さて今日のお客様は最後に出ていただいてからなんと31年ぶりでございます。
日本初の女性アクションスターでいらっしゃいました。
どうぞお入りください。
志穂美悦子さんです。
どうぞ。
(拍手)わあー。
どうぞ。
こんにちは。
しばらくでしたね。
しばらくです。
どうもこんにちは。
あなた全然スタイル変わらないのね。
すごい。
何しろ31年ぐらいお会いしてないんですから。
でももっと前に出ていただいたのをあとで見ていただきますけどそれは38年前ぐらい。
すごい…。
20代最初の頃…。
でもほとんどお変わりないの。
あなたすごいわね。
いいえ。
お子さん何人ですって?3人です。
上の子は長女ですから私がこの現役を離れる時と同じぐらいの年齢にきてます。
えー!もうそんなになりますか?はい。
やっぱりね確かに31年お会いしてないっていうことはそういうことかもしれませんよね。
はい。
でもご主人もますます歌盛んで素敵で良かったですよね。
たまたまいつですかね私去年…一昨年でしたかしら?司会かなんかで行ってた時ご主人歌って。
すごく良くてびっくりしましたその時本当にね。
ありがとうございます。
もう拍手しても拍手してもし足りないぐらい良かったとお伝えください。
はい。
ありがとうございます。
本当に良かったです。
さてさてお花のこの方今ご専門なんですけどお花のことは…。
これもあなたおやりになったんですってね?今日はこの方がお花やってくだすったんですよ。
大変なことだと思うんですけどあとで伺うとして。
元はジャパンアクションクラブ…?はい。
みんないらしてそこで女性初めての…若い女性。
はい。
16で入って丸2年ですか訓練しましたね。
相当すごいのをやってたわねあなた当時。
相当すごかったです。
もう毎日月曜日から土曜日までカリキュラムが組まれてて。
雪山でも合宿とかあるんですけど走ってて口の中から血の臭いがしたんですよ。
えー…。
その時が一番自分の中で本当にハードだったなと…。
そう。
やっぱりそれがねすごい時…。
それで長渕剛さんと…音楽家の長渕剛さんとご結婚になってそういうのをおやめになったのかしら?そうですね。
やっぱり…ドラマで共演したんですけれど…。
長渕さん?はい。
だから役者の世界として一緒にしたわけなんですけど役者さんにないなんかこう不思議な感覚を持ってて。
そういうのがやっぱりきっかけだったんですかね?あとはやっぱり私は本当に女優はすごい好きでしたけれどやっぱりなんかこう必要とされたのでその期待に応えたいっていう思いはありましたね。
長渕さんの…。
一緒になるっていうことは。
今日こちらにお出になるっていうことについては長渕さんに仰った?「もう自然にいきなさい」と。
そして私お花作る時髪とか着るものとかもう全然気にしないんですね。
「ちゃんとして出なさいよ」っていうことを…。
言われる?はい。
…っていうことだけは言ってました。
そうなの?ご結婚なすったのも驚いたんだけど相手の方がああいう方だっていうことでもねああいう何?情熱的な方だっていうのも驚いたんだけどあなたがもうお家に引っ込んじゃって子供の面倒を見るっていうことでね全然表へ出ていらっしゃらないんだって…。
それもまあ奥さんになってやるのもいいかなと思っていらしたらお花ですって?最近。
ですよね。
びっくりしましたよ私。
あの…あの跳んだりはねたり…。
志穂美悦子がお花か…。
ちょっとびっくりしました。
でとにかく本当にお若い時の志穂美さんをちょっとご覧ください。
「飛び降りるとか飛び上がるとかそういうの?」「一番多いのは何です?」「一番多いのはやっぱり女の子だから悪い人たちに囲まれた時の格闘シーンが多くて」「あとは私が好きなのは本当は大げさなんですけど生と死が背中合わせみたいなねすごい危険なことが好きなんです」「本当?」「もうそれがやりたくて芸能界に入ったみたいな」「もう随分色んなのをおやりになったでしょ?」「だけどまだやってないのってあります?」「ずっとやってみたくて」「でもほとんどやったんですけど…」「あっそうだ。
うちのね事務所がですねエアマットっていうのを買ったんですこの間」「上からポンと落ちた時に下に空気のマットがあってだから上から落っこっても少々のところは大丈夫なんですけどね」「それだったら結構なところから落ちれるんじゃないかな」「結構なところって…。
あなたの結構なところっていうのは大体何メートルぐらいですか?」「最高落ちたのが12メーターぐらいのところなんですよね」「もうちょっといけるんじゃないかなって感じ…」「はあ…。
伺ってるだけでもなんか…」私口開けて…。
うん。
よく言ってますね。
本当ね。
でもああいうのをあなたはあの頃は本当に平気だったんだけど今もう2階から飛び降りるのも嫌なぐらいですって?高いところに上がるのがもう怖いですかね。
そうですってね。
子供と一緒にも上がらない?でも前ツアーについて子供たちと一緒に行ってる時に倉敷にそういう大きな遊園地があるんですけどそこにバンジージャンプがあったんですね。
ええ。
それでいきなり「おっ飛んでみたい」って言いだしたんですよ。
誰?みんなが?子供が?誰?あなたが?あの方がね。
あなたが?いやあの方が。
旦那様が?うんうん。
本当にもうスススッて上がっていってバーンって飛び降りたんですね。
怖かったでしょ?でもちょっと。
でも自分から「飛ぶ」とか言って「飛んでみたい」って言って飛んだので私の中でわあすごいとか思って。
下りてきてじゃあ全員飛ぼうっていう…。
当時長女が3年生長男が2年生で私は下の一番…3歳ぐらいの子を抱いてましたから。
ええ。
一人ずつ飛ばされてその3年生の女の子は「キャー!」とか言って飛び降りて。
そうよね。
怖いものね。
それで私は本当に一番下の子を抱いてたから…「じゃあ見本を見せてもらおう」とか言って「じゃあやって」とか言うんですよ。
うん。
えっ!と思ったんですけどまあ言われたからねとか思いつつ上がったらいやもうすごい…。
まずマットの位置が違うんですよ。
ほう。
下の置いてある位置が。
普通私たちの訓練は放物線を描いて飛び降りるからちょっと向こう側にないといけない。
それがやっぱりバンジーって真下に落ちるものですよね。
っていうかたぶん向こうに飛ぶ人はいないんでしょう。
手前にあるの?手前にあるのがまずすごく怖くてこれ位置が違うって思って。
すごいわね。
位置が絶対違う。
でも…ゴムがついてるので真下に降りてまたボーンって上がってくるんだと思って飛ぼうと思ったんですけど次にカメラがないって思うわけですよ。
そうそうそうそうそう。
やっぱりねその…カメラっていうものがものすごく自分にとって気合を入れさせる一つの大きなものなんですよね。
そして次カチンコが鳴ってカメラに向かって飛ぶ。
そしてまたそのドラマにも…それが映画にもいいものになるしもっと向こう側に多くの人に見てもらえると思ってやるもんだっていうことがその時初めて思って。
タダで…タダで。
タダでこれやる意味ある?本当よね。
そう。
何のためにこれ飛ぶんだろうっていうぐらい。
その時に初めてカメラの前でそういう危険なことをやるっていうのはやっぱりその一つに向かった集中力っていうのが大切だったんだなって。
そうね。
今タダだとなるとね。
タダ…。
何だろう?これ。
見せるため?っていう感じで。
そう…。
そんなこともありました。
でもその一番最初にご主人が飛びに行くっていうことがやっぱりあの方らしい感じはしますよねちょっと。
はい。
「あっバンジーがある」って。
「飛ぼう」みたいな。
フフフ…。
そう。
でもまあご主人と子供3人で楽しく家庭をやってらっしゃって。
あなたは何だかお家の中にいてはなんか記録をする係なんですって?やっぱり自分が映像の世界にいたのでこの映像でとにかく撮りためていこうっていうなんかそれは自然な感じだったんですよね。
結婚してすぐの頃から家庭もそうだし面白い方なのでその行動も全部撮っていこうみたいな。
あの方のこと?はい。
面白い方であることは間違いないよね。
被写体として非常に面白いと思いました。
これたぶん映像の目線なんだと思うんですけど。
じゃあご主人の随分面白いのあるでしょ?本当は…。
すごいいいのがあります。
初めて肉体改造っていうのでトレーニングし始めた初日っていうのがあるんですよ。
1998年10月2日なんですけど。
すごいわね。
よく覚えてる。
そういうのを撮って編集してテロップも全部入れて音楽つけて。
すごい。
すごい?旦那様そしたら。
だから何十年ぶりかに「見て見て」とかって言って…。
なるほどね。
でも今色々思い出のお写真とかそういうのもたくさん全部整理して…。
本当にどこ行くのも撮りました。
我が家のカメラマンみたいな…。
これ何なんですかね?これは初めて庭ができたところに越してひまわりを庭に植えたんですね。
ひまわりが3メートルになったんですけど。
あの向こう側があれ鶏小屋なんですよね。
鶏小屋も作って鶏も飼ったんです。
えー。
これそうなの?はい。
鹿児島から地鶏を3羽もらってきて。
でもそういうのをやろうって言うのご主人なんだって?そうなんですはい。
「それはもう夢だった」って言ってました。
本当に?茶色だから大きいんですよ。
ちょっと見えますかね?こんな感じで…。
ああ左のほうの手前にいますねなんか茶色いのが。
あっあそこにしゃがんでる…真ん中にしゃがんでる人あれ長渕さん?そうですね。
彼は何をしようとしてるんですか?今。
餌をあげてるんですね。
餌をあげてる?えー。
なんか私少年かと思ってこっちから見てて。
本当だ本当だ。
そばに寄っていただいて…そうか。
3羽飼い始めたら1羽だけいなくなっておかしいと思って捜したら卵を温めて。
そう?そう…。
10個の卵がかえってどんどん増えていって。
これは3人の子供が…ちょっとやっぱり10羽ひなにかえるとやっぱり弱い子がいるんですよ。
その子だけをちょっと家の中に入れて。
あら本当だ。
可愛い。
はい。
こんな時代が…。
黄色い。
可愛い。
だんだん慣れていってこれ一緒に寝てるんです。
あら一緒に寝てる。
あら可愛いこと。
まだ赤ちゃんの時ねこの子。
そうですね。
あららららら。
長男ですね。
ちっちゃい時ですけど。
この子の顔わからないけどお父さんに似てるわねちょっとね。
小学校3年…2年生ぐらいですか。
懐いてこうやって一緒に…。
本当寝てるみたいね。
懐いてるのね。
懐いてるんですもう。
へえー。
猫かなんかみたいね。
そうですね。
鶏でもあんなふうに懐くのね。
うん。
本当ならずっと飼っていたかったんですけど目の前の空き地がマンションが立ってそのマンションの住人さんたちも「コケコッコー」を我慢してくれてたと思うんですけど2時3時に鳴くようになって。
夜中の?はい。
なのである日ピンポーンと…。
「すいません」って。
「なんか暗幕かなんか張ってもらえませんか」って。
日が明るくなるともう鳴いちゃうの?日が明るくなる前にたぶん車のライトとかでも鳴くんじゃないかと思うんです。
4時5時ならば本来なんですがちょっとその前に鳴くっていうことも…。
結局黒幕やったの?黒幕もやりました。
でもどんどんどんどん増えていって。
すごい。
でもやっぱりもう本当4〜5年飼いましたかね。
だから…。
そう。
でももう駄目って?もうさすがに本当に鳴くので鹿児島にお返し…。
でも楽しい生活でしたねあなたね。
しばらくお会いしてない間に随分。
なんか私としては家の中のこともすごく面白かったですしあとは一応引っ込んではいるんですけれど音楽の世界には一緒に連れていってもらってましたから。
そう。
はい。
カメラの前に立つことはないけどカメラの後ろからはずっと見させてもらって。
そうですか。
それじゃあね良かったわね。
退屈することもないしね。
次々新しいものがね。
それはようございましたよね。
はい。
ちょっとコマーシャルいきます。
はい。
でも長渕さんって自分だけがんがん音楽の仕事をやってうちの人はうちの人っていうのかと思ったらそうじゃなくて一緒に行って見ててくれないと駄目?そうですね。
現場はとにかく見てほしいと。
見なきゃ駄目という感じです。
一緒に語れないっていう…。
いい旦那様でしたね。
そう。
夢を一緒に走ろうみたいな…自分の夢を一緒に走ろうっていうところが。
私志穂美さんがそういうふうにね長渕さんとご結婚なすったらばちょうど女優さんとしてもこれからっていう時だったのね。
まあよっぽどいいところあるんだろうなとは思いましたけどそれほどとは思いませんでしたんでびっくりしました。
あなたのなさること…例えばお花をやる何をやるっていうことについても全然何も仰らない?やっぱり物を作るっていうことをやってきてるじゃないですか。
だから自分の手で何かを作るっていうことはもう一緒になった時から言われてて。
そう。
はい。
自分の手で作る自分の手で育てる。
自分の…考えてゼロから何かをしなさいっていうようなことはずっと本当言われてて。
あなたもそういうの好きだったでしょ?自分でね。
そうですねはい。
なのでだから…こういうことをやりだしたことに対しては本当はびっくりしてると思うんですけれど。
私自分自身が一番びっくりしてるんですよね。
こういうことをやりたいってこういう人になりたいと思ってやりだしたことでは本当にないので。
初めはね…。
テーブルの上のものを飾ろうと思ってたのがそれがこういうお話ももらうようになってまたこういうところにも自分が出させていただいてることが自分で不思議だと思って。
そうですね。
あなたのこのお花がまたすごいんです。
VTRでちょっと見ていただきます。
びっくりしますね。
ね。
あっ。
これ…。
えっ?氷を器にしようと思って。
切ってるところ?切ってますはい。
へえー。
こういうのやっぱり初め前もって考えておくんでしょ?考えて…まず考えてそれからリハーサルをして演出もさせてもらって。
なるほどね。
今日のもそうですけどこの重さがたぶん大変だと思うんですよ。
お花のこういうのってね。
はい。
準備が大変ですね。
ねえ。
そうだと思います。
お花っていうのは。
これは…。
ケニアかしら?はい。
ナイロビの児童養護施設。
みんなびっくりしたでしょ?お花がこんなことできるようになるって。
そうですね。
お花を飾るという文化っていうかそういう状況ではないですから。
自然にこれ本当に拍手が湧いて。
これはあれですねマサイ族のところですね。
やっぱりケニアのねちょっと近くですよね。
最初に子供たちにお花を渡してここに挿していこうねっていうことを伝えたんですけど渡した瞬間に食べちゃう…。
食べちゃう?食べちゃう。
これは何?種まいたの?これはひまわりを種まいて…。
基本これ被災地に届けようって思って。
すごい。
5万本咲かせて。
すごいわね。
はい。
多くの人に…。
これは奈良の国宝薬師寺でっていう。
そうですね国宝。
これ東院堂っていうところですけどそこで花会式に。
大変ですね。
この重さといい…ね。
はい。
これすごい数だったんですお花が。
25メータープールぐらいの大きさがあるので…。
ここを花で埋めたいって。
仰って?はい。
「埋めてください」と。
ああいうふうに切ってカーネーションみたいなのをずっとああやって突っ込んでいって…。
そうです。
後ろに竹も入れて。
本来ものすごくやっぱり国宝なので傷一つつけてはいけないっていう中で…。
奇麗ねでもねライティングが。
すごいこれ。
お着物のあなたですか?はい。
えー奇麗。
そうなの?例えば今日ここにしてくださったのはどういうイメージなんですか?イメージある?これ思いとか祈りっていう感じですか。
やっぱり熊本の地震とかもあったし。
だから希望への思いでもあったりそういう…ですかね。
なるほどね。
こういうふうにずっと垂れて。
でもこれ向こうみたいなやつ重さが相当重いのでこの中針金か何かで…。
そうですね。
鉄骨を作ってもらって。
そうでしょ。
そうじゃないとねこれだけ持ちませんものね。
で今日はもっとすごいびっくりするようなお花を作ってきていただいてあっちのほうにあるのでちょっとあちらへ移動して。
あなたいいですか?見せて…。
はい。
お願いします。
志穂美さんが立っていらっしゃるのと比べてご覧になってみれば…。
どうぞそこで…。
わあー大きい。
3メートルぐらいありますかね。
そうですね。
一番上まではあります。
すごい。
真ん中が竹?はい。
竹をこうひねってウェーブをつけてみました。
奇麗。
随分色んなことを考えてからじゃないとできない作品ですよね。
そうですね。
大体最初にイメージは考えてあとはやりながら変わっていくところもありますし。
真ん中のお花は何ですか?それは。
どれですか?赤いの。
これはグロリオサっていう真っ赤な…。
グロリオサ?はい。
これがダリアですね。
黒蝶っていう黒い蝶って書くダリアの中の黒蝶っていう種類で。
えー。
下は胡蝶蘭ですけれども。
あと向こうがシンビジウム。
でもその竹が難しそうね編んでいくのがね。
編んでいく。
編んで一つずつワイヤで編んでいきます。
それは大変ですよね。
ちゃんといいところで押さえていかないとねびんびんほうぼういっちゃうので。
これタイトル『再会』なんです。
『再会』?はい。
黒柳さんと。
あら嬉しい。
あなたと私と31年ぶりに再会。
はい。
あと情熱の赤をイメージしました。
やっぱり黒柳さん本当に素晴らしい…このね世界でこの年齢まで素晴らしいと思うので。
どうもありがとうございます。
本当に。
そうなの?嬉しい。
本当に素晴らしい『再会』。
これどうして取っておいたらいいかしらね。
『徹子の部屋』でずっとここのところに置いておくのがいいかしら。
どうしたらいいかしら。
ちょっと雪も降らせてみました。
下ね。
それ雪ですか?はい。
わあー奇麗。
ね。
その古いやっぱり木の根っこみたいなのはどこかへ行って探してくるの?はい。
これ津久井湖のダムに行ってダムに流れてきてるのを…集積場があるんですけどそこで形のいいのを選んできたんです。
流木?流木。
ご自分で?はい。
大変だわね。
33個ぐらいいいのがあって。
そう。
それを自分でチョイスして。
それであとで本当にこれ大変だった…。
水で洗浄して防腐剤入れて。
そういう虫よけもちゃんとして乾燥させて。
そうじゃないとそうよね。
大変です。
何が入ってるかわからないですもんね。
でも奇麗ね。
それから真ん中の下のほうにグリーンのね…。
シンビジウムですね。
でも好きなんですなんか。
そういう…。
本当に取りに行って奇麗にして持ってきて動かしてっていう力仕事的なものは。
相当それ力仕事だわね。
できますからね。
えー奇麗。
じゃあ当分あなたは何ていうんでしょう?フラワーアレンジメント作家っていうのかしら?自分で思ってるんですけどフラワーデザイナーでもフラワーアーティストでもないのでフラワーアクティビストっていう…。
アクティビスト?湯川れい子さんが「フラワーアクティビストじゃない?」って言われて。
そうなの?はい。
確かに花で活動していきたいなと思ってるので。
でも再会という…私とあなたの再会…。
私もあなたがどうしていらっしゃるだろうか時々思ってたんです。
はい。
ですから再会ということで作っていただいたなんて本当に嬉しいです。
こちらこそ。
きっとご覧の皆様も再会という心を込めてくださったのがきっとおわかりになると思いますので…。
でもあんなふうに体でジャンプしたり跳んだりはねたりしていらした志穂美悦子さんがお母さんになりそしてもう子供たちも手が離れたのでお花をご自分でやるようになってあんな素晴らしい作品作る方になってみんなびっくりすると思う。
私が自分で一番びっくりしてる…。
でも当分お花はじゃあお続けになるつもり?そうですね。
やっぱり何が自分でできるか可能性みたいなものには挑戦したいなとは思いますね。
それからお家にもお花を作っていらっしゃって。
お写真あるそうなのでちょっと見せて。
ああ奇麗。
何?これ。
これしゃくなげですね。
これどんどん大きくなって。
最初小さいのを植えてたんですけど。
えーすごい。
あら。
これはピエール・ド・ロンサールっていうバラなんですけど。
バラ?奇麗ね。
えー。
生け垣にもしたり。
奇麗ね。
勝手につるが伸びていってくれるので。
えー。
すごい。
あら。
これはちょっと…。
ずっと飾ってあるの?こんなふうに。
いつもこの状態ではないんですけど四季折々だったり。
そうよね。
そう季節…。
元々だからこういうお花を作る前には土いじりから始まったようなところがあります。
土いじりは好き?はい。
そうなの?不思議ね。
だから子供たちと朝顔を植えたり本当にひまわりを植えたりっていうところからスタートでしたからね。
これ何?これねコケ育ててるんです。
コケ?はい。
なるほどね。
コケを…緊急出動する時には持っていってああいうところにコケを…。
必要とする時?お家の中の湿ったところに置いてあるの?そうなんです。
常にシャワーで水をあげて。
そう。
雨も来ますけれど。
だからすごいどんどん増えていったり。
すごい。
コケなんて貴重ですものね。
外へ行って取ってくるっていったってそう簡単にはねないですもんね。
あのねトットちゃんっていう名前のバラがあるんですよ。
とても可愛いバラなのそれが。
そうですか。
まだそんな街でお花と…切って売るほどじゃないんですけど何ていうの?鉢?鉢ではもういっぱい出てるんですよ。
もしどこかへいらしたらちょっと聞いてみて。
ぜひはい…。
とてもね可愛いトットちゃんっていうのでなるほどなっていう…ピンクの。
ちょっと昔の古いタイプのバラみたいな可愛い…。
本当ですか?うん。
私もそれ作ってくだすった方がいらしてね。
岐阜のほうの方が作ってくれたの。
探してみてください。
はい。
でもあれね人の人生って面白いですね。
面白いですね。
私本当自分で自分が不思議です。
ここにまた来させていただいてるのもすごく不思議ですね。
ねえ。
私もあなたどうしていらっしゃるかなって。
あなたの旦那様を見るとねあなたのことを思ってたの。
どうしてるかなって。
でもきっとおさんどんで大変だろうなとか思ってたのでまさかねこんな趣味を生かしてね色んなことをなさってると思わないし。
よろしく仰ってください。
はい。
ありがとうございました。
子供たちにもよろしく。
はいこちらこそ。
本当ありがとうございました。
ありがとうございました。
(拍手)2017/01/10(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 志穂美悦子[字]
〜日本初のアクション女優が31年ぶりに登場!長渕家秘話を〜志穂美悦子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
日本初のアクション派女優として活躍した女優・志穂美悦子さんがゲスト。結婚を機に活動を休止し、長らくメディアから姿を消していた志穂美さんが、黒柳さんに会いたい!と31年ぶりに登場。
◇番組内容
妻として夫・長渕剛さんを支え、3児の母として家庭を守っていたという、空白の31年間を語る。ちょっと普通とは違う志穂美さんの生活に、黒柳さんもビックリ!そして、何にでも“挑戦”することが好きだという志穂美さんは、現在フラワーアーティストとして活躍中。スタジオでは、巨大な花作品を制作。ダイナミックな作品に、黒柳さんも惚れ惚れ!また、ただ花を生けるだけではない、多岐に亘る活動についても語る。