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字幕書き起こし ミュージック・ポートレイト「松本隆×斉藤由貴 第1夜」 2017.02.20

お邪魔します。
今夜の2人は30年来の恩師とその教え子。
ドMですか。
お帰りなさいませ。
アイドルデビューし初代スケバン刑事で大ブレイク!スケバン刑事!歌手としてもヒット曲を連発し「紅白歌合戦」にも出場しました。
現在は円熟した演技が魅力の実力派女優として活躍しています。
日本を代表する作詞家です。
これまでおよそ400組のアーティストに詞を提供。
時代を越えて愛される名曲を生み出し続けてきました。
まさにナンバーワンヒットメーカーです。
時代の頂点を極めた2人の表現者。
知られざる苦難と葛藤の日々がありました。
自分を見失うほどに過酷なアイドル生活。
夜中の2時から表紙の撮影とか。
もう自分が削られていってるという自覚は明らかにありましたよね。
「本当の自分は違う!」という苦しみ。
自分の中でいつも真逆のものを求める気持ちがすごい強くて。
はじけたい自分がいる訳ね。
多分。
ロックバンドから出発した松本は「ロックは英語」という常識の壁を打ち破ります。
モデルがない事をやろうとする訳。
でも僕の中では…しかしサブカルの頂点から歌謡曲へ孤独な挑戦。
こんな事していいのかって葛藤はもちろんあるんだけども…そして2人は松本が作詞したこの大ヒット曲で運命の出会いを果たします。
・「ああ卒業しても友だちね」・「それは嘘では無いけれど」また30年たってお互いに何かこうやって話してるの変な感じですね。
だから80年代にいいものを残してるからです。
面白い。
歌を通した師弟関係の2人。
だからこそ語れる本音とは?「ミュージック・ポートレイト」。
大切な10曲を通じて2人の人生を見つめていきます。
終戦から4年たちアメリカ文化が日本に入り始めた1949年。
松本隆は東京・青山に生まれます。
父は大蔵省の官僚。
裕福な家庭で3人兄弟の長男として育ちました。
青山の小学校なんですよ。
青南小学校って。
すごい環境だ。
でもないんですよ。
空き地は多かったし。
今とは全然違う?みんなが思ってるようなおしゃれなとこじゃなくて別に普通の住宅地だったんです。
でも紀ノ国屋は確かにあのころからあってハイカラなものを売ってたし。
その後慶應義塾中等部へ。
大人びた少年だった松本は音楽に心引かれます。
好きだったのはクラシックや映画音楽そしてアメリカンポップス。
中でもお気に入りだったのがキャロル・キングが作ったこのヒット曲。
大人の恋を描いた歌詞に衝撃を受けます。
60年代の初期の歌っていうのはすごくいい歌がたくさんあって僕はすごい好きなのね。
詞も曲もすごいすてきで。
キャロル・キングの作った歌っていうのはやっぱ普遍的だと思うのね。
今聴いても全然古くないし。
歌詞が?歌詞も曲も。
歌詞は「willyoulovemetomorrow」ってさ初めて寝ちゃったカップルが女の人がね「明日も愛してくれるの?」っていう歌なのね。
明日っていう事はあさっても10年後も愛してくれるのかという。
すごい僕はこの詞が好きで。

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中学校ぐらいの青春よりちょっと早いぐらいの時代に聴いてらした訳ですよね。
早くないですか?僕でもジャン・コクトー読んでましたから中2ぐらいで。
もうボードレールも小学生で読んでましたから。
それはちょっと何か聞くと…何か恵まれてる。
その後松本はビートルズに更なる衝撃を受けます。
そして彼らが来日した1966年。
斉藤由貴が横浜市に生まれました。
子どもの頃周囲とうまくなじめなかった斉藤。
学校の休み時間は独りぼっちでイラストを描いて過ごす…それは今私が松本さんの事をいじめるからですか?そうです。
そんなセリフが松本さんの口から出てくるとは。
友達もできず家に帰ってする事といえば鏡に映った自分を相手に会話をする事でした。
寂しさを抱えた少女。
その心を慰めてくれたのはチャイコフスキーが生んだこの曲。
人形の大きさになった少女がお菓子の国を旅する組曲「くるみ割り人形」。
不思議な迷宮の世界に斉藤は心引かれます。
小学校2年生の時に初めて買ったレコードなんですこれ。
なぜかって言うと「不思議の国のアリス」とかもそうなんですけど…子どもの時から?子どもの時から。
一つの世界にたくさん扉があってその扉を開けると一つ一つに全く違う世界が通じてるっていう。
そういうようなものがすごくちっちゃい頃から好きでよくそういう夢を見てて。
でも確かに普通ね例えば私の時代の小学生っていったらまさにピンク・レディーとかの全盛の時代で。
みんなが「ペッパー警部」とか「UFO」とかって踊ってる時に。
「こんぺい糖」。
そうそうそうそうそう。
チャイコフスキーだ何だとかって言ってるとやっぱり何か違和感はきっとありますよね。
そういう本当内に籠もった子どもであった事は間違いないかな。
松本は中学3年生の時ラジオから流れるビートルズの曲に衝撃を受けロックに目覚めます。
高校に進学するとクラスメートとバンドを結成。
ドラマーとして腕を磨く青春時代が始まりました。
高校生の時にアマチュアバンドやっててドラムを始めた訳です。
高1ぐらいからね。
3年ぐらいやってコンテスト出たりして。
そこそこうまいっていわれるバンドだったんだけど。
そのバンドのメンバーのベースの人が試験勉強したいから抜けるって言ってねベースがいなくなっちゃったんで。
電話したのね。
そう。
そうだったんだ。
松本が誘ったのは後にYMOなどで活躍する細野晴臣でした。
細野との出会いで松本の人生は大きな転機を迎えます。
本気で音楽の道を志そうとなんと慶應大学を中退したのです。
勝負をかけ細野晴臣そして小坂忠らと結成したのがエイプリル・フールでした。
そのころアメリカではベトナム反戦運動の盛り上がりを受け愛と平和を訴える新しいロックが台頭。
全米の若者たちを熱狂させていました。
こうした文化はカウンター・カルチャーと呼ばれ世界中に影響を与えます。
その影響は日本にいた松本たちエイプリル・フールにも届きます。
彼らが頻繁に演奏したのはカウンター・カルチャーを象徴するバンドドアーズの一曲でした。
そのバンドがドアーズばっかり演奏する訳。
じゃあこの「THEEND」っていう曲も…。
やってたドラムたたいてた。
私またこの詞が好きでこれを選ばれたのかと思いました。
何で?だってまだ18ぐらいですよ。
えっだって18だって…。
18で終わっちゃったらつまんないじゃないですか。
でもやった事は意外と面白くて。
新宿の「パニック」っていうディスコティックがあってね花園神社の横にあったんですよ。
近くに「天井桟敷」もあってだから唐十郎さんと寺山さんの間に挟まってるまだ無名の松本っていうのがいて。
面白い夜な夜なドラムたたいてるんだけど。
アングラとサブカルの聖地新宿でコアな音楽ファンの注目を集めたエイプリル・フール。
ついに念願のデビューにこぎ着けます。
そしてオリジナルアルバムの録音へ。
しかしすぐにバンド内で対立が生まれてしまいます。
英語と日本語どちらでロックを表現するべきか。
松本は日本語ロックにこだわりました。
あっという間に口もきかないぐらい険悪なムードになって…そうだったんだ。
頭の中でいちいち翻訳してるとそれだけスピードが落ちるじゃないって思ったのね。
グルーブがあるとかないとかね。
そうするとね翻訳してる回路を通すだけもう遅れちゃうじゃないと思ってね。
そしたらやっぱり生まれた時から頭の中で鳴ってる言葉で歌った方が一番早いっていう。
エイプリル・フールは僅か半年ほどで解散。
日本語ロックにこだわった松本や細野は新たなバンドで再度勝負をかけます。
ギターは鈴木茂。
そして盟友大瀧詠一との大きな出会いがありました。
松本は日本語での作詞に挑みます。

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それは大瀧の家を初めて訪れた日目にした情景を描いたこの歌で始まります。
本当に12月に雨が降ったんですよ1969年か。
雨上がりだった。
大瀧詠一さんに呼ばれて六本木通りの角でタクシー来るのを待ってる間にこういう感じの風景を見てて大瀧さんち着いて今見てきた風景を全部詞にして書き上がったら雨やんでたんでそのまま帰ったんですけど。
その時にもう詞が出来ちゃった。
こういう詞でいいんだろうなっていう。
そしたらしばらくして…今度麻布の僕の家に集まって。
じゃあつまりこの「12月の雨の日」は…これがだからほぼ処女作みたいな。
自分にとっての?うん。
松本が21歳の時はっぴいえんどはファーストアルバムをリリース。
日本の音楽界に一石を投じます。
松本はそれまでの流行歌とは一線を画し目にした情景や出来事を映像的に描きました。
特に心を砕いたのはロックのサウンドに日本語を乗せる事。
これはまだ前人未到の事だったのです。
当時「ロックは英語」が常識。
日本語ロックを拒絶する人もいました。
松本の試みは雑誌でも批判を浴び論争にまで発展したのです。
松本は闘う決意をしました。
「日本語ロックは俺が作る」。
作詞に文学的な表現も持ち込んで高みを目指します。
日本語でロック作るって言ってもさ口では言える簡単に言えるけど実際どういうロックができるかってやってみないと分かんないでしょ。
でも僕の中では絶対できるはずだっていう何か確信がある訳ね。
そして71年満を持してセカンドアルバム「風街ろまん」を発表。
松本は都会に暮らす青年の心象風景を繊細な映像描写で表現しました。
それまでの流行歌にはなかった文学的でおしゃれな言葉選びが音楽界に衝撃を与えます。
こうしてはっぴいえんどは日本のロック界のトップバンドと目されるようになりました。
その後メンバー全員が音楽界を代表するミュージシャンになりますがそれはまだ後の話。
・「風をあつめて」・「蒼空を翔けたいんです蒼空を」斉藤は地元横浜の高校に進学。
しかし内気な性格はますます強まりついに学校も休みがちになってしまいます。
迷ってばかりいる子どもだったので青春時代も。
全然不良とかではなかったんですけど不良っていう言葉も死語ですけど。
何か真面目に学校にあんまり行かなかった。
登校拒否?そこまではいかないんですけど。
うちを出てこうバスに乗るとそのまま終点の横浜駅まで行ってずっと横浜でぶらぶらしてるような。
駅の雑踏の中でず〜っと一人で座ってるような子どもだったので。
うちの家族っていうか…娘を見かねた母が変わるきっかけをつかんでほしいと斉藤に勧めたのはなんと芸能事務所東宝のシンデレラオーディションでした。
うちの母はすごい貧しかったので本当は何か宝塚…歌ったり踊ったり舞台に立ったりって憧れてたんですけど中学出てすぐに働かなきゃならなくて。
だからそういうのもあって何か「オーディション受けてみない?」みたいにして。
それで最終的に最後まで残る事になるんですけどその時に選ばれた何十人かが歌を歌う。
当然その審査の一環として。
その時にみんなそれこそその時代は聖子さんの「赤いスイートピー」とかみんな歌う訳ですよね。
だけど私は「サウンドオブミュージック」を。
歌ったの英語で。
これは生まれて初めて家族で映画館に見に行った映画だったんですこれが。
それまでそんな家族で映画館に連れていってもらった事なくて。
それこそ5〜6歳ぐらいの時だったと思うんですけどだから私にとってはこの歌は…このオーディションをきっかけに斉藤はその後ミスマガジンのグランプリに選ばれ芸能界デビュー。
しかし突如訪れた人生の転機は想像を絶するものでした。
朝から深夜まで雑誌やCMの撮影。
自分の時間は全くありません。
胸さわぎ下さい。
「明星から胸さわぎチャーシュー新発売。
そのあと誘惑ベジタブル」。
もともと内向的だった斉藤は調子よく泳ぎ回れと言われてもうまくできなかったのです。
私がデビューした頃っていうのはアイドルの人っていうのは詰め込めるだけスケジュールを詰め込まれて立派みたいな風潮がみんなあったと思うんですよね。
夜中の2時から表紙の撮影とか雑誌の。
そんな事もあったので。
何かもう頭が変になるような感じで。
それまでず〜っと私はどちらかと言うと一人でいる事が多かった人で一人でいる事がつらかったはずなのにデビューしたらデビューしたでいつもいつも誰かが周りにいて息つけなかったっていうのがすごいつらかったかな。
本当に月並みな事言うの恥ずかしいですけどやっぱり孤独な感じがず〜っとあって。
つらい毎日を慰めるには今が幸せへのステップだと思い込むしかない。
まさにそんな歌詞を歌うユーミンの名曲に自らを重ねました。
その当時いわゆるまだカセットがあってそれを聴いた時に「傷ついた日々は運命が用意してくれた大切なレッスン」っていうその歌詞のところが言ってみればものすごいベタな歌詞なのに普通にそのまんま…まあ人生っていうのはそういうもんですよ。
そういうもんですかね。
うんベタな事に。
そう月並みなね。
大事なんです。
大事ですか?うん。
私それ松本さんから言われたのかな?言わないよ。
いや「真実は月並みなもの」って私もいろんなとこで言うんですけど「あっこれ松本さんが言ったの私どこかで受け売りしてたのかな」って…。
多分デジャビュです。
でも本当そうですよね。
・「きみはダンデライオン」・「本当の孤独を今まで知らないの」内気な少女がなぜか飛び込んだ華やかで過酷な芸能界。
傷つき耐えて明日に向かう日々が続きます。
・「私はもうあなたなしで」日本語ロックという新境地を開拓したはっぴいえんど。
しかし強烈な個性を持ったメンバーは音楽性の違いでぶつかります。
結成3年。
3枚のアルバムと伝説だけを残して解散したのです。
松本は行き場を失いました。
既に結婚し第一子の誕生も間近に迫っていた当時。
生活は追い詰められていったのです。
これからどうやって食べていこう?そんな松本に残された道それは作詞でした。
バンド時代のエンジニアのつてを頼りアイドルソングの作詞コンペに応募。
はっぴいえんど解散から1年半かけてようやくつかんだ初めてのヒットがこの曲です。
でもかわいいと思うけど。
いやもちろんすごいかわいいし…はっぴいえんどでサブカルのカリスマだった松本。
なのになぜ歌謡界へ転身するのか?かつての仲間やファンから裏切りと言われます。
孤独な挑戦の始まりでした。
みんなめんくらって友達離れてってとっても孤独で。
まあ自分で選んだ道だから。
内面の中でね自分の中でもある訳ですよ。
こんな事していいのかっていつもね。
だから証明するしかないなと思ってね。
松本は歌謡界の作詞の常識を変えてやろうと模索します。
愛や恋をストレートに歌うのではなく繊細な心象風景を映像的に描く。
文学的な言葉選びも心がけました。
26歳の時に作った「木綿のハンカチーフ」。
遠距離恋愛をそれぞれの目線から交互に描いた詞は高く評価されました。
松本が書いた曲。
それは歌手の個性を直感的に見抜きそれを最大限際立たせるものでした。
さまざまなスターが松本の詞によって輝いていきます。
20代後半にして歌謡界のヒットメーカーとなった松本。
その創作の源にはロックバンド時代に得た豊富な引き出しがありました。
僕の中の何か多分方法論で…その入り方っていうのがやっぱ最強な気がする。
そこからメインストリームに乗っかったら?メインストリームに乗っかる時はだからそれまで…あと内容もそんなに…そして31歳の時。
歌謡界での挑戦はついに大輪の花を咲かせます。
それは「ザ・ベストテン」で12週連続1位を記録した80年代を代表するこの名曲!これはもう不朽のじゃないですか本当に。
何か3か月ぐらい1位だったんだよねこれ。
だって「ベストテン」って椅子がいっぱい並んでるんですけどそこにルビーの指環椅子がありました。
私はもうあのビロードの赤をずっと覚えてます。
ルビーの指環椅子。
すごいなと思って。
あの人はさミュージシャンなんだよね役者になる前に。
僕中学生の時に「勝ち抜きエレキ合戦」みたいな番組で勝ち抜いてるのを見てたのね。
「この人かっこいいな」と思ってたの。
そういうのがあったんですね。
昔ちょっと憧れてた人からさ詞頼まれるってさ。

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それで3か月1位になる詞を書こうと思った?何かね何となく。
本当に?「風街」って僕の一番ある意味大事な言葉じゃない。
テーマワード。
うん。
それをプレゼントしてるんだけどまあ相手は知らないわね。
どっか気持ちのいい都会感っていうのが必ず松本さんの詞にはありますよね。
苦しみながらも懸命に頑張ってきた斉藤。
18歳で運命の出会いが訪れます。
その相手こそ松本隆でした。
歌手デビューのチャンスを得た斉藤。
その作詞を松本が担当したのです。
プレゼントされたデビュー曲は斉藤由貴のその後を決定づける一曲となりました。
松本は斉藤由貴から周りに流されないしんの強さとそしてはかない魅力を見抜きます。
描いたのは「卒業式で泣かない女の子」。
この詞が内気だった斉藤の個性を輝きに変えてくれました。
出させてもらいました。
何かこの曲聴くと泣きたくなるんだよ本当に。
多分シニカルに見るじゃないですけどそういう卒業式で泣けないという女の子の歌詞っていうものが「そういう女の子っているよね。
いてもおかしくないよね」っていうのが自分で本当にそう思ってそういうふうに歌詞を書いた感じが。
きっとだからず〜っとあるのかなって今の時代も。
だって「すごく分かります」というふうに言って下さる方がこんな30年たっても。
何て言うの…。
みんな支持してるもんね。
うんみんなそういうふうに言う。
多分ね…何か僕はみんな泣いてる人もいるけど…「卒業」の仕事が発注される前に渋谷に斉藤由貴のポスターが貼ってあってまだ斉藤由貴という名前も全然分かんない頃ああこの子かわいいなぁと思ってしばらく見とれましたよ。
本当に?自分でもそういう直感ってさあるんだよね何かね。
会ってない人がああこういう人だなって分かっちゃうみたいなね。
よかった褒めてもらえて。
そういう何か三差路はあるよね。
掛けがえのない一曲と出会い斉藤はいよいよトップアイドルへの階段を駆け上がります。
鷹の羽学園麻宮サキ。
またの名はスケバン刑事!連ドラ初出演となった初代スケバン刑事。
この作品で斉藤はアイドルとして人気絶頂に!だがなてめえみてえに欲のためなら人殺しもいとわねえなんてそこまで魂は薄汚れちゃいねえぜ!あったあった!ありました!更に「朝ドラ」のヒロインに抜てき。
ついに本格派女優としての道を歩みだします。
これが私の書いた文章なの。
私の生まれて初めて書いた新聞記事なの!さすがはわしの孫おりん。
よくやったぞ。
ありがとうみんなのおかげ。
ありがとう!絶頂を迎えた2人。
次週苦難が襲いかかります。
2017/02/20(月) 01:10〜01:55
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「松本隆×斉藤由貴 第1夜」[字][再]

作詞家・松本隆と女優・斉藤由貴が、それぞれ人生の節目で心に響いた「大切な音楽10曲」をテーマに、人生を語り合う。名曲「卒業」の知られざる誕生エピソードも!

詳細情報
番組内容
作詞家・松本隆と女優・斉藤由貴が、それぞれ人生の節目で心に響いた「大切な音楽10曲」をテーマに人生を語り合う。▽デビューからトップアイドルとなった斉藤が、心に抱えていた葛藤。癒やしたのは意外なあの曲だった▽ヒットメーカーとなった松本を襲うプレッシャー。支えた曲は?▽80年代、共に時代の頂点を極めた二人。30年来のお互いを知る関係だからこその本音が語られる▽名曲「卒業」の知られざる誕生エピソードも!
出演者
【出演】松本隆,斉藤由貴,【語り】ヒロ寺平