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字幕書き起こし 地球ドラマチック・選「誕生!超大型旅客機〜開発の舞台裏〜」 2017.02.19

世界最大の旅客機「エアバスA380」。
高さは8階建てのビルに相当し最大で800人以上の乗客を運ぶ事ができます。
史上最大の航空機を造る挑戦でした。
「A380」の開発は「ボーイング747」に対抗して始まりました。
巨額の資金が必要な社運を懸けた闘いです。
実現までには多くの課題がありました。
問題は何よりも大きさでした。
とにかく巨大なんです。

 

 

 


安全は確保できるのか。
あらゆる緊急事態を想定しました。
(警報)超大型旅客機「A380」開発の舞台裏に迫ります。
2010年11月4日。
カンタス航空32便がシンガポールからオーストラリアに向けて出発しました。
「スーパージャンボ」とも呼ばれる「A380」は史上最大の旅客機です。
就航から3年深刻な事故は起きていませんでした。
高度およそ2,000メートルまで上昇したところでした。
突然衝撃音が。
(警報)警報が鳴り操縦席のパネルは警告のサインで真っ赤になりました。
深刻な事態でした。
エンジンが爆発しその破片で主翼の一部が吹き飛ばされ操縦システムの一部が作動しなくなりました。
かつて経験した事がない非常事態でした。
カンタス航空32便はその後着陸に成功しましたが「A380」にとって初めての重大な事故でした。
「A380」の開発は1988年エアバス本社があるフランスのトゥールーズで始まりました。
アメリカのメーカーが圧倒的に優位な航空機市場でエアバスの当時の社長は自社の存在感を高めたいと思っていました。
ヨーロッパでエアバスが設立されたのは1970年代の初め。
当時航空機産業をリードしていたのはアメリカのメーカーでした。
エアバスは当初小型機と中型機を製造していましたが市場占有率はおよそ15%にとどまりました。
エアバスが挑む最大の相手はアメリカのボーイングでした。
1988年ボーイングは商業用航空機のおよそ2/3を製造していました。
その中には「ジャンボジェット」の愛称で知られる「ボーイング747」も含まれていました。
社長のピアソンはボーイングに真正面から挑む事を決断しました。
ジャン・ピアソンは不屈の精神を持つ経営者として知られていました。
とても存在感があるタフな人でした。
ピアソンの目標は「ボーイング747」を超える旅客機を造る事でした。
1970年に就航した「747」は当時世界最大の旅客機でした。
「747」は伝説的な航空機です。
「747」は空の旅の大衆化に大きく貢献しました。
「ボーイング747」はより多くの乗客をより安い運賃で運ぶ事を可能にしました。
航空機が大きいほど収益率が高くなるんです。
ジャンボジェットの製造でボーイングはばく大な利益を得ました。
彼らは30年間トップの座にいました。
航空機産業のリーダーとして世界の市場を支配していました。
エアバスの開発責任者が社長のピアソンに大胆なアイデアを示しました。
ピアソンが見せられたものは「747」を超えるとてつもなく巨大な旅客機の開発計画でした。
ジャンボジェットを超える「スーパージャンボ」は「747」よりも25%多くの乗客を運べます。
実現すれば航空機産業に大きな変革をもたらすはずです。
しかしばく大な費用がかかるプロジェクトに失敗すればエアバスは倒産するかもしれません。
巨額の資金が必要な会社の命運を懸けた闘いになります。
ピアソンはリスクを負うだけの価値があると判断し計画を進める事にしました。
しかしエアバスはフランスドイツイギリススペインの4か国が共同で設立した会社です。
ピアソンは多くの人を説得する必要がありました。
前例のない大プロジェクトでリスクは大きいものの重要な戦略でした。
プロジェクトが本格的に動き出すまでに8年かかりました。
1996年ピアソンはスーパージャンボ開発のため優秀なチームを編成します。
責任者に選ばれたのがユルゲン・トーマスでした。
「巨大航空機部門」という新しい部署ができて私が責任者を務める事になりました。
計画は慎重に進める必要があったためスーパージャンボプロジェクトは人気のないビルで始まりました。
あれはいささか質素な建物でしたね。
設備らしい設備は何もありませんでした。
机と椅子それに電話くらいです。
(リシャール)窓さえ開きませんでした。
実現不可能なプロジェクトに絶望して飛び降りないようわざと開かなくしてるんだって冗談を言い合いました。
しかしチームはやる気に満ちていました。
誰も不平を言いませんでした。
皆やる気満々で居心地など気にしなかったんです。
後に「A380」と名付けられるスーパージャンボは当初「A3XX」というプロジェクト名で呼ばれていました。
全てがゼロからのスタートでした。
機体の大きさや構造上の問題点などについて活発に議論しました。
最初の大きな課題はどのようにしてこれまでにない数の客席を設置するかでした。
500人以上を乗せるためには斬新なデザインが必要でした。
アイデアの一つが客室を全て2階建てにするというものです。
従来とは異なり旅客機の胴体部分全てに窓が上下2段に並ぶ構造です。
通常ジェット旅客機は円形の胴体に客室が一つ作られています。
完全に2階建ての旅客機はこれまでにありませんでした。
航空工学的には円形の胴体が最適です。
しかし円形の胴体では天井部分が湾曲しているため2階部分の座席の数が制限されてしまいます。
各国の技術者がさまざまなアイデアを持ち寄りました。
私たちは全てのアイデアの長所と短所を比較し目指すべき方向について話し合いました。
検討を重ねた末最終的に採用されたのは「卵型の胴体」という画期的なデザインでした。
卵型の胴体なら2階にも多くの座席を設置する事ができます。
このデザインなら新しい旅客機は「ボーイング747」よりもおよそ200人多い乗客を運ぶ事ができます。
胴体を卵型にすれば燃費の良さを保ちつつ中の空間も広くとる事ができます。
客室を快適なものにして乗客に「すばらしい旅客機だ」と思ってもらう事が重要でした。
ところが思いがけないニュースがプロジェクトチームにもたらされました。
エアバスの行く手に立ちはだかったのは航空機メーカーの最大手ボーイングでした。
1996年9月ボーイングはエアバスのスーパージャンボに対抗する新しい航空機の製造計画を発表しました。
「747」の次世代機で私たちのスーパージャンボに匹敵する大きさでした。
超大型旅客機の製造競争が始まりましたが有利なのはボーイングの方でした。
大型機の製造経験が豊富で販売ルートも確立していたからです。
恐れていた事態が起きて大きなプレッシャーを感じずにはいられませんでした。
再びボーイングが立ちはだかった事でチーム内には緊迫した空気が漂いました。
「A380」の開発チームが最も頭を悩ませた課題は航空機の「重量」でした。
航空機のサイズを大きくすればそれ以上の割合で重量が増えていきます。
巨大な航空機をできるかぎり軽くする方法を見つける必要がありました。
開発チームはデザインを一から見直しました。
重量を減らすための特別チームが全ての素材や部品を検討しバッテリーの容器に至るまで1キロ単位で軽量化していきました。
開発チームは航空機の胴体にガラス繊維とアルミニウムでできた軽い新素材を使う事を考えました。
しかし初めての試みであるため安全性のチェックが必要でした。
調査の結果この素材は十分な強度があり航空機全体の重量を最大30%減らす事ができると分かりました。
それでもスーパージャンボ「A380」の重量はおよそ600トン。
「ボーイング747」よりも40%多く飛ばすにはこれまでにない大きな主翼が必要でした。
恐ろしく重い機体を飛ばすんですからそれに見合う翼が必要です。
最適な主翼を見つけるためにあらゆる設計案を検討しました。
主翼の面積は845平方メートル必要でした。
「ボーイング747」よりも60%ほど広い面積です。
最先端の技術を導入しさまざまな工夫も凝らされました。
空中に浮かぶための力が増していました。
エアバスが造った中で最高の翼でした。
重量はありましたが航空力学的に優れたものです。
大きな主翼は重い機体を空中に浮かべるのに欠かせませんが深刻な問題も引き起こします。
航空機が空中を飛ぶ時に発生する空気の渦「後方乱気流」がより強いものになるのです。
後方乱気流は航空機の重さと関係があります。
機体が重くなればなるほど大きな乱気流を引き起こすんです。
巨大な航空機の後方乱気流は建物の屋根を引き剥がす危険性があります。
住宅地の上を飛んだら大きな被害が出るかもしれません。
「A380」が引き起こす後方乱気流を正確に計測する必要があります。
開発チームは航空学研究所に実験を依頼しました。
レーザーで照らした煙の中で模型を飛ばし乱気流を計測します。
「A380」が引き起こす後方乱気流の危険性が明らかになりました。
混雑した空で小さな航空機が巻き込まれた場合コントロールを失って墜落するおそれがあります。
この問題を解決しなければ「A380」を就航させる事はできません。
実験のデータを詳しく分析し後方乱気流をできるかぎり抑える方法を考えました。
後方乱気流は翼の先端で発生します。
主翼の上を流れる圧力の低い気流と主翼の下を流れる圧力の高い気流がぶつかって渦ができるためです。
チームは「ウイングチップフェンス」と呼ばれる装置をつければ2つの気流がぶつからず後方乱気流の発生を大幅に抑えられる事に気付きました。
1996年12月には「A380」のデザインは完成に近づいていました。
エアバスはボーイングが造る新型の「747」に対抗できる自信を深めていました。
しかし1997年1月ボーイングが超大型旅客機の製造について方針転換を発表しました。
ボーイングが「747」の次世代機の開発から手を引くというニュースは大きな衝撃でした。
ライバルの離脱はいいニュースとなるはずでした。
しかしボーイングは「世界はもはやスーパージャンボを必要としていない」という調査結果を公表したのです。
従来考えられていたビジネスモデルはスーパージャンボが大きな空港をつなぎより小型の航空機が乗客を最終目的地の小さな空港に運ぶというものでした。
しかしボーイングはそのようなモデルは効率的ではないと考えました。
スーパージャンボを必要とするほどたくさんの乗客がいるルートはそれほど多くはない。
ボーイングはそう判断したんです。
これからは中型機が小さな空港を直接つなぐビジネスモデルが主流になるとボーイングは考えました。
この予測が正しければエアバスの社運を懸けた挑戦は失敗に終わります。
航空業界の人々はボーイングの言う事は何でも正しいと思い込んでいました。
そのためスーパージャンボは時代遅れで完成しても売れないという意見が高まってきました。
しかしエアバスは開発を続けました。
社長のジャン・ピアソンが決断したんです。
ピアソンは自らプロジェクトに関わり実質的なリーダーとしてチームを駆り立てました。
航空力学の技術者だったシャルル・シャンピオンはプロジェクトの最難関である航空機組み立ての責任者に任命されました。
ついに始まりました。
最高のチームを結成する事が求められていました。
民間最大の航空機を完成させる事ができるドリームチームです。
「A380」を造るため4つの国に新しい工場が建設されました。
(ロバート)とにかく巨大です。
あんな大きなものを各国でパーツに分けて造り一つの場所に集めるなんて悪夢ですよ。
翼はイギリスで胴体はドイツとフランスで尾翼はスペインで造られます。
全てのパーツを組み合わせて一つの機体にするのはフランスのトゥールーズにある工場です。
エアバスは過去に長さ55メートルの特別な輸送機を使って航空機の翼や胴体を輸送した事があります。
しかしその輸送機でも「A380」のパーツを運ぶには小さすぎました。
他の航空機の後部に「A380」のパーツを固定する方法も検討されましたがうまくいかない事が分かりました。
新しい輸送方法を考えなくてはなりません。
「A380」のための輸送システムをどうやって確保するかは大変な難題でした。
1年3か月後シャンピオンは南フランスに船と大型トレーラーからなる輸送チームを集めました。
場所によって臨機応変に輸送方法を変える計画です。
平底の船で古い橋げたの下をギリギリ通過し上流に来たらトラックに載せ替えました。
輸送は困難を極め途中の道路で問題が発生したという報告が次々に入ってきました。
小さな村を通過する時には胴体部分がもう少しで建物の壁にぶつかりそうになりました。
巨大な翼や胴体をトレーラーに載せて小さな村の狭い通りをすり抜けるようにして通ったんです。
成功したのが不思議なくらいです。
延べ5,000キロ近い距離を移動し「A380」を造るためのパーツが全てフランスのトゥールーズに到着しました。
いよいよスーパージャンボの組み立てが始まります。
2005年1月18日「A380」の試作機が披露され華々しいセレモニーが開かれました。
出資者や取引先の代表各国首脳も参列しました。
ばく大な資金を提供したヨーロッパの当時の首脳たちが世界に向けて「A380」の完成をアピールします。
これは世界で最も刺激的な新しい航空機でありヨーロッパ諸国の協力のたまものです。
人生最高のイベントでした。
プロジェクトの責任者として誇りに思いました。
ショーの主役はスーパージャンボ「エアバスA380」です。
(拍手)本当に感動的な瞬間でした。
私たちはとうとう世界最大の旅客機を造り出したんです。
ついに完成した「A380」。
しかし重要な作業が残っていました。
「A380」はまだ空を飛んではいなかったのです。
3か月後の2005年4月27日「A380」の初めてのテスト飛行がフランスのトゥールーズで行われました。
世界初のスーパージャンボが空を飛ぶところを見ようと大勢の見物客が集まりました。
2005年4月のあの日は快晴で4万もの人々が「A380」の初飛行を見るため空港の周辺に集まりました。
テストパイロットたちは緊急事態に備え全員パラシュートを身に着けていました。
最初の飛行では問題が起きがちです。
空の上で迷っている時間はないので離陸前にあらゆる事態を想定しておきます。
「離陸の手順に関して確認だ」。
もし離陸中に何か問題が起きたら止めてくれ。
「321スタート」。
行くぞ。
午前10時29分「A380」が離陸態勢に入ります。
大きな機体が楽々と空に浮かび上がりました。
いかにも重たそうな金属の塊が離陸したとたん生き生きとし始めるんです。
見事な飛行でした。
離陸から1分後には安定した状態に入りました。
(フィリップ)何年も夢見てきた瞬間がついに実現したんです。
一生忘れられない最高の一日でした。
4時間のテストは問題なく終了。
民間航空機の歴史で最も重量のある機体のフライトとして記録されました。
その後1年7か月かけて述べ2,500時間のテスト飛行が行われました。
「A380」のテスト飛行には超大型の航空機によるフライトが安全である事を人々にアピールする目的もありました。
「あんなに大勢の人を乗せて大丈夫なのか?」という声がありました。
確かに機体は巨大ですが空を飛ぶ仕組み自体は他の航空機と変わりません。
テスト飛行では機体の性能が限界まで試されます。
非常に暑い場所や寒い場所にも行き耐久性や考えうる危険を全て試しました。
あるテストでは離陸時の最低スピードを確認するため機体の尾部を意図的に滑走路に接触させました。
「A380」は全てのテストに合格しました。
実に優秀な結果でした。
翼も操縦システムも全て文句なしの出来です。
しかし最後に難関が待ち構えていました。
最後のテストは満員の乗客と乗員合わせて873人が緊急時に90秒以内で避難できると証明する事です。
これは小型の旅客機と同じ時間です。
大型の航空機だから120秒でいいとは言ってもらえません。
1秒たりとも妥協の余地はないんです。
2006年3月26日ドイツで航空機史上最大の避難テストが実施されました。
完全な暗闇の中搭乗者全員が全体の半分の出口から90秒以内に脱出するテストです。
このテストに合格しないと「A380」は就航する事ができません。
もし失敗に終われば開発計画全体が挫折しかねません。
スーパージャンボの命運が懸かったテストです。
成功です。
873人全員が78秒で避難しました。
全てのテストを通過した「A380」に各国から注文が寄せられました。
しかし4か国にまたがる複雑な製造方法のため生産が追いつきません。
「A380」の生産は当初の予定よりも大幅に遅れる事が明らかになりました。
更に悪い事に製造部品に大きな問題が見つかりました。
電気系統のケーブルの多くが短すぎたのです。
配線システムを担当したフランスとドイツの2か国はそれぞれ独自のコンピュータープログラムを使っていました。
フランスとドイツのチームがそれぞれ別のコンピュータープログラムを使い両者がうまく連動していなかったんです。
それがなければもっと早く配線の問題に気付いたでしょう。
フランスドイツスペインイギリスそしてエアバスの中枢部。
5つの違う価値観が衝突していたんです。
「A380」一機につき全長500キロメートル以上のケーブルが使われるため大問題となりました。
配線システムを一から見直すために技術者たちがトゥールーズに集められました。
このミスによって納期は大幅に遅れました。
また既に組み立てた航空機も分解して配線を全部取り替える必要があったため余分な費用もかかりました。
製造の遅れは深刻な状況でした。
スケジュールは既に1年遅れ予算も2,000億円以上オーバーしていました。
とうとう貨物用の「A380」は全てキャンセルされる事態に追い込まれました。
契約破棄によってエアバスは巨額の収入を失いました。
つまらないミスが原因で大きな代償を払う事になりました。
手痛い教訓です。
旅客用の「A380」は何としてでも成功させなくてはなりません。
エアバスは2つの航空会社から2兆円を超える発注を受けていましたが製造がこれほど遅れては信用を失い発注を取り消される可能性もあります。
営業チームは契約を維持するのに必死でした。
対応が遅れれば信用を失いかねません。
相手に何が起きたか説明し了解を得る必要がありました。
自分たちの恥ずかしいミスを説明するのはつらい仕事でした。
営業チームは取引先をつなぎ止める事に成功しました。
キャンセルは1件もありませんでした。
1年半から2年半の遅れにもかかわらずです。
スーパージャンボプロジェクトの開始からおよそ20年。
さまざまな問題がありました。
しかし開発をスタートさせた社長ピアソンの夢が実現する時が来ました。
「A380」が就航する準備が整ったのです。
スーパージャンボ「A380」が初めてのフライトに出発しました。
高さは8階建てのビルに相当し運べる乗客の数は最大で800人以上。
史上最大の旅客機が大空に飛び立ちました。
「A380」の主翼は旅客機として史上最大です。
乗客として乗る時はいつも窓側の主翼に近い席を取りずっと見ています。
初飛行の乗客も興奮気味です。
離陸の時と着陸の時に拍手が起きました。
すばらしい雰囲気でふだんのフライトとは明らかに違いました。
最高でしたよ。
帰りの便でこれに乗れないのが残念です。
乗客は機内に入るとまず美しい階段に目を奪われます。
初めて見る総2階建ての客室。
そこですばらしい体験ができます。
客室の床の面積はおよそ550平方メートル。
かつてない広さです。
ダブルベッドとシャワーを備えた寝室を設置する事も可能です。
「A380」は航空会社の看板となるのにふさわしい旅客機です。
エアバスによると2010年秋までにおよそ230機の発注があり契約金額は8兆円近くにのぼりました。
ドイツの大手航空会社は2010年から「A380」を導入し現在10機以上を運航しています。
ヘルムート・ワグナーはパイロットの1人です。
これまでに操縦したどの旅客機よりも身軽な動きをする事に驚かされます。
超大型の航空機ですが操縦の際に不都合は感じません。
2009年には1年間に納品された機体の数が「ボーイング747」を上回りました。
「747」が売れなくなったというより「A380」がより売れるようになったんです。
エアバスの社長だったジャン・ピアソンの夢がついに実現しました。
しかし1年後スーパージャンボに事故が発生します。
2010年11月4日。
カンタス航空32便が乗員乗客469人を乗せシンガポールからオーストラリアに向けて離陸しました。
航空機の外部を映すモニターが設置されていたため乗客も事故の瞬間を目撃しました。
機体の左側から白い煙が出るのが見えました。
そして衝撃音が。
(爆発音)
(警報)主翼に大きな穴が開いていました。
主翼に設置されたエンジンの一つが爆発したのです。
機長のリチャード・デクレスピニーは緊急事態に対処する事になりました。
(警報)航空機の操縦システムの半分が機能しなくなりました。
主翼に穴が開き補助翼の半分は作動不能ブレーキも半分しか機能しません。
これまでに経験した事がない非常事態でした。
通常飛行機を安全に着陸させるためには燃料を減らして機体を軽くする必要があります。
機体が重いと滑走路への進入速度が速くなり着陸したあともスピードがなかなか落ちないからです。
ところが事故で燃料システムが反応しないため燃料を捨てられず重量を減らせません。
安全に着陸するための最大重量を45トンオーバーした状態で着陸するしかありませんでした。
進入速度を限界まで下げる必要がありました。
少しでも速いと滑走路をオーバーしてしまうからです。
滑走路の長さは4,000メートル。
機体の重さやブレーキの故障を考えるとギリギリの長さです。
シンガポールの空港に戻ってきました。
無事に着陸できるかどうかはデクレスピニー機長の操縦にかかっていました。
進入速度を落としながら降下し高度1,000メートルまで来ました。
速度が遅すぎて危険だという警告が2度発せられました。
(警報)着陸はしましたが重量がオーバーしているうえに半分のブレーキが効かないためなかなかスピードが落ちません。
(警報)ようやくスピードが落ち機体が止まりました。
停止した時滑走路の端まで100メートルしかありませんでした。
8台の消防車が周りで待機していました。
機体を調べてみるとエンジン部分はズタズタになっていました。
この状態で全ての乗客を無事地上に降ろす事ができたのはパイロットをはじめとする乗組員の的確な対処によるものでした。
カンタス航空の機長や乗務員は見事な働きをしました。
あのような緊急事態に冷静に対処し1人の負傷者も出さずに安全に着陸させたんですから。
機長は航空機の設計を評価しました。
万が一飛行中に故障が起きた場合でも「A380」には安全に飛行する能力がある事が証明されたと思います。
エンジンを製造した会社が原因を調査したところ小さな穴から漏れたオイルが熱せられたエンジンに落ちて出火し爆発した事が判明しました。
製造会社によって再発防止の対策が取られました。
「A380」にとって初めての重大な事故でした。
飛行中のトラブルを完全になくす事はできません。
重要なのはトラブルが大きな事故につながらないようその手前でとどめる事だと思います。
大きなトラブルが起きた時にこそ航空機の設計が優れているかどうかが分かります。
1988年エアバスの社長ジャン・ピアソンは大きな賭けに出ました。
会社の未来をスーパージャンボに託したのです。
スーパージャンボのプロジェクトに会社の命運が懸かっていました。
そして私たちは航空機の歴史を変え史上最大の旅客機を造り上げたんです。
現在「A380」は世界の主要な空港に発着しています。
この成功によってエアバスの市場占有率は1988年の15%から大きく伸びました。
「A380」によってエアバスはボーイングと航空機業界のトップを争う存在になりました。
「A380」は空の旅を変えました。
「A380」がなければ小さな旅客機で全ての路線をカバーしなければなりません。
それはコストを高め空の混雑を招きます。
関係者は航空機の歴史に新たな1ページを加えたと自負しています。
(シャルル)私はロンドンに行くと必ず空を見上げます。
「A380」が次々に通過するのを見て仕事をやり遂げたと感慨に浸るんです。
2017/02/19(日) 01:37〜02:22
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック・選「誕生!超大型旅客機〜開発の舞台裏〜」[二][字]

“スーパージャンボ”A380。世界初の総2階建てで、圧倒的な座席数を誇る。超大型旅客機はどのようにして誕生したのか?開発の舞台裏に迫る。

詳細情報
番組内容
エアバス社が社運をかけて挑んだA380の開発。最大で800以上の座席を設置することができる巨大な機体を作るためには、軽量化のため新素材を使用したり、後方乱気流をおさえるために主翼に工夫を施すなどさまざまな課題を克服しなければならなかった。さらに、パーツの製造場所がヨーロッパ各国にまたがるため、思わぬ問題が発生。超大型旅客機誕生までの道のりをたどる。(2014年英国・米国)
出演者
【語り】渡辺徹