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書き起こし NHKスペシャル 東日本大震災「それでも、生きようとした〜原発事故から5年」 2017.01.09

2014年NHKの番組に出演した福島に帰還を果たした夫婦です。
この1年後夫婦は自ら命を絶ちました。
同じ年原発事故で東京に避難していた年配の男性。
ふるさとを思いながら震災から5年近くたって命を絶ちました。
だから俺悔しいっちゅう思いだうん。
今世界的な医学誌に掲載されたあるデータが注目を集めています。
SMRと呼ばれる自殺率を表す指標が福島で震災から時間がたって急激に上昇しているのです。
都内にある24時間の電話相談所です。

 

 


ここにも最近福島からの深刻な内容の相談が寄せられています。
原発事故のあといくつもの困難を乗り越えてきた人々。
今その心に何が起きているのでしょうか。
福島県南相馬市に来ています。
ここ小高区は半年前に避難指示が解除されました。
ご覧のように行き交う車も見られるようになりました。
復興が進んでいるように感じます。
今年3月には避難指示が出された自治体の7割で指示が解除されます。
目に見える復興が進む一方で気になる数字があります。
これはSMRという自殺率の高さを表す指標です。
100を超えればリスクが高いとされます。
福島の場合震災直後は一旦下がりましたが4年目になって急激に上昇しています。
震災から時がたつ中でなぜ今福島でこうした事が起きているのか。
取材しました。
・都内にある電話相談所です。
専門の担当者が24時間体制で心の悩みを聞きます。
受け付けているのは東北の被災地からの相談。
その数は一日400件以上にもなります。
中でも深刻なのが福島からの相談です。
・この日も福島からの電話が相次ぎました。
相談の多くが自殺のリスクが高いものだといいます。
今福島で何が起きているのか。
県内で最も震災関連自殺が多い南相馬市です。
それを防ぐためこの地域で活動を続けるNPOです。
行政機関や保健所から依頼を受け危険な兆候が見られる人を訪ねて回ります。
失礼します。
この日訪ねたのは73歳の男性です。
去年春自殺未遂を起こしました。
男性は原発事故で畜産の仕事を諦めました。
更に避難先で一緒に暮らしていた妻も亡くし一人になりました。
NPOは定期的に通い体調や心の変化を注意深く見守り続けています。
このNPOは震災直後から福島で被災者の心のケアに当たってきました。
去年から震災後の新しい環境に適応する人とそれができず精神的に落ち込んでいく人の二極化が目立つようになったといいます。
今警戒しているのは落ち込んだ人々の生活が次第に荒れていく事です。
こんにちは。
NPOが定期的に訪ねる一人です。
靴下はかなくて大丈夫?大丈夫大丈夫。
大丈夫なんだ。
ふ〜ん。
一人で暮らす部屋は年々汚れが目立つようになっています。
もともと家は6代続いてきた大規模な米農家でした。
田中さんも震災前は両親と3人で米を作ってきましたが原発事故の直後作付けが禁止されました。
更に一緒に暮らしていた両親も亡くしました。
震災後仕事や人とのつながりを失った人々が今深刻な状態に陥っているとNPOは見ています。
2015年こうした福島の現状を示すあるデータが世界的な医学誌に発表されました。
SMRという自殺率の高さを表す指標を算出したところ福島県で震災から4年目になって急激に上昇していたのです。
自殺は高齢者に多いため高齢化が進む東北や九州などの地域では人口に対する自殺率が高くなります。
SMRでは年齢の偏りを是正する事でより正確な自殺率を示す事ができます。
100を平均としそれを超えればリスクが高いとされるSMR。
例えば東京の男性の2012年のSMRは88.6です。
一方福島の男女を合わせたSMRは震災3年目まで低かったものが4年目に急上昇。
震災前の値を大きく超えていました。
この研究を行ったのは震災以来福島県民の心の健康調査をしてきた福島県立医大の前田正治教授です。
なぜ震災から時間がたって死を選ぶ人が増えるのか。
前田教授は最近起きた福島の震災関連自殺を分析。
深刻な心の悩みを訴える人への聞き取りも行い福島の被災地に特有ないくつかの傾向を浮かび上がらせました。
その一つがあいまいな喪失です。
前田教授が指摘するあいまいな喪失とはどういったものか。
2015年東京のアパートで5年近く避難生活を送っていた一人の男性が命を絶ちました。
佐藤さんは震災直後から詳細な日記をつけていました。
そこには佐藤さんの心の変化が記録されていました。
佐藤さんのふるさとは福島県南相馬市の小高区。
震災前は息子や孫と3世代で暮らし農業を営んでいました。
原発事故直後20キロ圏内にある小高区にはすぐに避難指示が出されました。
佐藤さんの家族は東京の親戚のアパートに避難します。
その直後の日記です。
「4月4日隅田公園に行き天にのびたスカイツリー見る」。
このころ家族には少し長い旅行のようなものだと話していたといいます。
1年が過ぎると福島のほかの地域では帰還に向け放射性物質を取り除く除染が始まりました。
佐藤さんの期待は高まります。
更に震災から1年半後。
小高区は昼間だけ立ち入りが認められるようになりました。
佐藤さんはすぐにバスを乗り継ぎ向かいます。
この時一緒に小高に帰った同級生の佐々木清明さんです。
1年半ぶりの自宅は少し傷みが進んでいましたがほぼそのまま残っていました。
家を前にして佐藤さんの帰還への思いは更に強くなります。
しかし小高区では予定されていた除染作業が何度も延期されました。
期待と落胆が繰り返される様子が日記には記されています。
そして震災から2年半。
ようやく小高区への帰還の時期が示されました。
しかしそれは更に2年半も先の事でした。
そこにあるのに帰れないふるさと。
佐藤さんの心は混乱していきます。
なぜ震災から時間がたって福島で自殺が増えるのか。
前田教授がもう一つの背景として挙げるのがコミュニティーの分断です。
原発事故により多くの人がふるさとと切り離されました。
それでも当初は同じ地域の人や家族同士で避難し支え合う環境がありました。
しかし時間と共に帰還を希望する人や諦める人など境遇に違いが現れてきます。
東京へ避難した佐藤善也さんも当初は同じアパートで3世代が一緒に暮らしていました。
このころの日記にはバラバラになった友人とも頻繁に連絡を取り悩みを相談していた事が記されています。
しかし時と共に疎遠になりそうした記述は減っていきます。
更に同居していた家族も帰還の見通しが立たない事から職を求めほかの地域へ移っていきます。
一緒に暮らしていた孫もやむなく和歌山で就職します。
やむにやまれぬ事情で離れていく人との距離。
やりきれない思いがつづられています。
久しぶりに友人の佐々木さんと一時帰宅した佐藤さんは車窓からある光景を目にします。
農地の至る所にうずたかく積まれた除染廃棄物の山。
小高区は市の方針で帰還が進むほかの地域の廃棄物の一部を置く場所になっていました。
それは佐藤さんの田畑の目の前の場所でした。
佐藤さんはその翌朝もただ黙ってその風景を見続けていたといいます。
東京に戻って5日後。
佐藤さんは亡くなりました。
日記の最後にはふるさとの民謡の一節が書き残されていました。
原発事故による複雑な事情が苦しんでいる人を更に追い詰めていく現実に改めて胸が締めつけられる思いです。
自ら命を絶つ人々の背景を見ていきますと原発事故によって仕事を失ったりふるさとに戻る事ができなかったりあるいは戻ってからも家族がバラバラになってしまったりとその状況はさまざまです。
しかし共通しているのは孤立した状況に置かれているという事その事を改めて感じます。
一方私たちが取材を進める中で見えてきたのは命を絶った人々の中には厳しい現実を前に最後まで困難を乗り越えて必死に生きようとしていた人がいたという事でした。
福島県川内村。
2014年5月NHKはここで一組の家族を取材しました。
避難指示が解除されると真っ先にふるさとに帰還した家族でした。
地元で農業を営んでいた遠藤満弘さんと妻の美代子さんです。
それから1年後の2015年4月。
2人は自ら命を絶ちました。
月命日には母の松枝さんと兄の充さんが墓参りを続けています。
震災から1年後。
川内村の避難指示が解除されると満弘さんの家族はいち早く避難先から帰還しました。
その3か月後には震災前からつきあっていた美代子さんと結婚。
村に根を張り自分が農業を復活させると燃えていました。
しかし現実は厳しいものでした。
野山の放射線量はなかなか下がらず雨が降る度そこから水が田んぼに流れ込みました。
それでも満弘さんは毎日田んぼに出ました。
放射性物質を吸着する作業をただ黙々と続けました。
このころ村には県外から次々とボランティアが入ってきました。
満弘さんはそうした支援者と共に米作りのプロジェクトを立ち上げました。
皆で汚染されていない井戸水をくみ上げ試験的に小規模な稲作を始めます。
収穫した米から放射性物質は検出されず地区で行われた品評会でも1位になりました。
翌年より面積を広げ大規模な稲作を始めた満弘さん。
米の出来はよく再び放射性物質も検出されませんでした。
ところが米の値段はかつての2/3。
確実に赤字でした。
満弘さんは知人のつてを頼り県外で自主販売する道を探ります。
それでもなかなか買い手はつきません。
ならばとお握りを試食してもらうイベントを企画。
かつて支援してくれた人や知人に声をかけました。
しかしほとんど人は集まりませんでした。
実はNHKの取材を受けたのはちょうどこのころでした。
夫婦はこの時も前を向こうとしていました。
満弘さんは生活のため地元の採石場でも働いていました。
「農業で食べられるようになるまで頑張りたい」。
周囲にはそう話していました。
真剣な顔。
そうした中ある知らせが満弘さんのもとに届きます。
避難先にいた叔父が亡くなりました。
父を早く亡くした満弘さんにとって何でも相談に乗ってもらった大切な存在でした。
東京の避難先で孤立する中自ら命を絶ちました。
このころから明るかった満弘さんの笑顔が消えていきました。
にぎやかだった家でも家族の会話は減っていきました。
それから半年後。
突然満弘さんが家族に旅行を提案しました。
母の松枝さんがずっと行きたいと言っていた青森・弘前への1泊2日の旅。
満弘さんは自ら片道5時間半の運転を買って出ました。
弘前公園には桜が咲き大勢の人でにぎわっていました。
久しぶりに家族は笑いました。
その様子を満弘さんはじっと見つめていたといいます。
帰りも満弘さんが一人で運転しました。
ちょうど日が暮れる頃車は県境を越えました。
帰り道家族はあまり話をしませんでした。
1週間後。
満弘さん夫婦は夜に車で家を出て集落を望む山で命を絶ちました。
もうすぐ田植えが始まるまだ肌寒い春の日でした。
遠藤さん夫婦が愛した川内村です。
厳しい現実にぶつかりながらそれでも前を向こうとしていた夫婦。
しかし次第に孤立を深めていく事になりました。
今回亡くなった方々を取材して改めて感じるのは人々が孤立感を深めていく背景には震災から時がたつにつれ私たちの間で被災地への関心が薄れている事もあるのではないかという事です。
私自身果たして自分はどうなのかと重い問いを突きつけられている気が致します。
二度とこうした悲劇を繰り返さないためにでは何ができるのか。
最後に福島の現場で今懸命に進められている取り組みを取材しました。
福島の被災地で自殺を食い止めるため訪問活動を続けるNPOです。
年を追うごとに深刻なケースが増える中去年から更に踏み込んだ手法に力を入れています。
アウトリーチと呼ばれるものです。
こんにちは。
なごみです。
建設関係の職人だったこの男性は震災後に妻を亡くし仕事も減った事で生活が荒れていきました。
医療や福祉の専門資格を持ったスタッフが体調の管理のほか洗濯や食事など生活そのものに深く関わっていきます。
こうした訪問を繰り返し孤立した人に周囲とのつながりを実感してもらうのがアウトリーチのねらいです。
今NPOが最も注視しているのがふるさとと切り離され仮設住宅で孤立する人たちです。
この日訪ねたのは飯舘村から避難しもう5年ここで暮らしている男性です。
最近部屋に籠もりがちになっていました。
うん分かりました。
はいどうもでした。
すみませんでした。
訪問を拒絶するだけでなく通っていた病院にももう行かないと言いだしていました。
それでも訪問は続けられました。
お〜い。
・何だ?入れ。
入れ?フフフフッ。
何だだって…こんにちは。
失礼します。
ここでいい?うん。
ただ話に耳を傾けます。
はい。
は〜い。
2日後の金曜日。
ようやく少し落ち着いて話をする事ができました。
そう?そうなんですか。
治療を中断せず掛かりつけの病院に通う事を約束してくれました。
その日の午後。
仮設の集会所では住民の人たちがふるさと飯舘村の絵を作っていました。
そして…。
ずっと部屋に籠もっていたあの男性が久しぶりに集会所に顔を見せました。
時間と手間のかかるアウトリーチ。
行政から下りてくる予算は単年度ごとで訪問するスタッフは4人しかいません。
こんにちは。
・は〜い!待ったなしの現場でギリギリの戦いが続けられています。
南相馬市小高区にある同慶寺。
去年一人の男性の遺骨が納められました。
5年近くふるさとを思いながら東京で命を絶ったあの佐藤善也さんです。
寺では4人の檀家が震災関連自殺で亡くなりました。
月に2度離れて暮らす住民たちに声をかけ一緒に掃除を行う清掃結いと呼ばれる取り組みを始めています。
バラバラになったコミュニティーをもう一度作り直そうとしています。
住職は去年から寺の前に「いのち」の旗を掲げ24時間心の悩みに耳を傾ける取り組みを始めました。
困難を乗り越え被災地で生きようとする人々の決意です。
「ザ・プロファイラー」。
2017/01/09(月) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 東日本大震災「それでも、生きようとした〜原発事故から5年」[字]

震災から時がたち増加の傾向を見せる福島の自殺率。これまでいくつもの困難を乗り越えてきた人びとの心に何が起きているのか。悲劇を繰り返さないために出来ることは何か。

詳細情報
番組内容
2015年、世界的な医学誌が掲載したあるデータが注目された。年齢構成をならし他県と比較した福島県の自殺率が震災から4年経って上昇していたのだ。福島で心のケアにあたるNPOは、ここに来て震災後の新しい環境に適応する人と、それができず落ち込む人との二極化が進んでいると指摘する。原発事故で故郷に戻れぬ不安定な生活を続ける人、仕事や家族を失い孤立する人…。被災者の心に今、何が起きているのか。報告する。
出演者
【キャスター】NHK解説委員…鎌田靖,【語り】高橋美鈴