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字幕書き起こし ファミリーヒストリー「吉田沙保里〜夢を諦めなかった父 受け継がれるタックル〜」 2017.02.23

リオデジャネイロオリンピック女子レスリング53キロ級決勝。
(実況)吉田無念敗れた!金には届かなかった!吉田沙保里さんのオリンピック4連覇の夢はかないませんでした。
しかしプレッシャーの中で懸命に戦う姿は多くの人に感動を与えました。
そして沙保里さんの地元三重でも5万人がその健闘をたたえました。
3年後の東京オリンピックに向け動きだした沙保里さん。
そのルーツに迫ります。
今夜のゲストは吉田沙保里さんです。
どうぞ。
お願いしま〜す。
(拍手)
(三輪)こんばんは。
お願いします。
いや吉田さんどうもようこそ。
もうさっきのインタビュー。
地元出身の伊調馨さんがオリンピック4連覇を果たし街はお祝いムードが続いています。
実は八戸は吉田沙保里さんにとってもルーツの地なのです。
この日は母幸代さんと墓参り。
3年前に亡くなった父栄勝さんが八戸出身。
遺骨は三重と八戸にある2つの墓に分骨されています。
合わせましょ手を。
どんな報告?…という事で。
はい。
八戸には沙保里さんの親戚が今も多く暮らしています。
ごめんください。
曽祖父が沙保里さんの曽祖父と兄弟です。
家系図を書いてもらったところ分かっている最も古い先祖は沙保里さんの6代前江戸時代後期を生きた源吾という人物。
代々八戸で有力な漁師だったという吉田家。
「源吾坂」と呼ばれる坂までありました。
八戸で暮らしてきた吉田家の歴史に詳しい人が見つかりました。
沙保里さんの遠い親戚にあたります。
見せてくれたのは「永久録」という古文書。
江戸時代の吉田家の歴史が記録されています。
「源吾目録記」とありまして…。
沙保里さんの6代前の先祖源吾の名前もありました。
古文書には吉田家がもともと住んでいた土地についても書かれていました。
そこは兵庫県淡路島。
吉田という地区に暮らしていたため吉田姓になったというのです。
更に…。
吉田家の家紋は淡路島の神社からとったとあります。
さまざまな絵柄がある梅鉢。
沙保里さんの父の実家はこの梅鉢でした。
吉田家のルーツ淡路島に向かいました。
名前の由来になった吉田地区。
現在吉田姓の家は一軒もありませんでした。
そこで吉田家の家紋のもとになった神社を探します。
郷土史家の北山學さんが隣の集落にある河上神社天満宮に案内してくれました。
(取材者)あっ瓦と同じですね。
沙保里さんの吉田家の梅鉢と神社の梅鉢は全く同じ絵柄でした。
それにしてもなぜ吉田家の先祖は淡路島を離れたのか。
地元の郷土史にこんな記述が見つかりました。
江戸時代の中頃各地で綿花の栽培が盛んになります。
その肥料に使われたのがイワシを干した「干鰯」でした。
漁業史に詳しい…江戸時代淡路島から八戸にたどりついた漁師の中に沙保里さんの先祖がいたのです。
いやいかがですか?あっあの…。
淡路島から八戸に移り住み漁師をなりわいにしてきた吉田家。
お父さんに似てるなと思ったらお父さんのお父さんですね。

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昭和12年結婚し4人の子供に恵まれました。
そして昭和17年26歳の時陸軍に召集されます。
配属されたのは鉄道第五連隊。
戦地で兵士や物資を運ぶ鉄道を建設する部隊でした。
向かったのはタイとビルマ現在のミャンマーの国境付近。
この地で長さ415キロの鉄道を建設する事になりました。
その名は…この鉄道はアカデミー賞の作品賞を受賞した「戦場にかける橋」の舞台になりました。
日本兵の他に地元の住民更に連合軍の捕虜たちがジャングルを切り開きこの鉄道建設に従事しました。
甫と同じ鉄道第五連隊に所属していた…この泰緬鉄道の建設工事ではマラリアやコレラによって4万人以上が亡くなりました。
ある日甫たちが向かったのはビルマ中部の街タダウ。
この地にあった鉄道のレールや枕木を取り外し泰緬鉄道の線路にするためでした。
現地の人は当時の事を覚えています。
当時ビルマ人はイギリスの植民地支配からの解放をうたう日本軍に協力的でした。
ところがタダウでの作業中甫は突然倒れます。
マラリアでした。
マラリアで倒れた兵士の多くはその地に置いていかれたといいます。
甫の五男友三さんです。
その時の事を聞いています。
そう覚悟した時でした。
「大丈夫ですか。
これを食べて下さい」。
近くに暮らすビルマ人の少女が現れたのです。
甫は少女に名前を聞きました。
マラリアから無事回復した甫。
終戦から2年後の昭和22年日本に戻る事ができました。
吉田家に男の子が生まれます。
後の沙保里さんの父です。
甫はある名前を付けると決めていました。
それはビルマでマラリアに倒れた時助けてくれたあの少女の名前でした。
甫は出生届の提出を当時14歳だった長男要に任せます。
ところが要はどうしてもその名前に納得いきません。
そこで要は勝手に文字をひっくり返してしまいます。
届け出た名前は栄勝でした。
それを聞いた甫はあぜん。
名前を変える事はもうできませんでした。
それでも諦めきれなかった甫。
3年後に女の子が生まれると「佳都恵」と名付けたのです。
戦争中甫がマラリアで倒れたミャンマーの街タダウ。
「カットゥエ」という少女の手がかりを探しました。
「カットゥエ」ではなく「キントゥエ」という名前だったのです。
更に「キントゥエ」は現地で人気の名前だという事も分かりました。
「栄勝」そして「佳都恵」の語源になった「キントゥエ」の意味を長女佳都恵さんに伝えました。
(取材者)自分のその…いやぁ〜すごい話でしたねいかがでした?なるほど。
そうですね。
そうですよね。
八戸で生まれ育った…中学時代柔道をやっていた栄勝は友人に誘われレスリング部に入部しました。
栄勝は厳しい練習でも率先し大きな声を出していました。
高校で1年先輩の…それでもあまりのきつさに音を上げる事もありました。
そんな時大館さんは栄勝にある話を耳打ちしました。
当時1ドルは360円。
航空運賃も高く外国に行くのは大変な時代でした。
栄勝は夢を膨らませます。
練習に力が入る栄勝。
磨きをかけたのが得意のタックルでした。
夢だったアメリカ遠征がかなったのです。
アメリカでの成績は9戦全勝。
圧巻の強さを見せます。
めっちゃ強いじゃないですか。
知らなかった…。
レスリング協会にこの遠征の記録が残されていました。
見た事あります?ないです!感想文…。
そして現地の女性たちとも親しくなりました。
写真撮っただけですよねこれ。
だって強いんですもん。
その後レスリングの特待生として…栄勝はすぐに頭角を現します。
1年先輩にはこの人がいました。
(取材者)あっこんにちは。
今日はよろしくお願いいたします。
プロレスラーの長州力さんです。
当時大学のエースだった長州さんは後輩の栄勝に一目置いていました。
ところが大学1年の時事件が起こります。
順調に勝ち上がっていた栄勝。
3回戦の試合でした。
その時の事を栄勝の友人方さんが覚えていました。
試合が予定よりも早く進み栄勝は遅刻してしまいます。
棄権と見なされ負けを告げられました。
その後奮起して挑んだのが大学3年の時出場した…栄勝は見事優勝します。
そして大学卒業後就職したのは三重県庁。
その年の秋に三重国体が控えていました。
当時開催地は総合優勝が当然視されていたためさまざまな競技で全国から優秀な選手を集めていました。
栄勝は昼まで事務をこなしそのあと練習の毎日。
そんな中国体選手たちは競技の垣根をこえてよく食事会をしていました。
ある日向かいに座ったのがテニスの国体選手地元出身田上幸代でした。
すごっ!栄勝は57キロ級で準優勝し総合優勝に貢献しました。
メキシコオリンピックの金メダリストで三重県の監督だった金子正明さん。
栄勝の存在はとても大きかったといいます。
自分の得意技を他の選手たちに進んで教えていたのです。
このころ栄勝はモントリオールオリンピック出場を目指していました。
しかしまたしても事件が起こります。
それはオリンピックの前の年に開かれた代表選考につながる重要な大会。
当時栄勝は減量に苦しんでいました。
57キロ級で代表を目指していましたが体重が10キロ以上重かったのです。
計量をパスするため過酷な減量に挑みます。
そして迎えた計量当日。
目標の10キロ減量はほぼ達成していました。
ところが栄勝は後輩に思わぬ事を頼みます。
「計量はパスできるからコーラを飲ませてくれ」。
この時一緒にいた後輩の安藤恒弘さんです。
そして迎えた計量。
何やってんの…。
まさかの計量失格でした。
その後のモントリオールオリンピック代表選考会でも減量に苦しみあえなく敗退してしまいます。
それでも幸代には強がっていました。
それから間もなく栄勝は引退。
念願だったオリンピック出場は果たせませんでした。
いやいかがでしたか?いやぁ〜。
ねぇ〜面白い!6年後の…3番目の子供が初めての女の子でした。
3人の子供たちは皆体が弱く中でも沙保里は生後半年で肺炎にかかり入院します。
栄勝は決心します。
「子供たちをレスリングで鍛えてみせる」。
借金をして自宅に練習場を建設しました。
体が弱く3歳からレスリングを始めた沙保里。
最初は泣いてばかりいました。
決して甘い顔を見せない栄勝。
栄勝が得意のタックルを教えると沙保里はめきめきと実力をつけていきます。
当時近所の子供たちが続々と入門してきました。
栄勝はそんな子供たちを無償で教えました。

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うわ〜!長年栄勝と一緒に教えていた…幸代も栄勝からレスリング教室にかける思いを聞いていました。
6歳から通い始めた…幼い時から体が弱かった莞爾くん。
栄勝との出会いによって成長できたといいます。
入門して7年後莞爾くんは全国大会で優勝するまでになりました。
栄勝はこれまでこの教室から30人以上の子供たちを全国優勝させています。
この教室出身です。
近所の子供たちと一緒に練習に励んでいた沙保里。
中学3年の時アクシデントに見舞われます。
全国大会を控えた練習中左手首を脱臼骨折してしまったのです。
すぐに手術をしますが手首を固定する3本のピンが皮膚の外に突き出ていました。
すると栄勝が思わぬ事を言いだします。
沙保里は幸代と病院へ行き医師に飛び出ているピンを削ってくれるように頼みました。
この時担当した…その2日後沙保里は全国中学女子選手権に出場。
右手だけで戦いました。
終始相手を圧倒。
そして優勝に輝きました。
この経験がオリンピックの初出場につながります。
アテネオリンピック日本代表を決める試合でした。
試合の1週間前沙保里は右膝を負傷します。
スパーリングもできない深刻な状態でした。
相手は…
(ホイッスル)
(歓声)試合は延長戦までもつれる大接戦となります。
最後は沙保里がバックをとり勝利。
念願だった初のオリンピック日本代表に選ばれました。
栄勝にとって自分が果たせなかったオリンピック出場の夢を娘がかなえてくれた瞬間でした。
迎えたアテネオリンピック。
(実況)さあそしていよいよこれから55キロ級決勝戦です。
日本の吉田沙保里が登場してきました。
栄勝と幸代はスタンドから声援を送ります。
(実況)ああいいですね。
さあタックルに入った!これはいいタックルだ!栄勝直伝のタックルで相手を圧倒しました。
(実況)2秒1秒…試合終了!日本吉田金メダル!金メダルを掲げる沙保里。
栄勝と幸代はいつまでも拍手を送り続けました。
そして北京オリンピックでも金メダル。
その4年後のロンドンオリンピック。
(実況)吉田沙保里…勝った!沙保里はオリンピック3連覇を成し遂げました。
この時日本代表のコーチだった父栄勝。
沙保里を肩車しようとしましたが逆にされてしまいました。
(歓声)「重い」って言ってます。
「重い」って言いましたね私。
その年の11月には国民栄誉賞を受賞。
泣き虫だった沙保里が栄勝の自慢の娘になったのです。
いやぁ〜…いかがでしたか?いやぁ〜なんか…。
お父さんは…ねえVTRでもありました…いやぁ〜…。
オリンピックで4連覇を目指していた2人に突然の別れが訪れます。
この日栄勝さんは沙保里さんが出場する大会でセコンドにつくため高速道路で名古屋に向かっていました。
しかし突然頭を猛烈な痛みが襲います。
くも膜下出血でした。
すぐに病院に運ばれましたが手遅れでした。
高速道路で栄勝さんの事故処理にあたった…頭を金属バットで殴られるほどの衝撃があると言われるくも膜下出血。
栄勝さんの車は最初中央分離帯にぶつかりその後路肩に向かい壁にこすりながら止まったのです。
娘の4度目のオリンピック出場を見届ける事なく61年の生涯を閉じたのです。
(歓声)
(アナウンス)サオリヨシダ!オリンピック4連覇の期待がかかったリオデジャネイロオリンピック。
沙保里頑張れ〜!沙保里頑張れ〜!
(実況)残り2秒!吉田無念敗れた!試合後真っ先に向かったのは母幸代さんのもとでした。
この様子をテレビで見ていた栄勝さんの友人たちは…。
オリンピックの閉会式。
仲間たちと笑顔を見せる沙保里さんの姿がありました。
オリンピックの舞台でずっと一緒に戦ってきた伊調馨さんです。
沙保里さんは子供たちのレスリング大会を毎年開催しています。
今回で4回目。
全国から700人を超える子供たちが集まりました。
マットの上で泣き出す子供たち。
沙保里さんは昔の自分と重ねていました。
栄勝さんが教えてくれたタックル。
次の世代に引き継がれていきます。
吉田沙保里さんの「ファミリーヒストリー」。
夢を諦めず強い気持ちを持ち続けてきた家族の歴史がありました。
ほんとにねもう…感謝の言葉しかないですね。
2017/02/23(木) 19:30〜20:15
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「吉田沙保里〜夢を諦めなかった父 受け継がれるタックル〜」[字]

吉田沙保里さんは三重出身だが、父は青森八戸出身。さらにルーツをたどると淡路島にあることが判明。そして、祖父の戦争体験が父の名前の由来になっていたことも明らかに。

詳細情報
番組内容
レスリング金メダリスト吉田沙保里さんは、三重出身だが、父は青森・八戸出身。さらにルーツをたどると淡路島に行きつくことが分かった。その移動の理由が明らかに。また、父の名前の由来には、祖父の戦争体験が関わっていた。ビルマ、現在のミャンマーで泰緬鉄道建設に携わった祖父。マラリアにかかった時、助けてくれた少女がいた。そして、父が娘に託したオリンピックへの思い。初めて知る父の思いに沙保里さんは涙を流す。
出演者
【ゲスト】吉田沙保里,【司会】今田耕司,三輪秀香,【語り】余貴美子