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書き起こし 歴史秘話ヒストリア「緊急報告 “真田丸”を掘る」 2016.12.16

 

 

(銃声)現在私は大坂の陣の戦いの真っただ中に来ています。
現在この住宅街の真ん中のこの地で徳川軍20万と豊臣軍10万の死闘の火蓋が切られようとしています。
ああ!もといもといもといもとい!はっ失礼いたしました。
改めましてこの時間の番組を始めます。
ドラマの「真田丸」じゃなくて現実の真田丸ですよ!
(いななき)400年前の壮絶な戦い…押し出せ!圧倒的な徳川軍の前に真田丸が立ちはだかります。
(信繁)来るぞ。

 

 

 

 


(重成)そろそろいきますか?もっと引きつけよ。
焦るな。
構え!放て!
(銃声)構え!放て!
(銃声)放て!放て!
(信繁)放て!記録ではたった1日で徳川方1万人以上が戦死しました。
徳川家康にとって真田丸は悪夢のとりでだったのです。
こんにちは。
こんにちは。
今日はどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今まさに私たちがいるこの場所があの激戦の舞台です。
真田丸発掘調査団の団長でいらっしゃいます奈良大学教授の千田嘉博さんです。
よろしくお願いいたします。
千田さんは大河ドラマ「真田丸」のセットも監修されたんですよね。
大河ドラマでですね再現されました真田丸のオープンセットの考証のお手伝いをさせて頂きましてもう日本国の某所にですねほんとにこういうふうに真田丸があったんだなというすばらしい精密なセットが出来ましたのでもうその日ここで…今日ここ泊まっていくって言ったんですけど駄目って言われたんですけどもほんとにすばらしい真田丸が再現されました。
その年の瀬真田丸三昧だったという事なんですけれども年の瀬にリアル真田丸の調査をされたんですね。
まさにこれがここだという事なんですけれども実はですねこの真田丸っていうのは非常によく知られていたんですけれども大坂冬の陣が終わったあとに徳川軍が壊してしまいましたのでその実態っていうのはなかなか分からなかったんです。
ここに至るまで1年がかりで調査が行われてきました。
まずはその様子からご覧下さい。
真田丸の発掘。
まず同時代の記録をあたってみると真田丸の場所と規模が記されていました。
真田丸は大坂城の南東にあり180メートル四方。
学校のグラウンドほどの広さとあります。
実際大阪城南東には真田の地名がたくさん伝えられています。
更に重要な手がかりが。
今年発見された絵図。
大坂の陣から一番近い時期に真田丸を描いたものです。
真田丸は堀とガケに囲まれた四角い形。
南の堀は「二十四間」43mと記されています。
この堀が発掘できれば真田丸の場所が確定できる。
地中レーダーを使って調査を始めました。
地下には…。
(探知音)こういうこう落ちてってこう上がってくるみたいなのがあって…。
大きなくぼみが埋まっていました。
くぼみの深さは数メートル以上。
もう一か所平行している道路も調査します。
ドーンと落ちていくのが見えます。
こういう形でへこんでますね。
やはりここでも大きなくぼみが確認されました。
大きなくぼみが道路の下から確認されたのはこことここ。
2つを結んで延長してみると何だか堀のようですねえ。
深さそれぞれですけれどもこちらだとかなり深いところまでまあ反射見えてて…こちらだと8メートルとかそのぐらいですかね。
幅も広くて特にこちらは非常に幅の広いこういう溝。
まあ40メートルから45メートル近くの幅ですし…。
堀の幅はあの大坂真田丸の絵図と一致します。
(金田)まあそういうのが堀であればいいかなあと。
堀であると面白いかなあというふうには思います。
…という巨大なくぼみ。
ここを掘り出したい。
しかし街の真ん中なので不可能です。
諦めかけた時1か所建物がない場所を見つけました。
それは駐車場でした。
特別に許可を頂いて真田丸発掘が動きだしました。
この駐車場が400年前の真田丸にたどりつくタイムマシンの扉です。
民間団体「真田丸発掘推進協議会」が市民や企業から調査費用を募り大阪府と大阪市の教育委員会が実際の調査を担当します。
まず2メートル幅で東西方向に掘ってみました。
「地山」は自然のままの地盤。
「盛り土」は人の手が入った土の事です。
レーダー探査の断面図では…地山の上に堀は盛り土として埋まっているように見えます。
真田丸の堀が埋まっているとすれば地山と盛り土の境目が斜めに現れるはずです。
(作業音)もう一つ専門家が目を凝らして探しているのは合戦当時の遺物です。
矢じりや鉄砲の弾が出てきはしないか。
(作業音)何や?それ。
こんなん出ても絶対分からんけど…。
期待外れ。
出てきたのは平和な江戸時代のものばかり。
こりゃ地山やで。
掘り続けるともともとの地盤黄色い地山に当たってしまいました。
平らにだけして!やはり真田丸にたどりつくのは難しいのか。
ただいま現場に到着いたしました!発掘チームの団長千田嘉博さん。
残念ながら今回ですね…。
ここではそうですよね。
ガッカリ報告を聞きつつも千田さん全然諦めていませんでした。
ですからやっぱり……って言うてるんですけどここまでしかあかんて。
え?ここまでしか駄目なの?駐車場の端まで掘れば真田丸の堀に行き当たるはず。
この辺までだって割れてるからこの辺まで…。
・カッターもう一回引いてもらって…。
ここまで行ってくれたら…。
でも担当者は作業車を置くスペースがなくなると難色。
なるべくこれ向こう側へ…ちょっと今日の状況を見て…。
そうですね。
拡張するかどうかって…。
多分下がってるのは下がってると思うので。
じゃあそういう事で。
何とか説得に成功。
一筋縄ではいかない調査だったんですね。
まあですけど実は全然ガッカリしてないんです。
というのはどうしてですか?実はですねいろんな史料があるからなんですね。
これは江戸時代の初めに描かれました真田丸の絵図なんですけれどもこれを見て頂きますとこういうふうに真田丸の堀の跡が見事に描かれてるんです。
ただしこの絵図ではこの絵に描かれている堀がどの辺りなのかっていう事はおおまかにしか分かりませんのでまあ立体視っていう事で第2次世界大戦が終わったあとにアメリカ軍が撮影した航空写真をまあ立体視っていう事で地表の凸凹を見ていくっていうそういう研究をしてみたんです。
終戦直後の大阪。
焼け跡の航空写真は地表が現れるので堀の痕跡が見て取れるのだそうです。
でこの航空写真の判読の結果今ご覧頂いてます大坂真田丸の図これ見て頂きますと実は真田丸の形というのはこういう四角い形ですね。
少し角が丸くなってるんですがどちらかというと四角い形っていうのが航空写真とも非常によく一致してこの私たちが調査してる場所っていうのが真田丸のこの南側の堀のすぐそばのところを発掘してるんだっていう事をつかむ事ができていたのでガッカリしなかったんです。
では果たして真田丸の外堀は姿を現したんでしょうか?千田さんの想定に基づいて発掘は再開されました。
南北方向道路に向かって掘ってみる事にします。
駐車場に置く作業車は最小限に絞りました。
見つけたいのは地山と盛り土の境目が斜めになって現れるラインです。
しかし駐車場の下は地盤を固めてあり発掘作業は遅々として進みません。
うん?何か発見があったのか?壁がああいう色に…。
見えてきた地山のラインは南に向かって確かに落ちています。
この先が真田丸の堀になっているのか。
撃て〜!
(銃声)引け〜!引け!
(銃声)ああっ!最強のとりで真田丸。
この堀が徳川の大軍を阻んでいたはずです。
3日目。
いよいよ調査は最終段階にさしかかります。
調査はついに駐車場の敷地いっぱいまで拡大されました。
地山が下がっていたところを慎重に掘り下げます。
この砂の頭でいっぺんいきましょか。
あ〜!下がっています。
ついに堀をつかまえたか?しかし…。
下がりきらず逆に上がり始めていました。
そこで…そこで上がってるから。
幅僅か3メートルのくぼみでした。
幅40メートルの堀とは全く別物です。
このくぼみは江戸時代のゴミ捨て穴か井戸と判断されました。
本当にガッカリです。
どうもです。
慌てて千田さんが駆けつけました。
なるほど。
もう層も入れて頂いて。
なるほどなあ…。
ここ丸っこい感じであるからこっちへ掘ったら井戸のまあ…でもまあまあ…こっちにあるかもしれへん。
このガッカリの現場が千田さんには発見の現場だったようです。
土塁を作るんですけどね堀の手前側には。
そうすると雨降った時にこの土塁のままですと中がベタベタになるんですよね。
で内側に溝を必ず掘るんですよ。
土塁とセットで。
なるほど!ここを土塁と考えるとその上にはやぐらがあり堀と反対側に排水溝があるはずです。
雨が降ってとりでの内側が水浸しにならない仕掛けです。
だから排水溝はとりでがあった証し。
千田さんはこう考えたのです。
まさにですねこの雨落ち溝が掘られていてそして高まっている地山が高くなったところが土塁。
そしてちょうど調査してる一番ギリギリ端のところからまあ堀が始まっていくというですねそういった可能性があるのではないかなあっていうふうに今の時点では読み解く事ができると思います。
出てきたのが排水溝だとするとやぐらのスペースを挟んで堀へと続く下りラインが現れるはずです。
うんここ。
そこまで下がりましたね。
そこからヒューって。
なるほど。
なんと下りラインがはっきりと確認できました。
しかし駐車場はここで終わり。
この先は道路なので掘れません。
この状況をめぐって調査担当者と千田さんの見解は分かれました。
(森屋)こっち側が…最初堀が駐車場の真下にあると想定して調査が始まりました。
しかし…駐車場の南側道路の辺りに堀があると考え直す必要があります。
実は絵図に描かれた曲がった堀の形によく似ていたのです。
なんという結末でしょうか!外堀の直前まで来ていながらあと一歩のところで調査が終了したんですね。
そうなんです。
もしかするとこれは真田丸の堀がもうちょっとでドーンとこう下がるっていうですね痕跡がつかめているのかもしれないんですけどもまあここで調査終了でありますから残念ながら断定はできなかったというとこなんです。
もしここが真田丸の外堀だとすると今私たちはどこにいる事になるんでしょうか?もしこの辺りが真田丸の堀との境だったとするとちょうど絵図でいいますとこの辺りですね。
もう堀のすぐ内側のところに立っているっていう事になると思います。
でこの辺りが真田丸の一角であったという事には間違いなさそうですね。
それはもう間違いないと思います。
で少しですね地形を見て頂きたいんですがここ見て頂きますと私たちの立っているところというのはちょっと高くなっていて…向こう側が落ちてますよね。
行ってみましょうか。
ちょっと見てみたいんですが。
ここ段差になってますねこのテニスコートの下のところと。
はい。
まさに……というふうに考えられるんですね。
ですからこの場所に城壁がドーンとそびえていてそれで内側にはテラスもあって下と上の2段でこう攻めてくる徳川軍に対してこう守っていたっていうそういう場所に今立ってるっていうそんな事になると思います。
そうなんですねえ。
この真田丸を守るのに使われたのが火縄銃。
同じタイプのものが現在も残されています。
普通の火縄銃の2倍2メートルの大型銃。
その破壊力はどのようなものだったのか。
分厚い鉄板を貼り付けた戦国時代の甲冑を再現したもの。
(銃声)
(被弾音)後から見ると鉄板がめくれ上がっています。
大きな弾丸が貫通していました。
井上さん実はですね真田丸の強さの秘密というのはこの絵図からも読み解く事ができるんです。
例えばこれ何て書いてあるか分かりますか?あっお寺ですね。
実はこの辺り一帯っていうのは秀吉の晩年の頃に寺町としてお寺が建てられていたとこだったんです。
ですからこういうお寺がたくさんあった場所に真田丸が造られたっていうのが見えてきます。
寺町の寺を取り込んだ真田丸。
そのへりはガケが続いています。
このガケ人の手で作られたものでこれもまた堀の跡だと千田さんは考えています。
お寺があったっていう事でいいますとお寺のお堂っていうのは大きいですから兵舎にしたりやぐらに造り替えたりっていう事で非常に短期間にお寺があったからこそこの強い真田丸を造る事ができたんだっていうですねそんな様子が読み取れるんです。
でもう一つですねこの絵図には面白い事が描かれてるんです。
この部分は堀が途切れてるんですよね。
こういうのを「土橋」っていうんですけどいわば通路になっていたところです。
土橋こそ必殺の仕掛け。
徳川軍は堀に行く手を阻まれ土橋に向かいます。
それこそが信繁の思うツボ。
押すな!押すな!戻れ!向こうに道があるぞ!続け!向こうに道があるぞ!続け!真田側にしてみたら城壁の堀の外側に徳川の兵隊がちょうどこう並んでくれるという事になりますからまるでこう的にして下さいというようなかたちですからまあこういったところに土橋を作って敵をここに誘い込むというのがですね実は真田丸のもう一つの強さの秘密だったという事になると思います。
発掘をきっかけに真田丸の研究がぐっと進みそうですね。
冬の陣が終わり大坂城は外堀・内堀を埋められて裸城に。
真田丸も破壊されてしまいます。
大坂方が圧倒的に不利な状況で始まった夏の陣。
ところがここで信繁は新たな切り札を用意して決戦に挑みます。
絶体絶命の状態だったんですが徳川の主力軍と最初の大きな戦いが行われたのが「道明寺・誉田の戦い」。
そして最後の決戦ですねそれが行われましたのは「天王寺・岡山の戦い」という事になりました。
実はこの2つの戦いの現場を見ていきますと信繁の恐るべき知略というのが見えてくるんです。
是非そこをご案内したいというふうに思います。
お願いします。
参りましょう!こちらですこっちです。
信繁の切り札。
ここは古墳じゃないでしょうか?いやもうこう見えてまいりました。
これがですね…え〜!実はですねこの古墳がですねすごいお城になっていてですねこれこそ「第2の真田丸」と言っていいとこなんですよ。
最強のとりで真田丸。
一つじゃなかったんですか?先生大丈夫でしょうか?真田丸三昧だからといってこんなところで学者生命を懸けて。
これ一応全国放送ですよ?大丈夫です!お任せ下さい。
これはですね…訪れたのは道明寺の戦いの舞台。
第2の真田丸とはこの巨大古墳でした。
でも一体どこが真田丸なんでしょうか?これ見て頂きますともちろんこれ前方後円墳に見えると思うんですけども実は古墳の段とは関係がないですね。
大きな溝であったりですとかこう切れ目のようなものが造られているんですね。
実はこれ堀を墳丘の中に造っていまして…古墳を3次元データで見てみると本来の形に手が加えられとりでに造り替えられていました。
古墳の頂上は削られ兵舎を置くスペースに。
登り口も整備され…更に物資を隠しておくための地下室を設けた建物まで造っていた可能性があります。
大坂城を守る強力な要塞。
確かに真田丸と同じ役割です。
あのちょうど向こう側に見えているのが生駒山でありまして生駒山の向こう側は今の奈良県であります。
徳川の主力軍というのは奈良県を経由してまあこの大坂側に入ってきていましたので…この第2の真田丸を使った信繁の巧みな戦略が浮かび上がってきます。
東側には古墳が列になって並んでいます。
これが作戦のポイント。
奈良から大坂側に侵攻した徳川軍は古墳と古墳の間の狭い道を通らなければなりません。
いかに大軍でも狭い道にそれぞれ分かれて進むその時。
本拠地とした第2の真田丸から出撃。
敵を順々に打ち倒していく事が可能になります。
そして作戦が失敗しても次の一手が用意されていました。
この茶臼山なんですけれども大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置いたところです。
しかし…えぇ〜!確かに石碑には「冬の陣の家康本陣跡」「夏の陣の幸村本陣跡」と書いてますがたまたまじゃないかと思うんですけど…。
いえ決してたまたまではなかったんです。
この絵図をご覧頂きたいと思います。
これは松江歴史館で見つかりました「極秘諸国城図」というお城の図なんですけどもこちらが茶臼山そしてこれらが岡山という事になりますけども…茶臼山と岡山第3・第4の真田丸です。
どちらにも騎馬隊を出撃させるための出入り口「丸馬出」が作られています。
こちらをご覧下さい。
夏の陣を描いた絵図。
尾張徳川家が伝えていました。
そこにははっきりと茶臼山・岡山の大坂方のとりでが描かれています。
注目すべきは間に描かれたこのライン。
巨大な堀があった事を示しています。
千田さんはこの堀が今でもすぐ分かるというのです。
ここをですね見て頂きますとちょうど車が下がっていってまた向こう側に上がっていくというですねこう凸凹のある地形っていうのが見て頂けると思うんですけどもどうですか?ああ分かります分かります。
実はですね…そういうふうにしてたその痕跡だと思うんです。
現代の地形図からも確かにクネクネと続くラインが分かります。
南から押し寄せる徳川方を空堀のラインで食い止めます。
激戦はこう着状態に陥るはずです。
しかしここにチャンスが。
前線に兵力が集中し家康本陣は手薄になる。
それが信繁のねらい。
このタイミングで次の一手が。
茶臼山と岡山には騎馬隊を温存していました。
その騎馬隊が手薄な本陣をつき総大将家康を討ち取る。
これが信繁の最後の秘策でした。
(いななき)従来大坂夏の陣というのは徳川の大軍に対して少数だった豊臣軍というのがいわば無謀な戦いで野戦をしたというふうにですねそういうふうに考えられてきたんですけどもこういうふうにいくつものお城を築いて……という事が明らかだと思います。
城郭考古学から見るとですね……というふうに言ってよいと思います。
信繁にとって大坂夏の陣は勝ち目のない戦いではなく考え抜かれた勝利のための戦いだったのです。
真田丸を捜す旅から分かってきたのは「日本一の兵」と呼ばれた真田信繁の真の姿でした。
さて大河ドラマ「真田丸」はいよいよあさって最終回を迎えます。
どんな展開になるのか楽しみですね。
楽しみです。
今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
「歴史秘話ヒストリア」今日はこの辺りで失礼いたします。
2016/12/16(金) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「緊急報告 “真田丸”を掘る」[解][字]

大坂の陣のハイライト、真田丸の戦い。今回「真田丸発掘調査団」が組織され、11月末から発掘を開始!400年ぶりに真田丸の一角を掘り当てることは出来るのか!?

詳細情報
番組内容
大坂の陣のハイライト、真田丸の戦い。豊臣方はたった1日の戦闘で幕府軍1万人以上を打ち倒した。しかし、どのようにして、この強力なとりでを1か月ほどで築いたのか…戦国史最大の謎である。歴史秘話ヒストリアは専門機関の協力を得て真田丸の場所を探る。今回、「真田丸発掘調査団」は11月末から発掘を開始。400年ぶりに真田丸の一角を掘り当てることはできるのか?
出演者
【キャスター】井上あさひ