全文書き起こしサイト

地上波テレビの字幕を全文書き起こします

スポンサードリンク

字幕書き起こし 団塊スタイル「誰にでも訪れる“死”どう考える?」 2016.11.04

「人と一緒が楽しい?」っていう高橋さんからの質問。
みんなならどう答える?高橋さんの考えは番組ホームページで。
人は誰しも生まれた瞬間から死を迎えるその時がやってきます。
誰にでもいずれはやってくる死。
その死について考えてみた事はありますか?厚生労働省の調べによれば日本人の死因の第1位は昭和56年以降連続でがん。
およそ3.5人に1人はがんで死亡しています。
男女ともに50歳代から急激に上がるがんの発病率。
家族や自分ががんにかかり命にも限りがある事を切実に感じ始めたシニア世代も多いのではないでしょうか?去年胃がんの摘出手術を受けた当番組の国井キャスターもその一人。
そんな国井キャスターが自らリポーターとなってその答えを模索している人たちを訪ねました。
その一つが…がんの転移や再発と闘っている人たちが集う場です。

 

 

 


がんとの厳しい闘いの中で不安や恐怖を乗り越えどう生きていけばいいのか話を深める場となっています。
自分が死ぬかもしれないって事は考えた?こちらはキリスト教のシスター鈴木秀子さん。
臨終の人に寄り添い多くの人をみとってきました。
患者さんの手を握り死の恐怖を取り去るように優しく語りかけます。
鈴木さんが見つめてきた人の死とは?生きてる時に…。
誰にでも必ず訪れる「死」。
死を意識する事で生きる事の意味を考えます。
風吹ジュンです。
国井雅比古です。
誰にでもいずれやってくる死について今日は考えていきます。
死というと…。
どんなイメージですか?風吹さん。
いや〜何か無常な感じは印象はありますよね。
でもいずれ自分も死ぬんだって考えるとちょっとまた違ってくるというか。
考え方でいろいろ変わりそうな気がしますけど国井さんは?そうですね。
去年胃がんになって手術を受けてこれから先どのくらい生きるのかな?とかですね。
あとは家族の事を考えたりいろいろ考えさせられました。
それはもう事実です。
さてゲストをお迎えしています。
美輪明宏さんです。
よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
美輪さんはふだん死という事を身近に感じたりする事ありますか?ええそれはございます。
私は死というものは私昭和10年長崎市に生まれまして2歳の時に実母が脳腫瘍で亡くなりましてそれが死との対面の最初でございましてね。
最大のショックだったのは原爆ですね。
「水を下さい」と言うんですね。
だから私もうとにかくお水どんどん末期の水何十人の人にあげたか分からないぐらい。
本当に身近に多くの人の死を見てきたという。
そうですね。
自分の死について考える事はありますか?ませた子どもだったんでね現実派だったんですよ。
神も仏もあるものか地獄極楽クソくらえだと思って。
人間死んでしまえばおしまい。
真っ暗け。
それでおしまい。
あ〜そのように考えた。
それから不思議な体験がいっぱい積み重なってそれから肯定派に転じましたですね。
今日いろいろ死についてあるいは生についてもお話を伺っていきたいというふうに思いますのでよろしくお願いします。
お役に立たないと思いますけれど。
さて最初のVTRですけれどもがんを宣告された人たちが集まる場所に私が行って参りました。
東京・御茶の水。
ここで月に一度開かれている「がん哲学外来」と呼ばれている集まりです。
集まっているのはがんを患っている人たちが中心。
他にも家族や医療スタッフも参加しています。
お医者さんだって入れたって…と思うんですよ。
その多くは比較的症状の重い人たちです。
自分たちの抱える死への不安などをありのまま話し合っています。
自分が死ぬかもしれないって事は考えた?物とかではなくて…そういう事考えましたね。
「死」を意識させる言葉は口にしにくく一番身近な家族や友人にも話せないといいます。
心配させる事が…。
全然私治るから手術も決まってるし…そう思うと何かやっぱり…。
「がん哲学外来」というこの集いは8年前に始まりました。
今や全国に広がり地域の公民館やお寺などおよそ100か所で開かれています。
このがん哲学外来を発案したのは順天堂大学の病理学の教授樋野興夫さんです。
樋野さんは病理診断を下す専門家。
直接患者と接する事はありませんでした。
そんな樋野さんがこの取り組みを始めるきっかけになったのは…。
アスベストの粉じんを吸引すると「中皮腫」というがんの発生率が高まる事が分かり大きな社会問題になりました。
一度発症すると根治する事は不可能とされ死亡率が高い深刻な病だったからです。
当時多くのアスベスト患者を受け入れていたのが順天堂大学でした。
その時樋野さんも初めて患者と接し治る見込みのない患者の不安や絶望に触れる事になったのです。
寄り添う?その気持ちに?樋野さんが立ち上げた「がん哲学外来」。
患者が抱える…それは医療がそれまで真正面から向き合おうとしてこなかった「心の問題」です。
樋野さんはそんな医療と患者の隙間を埋める「場」が「がん哲学外来」だといいます。
樋野さんは悩みが深い患者さんのために個人面談を行っています。
1人30分ほどの時間をかけて対話をするのです。
特徴的なのは最初はカウンセリングと同様に相手の話を黙って聞くだけなのですが聞き終わると例えばこんな言葉を投げかけます。
病の不安や死の恐怖から距離をとり違う角度から考えてみようと問いかけているのです。
そういう事ですね。
こちらは東京・本郷で開かれている…主婦の…去年からここでみんなと話し合う事で死の恐怖や不安を受け止めようとしてきました。
佐藤さんは3年前に最初の食道がんが見つかり手術を終えたそのわずか2か月後に今度は咽頭がんが見つかりました。
抗がん剤の治療は予想以上の苦しみでした。
髪の毛が抜け食事がとれない。
体力もなくなる。
それでも懸命に治療を続けました。
しかし去年1月今度はリンパ節にがんが見つかります。
治療しても治療してもがんは治らない。
このどこにもぶつけられない怒りや絶望感を誰かに聞いてほしい。
誰かと分かち合いたい。
そんな思いを受け止めてくれるのが「がん哲学外来」の仲間たちです。
ここに来てみんなと話をするだけで心が落ち着くと佐藤さんはいいます。
樋野さんとのある日の対話。
「天寿がんでいってみますか?」という言葉をもらって佐藤さんのがんとの闘病生活は大きく変わりました。
「天寿がん」という言葉はがんを抱えたまま命を全うするという意味です。
ちょっと印象深かったので。
実は佐藤さんは去年の7月さらに肺に転移が見つかりました。
医師からはこれまでよりも副作用の強い抗がん剤治療を勧められましたが断る決断をしました。
闘病して苦しむ時間よりも…そう思うようになったからです。
がん哲学外来というのは初めて聞きましたし話し合ってる場所があるという事がすばらしいなって。
私も今回初めてね哲学外来へ行ってみたんですが意外と皆さん何と言うのかな笑顔で自分の病気の事を話し合われたりして元気なんですね。
もっとしょげきってんのかと思ったらそうじゃない。
立ち直る力をその場であの場所で得ていると思うんですけど何が具体的には力になってるんだと思いますか?やっぱりそれはちょっと俗な言い方かもしれませんけど「愛」だと思うんですよね。
愛。
「あなたも大変ね。
私ばかりじゃないんだ」という事でね励まし合う。
自分も励ましてほしいから励ましてあげる。
そういうつまり思いやりが生まれますでしょう。
ただ一般の人を見るとがんすなわち死という見方が割と多いですよ。
治らないものって。
最近はものすごく治るがんが増えてるんですよ実際は。
美輪さんご自身はがんという病気をどのように思われてます?がんだけでね亡くなる訳じゃないでしょう?小学生にバスが突っ込んでって大勢が亡くなったりとか。
死はねそういう病気だとか事故だとか選ばないんですよね。
死はね。
無作為にいつ…。
突然やってくる。
平等にやってくるんですよね。
ですから「がん患者だから」というふうにねすぐ死と結びつけるそういう安易な考え方は皆さんやめてほしいと思いますね。
私は今の話聞いてると死というのは例えば私は心筋梗塞の気もあるんですけどもそちらで一瞬に亡くなった方が「ピンピンコロリ」の方が何となく楽かな?なんて思ってたんですけども逆でしたね。
がんというのは何年にまた再発するかそれは分からない事なんですけども間があるというのかな。
いろいろ考える間がこんなにできてるって事は非常にある面で良かったなという感じはしますね。
自分が何も意識しないであの世へ行くという逆にそれの方がちょっと怖いような気がしますね。
考えてそう思ったんですね。
考えるとね。
結局死と向き合った結果そう思った。
その前はね痛くて何かずっと痛んで痛んでというようなイメージだけしかなかった。
マイナーのね?マイナーの。
本当につらくて嫌でという事しか考えられないんですよね。
だからこっちを向こうとしないんですよ。
プラスの方を向こうとしないで自分で好きでマイナーの方ばっかりマイナーの方ばっかりどんどんどんどん発想を持っていくんですよね。
人生どこの扉をたたいても開かない時期ってございますでしょう?そういう追い詰められた時に一番必要なものは何かというと理知なんですね。
理性。
冷たい冷静さ。
一番邪魔になるものは何かといったら情念・情緒。
朝起きてはあ〜何となく不安で原因もないけれども不安でね不満で何か憂うつだなというふうに思うのは情緒人間になってるという事なんですね。
それを「あっいけない」って。
でもちゃんと生きてるし水も飲めるし歩けるし着る物も食べる物も住む所もあるしそこそこにね。
まあありがたいじゃないの。
結構結構って。
発想をパッと転換すると一日中もつんですよね。
きっとああいう場がある事で皆さんそういう理性を保ててる。
発想の転換ですよね。
という事ありますよね。
そうなんですね。
さて続いてのVTRはがん哲学外来でやり残す事がないように生きようと力強く生きておられる方が登場します。
さいたま市に暮らす…。
おはようございます。
今から12年前医療事務の仕事をしていた50歳の時左胸にしこりを見つけ病院で乳がんと診断されました。
今は肺にも転移し呼吸も途切れ途切れの状況で毎日過ごしています。
実は楠さんの母親も乳がんを患いその後肺に転移34歳の若さで亡くなっていました。
そのため最初に乳がんと診断された時から楠さんの頭をよぎったのはこんな思いでした。
最初の乳がんの手術が成功したあと楠さんは以前からやってみたいと思っていたサックスの演奏に挑戦しました。
これです。
母親が34歳の若さで亡くなった事を思えば今やっておかなければという気持ちが芽生えたのだといいます。
しかしがんが完治したかと思えた8年後せきが続いて呼吸が苦しくなりました。
もしやと病院に行ったところ…。
多発性の肺へのがんの転移で肺のリンパ管にがんがびっしりと詰まっている状態でした。
手術のあと目が覚めた時管につながれながらお墓の準備遺影の準備残していく夫や子どもの事を考え自分はあとどれくらい生きられるのだろうかと死を意識したといいます。
生きがいになっていたサックスを吹く事も諦めざるをえませんでした。
そんな頃に出会ったのががん哲学外来。
樋野さんから投げかけられたのはこんな言葉でした。
…というふうに頂いてるんですが私はまさにその中の…生き生きとした姿を人々の記憶にとどめたい。
楠さんはサックスをまた始める事を決意します。
この日は1年ぶりの演奏会です。
リモコンについたホコリを吹くのも苦しいと言っていた楠さん。
今この瞬間を輝かせて生きています。
とても爽やかな笑顔をされてて意外でした。
強いですよね。
あのね日蓮の言葉でね人はね「死する事を習いてそして事を処せ」。
つまり死ぬという事はいくらね財産が欲しいとかお金が欲しいといってもあの世に持っていけないんですね。
土地もお金も。
じゃあ何を残すかといったら人々の心の中にとにかく惜しまれていつまでも悲しまれて盆暮れ彼岸にはお墓に来てもらうだけのそれだけの事をしていなさいという事。
楠さんは自分が病気で苦しんでいる姿がみんなの心に残っているよりも自分が生き生きとサックス吹いてこんなに楽しく生きたんだという自分の姿をみんな心の中で思ってほしいと。
そういう生き方もできるんですよという事の示唆だと思うんですよね。
どう生きるか…。
それが生活するという事ですよね。
生活というのは生きる事を活かすと書く訳でしょ?生きる事を活かしてない方がたくさんいる。
ただ生きてるだけで。
もったいないですねそれは。
生活してない人が結構いらっしゃる。
楠さんのその強さは何かお母様が同じ病気で亡くなられてるという事をまず受け止めて自分がなった時にどう向き合うかという事も何か強さに…。
大変だったと思いますよね。
深く深く考える事に。
やっぱり葛藤はあったと思うんですけど。
国井さんはそう思いになりませんでした?私はある面では試練というのかな。
最初は戸惑いましたけどもうこれは引き受けるほかない。
これだけのでたらめな生き方をというかな。
お酒も飲み煙草も吸いって好きな事をやってきたからいろんな面で出てくるだろうって事はある面で覚悟してる部分があっていよいよ来たのかなというのはありました。
ただこういう形で来るとは思わなかったですね。
因果応報をお勉強なさった訳ね。
そういう事ですね。
それはそうだろうというふうに納得できるというのかな。
むしろお見舞いに来る人たちの方が顔を背けながら「国井さん大丈夫ですか?」というのがそれがやっぱりつらいというのか「ちゃんと見ろよ」というふうに思うんですけどそういうところがねやっぱりありましたけど。
少し変わったんですか?変わりましたやっぱり。
何て言うんですかね一日一日が大事だって事をものすごく気付かされましたねこれは。
生きてるのがやっぱりねこんな事言うと美輪さんの前であれですけど奇跡だっていうかね。
生きてる事自身がやっぱり奇跡なんですよ。
私が生きてるのは。
本当にそう思いますね。
感謝ですよ。
皆さんにね…「あ〜私はダメだもうダメだ」何とかと思っててふっと見るとでもここにちゃんと存在してるじゃん。
生きてるじゃん。
自分はすごい生命力持ってたんだって。
ふてぶてしいんだという事をね確認すればいいんですよ。
皆さん鏡ご覧にならないんですよ。
こうやってねご覧にならない。
堂々とこうやってね自分の裸を映してみればね自分の生命力があるからこそ生きてきた証拠が映ってるじゃないですかって言うんですね。
その事にやはり感謝するんですねおそらく。
そうですよ。
それは感謝する事だらけでしょ?だから人間一番ね不幸だと思った時まず感謝する事を探しなさいって言うの。
あれも感謝これも感謝あれも感謝。
さて人は最期の瞬間に何を望むのでしょうか?病床で多くの方をみとってきたあるシスターに話を伺ってきました。
都内で開かれていたこちらの講演会。
およそ30名の参加者の前で静かな口調で語りかけているのは…。
福島県にある特別養護老人ホームです。
鈴木さんは深刻な病の患者さんや家族に請われて病床の人たちを訪問しみとってきました。
こちらの患者さんは91歳。
鈴木さんは手を取って静かに語りかけます。
病気の患者さんに触れて呼吸を合わせると患者さんと一体感を感じる瞬間があるといいます。
最期の瞬間は病との闘いも終わり肩書きや役割など全てのものから解放されていく。
死と生は対立するものではなく…そのヒントを探りに国井キャスターは鈴木さんのもとを訪ねました。
多くの人の最期をみとってきた鈴木さんだからこそ分かった事があるといいます。
愛すべき人を愛せずに残ってしまった悔い。
人は最期を迎える時そんな偽りの自分に気付き愛の感覚に満ちた本来の自分に戻る事ができるというのです。
ただね鈴木さん自分の死という事についてはある意味不安が取れたとしても娘とか息子とか孫とかあるいは自分の連れ合いとか残していく訳ですよね。
その人たちが例えば不幸な目に遭っちゃいけない。
だから自分が死んだらこの人たちはどうなるんだろう。
そういう心配と不安を抱えながら死んでいくとすると…。
そしてちゃんとその人が死んでもちゃんとやっていくんですね。
鈴木さんがそう確信する背景にはある特異な体験がありました。
37年前修道院の高い階段から転げ落ちて5時間も意識不明になりいわゆる臨死体験をしたというのです。
そこで一番感じた事はここには時間がないという事だったんです。
時間がないというのは永遠だと。
取り巻いてる全体が金色というか金白色のすばらしい光に満ちていてそしてその中に私が自分が立ってるんですけども満たされてるんですね。
鈴木さんはこの体験を書き記して多くの人に伝えようとしましたがなかなか理解されませんでした。
遠藤周作さんだったんです。
遠藤さんはこう言ったの。
遠藤周作さんに励まされた鈴木さんは今日もこう伝えています。
それほどまでに死は輝きを放っていると。
何かこう…人間の命には限りがありますけど死というのは自然な事?大きな自然な中の全く自然な事なんでしょうね。
自然な事なんだなって思いますよね。
私がね今のを拝見しててキリスト教仏教も申し合わせた訳じゃないだろうに同じ事をしてるんですね。
臨終の人の枕元に行ってそして思い残す事がないように全部吐き出させて。
今鈴木さんがやってるのと同じですね。
残念というつまり念を残すという事をさせないで想念をきれいにして思い残す事がないように全部告白する。
それが仏教でも枕元で枕経を上げてそして引導を渡して。
おまえはもう生きてるんじゃない。
死んだんだよという事を言ってる。
同じ事を…。
さっき仲直りといった事ですね。
この世に思い残す事がないように。
自分が生きてる間にちょっとすれ違ってしまったりお互いにちょっと憎しみ合うというのかな。
そういうような事がある場合にそれを取り返したくなって仲直りしたいという気持ちに最期なって全てそれが終わって穏やかに…という話でしたけどね。
死というのはねつまりあの世に帰れる訳ですよ。
あの世というのはどういうものかといったら想念の世界なんですね。
想念?時間も空間も距離もないんですよ。
あらら。
じゃあさっきのよく似てますよね。
鈴木さんのおっしゃってたように時間がないって。
「地獄極楽は胸三寸にあり」といってその人の想念がそのまま住む所になるんですよ。
例えばまがまがしくてねいやらしいそういう毒蛇のような人は毒蛇がグジャグジャいるような真っ暗闇のそういう陰惨な所。
悪い人悪い人格の人というのはそういう所に住むの。
はんなりしてて優しくて思いやりがあって人に対していい事をやってね。
とにかく感謝されて自分の本当に優しい慈悲の心があってそういう人はそれがそのまま住む所になるんですよ。
だから自分自身なんですよ。
自分自身がどうにでもすると。
だから死を恐れる必要はありませんよって言ってるんですよ。
一番恐ろしいのは自分自身ですよって。
念を残さないための何かアドバイスってございますか?それは生きてる時に……事しかないんじゃないでしょうか。
日々ね。
日々。
本当に積み重ねが必要ですね。
日々の積み重ねそりゃね。
だからでもこの世の中ってこれでもかってそれを阻害しようという魔の力が強いですからね。
「正負の法則」で。
だから正負というのはプラスとマイナス。
陰と陽。
吉と凶。
このバランスですよね。
それに負けないように生きていくという事は大変な事ですよね。
悪い男も悪い女も魅力がありますからね。
悪い事というのはスリルがあってね魅力があるでしょう?はいありますね。
だから人生はいろいろ楽しい事があるんだと思いますね。
業が深かったりね。
それをねいかに自分の業と闘えるかという事がね一番の命題ですよね。
美輪さんまたスタジオに来て頂いてその続きの話をじっくり。
お邪魔でなければ。
是非。
おやかましゅうございますけれど。
限られた時間にどうもありがとうございました。
とんでもございません。
ありがとうございました。
今日はりんごのフルーツティーです。
セイロン紅茶にフレッシュなりんごとそれからドライフルーツになったりんご両方入っています。
この冬の季節りんごねいっぱいいろんな種類出てますからいろいろ楽しめますよね。
さあどうぞ。
いただきます。
寒い夜に良さそうですね。
そうですね。
ドライの方の甘みとそれからフレッシュの酸味が。
甘いなあ。
自然な甘みと酸味でおいしいですね。
これは飽きないですね。
香りがいいし。
あ〜疲れが取れますね。
不思議な時間でしたね。
今日ねテーマが「死」という事で。
まあ生きているから考えられるんですけど。
死に向かう事がネガティブではなくて次があるというふうに思えるといいですよね。
私も具体的になるとどこまでそのように安らかな気持ちになれるかどうか分かりませんけれども何か今ちょっと過熱した頭で考えると全部逆説的になるけども生は死であって死は生でありその事がつながっていくという感じが今日の過熱した頭の中で感じております。
風吹さんは?「問題の解決にはならないけど解消になる」という先生の言葉があった時に解消しながら前向きに残された時間をいかに大切に生きられるか。
どう皆さんと接する事ができるか。
残った人たちに何を残していけるのかという事をとても大切に考える時間を作ってらっしゃる。
それも美輪さんのような考え方を一つ吸収する事で残った時間が変わってくるような生かされた時間が変わるような気がしましたね。
その知恵ですよね。
考えましたね今日は。
2016/11/04(金) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「誰にでも訪れる“死”どう考える?」[解][字]

死を意識することで輝いて生きるがん患者や、多くの人の最期を看(み)取ってきたキリスト教のシスターを通して、生きること死ぬことの意味を、美輪明宏さんとともに考える

詳細情報
番組内容
人は誰しも生まれた瞬間から死を迎えるその時がやって来る。今回は、2つのリポートを通して死について考える。一つは「がん哲学外来」と呼ばれる集い。がんを患っている人達が互いに語り合うことで、死の不安を乗り越え生きる元気を取り戻してゆく。もう一つは、多くの人の最期を看(み)取ってきたキリスト教のシスターが見つめてきた生と死の真実。独自の死生観を持つ美輪明宏さんとともに、死を通して生きる事の意味を考える。
出演者
【出演】美輪明宏,【司会】風吹ジュン国井雅比古,【語り】バッキー木場