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字幕書き起こし 100分de名著 中原中也詩集 第3回「“悲しみ”と“さみしさ”をつむぐ」 2017.01.23

喪失感の中で詩を書き続けた…「屋外は真ッ闇闇の闇夜は劫々と更けまする」。
誰もが自分の感情を託したくなる悲しみやさみしさの織り込まれた歌の数々。
第3回は中也の詩に隠された秘密をゲストを交えて読み解いてゆきます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…前回は中也が恋をして更に失恋を経験する中で生まれた詩について読み解いてきました。

 

 

 


その天才的な才能のかたまりみたいな人の結果的にはすごく短かった人生の中で一つの恋愛というのがものすごい…本人はつらかったと思うんですよ。
本人はつらかったと思うんですけどまた詩に力を与えてる詩にバリエーションを与えてるというか。
今回もその中也の人生と絡めて読み解いていきましょう。
指南役は作家の太田治子さんです。
今回もよろしくお願いいたします。
今日のテーマは…これまで読んできただけでも中也のさみしさを読んだ詩というのはとても響いてきましたよね。
はい。
胸にねしんとしみてきますね。
別に中也自体は「俺悲しい悲しい」って言ってるわけでもないんですよね。
そうなんです。
選んだ言葉が…引っ張り出されちゃうというか。
揺り動かされる。
今までちょっと通り過ぎていった悲しみが急にふつふつとよみがえってくると。
それでは森山未來さんによる朗読でお聴き下さい。
中也が東京に出て5年がたとうとしていました。
その間大学の予科に入学するも半年で退学。
相変わらず何者でもなかった中也は世間体から父親の葬儀にも出る事がかないません。
思うようにならない日々の中中也は自らの人生を振り返ります。
雪って何だとか悲しみって何だみたいなところを上手に振り回される感じのする。
ええ。
雨と違って雪に託す事によってその思いが通り過ぎていかないという。
振り返りながら見ていきましょうか。
幼年時は「真綿のやうで」という事で。
中也さん待望の男の子でしたのでお父さんお母さんに大切に大切に育てられて真綿にくるまるように幸せだったという事だったと思いますね。
それが少年時になって霙になり霰になり雹になり吹雪にねどんどんひどくなっていって。
霙霰あたりはほんとに自分が浴びてるつらさの事がすごくクローズアップされるんだけど「二十四」急にこの雪はしめやかであるという。
何か急に達観するというか自分の悲しみに対して。
依然として雪だから冷たいんだけどさみしいんだけど寒いんだけどでもちょっと達観してるかなという。
数えの23でもうあまりにもいろんな事を彼は経験しすぎましたよね。
はい。
こちらの「生ひ立ちの歌」というのは同人誌こちらなんですが「白痴群」に発表されました。
仲間たち9人と創刊した同人誌なんですがほとんどが中也一人で書いていたそうなんですよ。
は〜。
昭和4年9人の仲間と発刊した「白痴群」。
中也は精力的に詩を書き代表作となる作品も多く発表されます。
しかし僅か1年後廃刊となります。
最後の時にはもう本当に中也さんもとてもショック。
みんなが去っていくという事が寂しかったと思いますね。
みんな去ってったんですか?去っていった。
例えば大岡さんは京都の大学に行きましたしその他の友人も…結局中也さんはね人を大好きすぎて人恋しくて人懐こくて。
だから好きとなると毎日押しかけるんですおうちに。
それはお友達にしてみればねいくら中也さんの詩を敬愛していても嫌ですよね。
毎日毎日押しかけられたらね。
さすがに…。
でもそこに中也は本当に全身全霊心を傾けてそこに詩を発表するという事をすごく考えていたわけですからそれが廃刊になりましたと。
他の人はいいでしょうけれども彼にとってはもうもう大変なショックで寂しくて。
ほんとに才能から何から何までやっぱり過剰な人なんだな。
お話聞いてると泰子との別れから仲間に離れられていったりつらい時期が続いてますね。
ご自身その事をね後年「雌伏の時」と言っていた。
じっとこう我慢の時だったんじゃないんですか。
実はですね今回中也の詩を読み解くためにもうお一方ゲストをお呼びしています。
歌人の穂村弘さんです。
(一同)よろしくお願いします。
現代を代表する歌人であり詩作も手がける穂村弘さん。
中也の詩の極端な純度の高さに作り手として興味を持ってきました。
穂村さんから見て中原中也はどんな詩人ですか?
(穂村)小柄で目がきれいで早熟の天才で生き急ぐように破滅的に生きて早く死んでしまって。
生きてる時迷惑かけられた友人たちが彼が死んだあとは「すごいやつだった」とか言って褒めるというそんな詩人のイメージって何かあるような気がして。
それってでも中也だよねって思いますね。
僕の中ではそんなイメージがありますね。
そして後年の我々からすると何か歌謡曲のサビのフレーズみたいだなと思うような…朗読を担当されてる森山未來さんに共鳴してるのがすごくよく分かるというかやっぱり演じ手として中原中也に刺激されてるんだと思うんですね。
ええ。
これは穂村さんがお好きな詩という事ですがどんなところが好きですか?ボタンって洋服にないと役に立たないですよね。
それがいきなり月夜の海辺に落ちているって…そこにいるかぎりボタンとしての役割が全然果たせないわけですよね。
だけどそれが逆に不思議な魅力につながっていてここにない全く孤独な場所に落とされたボタンって宝石とか月のかけらとかそんな…誰にでもあると思いますけどそうすると自分にとってのボタンは何だったのかなというふうに「僕」として書かれている事が私事として受け取られてくる。
それが魅力的ですね。
僕はねちょっとお二人とも違うところに行きましてねどこかにこのボタンを無くした人がいるんだという事がちょっと面白くてまたこれが浜辺に波打ち際にあるというのもよくできてて。
流れ着いてきたボタン。
流れてくる事ありますよね。
彼の捨て難いボタンをもう諦めてる人がいるのか僕の中ではちょっと面白いしわくわくするし。
とにかく深いですね。
「1,000分de名著」でもいけそう。
引き続き代表作の「サーカス」をお聴き下さい。
この「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」というフレーズはやっぱり覚えてますね。
あそうですか。
ほぼ国語の授業は寝ていたにもかかわらずやっぱり覚えてますね。
それぐらいインパクトのある言葉ですよね。
この「サーカス」という詩太田さんはどう読み解かれますか?このサーカスのブランコですよねそれで逆さづりでもうとてもスリリングですよね。
そういう中で「観客様はみな鰯」とこういうふうにして最初ちょっとブランコって落ちたら怖いわねとか思う気持ちが…楽しい場なんですけれどもちょっとこう孤独に揺れてる軽業師のさみしさとかというのも感じられる。
感じますね。
一方穂村さんだとここはテクニック入ってるなと思うようなところってやっぱりあるんですか?「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」はもうびっくりするような独創的なオノマトペだけどリズム的にはちゃんと七五の範囲内でやってるからサーカスの……という意図なのか無意識のセンスなのかがすごくある。
それを天性といえば天性のリズム感かもしれないしテクニックといえばもう区別できない領域だと思いますが。
それがテクニックかどうかは別として言語感覚みたいなものというのはほんと独特なものですか?この「ゆあーんゆよーん」はびっくり…。
一回でこんなふうにブランコを表現するんだというね。
普通の一般の解釈だと「ぶーらん」とか言っちゃいそうですけど。
「ぶーらぶら」が一番分かりやすい。
せめて「ゆらゆら」。
一歩でもやりすぎると「それは無理だ」って今度は突っ込まれちゃいますよね。
こういうオノマトペって。
何かそうじゃないよブランコはって今度言われちゃうからそのギリギリの線という感じがしますけどね。
だからやっぱすごい身体感覚何か運動神経みたいなものがいい人じゃないと。
面白いな。
言葉の…。
(伊集院礒野)運動神経。
そして中也は「芸術論覚え書」という文章で触れています。
ご覧下さい。
…と書いてあるんですがこれどういう事ですか?例えば「悲しい」と口に出す前の悲しみとか「好きだ」と口に出す前の思いとかそういうものってありますよね。
それでそっちの方が純粋で実は。
「悲しい」とか「好きだ」って言ってしまった瞬間から……みたいな感覚は我々にもあると思うんですけどでも言わなきゃどうしようもないから「手」とか「悲しい」とか「好きだ」とか言って暮らしてるけど中也はその事にすごく潔癖にこだわったという印象がありますね。
「名辞以前」と彼はその世界の事を呼んでいる。
そして言葉になる前の世界を追求していたんではないか。
これはすごいチャレンジだな。
あの…僕が思った事と穂村さんが思った事が近いかどうか聞きたいんですけどね俺の知り合いでもなかを食う音を「スナフ」って言うんだよね。
え〜!「パクッ」と言わないんです。
もなかだけ「スナフ」って食う。
僕はその時に感激したんですよ。
すごく僕それは似てると思いますね。
「スナフ」ってその言葉がこの世に生まれるまでは何て言うのかななかったんでしょあの感じというのは。
あとそれこそ「もぐもぐ」が合っちゃってみんな使っちゃってるから「もぐもぐ」でいいじゃないって。
「もぐもぐ」が万能ツールだけど本当は専用の言葉を全ての言葉に対してでも専用の言葉はとても見いだせないし。
でも中也は詩においては…まあ「ゆあーんゆよーん」もそうだと思うんですけどこの世に初めて今まさに生まれ出た言葉で全て記述できればというような潔癖さがどうもあった。
そして詩は本当は言葉の「向こう」にあるというようなそんな感覚を繰り返し語っているみたいですね。
更に中也は世界をこの芸術世界と生活世界の2つに分けて考えていたんですね。
これについては芸術世界と生活世界という言い方できっぱり分けちゃうのが面白くて。
誰だって両方に生きていてまあ我々はだいぶ生活世界寄りで暮らしてるけど中也は相当芸術世界の方だけで生きようみたいな意識がある時期あったと思うんですが…100%こちらを目指したという事ですか?でも100%は無理だって書いてますから。
でも一度これ頭に置いて生活しようと思うとそれは苦しい事も多いでしょうね。
さっき友達をガンガン訪ねていっちゃうという話があったけどお友達は生活世界のゾーンで普通生きてるのに芸術世界の使者である中也がガンガン訪ねてくると「俺明日早いんだよ」とか言いたくなりますよね。
でも中也には通じないみたいな。
そのせめぎ合いがやっぱりあるのかなと思いますね。
ではその後の中也の人生はどうなったのでしょうか?昭和7年中也は詩集の出版を目指すもうまくいかずだんだん神経を病んでゆきました。
そんな時舞い込んだ郷里の母からの見合いの話。
昭和8年中也は遠縁の女性と結婚しました。
同じ時期に念願の詩集出版の夢もかないささやかな幸せを味わいます。
そのころに書かれたこんな不思議な作品。
結婚してようやく心も落ち着いて安定して平和な幸せな生活始まるかと思ったら。
とてもそうとは思えないんだけど。
そんな時にこの「骨」というのをよむんですね。
自分の死をうたってるんだけどでも何か妙にスッキリしてるというのかな。
それってさっきの生活世界から抜け出した解放感みたいなものじゃないかと思うんだけど。
これが生活世界ですよね。
ごはん食べなきゃいけない。
肉があれば。
でももう死んじゃって骨になったあとはごはん食べなくていいしお金も稼がなくていいしつまり…生活世界がすごく充実してたはずなんだけどでもやっぱりじゃあもう芸術はいいやとはならなくてその幸せの中にあっても自分の死を幻想してああスッキリしたみたいに言えてしまうというね。
その中也にとっての二つの世界みたいなものが出てるのかなって思いますね。
太田さんはいかがですか?とっても面白いですよね。
骨というとすごく怖い感じがするんですけれども結婚してね人生の中で一番楽しかった時だと思うんですがそういう時でも何か彼はいつも骨になった自分というものを…何か多分ありきたりの結婚に幸せを感じた事に対する戸惑いとてれは僕あるような気はするんです。
あとそれが幸せだというもう手のついた言葉で表現する事は恐らく今日聞いたばかりの言葉を言いますけどやっぱり違うと思ったんでしょうね。
「名辞以前」で今の自分のあんなにおびえてた死ぬ事に対してさほど怖いとは思っていないぐらい日々幸せです日々「おしたし」がうまいですという事をこう書いたんじゃないかって思えるんです。
ただ今後の人生はそう簡単では…。
またこれからこのあと中也の人生大きく動きだします。
次回もどうぞお楽しみに。
お二方今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
2017/01/23(月) 22:25〜22:50
NHKEテレ1大阪
100分de名著 中原中也詩集 第3回「“悲しみ”と“さみしさ”をつむぐ」[解][字]

「悲しみ」や「さみしさ」という感情が幾重にも織りつむがれた複雑なものであることをあらためて感じさせてくれる。そして繰り返されるリフレインはそれらを鎮めてくれる。

詳細情報
番組内容
中也の代表作「生い立ちの歌」「月夜の浜辺」を読み解いていくと、「悲しみ」や「さみしさ」という感情が幾重にも織りつむがれた複雑なものであることをあらためて感じさせてくれる。そして何度も繰り返されるリフレインは、まるで包み込むようにその「悲しみ」「さみしさ」を鎮めてくれる。中也は、「悲しみ」「さみしさ」をさまざまな言葉でつむいでいくことで、私たちにその感情の奥深さをあらためて教えてくれるのだ。
出演者
【ゲスト】歌人…穂村弘,【講師】作家…太田治子,【司会】伊集院光,礒野佑子,【朗読】森山未來,【語り】山根基世