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字幕書き起こし サワコの朝【岩崎宏美▽心に響く歌声の秘密】 2016.11.19

(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストこの歌姫がデビューして以来ずっと美しい声を輝かせているこの方がなんと去年デビュー40周年を迎えたという大ベテランになっていらっしゃいます。
岩崎宏美さんです。
おはようございます。
おはようございます。
よろしくお願いいたします。
どうも。
ふふふっ。
ふふふっ。
な…何?何?私より小さい人ってなかなかいないんですよ。
えっそうですか?だから結構うれしいです。
かわいい。
ふふっ…はい。
あははっ!どうですか?40周年を迎えて。
もう一段落?そうですね。
今までどおりはとても無理なんですけれどもこれからはとにかくちょっとのんびり構えながら大好きな歌を歌っていきたいなと思ってます。
歌に飽きるっていうことはないんですか?それはないです。
ないのね。
これだけの声を持ってりゃね。
いいなほんとに。
(ナレーション)今日のゲストは…。
15歳の時に「スター誕生!」で脚光を浴び翌年歌手デビュー。
そして2枚目のシングル「ロマンス」で新人賞などを総なめにしました。
・あなたお願いよ・席を立たないでその美しい歌声が高い評価を受けたのです。
その後も…。
・さあ眠りなさい・疲れきった体を…「聖母たちのララバイ」などのヒット曲でNHK紅白歌合戦に14年連続出場を果たしました。
去年デビュー40周年。
・青春はこわれものそんな岩崎さんの歌手人生の中で最も忘れられない出来事が…。
後にこの家でああこの人すごい面白い人だって。
(一同)あははっ!今日は岩崎宏美さんが人生をかけて歌い続けてきた秘話をサワコに語ります。
なんか40周年のコンサートの中で妹さんと…良美さんと…。
あっ今回8年ぶりに妹がゲストで出てくれて今…。
8年ぶりだったんですか?そうなんですよ。
あの〜もともとレコード会社も違うし事務所も違うので…。

 

 

 

 


(阿川・スタジオ)ああそうか。
(岩崎・スタジオ)二人で仕事ってあんまりなかったんですね。
(阿川・スタジオ)へえ〜。
いくつ違いでいらっしゃったんだっけ?
(岩崎・スタジオ)3つです。
(阿川・スタジオ)3つ。
でもやっぱり姉妹だとこうあうんの呼吸で声が合うっていうか…。
(岩崎・スタジオ)そうなんですよ。
久しぶりに歌っても…。
でなんかね最近私も妹によく間違えられるんですよ街とか歩いてても。
「あっ岩崎良美さん」って。
ええ〜!?で私も違うのになぁと思いながらももう面倒くさいから…そう「ああ…」なんて。
あははっ!そんな感じ。
4つ上に姉もいるんですけど姉も似てます。
はい。
あの〜私たち東京深川…下町生まれで。
この方ね本当にエレガントに…まあエレガントなんですけども「てやんでい!だからなんでい?」ってこうねそっちの方向の…。
そっちで生まれて学校が成城学園だったので。
あっじゃあ両方…。
クラスでいちばん遠かったの。
深川から成城まで通っているのはもう私たち姉妹ぐらいだったので。
1時間以上かかる…。
1時間半ぐらいですね。
うわぁ〜。
あっそう?はい。
でお稽古事も…。
お稽古事は小学2年から姉が歌を習いはじめたので母がやはり3人平等にっていうことで私も妹も小学校2年から歌を習いはじめて。
へえ〜。
あの〜曲をね一曲選んでいただいている今でも記憶の中で輝いている曲は…。
もうね私にとっては絶対に忘れてはいけない曲が小坂明子さんの「あなた」。
もうねえ〜。
私にとっても忘れられないっていうかね…。
何かあるんですか?いやいやそういう生活を夢見てあの歌を歌ってたんですけどね。
でもあれってすごくなんかこう自分の夢を語ってるみたいなんだけれどもその「あなた」はどっかに行っちゃってる悲しい歌なんですよ。
そうなんですよね!そうそう…。
それは…。
これはね中学の時に…。
これもデビューする前?前です。
で「スター誕生!」を受ける時に桜田淳子さんの歌と小林麻美さんの歌と小坂明子さんの歌と3曲自分の中では候補曲があってでもやっぱりいちばん小坂明子さんがなんとなくあの素人っぽい歌がねなんかこう親しみを感じて。
新宿でよくみんなであの〜学校の帰りにちょっと寄り道とか買い食いとかする時に…。
成城の帰りに小田急線に乗って?そうです。
新宿ではソフトクリームとかあとよく立ち食いそばとか…。
立ち食いそばまで行ってたんですか?お嬢ちゃん。
そう。
その時に外でかかってたんですよ。
これだ!と思ってそのままレコード屋さんへ入って「今ここで流れてるこのレコード下さい」って言って買ったの。
もうひと耳ぼれみたいな。
そうです。
ほう。
すごくすてきだった。
ふふふっ!これをねだいぶ年取ってからね学生時代の友達と一緒にカラオケに行って私がこれを歌ったの。
そしたらみんながね「別の意味で泣ける」って。
あははっ!「阿川かわいそうすぎる。
今のあんたの心境ぴったり」とか言われちゃって。
かわいそう…。
カットしてくださいこんな話は。
ほんとに今聴いても私の歌かと思っちゃった。
あははっ!でもなんかこれ彼女がこれ作詞作曲をされてるわけじゃないですか。
すごくすべてが大人っぽくて…。
暖炉があるしね…。
暖炉は憧れたし。
これ…この歌でそれでじゃあ「スター誕生!」に…。
受けたんです。
受けて見事合格して何本ぐらい立ったんですか?8本。
8本もレコード会社の人たちが。
レコード会社とプロダクション。
プロダクションと。
その時はまあ歌手になりたいって気持ちは…。
もちろんありましたね。
で欽ちゃんが…。
欽ちゃん。
「さあそれでは」って…。
欽ちゃん司会だったので…言ってくださった時にあの〜手を上げてくださる方もプロダクションの方とかレコード会社の方ってある意味素人じゃないですか。
でこうみんなプラカードを持ってるから次例えば上げようとしている人の動きがあるわけですよ。
それでね私が「1番岩崎宏美」って。
なんかもっと言いたいことがあったんだけれどもなんかこうモゾモゾして上げようとしてる人が見えたの。
もしかしたら上がるかもしれないと思ったらちょっと一瞬泣きそうになっちゃったんですよ。
上がるかどうかも分からないのに。
それで「どうぞよろしくお願いします」って言いたかったのに「どうぞよろしく」って言ったの。
生意気でしょ〜?私もう嫌になっちゃった。
嫌になっちゃっても…。

(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
だいぶ慣れてきたぞ。
意外とできるのね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
和食の厳選レシピが50種類選べるレンジ。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
どう?なかなかのもんだろう。
ふふっご自分でおっしゃるんですね。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」ええ〜っと山口百恵さんの方がちょっと先輩?ええ〜っと3年ぐらい先輩です。
昌子ちゃんが4年先輩で百恵ちゃんと淳子ちゃんが3年ぐらい先輩で1年先輩が伊藤咲子ちゃん。
み〜んな同い年ですけど。
同い年だけどデビューは4年先輩だったり3年先輩…それで中三トリオでもうあの三人がこう活躍している…。
もう大スターの時に私はデビューしてるので。
デビューして。
じゃあその後ろ姿というか前姿というか様子をじっと観察してたっていう感じ…。
結構見てましたね。
どんな感じだったんですか?あの〜「スター誕生!」で初めてハワイに連れてってもらった時にも私は全然新人だったので仕事もないしあの〜剣道部の後輩がハワイに住んでたのでその子と一緒にホテルのロビーでなんか2人でペラペラしゃべってたんですね。
そしたら百恵ちゃんと三浦君が…。
三浦君って?三浦友和さん。
ああ〜はいはいはい。
あの〜帰って来たんですよ。
お昼間ですよ。
あっ百恵ちゃんだ!と思って。
でも挨拶もしたいんだけれども私は新人だしそんなしゃべったこともないしなんかこう逃げようとしたんですね。
で逃げようとしたら「宏美ちゃん何してるの?」って言われて。
で「はい。
私は今お友達とお話をしていました」って。
小学生みたい。
「私は今お友達とお話をしていました」。
そしたら百恵ちゃんが「私は今グリコのコマーシャルを撮って三浦君にお部屋まで送ってもらうところなの」って言われた時に同じ年なのにこの違いは何なんだって…。
(スタッフ)あははっ!あははっ!ねえ16歳でお部屋に送ってもらう人ってなかなかいないですよね。
殿方に。
俳優さんに。
そう。
もうあまりに格好よすぎちゃって。
思い出してみても大人っぽいっていうか…あとアイライン?なんていうんですか目の上にひゅ〜っと1本だけ百恵ちゃんっていつもこうきれいに…切れ長の目だったんでひゅ〜って引いてたんですよ。
で私それをいつも見ててねすてきだなと思ってて「ああすてき」って言ったら「じゃあ宏美ちゃんにも引いてあげる」って言ってね私の目にこうやって引いてくれてたんですけど私今二重なんですけどねその時奥二重だったみたいなんですよ。
引いても引いても目の奥に隠れちゃうわけ。
ペタッと?そうそう。
あのころって何?アイドルの人みんな自分でお化粧してたの?もちろんですよ。
ヘアメイクついてるのジュリーだけでしたよ。
あははっ!ほんと!?うんほんと。
み〜んな。
で私はこういうおかっぱでしたのでもう最初からボブカットヘアでしたよね。
「スタ誕」の時に顔がでかいって言われたんですねスタッフの方に。
それで私ショックで前髪切ったんですよ。
それであの頭になったんですね。
そんなひどいアドバイスがあったの。
そうそう。
だから昔の…前髪はすごく分厚かったのでおでこにファンデーション塗ってなかったし眉毛もいじったことなかった。
じゃあこうやったらすっぴんだったの?うん。
あははっ!こっから下だけファンデーション塗ってた?衣装は?みんなかわいい格好してたじゃない。
衣装はすごくかわいい衣装とボーイッシュな衣装とちょっとミニスカートっぽい衣装を3点私のプロダクションが作ってくださったんですけれどもどれも似合わなくて。
でふだんの格好の方がいいなっていうことになり私はすごいアイビーでトラッドだったのであの〜コインローファーにソックスにあの〜ボックスのスカートとボタンダウンのシャツにまあエンブレムの付いたジャケットみたいな…。
そんな感じだっけ?うんそうでしたよ。
じゃああんまりひらひらしたものは…。
全然似合わなかったもん。
だってここパッツンだからね。
いやいや…。

(作業員)お先に失礼します。
(でんきやさん)はいお疲れさん。
《たとえですねお風呂のリフォームだとしてもここをこうしてやったらお客さんが喜ぶっていうところをいっぱい見つけてその家全部がキレイになるそこまでせんばいけんそういうふうに考えてますね》念願の風呂場できてよかったね。
(女性)は〜よかった。
お風呂以外にもこんなにキレイにしてもらってもうびっくりした!どこもここもでんきの暗いのはみんな変えてもらったしワックスかけてもらったり家中が光ってます。
よかったです。
ありがとう。
またねお願いしますね。
は〜い。
(ナレーター)日本の移動シーンは進化する。
海外からのお客さまをお迎えする空港。
そこで新しい安心と快適が動き出しています。
LEDの光から情報を受け取り目的地まで自動で案内。
もちろん安全な移動もサポートします。
そのやさしさは今様々な都市空間へ。
オドロキが常識を変えていく。
じゃあデビューして以来ほんとに休む暇なく…。
そうですね。
まあほんとに「二重唱」でデビューして「ロマンス」「センチメンタル」と…。
(岩崎)これ3か月に1枚ずつ出してますからね。
これ4月の25日7月の25日みたいな。
あははっ。
雑誌じゃあるまいし。
(岩崎)あははっ。
ほんとそうなんですよ。
だから年にこのへんとか4枚ですよね。
年に3枚4枚。
(岩崎)でもすごい楽しかったし…。
つらくなかったんですか?
(岩崎)つらくなかったんですよ。
後にこの「シンデレラ・ハネムーン」はコロッケがマネしてくれてちょっと休んでいる時期つなげてくれたみたいな。
あははっ!そうか。
この歌のヒットの時じゃなくてね。
そうです。
結婚なさってしばらくちょっとお休み時期があった時に…じゃあコロッケさんが歌いつないでくれたっていう…。
そうですそうです。
・いつでも二人はシンデレラ・ハネムーンコロッケさんのモノマネで再び人気の出たこの歌。
モノマネに対して岩崎さんは当時どう思っていたのでしょうか。
それは何?マネされたことは嫌じゃなかった?全然嫌じゃなかったし私はあの〜家でああこの人すごい面白い人だって。
野口五郎とかちあきなおみさんとか最高に面白かったから今度何するんだろうと思ったら自分だった。
(一同)あははっ!それねすごい衝撃でしたよ。
うそ…私?と思って。
でこれが?と思ったんだけど悔しいけどちょっと似てると思ったの。
(一同)あははっ!でも私仲は悪くないから。
っていうかあの…彼ご存じですよね?すごくいい人じゃないですか。
いい人ほんと。
だからみんな大好きなんですよね。
もう一生懸命だしね。
真面目で。
ええ。
あっそうだったんですか。
じゃあ歌いつないでもらった「シンデレラ・ハネムーン」もあれば1982年のこの「聖母たちのララバイ」っていうのはこれは…まあここらへんのヒットもありますけどもやっぱりちょっと画期的なヒットだったっていうところはありますか。
これ「火曜サスペンス劇場」のエンディングの曲でしたから。
これは最初この歌に出会った時にはどういう歌だなと思ったんですか?
(岩崎)もうこの…まず「戦場」とか「戦士」っていう歌詞が引っ掛かってこれどういう意味なんだろうって。
私23だったんですよ。
で最初はよく分かんなかった?分かんなかったしすごく…難しいなまずこれサスペンスだからしかたないのかなみたいな。
あははっ。
まあ山川啓介さんはお父さんのための応援歌っていうことでお書きになった歌らしいんですけれども。
あっそうなんだ。
(岩崎)で1コーラスしかなかった。
へえ〜。
(岩崎)でこの1コーラスをテレビで流した時にあまりにも反響があって…。
テレビ番組のあれだったから…テーマ曲だったから。
急きょフルコーラスを入れてレコードにして。
この時期はまだ分からなかったんですよね。
ただもうこれ30年以上歌っているにもかかわらずこの歌はいまだに私の中で生き続けていてあの〜震災の時とかとにかくこういう歌を歌ってみんなを応援するしかないとか違ったエネルギーを毎回毎回なんかこう湧き出てくるっていうか。
大変な時こそこういう歌がみんなの力になるんだっていう想いで歌えるんですよ。
だからすごい歌を書いてくださったなと思って。
へえ〜。
でまあ忙しさに紛れてっていうかいちばんつらい思い出とかうれしい思い出ってあります?つらい思い出ってそんなないんですけれども。
でもデビューなさる時にお父様はものすごく反対してたんでしょ?そうなんですよ。
ねっそれを押し切ってまで。
っていうかねうちの父はすっごい怖い人だったのでちょっと寺内寛太郎みたいな人なのでね。
おでんをひっくり返すような人だったの?はい。
でも「スター誕生!」の予選会の時の初めてのテレビにオンエアされる時あるじゃないですか。
その時はその当時はまだうちにはビデオカメラっていうかデッキがなかったんですね。
なのであの…8ミリでテレビを撮ってましたね。
テレビ画面を8ミリで撮ってたの?「みんな静かにしなさい」とか言って。
でも受かると思ってなかったんだと思うんですよ。
それで…。
いい思い出にしようと。
歌が受かって8社手が上がったっていうのを聞いてパパ実はどこかの事務所とレコード会社に行けばデビューできるんですよっていうような話をした時に「16で芸能界だなんて聞いたことない」って。
若すぎると。
「駄目だ」って。
でもなんか今までだったら父が言うことは「はい分かりました」って言ってたんですけれどもそこだけはここで「はい分かりました」って今までと同じようにしたら私一生後悔するだろうなと思って。
やっぱり歌やりたかったんですよね。
ほかになんにも得意なものがないのに歌だけはずっと褒められてそのぐらいの年齢まで来てたのでここで私歌を取り上げられたらたぶんほんと何もないなと思っていたのでね。
であの…「二十歳までっていう約束でお願いします」ってそれだけを言って父の部屋を出たんですよね返事は聞かずに。
返事は聞かずに?うん。
それで?怖いからね聞かずにそのまま出ちゃった。
手が飛んでくるかもしれないし。
でそれまでもだから忙しくしてても家でなんかちょっとくたびれた顔してると「そんな顔色悪くなるんだったらやめなさい」とか結構言われてたんですよ。
でも父から学んだものもたくさんありますし教えてもらったこと。
うん。
例えば私がお手洗いに入ってる時に父が洗面所にいてあっパパが洗面所にいると思ったから出ないでいたんですよね。
あははっ!それでなんかねたぶんねなんかカラカラとかトイレットペーパーをこうカラカラって出して…もう行ったのかななんて思って洗面所から出てきたら父親がいて「お前な」って言うんですね。
で「はい?」って言ったらその…「ふしだらだ。
トイレットペーパーをカラカラカラっていわせながらトイレに入る女がいるか!」って言われて。
あははっ。
「あっ…はい」。
そこ?「静かに」…。
音を立てずにトイレットペーパーを。
「音を立てずに紙は引きなさい」って。
私それすごく教えてもらった時にへえ〜それ結構細かいこと言うなと思ってたんですけれども。
あの…例えば駅のお手洗いとか入ってカラカラカラって音を出してる人がいると言いたくなっちゃう。
ふふふっ。
「お前な」。
出てくるまで待って。
そうそう言いたくなっちゃう言わないですよ。
でもそういうことってすごく大事なことだと思うのでそれはすごいあの〜ありがたく思ってますね。
へえ〜。
そのお父様が今年?今年はい。
亡くなられたんですか。
はい。
3月30日に亡くなりました。
ご病気?うんまあ88だったので年といえば年ですけれどもうん。
でもあの気の強さだったのであの人はたぶん一生死なないだろうなと思ってたんですけどやっぱ死んじゃいましたね。
あははっ。
だってねデビューする時に反対なさってまあそのあとも厳しく厳しくねったたき上げられたというか。
いかがですか?そういう厳しいお父様が亡くなられてみると。
そうですねあの…新しい今の「PianoSongs」っていうジャケット撮りの撮影が終わったあとに…終わったあとにみんなにスタッフに言ったんですけど「実は父が亡くなったのでこれからお通夜に行きます」って。
言っちゃうとみんなが気を遣って私も泣きそうだったから。
あとまあお葬式の翌日コンサートだったんですよ。
でまたこういうふうなことをねすごくつらいことがあった翌日でもなんかこう歌を歌わなきゃいけないみたいなそういうなんかこう私鍛えられてるんだな最後の最後までと思いましたね。
はあ〜そういう試練の場をお父様は。
うん。
この気の強さは父からもらった培ったものなので。
ふふふっ。
そう。
はい。
うんでもだからたぶん40年やってこられたんだと思うしまあうん…よくも悪くも頑張れたのかなと思いますけどね。
はい。
よく育ったね大きくなって。
ほんとよく頑張りました。
あははっ。
それではええ…もう一曲「今、心に響く曲」を。
あの〜宇多田ヒカルさんの歌でね「花束を君に」っていう歌があるんですけれども。
これ朝ドラで。
そうです。
出てらっしゃいましたよね〜。
えっご存じですか?もちろんですよ。
もう毎日毎日楽しみに見ていたので。
私ねちょうどあの…あの時期ね今年の8月ちょっと喉のオペをしてるんですね声帯にあの…。
手術?うん。
レーザーの手術なんですけれども。
でその手術をする前にもあの宇多田さんのイントロがなく「・普段から」ってあの声が心地よくて心地よくて。
朝は絶対声が出ない私にもあのキーの歌はなんか当時からずっと出てたんですよ。
でオペをするギリギリの前の朝の時にも手術成功するかなと思いながらあの歌を歌ったしあと手術を終えたあとの丸3日間はしゃべっちゃいけなかったんですけれども4日目の朝あの歌を一緒に歌ってあっ出るなんとか頑張れるかもって思ってすごく思い出の歌なんですね。
いい歌だな〜。
へえ〜。
もうねこの声に癒やされて言葉に癒やされて。
またイントロがないじゃないですかだから本当に新鮮でしたね。
はあ〜。
じゃあもう喉は大丈夫なんですか?おかげさまで。
でもやっぱり長年酷使してたから。
そうですね。
あとだからあまり今までどおり無理はしないでね。
もう年齢も年齢ですからのんびりと構えて大好きな歌が少しでも長く歌えたらいいなと思ってます。
今コンサートはどれくらいの頻度で。
ええ〜っとまあ多い時で1週間に2回ぐらいかな。
そんなにステージ立ってんだ。
そうなんですよね。
一般の人ってテレビ出てないとやめたと思ってる人がいるんですよね。
あれやめてもらいたいですね。
やめてもらいたいですよ本当に。
やってますからね。
あははっ!サワコが俳句作りに挑戦!
(夏井)ほんとですか!2016/11/19(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝【岩崎宏美▽心に響く歌声の秘密】[字][解]

歌手/岩崎宏美▽「シンデレラ・ハネムーンはコロッケさんが真似してくれた」デビューから40年過ぎても変わらぬ美声で輝き続ける岩崎宏美の軌跡を阿川佐和子が紐解きます

詳細情報
番組内容
ゲストは、歌手の岩崎宏美さん。15歳のときにオーディション番組「スター誕生」に応募し、16歳でデビュー。セカンドシングルの「ロマンス」で新人賞をはじめとした14の賞を受賞!デビューの年から紅白歌合戦に出場するなど、順風満帆なスタートを切りました。23歳のときには「聖母たちのララバイ」が130万枚の大ヒットを記録。“天まで響け!”のキャッチフレーズでデビューした岩崎さん。
番組内容2
今尚、天まで響く歌声で人々を魅了し続けています。
実は、花の中三トリオと同じ年という岩崎さん。アイドルも自分で化粧をしていたという当時、山口百恵さんから教わったメークとは!?
番組では、懐かしいデビュー当初の話を始め、芸能界入りを大反対していた厳しい父との思い出、凄く衝撃だったと明かすコロッケによる自身のモノマネへの胸の内を告白!輝き続ける数々の名曲と共に岩崎さんの軌跡を阿川と辿ります。
 
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
岩崎宏美(歌手)
 
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ