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書き起こし 徹子の部屋 マーサ三宅&大橋美加親子 2016.12.09

さあ今日はジャズシンガーの親子においでいただきました。
お母様のマーサ三宅さん。
この方は戦後のジャズブームの草分けで本当にジャズの歌手としては第一人者でいらっしゃいました。
それからお嬢さんの大橋美加さん。
お父様は大橋巨泉さんでいらっしゃいます。
従ってマーサさんは元奥様というわけなんですけど。
今日はお二人で歌っていただくということでとても楽しみにしております。
(拍手)マーサ三宅さんは前に34年前に出ていただいてるんですけど…。
34年前っていうのも随分古いんですけど。
記憶が薄れそうですね。
でも40年やっておりますのでこの番組も。
始まって6年ぐらいの時においでいただいたんですね。
でもとにかく今日はお二人で歌っていただくというので私もすごく楽しみにしております。
ありがとうございます。
どんなお父様でした?そうですね。
テレビに映ってるままですね。
あのまんま?人が好きで人が周りにいるとみんなを楽しませたいから…。
話しがうまいからとにかく周りに人がいつもいっぱいいて。
そう。
はい。
ああ…。
これ去年なんですよ。
去年?去年の…。
私ラジオ番組をやってるんですけども私のラジオ番組の10周年に出てくれてちょっとトークみたいなことを…。
トークをなすったの?歌は私が歌い父がトークをしてくれました。
そうなの?随分お元気そうに見えましたね。
そうなんですね。
これちょっと前かしらね。
これは3年ちょっと前かな?でもその前まではテレビでしか知らない人だったんですって?物心つく前に離婚してたっていうか…別居してたんで私が物心ついてから母の母がテレビに映っている父の姿を「あれがお父さんだからね」って「離れてるけどあれがお父さんよ」っていうふうに教えて…。
だから何となく…。
本当?でも巨泉さんは孫を可愛がってたってどの人の子供?私の上の娘が23歳になりまして下が21歳なんです息子が。
ごめんなさいねもう一回。
あなたおいくつなの?私は57歳になりましたが…。
えー!こんな若い57歳?えー皆さん…。
すごいですよ。
客席から「うわー」っていう声が聞こえたけど。
えっあなた57歳?はい。
ちょっとびっくりしちゃう。
本当に驚いちゃう。
ありがとうございます。
それで上の娘がいくつだって?23歳で…。
23?下の息子が21…大学生なんですけれども。
その2人が小さい時…特に下の息子が俳句が好きだったり映画が好きジャズが好きっていうのがあるんですごく私の父にものすごく…。
これカナダに行った時。
これはまだ中学2年と高校1年娘が。
で義理の母…寿々子ママですね。
うん。
一番左側に今の奥様がいらっしゃるんですけど今の奥様はあなたと仲が良くて今日のお洋服はお母様が…寿々子ママが…。
カナダから買ってきてくれた服です。
ぴったりなものを買って…。
よくどうしたらそんなにぴったり合う…?不思議なんです。
随分それねウエストやなんかぴったりしてますよね。
あの方を「寿々子ママ」って呼んでいらっしゃる?はい。
「大ママ」って呼んでます。
大ママ?大ママ。
21年前に大橋巨泉さんが出て…何回か出ていただいたんですけど。
初めはご自分の番組を持っていらっしゃる時には人の番組には出ないっていう性格の方なんだけど21年前に出てくだすった大橋巨泉さんちょっと見ていただいていいですか?そうですかはい。
ちょっとご覧ください。
「巨泉さんはお父様がいらっしゃらなければ今の巨泉さんはないぐらい影響をお受けになったお父様?」「全然違う人間になってたでしょうね」「僕と黒柳さんは同級生ですからだからわかっていらっしゃると思うけど僕なんかは本当の皇国史観で育てられて…」「東京両国のお育ちお生まれ」「もう完全に大きくなったら兵隊さんになって天皇陛下のために死のうと」「そしたらそれからしばらくして終戦になったでしょ」「それで本当に負けちゃったと思った時に…」「おやじに聞いたんですよ。
そしたらおやじは“これからはアメリカと直接話しのできる人間じゃなければ駄目だ”って言うんです」「“お前英語を勉強するなら俺は金いくらでも使ってやる。
お前に投資だ”って」「だから僕はこの年で英語を喋れるんですよ」「そうですよね。
私も巨泉さんは随分英語お上手だと思ってましたけどお父様がそういうふうに教えてくだすって英語それからジャズが入ってきて何もかもが今までと違ってきたわけですよね」「ですからジャズは英語の副産物ですね」「ちょうど聴いててするとフランク・シナトラとかエラ・フィッツジェラルドの歌を聴いてると英語の勉強になるでしょ発音の」「そうです」「うちのおやじがいなかったらやっぱり僕は全然違う人生歩んだと思いますよ」「あのね僕CDを出したんですよ10月に」「その紹介をしてほしいんです」「いいですよ。
どういう?」「これがね『FAMILYBUSINESS』っていうタイトルで」「ありましたね。
『FAMILYBUSINESS』っていう映画」「あったでしょ。
ショーン・コネリーの」「これ何?あなた歌ってらっしゃるの?」「僕とね娘2人ジャズ歌手でしょ」「Andmakebelieveitcamefromyou」「これあなた?」「これ僕。
これはね下の娘のチカがねアレンジしてね…」「Millionsofhearts」「これが下の娘ですね。
上の娘が美加…大橋美加って」「2人ともジャズシンガー」「下はチカさんと仰る…」「Justbecausethesewordswerespoken」「お母様がジャズ歌手だとうまいわね」「I’mgonnasmileandsay,」「こういう歌を歌ってるの?」「ジャズ」「いいわね」「娘2人がデュエットしてるの」「これ3人でやってる曲なんです。
これが難しい」「“KYOSEN”…」「何ていうの?あれは。
題名は」「『FAMILYBUSINESS』です」「『FAMILYBUSINESS』というの?」「あっ“OHASHIKYOSEN”って書いてあるのね上ね」「そうです」「ショーン・コネリーがじいさんで泥棒が3代続いて…」「面白い映画だったでしょ?あれをもらって『FAMILYBUSINESS』。
そりゃそうですよね」「僕も前のかみさんも娘もみんなジャズのあれですから」まあ色んなことを…。
懐かしい。
お父様との関係はそのジャズということで結ばれてるっていうのはね。
そうですね。
やはり自分の成長を見てもらってないですよね一緒に暮らしてないですから。
母のほうで育ちましたから。
ですから再会したとはいえやはり何か共通の話題っていうかね好きなものがなかったらこんなにやっぱり長年仲良くできなかったかなっていう気もするんですよね。
私もジャズを歌いながらやはり家庭も持ち子供も育てってしてきたからやはりなんかこうそのジャズっていうものとずっと接していなければ父と今度例えばこういう新人がデビューしたけどどうかなとかね色んな話をしたり。
カナダのジャズフェスティバルにこういう人出てたよって…それはもう日本でデビューしてるよっていう話したり。
だからやはりジャズのおかげでずっと…。
そうですか。
肉体的にはずっと離れてたんだけど終わりのほうでなんかお父様に会ってマッサージしてさしあげたっていうのはそう?そうですね。

 

 

 

 


だからいつも夏は父は日本にいませんでしたからね長年。
ですからこの年は…2016年っていう年はやはりもうずっと入院してましたから。
ですからこんなに父に触れた期間はなかったですね。
最後の3カ月。
ですから私としてはなんかこんなにパパに触れたっていうなんか変な言い方ですけども自分の中でこれで納得しなきゃいけないのかなっていう思いもなくはなかったです。
でももっと生きてくれると思いましたんでね。
あなたの歌についてはなんか仰ってた?そうですね。
やっぱり母に似てちょっと真面目に歌うねとは言われましたけど。
ただ声はすごく褒めてくれました。
そう。
それは良かったわよね。
はい。
でもあなた本当にお若いって…。
もう一回いくつだか教えて。
いやそんな宣伝するようなことでも…。
五十いくつだって?57歳です。
マーサさんはジャズ歌手におなりになって63年ぐらいですって?そうなんですね。
恐ろしい年月です。
「恐ろしい」…。
「素晴らしい」でしょ?そうかな?戦争が終わって何年か経ってからお始めになったわけですものね。
そうですね。
中学出てそれから高校に入って音楽学校へ入ってそれから勉強したんですね。
なるほどね。
それからお歌いになったっていうわけ…。
でもあれなんですって?とてもお気の毒な状態で今日いらしてるんですけど…骨折?そうなんですよ。
どうしたんですか?3年前ね。
うん。
腰椎圧迫骨折っていうのをしまして…転んで。
あら…。
それからもうここまでになるのに結構3年間大変だったんですけど。
そんなだったんですか?大変。
でも「もう治らない」って言われましてね。
あら。
骨はね。
骨は治らないしもう年齢的に手術は避けたいと。
そうなんですよね。
でもここまでになってくれましたし今歩行訓練も一緒にやってるので。
痛くはないの?痛いんですよ。
まだ腰掛けてる分いいんですが立ってたりするともう痛くて。
とにかく体を横にしなきゃ駄目なんです。
あら嫌ですね。
それで一番困ってるんですね。
お歌いになる仕事はやっぱりね寝ながら歌うって…。
ちょっとだんだん断って…。
寝ながらいいですね。
「ドント・スモーク・イン・ベッド」なんて言って。
パーキンソンっていうのも本当なの?本当です。
おばあちゃんがやっぱりそうだったから…。
小刻み歩行みたいなのがあったのでそうかしら?そうかしら?って悩んでたんでじゃあそれ今シンチグラフィっていういい検査があるからそれしましょうって無理やり連れていって。
結構大変なんです。
朝早く起きて行って検査してお昼も食べられないでまた午後に検査するんですね。
だから「そんなの持たない」って言ってたんだけどでも検査してみなきゃわからないから検査を受けさせてやはりパーキンソン病だっていうことがわかって。
お薬飲むようになってこの小刻みがなくなったんです。
全然ね震えてらっしゃいませんものね。
手なんかね。
そうですね。
じゃあそのパーキンソンはもう随分良くなった?そうですね。
やっぱり発見が早かったから良かったのかなとも思います。
良かったですよね。
でも薬飲まなきゃやっぱり駄目なんですね。
そうなの?薬は飲んでますもちろん。
ずっと飲んでるんです。
でもね…。
マーサさんは『徹子の部屋』には34年前にいらっしゃっています。
その時のVTRをちょっとご覧いただいてよろしいですか?34年前ですから。
「覚えていらっしゃらないでしょうけど私はね本当随分前にお会いしてるんですよ」「ちょこちょこ。
電車の中で」「そうですってね」「昭和26〜27年だったと思うんですけれどね」「お互いに本当に幼くて可愛かった頃なんですよね」「私は恐らく音楽学校へ行っておりましてこれから先一体どうしたらいいか身の振り方悩んでねジャズ歌手なんかなれるものならなりたいなとちょっと思ってた時期」「ああそうですか」「その頃もう歌ってらしたんですか?」「私もやっぱりあの沿線の音楽学校に行きながら日本の歌謡曲とかシャンソンみたいなものとかそういうものもちょこちょこ歌いながらアルバイトしてたんですの」「ああ…」「それで終電の1つ前ぐらいによくお会いしたんですよ」「そうですか」「でも本当にジャズっていうのをお歌いになる前は随分色んなものを歌っていらしたんでしょ?」「色んなものねもう本当に…」「学校ではほらクラシックやってましたでしょ」「日本の歌謡曲とそれからシャンソンとかアルゼンチンタンゴラテン」「なんかあんまり何歌っても評判が良くないんですよ」「でも一応使ってはもらってたんですけどね」「それである日じゃあこれやってみたらどう?なんてミュージシャンが譜面を渡してくれたのが…」「その方ですか?なんか東北のほうの方…」「そうなの。
それかなりのなまりのある人でねそれを歌ってみたらこれがいいっていうんで“みっちゃんはジャズでもやったほうがいいんでねがべが”と言って…言われたのがこの『センチメンタル・ジャーニー』なの。
一番初めに歌った英語の歌」へえー。
懐かしいですね。
『センチメンタル・ジャーニー』。
そうですね。
でも今でも歌いますよ。
そうでしょうね。
好きな方いらっしゃる。
あっすごい。
当時こういうお洋服だったんですね。
そうですね。
全部寄せて…フフフッ。
でも今はあんまりこういう洋服みんなあんまり着ない?そうですよね。
若い方でもね。
そうでもない?ステージでは着ますけどね。
ステージではね。
じゃあ…。
まあね当時こういう首飾りやなんかだって手に入れるの大変だった時代でしょ?そうですね。
何にもないですもんね。
なんか森光子さんが進駐軍でやっぱり歌っていらしたっていってねドラマで一緒になった時「もう歌わないからみんなにあげる」って言って当時進駐軍の時のイヤリングをねみんなで水谷良重ちゃんとか…八重子さんとか…今の八重子さんですけど。
みんなでちょうだいって私もいただいてね耳飾り着けて。
それまでイヤリングなんか持ってなかったですから。
重かったでしょ?そう。
とても嬉しくて色んなことやってね森さんたくさん持ってたから。
そうですか。
だからマーサさんなんか本当に大変な時に歌手に…。
もう他に競争相手ほとんどいないでしょ?いや…亡くなった方が多いんですけどね何人かはいましたね。
『サヨナラ』っていう映画にお出になった…。
ナンシー梅木?うん。
ナンシー梅木さんが歌ってらした…。
そうですね。
私その頃もう少し経ってからですけど音楽学校へ行ってる頃よくジャズ歌手になりたいもんだと思って日劇に聴きに行きましたけど。
そうだったんですか。
でも骨折…。
話違いますけど骨折…。
なんかベッドでどうにかする時どうしたんですか?夜中に汗かいたんです夏。
だから起きてパジャマの上着を脱いでそこでタオルで拭いてたらこのままドンッと後ろに…。
尻もちなんですよ。
尻もち?だからそれでもうすごい痛かったってね。
痛くなっちゃったの。
どこ…。
立って拭いていらしたの?立って拭いてたんですよ。
そこで尻もちついた?じゃあ別にベッドとは関係ないの?ベッドを前にして後ろ何にもなかったの。
そう…。
そしたらどこの骨がどうなったの?腰椎の圧迫骨折。
腰の骨の圧迫骨折?うん。
転んだ時すごく痛かったんですか?それ。
痛かったんですよね。
それですぐ電話かかってきて「あんた外科の先生知らない?」「もう痛くてたまらない」って言うから近くに住んでるもんですからだから親しい先生いたんですぐに電話して夜中だったんですけど。
日曜日だったんだよね確か。
私覚えてるんです。
「次の日連れておいで」って言ってくれたんで連れていってそれからもうずっと3年半ぐらいになりますかね。
もうちょっとで寝たきりになりそうだったんですって?一時車椅子だったね。
うん。
こうやって座って話しができなかったんですよ。
そうか。
痛いからね。
お医者様と…診察しててももう痛いんでちょっと横にならせてくださいっていう感じだったの。
だから随分良くなったと思います。
じゃあもうやはり歌が立ってお歌いになれるようになったら嬉しかったでしょ?でもこれからどうなっちゃうんだろう。
もう歌も全てもう忘れて捨て去って私はただこうやって寝て起きて寝て起きてこれだけの生活になっちゃうのかなっていうふうに思ってたこともありましたね。
そうですよね。
それは悪いほうに思いますもんねどうしたってね。
でも娘たちがすごくうるさく「リハビリ」「リハビリ」って…。
そうなんです。
もうノルマみたいにして週に2回。
私もそのために仕事を空けて。
とにかく迎えに行けばこちらも悪いと思って一応用意はしててくれるから。
お天気悪い時はホームセンターへ行ったり…。
こんなふうにして歩いて?そうですそうです。
ああすごい格好してるほら。
でもいいじゃない。
これで歩いて?うん。
とてもあのツールで歩きやすくなったのね。
だんだんそしたらお歩きになれるようになったの?でもやっぱり限度がありますね。
だからあんまり高望みはしないんです。
でもまあ歌う時だけでも立って歌えればあとはね。
でも歌う気持ちにもあんまりならないんですよねこう痛いとね。
言ってるだけですから大丈夫です。
マイク向ければもう歌いますから。
じゃあもうマイク渡しちゃう?そうです。
でも気分としてはそうですよね。
こんな痛いんだったら歌って…。
もう十分歌ってきたんだしもういいやと思っちゃうんだけどそれは駄目だねやっぱり。
そう思っちゃ駄目ですよ。
駄目ですよね。
やっぱりまだまだ歌ってやるぞっていうのがないと。
ガッツがないですねちょっと。
えっ?もうガッツがなくなってきてる。
黒柳さんを見習って。
駄目駄目。
やっぱり日本で最初にジャズ歌った人間だって思ってねやっていただかないと。
そうですか?家でごろごろしてるほうがいい。
駄目駄目駄目。
大丈夫。
大丈夫です。
マイク出せば歌いますから。
そうですね。
そうそうそうそう。
マイク渡して。
そうね。
それでなんかピカピカの洋服かなんかね。
これみたく。
お渡しして。
そうそうそう。
お二人には今日歌っていただくことになっておりますのでどんな…。
お嬢様の声も私よく知らないんですけどもマーサさんの声はよく知ってるの。
とても楽しみでございます。
歌っていただきますので。
ちょっとコマーシャルです。
それでは歌っていただきます。
83歳のマーサ三宅さんは骨折その他のものと闘いながら今でも現役で歌っていらっしゃいます。
お嬢さんと一緒にデュエットです。
曲は『素敵なあなた』です。
どうぞ。
「OfalltheboysI’veknown,」「andI’veknownsome」「UntilIfirstmetyou,Iwaslonesome」「Andwhenyoucameinsight,dear,」「myheartgrewlight」「Andthisoldworldseemednewtome」「You’rereallyswell,Ihavetoadmityou」「Deserveexpressionsthatreallyfityou」「AndsoI’verackedmybrain,hopingtoexplain」「Allthethingsthatyoudotome」
(2人)「Beimirbistduschn,」「pleaseletmeexplain」「Beimirbistduschnmeansthatyou’regrand」「Beimirbistduschn,againI’llexplain」「Itmeansyou’rethefairestintheland」「Icouldsay」「“Bella,bella”,evensay“wunderbar”」「Eachlanguageonlyhelpsmetellyou」「howgrandyouare」「I’vetriedtoexplain,beimirbistduschn」「Sokissmeandsayyouunderstand」「Beimirbistduschn,pleaseletmeexplain」「Beimirbistduschnmeansthatyou’regrand」「You’resowonderful,beimirbistduschn」「Itmeansyou’rethefairestintheland」
(2人)「Icouldsay」「“Bella,bella”,evensay“wunderbar”」「Eachlanguageonlyhelpsmetellyou」「howgrandyouare」「I’vetriedtoexplain,beimirbistduschn」「Sokissmeandsayyouunderstand」「Sokissmeandsayyouunderstand」「Sokissmeandsayyouunderstand」わあー!
(拍手)どうもありがとうございました。
失礼しました。
でもあれですねお嬢様の声は奇麗な声なのね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
お父様が褒めてくださった声はそこのところ?ありがとうございます。
はい。
何年ぐらいあなた歌ってらっしゃるの?それじゃ。
もうだから35〜36年?歌ってらっしゃるの?はい。
何しろ57歳でいらっしゃる…。
そんなに宣伝しないでください。
でも驚きますから。
でもあなたは今お元気だけどもなんか巨泉さんの娘だっていうことでいじめられたこともあるんですって?なんか。
そうですね。
子供の頃はですね。
当時やっぱり…何でしょう?そういう人が少なかったのかな?まあね。
離婚してる人も少なかったし。
そう。
はい。
でまあおまけに芸能人でバーッとテレビに出てきた時代でしたから。
いじめるっていうかからかいですかね。
でも子供ですからやはり傷つきましたけど。
そりゃそうですよね。
あれですよね当時やっぱり本人が俳優の子なんかでもやっぱり随分いじめられたっていう子…子役でも。
なるほど。
やっぱりいじめられたっていう…。
やっぱりいじめるっていうかみんなからかう…。
興味があるからね。
そうですね。
なんかそうだそうですけども。
あなたはお母様とはなんかわざと距離を置いていらした時代もあるんですって?そうですね。
やはりデビューした時が1980年ぐらいでもう本当にいい時代でジャズクラブなんかもどこも満員で本当に景気のいい…。
バブルなんですね。
それであれよあれよという間にマーサの娘がデビューしたということで仕事もいっぱい来るし色々番組も出させていただいたりしたのでだから何だろう?やっぱりこう何か失敗ちょっとでもしようものなら「マーサの娘のくせに」になっちゃうしなんかこう…。
母も真面目に仕事をやってきた人だからすごくこっちもじゃあしっかり真面目にやっていかなきゃいけないな地道にやっていかなきゃいけないなっていうそういう気持ちもありましたし。
だからまあ…。
それに母は生徒もいっぱいいてみんなが「先生」「先生」ってあれだから何も私がしゃしゃり出ることもないっていうスタンスではいたんですけど。
ただケガをしてやっぱり私に泣きそうな声で電話してきたからやっぱりここで私が出なきゃいけないなっていう。
でもやっぱりそういうふうな同じ職業だっていうこともあるしね。
それはありますよね。
はい。
あなたがお出しになったCDにお母様がお出になったんだっけ?はい。
13枚目のアルバムで初めて母に…。
83歳の…。
あっ言っちゃった。
新曲を2曲。
初めて歌う曲を入れてもらいました。
そうなの?はい。
あとはデュエットもあり私ソロで歌ったものが9曲かな?そういうアルバムです。
これレコーディング風景ですね。
えー。
いかがですか?お嬢さんのお歌をお聴きになって。
なんかだんだんやっぱり成長してきてるなっていう感じですね。
大人の気持ちがわかってきたっていうそういう…。
だからもう大人の女の歌になってきてます。
「大人の女」…。
だって大体そういう…内容が大人じゃないとね。
そうなんですよ。
そうですよね。
お治しになってくださいね。
ありがとうございます。
じゃあお嬢様もお母様とうまくやっていくよう…。
どうもありがとうございました。
今日はありがとうございました。
2016/12/09(金) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 マーサ三宅&大橋美加親子[解][字]

〜83歳で復活!娘のスパルタリハビリで寝たきり回避〜マーサ三宅さん&大橋美加さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
戦後ジャズブームの中でジャズシンガーの草分け的存在であるマーサ三宅さんと、同じくジャズシンガーで娘の大橋美加さんがゲスト。今日は素晴らしい歌声をスタジオで披露♪
◇番組内容
マーサさんの元夫は今年亡くなられた大橋巨泉さん。美加さんが物心付く頃には別居し離婚したという。巨泉さんと親子の交流を持ち始めたのは、美加さんがジャズ歌手になってからだと語る。また、3年前に腰椎を圧迫骨折したマーサさん。同時期にパーキンソン病も発症し、寝たきりになる覚悟をした事を明かす。だが、娘のスパルタリハビリで怪我を克服。パーキンソン病の治療も効果がでて、83歳の今年新曲を発売したという。