
多分もうこのへんボロボロだと思いますね。
所さんこの木何か分かりますか?2017/02/02(木) 19:30〜20:15
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「松方弘樹・目黒祐樹〜芸能一家の歳月 兄に送ったエール〜」[字]

74歳で亡くなった松方弘樹さんと弟の目黒祐樹さん兄弟。父も母も俳優だった芸能一家のルーツに迫る。そして、闘病中だった松方さんにゆかりの人たちが送ったエールとは。

詳細情報
番組内容
74歳で亡くなられた松方弘樹さん。番組の取材が始まってすぐ、病に倒れました。回復を待って、放送を出す予定でしたが叶いませんでした。番組では、芸能一家だった家族のルーツに迫りました。父は昭和を代表する剣げきスター近衛十四郎。母は元女優・水川八重子。戦争中、近衛十四郎に助けられたという人物が70年以上の時を経て見つかります。そして、闘病中だった松方さんに、ゆかりの人たちが、熱いメッセージを送りました。
出演者
【ゲスト】目黒祐樹,【司会】今田耕司,三輪秀香,【語り】余貴美子