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書き起こし 地球ドラマチック・選「ツタンカーメンの謎〜死の真相に迫る〜」 2016.12.24

 

 

今からおよそ3,000年前古代エジプトに19歳で生涯を閉じた若き王がいました。
歴史から忘れ去られた王は数千年の眠りを経て黄金のマスクとともに姿を現しました。
「ツタンカーメン」。
しかしその生涯と早すぎる死の原因は長い間謎のベールに包まれてきました。
今最新の科学がその謎に挑み新たな手がかりが次々と発見されています。
驚いた。
こんなにはっきりと見えるなんて。
ツタンカーメンはどのような人物だったのでしょうか?何が原因で命を落としたのでしょうか?ついに答えを見つけたのです。
調査の結果を見て私は興奮しました。
最新の科学調査が黄金のマスクに隠された若き王の真実の姿に迫ります。
そこには驚くべき死の真相が隠されていました。
科学ジャーナリストダラス・キャンベル。
今回ツタンカーメンの謎を探るために手がかりとなる場所を訪ね歩きます。
ナイル川の西にある「王家の谷」は古代エジプトの歴代の王が最後の眠りについた場所です。

 

 

 

 


ツタンカーメンの墓は1922年にこの谷で見つかりました。
発掘したのはイギリスの考古学者ハワード・カーター。
墓からは若き王のミイラが発見されました。
王の顔は黄金のマスクで覆われ周りは副葬品の山で埋め尽くされていました。
この衝撃的な発見によってツタンカーメンの名前は世界中に知れ渡ったのです。
ツタンカーメンのミイラは今もその墓に安置されています。
ツタンカーメンの墓の内部はどうなっているのでしょうか?案内するのはエジプト学の研究者ゲイル・ギブソンです。
深いですね。
ええかなり下まで掘られています。
ツタンカーメンの墓は古代エジプトの歴代の王の墓に比べると小規模です。
奇妙だと思いませんか?壁画などの装飾も少なく簡素な造りです。
意外と狭いんですね。
王の墓とは思えませんよね。
岩がむき出しで飾り気のない狭い空間です。
ここに馬車や寝台や箱が無造作に積まれていました。
1922年に発見された王の副葬品は5,000点以上に上りました。
何もかもが一緒くたに置かれていたんです。
狭い空間に無理やり押し込んだのでしょう。
下へどうぞ。
ええ。
この下に王のひつぎが。
すごい。
壁の絵は少なく描かれ方もシンプルです。
何百もの手の込んだ絵で飾られる他の王たちの墓とは対照的です。
細かな描写は少なく大きな絵が多いですね。
王に捧げるにしては奇妙な絵です。
近年これらの壁画の上に興味深いものが発見されました。
3,000年前のカビです。
おそらくしっくいがまだぬれているうちに慌てて絵を描き全ての副葬品を運び込んで墓を閉じたのでしょう。
内部の壁が湿っていたためにその後3,000年間カビが広がっていったのです。
という事はつまり王の埋葬は十分な時間をかけずに行われたという事でしょうか?ええかなり慌ただしい埋葬だったのでしょう。
ツタンカーメンのなきがらは墓の中心部に安置されています。
亡くなったのは19歳の時。
歴代の王の中でも早すぎる死を迎えています。
簡素な墓に慌ただしく葬られた19歳の若き王。
それは王の死が予期せぬものであった事をうかがわせます。
死因について長年ささやかれてきたのは「暗殺説」です。
暗殺説は1968年ある発見を基に提唱されました。
初めて遺体のレントゲン撮影が行われた際頭蓋骨の内部に奇妙な骨のかけらが見つかったのです。
後ろから頭部を殴られた証拠のようにも見えます。
飛び込んでみせてよ。
やあ。
一体誰が王を殺そうとしたのでしょうか?ヒントを得るためにキャンベルはナイル川を300キロ以上下ったある古代の都を訪ねました。
古代エジプトの「ファラオ」は一国の指導者であるばかりでなく「生ける神」としてあがめられていました。
ファラオを殺害するにはよほど強い動機があったはずです。
その動機はここアマルナの都で見つかるかもしれません。
ツタンカーメンが即位する十数年前時の王アクエンアテンは砂漠の真ん中に新しい都を築きました。
理由はただ一つ。
「太陽神アテン」を祭るためです。
アクエンアテンは「太陽神アテンこそがエジプトの唯一の神である」と宣言し古来の神々の神殿をアテンのためだけに造り替えました。
それは宗教革命を引き起こしました。
当時の記録がアマルナの遺跡に残っています。
この石碑はアクエンアテンの言葉を記したものです。
そこには太陽神信仰の元となった幻覚めいた宗教体験が述べられています。
まるで記念碑のようですね。
具体的にはどんな事が書かれているんですか?例えば太陽神アテンがこの場所を指定しアクエンアテンはその言葉に従って都を築いたのだと書かれています。
アクエンアテンは古代エジプトの「異端の王」とも言われるそうですね。
伝統的な神々の世界を否定し太陽神アテン崇拝を一気に押し広めたのです。
何の暴力もなしになしえたかどうかは疑問です。
内戦のようなものが起きていたかもしれません。
不穏な時代だったと?そう思います。
アクエンアテンのあとを継いで混とんとした国を治めたのはまだ10歳にも満たない少年ツタンカーメンでした。
幼い王を補佐する後見人たちは玉座の陰で実権を握ろうとしたでしょう。
そして10年後。
暗殺説によれば成人になったツタンカーメンが権力を強めるのを恐れて後見人の誰かが王の頭部に強烈な一撃を加えたのです。
暗殺説は長年有力とされてきました。
証拠とされるものも強い動機もあります。
そして今最新の科学が全く新しい方法で暗殺説を検証します。
答えはツタンカーメンのミイラの中にあります。
ツタンカーメンのミイラは保存処理がなされ墓に安置されています。
そのミイラから立体画像を再現し解剖学的に調べる試みが始まりました。
画像を解剖するとは?今お見せします。
これがツタンカーメンです。
これが?そうです。
CTスキャンで撮った2,000枚もの画像を合成したものです。
放射線科医師アシュラフ・セリーム教授は世界で初めてツタンカーメンの画像による解剖に取り組んでいます。
わ〜すごい。
驚くほど鮮明ですね。
画像を組み合わせて立体化し骨だけでなく軟かい組織も見る事ができます。
そこがレントゲンとCTスキャンの大きな違いです。
教授は暗殺説が事実かどうかを明らかにする重要な手がかりを発見しました。
「後頭部を強く殴られて死んだのだ」という説がありますがどう思いますか?頭蓋骨の内部に骨のかけらがあったからですね。
見てみましょう。
私はある事に気付きました。
この骨には埋葬の際の防腐処理剤が付いていません。
もし頭を殴られて致命傷を負ったのであればミイラにする際の防腐処理剤が割れた頭蓋骨内部に流れ込んだはずです。
問題の骨のかけらに何も付いていないとするとそれはある事を意味します。
これらの骨は遺体がミイラ化されたあとに入り込んだもので王の死因とは無関係です。
となると殺害説は弱まりますね。
頭を殴られ殺されたのではない訳だ。
それはありえません。
この画像が証拠です。
本当に?ええ。
頭を殴られて死んだのではありません。
暗殺に代わる死因とは何でしょうか?解剖学的調査が更なるヒントをもたらします。
まず言えるのは「このミイラはかなりひどい状態だ」という事です。
全身がバラバラに分かれています。
バラバラになった理由として発見後の扱いの悪さも挙げられます。
黄金のマスクや包帯が王の体に貼りついていて外す際に胸や腹の組織が剥がれてしまったのです。
おびただしい損傷のほとんどはツタンカーメンの死後に生じたものでした。
しかし中には例外もありました。
死後ではなく生きている間に骨折したと思われる部位があったんですよね?1か所だけそうだと思われる場所がありました。
左の膝です。
ここが折れている。
この黒い部分ですね?ええそうです。
大けがですね。
かなり太い骨ですから。
ええ転んだ程度で折れるものではありません。
白く見える部分はミイラにする際に付着した防腐処理剤の樹脂です。
おそらく骨折してまもなく亡くなりそのままミイラにされたのでしょう。
重要な手がかりです。
骨折してまもなく死亡したという事は死因に関連している可能性が大いにあります。
しかしなぜそのようなけがを負ったのでしょうか?ヒントはツタンカーメンとともに埋葬された所有品の中に見つかるかもしれません。
副葬品には王の人生が凝縮されているからです。
これらはツタンカーメンの墓で発見された品々の精密な複製品です。
発見当時そのままに再現されています。
5,000点以上ある王の副葬品の中には豪華な馬車が6台もありました。
古代エジプトでは馬車は狩りや戦闘に使われました。
これらの品を証拠として「ツタンカーメンが馬車による事故で亡くなった」という説も唱えられてきました。
古代エジプトの馬車を復元してツタンカーメンが馬車の事故で死んだ可能性を検証する事にしました。
まずどのような乗り物かを理解するために砂漠で走行実験を行います。
立ち会うのは病理学者アルバート・ジンク教授と衝突事故の専門家リチャード・フランプトン博士です。
(リチャード)これが王の馬車ですね。
古代にも乗り物の事故は当然あったはずです。
この馬車はいわば古代のスポーツカーです。
ええ。
見たところ走行中に振り落とされる事故が多そうですね。
安定感が悪く乗りながらバランスをとるのが難しそうだ。
ええ。
ぶつかった時の衝撃も相当なものだったでしょう。
実際に走らせてみる事にしました。
どのくらいのスピードを出せるか試してみて下さい。
掛け声を。
よし行け!うわっ…。
行け!最高スピードを計測します。
どうです?スピードに乗ってきた。
最高時速は34キロだ。
いい走りです。
最大で時速34キロは出ていました。
結構速いな。
実験の結果からスピードに乗った馬車が衝突した場合1トン以上の力がかかる事が判明しました。
落下したら大けがですね。
走行中に地面に落下すれば大たい骨が折れても不思議ではありません。
馬車による事故はツタンカーメンの死因として現在も有力なものの一つです。
しかし今回の実験によって分かった事がもう一つあります。
乗りこなすのが大変でした。
すごい力が両足にかかるんです。
スケートボードのように両足でバランスをとるのが難しかったです。
先ほどの解剖室に戻りましょう。
実はツタンカーメンの左足には骨折の他にも重大な問題がありました。
ここです。
これを見て下さい。
セリーム博士が指摘するのはツタンカーメンの左足のねじれです。
足の先の骨が一部偏っています。
骨が押し潰されてるようですね。
そのとおりです。
つま先が普通とは違う方向を向いています。
斜め方向に突き出ていますね。
ええ。
医学的に言うとどういう状態ですか?「内反足」という状態です。
足の骨が病気によって内側にねじれていました。
内反足は歩行にも影響しますか?ええ。
歩く時に足を引きずっていたでしょう。
あ〜。
更に内反足の他にも重大な病気が見つかりました。
脚の血液の循環が悪くなる病気です。
13歳か14歳頃に発症したのでしょう。
「ケーラー病」と呼ばれています。
ケーラー病?ええ。
血液の循環が悪くなり骨が壊死します。
骨が「死ぬ」という事ですね。
骨の一部が死ぬのです。
この辺りがそう。
ケーラー病は歩行に支障をきたす病気です。
骨が衰え体を支えられなくなるからです。
足の指の付け根関節の辺りがもろくなり骨が砕けてきます。
左足のこの辺りですが骨がバラバラになっています。
健康な右足とはまるで違います。
右足は問題ありません。
歩くと痛みますか?かなり痛いです。
つまり王は常に足を引きずり痛みをこらえていた訳ですね。
ツタンカーメンのイメージが変わりますね。
ええそう思います。
画像による解剖は驚くべき事実を明らかにしました。
ツタンカーメンは脚に障害があり歩くのに苦労していたのです。
その証拠とも言えそうな品がツタンカーメンの墓から見つかっています。
およそ130本ものつえ。
先がすり減っているものもあります。
歩くのも困難だったツタンカーメン。
果たして馬車を乗りこなす事ができたのでしょうか?ツタンカーメンはこのような馬車に乗れたでしょうか?左足に骨の変形や痛みがあったようですが。
ええ。
CTスキャンの画像は私も見ました。
王の左足には問題があり歩くのにも支障をきたしていたでしょう。
そのような状態で馬車を乗りこなしていたとは考えにくいですね。
私はツタンカーメンの死因は馬車による事故ではないと思います。
解剖学的なデータは王の「暗殺説」と「馬車による事故死説」を共に退けました。
では本当の死因は?CTスキャンの画像を基に今回初めてツタンカーメンの全身像が再現されました。
これが黄金のマスクの下に隠されていたファラオの姿です。
顔は小さく前歯が出ています。
脚には病気と障害がありました。
今ツタンカーメンの体を調べ本当の死因を探ろうとする研究が始まっています。
ごく最近まで古代エジプトを知る手がかりは遺跡や残された文字以外にありませんでした。
しかしエジプトの人々は更に価値あるものを残してくれています。
ミイラです。
わ〜すごい数のミイラだ。
いくつも積み重なっています。
まるで悪い夢でも見ているようだ。
古代エジプトの人々は肉体をミイラにして未来永劫残そうとしてきました。
数千年を経た今それらは古代への扉を開く貴重な鍵になろうとしています。
ジンク教授はミイラから採取したDNA解析の第一人者です。
今回手がけたのはツタンカーメンのDNAです。
最新の調査結果を聞くためにキャンベルは砂漠でジンク教授と合流しました。
ツタンカーメンのDNAはこれまでよく分からなかった父親と母親についての情報を与えてくれました。
古代のミイラからDNAを採取する事は難しく近年ようやく可能になりました。
ツタンカーメンの祖先が誰なのかを知るための重要な手がかりが得られ始めたのです。
ジンク教授はまずツタンカーメンの血縁と思われる王族10人のミイラからDNAを採取しました。
そのうちの1人がツタンカーメンの前の王アクエンアテンです。
ツタンカーメンの父親とも言われますが決定的な証拠はこれまでありませんでした。
アクエンアテンがツタンカーメンの父親かどうか私はDNA鑑定によって決着をつけようと思いました。
最初に比較したのは男性の「Y染色体」。
ツタンカーメンとアクエンアテンに興味深い傾向が認められました。
これが2つのミイラから得たDNAの分析結果です。
ツタンカーメンとアクエンアテンは同じ場所に山があり特徴が一致します。
しかしこれは2人が血縁である事を示すだけです。
例えば兄弟かもしれないし祖父と孫かもしれない。
親子とは限りません。
ええ。
そこで更に徹底的に遺伝子を調べました。
いわゆる「遺伝子の指紋」を比較した訳ですね?そうです。
遺伝子には指紋のように人によって異なる特徴がありますがツタンカーメンとアクエンアテンはこんなにも特徴が似ています。
明らかにこれは2人が親子である事を示しています。
ついに答えを見つけたのです。
調査の結果を見て私は興奮しました。
疑いの余地はないんですね?全くありません。
ツタンカーメンの父親はアクエンアテン。
しかし謎は半分解けたにすぎません。
残る謎は母親が誰か?という事です。
有力候補はアクエンアテンの妻王妃ネフェルティティです。
しかしアクエンアテンには他に何人もの妻がいました。
ツタンカーメンの母親は誰なのか謎を解く鍵は王家の谷にある別の王の墓で見つかりました。
こちらです。
本物の墓です。
気をつけて。
もっと下?ええこのまま下りていきます。
ここに部屋があります。
王が眠っていた部屋です。
すばらしい。
アメンホテプ2世の墓です。
豪華な壁画はツタンカーメンの簡素な墓とは対照的です。
発掘された時王の遺体も見つかったんですか?ええそちらのひつぎに葬られていました。
美しいでしょう?本当に。
この墓には王ばかりでなく王族の人間と思われる数々のミイラが安置されていました。
床に3体のミイラがありました。
「年配の女性」「少年」そして謎めいた「年下の女性」です。
謎めいた「年下の女性」とは?「ツタンカーメンの母親ではないか?」という説があります。
「年下の女性」が誰なのか記録はありません。
しかし王家の墓に安置されたのは重要な人物であった証拠です。
ジンク教授は「年下の女性」を含むいくつかのミイラからDNAを採取しました。
ツタンカーメンと遺伝子の特徴を比較するためです。
ツタンカーメンの母親を探すにあたり候補となるミイラがいくつかありました。
中でも「年下の女性」は有力候補でした。
それらのミイラについて遺伝子の特徴を調べました。
特に注目したのは母親から子に受け継がれる「ミトコンドリアのDNA」でした。
ミトコンドリアのDNAは人物の母方の系譜を解き明かす鍵です。
家族関係を証明する際有力な証拠の一つとなります。
世界初の調査の結果はまもなく明らかになります。
その前にエジプト考古学博物館に収蔵された「年下の女性」と対面する事にしました。
これですね。
ええ。
この顔面の損傷は?おそらくけがの跡です。
損傷のパターンから見て馬に蹴られたのでしょう。
えっ?じゃあ生きている時に受けた傷ですか?そうです。
そしてこのけがが元で死んだのでしょう。
このミイラについてこれまでに何が分かっているんですか?まずCTスキャンによる画像検査をしたところ後頭部に特徴のある小さな骨が見つかりました。
その後ツタンカーメンにもよく似た骨が見つかったのです。
そこで2人の関連性を詳しく調べる事になりました。
それでDNAの特徴を比較したんですね。
ええDNA鑑定を行いました。
それは夜遅く研究室で調査データを見ていた時の事です。
さまざまな数値を整理するうちにツタンカーメンと「年下の女性」の特徴がぴったり符合する事に気付いたのです。
思わず叫び声が出ました。
彼女はツタンカーメンの母親だったのです。
DNAが明らかに示しています。
ついに見つかったのです。
ものすごい発見ですね。
夢にも思わなかった人生最大の発見です。
王家の墓に眠っていたこの「年下の女性」こそツタンカーメンの本当の母親でした。
ついにツタンカーメンの両親が明らかになりました。
発見された事実はそれだけではありませんでした。
エジプト考古学博物館にはツタンカーメンの父アクエンアテンのミイラも収蔵されています。
ツタンカーメンの両親の遺伝子を調査した結果ジンク教授は更に驚くべき発見をしました。
分析の結果ツタンカーメンの父親と母親についてもう一つの事実が判明しました。
驚いた事に2人は実のきょうだいでもあったのです。
夫婦でもありきょうだいでもあるという事はツタンカーメンは「近親婚」によって生まれたという事ですか?そうです。
両親が近親婚だったのです。
古代エジプトでは近親婚はよくある事でした。
王族の中だけで結婚を繰り返したのです。
古代エジプトの王たちは近親婚によって王家の神聖さが保たれると信じました。
しかし現実には逆効果でした。
現代人とは異なり近親婚が子孫に及ぼす影響を知らなかったのでしょう。
今回のDNA調査の結果ツタンカーメンの死因には近親婚による重大な影響があったという説が浮かび上がりました。
ツタンカーメンは19歳で突然亡くなり慌ただしく埋葬されました。
膝には致命的な骨折が認められます。
左足は骨の病気により曲がり歩行が困難でした。
そして両親が近親婚であるという事実。
それらは何を物語るのでしょうか。
新たに見つかった手がかりの全てをつなぎ合わせ画期的な説を提唱しているのは外科医師のフタン・アシュラフィアン博士です。
足元に気をつけて。
大きな穴が空いています。
ええ。
博士は現代医学の視点からツタンカーメンの身体的な問題とその死因に光を当てています。
あ〜カルナック神殿がよく見えますね。
カルナック神殿はツタンカーメンの祖先にあたる古代エジプトのファラオが何世代にもわたって築き上げた壮大な建造物です。
アシュラフィアン博士はツタンカーメンの祖先や代々のファラオについて情報を収集し王家に伝わるいくつかの医学的特徴に気付きました。
彼の一族は若くして死んだ人が多いんです。
ツタンカーメン自身も父親のアクエンアテンも更に曽祖父も早く亡くなりました。
一族には短命の傾向があるのです。
しかし偶然という事もあります。
たまたまいろんな理由で早く死んだ可能性はないですか?もちろんありえます。
しかし私はある気になる事実に気付きました。
一説によればツタンカーメンは父よりも短命で父は祖父よりも短命でした。
その事実は家族にある病気が受け継がれていた事を示唆するというのです。
それはどのような病気だったのでしょうか。
当時の美術品の中に手がかりがあります。
アクエンアテンですね。
ええツタンカーメンの父親ですがこの体型はどう見ても男性らしくありません。
確かに女性的です。
腰回りが大きい。
これは明らかに病気の現れです。
博士は医師が患者を見るように彫像の体の特徴を調べました。
これは当時の美術様式にのっとった誇張されたスタイルなのでは?…かもしれません。
しかしアクエンアテンは生前自らの姿を正しく残すよう命じていたと言われます。
ですから誇張とは言い切れません。
同様の特徴は他の王にも認められます。
また近年ツタンカーメンの墓にあった腰布を調べたところ腰回りがかなり大きかった事が判明しました。
ホルモンのバランスが崩れると男性でも女性的な体型になります。
ツタンカーメンが受け継いでいた身体的な問題が次第に明らかになってきました。
ツタンカーメンに死をもたらした病気とは一体何だったのでしょうか?アシュラフィアン博士は謎を解く最後の手がかりの在りかを教えてくれました。
場所は有名なギザの大ピラミッドのそばです。
ピラミッドの傍らに有名なスフィンクス像があります。
その両脚の間にツタンカーメンの死因を解明する重要なヒントが書かれているというのです。
ギザのスフィンクスは今からおよそ4,500年前に造られました。
それから1,000年以上の後砂に埋もれていたスフィンクスを掘り出させたのはツタンカーメンの曽祖父トトメス4世だと言われています。
間近で見るのは初めてです。
美しいでしょう?ええすごい!この石碑はツタンカーメンの曽祖父トトメス4世の「夢の碑文」として知られています。
トトメス4世が夢に見た不思議な幻覚について書かれています。
トトメス4世は狩りの旅の途中で休息を取りました。
するとその夢にスフィンクスが出てきました。
スフィンクスはトトメス4世に「私を砂から出してくれたらお前を王にしてやる」と言ったのです。
ええ。
トトメス4世はスフィンクスを砂から掘り出しその後王になりました。
もし石碑に書かれた事が事実ならばツタンカーメンの曽祖父は強い幻覚の持ち主だった事になります。
そしてツタンカーメンの父アクエンアテンも太陽神アテンのお告げによって宗教改革を行いました。
王家の歴史に繰り返し現れる強い幻覚。
これが最後の手がかりです。
ツタンカーメンの病気の謎を解き明かす全てのヒントが出そろいました。
現代医学の観点から遺伝性の病気を疑うとどのような結論が導かれるのでしょうか?その病気は一族に短命の傾向をもたらしました。
ホルモンのバランスを崩し時に強烈な幻覚を引き起こします。
更にツタンカーメンの脚の骨折とも何らかの関連があるはずです。
彼の家系に起こった全ての出来事を考え合わせてみました。
それらはある病気の症状として説明できるはずです。
ツタンカーメンの膝の骨折も病気の証拠だと思います。
現時点で全ての症状を併せ持つ病気はただ一つ。
「側頭葉てんかん」です。
診断された病名は驚くべきものでした。
てんかんは脳に影響を及ぼし幻覚を引き起こしたりホルモンの生成を阻害したりします。
更に発作が思いがけない事故につながる事もあります。
ツタンカーメンはてんかんを患いながら生活していたと考えられます。
治療せずにいれば発作の際に転倒したり思いがけない事故に遭ったりして骨折する危険性が高くなります。
左膝の骨折は突然の発作で倒れた時に起きたものかもしれません。
つまりてんかんそのものが死因ではなく発作の際の事故が命取りとなったんですね。
そうです。
発作の際に転倒して骨折し出血や感染症などに見舞われました。
それが元で亡くなったのです。
最新の科学調査は3,000年の間謎のベールに包まれていたツタンカーメンの素顔をついに明らかにしました。
そして19歳で亡くなった王の本当の死因について大胆な新しい答えを導き出したのです。
かつて古代エジプト王国の頂点に立った若き王ツタンカーメン。
今回明らかになったのはその栄光とは裏腹につらい現実と向き合い短い生涯を閉じた一人の若者の姿でした。
しかしツタンカーメンは再び栄光を手にしました。
墓から姿を現し自らの名を未来永劫残すという全てのファラオの願いを実現させたのです。
2016/12/24(土) 19:00〜19:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック・選「ツタンカーメンの謎〜死の真相に迫る〜」[二][字]

古代エジプトのファラオ、ツタンカーメンはどのような人物だったのか?最新の科学技術を駆使してミイラを分析し、CGで全身を再現。知られざる素顔が明らかに!

詳細情報
番組内容
黄金のマスクで知られるツタンカーメン。幼くして即位し、19歳くらいで亡くなったとされる。その素顔は謎に包まれている。このほど研究者がツタンカーメンのミイラをCTスキャンなどで徹底調査した。身長、腰幅、顔のつくりまでを解明し、CGでリアルに再現する。また、持病があったことも判明。どのような生活をしていたのかも分かってきた。マスクに隠された素顔に迫る。(2014年イギリス・カナダ)再放送
出演者
【語り】渡辺徹