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字幕書き起こし ハートネットTV 介護百人一首2017「公開その一」 2017.02.21

(拍手)介護は明るく楽しくかっこよく。
全国の介護家族の皆さんご機嫌いかがですか?「ハートネットTV介護百人一首」。
今年も全国から介護にまつわる短歌を皆さんにお寄せ頂きました。
その中から…1万2,108首が寄せられた訳ですけどもその中から選ばれた100首を介護百人一首としています。
今日と明日の2日間はここNHKふれあいホールから皆さんと一緒にお届けしてまいります。
まむしさんは今回も選考に当たられたんですよね。
いや〜苦労するよ。
だって1万2,000って事は120のうちの一首ぐらいしか入らないんだもんね。
よっぽど運がいいかね順番で入ったかいろんな方もいらっしゃるだろうけど。
いやいや才能が…。
いや〜すばらしい短歌がたくさんありますんでどうぞ楽しんで頂きたいと思います。
では早速始めてまいりましょう。
(拍手)ゲストには選者を務めて頂きましたお二人を迎えています。
まずは女優でモデルそしてビーズ刺しゅう作家の秋川リサさんです。
よろしくお願い致します。
わ〜。
(拍手)2年連続で選者させて頂きまして本当に光栄と思っておりますけれども。
昨年よりも今年は介護従事者の方の若い方の短歌も増えましてすごくその中にはぷっと吹き出すようなユーモラスなものもあって。
やっぱり短歌を詠む事で…いや実は介護って大変じゃないですか。
でもそこをちょっとこう心のエポックになれるのかなっていうのでは短歌の効果すごくあるって思いました。
そして介護百人一首の選者代表歌人で同志社女子大学名誉教授の安森敏隆さんです。
よろしくお願いします。
(拍手)
(拍手)今年もね…ここね4〜5年1万首を超えてきたの。
そして若い世代がね今秋川さんおっしゃったようにすごく応募をしてくれて…。
今日もだいぶ出てくるんじゃないかね若い世代がねはい。
それでは「介護百人一首2017」最初の短歌をご紹介します。
こちらです。
「5年ほど前に亡くなった母は歌が大好きでした。
訪問看護師さんとよく『斎太郎節』を『エンヤードットエンヤードット』と歌っておりました」。
宮城県の76歳若生和子さんの短歌です。
若生和子さん宮城県から今日はお嬢さんとお越しになっているという事です。
お〜どちらかな?ようこそありがとうございます。
一番近いとこにいらっしゃる。
どうもどうも。
遠いとこからありがとね。
在宅でおやりになってたの?はい。
あら〜ねえ。
真夜中に大きな声で「七つの子」をお母さんが歌われた時は和子さんどう思われました?そうですね何かあのはっきりとね最初から最後まで歌い終わったんですね。
そんなもんですから何か聞きほれたっていうか…。
真夜中に突然…驚きよりも上手だなっていうふうに。
朗々と歌ったんだ。
そうです。
へえ〜。
そうなんです。
それでびっくりしたんですね。
いつもは全部歌わないのに全部歌ってくれたの?そうです。
はあはあはあ。
それ亡くなるちょっと前?そうですね。
でも随分長生きなさいましたね。
そうなんです。
孝行しましたね。
そう思ってます。
でも最初はねやり遂げたっていう…母を見送った時にやり遂げた…やれるだけの事はやったと思ったんですね。
それなんですけども時間がたつにつれて「何であの時ああいう事を言ったんだろう」とか「何であの時もっと優しくしてやれなかったんだろう」とかっていう悔悟の念だけがだんだん募ってくるんですね。
何かあの…おむつ交換で少し悔やまれる思いがあったそうですね。
そうなんです。
え?温かいお湯でお尻を拭いてやるとすごく気持ちのいい顔をするんですね。
それを知っていながら最後の時にどうしてね市販されてるお尻拭きティッシュですねそれを使ってしまったんですね。
それは冷たいの?冷たいんです。
よしなさいよそりゃ。
いやいつもはね…。
ふだん温かいところへ冷たいので…。
いつもはほっぺたに当てて…当ててから使うんですけれども何で最後の時に限ってね温かい熱いお湯で拭いてあげなかったのかってそれが今でも悔いです。
あ〜ねえ後悔もありますけども。
秋川さんどのようにご覧になりましたか?私も在宅介護2年しかできなかったんですね。
昨年の6月母もう他界致しましたけれども。
どういう介護をしても悔いが残るっていえばそうなんですけどもでもそれも思い出を残してってくれてそれで思い出す事で一つの供養かなって思ってるので。
うちも夜中に大きな声で歌とか正直近所迷惑だからやめてくれと思った時もあったんですけど今思うとそれもね笑い話というか。
そういう意味ではうん…「七つの子」でも何でも歌ってくれてよかったと思いますよ本当に。
でもそれをお嬢様が見ていらっしゃってるからそうすると今度順番どおりにいくとお嬢様が介護の苦労はなさるけどまたこうやってみんなで思い出話ができる日が来ますから。
楽しい思い出話がたくさんできるかなと思います。
ありがとうございました。
はい。
お母さんふくみさんはねこの歌のあと102歳でお亡くなりになったという事です。
若生和子さんお嬢さんもどうもありがとうございました。
ありがとうありがとう。
ありがとうございました。
(拍手)それでは続いての短歌をご紹介します。
こちらです。
栃木県で介護を学ぶ19歳木村裕香さんの作品です。
「利用者さんとコミュニケーションをしている時若い時代の話になるときらきら目を輝かせてすてきだなと思いました」。
木村裕香さん19歳どちらにいらっしゃいますか?お母様とおばあ様も一緒にお越し下さいました。
いや〜裕香ちゃん偉いな。
ね。
介護職になる訳?これから。
はい。
あそう。
へえ〜。
失敗もしましたか?はい。
えっと実習とかでおむつ交換とかベッドに移乗とかする時とかはもう頭が真っ白になってしまってやり方とか全然分かんなくなったりして。
利用者から「あんた下手ね」って言われたでしょ?「痛い」とか「やめて」って言われる時もあって。

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いやいやそれはね…介護はね慣れとか経験とかねコツがいるんだよ。
19歳?はい19歳。
そんなうまくできなくて当たり前なんだよ。
だから向こうは教えるつもりでね「痛いよ」とか「駄目だね」って言うんだから。
安森先生いかがでしょうか?はい。
やっぱり一番いいところは「きらきらと」っていうところが全て表してるね。
擬態語っちゅうんだけどね。
雨が降ると「ザーザー」と言ったりねいろんな擬態語多いんだけどこの場合は「きらきらと」がすごく利いてるね。
だから「昔はね」と話し始められると全ての話がきらきらと若い時のところにきらきらと輝いてねいくんだろうね。
それをよく見ておられるところがやっぱりすばらしい歌が出来た一つだと思いますね。
いい歌ですなかなか。
それから同じ話何回もしてくるだろう?はい。
そんな時「こないだ聞いたわよ」って言った事ある?ないです。
あ〜すばらしい。
偉いなあ。
ちっちゃい頃からお年寄りとお話しする事が大好きなのでそういうのもあってこの介護の仕事を選びました。
裕香さんはひいおばあちゃんを見ていて介護していて…。
ちょうど写真が出てますけども。
介護の道に進もうと。
かわいいじゃない。
ちっちゃい時に。
とても介護やるような顔じゃないけどもね。
あそう。
中学校の頃からおばあちゃんが介護状態になってしまっておばあちゃんとかお母さんの介護してるの見ながら自分も入れ歯洗ったり車椅子押したりしてたのでそれで…はい。
入れ歯洗ったの?はい洗いました。
最初嫌じゃなかった?いや嫌だと思わなかったです。
あら〜。
お母さんとおばあちゃんの姿を見て…ひいおばあちゃんの介護をね。
今勉強されてるという事ですけどもちょうどお隣に介護の学校の先生なんですね。
ようこそありがとうございます。
はいこんにちは。
こんにちは。
いや〜いい生徒さんですか?ええ非常にあの〜気持ちが優しくてですね表情を見て頂いても本当にいい表情を…。
しょうがないから答えてんじゃないだろうね?本当ですか?はい。
人の気持ちにですね寄り添う事のできる学生だと思っています。
相手側の気持ちにね。
はい。
いや〜いい介護士になれるよ。
続けて作って下さいよ。
はい頑張ります。
木村裕香さんご家族の皆さんもありがとうございました。
ありがとうございました。
(拍手)続いては鹿児島県からお越しの徳永タヅ子さん69歳の作品です。
「脳出血の手術のために頭をそられて仏様のようになった姉。
植物状態でほとんど反応がなく医者からは『目も見えていない』と言われていました。
でも『元気になって』と頬ずりするとかすかに笑顔を見せてくれました」という徳永タヅ子さんがこちらにいらっしゃいますね。
ようこそありがとうございます。
鹿児島から。
はいありがとうございます。
ね〜。
お姉さん紀子さんは今どういう様子なんでしょうか?今やっぱり寝たきりで植物人間みたいな感じですけど。
医者は「目も見えてない。
きょうだいとも分からない」って言うんですけど私はかすかに反応があるんで絶対分かってるって思うんです。
頬ずりで「元気になってね」って言ったら口角が上がって笑ったような感じがするんですはい。
もう頬ずりをお姉さんと…?こうほっぺたを…。
ほっぺほっぺで…。
はい。
あそう。
じゃきっと姉妹のぬくもりが伝わりますかね?もう掛けがえのない姉なんです。
私が幼い時から病弱で私の介護をしてくれて学校も私も出てなくて姉が小学校の字を教えてくれて短歌を教えてくれて「短歌楽しいよ」っていう感じで教えてくれた姉なんで。
あっお姉さんが短歌も字も!そうですか〜。
掛けがえのないお姉さんという事ですけども。
秋川さんいかがでしょうか?でも姉妹また母娘っていうのもいろいろありますけど姉妹っていうのも情が深い分いろんな思いがおありになると思うけど。
医学的にはこうだって言われても何でしょう魂が通じるっていうのかしらね何かそういう事ってありますよね?はい。
多分だから医学的には「もう目が見えないよ」とか「耳が聞こえない」って言われても肌と肌とかって…よく手当てって言うけど何かそういうのが絶対通じてるっていうのは私も信じます!はいありがとうございます。
いや〜だけどあれだね。
タヅ子さんあなたも心臓がね…病気抱えてんでしょう?はい。
今私自身が心臓の手術をして1年生きれるかなっていう感じなんで。
「機械を入れて飛行機に乗れないよ」って言われながら…気圧の関係で。
今日は来さして頂けました。
今日飛行機に乗ってきたの?あ〜元気じゃないの。
はいおかげさまです。
いやだから自分病気なんだけどその事によってあなたが力を得て元気でね。
でお姉さんのために今日ここへ来る事ができたんだよ。
もう姉がすっごい喜んでくれると思います。
男同士の兄弟は頬ずりっていったら気持ち悪いよ。
だから女同士の姉妹だから頬ずりしてどうのこうのっていうのは絵になるし歌になるんだろうなあ。
(秋川)そうですね。
これ男同士じゃ歌にならない確かに。
「髭剃りの跡ぞりぞりと」みたいになっちゃうから。
ねえ。
ああよかったよかった。
ね元気で帰って下さいよ。
はいありがとうございます。
はい徳永タヅ子さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
(拍手)さて次の短歌をご紹介します。
茨城県からお越しの大木澄江さん69歳の作品です。
「やっと生まれた内孫を夫は毎日お風呂に入れて遊んでいました。
その夫も病気が悪化して最後は寝たきりになってしまいました。
ところが何を思ったのか孫は夫に添い寝して夫を抱いているのです」。
歌を詠まれた大木澄江さんがこちらにいらっしゃっています。
ようこそありがとうございます。
ありがとうございます。
ご親戚の方と一緒にありがとうございます。
3歳のお孫さんは女の子…?女の子です。
どんな様子で添い寝してだっこまでしたんですか?あのね病院からその時は帰ってきたところなのでママはね「なるべくおじいちゃんは一人にしておいてあげなさい」って言ったんですけども孫はねもうず〜っとおじいちゃんっ子だったもんですからベッドによじ登っていってしまって毎日毎日おじいちゃんをギュッと抱いちゃうんです。
ただ私もねその時は遊んでくれる日を待ってるのかなと思ってたんですけども後でちょっとしてから聞いたら「違うよおばあちゃんあれは心配で心配でいられなかったんだよ」ってね孫が…3歳の孫が言ったもんですから私何かねこれは短歌にしたいなと思って歌にしました。
は〜。
ご主人はどんなふうに…?主人はもう亡くなってしまったんですけども最後に「人間花丸」っていうかそういうふうな絶筆を残してくれました。
ちょっとカメラに見せてもらっていいですか?このちっちゃい字の…。
ちっちゃい字で…。
2日前ですから…亡くなる2日前なので私らも準備はしてませんからね。
そういう事を書くとも思ってないので…。
「人生花丸」ですって。
いや〜それで介護してる方は気持ちがすっかり楽になったでしょう?何かそうは言ってもねやっぱり泣いちゃうんですけども。
まあそう言ってくれた…何でしょうね主人が最後にそう言ってくれたかと思うとねその何て言うんでしょうね残された家族にまたねいい思い出作ってくれてありがたいなと。
安森先生いかがでしょうか?いや〜今の話聞きながら…面白い添い寝だねこれはね。
この歌のねよさはね「三歳は」と言ってるね。
「孫は」と言ってないんだよ。
これ大きな違いで「三歳は」とものすごく具体的に言ってんの。
「三歳」っていうのが潜り込んでいった添い寝しに行った。
これを出してるからやっぱりいい歌として100の中に選ばれたんじゃないかねはい。
はい大木澄江さんすてきなお召し物で今日はありがとうございました。
はいはい大島紬。
(拍手)では引き続き短歌をご紹介します。
埼玉県で介護を学ぶ二十歳の学生さん中上汐理さんです。
「実習先で私や職員を『先生』と呼ぶ利用者さんがいました。
私にとっては利用者さんの方が人生において大先生だという思いです」。
中上汐理さんお母さんと一緒にお越し下さいました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
「先生」と呼ばれて…実習中ですもんね。
あ〜そうですね実習中に。
びっくりしました?え私の事なのかなと思って。
一回ちょっとびっくりして「えっ」て…。
でも話してるうちにあ私の事呼んでるんだと思ってびっくりしました。
汐理さんねこの春卒業して仙台の特別養護老人ホームに就職決まったという事で。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
(拍手)ああありがとうございます。
いやいやいや〜汐理ちゃん。
もう絶対に辞めないで続けてよ。
ずっとはい介護やっていくつもりでいるので。
まむしさん。
汐理さんですね埼玉県ご出身なのに仙台の施設を希望されてるそうなんですよ。
ねえ何か思いが…どういう思いが…?あの〜両親どっちも岩手出身で東北なんですけど小さい頃からすごい…遊びに行ったりとかしていて東北すごく好きなのとあと東日本大震災があった時に…もう6年たつんですけどやっぱりその…東北の地で力になれたらなと思って仙台の施設で働かせて頂きます。
わ〜。
いやこういう若者が日本にいるっていうのはうれしいなあ。
基本的にやっぱり介護をする人って慈愛の精神がないとできないと思うんですね。
ただお仕事だけでできるお仕事じゃないじゃないですか。
そういう意味では人生の大先輩だっていう大先生だっていうふうに思われるあなたのお気持ちってすごいすばらしいし近いうち私も介護される側になると思いますのでその時はどうぞよろしくお願い致しますって気分です。
汐理ちゃん。
汐理ちゃん。
映ってるからね全国のお年寄りにひと言言ってくれない?えっ?!え…えっ!?カメラに向かってはい。
えっと…私たち若い世代が頑張っていきますので任せて下さい!お〜!
(拍手)頼もしい!いやいやいや…。
いいね〜。
(拍手)それでは引き続き短歌をご紹介してまいります。
香川県の関貫聖二さん62歳の歌です。
あ〜分かる分かる。
「私が高校3年の頃父が40代後半という年齢にもかかわらず認知症に似た症状が出現し49歳で永眠しました。
当時はCTスキャンもなく正確な診断が得られませんでしたが当時の映画『恍惚の人』の森繁久彌の演技が父の症状に似ていた事が思い出されます」という関貫聖二さん香川からお越し頂きましてありがとうございます。
どうもどうも。
森繁久彌さんとお父さんが似てた訳ですか?そのころちょうど森繁久彌の「恍惚の人」の映画がはやっていた頃で徘徊してで縛りつけたりするようなシーンが割とあったのがずっとこう心の中に残っていたんですけれども当時私高校生だったんで縛りつけれるものだったら縛りつけてでも受験勉強に落ち着きたいなという心理はあったんですが。
当時40後半でしたんでうちの父親が。
本当は何の病気で認知症みたいな症状になったのかなという疑問といまだにずっと気持ちが…渦巻いたまま四十何年間来た経過であります。
いやこの映画ね昭和48年の映画なんですよ。
私も見ましてねびっくりしましたよ。
今みたいに認知症っていう言葉がまだ出来てない頃で。
ほいで今はね思い出すんだけど排泄物を投げつけて障子にパ〜ッと散らばるというシーンがあるんですよ。
こりゃ映画でやるシーンではないんですけどね森繁さんがもう鬼のような表情でやったというのをね思い出しますよ。
安森先生これ…。
よくそこまで歌ったね。
森繁さんは絵になるからねなかなかね。
そこのところをうまく捕まえられましたねえ。
うんやっぱり森繁さんの演技すごかったんじゃないかね。
いやいやもう当時はショックでしたあの映画がね。
関貫さんは今脳神経外科医に…。
あっそうなの。
先生として活動されてるという事ですけどもこれは何かお父さんの事が…。
影響されたの?当時やはり高校3年の時に地元徳島…医学部がちょうどあったしやっぱり徘徊とか繰り返すのにそちらの方をちょっと勉強したいなと欲が出て医学部の方進んで。
で卒業する時に内科よりかは脳神経外科の方が少し面白いかなと考えて脳神経外科を選んで38年間たって。
でも今認知症の事で悩んでる方がたくさんいらっしゃるからねいい処方…先生もっともっと認知症にかからないとかこれで治るっていう事を研究して下さいよ。
関貫聖二さんねお父さんのご病気がそういうふうに今のお仕事にもつながっていてきっとお父さん喜ばれてるかもしれませんね。
関貫聖二さん奥様も一緒に香川からありがとうございました。
遠いとこからどうも。
(拍手)それでは今日ご紹介します最後の短歌です。
東京都83歳小島あさ子さんの作品です。
「最初はいやいや行き始めたデイサービスですがスタッフの皆さんによくして頂き通所が長くなりました。
体調によって行きたくない日もありますが服は選んで行きます」。
小島あさ子さんどちらでしょうか?あ〜一番前に…ありがとうございます。
今日もおしゃれしてきたね。
ね〜。
あっ車椅子なの?車椅子でもちゃんとねおしゃれ…。
ていう事は洋服や何かたくさん持ってんですね。
はい結構持ってますね。
そうなんですね。
お〜あそう。
あの〜毎日毎日替えても…絶対に替えても大丈夫な数…。
はい。
えっ。
それだけが楽しみです。

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あさ子さんそのおしゃれをしようって心がけてるのはどういう思いからですか?あの〜ちっちゃい時から「馬子にも衣装髪形」っていう言葉を聞いててやっぱしあの衣装と髪形で違うんだなっていうのが常に頭にあったもんで。
今パーマが伸びてますけどやっぱりゆうべ洗ってきちっとしてきたつもりなんですけどね。
きれいですよ。
その辺りねまむしさんちょっとおしゃれの秋川さんに伺ってみましょうよ。
あの本当にお化粧とそれからおしゃれっていうのは脳の活性化につながるっていうのは確かだそうで。
それをやめないで下さいね。
でどうですか?デイサービスでこれぞという男性はいらっしゃいませんか?やっぱり駄目ですか?まむしさんのおっしゃるように。
いないんです。
一人のちょっとしゃれたおじいちゃんがうちの本家と親戚になってるのね。
その人が私の事を見て「心の妻だ」って言ってるの。
あ〜いいじゃない!すてきな…!いい事ですよ。
朝車へ乗る時に「おはよう」って手を出すしね帰りも「さよなら」って手を出してね。
その人もおしゃれしてる?してます。
だからあさ子さんが刺激してるんだよ。
デイサービス全体を。
嫌なんです。
そういう目立つ事するのは。
目立ってんだよ!結構目立ってんの。
ほかの人やらないけど私は毎日替えてくるっていうのは。
皆さんがもう知っててね「ほら心の妻がそばへ来たわよ」とか何とかって言うんですよ。
結婚考えたらどうですか?そろそろ。
いや今日ねお子様とご一緒に…。
娘です。
そうなんですよね。
娘です。
娘さんと…。
美人だよ。
ね〜。
(秋川)いいんですよねお母様恋したってね。
そうですね。
はい許しますもう。
ね〜ずっとねお子様を女手一つでね育ててこられたという事で。
はい小島あさ子さんすてきなおしゃれと恋をね続けて頂きたいと思います。
どうもご苦労さま!ありがとうございました〜!
(拍手)はいさていろんな方の短歌ご紹介してまいりましたが安森さんどうご覧になりますでしょうか?いや〜いろんな体験の…やっぱり一番いいのは皆さんが独自な自分の体験を語って下さってそれで歌にして下さってるわね。
やっぱりこれが一番大事な事じゃないかなあ。
非常に人のと似てはいるんだけれども自分は自分独自の介護だからね。
今日は非常に具体的ないい作品が出てきました。
ありがとうございました。
今年も介護百人一首をまとめた作品集が出来上がりました。
今日ご紹介した短歌も載っています。
さて「介護百人一首2017」。
今日はここまでという事ですね。
明日も続きます。
ゲストの皆さんそして会場の皆さんもどうもありがとうございました。
はいありがとう〜。
明日もご覧下さ〜い。
ありがとうございました。
2017/02/21(火) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV 介護百人一首2017「公開その一」[字]

短歌に託して介護に関わる思いや経験を詠む「介護百人一首」。今年もたくさんの応募の中から珠玉の百首が選ばれました。渋谷の「ふれあいホール」に入選者が集いました。

詳細情報
番組内容
「介護する人、される人」−介護に関わる人々が日々の思いや出来事を短歌に託して詠んだ「介護百人一首2017」、今年も1万首を超える応募の中から珠玉の百首が選ばれました。「NHKふれあいホール」に集った入選者と家族の方々に歌と介護にまつわるお話を伺いました。ご紹介するのは「真夜中に大きな声で七つの子歌い出したり母は百歳」「三年も言葉話せぬ姉ならど頬ずりすれば笑み浮かべくる」ほかの歌です。
出演者
【出演】毒蝮三太夫,小谷あゆみ,安森敏隆,秋川リサ