全文書き起こしサイト

地上波テレビの字幕を全文書き起こします

スポンサードリンク

字幕書き起こし 徹子の部屋 増位山太志郎 2017.01.19

多田さんが寝ていたベッドの横の床が、1平方メートル燃えていて、近くには電気ストーブと焦げた布団がありました。
警察は火元とみ
(黒柳)そのハンサムな風貌で昭和の人気力士として活躍。
力士時代に歌手としてもデビューし角界一の美声といわれた元大関増位山太志郎さん今日のお客様です。
よくいらしてくださいました。
こんにちは。
ご無沙汰してます。
ご無沙汰しております。

 

 

 


3年前に相撲協会を定年退職なさいまして現在は第二の人生を謳歌していらっしゃるということでございます。
色々伺います。
(拍手)まあお相撲さんの時からお声のいいことでは有名でいらしたんですけど今はもう自由にお歌いになれるので…。
そうですね。
良かったですよね。
規制もなくなりまして。
ひと頃はあれだったんですねいけなかったんですよね歌。
途中から「歌うな」って言われて。
歌ってましたけども新曲が出せなかったんですよね。
でもどっちにしたって歌が一番お上手だっていうことでよく色んなものに出ていらっしゃいましたものね。
おかげさまで色々出させていただきました。
テレビとか随分…。
私が司会したものにもお出でくださったと思いましたけれども。
それからこの間こちらに把瑠都さんっていらしたんですけど把瑠都さんもお育てになったんですよね。
そうです。
把瑠都は私が名前を付けたんです。
そうですか。
三保ヶ関部屋の時に?はい。
そうですか。
でもそこはもう…親方をおやめになったので…。
うんそうですね。
それから色々伺うんですけど私生活では1973年にご結婚になって。
そうですねはい。
妻の雍子さんと。
知り合ったのは大磯ロングビーチ…。
奇麗な奥様なんですよ皆様。
写真が今出てますけど。
それでそのビーチに海水浴にいらした時に奥様をナンパしたって本当なんですか?毎年夏巡業に出る前に一日若い衆連れて海水浴行ってたんです。
今年どうしようか?じゃあ大磯でも行くかって若い付け人2人連れていってそこで知り合ったんですけどね。
知り合ったって向こうは何してた?泳ぎに来てたんですけど。
フフフ…。
それこそ海が近いんでナンパ船です。
ナンパした…。
ハハハッ!うまいうまい。
ナンパしたのね。
まあでもよくあとから考えたらナンパしたつもりがナンパされたのかなみたいな…。
それは言ったら怒られますけど。
そりゃそうですよね。
でも非常にいい奥様で現在も奥様としてご活躍でいらっしゃいます。
さて『徹子の部屋』に出ていただいたのなんと37年前。
37年前においでになった。
そうです。
そう。
もうそれ本当にびっくりしてしまう…。
大関時代ですねあれ。
そう。
ちょうど大関の時でいらっしゃいました。
ちょっとどんなでいらっしゃったか『徹子の部屋』のVTRを…。
あるんですか?ちょっと見せていただきます。
「大関におなりになって本当に良かったんですけど今年の1月すぎにお決まりになった?」「そうです。
一月場所後に決まりました」「その時に何かあちらから…いらして?」「使者の方が見えてね推挙されましたんでっていうことで」「そうするとあなたがそこで…」「謹んで受けるわけですね」「そうするとその随分謹んでの受けのお勉強…」「短い文章なんだけどやっぱりこう緊張してねなかなか出てこないんですよね」「本番はうまくいったんですけど」「何と仰ったんです?」「謹んでお受けいたします」「今後は大関の名に恥じないように頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします」「そう言うんですか」「それで大関におなりになった」「はい」「奥様とは大磯のロングビーチでお会いになったんですって?」「ええ。
ちょうど名古屋場所後に休みがありましてねみんなで海に行ったんですけどねその時に会いました」「アパートを借りて両方がお引っ越しの時に何かあなたはカンカンに一杯なんかすごいいっぱい…」「いっぱいっていうことないんですけど」「写真をね昔付き合った女性の…ためてた…。
ためてたっていうか捨てるのがなんかこう哀れに思えてきてたまっちゃったんですけど」「カンカン持って引っ越したんですよ」「“何ですか?”って言うから“写真”…」「みんな破られちゃいましてね」「でもそれからもう何年?」「8年ですかね」「48年だったですかね結婚したのは」「その8年間の間にはそういうあれですか?」「写真交換っていうようなことは…」「それはもう一切…別のところに。
フフフ…」フフフ…。
なんかキョロキョロなすったりしてるんですけど。
まあ今の奥様がいい奥様で何も仰らなかったんでそのまんま…。
でもその時に『徹子の部屋』にいらした時に「次は女性のお話でも」って私が言ったんですね。
それで変なこと言いましたよね。
そうです。
もうあの…生意気だったんですよねあの頃まだ。
お若いから。
そう。
だから「特番でやっていただかないと喋りきれませんよ」って言って確か言ったと思う。
そう仰いました。
「時間が足りないから特番にしてほしい」と仰ったんですよ。
すごいなって思ったんですけど。
失礼しました。
いいえ。
でもそれからちょっとしていただかないままに終わったんですね。
お父様がまた大関におなりになった?そうなんです。
だからまあうちのおやじが大関で私が相撲取りに…力士になった時は親方の息子って十両以上の関取衆になった人が1人もいなかったんですよね。
あら。
だから入る時にやっぱり反対されまして。
ええええ。
中学の時も反対されて。
やっと高校を卒業する時に「よその部屋へ行く」って言ったんですよ。
それが決め手になりましたよね。
でもそれはお相撲がおやりになりたかった?そうですね。
貴ノ花さんがね学年1年下なんですよ。
えー。
それであの…先に向こうは中卒で入ったんですよ。
ああ先やられたかと思ってね。
でもその頃水泳やってらしたでしょ?そうなんですそうなんです。
水泳は相当のところまでいらっしゃったんですね。
一応オリンピックを目指してはやってたんですけどね。
そうですってね。
インターハイに出るぐらいのいいタイムだったそうですよ。
それでオリンピックにいらっしゃるのかなと思ったら…。
これがそうですね。
だって水泳の選手になってもしかしたらオリンピックに行ったかなんか知らないけど大学にも行ったりするのと相撲とっていうので…。
でも今考えたらやっぱり力士になって…力士になったおかげで色んなこともこう…歌もね歌えるようになったし。
色々こうだからあの時点がやっぱり自分の…今思うと人生の節目ですかね。
でも親子大関っていう…お父様もそうですから親子大関ということでは大変もてはやされたっていうかね。
そうですねその当時。
話題になりましたよね。
大関取りの場所は私より父親のほうが緊張してましたけどね。
あっその時?ええ。
だからなんかこう家の中で会うとちょっとなんかこう向こうのほうが視線をそらすみたいなところありましたけどね。
そうでしたか。
気を使ってたんでしょうね。
そうでしょうね。
31歳2カ月で大関におなりになりました。
やっぱり大関になった時は嬉しかったですか?もう大関…親子そろって大関になるなんて夢の夢も…。
これっぽっちも思ってなかったですからね。
これ伝達式の時ですよねさっき仰った。
一生懸命…。
下…私の下が北天佑ですよ。
そうですね。
幕下時代です。
左側に乗ってる方はどなたですか?うちのおやじ父親です。
あっお父さん?もう一回お願いします。
お父様です。
左側がお父様ですね。
えー。
ところがあれですねお父様の定年退職を機に…。
そうなんです。
どういうわけだか…。
65で定年なんでそれで私が跡を引き継いで師匠になったわけですね三保ヶ関部屋の。
ですから三保ヶ関部屋を…継ぐためにおやめになったんですか?違います違います。
もうやめて1年ちょっとしてからですからね。
それは大関をおやめになって?そうですそうです。
それで私生活では1973年にご結婚になりまして。
でも私初めておいでになった時はさすがにナンパって言ってないです。
今のほうが世慣れちゃって私も。
そうですよね。
そういう言葉…。
そうですよ。
知らなかったんじゃないですか?知らなかったと思いますよ。
私…。
そうそう。
若くていらした時に「ご結婚なすって…海のほうでお会いになったそうですね」ぐらいしか言ってないのにね今は平気でナンパなんて言っちゃって失礼いたしました。
ナンパって言うとなんか…なんか変ですよね。
ちょっとね。
「知り合った」ですよね。
そう。
そこで「見初めた」とか。
そう。
そうです。
そういうことですよね。
ナンパって言うとなんか意図的になんかこうね。
でもまあ…。
まあ意図的なんですけど。
ハハハハッ!可愛い。
ちょっとこれはどなたが?これ両親と…。
はい。
左の小さいのは娘であれは長男。
抱いてらっしゃるのがね。
お母様が抱いてらっしゃる。
右の立ってらっしゃる方が雍子さん?そうです。
お奇麗ですよね。
その海のほうでお会いになった方ですけど本当にお奇麗。
これ随分ちょっと大きくなった時ですね。
そうですね。
年子なんですよね。
年子?だからほとんど同じなのね。
可愛い。
えー。
だけど割とお早くお生まれになりましたね。
早かったですね。
だから25かな?25で結婚したのかな?それで色々あってお子さんが2人いらっしゃって。
それでそのお子さんにまたお子さんが生まれたから今もう孫が…。
孫が…長女のほうに今6歳の孫とそれで長男のほうにまだ1歳になる前の…直前なんです。
そうなんですか。
女の子男の子。
男の子。
可愛いんですってね。
可愛いんですね孫は。
子供はね一緒にお風呂なんか入れたことないんですよ。
そうですか。
現役真っただ中だったんで。
お忙しいし。
孫は最近も入りましたから。
ああ可愛い。
これ長男の息子です。
随分あれですねあなたに似てらっしゃらない?子供の時見るとねよく似てるんですよ。
本当そっくり。
あら可愛い。
でも可愛い無邪気な顔で。
可愛い。
そう…。
お嬢さんのほうのお子さんが女の子?そう。
女の子なんです。
そのお嬢さんのVTRがなんかちょっとあるみたいなので孫娘のVTRちょっと見せていただきたいと思います。
ちょっとご覧…。
あら。
「Ihaveapen」「Ihaveanapple」「Applepen!」「Ihaveapen」「Ihaveapineapple」「Pineapplepen!」「Applepen…pineapplepen…」「Pen−Pineapple−Apple−Pen!」「チャチャンチャーンチャチャンチャーンウン!」「Pen−Pineapple−Apple−Pen!」「チャチャンチャーンチャチャンチャーンウン!」「スーパーキャットパンチ!」すごい。
どうしてああいうふうに子供っていうものはああいうふうにすぐ外国の言葉でも覚えて…あのリズムでも。
ですね。
特に最近の子供はなんか知らないけどませてますよね。
写真撮ってもねポーズ取るんですよ。
ポーズ取る?ええ。
我々の時はそこまでいかなかった…。
ぼやっとしてないのね。
でも今のあの…「Applepen!」っていうの私何回聴いても覚えられないんだけどあんなにちっちゃいのにね。
あの…動き方が可愛いじゃないですか当然のように。
「Applepen!」「Applepen!」「Applepen!」とか言ってね。
可愛い。
でもあれですよねああいうふうに可愛いと本当に気が晴れるっていう気もするけど疲れるって…?ただ年取ってからの孫なんで来て嬉しい帰って嬉しい。
そうなんですか?でも来たらまた「Applepen!」ってやってるんですか?ハハハ…!見たい私。
絶対可愛いと思う。
それでもっとすごいのは増位山さんは引退なさったあと土俵をどうするかっていうことになった時そこをちゃんこ鍋屋に…。
これがすごいと思ったのね。
一昨年にね横綱も稽古してる…大関も何人も稽古してる土俵を潰すのが忍びなくて。
ええ。
そしたら息子が…さっきの息子が「お父さん」って。
広告代理店にいたんですけどね。
「お父さんちゃんこ屋やりたいんだけど」。
これしめたと。
これで稽古場生かせると思って。
うん!稽古場を残して…土俵を残してそこを改装して調理場とかを作ってちゃんこ屋やったんですよ。
土俵はどかしたんですか?土俵はあるんですそのまま。
土俵はある?そのまんま。
これ歌っていらっしゃるんですかね?たまに歌うんですよサービスで。
本当だ。
そうすると女の人も入っても…。
入れないんですもんね普通。
なかなか女性はね入れないんで。
もう今は稽古してないんで。
そういうのは構わないんですか?はい。
でもそれにしてもあそこうまくお使いになりましたよね。
そうなんですよ。
だから残すことができて良かったと思って。
そう。
ステージにもなるし。
ステージ…。
たまにしか歌わないですけども。
歌は歌えるんですねあそこで。
私しか歌わない。
カラオケは…。
私しか…。
そうなんです。
すごい。
皆さん歌っちゃうとカラオケ屋になっちゃう可能性がある…。
カラオケ屋はやってない?ちゃんこ屋さんだから。
そうなの?このご主人だけが歌っていいと。
たまに新曲出たりなんかすると…。
なるほどね。
でもさっきの『そんな夕子にほれました』っていうの作詞が…びっくりしたんです。
海老名香葉子さんって…。
三平さんの奥さんですよね。
それどういうことでそういう…。
そのディレクターが海老名さんと仲良くて。
海老名さんと?お世話になっててね。
それで「女将さん作詞してくれないですか?」って言って。
初めての作詞なんですよね。
それでその当時お手伝いさんが夕子さんだった。
あそこの家の?はい。
へえー。
名前どうしようかなと思ったら夕子さんがキャベツ刻んでたんです。
本当に?それが詞になったりね。
すごい。
生活が出てますね。
ええ。
だから…私もそうですけど女将さんもヒットするなんてこれっぽっちも思ってなかったです。
しかも当時なんか苦しい…三平さんのご病気の時でお金のやりくりが必要だったんでとても…。
あとでお聞きしましたけどね「助かったわよ」って言ってましたよ。
そんなことを仰ってましたね。
随分良かったですだからねそういう点では。
だからね少しでもなんかね助けになれば…。
そう。
でも歌が上手で歌ったことが三平さんを助けた…「どうもすいません」のほうの三平さんを助けたってことになるとそれは嬉しいですよね。
だからやっぱりなんかそういうことがあると歌ってて良かったなっていう気になりますよね。
そうですよね。
「歌で慰められた」と結構お手紙いただいたりね。
そうですか。
そうなんです。
だから歌もまんざらでもないな…。
ところでその香葉子さんから…。
はい。
ちょっとメッセージっていうかございましたんで。
「まずは母」…。
これは三平さんのお母様ですね。
姑。
…「が大ファン」。
「江戸前だね。
取り口がいいのよ」「顔もいいでしょ」って増位山さんのこと。
「そしてびっくり。
ご縁があって私が作詞の依頼を受けたのです」「一番喜んだのは母でためらっている私をそばについて応援してくれてレコーディングの日ひと目そばで会いたいとついてきました」「“白いお鍋”“キャベツをきざむ”これじゃあ詞になってない」「“夕げのにおい”に変えたら?と門井八郎先生にも言われましたがそのまんまで増位山さんが歌っていい声でうっとりでした」「素人の詞が美しい歌になり半世紀歌われ続けています」「これも声の良さ上手な歌い方山路先生の曲の良さからでございましょう」「それに女将さんの力大です」「素晴らしい夫婦あっての歌手増位山さんです」「これからすごい美声で演歌の世界を盛り上げてください」「私は“いい歌ね”“いい声ね”と噺家のお弟子さんたちと大きな拍手を送っています。
海老名香葉子」ありがとうございます。
今日は実はねこのあとね歌っていただけるんですよ。
皆さん。
生で歌っていただくことないので…。
こちらでお相撲の方がお歌いになったの初めてです『徹子の部屋』で。
楽しみ。
ちょっとコマーシャルを挟んでご用意いただきますので。
じゃあ歌っていただきますのでちょっとコマーシャルです。
1974年に発売され今なお歌い継がれている『そんな夕子にほれました』。
海老名香葉子さんの作詞だったんですね。
ではお願いいたしましょう。
『そんな夕子にほれました』。
増位山さんどうぞ。

(拍手)今の…。
ありがとうございました歌っていただいて。
なかなかこういう番組で歌っていただくことないので。
本当にいいお声でほれぼれといたしましたけど。
続いて…続いてでもないけど随分前ですけどお出しになったんでしょ?新曲。
はい。
『白雪草』という。
女性…か弱い女性の歌なんですけどね。
あらすごい。
えー。
結構芯の強い…だから男を奮い立たせるっていうか大丈夫よ。
今は苦しいけどちゃんと先には幸せが来るわよって頑張ってねっていうような支えになる…。
いいですね。
女性の…。
おたくの奥様みたいな。
本当に世話になりました。
フフフ…。
「なってます」ですねまだ。
お世話になってる最中。
そうです。
そのなってる最中の奥様にちょっと担当の者が…。
えっ?奇麗な奥様ですよ。
びっくりしちゃうんですけど。
ご主人はどんな方ですか?とかそういうことを伺って…。
はい。
ご主人はどんな方ですか?「いつまでも子供っぽいところがある人です」結婚して驚いたことは?「普通の家庭で育ったのでみんなが裸だったのに驚き」…。
可愛いけど…。
驚くと思いますよそれは。
そりゃあ驚きますよね。
お部屋皆さん裸で歩いて?パンツ一つですからね。
それは驚くわね。
若くてね奥さんになったらね驚きます。
「それでちょっとびっくりしました」ご主人の歌は?「上手だと思ってたけどある日一緒に車に乗っていた時カセットテープから流れてきた歌を聴いて“世の中には歌がうまい人がいるんだ”って言ったら“これは俺だ”と言われてしまいました」「今は大好きな歌を思う存分歌えて本人も幸せだと思います」でもちょっと読み方があれですけども「上手だとは思っていたけどこれほど」ということだったんですよね。
テープから流れてきた歌を「世の中にはうまい人がいるもんだ」って言ったら「これは俺だ」と。
それは聞いたことあります。
そうね。
そう仰ったんですって。
ご主人はモテましたか?「本人は自分でモテると言っていました」「自分で言うんだから確かにモテたんでしょうね」ハハハ…。
本当に。
でもちょっと今更なんかねごたごたするといけませんから。
いやもう私も女房も達観してますんでもうそういう時代は越えました。
そうですか。
たぶん…。
たぶん。
「たぶん」?なるたけお静かに…。
ご主人にお願いはありますか?「今後は自分のことはなるべく自分でやれるようにしてほしい」「“俺はしている”ときっと言うでしょうけどどっちが先に倒れるかわからない」「どっちに何があるかわからない」「家の中のどこに何があるかはわかっていてください」それは言えますね。
もう何がどこにあるかさっぱりわからないです。
何にもわからない?ご自分でおやりにならない?もう全然わからない。
おやりになってくださいって。
はい。
それから結婚生活を振り返って。
「部屋をやめてほっとしているのが本音」「毎日変化がある生活で気が休まる暇もなかったけど何かあっても次の朝がやって来た」「苦しい。
けど楽しい。
振り返るとそんな日々でした」以上でございます。
この機会に奥様にひと言どうぞ仰ってください。
もう本当に現役…結婚してからねずっと現役時代それから部屋を持ってからも本当に支えてもらったと思ってます。
ただちょっと割と照れ性なので言葉で言えないのが私の欠点なので。
気持ちは十分に思ってるのでこの場をお借りして…。
そうですね。
こういう場合だと皆さん仰ってくださるんですけどそうじゃないとなかなかお家でそういうことを仰らないからどんなふうに思ってるのかしらって奥様もし思っていらっしゃるとしたら今仰ったような気持ちでいらっしゃるそうで本当にありがたいと思っていらっしゃる。
それはもう節々に…。
節々っていうの?さっきお話ししてる間にずっとわかってはいましたけども。
でも良かったです。
お元気そうで。
このお手紙あとで差し上げます。
ありがとうございます。
でもあれですね久しぶりにお目にかかりましたけど…。
じゃあお互い元気で。
今日はもう本当にお呼びいただきましてありがとうございます。
本当ね。
嬉しかったですお会いできて。
どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。
2017/01/19(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 増位山太志郎[解][字]

〜68歳!今、第二の人生を謳歌しています…美声を披露〜増位山太志郎さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
ハンサムな風貌で、昭和の人気力士として活躍した増位山太志郎さんが、37年ぶりに『徹子の部屋』に登場!現在はちゃんこ鍋屋を営みながら、歌手としても活動中。1974年の大ヒット曲『そんな夕子にほれました』をスタジオで熱唱♪今なお変わらない魅惑の甘い歌声をお楽しみに!
◇番組内容
4年前に相撲協会を定年退職し、68歳の現在は第二の人生を謳歌している増位山さん。『徹子の部屋』に初めて出演したのは、大関に昇進した31歳の時。「生意気でした…」と恐縮する当時のVTRは必見!今は2人の孫の“じぃじ”に。孫娘の可愛い映像に、もうメロメロ!?力士時代、そして三保ケ関部屋の親方時代も支え続けてくれた妻・雍子さんとの出会いは“ナンパ”だという。そんな妻から今日はサプライズ!夫の素顔を大暴露!?