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書き起こし NHKスペシャル「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」 2016.12.10

「どんな気がする?」。
「どんな気がする?」。
その男に会う事はこの世で最も難しい事のように思われた。
コンサート会場では敷地内の至る所で厳戒態勢が敷かれている。
男の名はボブ・ディラン。
75歳となったディランが今年世界を驚かせた。
(拍手と歓声)ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞するのは史上初めての事だった。
ディランは言葉を自由に操る。
誰も書けないような歌詞を書く。
しかしその言葉の意味するところは不可解で難解だ。
このように。
その謎だらけのディランを語りうる貴重な発見があった。
500曲を超えるという手書きの習作原稿だ。
(取材者)びっちりですね。
ディランの言葉が戦争を歌う。
恋を歌う。
人生を歌い…。
運命を歌う。
ボブ・ディランは魔法の言葉をどのように生み出してきたのか。
そして75歳となった今言葉はどこに向かっているのか。
ディランの言葉を追ってアメリカへ。
ディランへの接触を試み始めたのは11月中旬の事だった。
だがディランサイドのガードは堅く全く埒が明かない。
私たちはまずディランをよく知る伝説的なミュージシャンを訪ねる事にした。
アル・クーパーがディランと知り合ったのは50年以上前の事だ。
オルガニストとしていくつもの名作を共にレコーディングしている。
言葉に対するディランの並外れた執念も目の当たりにしてきた。
ワンツースリー。

 

 

 

 


クーパーにとってディランとのレコーディングは驚きの連続だった。
話に区切りがついた頃クーパーにこう頼んだ。
「ディランに渡りをつけてはくれないか」。
だが…。
世界で居場所を知る者は僅か数人ともいわれるボブ・ディラン。
確かな事は50年以上途切れる事なく600を超える歌を作り続けてきたという事だけだ。
フォークギターを抱えたディランがさっそうと世に現れたのは二十歳の時だった。
若きディランが題材としたのは東西冷戦や核の脅威などの時事問題。
ベトナム戦争にアメリカが本格的に介入を始めると戦争と正義についても歌詞に取り込んでいく。
だがそれは単に正義を振りかざすものではなく戦争の本質に言葉で挑んだものだった。
安全地帯にいる者や戦争を商売とする者への言葉は鋭く激しい。

(拍手と歓声)ディランの歌は多くの人々が気持ちを寄せる時代のアンセムとなった。
取材を始めて数日後の11月18日。
ディランを伝える緊急ニュースが全世界に配信された。
そうですね。
欠席の理由は先約があるからだった。
ディランサイドからインタビューについて返事が届いた。
今のところは。
「あなたたちだけではなくて…」30年以上ディランはテレビメディアの取材を受けてはいない。
ディランの声が聞きたいという願いはこれでついえた。
だが1週間後ディランサイドから不思議なメールが届いた。
「タルサという街に来ればいいものが撮影できる」。
そう書かれていた。
アメリカ中西部の指定された場所に向かう。
(取材者)もしかしてあれですか?左前。
何の変哲もない大学の施設だった。
私たちは待った。
現れた男はディランの膨大な資料を管理する人物だった。
オーケー。
サンキューソーマッチ…。
男に言われるまま建物の奥へ。
ディランの自宅から集められた6,000点もの資料。
その一部を特別に撮影させてくれるというのだ。
これはディランの自宅に眠っていたステージ衣装。
写真嫌いのディランがなぜか手元に置いていた未公開の写真。
あまたの名曲が記されたオリジナルの楽譜もあった。
最も大切に保管されていたのはこの500曲を超えるという歌詞の下書きだ。
1964年から現在に至るまで数々の名曲が生まれた瞬間がそのままの姿で保存されている。
直筆の歌詞はホテルの便箋やレシートなどにも手当たりしだい書きなぐられていた。
車に乗っている時や友人とくつろいでいる時思いついた単語があればディランはすぐにメモしていたという。
街を歩いている時も気になる文字が目に飛び込んでくるといきなりの言葉遊びが始まる。
直筆の下書きにはさまざまな言葉を連想した形跡も残っていた。
同じ曲の中の言葉とは思えない不思議な単語の数々。
単語は一つの文章となり鮮やかな世界を作り出した。
「俺じゃない!」というフレーズをモチーフにしたこの歌のように。
「『俺じゃない』とレフリーが言う。
『途中で試合を止めたら客が騒ぐだろう?』」。
「『俺たちは汗を見たかっただけさ』」。
「『俺じゃない』と記者が言う。
『どんなスポーツも危険はおんなじだ』」。
「『俺じゃない』と本当に殺したヤツが言う。
『ヤツが死んだのは運命神のおぼし召しさ』」。
言葉遊びとフレーズの妙。
それは後にあの名曲に結実する事になる。
デビューから3年後の1965年。
ディランはフォーク界の最大のスターになっていた。
しかしこの日…。
ステージに登場したディランが持っていたのはエレキギターだった。
激しいビートにのせて自作のロックを歌いだす。
フォークソングを期待していた会場はブーイングの嵐となった。
異様な雰囲気の中で新曲が披露される。
あの「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」は一人の女性の流転の人生を歌っている。
ロックの歌詞に初めて物語性を持ち込んだともいわれる画期的な曲だ。
物語はこう始まる。
「昔羽振りのいい女性がいた。
いい服を着て学歴も財力もありつきあう男はインテリの外交官」。
「それが今ではたった一人で帰る家もない」。
そしてディランがこだわったというサビでは一転して挑発的な問いが繰り返される。
ディランは具体的な問いを畳みかけている。
しかし最後の問いだけが比喩なのだ。
「転がる石のように」。
それは何を意味するのか。
「転がる石」という比喩は2つの解釈が可能だ。
一つは転がり落ちる人生。
もう一つはしがらみから解放された自由な生き方。
両極端の解釈が聴き手に委ねられる。
女性は転落したのか。
それとも自由になったのか。
「どんな気がする?転がる石のようだってことは?」。
しかし多くのファンは従来のような歌を歌わなくなったディランに不満を抱いただけだった。
だがディランは「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌い続けた。
罵声を浴びても信念を曲げなかった。

(拍手)
(拍手と歓声)ディランはどのように歌詞を作り上げてきたのか。
その謎に光を当てる新たな発見があの資料庫であった。
1975年ごろ30代半ばのディランが歌詞を書きためるために使っていた古い手帳だ。
手帳にはディランの作品の中でも極めて複雑な世界観で知られるヒット曲の下書きがあった。
「TangledUpInBlue」。
歌われるのは自らをモデルにしたといわれる男女の物語。
愛した女と別れ長い旅に出る男の痛みが内省的な言葉で語られている。
しかしディランが手帳に書いていた歌詞は完成版とは全く違っていた。
物語が語られていく順番も大きく異なっている。
手帳では最初に書かれている歌詞のブロックが完成形では一番最後へ。
ほかのブロックも大胆に入れ替えられている。
ディランはあえて下書きを解体しバラバラに組み合わせて再構築していたのだ。
ディランの意図は何なのか。
ディランの言葉の変遷を研究するトーマス教授はこう分析する。
「この歌は時間軸と物語の筋が乱れている。
ディランはその不安定さを強調する事で不完全な人間の存在を強く提示しようとしたのではないか」。
更に完成したはずの歌詞をディランはもう一度書き換えている。
主語は「私」から「彼」となり物語自体も男女の恋愛というより個人と世界との関係性を歌っているように聞こえる。
ディランは歌う。
「地球は平らなのか丸いのか」。
「TangledUpInBlue」。
「ブルーにこんがらがって」。
人間を見つめる作品が増える一方でディラン自身は公の場にほとんど姿を見せなくなっていた。
故郷を捨て言葉と格闘し長い沈黙の時代へ。
メディアに露出しないディランを世間はこう思うようになっていた。
「ディランは隠とんしてしまった。
もはや過去の人なのだ」と。
その沈黙の時代数年に一度ではあったがディランのインタビューを続ける記者が一人だけいた。
(英語での会話)そして50代が近づくと暗示に満ちた言葉を吐き始める。
「何もかも、壊れる」と歌ったその年東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。
激動の時代が始まる。
やがて血で血を洗う戦争が始まる。
破壊と憎しみが世界を覆う。
その後唯一の超大国となったアメリカは世界中の紛争に積極的に介入していく事になった。
悲しみと憎しみが世界にまき散らされる。
そして2001年。
アメリカ人に忘れ難い傷を残したその年ディランのニューヨーク公演を間近で見たファンがいた。
それは60歳を越えたディランが行った伝説のライブだった。
(爆撃音)その2か月前アメリカに憎しみを抱いた者たちがこの街を破壊した。
悲しみが残り激しい言葉が踊った。
正義と報復が叫ばれ多くの文化活動は自粛に追い込まれた。
(拍手と歓声)だがディランはニューヨークのステージに立ったのだ。
(拍手と歓声)
(英語)1時間が過ぎた時ふだんならありえない事が起きた。
演奏の途中でディランが語り始めたのだ。
(歓声)そして…。

(拍手と歓声)アメリカを離れる直前ディランの言葉が眠る資料庫でまた新たな発見があった。
箱の中にあったのは2012年に発表されたアルバムの表題曲だった。
ディラン71歳の時の作品だ。
さまざまな紙に書かれた歌詞は実に45番まで続く。
そこには世界の終末を予感させる言葉がいくつもちりばめられていた。
歌の名は「テンペスト」。
タイタニック号の沈没をモチーフに死に向かう人々を歌う。
70歳を越えたディランは45番まで言葉を重ねて何を伝えたかったのか。
救いのない世界への絶望なのか。
死に行く者たちへの弔いか。
だがディランは何も答えない。
しゃがれた声でこれからも歌い続けるだけだ。
2016/12/10(土) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」[字]

未公開の「秘蔵メモ」や貴重な映像の数々には、“生ける伝説”ボブ・ディランの創作の秘密が記録されていた。今年ノーベル文学賞を受賞したアーティストの実像に迫る。

詳細情報
番組内容
今世紀最高の詩人、偉大な芸術家、反戦フォークの旗手…。その謎めいた比喩や歌詞は、正確な意味をめぐって世界でも議論が続いてきた。「ボブ・ディラン」とは何者なのか?詩に込められた真意とはどのようなものなのか?今回、NHKは未公開の「秘蔵メモ」や映像を独自に取材。ひとつの歌が生まれるまで、ディランがどう時代と向き合い、詩へと凝縮させてきたのか、知られざる創作の秘密に迫っていく。
出演者
【語り】長塚圭史,【朗読】オダギリジョー