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字幕書き起こし ハートネットTV ブレイクスルー File.68「NPO事務局長 村尾政樹」 2017.01.23

変えたい事がある。
この日も彼は国会議員の部屋を回っていた
子どもの貧困に向き合うNPOの事務局長だ
(村尾)子ども食堂ネットワークですか。
政治家の前で臆する事はない
いつも見つめる先には子どもたちの未来がある
その原点は自らの子ども時代にある
小学6年生の時母親が命を絶った
誰にも迷惑をかけちゃいけない。
一人で強く生きようともがいた
一人苦しんでいた時に出会ったのが同じように親を亡くした子どもたち。
自分だけではなかった
子どもたちのために。

 

 

 


今社会を動かし始めた村尾政樹さんのブレイクスルー
東京・赤坂に事務所がある子どもの貧困対策センターあすのば。
おととし設立。
村尾さんは事務局長を務めています。
団体リストみたいなのを作って…。
職員の中で最年少の26歳。
進めますけど。
村尾じゃあ…。
というか勝手に言ってるけど。
(笑い声)いい意味でない時もありますけどね。
(笑い声)この野郎みたいな思う時もあったり…。
それは何か村尾らしいところかな。
事務所には毎日のように学生たちが集まってきます。
その多くが経済的に厳しい環境で育った当事者です。
進路を決める時に悩んだ事とか困った事とか今困ってる事っていうような…。
村尾さんは彼らと一緒に子どもの支援を訴えるイベントを企画しています。
学生が自分で考え行動する。
村尾さんはそれを全力でサポートします。
ちょっと村尾さんが結構ムズムズしてるので村尾さんからもコメントを。
高校生がついてこれない。
もうちょっと…今村尾さんがもう一つ取り組んでいるのが一見貧困状態には見えない家庭を支える事です。
よろしくお願いします。
お願いします。
寒いですね。
(笑い声)高校進学のためにあすのばから給付金を受けた親子です。
母親は去年離婚。
3人の子どもを1人で育てています。
実際やっぱりここの…
(村尾)あっ是非。
公立高校の受験がうまくいかず私立へ進学。
所得が低いため授業料は免除されましたがそれ以外の支出がかさんでいました。
チアです。
女子生徒は母親に負担をかけないようアルバイトを始めましたがいつまで部活を続けられるか分かりません。
本日のゲストは子どもの貧困問題に取り組むNPOの村尾政樹さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ニュースとかでは見えづらい貧困というのがとても問題になってるんですけれども子どもってなると更に見えにくいものなんですかね。
大体約300万人以上のお子さんが貧困家庭の中で生きているという暮らしているという事が今いわれています。
なので…。
クラスで言うと何人に1人とかになるんですか?大体クラスで6人に1人ですね。
なので子どもの中の全体の子どもの6人に1人というふうに今いわれています。
う〜ん。
それかなり多いですよね。
そうですね〜。
やっぱり子ども自身も困ってるって例えば言っちゃいけないって思ったりとかこれぐらいで何か言ったらいけないんだっていうような気持ちになったりとかして表に出てこないっていうのも更に見えづらくなってるって事もあると思いますね。
村尾さん何かやっぱり26歳なんですよね。
26歳には全然見えないんですけど。
まあまあ…。
VTRでも…。
老けてるって事…。
変な人だなと思われてると思いますけどね。
まあそれはそれで。
(笑い声)何で学生と一緒になって活動してるんですか?彼らの声が今までずっと置き去りになっていたからこそ対策が進まなかった事もあると思います。
子どもの時に感じた何でなんだよと思う事とかがそれがより本当は…大事なSOSだったところが見逃されてしまって次の社会を子どもたちとデザインしていきたいなっていう思いがあって子どもたちと一緒に活動をしているっていうのも一つありますね。
夜帰宅した村尾さん。
楽しみの一つが料理です。
(村尾)子どもの頃に結構ごはんに苦労したっていう事があったんですけどこういう時間とかも好きですね。
おいしそうなにおいがしてくるじゃないですけど何か家庭的な感じが…自分一人ですけどしますよね。
よく作るのはごく普通のカレーライス。
いや笑った笑った〜。
笑った笑った〜。
政樹〜。
神戸でサラリーマンの父親と専業主婦の母親の間に生まれた村尾さん。
パカパカ言って。
大のお母さんっ子でした。
しかし小学生の頃父親は仕事が忙しくなり母親も体調を崩しがちに。
間もなくうつ病と診断されます。
そして小学6年生のある日…。
学校から帰ると母親は自ら命を絶っていました。
子どもたちを支えるためますます忙しく働くようになった父親。
幼い弟は児童養護施設に入ります。
自分がしっかりしなければ。
村尾さんは感情を心の奥に押し込めます。
高校1年の夏親を亡くした子ども向けのキャンプに参加し同じ苦しみを抱える仲間に出会います。
そこである学生の言葉を聞き疑問が生まれます。
大学に進学し福祉を学ぶかたわら自殺防止のイベントなどを企画。
親を亡くした当事者として声を上げたのです。
私の母がちょっと…本当にずっと写真を撮ろうっていう機会あったんですけどずっと断ってた事が本当に後悔していて…。
やりがいを感じ始めたやさき東日本大震災が起こります。
村尾さんはすぐに親を亡くした子どもの支援に向かいます。
しかし…。
(村尾)回れば回るほど何かどうやって言葉をかけていいのかも分からなかったというのか…。
…っていうふうにその時思っちゃって。
自信をなくした村尾さん。
活動をやめようとまで思い詰めます。
そんな時後輩が飲もうと誘ってくれました。
思い切って弱音を吐くと意外な言葉が返ってきました。
(村尾)その人は…いや〜いい後輩ですね。
今振り返ると村尾さんの中でも何か強がってましたか?肩に力入ってる状態だったなって思いますか?僕自身母親を亡くしてから本当はつらかったなとか悲しかったなとかいろんな事に対して自分として少し立ち止まりたかった時もあったと思うんですけど立ち止まっちゃったらそこで全部が止まっちゃうんじゃないかっていうような不安な気持ちもあったりとか常日頃やっぱりこう何かをしてないと自分的には怖いっていう感情があって…それをしっかりとしなきゃと思ってたのがへし折られたのが震災だったんですね。
でもそういった弱さとか自分にもちゃんと悲しい事は悲しいと思っていいんだなとかつらい事はつらいって思っていいんだなっていうふうに受け止めてくれる人の存在がいたからこそ自分が人と接する時もその人にとっては大事な悩みとしてその人の歩幅とかそういった弱いところも含めてその人としてちゃんと見ていきたいなって気持ちになりましたよね。
村尾さんの中でそれ言われて変わりましたか?もう…僕気付いちゃったんですよね。
誰かに認められたいっていう気持ちもあるけれどももしかしたら僕一番母親に認められたかったんだなっていう事が分かった時に自分すごくすっきりしたんです。
肩荷が下りたというのか。
それは今まで母親がそういう…自死という形で亡くなってしまってもしかしたら自分が何か言ったからかもなとか自分が冷たくしちゃったからかもなっていうふうに思ってて母親の事考えたりするとごめんなさいとしか思えなかった自分がお互い大変だったんだよなってある意味もう一回母親と会話ができたりもしくはあの時の自分に対してま〜くんってよく言われてたんですけどま〜くんも大変だったんだよなっていうふうに思えるようになったとか。
それも僕の中の活動の一つの力になってるのかなっていうのもありますね。
そして今子どもたちと一緒に社会を動かしていこうとしている今の村尾さんの姿をお父様はどう思っていらっしゃるのかお話を聞いてきました。
こちらをどうぞ。
ビデオがいっぱい入ってます。
それで背表紙なんかをいろいろ作って全部埋めるのが楽しみでしてね。
これ「政樹の成長記録おしゃべり」「政樹の成長記録ハイハイ、アンヨ」とか「お食事」とかこの辺りずっとそうですね。
これが政樹が高校生2年だったか3年だったかちょうど家内が亡くなってから5年目ぐらいだったと思うんですけど…。
勉強もバイトもして自分で金ためて親にはそういった受験費や金とか一切言わなかったですから。
言って出ていきましたですよね。
そのシーンが今でもちょっと忘れられないっていうようなところですね。
きれい事というかきれいな言葉ですけど涙した分だけ人に優しくできるっていうような言葉がどっかにもありますけどもやっぱりそれだけ彼はいろいろ悔しい思いや涙を流してきたんだと思いますけどもね。
…だと思いますうん。
いかがですか?あの…もうあんまりなかなか連絡取る機会も少なくなっちゃったんでこうやってある意味こういった番組を通して父親の事を聞くのはちょっと恥ずかしい気持ちが今一番ありますけどね。
やっぱり父親に対しても甘えたかったところもあったんだろうなっていうのは今…。
父親ももう少し本当は頼ってほしかったのかもしれないなとか…。
やっぱり絶対お父さんも寂しいとか苦しみもあったと思うしそれで息子がそんなしっかりしてたらさもうその時のお父さんの感情とか考えたらね何か…ねえ自分も今子どもがいるからそういうのも考えちゃって。
今子どもたちのための活動をしてらっしゃるじゃないですか。
どこかもしかしたらあのころの自分のためにとかっていうのとかってあるんじゃないかなと思うんですけど村尾さんいかがですか?それは一つとして僕はあると思いますね。
すごくつらかったし悲しかったけどでもきっと大人になったら大丈夫だよって自分が今昔の自分に言ってあげたいっていうか言ってあげられるような人生を歩んでいきたいなっていう気持ちもありますよね。
でも僕今自分の子ども時代を振り返ると何か変な話…あんまり自分の事をモデルにしてほしくないというのかっていうのは次の子どもたちは本来しなくてよかったかもしれないその苦労を次の子たちはしなくても済むような社会というのか環境だったらいいのになって思ったりとかしますね。
村尾さんが今日100点だったな〜ってにこって笑うようなのってどんな一日ですか?まあ…にこって笑う日ですよね。
(笑い声)これは100点だぞって思うのはどんな…。
定時きっかりに仕事が終えて家に帰った時…。
意外にリアリティーのある話でしたね。
全然使えないと思うんですけど。
全然大丈夫です。
個人的な質問だったのでオーケーです。
僕今ぼ〜っとする時間が結構実は好きだったりとかするんですよね。
それまでってテレビも僕見れなかったというのか見ても話が入ってこないみたいなそういった皆さんにとっては当たり前かもしれない…あるよっていうようなのが僕にはなかったのでそれを今6時に…定時にぴったり終わって帰ってその時間が過ごせた時にやっとそこに何だか幸せを感じたりとかしますよね。
お疲れさまです。
こんにちは〜。
12月あすのばは大きなイベントを控えていました。
全国の自治体担当者や支援者を集めたシンポジウムです。
学生の意見をまとめてほしいと村尾さんが声をかけた…小学校から高校を卒業するまで児童養護施設で育ちました。
今は奨学金を受け大学で社会福祉を学んでいます。
こういう人がこういう人よりも…。
久波さんたちが発表するのは経済的な事情で進路に悩む高校生への支援の在り方です。
就職したからこそ分かった事があって…何でかって言うと別に自分は働きたくない訳じゃないけど限られちゃってて…。
すごいなって思うよ。
何が?何か分かるなって思った。
自分はいくらあがいてもそういう人間だから無理なんだ。
自分はそういう素質がないんだとかそういう運命なんだって思っちゃって。
経済的な支援だけでなく心の支援が欲しい。
久波さんが一番伝えたい事です。
イベント当日。
全国から150人以上が集まりました。
村尾さんは司会に徹し学生たちが自分の経験や思いを発表します。
そこで初めて…最後に久波さんが学生の思いをまとめ支援者や政治家たちに訴えます。
(久波)それを必要としている人にしっかりと伝わる事…。
自分たちの声で社会を変えていく。
(拍手)こんにちは。
こんにちは。
お願いします。
久しぶりだね。
そうですね…。
でもあれなんでしょ。
内定1個取れてたんでしょ。
結果から言うと蹴ったんですね。
あっ蹴ったんだ。
というのは2〜3週間…2週間ぐらいかな…に一大決心をしまして…ていうのは当初僕は…へえ〜。
え〜随分とかじ切り…。
そうなんです。
(笑い声)
(笑い声)真ん中真ん中。
よくあるやつ。
(笑い声)これ大丈夫?時間がないね。
大丈夫…。
(一同)オ〜!2017/01/23(月) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV ブレイクスルー File.68「NPO事務局長 村尾政樹」[字]

子どもの貧困対策に取り組む村尾政樹さん。小学生の頃、母親が自ら命を断った。一人で強く生きようとしてきた村尾さんが壁にぶつかった時、支えとなった友人からの言葉とは

詳細情報
番組内容
ハートネットTVはさまざまな「生きづらさ」を抱える人たちのための番組。テーマは、貧困・虐待・自殺・うつ・依存症・発達障害・認知症・がん・難病・介護・リハビリ・障害・LGBTなどさまざま。ホームページも情報満載!みなさんがつながりあえるよう情報交換の場も設けています。◆ハートネットHP http://www.nhk.or.jp/heart−net◆ツイッター・フェイスブックでの情報発信もしています。
出演者
【出演】NPOあすのば…村尾政樹,【司会】風間俊介,AI,【語り】Chiko