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字幕書き起こし ETV特集「北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏」 2017.02.04

2016年12月。
ロシアのプーチン大統領が大統領として11年ぶりに日本を訪問しました。
北方領土問題を抱え戦争状態の終結を意味する平和条約がまだ結ばれていない日本とロシア。
両国は北方四島での共同経済活動を目指し信頼関係を深める事で一致しました。
アメリカにトランプ政権が誕生するなど今世界は大きな地殻変動の中にあります。
領土問題の打開を目指す日本とロシアの動きに世界の関心が高まっています。
第二次世界大戦の末期。
ソビエトの対日参戦による北方領土の占拠。
冷戦時代東西の厳しい対立の中でソビエトは日本との間には領土問題は存在しないと強硬な姿勢をとり続けました。
変化の兆しが現れたのは1985年。

 

 

 


ゴルバチョフがソビエトの最高指導者に就き西側との関係改善を進めたのです。
しかし欧米に比べて日本との関係作りは遅れ訪日の実現までには6年もかかりました。
日ソ交渉の舞台裏を元ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフが語ります。
停滞していた日ソ関係を進展させる重要な出発点となったのが1991年のゴルバチョフ大統領の訪日でした。
ソビエトの首脳として初めて北方四島の領土問題の存在を公式に認めました。
この訪日をめぐってある秘密交渉が繰り広げられていた事が明らかになりました。
日本とロシアの関係が再び動きだした今過去の経緯を見つめ直し領土問題を解決に近づける手がかりを探ってゆきます。
領土問題がついに動くのではないか。
11年ぶりというプーチン大統領の訪日は日本中の大きな関心を集めました。
今回領土問題そのものについては進展はありませんでした。
しかし北方四島の共同経済活動について交渉を始める事になりこれが平和条約の締結に向けた重要な第一歩になりうると期待されています。
要するに本格的な領土交渉はまだ先の話でありまずは両国の信頼関係を高める必要があるというわけです。
領土交渉の難しさを改めて実感させられた形です。
今回の訪日の成果をどう見るべきなのか。
まずはその経緯を振り返ってみましょう。
2010年。
日本とロシアの関係は冷戦終結後最悪の状態に陥りました。
当時のメドベージェフ大統領がソビエト時代を通じて最高指導者として初めて北方領土を訪問。
これに日本は強く反発しました。
私たちが叫び声を上げないと駄目だと思いますよ。
うん絶対。
もう悔しい。
しかしプーチン大統領と安倍総理が変化の兆しをもたらします。
2014年2月安倍総理がソチの冬季オリンピックの開会式に出席。
プーチン大統領がその年の秋に訪日する事で合意しました。
交渉を始めようとしたその時思わぬ事態が起こります。
新たな東西対立を生んだウクライナ危機です。
クリミアを併合したロシアに欧米諸国が経済制裁を発動。
日本も制裁に同調しプーチン訪日は先送りされました。
2016年5月日本は状況を打開するタイミングをつかみます。
アメリカの反対を押し切ってロシア・ソチでの首脳会談に臨みました。
日本側は北方領土の将来像を考えながら領土問題の解決策を探る「新しいアプローチ」を提案。
その鍵となる8項目の経済協力案をロシアに示しました。
その後も首脳会談を積み重ねプーチン大統領が11年ぶりに訪日する事になりました。
安倍総理の故郷山口県に招いての首脳会談。
会談の舞台に選んだのは老舗の温泉旅館です。
首脳同士の個人的な信頼関係を深める事で難局を打開しようとしたのです。
この会談で両国は「北方四島で共同経済活動を『特別な制度』のもとで行うための交渉を開始する」事で合意します。
その一方で…首脳会談の結果をどう見るか?今回の合意を評価しているロシア専門家の…今回のプーチンさんの訪問についてはまあまずまずのスタートだったと見てます。
ですから一足飛びに一段飛びでポーンと飛べるという性格のものではそもそもないので一挙解決を期待した人には失望だったかもしれませんが私はそれなりにやっぱり手順を踏んでるんだろうと思うんですね。
ホップ・ステップ・ジャンプのホップかなという感じですよね。
一方ロシア専門家の袴田茂樹さんは厳しい見方をしています。
四島における共同経済活動。
これは成果のように述べる方もいますけれどもこれはもともと90年代にロシア側が強く求めたわけで安倍首相が一番重視した「北方領土の解決」という問題に関してはですね成果は生まれなかったと言ってもいいと思うんですね。
ご覧頂きましたように訪日の結果については専門家の間でも評価が大きく分かれています。
ところでこれまでの領土交渉を振り返りますと共通した問題がいくつかある事が分かります。
この番組ではそれを3つのポイントに絞って検証してみる事にします。
両国間には領土交渉が大きく進展するチャンスがこれまでに何回かありました。
しかしいずれもうまくいかず解決のタイミングを逃してきました。
この3つのポイントについて過去と今回の首脳会談を比べ今後の領土交渉への手がかりを探りたいと思います。
まずは第1の「交渉のタイミング」に注目します。
領土交渉になぜタイミングが重要なのか?それはこの問題が複雑な国際政治の力学の中で生まれたからです。
問題の発端は1945年のヤルタ会談でした。
アメリカのルーズベルト大統領は戦争終結を早めるためソビエトのスターリン書記長に日本への参戦を要請。
その見返りにソビエトに千島列島を引き渡すという秘密協定を結びました。
この秘密協定に従ってソビエトは1945年8月9日日ソ中立条約を一方的に破棄し日本に宣戦布告。
千島列島に進撃し択捉・国後・色丹・歯舞の北方四島を占拠しました。
終戦から10年日ソの国交正常化交渉の中で北方領土問題が協議されました。
この時日ソ両国は領土問題を解決し平和条約を結ぼうとしていました。
ソビエト側は日本に対し北方四島のうち歯舞・色丹の二島の引き渡しを提案。
決着を図ろうとします。
しかしこれにアメリカのダレス国務長官が待ったをかけます。
いわゆる…アメリカの介入もありこの交渉では北方領土問題を解決できませんでした。
そのため日本とソビエトは平和条約を結ぶ事ができず共同宣言という形で国交を回復する事になります。
1956年日ソ共同宣言の内容です。
北方領土問題で日ソ間に火種を残す事をアメリカは意図していたと専門家は指摘しています。
1960年日米安保条約が改定され日本へのアメリカ軍駐留の継続が決まります。
するとソビエトは日本にこう通告しました。
ここからソビエトは日本との間に領土問題は存在しないとの立場をとるようになります。
以来20年以上にわたり北方領土をめぐる交渉は全く動きませんでした。
1985年。
転機が訪れます。
ミハイル・ゴルバチョフが54歳の若さでソビエトのトップ共産党書記長に就任。
旧態依然とした体制を批判し改革ペレストロイカを進めます。
硬直した外交姿勢を改めた新思考外交を打ち出し西側諸国との関係改善に乗り出します。
関係が冷え込んでいた日本にも歩み寄る姿勢を見せました。
これは領土交渉を進展させる絶好のタイミングに見えました。
しかし当時の日本はゴルバチョフの呼びかけにほとんど応じませんでした。
これまで一切の領土交渉を拒絶してきたソビエトへの不信感は根強くゴルバチョフの呼びかけにも慎重な姿勢を崩しませんでした。
一方ソビエト側にも日本に対して大きな不信感がありました。
元ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフ本人に話を聞く事ができました。
冷戦時代アメリカは社会主義陣営の勢力拡大をけん制しソビエトと厳しく対立してきました。
しかしゴルバチョフの登場でその戦略が変わり始めます。
ゴルバチョフとアメリカレーガン大統領は毎年首脳会談を行い信頼関係を構築。
米ソは核兵器削減を実現しました。
米ソの信頼関係が深まる中でアメリカはソビエトの改革や外交政策を支持する姿勢を強めます。
北方領土問題についても従来の立場を大きく変えました。
米ソの関係が劇的に改善する中で日本は領土交渉のタイミングを探ろうとソビエトにアプローチを始めます。
東郷和彦さんはこの時の外務省ソ連課長でした。
ゴルバチョフの側近として新思考外交を進めていたシェワルナゼ外相が日本を訪れます。
ゴルバチョフ訪日を目指し平和条約締結に向けた作業部会を発足させる事で合意しました。
しかし1か月後の1989年1月パリでの日ソ外相会談で思わぬ状況に陥ります。
これによってゴルバチョフの早期訪日に向けた動きは大きく後退しました。
日ソ交渉が滞っている間にゴルバチョフをめぐる状況は一変します。
ゴルバチョフは長年対立していた中国を訪問しました。
この訪問によってソビエトと中国は30年ぶりに関係を正常化しました。
同じ頃ソビエトと同盟関係にあった東ヨーロッパで民主化運動が激化。
11月東西ドイツを隔てたベルリンの壁が崩壊します。
そこから一気にドイツ統一に向けた動きが加速しました。
揺れる国際情勢の中領土交渉のタイミングをはかる難しさ。
安倍・プーチンの交渉もさまざまな局面でタイミングを失いかけてきました。
2014年にはウクライナ危機によって日本は欧米とロシアの板挟みになりプーチン訪日が延期。
2016年初めにはオバマ大統領から日ロ首脳会談の中止を強く求められました。
世界の情勢が更に複雑になっていく中で交渉のタイミングをはかる事がますます難しいものとなっています。
今回の訪日でプーチン大統領は北方領土問題がロシアの安全保障に深く関わっていると強調。
「ダレスの恫喝」を例に挙げアメリカの関与に懸念を表明しました。
首脳会談の直前ロシアは択捉島と国後島に新型ミサイルを配備しました。
北方領土がロシアの重要な軍事拠点である事を示しました。
パノフさんは今後の交渉は安全保障問題が重要になると考えています。
下斗米さんは北東アジアの複雑な情勢を見据えた広い視点が必要だと主張します。
北方領土で基地を今現実にロシア軍の基地なりロケットなり軍事施設があるわけでこれをどうするか。
しかも今度は単に日・米・ロだけでなく北極海の問題が絡むと中国の安全保障エネルギー中国海軍がここに出てくる可能性も十分あるもんですから。
こういった事でのきちんとした詰めが日本側との間にできるかというのが恐らくポイントのもう一つ重要な事なんだろうと思うんですよね。
訪日の結果明らかになったのは領土問題はすぐには解決できずまだ時間がかかりそうだという事です。
交渉は今後来年のロシアの大統領選挙をまたいで続くのは避けられない情勢です。
またアメリカにトランプ新政権が発足し米ロや日ロの関係がどうなるのかも大きな関心事です。
今後いかにして日ロの首脳交渉の勢いを保っていくのかタイミングを逃さないようにいかに領土交渉を進めていくのかが問われる事になります。
続いては領土問題と経済協力との関係です。
冷戦時代日本側は領土問題で進展がなければ経済支援は行わないという政経不可分の原則を貫いてきました。
しかし26年前のゴルバチョフ訪日と今回のプーチン訪日に向けて日本側はこの問題でそれぞれある重要な方針転換を行いました。
領土と経済の在り方がどうなったのかご覧下さい。
1990年1月。
日本とソビエトの交渉がようやく動き始める兆しを見せます。
自民党の安倍晋太郎元幹事長がそれまでにない新しいアプローチでソビエトとの交渉に臨みました。
領土問題ではなく主に経済協力を提案したのです。
これに対しゴルバチョフも問題解決への意欲を示しました。
このころ日本はソビエトとの交渉戦略を大きく転換していました。
それまでは領土問題が解決しない限り経済協力は一切行わないいわゆる「政経不可分」の立場でした。
それを領土問題と経済協力のバランスを取りながら両国の関係を発展させる「拡大均衡」の方針に変えたのです。
日本の対応の変化にソビエトも動きました。
ゴルバチョフは日本訪問を今度こそ実現したいという意向を明らかにしました。
ゴルバチョフは政権発足から6年後の1991年4月にようやく訪日する事になりました。
日本はゴルバチョフ訪日を領土交渉の大きなチャンスと捉えました。
ゴルバチョフ訪日予定の半年ほど前からソビエトの高官が次々と日本を訪れ訪日に向けた準備が本格化します。
こうした中ソビエト側から日本にある極秘の提案が行われました。
提案を持ち込んだのはゴルバチョフ訪日準備委員会の有力メンバーボリスキーでした。
当時ボリスキーの交渉で通訳を務めたサプリンさんの証言です。
当時ソビエトは深刻な経済危機に陥り食料品など生活必需品も不足する状態でした。
日本からの巨額の支援を何としても実現させ国内経済の立て直しを図りたい。
ボリスキーは経済協力と領土問題の解決を結び付けるような姿勢を示しました。
彼にとっては…これをきっかけに領土問題の解決と経済支援を結び付けた秘密交渉が始まります。
ロシア国立公文書館。
ソビエト時代の政治文書を集めたアーカイブにその交渉の記録が残っていました。
「1991年1月9日自民党幹部の特使とソビエト指導部との対話の記録」です。
日本側は「政治的決定が必要なのは領土問題と経済協力問題だ」という基本姿勢を示した後およそ260億ドル3兆8,000億円の経済支援をソビエト側に提示しています。
歯舞・色丹の返還と引き替えの支援だと明言。
更に国後・択捉という残り二島についても解決を求めました。
この交渉を実現させるため日本政府も準備を進めていました。
北方領土問題がついに大きく動くのか?ところがソビエトが態度を急変させます。
この会談の通訳がサプリンさんでした。
あの時はもうちゃんと…最初に話を持ちかけてきたボリスキーは急に連絡が取れなくなりました。
実はこの時ゴルバチョフの政権基盤が大きく揺らいでいました。
ある議員がこんなうわさを大々的に広めたのです。
交渉していた260億ドルのおよそ10倍誤った情報でしたが「島を金で売るつもりか」と国内の強い反発を引き起こしました。
秘密交渉は頓挫しましたが当時ソビエト側では領土問題の解決に積極的な動きもありました。
ゴルバチョフが訪日の際どんな姿勢を示すかが大きな焦点になっていました。
領土問題の解決と経済協力の関係は今の日本にとっても大きな課題です。
領土が先か経済が先かそれとも同時に進めるのか。
その選択肢の中で日本は北方領土でロシアと共同で経済開発を行い双方の信頼を高める方針を示しています。
専門家はどう見ているのでしょうか?まず経済協力などを進めるべきと主張するパノフさんに対し袴田さんは別の考えを示します。
その領土問題の交渉それと経済協力私は共にバランスを取りながら進めるというその考え方に賛成です。
どちらかだけがね一方的に進むと領土問題だけこれを解決しなければというかつての政経不可分これもあまりにも一方的ですしそれから経済協力だけ進めるといっても何の領土問題解決の保証もないならばこれは国民は納得しないと思います。
経済を中心に関係全体を改善し北方領土の将来像を考える中で領土問題を進展させる。
これが「新しいアプローチ」と呼ばれる安倍総理の戦略です。
ロシア側の食い逃げを懸念する声がある中プーチン大統領は「ロシアは経済協力だけに関心があるのではない」と強調しました。
安倍総理のこの戦略が果たして平和条約の締結につながるのか問われる事になります。
続いて第3の首脳間の信頼関係です。
これがなければ領土問題の解決は到底不可能です。
ゴルバチョフ大統領と海部総理は初めての出会いでしたが3日間にわたって異例のマラソン交渉を行いました。
この中で2人は信頼関係を深め難しい問題の協議には首脳同士の相互理解が欠かせない事が示されました。
ゴルバチョフはソビエトの最高指導者として初めての訪日を果たします。
東西の冷戦に終止符を打つなど戦後の課題を次々に解決してきたゴルバチョフならば領土問題を進展させてくれるかもしれない。
日本の期待は膨らみました。
ゴルバチョフを招いて開かれた宮中晩餐会。
テレビで生中継され20%近い視聴率を記録しています。
「メインのテーブル中央には天皇皇后両陛下とゴルバチョフ大統領ご夫妻がお座りになっています」。
東京・迎賓館で日ソ首脳会談が始まりました。
ゴルバチョフ大統領と海部総理が直接顔を合わせたのはこれが初めてでした。
それまで進まなかった領土交渉に首脳同士の会談で突破口を見いだせるのか。
当時60歳同士の2人の首脳が対じします。
互いの基本姿勢を確認したあとゴルバチョフは「これまでの姿勢を改め北方四島の領土問題の存在を認める」と述べました。
ソビエトが歯舞・色丹の二島に加え国後・択捉の名前を挙げて領土問題の存在を認めたのは初めての事でした。
一つの成果を得た日本は続いて平和条約締結後の歯舞・色丹の引き渡しを定めた日ソ共同宣言の有効性を認めるようゴルバチョフに迫ります。
しかしゴルバチョフは首を縦に振りません。
それぞれの主張を繰り返し首脳会談はこう着状態に陥ります。
海部総理は打開の糸口を見いだそうと晩餐会の場などを利用してゴルバチョフとの関係作りをはかりました。
ようやく始まった首脳同士の関係作り。
首脳会談の行方は…。
外交官として交渉に立ち会ったパノフさんが当時の様子をこう語ります。
ゴルバチョフの決断に決定的な影響を与えたのは国内の反対勢力の存在でした。
軍部を中心とする保守派。
エリツィン率いる急進改革派などさまざまな勢力がゴルバチョフを政権から引きずりおろそうと狙っていたのです。
その動きをアメリカもつかんでいました。
3日間で13時間に及ぶ会談の末合意した内容です。
しかし歯舞・色丹の引き渡しを定めた1956年の日ソ共同宣言の有効性をソビエト側は認めませんでした。
一方ロシア国内で絶大な支持を集めるプーチン大統領は1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めています。
ただし歯舞・色丹の二島を引き渡す条件が定められておらずこれは交渉の対象だと主張しています。
強気の姿勢を貫くプーチン大統領と安倍総理はこれまで16回の会談を積み重ねてきました。
未来志向で北方領土問題を考える「新しいアプローチ」や大型の経済協力の提案などさまざまな形で関係を深めてきたのです。
日本のこの戦略を下斗米さんは好意的に捉えています。
人間的な関係これは時代が変わってるといえば当たり前で今や首脳外交というものが当たり前になってきた。
それにしてもやっぱり個人関係の信頼というものをつめれば恐らくとんでもない誤解だとか思わぬ変化にどう対応するかとか。
不信感を持たない信頼を持つこれは非常に重要だと思いますね。
一方袴田さんは安倍・プーチンの信頼関係に懐疑的です。
安倍さんは確かに極めて熱心にプーチン大統領にアプローチしています。
ファーストネームで「ウラジーミルウラジーミル」とそれからロシア語で「ナ・トゥイ」といいますが「君」というような言い方でね。
ただプーチン大統領はねかなり…それに対して「シンゾウ」と言う事もありますけれどもね「首相閣下」とか「安倍首相」とかねちょっとね同じ形で親密な態度は示しませんよという雰囲気を示すそういう状況もありますし。
プーチン大統領と安倍首相がね本当の信頼関係を構築して尊敬し合ってるというそういう関係と言っていいんだろうかとちょっと私はその辺には疑問は感じています。
去年7か月で4回にわたった日ロ首脳会談。
安倍総理自らがイニシアチブを発揮しプーチン大統領と何度も直接渡り合った事は領土交渉史上前例のない事です。
日ロの当面の焦点は平和条約締結への重要な一歩とされる北方四島の共同経済活動を実現する事です。
両国の主権を害さない「特別な制度」を見いだせるかどうかは今後の領土交渉の重要な試金石となります。
来年のロシア大統領選挙や国際情勢の激変が予想される中日本側としては来年以降を見据えた戦略が求められます。
北方領土をめぐる日本とロシアの交渉はこれから重要な局面を迎えます。
私はね主権問題というのはプーチン大統領もそれから一般に国際的にねはるかに厳しい問題だと認識している。
つまりそれは戦争と同じ次元の問題で本当にきちんと解決するためだったら10年だろうと50年だろうときちんと正義は通しますよという。
そういうやっぱり覚悟を決めないと私はこの問題自ら時期を限るのは間違いだと思いますね。
私は今戦後の日ロ・日ソ交渉史から考える限り最高のパートナー同士になりつつあると思いますね。
他のリーダーたちがみんな新しいリーダーに替わる替わりつつあるわけで世界の中でも日ロ関係というのはある種非常に重要な関係になってくるだろうと。
あるいは中国から見ましてもねやっぱり日ロ関係というのは非常に注目して見てると思いますね。
安倍総理は去年の首脳会談の勢いを今後につなげようと2017年の早い時期にロシアを訪問する意向を示しています。
まず信頼関係を作り平和条約を結ぶという新たな戦略。
北方領土問題解決への重い扉を開く事ができるのでしょうか?
(テーマ音楽)2017/02/04(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏」[字]

ロシア・プーチン大統領の訪日で関心が高まる北方領土問題。26年前の日ソ首脳会談に交渉進展の手がかりを探ると、鍵となるポイントと、問題の複雑さが改めて見えてきた。

詳細情報
番組内容
1991年4月、ゴルバチョフがソ連の最高指導者として初の訪日を果たす。海部首相との会談では、領土問題は存在しないというソ連の立場を大きく変え、4島の北方領土問題を初めて認めた。しかし、そこまで。日本が期待するように進まなかったのはなぜか。当事者たちが、初めて交渉の舞台裏を明かした。鍵は、交渉のタイミング、領土問題と経済協力の関係、そして首脳同士の信頼。これからの進展につながるヒントを探っていく。
出演者
【出演】元ソ連大統領…ミハイル・ゴルバチョフ,元首相…海部俊樹,元外務省欧亜局長…東郷和彦,ロシア元駐日大使…アレクサンドル・パノフ,アメリカ元駐ソ連大使…ジャック・マトロックほか