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字幕書き起こし 「ミュージック・ポートレイト「久本雅美×つんく♂ 第1夜」 2017.02.02」

今夜は同じ大阪出身共通点も多い久本雅美とつんく。
うれしいうれしいうれしい。
なるほど。
こちらこそよろしくお願い致します。
なるほどな。
声を失った音楽プロデューサーつんく。
ロックバンドシャ乱Qではミリオンヒットを連発。
・「淋しい夜はつまんない」更にモーニング娘。
などをプロデュース。
時代の寵児になりました。
(司会)つんくさんです!2014年がんで声帯を摘出。
歌手の命声を失った今新たな人生を歩み始めています。
タレントで女優の久本雅美。
今日は本当に心からよろちくび〜。
生涯の目標は喜劇女優。
舞台での笑いに情熱をかけてきました。
そんな2人の共通点は…。
つんくさんも私もそうやと思うんやけど出はやっぱりアングラじゃないですか。
やっぱあった!うんうん確かに。
めちゃくちゃ売れてて。
ああこれもつらかったですね。
笑顔の陰に葛藤の日々もあった2人。
「ミュージック・ポートレイト」。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめます。
日本で初めて一万円札が発行されたこの年久本雅美は下町情緒あふれる大阪市平野区で生まれました。
父親はおしゃべりで面白いと評判のトラック運転手。
母親は真面目な保育士という家庭。
幼い久本の原点は土曜の夜に一世を風靡したこのお笑いグループ。
ザ・ドリフターズの「いい湯だな」。
最高視聴率50.5%を記録した「8時だョ!全員集合」のエンディングテーマです。
ドリフドリフ。
分かりやすいでしょ。
意外と大阪人がドリフやいうのはびっくりしたんじゃないんですか。
確かにそうでしょ?松竹新喜劇吉本新喜劇ものすごい好きでよくギャグもやってましたけども。
何か大阪の日常にない…皆さんの個性と。
だから多分…やっぱそういうの好きやったです。
久本はドリフに憧れ小学校でいつもまねしていました。
自作のコントまで作ったといいます。
小学校3年とか4年になった時は私自分で本書いてコント書いてドリフの何かねパロディーみたいなのやって。
仲のいい友達集めて単純な事ですよ。
1212ピ〜ッピで1人だけ違う方向向くみたいなね。
ベタな事でどんどんやってあかんあかんって言いながらやってるっていう。
いてるでしょ?要するにお調子もん。
それ完全に私でしたね。
だから私の原点はドリフですね。
久本が生まれた10年後1968年。
大阪府東大阪市でつんくは乾物屋さんの長男として育ちました。
つんくが音楽に目覚めたのは小学生の時。
世界的ロックバンドのこの曲に衝撃を受けました。
ザ・ビートルズ「オール・マイ・ラヴィング」。
オシャレ〜!ビートルズ?ああ大好きなんや。
ビートルズにはどういう衝撃受けたんですか?歌謡曲ってやつですね。
はいはい西城秀樹さんとか。
キャンディーズとかもう分かるわ。
やっぱりビートルズがつんくさんの音楽の原点って言うていいんですか?それは。
あ〜やっぱりみんなギタービートルズでギターか。
うんうんうん確かに。
「お前ビートルズ好きなんか」っておじちゃんとも仲よくなれるしっていう。
やっぱりギターの弾き始めってビートルズから入る人多いんですね。
ビートルズに憧れてギターをつま弾く中学生。
つんくの心に音楽の種がまかれた瞬間でした。
1974年高校に入学した久本は入学早々男子生徒から熱い注目を集めます。
これねしゃべったらねみんな蜘蛛の子散らしたみたいに全然ちゃうやんけって。
言うのもなんだけど高校の時に私が入学した時にめちゃめちゃかわいいやつが入ってきたっていうのでうわさになったんですよ。
私がクラスでおって掃除してたら先輩たちがみんな見に来たんです。
誰や誰や久本って誰や誰やって。
何人かバ〜ッて来てパッて私を見た時私ちょうどね掃除してる途中で…みんながえっあいつ?帰ろ帰ろ言うて帰ったんです。
ハハハハ!何か雰囲気はよかったみたいですけどもおしゃべりが好きやったので。
おしゃべり好きっていうのはちっちゃい時からそうだったんですけども。
朝礼で毎日後ろの方でずっとしゃべってたら生活指導の先生に後ろから出席簿で頭をバ〜ンたたかれて「痛〜!」って思ったら「お前は毎日毎日ようそんなしゃべる事あんな。
前に出ろ」って朝礼台に立たされて校長先生から「日本一のおしゃべりです」って紹介された事あるんです。
「日本一のおしゃべりです」って。
全校生徒が退場するまでずっと立たされたんです。
そんな久本にも黙り込む瞬間がありました。
それは大好きなこのグループの音楽を聴く時。
・「散歩しましょう御堂筋でも梅田からナンバまで」これもうつんくさん分かります?上田正樹とサウス・トゥ・サウスが私の青春なんです。
ヘッドフォン聴きながらこうやってたら突然上田正樹とサウス・トゥ・サウスのナニワロックがリズム&ブルースがド〜ン。
「この熱い魂を伝えたいんや」タッタッタッタッタってなった時に「わ〜何やこれ!」。
それぐらい私ものすごい音楽のエネルギーに感動してそこからハマったんです。
どこまでも追いかけましたねライブハウスも野音も。
ナニワロックナニワのリズム&ブルースを死ぬほど追いかけた時代です。
バンドの追っかけをしたエネルギーあふれる学生時代。
短大を卒業したらおしゃべりが活かせる仕事に就きたいと夢みていた久本。
ある舞台との出会いが人生を変えます。
その舞台とは…シャレた笑いで若者から人気を集めていました。
今まで育った…久本は衝撃を受けます。
吉本でもない松竹でもないこういうお笑いの舞台があったんか世の中にはっていうて衝撃受けて。
何かベタじゃないっていうかスタイリッシュでいろんなギャグを使いながらそれこそ黒澤明監督のパロディーやってみたりとか「七人の侍」をもじって「七輪と侍」っていうんですけどね。
なんてかっこいいんだと思って大感動した。
私漫才とかコントとか好きで見てましたけれどもコント漫才師になるっていう気持ちの憧れは一ミリもなかったです。
ところがあれを見た時にえっ女優さんになりたい。
私はそこで東京に行こうというふうに決めて。
自分もいつかこの舞台に女優として立ちたい。
本当にしたい事を見つけた喜びで久本の心は舞い上がりました。
1984年高校に進学したつんくはますます音楽に没頭していきます。
当時は洋楽のディスコミュージックが全盛期。
その中でもつんくの心を捉えたのはデュラン・デュラン「THEREFLEX」。
化粧してやってた。
なるほど〜。
衝撃受ける訳ですね。
うんオシャレね分かる分かる。
なんですかやっぱり洋楽に憧れるものなんですか?ディスコパーティーの時代か。
なるほどな。
うちらもようディスコ行ったな大学の時。
オシャレな衣装派手なダンス。
全てにおいて…つんくのその後の音楽人生に大きな影響を与えました。
1987年近畿大学に進学したつんく。
ここで人生を変える出会いがありました。
つんくは大学で知り合ったキーボードのたいせいと共にバンドRAM
(乱)を結成。
そして学内で目をつけたほかのバンドと交流を持ちます。
大学2年生の時シャッターズにいたドラムのまことそしてQPのギターはたけと一緒に新たなバンドを作ります。
それぞれのバンド名を取ってシャ乱Qと名付けました。
シャ乱Q!え〜!ハハハハ!これは大学の時に作って大学の学祭とかあるいはライブハウスとか。
テクニック重視か…結構厳しかったんやな。
キー坊上田正樹さん憂歌団ライブハウスいっぱいやってた。
ちょっとしたアマチュアとか緩いバンドは絶対入らせないぐらいの勢いですな。
どれだけの実力やと。
なるほどな本物志向や。
みんなプライド持ってはったんですねライブハウスもね。
見た目のチャラさからシャ乱Qはライブハウスになかなか出演できない日々。
悩んだつんくは当時東京ではやっていたあるものに目をつけました。
歩行者天国の路上で行われていたバンド演奏…これを大阪でやる事にしたのです。
そやろ警察来るわ。
うるさい言うて邪魔や言うて来るわな。
ハハハハ!「お前ら誰に許可得てやってのやこんなとこ」いうやつや。
それでもかいくぐってやってたんや。
出た伝説の大阪城公園。
1万人以上のライブが行われる大阪城ホール。
つんくはホールへと続く公園の路上をステージに選びました。
それにはつんくなりの戦略があったのです。
なるほど頭ええな。
大阪城ホールあるもんな。
えっ1万枚!30人もある意味リターン来るんや。
ググって食いついてくるって事はそれだけの力があったな。
つんくは毎週日曜日に路上ライブをするだけではなく更にバンドを売り込む方法を考えます。
無料で自分たちの曲が入ったカセットテープやノベルティーグッズを配布して知名度を上げていきました。
そして路上ライブは次第に動員を増やし大阪城ホールへと続く道はいつしか人が通れなくなるほどとなったのです。
これすごいよ3人が5人5人が10人10人が100人100人が1,000人になっていくっていう。
この時のこの達成感ってどんな感じなんやろ。
やっぱりそうか。
こうなったら東京で日本で勝負したいと思いますもんね。
路上ライブの成功でつんくは自分たちの音楽に手応えを感じ始めていました。
久本は劇団東京ヴォードヴィルショーへの入団を夢みて上京を決意します。
しかし両親は猛反対しました。
親にとっては東京へ行くお笑いの女優さんになる劇団に入るって言うからびっくりですよ急に言いだしたから。
演劇のえの字もやった事のない人間が。
何にも決まってなかったです。
大阪から何回も電話してね「入れて下さい入れて下さい」って言ったけど「今年は取らない今年は取らない」言われたんですけど…親も「えっいつの間に!?」って感じやったんけども。
ただただ東京行って…親不孝してるかしてないかっていうのは親不孝してると思うけど両親に対する後ろめたい気持ち全然なかったです。
妹の朋子さんが見送る中弟徹さんが運転する車で東京へ向かいます。
途中でサービスエリアで妹の手紙見たら「お姉ちゃん頑張ってな」って。
「東京で本当に大変やと思うけど応援してるで」みたいな温かい手紙の中に五千円札が入ってたんです。
めっちゃ感動したんです。
「えっ!?」って。
うちの妹6個離れてますから高校生で彼女の中のお小遣いというかお金を私に餞別でしょうねお金に困ったらかわいそうや思うその心。
5,000円ってこいつにとっては大金やのに私にくれて頑張れやっていうこの思いがうれしいなと思った時にちょうどラジオから松山千春さんの「大空と大地の中で」。
この妹の5,000円と手紙と親の顔がちらついて東京行って絶対頑張る負けへんでってリンクしていく訳です。
車の中でどわ〜言うてしゃくり上げて「絶対…絶対頑張るわ」ってしゃくり上げてましたけどね。
そういう思い出の曲が「大空と大地の中で」です。
これだから私がとにかく東京ヴォードヴィルショーっていう憧れの劇団に入ってそこでやっぱり舞台の上で輝きたいっていうのがあって。
夢に向かってばく進中やから生きる事に必死やから。
一方のつんくは大学の卒業を前に就職するかプロミュージシャンを目指すのか人生の岐路に立たされます。
えっめっちゃ安泰じゃないですか信用金庫。
まさかですよね。
趣味でやってる分やったらいいけどそんなんで本気になってプロになって食べていくなんて考えてなかった。
大反対ですか?分かるわ絶対そこでも頑張ってまいますね。
分かる分かる。
えっ?バンドおろそかなるやろなって思ったん?そりゃそうやわ。
だって信用金庫なんか行ったら絶対もう安泰やし。
3年だけやでって言われたんや。
そこで勝負しろと。
就職の道を捨てプロのミュージシャンになると決めたつんく。
バンドの活動資金を稼ぐため昼間は地元のプラスチック工場でアルバイトをします。
作業中工場のラジオから流れてきたのが当時ミリオンヒットを記録したこの曲でした。
なるほどな。
じゃあある意味目標やったんですね。
3年で結果を出さないといけない。
つんくはチャンスをつかむため…派手なダンスを取り入れたエンターテインメント性あふれる楽曲で勝負をかけました。
コンテスト受けたんか。
なるほどなるほど。
優勝したかったんや。
エブリバディーカモンレッツダンス!シャ乱Qは全国で3,404組のバンドが参加したNHK「BSヤングバトル」に出場。
・「小池さん小池さん」・「好き好き」・「小池さん小池さん」・「好き好き」エブリバディーダンス!キーボードまで前へ出て踊る異色のパフォーマンス。
一体感あふれるステージングで観客を魅了しました。
(司会)バンドアイドルバンドルになるのが目標。
大阪地区シャ乱Q!見事予選を勝ち抜き全国大会へ出場します。
BSヤングバトルグランプリは…。
(ドラムロール)近畿ブロック代表シャ乱Q!
(歓声)結果は優勝。
いや本当にあの…ありがとうございました。
優勝した時はどういう気持ちですか?でもすごいけどな。
10番目でもすごいけど。
そりゃそうや。
初めて日本一っていうタイトルみたいなんがもらえる訳ですもんね。
これはすごい事やな。
どういう事?あ〜「わ〜!」ってできひんかったん。
ちょっと気取っとったん。
そういうとこもちょっと大阪人らしいっちゃ大阪らしいですよ。
うわ〜!私が横におったらトロフィーで頭たたいてますよ。
(笑い声)鳥肌〜!バンド日本一の肩書きをひっ提げ意気揚々と上京。
しかしその先に待っていたのは過酷な試練の日々でした。
上京後念願の東京ヴォードヴィルショーへの入団を果たした久本。
しかし劇団では端役しかもらえない下積み生活が続きました。
稽古は不定期でアルバイトもままなりません。
どん底の貧乏生活でした。
60円のあんぱんどっちが払た払てないってケンカするぐらいのね。
家で寝てたらお金なくて稽古行けないんですよ。
電話して「すんません稽古ちょっと遅れます」って家の中でお金かき集めても140円ぐらいしかない。
どうしたらええのやろって思ったらトントントントン「郵便局です」って言うからナイスタイミングで仕送り来たと思って「は〜い」って出ていったら「何かお友達から手紙ですけど国内なのに国際便で出したので90円不足です」って言われたんですよ。
90円不足って!友達恨みましたよ。
いつか絶対成功してみせる。
当時の久本の思いと重なる映画のテーマソングがありました。
ベット・ミドラーの「THEROSE」。
これ私大好きなんですよ。
最後はもうドラッグにまみれながらなんだけれども満杯の聴衆の中で歌って倒れていくっていうすごいサクセスストーリーなんですね。
だから本当に夢を見る人間にとっては自分が重なる訳ですよ。
今は端役でもいつかは誰もが知る喜劇女優になりたい。
そう思って耐え続ける久本をひそかに応援してくれる人がいました。
最初は上京する事に反対していた母敦子さんです。
「大阪帰ってきなさい大阪帰ってきなさい」って言われたんですけど帰ったらうちのお母さんが「よう帰ってきてくれた」って言われてね。
ごはん食べに連れていってくれたやってくれた。
「また大阪帰ってくんねんで。
負けたらあかんで頑張りや」。
その時はお母さんもだいぶ応援してくれるようになったので。
それで家帰ってきたら何か荷物重たいんですよ。
「何で重たいのかな」思てす〜っと開けてみたら私のトレーナーの中にウイスキーが1本入ってたんですよ。
私がお酒が好きだっていうの分かってたので手紙が入っててね「雅美」って。
「飲み過ぎには注意してね」って。
私その時はほんまに親不孝してるなと思いましたね。
そんな時に貧乏やわ怒られるわでほんまに自分でしょげてる時にこの「ROSE」のカセットをそれを電車の中で聴いてテンション上げていく訳です。
・「Somesaylove」でもそれぐらいやっぱり自分の中でこの「ROSE」というのはちょっとつらい時に自分の中でテンション上げてた思い出の曲ですねこれは。
1992年シャ乱Qはバンド日本一の肩書きをひっ提げ鳴り物入りでメジャーデビュー。
・「私の夢かなわないそう言いながら」しかし売り上げは低迷しました。
更に自分たちの原点である大阪でのライブの観客も目に見えて減っていきました。
そうや言う。
必ず大阪人は言う。
「あいつら大阪捨てたで」言う。
言う!大阪人って白黒はっきりするよな。
如実にそうなったんや。
東京でも駄目大阪行っても半減。
シャ乱Qと同じ年にデビューしたのがMr.Children。
シャ乱Qとは対照的にデビュー曲からヒットチャート入り。
差は広がるばかりでした。
うんうん確かに。
めちゃくちゃ売れてて。
同期やという事で比較されちゃうんだね。
居心地悪いな。
言うんですよこういう事!「何であんな詞が書けないんだ」「あんな曲が書けないんだ」って言うて売れたら「そうそうそれ」って言うんだよね。
絶対そう。
ああ言われるよね。
ああこれもつらかったですね。
聴きたくなかったライバルの曲。
悔しさと失意の中それでも聴いてみたミスチル。
自分たちの音楽にないものを見つけつんくは愕然とします。
「さすがやな」と思うてまうと。
わっすばらしい。
ライバルが自分を育ててくれたってやつですね。
1984年久本は25歳で東京ヴォードヴィルショーの劇団仲間と独立を果たします。
夢を抱いて作った新しい劇団がWAHAHA本舗。
もっと自由に自分たちらしい笑いを追求したい。
旗揚げからそのパフォーマンスは型破りでした。
私がその東京ヴォードヴィルショー辞めて自分たちだけでお笑い作っていこうというのでWAHAHA本舗っていう劇団を立ち上げる訳ですね柴田理恵たちと。
「東京ヴォードヴィルショーの若手がやった」っていうので少し人は入ったけどもやっぱりなかなかうまくいかなくて。
もうそれこそチラシ配りしたりとかポスター貼りしながらもうお客さん少しずつ増えていった。
その中で女ながらにねいろんな下ネタをさせて頂いて。
この状況は今でも変わってないんですけども。
今でも股間にかざぐるまつけてお客さんに吹いてもらってますけれども。
それは本当変わんないんですけども。
そういう下ネタやりながら…久本がWAHAHA本舗の舞台で見せたのは女性とは思えない破天荒な笑い。
たとえ下品と言われてもこのやり方で突き進む。
そんな決意を後押ししたのが当時友人でもあったこのバンドの曲でした。
ファンクやロックが融合した多様な音楽性でインディーズでカリスマ的人気を誇ったJAGATARA。
同じアンダーグラウンドで勝負する久本の心に刺さりました。
マイナーの誇りもある訳ですよアングラの。
多分つんくさんも私もそうやと思うねんけど…これに対する何て言うか誇りというか…だからJAGATARA聴いたらいつも本当にあの時のエネルギーを思い出すし私らはそこから出てきたからそこは絶対に譲れへんでみたいな思いがあふれますね。
久本は舞台で活動するかたわらテレビの世界にも進出。
久本のインパクトあふれる芸は話題を呼びテレビ出演のオファーが殺到しました。
子どものくせにお父さんやお母さんに偉そうに言い過ぎたみたい!
(2人)いやいやいやいや!ごめんなさ〜い!
(2人)いやいやいやいや!やっぱりマイナーの中で知らない人はいないという存在もかっちょええけどメジャーって世界はもう見た事もない老若男女が見た上で支持される訳ですから言うたら舞台はそっちの方がおっきい訳で。
私の中ではなっていく訳ですね。
自力でこう一個一個ね階段上ってきたっていうのはどっか自分の中でも誇りであり…それまで見た事のない型破りな女性タレントの誕生。
几帳面やねん。
中心ははからんとね。
久本はついにメジャーの舞台でブレークを果たします。
一方のつんく。
これが売れなかったら最後と言われ発表した4枚目のシングル。
・「So時として恋人の二人には」・「愛のせつなさにすれ違ったまま」この「上・京・物・語」が10万枚を超えるスマッシュヒット!へえ〜それ47位になったんや。
それでド〜ンいったのは何やったんですか?何でしたっけ?「シングルベッド」6枚目なんや〜!半年かかった!言うても半年やけども100万枚やもんね。
ミリオンセラー。
・「シングルベッドで二人涙拭いてた頃」・「どっちから別れ話」「シングルベッド」に続いて発表した曲でつんくはある賭けに出ました。
ディスコミュージックとロックを融合させた「ズルい女」。
しかし当初メンバーは疑問を抱きます。
これは俺たちの音なのか?つんくのねらいはぴたりとハマり「ズルい女」は140万枚を超える大ヒット。
時代を象徴する一曲になりました。
これによって「シャ乱Qあいつら何するか分からへんで」っていう音楽が広がったっていう自分の中での大きな自信作ですよねこれは。
「ズルい女」は。
あ〜なるほどな〜。
翌年にはロックバンドの殿堂日本武道館3DAYSライブを実現。
・「So時として恋人の二人には」・「愛のせつなさにすれ違ったまま」その後に発表した「いいわけ」もミリオンヒット。
インパクトあふれるステージでスーパーバンドシャ乱Qの存在を日本中に見せつけました。
・「Bye−Byeありがとうさようなら」大阪城公園の路上ライブから始まったバンドシャ乱Qは自らの手でチャンスをつかみついに頂点まで上り詰めたのです。
大阪愛してるぜ!こうやって売れていったら忙し過ぎて曲書く時間とか詩作する時間ってなくなるでしょう。
どんな生活を送ってたんですか?どうなん?忙し過ぎたら?なるほど。
どんな話が聞けるのか続きは第2夜で。
ほんまズルい男やであんた。
2017/02/02(木) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「久本雅美×つんく 第1夜」[字]

2人の著名人が、人生の大切な10曲を持ち寄り、対談。2つの人生が音楽を通して響き合う番組/タレント・女優・久本雅美×音楽プロデューサー・つんく

詳細情報
番組内容
タレントで女優の久本雅美と音楽プロデューサー・つんくが、それぞれ人生の節目で心に響いた「大切な音楽10曲」をテーマに語り合う。▽それぞれの分野で時代を築いた2人の共通点は「どん底の下積み生活」▽極貧!いま明かされる久本の過酷な上京物語。当時久本を支えた曲とは?▽当初売れなかったシャ乱Qに影響を与えた意外な同期バンド?▽ともに大阪出身。長い下積みを経て、時代の寵児となった2人の知られざる思いとは
出演者
【出演】久本雅美,つんく,【語り】ヒロ寺平