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書き起こし 徹子の部屋 “沖縄の歌姫”仲宗根美樹 2017.02.15

(黒柳)さあ皆様このお写真の方が今日のお客様です。
お名前は皆様ご存じだと思いますけど実体をご存じの方はごく少ないと思います。
今日のお客様デビュー56年にして初めてのトーク番組ということで仲宗根美樹さん今日のお客様です。
大拍手でお迎えしたいと思います。
よくいらしてくださいました。
(拍手)まだ沖縄が返還される前にもう既に沖縄で歌って有名でいらした方なんですけども。
1961年に沖縄の歌姫として有名だった方で仲宗根美樹という名前は皆さんお聞きになったことあるとは思うんですけども。
これから今日色々伺いますけど大変な人生でいらっしゃいましたので…。
ゆうべ何だか寝られなかったんですって?全然眠れない。
それともう本当に40年ぶりにお目にかかれて…。

 

 

 


そうそうそう。
とっても幸せです。
何よりです。
嬉しいです。
この方6月生まれなので真珠の生まれ月なのでたくさん真珠を着けていらっしゃいます。
仲宗根美樹さんっていうとヒット曲は『川は流れる』。
これ1961年なんですけどもあとでちょっと聴かせていただいてこういう歌だ…。
あっこれ聴いてみましょうか。
「今日も浮かべて」「街の谷川は流れるささやかな」「望み破れて」いい声。
「哀しみに」これでレコード大賞新人奨励賞をお取りになったっていうぐらいなものですからもう本当にあっという間にそういうことで仲宗根美樹という名前はもうバーッと広がったんですけど。
元々沖縄の方のように思いますけど元々は東京のご出身?はいそうです。
父は沖縄の宮古島という島母は沖縄の本島です。
東京で沖縄の方たちが泊まれるようなものをお作りになったり…?大変な苦労をしてあの当時沖縄から東京へと…まあ本土へとまだヤマトンチュって…本土のことはね。
ウチナーンチュ…琉球でしたから。
それにパスポートも必要な時代でしたからね。
その中をまあ東京へ出てきて5人の子供を育て…。
その末っ子なんです私ね。
あなたね。
まあ母は何としてでもその沖縄をメジャーにして世の中の人に沖縄を多く知ってもらいたいということで私にもう4歳の時にはお稽古事をたくさんさせてそれで3歳の時にはもう私の周囲には沖縄の方たちがお料理を作りにいっぱいいっぱいいてそして三線弾いて踊って。
そしてウチナーグチで喋るんですけどもわからないんですね。
そして特に父は宮古島でしたから方言が全く違うんです。
違うんですか?はい。
琉球王国といって個々に王様が点在して…。
いらしたので?はい。
両親はウチナーグチを話さないんです。
ちっちゃい時もさっぱりわからないままにいたぐらい沖縄というのは個々に皆方言が…。
なるほどね。
難しい。
はい。
でもあなたはとにかく東京でお育ちになったりしてそのうちだんだん沖縄が返還っていうことになった時に当時の佐藤栄作大臣が一緒に行ってとか色んなことがあって…。
特別機でもう返還のために。
新聞にも随分たくさん…。
それでその新聞にね私も全然忘れてたんですが本土の人より沖縄の人って濃ゆいでしょ?顔が。
インパクトがあって。
みんな親戚のような感じがするって言っているところが大きくねクローズアップされてね。
そうなの?はい。
初めてのお仕事としてはデビューは刑事ドラマだったんですって?はいそうです。
山村聰先生が…。
えー!刑事ドラマの演出主役監督。
すごい。
それで全く一般の人をスカウトするということで私が高校2年になったばかりの時に母のやはり知り合いのカメラマンの人に学校に迎えに来られて制服のままお目にかかったんですね。
そうしましたら第1話の募集だったんですけど第5話まで。
ねえ。
お気に入ってくだすったんですってね。
それで「のらねこ」というタイトル…。
「のらねこ」?「のらねこ」というね。
テーマソングもお歌いになったりしたんでしょ?はい。
それで吉田正先生…ビクターは18まで預かると言ったんですがキングレコードはすぐそのテーマドラマの主役を…私に主題歌を歌わせてその次に出たのがもう『川は流れる』。
じゃあもうすぐヒットして?その年です。
すごいですね。
でキャッチコピーが…この方のキャッチコピーが「美しい気だるさ」ということでどこが気だるさなのかなってご自分でわからなかったそうですけど。
新人賞で「ひと言仰ってください」って言われた時に「1年も持てば上等」って仰ったって…。
みんな大人は驚いたっていう。
そんなおつもりでした?はいそうですね。
皆さんミュージカルスターになりたいとか色々仰ってたんですけどふっと私に「じゃあ美樹さんは1年持てば上等ですよ」って悪気もなく何にも。
そこからがもう努力努力。
大変です。
全てもう…車に乗っても新幹線に乗ってもとにかくとにかく台本台本。
すごいその頃のお仕事のすごさっていったらすごいのね。
北海道から帰ってきてどこかで…。
飛行場でそのままマネジャーと付き人は代わって荷物も変わります。
衣装も。
譜面だけはそのままで。
そして私はそのまま飛行機で…。
違うマネジャーと付き人と一緒に…。
行く。
そして大阪とかへ行くともう新幹線ないです。
夜行列車もないです。
間に合わないです。
8時間今度は車でずっと高速。
そして私は車の後ろにポットと毛布それとお弁当。
それを食べながらそして東京に帰ってきて…。
大変。
4時半頃ですね朝。
そうすると今度は6時発のまた羽田。
これが毎日のようになってたんです。
でも病気にもならないで?その間。
いやでも何回も飛行場で倒れるんですけど緊急のカンフル剤の注射を打たれて「はいいってらっしゃい」ってもう本当に…。
すごいね。
なんか…商品ですね。
テレビ始まって出る人が少なかった時代があるんですよね。
そういう時だったんだと思いますよねきっとね。
はい。
ああ大変。
その頃?それで仲宗根美樹さんってお名前はきっとそれでみんな覚えたんだと思いますよね。
それであとは皆さん私のちょっと前はジャズ喫茶だったんですけどもね。
そうですよね。
でも私は歌声喫茶だったんです。
そうなんですか?えー。
大阪のラジオでずっと『川は流れる』が…。
しかもB面だったんです最初。
それでA面はパンチのある曲で…。
再度プレスし直して『川は流れる』がA面になったと。
昔前後ろってね…。
裏表みたいな…。
裏表ねできたのでね。
そういうことで大変だったんですけどそれがあまりにも昔のことなのでご存じない方がね…。
実業家でいらしたお母様は大変なステージママでもあってとにかく沖縄のことをみんなに知ってもらいたいっていう気持ちもいっぱいあったんでそれが大変だったんですけど。
自分のお部屋にもこう…母親が心配のあまり監視…今でいう監視カメラですけど当時は…なんかこう音が聞こえるように。
ええ。
音が。
はい。
盗聴器の大きいのみたいのを付けてそれでもう完全に管理してたんですね。
ですからどこに自分がいるのか…。
ああそうですってね。
わからなくなってしまった時にこのままずっと芸能界にいたんでは何か…何もわからないままですごい不安感に…。
結婚するしかないっていう…。
そうですってね。
それで母親にそれを伝えたところ母は絶対にこれだけの生活の…まして今ビルを…。
造ってる?ホテルをやってるのを解体してビルを今建ててる。
全部あなたに責任があると。
大変。
これが払い終わって税金を納め終わったらあなたは結婚…自分の考えを通していいと。
初めて言った意見に初めてそういう答えが返ってきてああ私は…。
どうしようと思ったでしょ?私は母親だと思っていたけど母親っていうより仲宗根美樹という商品その商品を作るために母親は全精力を…。
愛情かと思ってたんですがもちろん愛は…深い愛はあるでしょうけども投資をしてきたんだということをすごいもうショック…カルチャーショック受けて。
結婚あそばしまして27歳の時に?ええ。
まあ子供が欲しいっていうことがあって…。
ちょうど今写真映ってますけども。
可愛いね。
赤ちゃん抱いていらして。
はいはい。
実業家の方と結婚…。
最初は…。
最初の方は実業家じゃないんだ。
ごめんなさい。
最初は…。
そんな何十回もやってませんからね。
1回目長男が生まれたりしたんですけどもそこで離婚をなさることになりまして。
そして今度2回目は…またお母様のことがあったんですけどむりむり実業家の方と結婚なさいます。
今度それは29歳の時に再婚なさってそれで子供3人になって。
これ3人のお子さんとねとても幸せそうなんですけど。
何だか「別れる別れる」とか何とかって言ってそのうち何だかすごいその方が…何ですか?借金をお作りになったの?その方が。
はいそうですね。
やっぱり…。
まあ子供たちから言わせればママと結婚したいんじゃなくて仲宗根美樹という商品と結婚したかったんだと彼は。
長男は…。
結婚して半年目に倒産しましたから…。
あら。
だからそこから…。
そんなに早く?7回学校を転校してるんです。
小学校4年までの間に。
あら可哀想。
それでもうそのたびに可哀想な思いして。
それで下の子が年子でしたから…。
本当ね。
とにかくねここで決心して一人で育てるというのを1週間で自分で一人で決めて。
慰謝料も養育費もいらない。
借金は私抱えます。
だから子供の名前だけ私に籍移してくれと。
でもその借金が当時6億?そうです。
信じられない。
すごいですよね。
6億っていうお金が。
本当に…。
でもでもそれでも子供と一緒に生活をしてその人と別れるという。
女はそうなったら金額も何もかも…もう身を捨ててでもやはり別れたいと思うんですね。
でもすごいのよ。
それからずっと美容院をお始めになりまして。
はい。
確かにあなたがね美容院をやっていらっしゃるっていうのは聞いたことがありますなんかね。
そこでね…。
そうそう。
こういう感じで美容院をなさいましてねマッサージもなさいまして色々なさいましてですねとにかく何十年かかったか知らないけど6億の借金はお返しになったんですって?あなたがね。
はい。
でも大変でしたね。
子供3人抱えながらね。
ましてや私自分が倒産して作った借金じゃなくて主人ですから。
そうすると主人は…その彼は倒産してますからもう俺には無関係だと。
そうすると仲宗根美樹さんあなたを信じたんですって全く見も知らない人からの請求ですよ。
怖いですよね。
それが6億という金額だったんですね。
それはもうひと言では言いきれません。
でも子供が宝です。
お金以上に。
子供たちが支えてくれて「ママ歌えば?」って言ってくれて。
はい。
「もういいんじゃない?」って。
自分の名前を自分でね…。
振り回されないで好きな仕事をやったらいいじゃないかって。
そういうことを私たちは全然知らないうちにそういうことが行われていたんですけど。
ちょっとコマーシャルを挟みましてですねそのあとに本当に考えられない悲惨なことが起こるんですけど…。
ちょっとコマーシャルございます。
はい。
特に色んな時に陰になり日なたになり支えてくださったのはご長男だったんですけどご長男は出版をすることになって?出版会社にずっと…学生の時にもアルバイトをやったり。
そして大きな大手の会社に入ってそれで喜んで…。
そこでファッション雑誌を立ち上げて。
そしてもうほとんど帰ることも…実家に帰ることもなくスタジオで…。
本当に床とかもうソファとかずっとずっとずっとそういう生活して。
編集長にもおなりになったその息子さんがですね44歳?まだ44を迎える前だったんですが…。
今年で生きていれば44歳っていうことなんですね。
35歳で?はい。
30代でね亡くなったんですが。
でもねどんなに忙しい時もニューヨークにカメラマンとか全部決めて行く仕事ですから…。
帰ってきてタクシーで私のバースデー6月23日なんですけど私のお誕生日の時には必ず予約しておいて必ず私を食事に招待してくれて。
優しいのね。
それでそのまんまいい気になって食べて飲んでそうするとタクシーに乗せられる。
そうすると「どこ行くの?」って「うん。
また会社」って言って「それじゃあね」って言うとなんか捨てられた猫みたいにね…。
おなかもいっぱい…ほろ酔いだしもうそのまんまやけくそになってね私一人でねあっちこっちに飲みに行ったりするほどなんかね恋人のように…私にとってはね。
でもまあ今その下に年子で…。
まあねお二人いらっしゃる。
いますけどやっぱりね長男に毎日…。
今日も必ずここに一歩下がってね腕組んでニコッと笑ってる姿が必ずいてくれるという…。
肺がんで亡くなったそうですけどもそうやって出版社でお忙しくしていらしたから調べたりなんかそういうこともなくて気が付いた時には…。
全く健康診断しなかったという。
手遅れになってたっていうことなんですけど。
35歳でお亡くなりになったんですがそれから約10年近く経ってるっていうことなんですけども。
寂しいです。
今一番寂しいのはそのことなんですってね。
はい。
もう他のことは満たされてますけども子供のことだけはね。
でもお友達がみんな「おかん」って言って…。
そうですってね。
はい。
もう本当に私を支えてくれるんです。
今日この中にお嬢さん来てらっしゃるんだって?今日は娘が…。
どこにいらっしゃるのかしら…?あっそこにいらした。
あなたがそうなの?あら可愛いお嬢さんがあそこにいらっしゃるなと思ってたの。
そう…。
今日はね仕事を休んで私が「ママ一人じゃ心細い心細い」って言ったらね…。
大丈夫。
それでついてきてくれて…。
どうもありがとうございました。
亜紀といいます。
私はねお母様にね40年ぐらい前にお会いしてるのよ。
だからねお母様のことをよく知ってましたけどね。
仲宗根美樹っていう名前は有名だけどご本人を見たことのない人のほうが多いと思うので…。
とにかく沖縄のために本当にあなたは働いて沖縄を…何ていうんですかね?みんなに…。
そうですね。
やはり沖縄にはまだまだいっぱい…。
流行歌もいいんです。
でも古くから伝わる歌もたくさんあります。
親に感謝する歌とか。
それからそういうものをねやはり伝えていけたら私の最後の…。
こういう沖縄のね…うちの母がよくね沖縄の歌を歌っては…。
手を?こういうねしぐさをね。
何ていうんですか?それは。
これはね沖縄の…。
普通日本舞踊はこういうふうにしなを作りますけどね沖縄はピシッと。
それで眉間に向けて…。
『てぃんさぐぬ花』こういう…。
奇麗。
「てぃんさぐぬ花や」「爪先に染みてぃ」「親ぬゆし言や」これはホウセンカの花を塩でもんで指先に染めるものであるけれど親の忠告は肝に…ハートに銘じなさいという…。
うわーすごい。
とてもいい歌なんです。
そう。
沖縄の歌?はい。
そういうのもおばあ様からの時代からずっと習っていらして?そうです。
じゃあ今はその…まあ美容院はまだやってらっしゃるんですってね。
今はもう子供もみんな大学出ましてそれでサロンだけ銀座でやっております。
やっていらっしゃるんですってね。
はい。
それで今はもう…。
あっすごい奇麗なサロンで。
ありがとうございます。
でもお子さんたち大きくなったんで…あとのお二人のお子さんは大きくなったんでまあそういう歌を探したり…。
体がすごく柔らかいのが特徴なんで…?どういうの?でもスクワットあれは…。
私スクワットやってます。
きついですね。
50回はやってますよ毎日。
わあー。
とてもとても…。
10回ぐらいでこの辺がねやっぱりしびれますね。
体は私柔らかいんですけど…。
ちょっと見せていただける?手と手がつくっていうの?後ろで。
これはたぶんもうどなたでもやれるんじゃないですか?随分手と手が重なってますね。
すごい。
はい。
はあー…。
あと開脚してペタッと前に。
ああいうことは…。
できる?はい。
スクワットはできないんです。
不思議ですね。
練習します。
スクワット…。
でもねあんまりひざに重みがかからないほうがいいんですって。
はいはい。
割と軽く…軽く。
あんまりグッて深くやっちゃうとねひざに重みがかかってねひざを痛めるんですってよ。
もう今日は宝にして私も練習いたします。
一つご紹介してない写真がございました。
仲宗根美樹さんが返還されていない時代の沖縄にいらっしゃった時に人々があなたのことを出迎えてくださってるところですかね?自動車に乗って。
赤土でしたよ。
アスファルトになってなくて。
お母様ですか?お隣にいらっしゃるの。
はいそうです。
お母様着物を着ていらしたの?こんなふうに。
そうですねはい。
それで自動車に乗っていらしてずっと…。
すごいみんながねあなたのことを出迎えていらっしゃるのね。
「美樹ちゃん」…。
本当「美樹ちゃん」って書いてありますねあそこにね。
「ようこそ」。
本当。
「ようこそ」。
それでね自動車に…。
これこれ。
これだと思いますよ。
パレードね。
パレード。
すごい大規模だったんですね。
手を上げて着物を着てるのがあなたでしょうかしらね?右側の。
そうですはい。
へえー。
これから…この頃から沖縄は変わりました?はい。
沖縄年に必ず1度色んなことで…あと2度とか…。
いいところですね。
私も大好きです。
ありがとうございます。
嬉しゅうございます。
そう。
みんな…沖縄の言葉も好き。
普通の…普通の言葉でもちょっと道聞いたんでも「そこ行くでしょ」とかってね。
そう。
イントネーションが違うんですね。
そう。
優しくてね。
「そこぶつかるから…みんなぶつかるからそこぶつからないように行ってね」とかってね男の人でも…優しい。
それと何か悩み事あると「なんくるないさ」って…「どうにかなるさ」って。
「なんくるないさ」って言いますねそうですね。
「なんくるないさ」ってふわーんとね甘いんです。
そうですよね。
あそこがいいですね沖縄のね。
はい。
沖縄は長寿ですから皆さん100歳でもう踊って踊って明るい明るい明るいです。
そうですよね。
その明るさを私は沖縄の血をもらって…。
良かったですよね。
何があってもどんなことがあっても…。
どんなことがあっても負けじとね…。
すごい。
はい。
突っ張らないで自然体で沖縄の太陽のごとく生きていけたらいいなと思ってます。
そうですよね。
仲宗根美樹さんっていうお名前お聞きになったことあると思いますけどご本人はこういう方でいらっしゃいます。
お元気で何よりで。
どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
2017/02/15(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 “沖縄の歌姫”仲宗根美樹[解][字]

〜名曲『川は流れる』から56年…長男の死、借金6億、波乱人生〜仲宗根美樹さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
沖縄返還前の1961年、彗星のごとく現れ『川は流れる』で大ヒットを飛ばした“沖縄の歌姫”仲宗根美樹さんがゲスト。
◇番組内容
沖縄出身の両親のもと東京で育ち、高校時代にドラマでデビューした仲宗根さん。翌年出したレコードのB面だった『川は流れる』が歌声喫茶から火が付き大ヒット。レコード大賞新人奨励賞を受賞するなど一躍スターに。「沖縄を知ってもらいたい」という母の強い願いに応えるため、日本各地のステージに立ち続けたという当時の思い出を振り返る。2度の結婚と離婚、夫の作った6億以上の借金返済、最愛の長男の死…波乱の人生を語る。