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地上波テレビの字幕を全文書き起こします

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書き起こし 徹子の部屋 兼高かおる 2017.02.09

(黒柳)さあ懐かしいとお思いの方もいらっしゃると思いますが今から58年前今日のお客様はまだ海外旅行が夢だった頃に世界を旅する番組を初めてお作りになった方でいらっしゃいます。
この方に憧れて海外に行ってみようと思った方も多かったのではないでしょうか。
『徹子の部屋』は27年ぶりのご出演です。
兼高かおるさんです。
ようこそおいでくださいました。
(拍手)兼高かおるさんはなんといってももう世界を旅なさって『兼高かおる世界の旅』っていうのが番組の名前でしたね。
初めは「兼高かおる」っていうのは付けてなかったんです。
そうだったの?外国を見せるということで。
何でしょうかしらね?旅行をすると言ったけれどもご本人が全然出てないとは何事だとか言われて。
そうして題名も『兼高かおる世界の旅』っていうふうに変えられましたの。
そうなると私といたしましては責任重大でそれからが人生の重荷を背負ったようになりまして私の…番組に捧げた我が青春ということになってしまいました。

 

 

 


皆様いかがですか?番組で…。
ご覧になった方ある?あっありますか?あんな若い方でもご覧になったことあるんだ。
31年間なさったんですってね。
そうかな?計算するとね31年間なすった…。
31年間番組が続いたということです。
もう一つこのお客様はリポーターというのではなくてディレクターといいますかプロデューサーでいらっしゃるんですね。
取材交渉からナレーションから原稿も全部自分でお読みになって…。
いやね一人で全部やったわけじゃないです。
本職がいてそしてそばに私なんかいて。
ちょっとこの写真見ていただいて皆さん。
これJFKと会っていらっしゃる。
この方随分大きい方なんですね。
私びっくりした。
これ兼高さんと一緒だから大きいってわかるんだけどこんな大きい方とは思いませんでした。
そんなに…。
本当ですね。
これで見ると大きいけど本当…実際に会った時はそんなに大きく感じなかったですね。
どんな方でした?朗らかで健康そうでそして気取らない。
ああ…。
素晴らしい男の人です。
ケネディ。
この人が…すごい人とお会いになったのね。
ダリ。
この方もっと…もっとそばにいられたらもっと面白い話ができたかなと思うんですけどね。
あの…私約束時間に4時間も遅れて行ったんです。
あららら。
でも別に嫌な顔もしないで会ってくれて。
彼のお家は海辺の岬の上にありましてねそしてその岬のところでワインパーティーやってくだすって。
そして私のグラスにワインが注がれたらじいっとこう見ててそれで乾杯ってこうしたら彼は急にグラスの中に指を突っ込んでこうやってフッてやって…。
おいしいかどうかって?ええ。
本当なんかもう変わってましたね。
いたずらっ子みたい?これは何?アフリカですか?アフリカです。
アフリカの…これはライオンを撃つ時のポーズ。
えー!男が一人前って言われるのはライオンを仕留めたり…。
すごいですね。
それほどライオンというのはすごい動物でしたのね。
でもそういうことすらもみんな見たことないからただ口開けて…。
日本の人はテレビもあんまりないくらいだから自分の家にね。
ある人はみんな見て…兼高さんのそういうのを見てえー!って驚いてたんでしょ?日本はよその国の人たちとあまり接してないから人をみんな同じと思って食料も日本と同じものを食べるであろうとか着る物も同じようなのを着るであろう。
だから向こうの人の着てるものはおかしい。
向こうの人の食べる物をあんなもの食べてるの?っていう今度差別が出てくる。
でもそれを直すにはやっぱり外国と同じなのは人。
人間。
だけど種。
生まれてからの生活でもって人は変わってきます。
国というものはそういう気候とか風土とかそういうものから変わってくるんですね。
そこにも芸術も生まれるでしょうしね。
そういうのを見てもらいたくて…。
でもあれでしたよね随分冒険なさいましたよね。
私が拝見した限りにおいてはねガタガタしたのに乗って何十時間も行くようなところになんていうんでしょう?トラックみたいなものでいらしたりとか。
そうなんです。
そのおかげで背骨がガタガタになっちゃったんですね。
それから村長さんっていうのかしら。
そういうところの年を取ったおじさんが口の中でクチャクチャクチャクチャずっと噛んでたものをなんだか出してあげて「噛みなさい」って言ったらそれ召し上がりましたよね私拝見してた時。
そうでしたか?びっくりした私。
病気にならないですよでも。
大丈夫?大丈夫。
でも私はそういう誰かがクチャクチャクチャクチャ何時間も噛んでたものをくれたからってそれをもらって食べる勇気はとてもないって…。
兼高さんはそれをちゃんともらって「はい」って…。
どこのものも衛生的じゃないですからね。
そうですよね。
でも衛生的じゃないって言って分けてたらばそこの土地の人と仲良くできない。
ええ。
砂漠で取材してる時にテントを張ってそこに住んでた人たちに「こんにちは。
どういう生活をしてるんですか?」っていうのを見に行ったんですけど。
まず器に…ミルクを搾って入れてくれて。
非常に貴重なわけですよ砂漠で水分をとる…。
でくだすったのね。
見たらね上が枯れ葉みたいないっぱい飛んできた葉っぱみたいなそんなのがカバーしてるの。
だから白いミルクじゃなくてちょっと土色のものが上に…カバーしてる。
でもこれで「嫌だわ」って出したらこれは友好関係を結べないから。
それでおもむろにそれをいただいてからフーッて吹きましてその浮いてるのが片一方の縁のほうに行ってる時にサッと飲んで「非常においしいものをいただきました」「飲んでしまうとあなた方の水分がなくなるでしょうからこれまでです」ってこういう嘘をうまくやるわけ。
フフフ…。
お偉い。
それでもってそうしたら向こうの人も少しは飲んでくれたそして返してくれたでご機嫌良くなったりしてそれで仲良くなったりする。
色々と…。
そうですよね。
考えたらご存じのない…。
今はもう最初に何とか色んな人が行ってちゃんと相手の人と話をつけてるんだけど当時はそういうことがないですから。
ないです。
ねえ。
それはもうびっくり…。
もう見たとこ勝負で…出たとこ勝負で。
出たとこ勝負で?でもそれでもうまくいくんです人と人はね。
もう兼高かおるさんは長いことテレビにも出ていないしお願いした時にもう…もう5回目で今回いらっしゃるんですけども前から…最後の時からは27年ぶりなんですよ。
それで「あんまりテレビには出たくないけど」と仰ったんだけど無理無理やっぱりそういう本当に誰もやってない番組をなさったんですからっていうことと実は私は女学校で下級生なものですから…。
もうね本当にお奇麗な方でねバザーがあると…卒業生でいらしたの。
それでバザーがあると今日はね兼高さんがいらっしゃるっていうとみんなザアーッと並んでねお待ちするのよ。
そうすると…香蘭っていうところなんですが門を入っていらっしゃるとねもう輝くように美しい方が入っていらして「うわー」ってみんなでね「うわー」って…ただ「うわー」って言ってるだけなんですけど。
「うわー」って言ってそれでそれが兼高さんだってあとでわかったんですけどね。
その時はね素敵な…。
でみんな写真持ってたの。
あなた様のお写真をですね私どもは全部みんな持って…持ってこうやってお待ち申し上げておりました。
そうですか。
私写真撮られるの大嫌いで…。
だからその一枚をみんながきっと現像して焼き増ししたやつだと思いますけど。
みんなで持っててそれで「いらっしゃいませ」ってね言った時は嬉しかったですお目にかかれて。
そのあとそういう飛行機のことやなんかが始まる…それはずっと前のことですけれどね。
大体飛行機に乗るっていうことは…女学生の時ね。
まだ日本が外国に行かれるなんても思ってない時代。
その頃飛行機のスチュワーデスになれば行かれると思ってあの…試験…試験っていうかスチュワーデスをパスするように規則があったんですよね。
失礼ですけど目方やなんかみんな古いので言うとおわかりになると思いますけども。
目方だって。
体重。
目方がね12貫。
12貫でそれから…。
12貫?12貫って45キロぐらいですたぶんね。
飛行機の入り口が狭いんです。
ですから背は5尺2寸とかって…。
ああ1メーター57〜58。
よくご存じ…。
そうそうそう。
昔はそうでしたね。
そうなんです。
でそれになるようにするにはやっぱり食生活を細くする。
それをやったんです。
ちゃんとなったんですけどね…女は乗せないことになっちゃって。
女は乗せないことになっちゃって?あらら。
それでスチュワーデスになるのはアウトになり…。
でもGHQの…日本に進駐しているGHQの兵隊さんと英語でお話しする機会が?あのね要するに通じるんですね。
習った英語で通じてたんです。
それもまだ10代ですからねあの頃…戦争が終わった頃。
それで家に集まって…若い兵隊さんも集まって…。
英語で話したのが半分日本語が半分だったんですけども。
あの…彼らも…家に遊びに来たの若い学生…兵隊ですから話題がなくなると私はまだ女学校で使ってないような代数の本とかそれを持ってきましてね兵隊たちと私と…。
大変。
それでそのね問題解きをやるわけです。
それで結構ねやり合ったんですよ。
「これはこうで駄目だ」とか…。
英語と日本語で?よく遊びに来てたんですけどある時ぱたっと来なくなってしまって。
どうしたのかなと思ったら兵隊さんだから異動でそのまんまどこかへ行っちゃったんですね。
知っていればね名前とお国の住所だけでも聞いておけば良かったと思うんですけどそんな頭もなかったもので。
もうそのまんまになっちゃって?でもGHQの鉄道司令部というところでもお働きになったことがある?働いたっていうことはお金もらったことになるんですけどね奉仕でございます。
奉仕で?それと電車がすごく混んでましてねあの…運転手のところに行ってトントンと叩くと開けてくれるんですよ。
ドアみたいなの?うん。
どうしてかっていうとやっぱり…なんか着けてたかもしれませんけどねなんか安心して開けてくれて。
ですから…。
すごい。
ぎゅう詰めのところにみんなは乗ってるんだけど兼高さんはトントンって運転手さんのところを叩いて誰もいない…運転手さんしかいないそこの隙間のところに入らせておもらいになった?そうですよ。
その時にこうね持ってきたね…。
アメリカ軍は…兵隊の1日の食料だと思うんですけど箱に…ひと箱に食べ物が入ってたばこが4本ぐらい入ってチーズがあってビスケットがあって…。
これが山ほど…箱に入ったのが山ほど積んであって誰も食べないでおいて。
勝った国なものですからすごく食べ物を無駄にする…。
その食べ物を無駄にするのも気になりましてね。
昭和の初期に生まれてるんですからもう節約っていうことがこびりついてますでしょ。
でそうすると…ひと箱だけ初めいただいたんです。
で初めいただいてそして食べたらおいしい。
ところがアメリカ人たちはもう食べない。
兵隊さんなんか特にそれ食べないんですね。
それでその食べないものをちょっとこう内緒で…。
持ち出しちゃいけないんです。
いくら食べてもいいんですけどね。
でこうちょっと…「こんにちは」って言いながらぎゅうって。
それで出てきまして。
進駐軍の人たちは私が持っていくのを知ってても「ノー」って言わない。
だからだんだんだんだん量が多くなって。
それでもみんなに喜んでもらえるので続けました。
私がプラットホームに立ってると電車が止まってくれてそして私がまたトントンやって。
そして開いて運転手さんに「はい」ってこれあげるとね「ありがとうございます」。
そりゃそうですよ。
それまで食べ物がほとんどなかったんですから。
さっき仰ったようにそのランチボックスの中身にはチーズとかクッキーとか?チーズにクッキーにたばこに…。
もちろん…肉の缶詰が入ってたと思う。
このぐらいの大きさのね。
でも本当に食べ物が豊富な国。
私たちは食べ物のない国。
あの時の戦争が終わった時のその差がすごいオープンでしたね。
とにかくそうやってアメリカの方やなんかと知り合うようになってだんだん英語がお話しになれるようになってとうとうアメリカにいらっしゃいました。
当時は大変ですよね。
向こうの方が大学の全部お金払ってくださるって言わないと行かれないのね。
それだけじゃない帰ってくる…行きも帰りも…飛行機代も払って切符持ってるわけ。
それでスポンサーになる人を探してもらってアメリカにしたんですね。
大学の教授やなんかとのお茶会みたいな時にインテリっていうのはどういうものかっていうのをよくご覧になった?そうなんですよ。
アメリカで知り合いの方から紹介されてね。
紹介された方が実は大学の教授だったんです。
大学の教授のお家に行ったら4人教授が集まって彼らの会話がなんと星座の話ギリシャ神話の話。
高尚なんですね話が。
そして私の知らないことをいっぱい話し合ってる。
それでそれが終わると4人でもって合奏。
えー。
それぞれ楽器で?先生方が…。
なんと生活が違うんだろうと思いましてね。
そしてこれはもう私は考えを変えなきゃいけないと思っていたところに結核が発見…。
そうか。
それで…。
それで日本へ帰ってきて。
でもそのあと…世界一周なさったのはそのあと?そのあとですね。
日本へ帰ってきて日本でもって結局英語が多少できるから…。
そしてただでガイドみたいなことをやってたんです。
ああ皆様ご存じでしょう。
大相撲でも出る「ヒョーショージョー」って言ったおじ様いますね。
あの方がパンアメリカン航空の広報部で「日本の将来は資源がないんだから旅行業が…」だと。
ということで私に「九州を取材してこい」と。
「そしてどういうところを外国人に見せたらいいか勉強しなさい」って言われましてね。
それで九州1カ月かけて観光ルートをずっと回って。
そしてこれは面白いと思いまして。
そしてそれをリポートしたら…かなり直されましたけども彼には。
なんか見込みありと決めてくれたらしくてそれから旅行作家ということになりました。
旅行を書いててどうしてお金もらえるんだろうなんていうふうに旅行作家っていうのも珍しい名前だ…珍しい存在だったんです。
でもそれでもとにかく「世界一周早回り」それもご自分で計算立てて全部おやりになった?ちょうどその時にぶつかったんですね。
あの時はね北欧の飛行機が北回りで…。
えー。
北回りで日本に来ると。
大変だ。
可愛い。
今可愛いお衣装を着ていらしたけど…民族衣装を着ていらしたけど…。
可愛い。
可愛い。
こんな可愛い…。
これはコペンハーゲンでもって…コペンハーゲンでもって記念に市長がくだすったコスチュームなんですけどね。
可愛い。
とにかく飛行機を乗り継いで知らない国へ行って知らない人と会ってっていう31年おやりになって番組をやめようとお決めになったのはお母様のお言葉があったんですって?あのねたまたま時間があって親とお茶飲んでたら「この年になってかおるさんとゆっくり話もできない」って言われてからああそうかと思いまして。
自分のことしか考えてなかったですね。
親としては私がいない時独りぼっちでお茶なんか飲んでるわけですよねお三時に。
もう申し訳ないと思って。
それで取材なんですけども母も連れていってね。
母英語ができるものですからね。
そうでいらしたの?できるものですから私たちが働いている間一人で置いておいても大丈夫なのでそれで連れていったんです。
で飛行機の中で私うちの母に「何が一番楽しかった?」って聞いたら「今晩のおかずは何にしようかしらってそれを考えないで済むだけすごく楽になりました」。
えー!って。
せっかく世界旅行に連れていったのに飛行機の中で言われたことは夕飯のことなんですね。
「今日はかおるさんに何を食べさせようかとそれをしないでいられるのがすごく楽だ」って。
その時お母様80代ぐらいでいらした?84でしたね。
でもお母様おやめになるって仰ったらお喜びになりました?いや別に喜ばないです。
喜ばない…。
喜ばない?なかなかきつい人ですからね。
ああそう。
でもまあそんなことでそろそろやめようかなとお思いになったそうですけれどもそんなことなんか色んなことを本をお書きになって。
曽野綾子さんと一緒に本をお出しになったのね。
はい。
『わたくしたちの旅のかたち』でしたっけ?曽野綾子さんと対談本をお出しに…。
私読ませていただきましたけど大変両方ともが自由闊達にお話ししていらっしゃるのでとても面白かったです。
曽野さんもアフリカを支援なすったり色んなことをなさっているけども曽野さんとお話合いました?似てることをやってましてリアクションがやっぱり似てるかもしれませんね。
それから子供の頃やっぱりものがなかったとか戦争中だったとか。
そうなんです。
あのね私ども勤労奉仕に行きまして。
勤労って重いものを持ったりなんかでなくて私の場合は工場のなんかやってたんです。
兵隊さんの制服のボタン付けとか…。
そうそう。
それを私のほうはやってた。
ボタン付け…。
それを兵隊さんは百人針とかいってねおなかに巻くものに…。
千人針?そうそう。
みんなでたんこぶ作って。
そうそうそう。
であれは兵隊さんのほうに聞いたらばシラミがついて卵をそこに産むんであれはもらってもありがたくないんだって。
えー本当に?ええ。
今までそんなこと聞いたことなかったでした。
そうですか?そう…。
そうなんです。
だから知らないことっていうの随分…。
あれみんなおなかに巻いていったんですからね。
そう。
そう…。
それは聞きませんでしたね。
そう…。
今じゃ遅いですよもう。
もう遅いけど。
ああ戦争が終わって70年経って千人針っていいましたねあれにシラミがつくから…。
どれだけの人が外国に憧れて飛行機に乗りたいと思ったかわからないので。
今日は久しぶりにありがとうございました。
(拍手)2017/02/09(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 兼高かおる[字]

〜戦争で夢を絶たれた少女時代…58年前に世界旅〜兼高かおるさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
まだ海外旅行が夢だった時代に世界中を訪れ、旅番組を作っていた兼高かおるさんがゲスト。
◇番組内容
兼高さんは、実は黒柳さんも通っていた女学校の先輩。その美しさは学内でも大人気で、卒業後のOG訪問では黒柳さんも思わず見に行ってしまったという。女学校を卒業した後、“さらに英語を身に付けたい”と、進駐軍の鉄道司令部に無償で働きに行ったこともあったという兼高さん。そのとき、配られた食料を兵士が無駄に捨てているのをみて、“負けた国と勝った国の差を見せつけられた”と当時の思いを語る。