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書き起こし クローズアップ現代+「オイ鬼太郎 ワシの幸福論を聞いてくれ〜水木しげるの日記」 2017.01.05

人間のみんなこんばんは。
鬼太郎です。
ここは1年前にあの世に旅立った水木しげるさんの仕事場です。
実はここで娘さんが驚きの発見をしたんだ。
水木さんが書きためていた未公開の日記がた〜くさん出てきた。
どれどれ?中を開くと…。
ん?これは漫画になった仲間たちの原案だね。
世に出なかったキャラクターもいる。

 

 

 


「幻ちゃん。
事件を解決し口笛と共に去っていく」。
日記には思いも寄らない水木さんの本音も書かれていたんだ。
では早速日記の中をのぞいてみましょう。
幸せに生きるヒントにきっと出会えるはずだよ。
1年前93歳で亡くなった水木しげるさん。
僕鬼太郎だけでなく「河童の三平」や「悪魔くん」などたくさんの名作を残した戦後を代表する漫画家です。
今回見つかった日記は水木さんが売れっ子だった1960年代からのおよそ30年分。
うわ〜!スケジュールは漫画の締め切りでびっしり。
忙しかったんだな〜。
日記の中で特に多かったのは僕鬼太郎についての走り書き。
き…鬼太郎犬!?えっ僕を犬にしようとしていたの?こっちは僕の顔が風呂敷になって相手を包む?どれも斬新だけど結局漫画にはならなかったみたい。
日記の中で特に気になる文章を見つけた。
「その后の鬼太郎」。
水木さん「鬼太郎」の続きを考えていたんだね。
「1970年4月19日。
その后の鬼太郎。
失職してねずみ男のところに居候している。
俺の助手になるならしばらくおいてやってもいい。
俺と一緒にゴキブリの繁殖を手伝うんだ。
鬼太郎」。
え〜っオチメの鬼太郎?水木さん何でこんな僕を描こうとしていたんだろう。
足立さん今日はよろしくお願いします。
水木さんの伝記を書いた足立さんに日記を見てもらう事にしました。
すごい量ですねしかしこれは。
どこまで続いてるんですか?日記の中の鬼太郎を見てどう思いましたか?え〜本当!?確かに最初に水木さんが世に送り出した鬼太郎は今の僕のイメージとは全く違うものでした。
妖怪を追い詰めた人間たちを不幸にしていく怪奇漫画だったんだ。
でもみんなが好きだったのは人間のために妖怪を退治する僕。
高度成長のまっただ中誰もが夢を託せるヒーローを求めていたんだね。
お前がお嬢さんに乗り移っていたんだな!?おや?このころの日記に手紙が挟んである。
編集者からの駄目出しの手紙だ。
「もっと合理的にならないものでしょうか。
もっと簡略化した方が分かりやすいストーリーになると思います。
分かりにくいストーリーはぜったいさけてください」。
じゃあ水木さんはどんな世界を描きたかったんだろう。
日記にこんな物語がありました。
「妖怪軍団。
今のように人間にかくれて生活しなきゃあならないようではいつまでたっても妖怪の地位は向上しない!日本が唯一の妖怪後進国であるのは鬼太郎のせいです」。
物語では妖怪たちを救おうと解放軍が攻め込んできて僕をさんざん痛めつけるんだ。
水木さんは絶対正義のヒーローばかりがもてはやされる事に疑問を感じていたんだね。
編集者や世の中の期待と自分の描きたいものが違う。
水木さんはそんな自分を自画像にしていました。
あれ?大きな歯車がカラカラと回ってるだけ。
「劇画製作機」と書いてある。
何だか僕心配になってきた。
精神科医の名越先生この絵どう見たらいいんでしょうか?このころ水木さんがある旅に出ていた事が日記から分かりました。
1972年10月18日行き先は東北って書いてある。
その旅をたどってみよう。
夕暮れ時水木さんは不思議な光景を目にしたんだ。
「夕方田んぼでワラをたくのをみる。
汽車からみるとそれが生きているようにもみえる。
また遠くの火が近くにもみえる。
妖怪火の感じが分かったような気がした」。
水木さんワクワクしてきたみたい。
そして向かったのは福島県会津の小さなお寺。
この旅に同行した人が見つかりました。
雑誌の編集者有川さん。
日本の伝統を題材に女性向けのイラストを水木さんに頼んだんだって。
旅に出たくなるようなおしゃれなイラストを描いてもらうはずだったんだけど…。
お堂に入った水木さん立派な仁王像には目もくれずなぜか隣の柱を見つめたんだって。
「だきつき柱と書いた柱がありこの柱に抱きつくと死ぬときに苦しみなしにコロリと死ねる。
別名コロリの柱ともいわれる柱が手あかにまみれていた。
よほど古来多くの老人がなでまわしたのだろう」。
これが完成した水木さんのイラスト。
世の中から忘れられがちな目に見えない世界を細かいところまで描き込んだんだね。
水木さんの妖怪の世界をこのスタジオに再現してみました。
おなじみの妖怪たちも遊びに来てくれていますし水木さんももしかしたらその辺りで見ていてくれているかもしれませんね。
今夜は水木さんと親交が厚くご自身も妖怪の世界を表現してこられました京極夏彦さんにお越し頂きました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
見つかった日記の一部というのを特別にこちらにお借りしてきたんですけれども京極さんはどうご覧になりましたか?いや〜あの水木先生は割ときちょうめんな方なんですねああ見えて。
だからこういう事はあるだろうと思いましたけど実際にこんなにたくさん残ってるっていうのはちょっとねびっくりしました。
30年分。
30年分ですからね。
実は私も水木さんが亡くなるまで過ごされた東京の調布市で育ちましてやはり小さい頃から鬼太郎には親しんできた一人でもあるんですけれども鬼太郎というとやっぱり妖怪を退治するヒーローのイメージが強かったんですが本当は水木さんが描きたかったのはそうじゃなかった。
というかね確かに世間の人は勧善懲悪のストーリーとして読んでるんだけど結構勘違いなんですね。
よく読んでみるとねそんな単純な筋立てのものはない…し逆に水木先生の作品ってストーリーはある意味どうでもいいっていうところがあるんですね。
鬼太郎自体ヒーローの割にはね昼寝したりおなかすかしたりサボったりするしむしろアンチヒーローとしてのねずみ男が際立っていてそれが鬼太郎をなじるので読んでる方はこの人はボランティアで正義の味方してるんだみたいに勘違いしちゃうんですね。
でも実はそうでもないですよ。
あ〜そうなんですか。
やっぱりアニメのイメージが強かったからかもしれないんですけどでも水木さんが描く妖怪っていうのは私たちがふだん思い浮かべるちょっと気持ち悪いとか怖いっていうものと違って親しみが持てますよね。
そうですよね。
水木さんはやっぱり懐かしさみたいなものをねかなり重要視していて…。
懐かしさ?懐かしさですね。
戦略的に懐かしいものを取り入れていく表現していくっていうところがあったんですね。
だから「鬼太郎」自体もそういう作りにはなってるんで初めて見た人がどこかで見た事があるっていうふうに思えたり初めて見たから懐かしいはずないのにどこか懐かしいような感じがあったりするっていうそういう景色や風景みたいなものを描き込んでそういう作り方をしているんでむしろ筋立てっていうのは二の次なところがあるんですよね。
懐かしさとか古いものを大事にするっていうのはどうしてなんでしょうか?大事にすると言うよりもそういう事を戦略的に取り入れる事によって妖怪というものを文化として認めてもらおうというねそういうお考えがあったっていうのは間違いないと思います。
今妖怪文化っていうのはね結構その妖怪で水木先生も勲章をもらわれたりあるいは文化功労者になられたりしてる訳だけど40年前50年前は考えられなかったですからね。
まず妖怪って言葉が通じなかった訳だからそれをなんとか世の中に浸透させるためにはやっぱり鬼太郎を成功させなきゃいけないっていうお気持ちがあっただろうから不本意なものを描いてたっていうふりをしていただけじゃないかと。
実は違ったのかもしれない…。
そうですか。
さあ今回見つかった日記にはですね私たちが今の時代を生きていく上でのヒントになる言葉の数々がつづられていたんです。
再び鬼太郎です。
これは家族が水木さんを撮影した8ミリフィルム。
水木さん楽しそう!売れっ子になった水木さん。
このころ水木さん一家の楽しみは新宿のデパートに行く事。
でも日記には意外な事が書かれてあった。
「デパートでの幻想。
一体こんなとこへきてなにがおもしろいんだろ。
じゃあ家でじっとしているのがよいのだろうか。
むしろ仕事の鬼になってなんのために生きたのかわからない一生をおくるのがいいのか。
そして考えはめぐり今の不満な毎日の姿が一番いいということになる。
あなたなにぼんやりしてたの。
妻にしかられハッと気づく」。
豊かになっても満たされない。
水木さん時代を皮肉る物語を書いていた。
「あゝ植物大戦争。
植物のイカリが一時に燃えたのでしょう。
日本中の植物が一斉に自衛のために蜂起したのです。
政治家がもうちょっと公害のことを考えてくれてたらこんなことにならなかっただろうとくやまれてなりません」。
「近ごろは地獄にゆかんでも地上にいくらでも地獄がみれる」。
「人間は結局幸福になる方法を知らない」。
そしてこのころ日記に何度も出てくる名前があった。
どうも水木さんこの人物を通して時代に何か言おうとしていたみたい。
「ヒットラー。
私は愛するドイツに破滅しか与えられなかった」。
ごく普通の青年だったヒットラー。
愛する祖国のために立ち上がり最後は破滅を招いてしまう物語」。
水木さんはヒットラーを善人とも悪人とも決めつけずに描く事にしたんだ。
ヒットラーをまつり上げたのは国民たちだった。
水木さんの漫画作りを手伝っていた呉さん。
水木さんはどうしてこんな描き方をしたんだと思いますか?日記には水木さんがたどりついた決意が書いてありました。
「考えてみりゃあ我々はこの地球という惑星に生まれてみたわけだが人がどうこうするから全国民一丸となってどうこうする必要もないと思う。
各自自由に独自な生き方をしていいわけだ。
みんなが競争しているのにノンキにかまえるにはどんなに困ってても平気な心構えが必要だ。
人よりまずいもの食ってて平気。
しかも人にたよらない。
なんでも最後は自分でやるという決意がなによりも大切だろう」。
水木さんの人生と切っても切り離せないのが壮絶な戦争体験です。
昭和18年21歳の時に召集されてパプアニューギニアの戦場に送られました。
部隊のほとんどが全滅する中水木さんは左腕を失いながらも生き延びました。
そんな水木さんが描いたヒットラーが正義も悪も絶対的なものはないという描き方をしてますよね。
水木さんの人生観がそこに反映されてるというふうに見ていいんでしょうか?それはまさにそのとおりでやっぱどんなに偉業を成し遂げた人でもあるいはどんなに世間的に悪いとされる人でもまあ人は人だと。
そんなに変わりはないんだよっていうのは水木先生の考え方ではあるでしょうね。
それはどこから来てるんでしょうか?やっぱり戦争体験っていうのも大きいかもしれませんけれどもとにかく幸福の捉え方みたいなのが水木さんの場合は我々とちょっと違う。
ものの見方っていうのがちょっと違うんですね。
さっき最後の言葉にもありましたけどね幸福は手に入れるもんじゃなくてそこにあるものだ。
ただ我々見えないんですよ。
見てないだけなんですね。
見れば…例えばまずいもの食ってても幸福じゃないかって。
そういうまず考え方があってそういう価値観の中で好きな事だけして生きていこうっていうねそれだけは曲がらない決意があったんですよ。
水木さんは好きな事をするためにはどんな努力も惜しまない。
ただね人というのは一歩間違うとヒットラーのようにもなってしまうという事はね水木さんも分かってたからむしろいとおしく見てたところはあるんですよね。
間違っちゃったねこの人っていう。
そこは今特に周りの人の考えを受け入れずに一つの価値観に突き進んでしまいがちな今だからこそ私たちにズシンと響いてくるところでもありますよね。
水木さんは特に自分が間違ってないとか正しいとかいう事は言わないですからね。
ただ結果としてこういう事があるんだから気を付けにゃいかんっていうのは思ってたと思う。
しっかり私たちに自分たちの周りを見なさいよと言ってくれてるような気がしますね。
私たちの足元を…。
好きな事だけして生きていくためにとにかく全身全霊を傾けて幸せをつかんでほしいっていうそういうメッセージがあるような気がしますね。
そして幸せはそこにあるんだと。
あるんです。
水木さん亡くなって1年がたちましたね。
水木さんこの木彫りの作品をとても大事にしていましたね。
題して「水木しげるの一生」。
自然や生き物たち目に見えないもの全部大事にした水木さん。
あっ僕もちゃんといる。
水木さんが亡くなった時に配られた葉書。
そこに書いてありました。
(拍手)さあ始まりました。
人生という名のコント番組2017/01/05(木) 22:00〜22:25
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代+「オイ鬼太郎 ワシの幸福論を聞いてくれ〜水木しげるの日記」[字]

1年前に亡くなった水木しげるさんの書棚から大量の創作日誌が発見された。漫画の原案、旅の記録—。知られざる水木さんの姿と現代へのメッセージを読み解く。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】作家…京極夏彦,【キャスター】松村正代
出演者
【ゲスト】作家…京極夏彦,【キャスター】松村正代