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字幕書き起こし 歴史秘話ヒストリア「戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔」 2016.11.18

始まりました「歴史秘話ヒストリア」。
私は今山形県に来ています。
後ろを流れるのは山形のシンボル最上川です。
大きいですねえ。
雄大でどこか心がほっこりする懐かしい景色がいっぱいです。
こんなすてきな山形に…とてつもないワルとうわさの戦国の兄妹がいました。
あっ…くっ…!例えば実の息子を毒殺しようとする場面。
平均視聴率がずばぬけていたこの大河ドラマでは名優原田芳雄さん岩下志麻さんが演じていました。
政宗の首をはねて関白に献上いたすのじゃ。
聞いたからにはそなたも一味じゃ。
山形の武将…ところがゆかりの品々からは2人の意外な素顔が浮かび上がってきました。
戦国の花嫁衣装から見えてきた兄妹の心とは…。
(銃声)兄の兜に残る銃弾の痕。
それは一体何を物語るの?うおおお!
(雷鳴)そして妹は意外や意外あのヒーローを叱り飛ばす…ふん!はっ!「政宗…」。
あの真田丸と同じ時代を生きた最上兄妹。
その知られざる素顔に迫ります。
山形県山形市。
かつて「出羽国」と呼ばれました。
ここに乱世に勝ち残るためには手段を選ばない兄妹がいました。
戦国武将の…2歳年下の妹…後の記録に記された2人の評価は「奸悪」。
心の曲がった悪人。
一体どれほどの悪事を重ねてきたのでしょうか?ここで早速最も被害を受けた方にお聞きしてみましょう。
月が輝く漆黒の兜。
独眼竜の戦国ヒーロー伊達政宗さんです。
(政宗)
わしがその被害者伊達政宗じゃ。
そもそも義姫はわしの母。
最上義光は伯父にあたる。
これほど近き間柄ながらこの2人には何度も煮え湯を飲まされ申した
母・義姫は政略結婚で嫁いできた。
最上と伊達は隣国同士だったからじゃ
永禄10年わしが産声を上げ間もなく弟も生まれた
男子を2人も授かって伊達家も安泰と思われたのじゃが…
母上は弟ばかり愛しわしを顧みる事はほとんどなかった
まあどこの家のお兄ちゃんにもよくある事ですよ?
さにあらず!
わしが幼い頃の事じゃ。
わしは大病を患い生死の境をさまよった。
…にもかかわらず母上は一度も見舞いに来なんだ。
一度もじゃ!
病でわしは右目が見えなくなってしもうたがそれを跡継ぎらしゅうないとますますわしを嫌った
それは政宗さん確かにかわいそう…。
あの義光めも負けず劣らずの悪人じゃ!常に伊達家をねらっておった。
そもそも義光は最上家当主の座を父親から力ずくで奪っておる。
父親が伊達家と親密だったからじゃ
更に伊達に味方した武将たちも次々と攻め滅ぼした。
そのやり口も汚い。
武将の家来をひそかに裏切らせ主君を討たせる
(刺す音)
仮病で相手を誘い出し見舞いに来たところをバッサリ
う〜ん…でも強い戦国武将は誰でも似たような事してません?
してても駄目じゃ!コソコソとひきょうな手など使わず正々堂々勝負せい!
出陣じゃ!
ついに堪忍袋の緒が切れたわしは反撃を開始した
我が伊達勢は国境の中山峠に迫った。
あとは山形に攻め入るのみ。
そう思っていたのだが…
なんとあのお方が我らの前に立ちはだかった。
母上は伊達と最上がにらみ合う戦場の真ん中に居座った。
80日もだぞ!
わしを嫌う母上は義光と結託してわしの邪魔をしに来たのだ!
…とはいえ結局わしは兵を引いた
いくらわしを嫌っていてもわしの実の母じゃ。
危ない目には遭わせられぬ。
されど…そんなわしは甘かった!
中山峠の一件から2年後。
わしは母上から食事に招かれた。
めったにない事であった
母上とかように膳を共にするのは久しぶりじゃ。
政宗うれしゅうございます。
伊達家当主ともあろう者が何を子供のような事を。
ふふふ。
(政宗)あっ…ぐ…!ど…どうしたの?政宗さん!
突然腹に猛烈な痛みが走った。
母上がわしの食う菓子に毒を盛ったのじゃ
母上お一人の考えではあるまい。
黒幕は間違いなくあの最上義光よ
(家臣)と…殿!
(家臣)いかがなされましたか!?
(家臣)殿!
(家臣)お気を確かに!
間一髪わしは助かった。
しかしこうなっては母親といえども許せぬ。
…が母・義姫はそのあとすぐに山形の義光のもとへ逃亡した。
わしも伊達家も捨てたのだ
どうじゃ最上兄妹の悪人ぶりとくと分かったであろう

 

 

 


後世に書かれた伊達家の記録が伝えるのは政宗の命まで狙うまさに邪悪な兄妹の姿でした。
ところが近年兄妹のこうした人物像を覆す決定的な発見がありました。
あれが岩出山城。
やって来たのは宮城県北部にある岩出山城跡。
毒殺未遂事件の後政宗が暮らした場所です。
こんにちは。
こんにちは。
「ヒストリア」の井上と申します。
佐藤です。
その過程で発見したのがこちら。
政宗の教育係だった僧侶の手紙です。
注目は「義姫が今月4日の夜最上へ逃げた」という部分。
実はこの手紙毒殺未遂のあったとされる年から4年も後に書かれたものです。
という事は……という事になるわけですか。
そういう事になりますねはい。
しかもその4年の間には政宗が母・義姫にはやりの着物をプレゼントしたり逆に義姫がおこづかいとして3両のお金を政宗に送ったり母子仲良く暮らしていた事が当時政宗自身が書いた手紙からも明らかになっています。
…というふうに考えています。
更に政宗の戦を邪魔したとされるあの行動にも全く別の理由がありました。
ふん!はっ!片桐さんは義姫が考えていたのは伊達と最上の和睦だったといいます。
中山峠で義姫が書いた手紙にもその事が記されています。
「戦場には私の意思で参りました」。
これまで悪人と見なされてきた最上兄妹。
しかし新たな研究によって全く別の姿が浮かび上がってきたのです。
山形市の最上義光歴史館に来ています。
ここに義光の実像を伝えるものが展示されています。
それがこちらの歌です。
義光が得意だったのは「連歌」。
仲間同士で歌をいくつも詠み続けるものです。
義光の歌集の数はそうそうたる戦国武将たちの中でもトップ3に入るほど。
そしてこれは…義姫も能や雅楽をたしなむ教養の豊かな姫君でした。
兄妹が生まれた山形は最上川や日本海の水運によって京の都と文物の行き来が盛んでした。
そのため2人は幼い頃から都のみやびな文化に触れながら育ったのです。
しかし時は戦国乱世。
このあと最上兄妹はイバラの道を歩んでいきます。
義光には駒姫という娘がいました。
…であると評判でした。
しかしこの自慢の娘の美しさが思わぬ事態を招く事になります。
ある人物が山形城を訪れました。
こちらは我が娘にて当年11にあいなりまする。
義光が娘駒にございます。
いい。
(秀次)これほど見目麗しき姫がおられるとは知らなんだ。
どうであろう。
これなる駒姫を京のわしの屋形に是非迎えたいのだが。
いやその儀は…。
女好きで知られる秀次には正室の他におよそ30人もの側室がいました。
山形育ちの駒姫が都でしかもあまたいる側室の一人となって幸せになれるのか。
義光は秀次の申し入れを丁重に断ります。
何分娘はいまだ幼く礼儀作法も身につけてはおりませぬ。
秀次様のおそばに仕えさせるなど恐れ多き極みにて…。
義光殿!天下のあるじ豊臣家に逆らうおつもりか?いえ決してさような事は…。
駒姫が幼く礼儀作法も未熟と申すならよかろう。
3〜4年待とう。
その間にようしつけよ。
(義光)ははっ。
都で待っておるぞ。
ハッハッハッハッ!強大な豊臣家をバックに持つ秀次に義光は従わざるをえませんでした。
娘に礼儀作法を教えるのは母親の務め。
しかしこの時駒姫のそばに母はいませんでした。
当時大名の妻は京で豊臣家の人質になっていたからです。
そこへ最上家に現れたのが伊達家から戻ってきた義姫でした。
能や音曲をたしなむ義姫の名は天下人・秀吉にも知られたほど。
母親代わりとして駒姫に手ほどきをする事になりました。
琵琶をはじめ和歌やお茶。
どれも都での暮らしに欠かせない事ばかり。
そういうのはあったと思いますよ。
月日は流れ駒姫は15歳になりました。
お駒見事じゃ。
腕が上がったのう。
ええほんに。
それはそうとお駒父上からそなたに授けたいものがあるそうじゃ。
この時義光から駒姫に贈られた品が今も残っています。
こちらが最上義光の娘の駒姫様が着ていた衣装の一部でございます。
当時大変貴重だった絹で織られた打ち掛けです。
金糸もふんだんに使って刺繍されているのは松竹梅。
そばで大きく羽ばたいているのは幸せのシンボル鶴と亀。
義光は娘のために最高の品々を取りそろえ飛び切りの花嫁衣装をあつらえたのです。
やがて駒姫が山形を旅立つ日がやって来ました。
お駒くれぐれも体をいとうて病などせぬよう。
叔母上様これまでの数々のご厚情駒は決して忘れませぬ。
都では誇りを持って最上の名に恥じぬよう生きるのですよ。
はい。
お駒。
出立の刻限じゃ。
駒姫はおよそひと月後京に到着します。
しかし…。
(雷鳴)駒姫が身を寄せるはずの関白秀次が切腹。
叔父・秀吉に対する謀反の疑いで都は騒然としていました。
(兵)いたぞ。
(侍女)きゃあ!
(侍女)無礼者!ここをどこと心得る!
(兵)知れた事。
謀反人の屋敷よ。
謀反人は妻子も謀反人ゆえなあ。
秀次の正室と側室その子供まで処刑が命じられます。
義光は駒姫だけは助けてくれるよう豊臣家に懇願しました。
慈悲をもってその罪減じられたく何とぞ…何とぞ太閤殿下におとりなしを!ええい離せ!娘の心配などしておる場合か!義光も秀次の一味として謹慎を命じられ駒姫に会う事すら禁じられてしまいました。
処刑の前日。
最上の名に恥じぬよう生きるのですよ。
心の声私は最上のおなご…。
駒姫は山形から付き従ってきた2人の侍女を呼びました。
今日までよう私に仕えてくれました。
礼を言います。
最後に私からの頼みを聞いてくれまいか。
かしこまりました。
死に装束姿の駒姫は都じゅうを引き回されます。
(兵)ここに座れ!駒姫の処刑は11番目。
当時の記録には「幼い少女だが最期の時もさすが大名の姫として落ち着いていた」と記されています。
心の声父上様叔母上様…。
駒姫が亡くなった後。
鶴と亀が刺繍された駒姫の花嫁衣装。
駒姫最後の頼みとはこの着物を形見として残してもらう事でした。
駒姫がね…
(涙声で)何たる…何たる事か!お駒…!駒姫の悲しい最期を知り義光が口にした言葉が伝えられています。
「これはわしがこの世に生まれる前前世からの因縁か。
前世にわしは何か罪を犯しその報いを今受けているのか」。
そこには乱世の悪人ではなく愛娘を失った無念と悲しみを抱いて生きなければならない一人の父親がいました。
義光はその後間もなく山形市内のこちら専称寺で駒姫の菩提を弔いました。
境内に駒姫が使っていた部屋を移築した義光は度々一人でここを訪れていたそうです。
部屋の板戸に描かれているのは鶴の絵。
あの花嫁衣装の鶴にも似たこの絵を見つめ娘を悼む日々を送っていたのかもしれません。
しかし義光はただ乱世に翻弄され堪え忍ぶだけの男ではありませんでした。
こちらは義光が戦場で用いた武器です。
長さ87cm刀よりも重いおよそ2kg。
「山形出羽守」と刻まれたこの鉄の棒にはふるさとの危機に立ち向かう義光の姿が秘められています。
駒姫が亡くなって3年後。
最上家に悲劇をもたらした豊臣秀吉が病死。
すると徳川家康が天下取りに向け動きだします。
義光に家康から手紙が届きます。
「最上殿は会津の上杉を攻められたい。
出陣する我が徳川の味方としてである」。
豊臣家にくみする上杉家と領地が接する最上家はいやおうなしに徳川対豊臣の戦いに巻き込まれる事となりました。
義光が命じられたのは東北の大名たちと共に攻め込む事でした。
総勢1万7,000。
3万以上の上杉軍を徳川・伊達などの大軍と挟み撃ちにする作戦でした。
しかし…
(家臣)申し上げます!徳川勢が陣を…陣を引き払いました!兵を引いた?どういう事じゃ!義光を置き去りにして西に向かった家康。
事態は天下分け目の関ヶ原へと動いていました。
悪い事は重なります。
何?政宗が上杉と和睦だと!?すると義光と陣を共にしていた大名たちは我先にと国元へ帰ってしまいます。
残るは1万足らずの最上軍だけだと知った上杉家は一気にたたき潰そうと動き始めます。
豊臣家と通じる強大な上杉家。
最上家だけでは到底勝ち目がありません。
しかし今更降伏しても領地はおろか命も無事で済むとは思えません。
心の声わしは大きな力を持つ者にいつも振り回されてきた。
最上の家はそうしたさだめなのか…。
父上様。

(琵琶)心の声お駒…。
そうだそなたを豊臣のつまらぬ争いで奪われた。
もうこれ以上踏みにじられるわけにはいかぬ!かかれ〜!
(一同)お〜!その最上に対し…。
上杉軍はおよそ3万もの軍勢で山形に攻め寄せます。
総大将は愛の兜の…
(兵たちのおたけび)兼続率いる上杉軍の猛攻に最上の城は次々と落ちそこにいた者は皆殺しにされます。
一週間もたたないうちに義光の居城山形城のすぐ近くまで攻め込まれてしまいました。
心の声お駒すまぬ…。
そこへ現れたのが義姫でした。
兄上私に考えがあります。
(義光)考え?はい。
政宗に援軍を出してもらうのです。
しかし伊達は上杉と和睦しておるぞ。
政宗は我が子。
そうか。
ではお義頼む。
はい。
この時の義姫から伊達家宛ての手紙が残っています。
義姫がしたためたものです。
しかし伊達軍に動く気配はありません。
翌朝義姫は再び筆をとります。
その文面はすさまじい気迫に満ちていました。
特に20日の書状は…そして2日後。
ついに伊達の援軍がやって来ました。
「母上すぐさま向かいます!」。
ようやったお義!これで勝てるぞ。
兄上かくなる上はお駒の無念を。
おう!
(兵たちのおたけび)時を移さず最上・伊達連合軍は反撃に出ました。
(義光)押し出せ!義光自身もあの鉄の棒を振るって敵軍に打ちかかります。
ひるむな!進め〜!その時!
(銃声)この戦いで義光がかぶっていた兜です。
兜の鉢に残る直径およそ2cmの鉄砲玉の痕。
直撃した敵の銃弾は兜を貫通しませんでした。
お駒…わしはまだ死ぬわけにはいかぬ。
うああ…!うおおお!うわあああ!そして義光はついに上杉軍を打ち破りました。
最上義光と義姫。
悪人と伝えられてきた2人の素顔は命を賭してふるさとを守り抜いた強い心の兄妹だったのです。
義光と義姫が暮らした山形城。
昭和52年ここに義光の銅像が建てられました。
鉄の棒を振りかざして山形を守った武勇と戦で荒廃した町をよみがえらせた功績とをたたえるものです。
焼け野原となった城下町に彩りを取り戻すため義光が始めました。
程なく山形は「多くの柳や桜の木で華やかな町に生まれ変わった」と地元の記録に記されています。
義光の命で作られた用水路…全長およそ10kmのこの用水路が出来ると新しい田畑や村が増えていきました。
北楯大堰は「宝の堰」として今も山形の地を潤し続けています。
69歳でこの世を去った義光。
いまわの際に詠んだ漢詩です。
「私は敬いと慎みの心をずっと持ち続けてきた。
たった今我が命は天に帰る。
この世に生を受ける事60有余年さまざまな事があった。
今は山形に咲いた花々に感謝を捧げ眠りにつこう」。
ふるさとを愛しその発展に力を尽くした最上義光と義姫。
2人の歩みは今も山形の暮らしに息づいています。
2016/11/18(金) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔」[解][字]

戦国一「邪悪」と言われた山形の武将・最上義光と妹・義姫。しかし新たな史料からその素顔が明らかに。大河ドラマ「真田丸」と同じく家族・故郷を大切に生きた武将の物語。

詳細情報
番組内容
戦国の英雄・伊達政宗の毒殺を試みたとして、「邪悪」であると歴史書に記録され、その後、現代に至るまで“戦国一のワル”と呼ばれる兄妹がいる。山形の戦国武将・最上義光と妹・義姫だ。しかし近年、新史料の発見により毒殺未遂は史実ではなかったことが明らかに。時の権力者から翻弄されながらも、兄の武勇と妹の機転で故郷を守り抜く姿が見えてきた。大河ドラマ「真田丸」と同じく家族・故郷を大切に生きた戦国武将の物語。
出演者
【キャスター】井上あさひ