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字幕書き起こし 歴史秘話ヒストリア選「古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎」 2017.01.27

皆さんあけましておめでとうございます。
始まりました「歴史秘話ヒストリア」。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
私が今お祈りしていたのはこちら。
大仏様!今日は奈良・東大寺にお邪魔しています。
間近で拝見しますとやっぱり大きいですよね。
本当は拝観時間は終わっているんですが特別なご許可でお参りさせて頂いています。

 

 


さて私が今日東大寺にお邪魔したのはここに知られざる歴史のミステリーがあるからなんです。
それは大仏様…ではなくこちらをご覧下さい。
大仏殿の横に2つの高い塔がありますよね。
これが今回取り上げるミステリー東大寺・七重塔です。
1,300年前に建てられたものの…今宵の「歴史秘話ヒストリア」はスペシャル版。
古代ミステリー「七重塔の謎」に迫ります。
奈良観光ではみんなが訪れる東大寺。
かつてここに巨大な塔が建っていた事をご存じですか?記録によればその高さなんと100m!でも1,300年前にそんな高い塔を建てる事ができたの?一体どんな姿をしていたの?そこで発掘や古代建築のスペシャリストが…この謎に挑みました。
相次ぐ驚きの発見!浮かび上がってきたのは予想を超えた七重塔の姿です。
さあ今日は古代ミステリー東大寺・七重塔の謎をめぐる冒険に出かけましょう。
こちら東大寺の古い絵図。
2つの大きな塔が描かれています。
屋根の数を数えると…。
全部で7つ。
五重塔ではなく珍しい七重塔です。
高さは三十三丈およそ100m。
もちろん木造です。
建立を命じたのは聖武天皇。
およそ1,300年も前の事。
大仏殿から少し離れたこの辺り。
実際に七重塔が建っていたと伝えられる場所です。
私の事見えますか?そして私が今立っている少し高くなっている所が「基壇」と呼ばれる塔の土台部分です。
1,300年前ここに高さ100mもの巨大な塔が建っていたなんてちょっと信じられません。
100mがどれほど高いのかドローンの映像で見てみましょう。
高さ15m。
大仏殿の屋根が見えてきました。
50m。
東大寺の境内を見渡せる高さに。
そして100m。
奈良市街が遠くまで一望できます。
100mって途方もない高さなんですね。
ちなみに現存する古い塔で最も高いのが…しかし七重塔と比べてみるとご覧のとおり。
七重塔がいかに大きいかよく分かりますよね。
しかしこの七重塔今はありません。
塔が出来て400年ほどたった頃。
源氏と平家の争いの真っただ中に東大寺も巻き込まれました。
七重塔は大仏と共に戦火で焼け落ちてしまいます。
その後建て直されましたが…。
雷が落ち再び炎上。
二度と再建される事はありませんでした。
以来600年余り。
詳しい記録もほとんどなく七重塔は「幻の塔」と呼ばれます。
更に謎を深めたのが先ほどの模型です。
しかし1つ問題がありました。
この模型を実物の高さ100mにすると…。
屋根の軒が長すぎてそれ自体重くなり壊れてしまう事が分かったのです。
1,300年前に本当に100mもの塔を建てる事ができたのか?七重塔は「古代史のミステリー」となりました。
「七重塔の謎を解き明かせ」。
2年前東大寺の呼びかけで調査チームが作られました。
集まったのは発掘のエキスパートから古代建築の研究者塔の専門家までおよそ30人。
この辺の所でしょうか。
リーダーは古代建築の復元を数多く手がけてきた鈴木嘉吉さんです。
塔の姿を知るにはまずその土台から。
という事で…実は2年前の事前調査で既に大きな発見がありました。
一体何の事?オッホン!わしは塔一筋1,300年ボランティアガイドの「とうちゃん」だ。
え?誰かの「お父さん」ですか?違う!「塔ちゃん」だ!何やら困っておったな。
わしが分かりやすく説明してやろう。
助かります!お願いします。
これは同じ奈良にある五重塔。
どれ特別に内部公開だ。
まず目につくのは中心を貫く大きな柱「心柱」。
そしてその土台に置かれる石を「心礎」と呼ぶ。
東大寺では後に心礎を取り除いたがその跡つまり抜き取り穴が直径4.5mもあったというから心礎がいかにでかかったか分かる。
確かに!もう一つ大事な事を伝えておこう。
塔には心柱以外にもたくさんの柱が必要だが礎石という石の上に建てられている。
だからそれらの石の痕跡を調べれば柱の並び方も分かるし更に内部の造りまで分かってくるのだ。
へ〜!どうなるか楽しみだな。
しかし調査チームの期待はあっさりと裏切られました。
後の時代に土がほとんど取り去られていた事が分かったのです。
基壇の上から手がかりを得る事は不可能でした。
調査チームの挑戦はスタートからつまずきました。
幻の七重塔の謎に迫る今日の「歴史秘話ヒストリア」。
そもそも日本の古代の塔って一体どんな造りになっているんでしょうか。
今回はこちら同じ奈良にある薬師寺の塔でご覧頂きましょう。
宮大工の小川三夫さんに30年前に再建された西塔を案内して頂きました。
中に入ってまず驚くのは空間を埋め尽くす木材の量。
(小川)ちょうどそこに心柱がありますよね。
中心を貫く巨大な心柱。
でも一般の家の大黒柱と違って建物を支えているわけではありません。
大切なのは心柱で周りの屋根や壁はその心柱を守るいわば「カバー」だというのです。
ちょっと意外ですよね。
さてスタートから大きくつまずいた七重塔の発掘調査。
予想もしない発見が待っていました。
手がかりは他にないか。
チームは僅かな望みをかけ別の場所を探る事にしました。
その場所とは基壇の側面。
掘り返されなかったため奈良時代の痕跡が残っている可能性があります。
すると…。
一見何の変哲もない石。
見つかったのは基壇の南側です。
発掘現場の言葉で…奈良時代の石かもしれないというのです。
10日後。
石は横に続いていました。
しかも先端が三角形になっています。
石は「生きて」いました。
検討の結果基壇の壁と階段側面の部分と推定されました。
つまりこの石のすぐ横に階段があった事になります。
しかしこの側面の石。
え?石の正面に柱ってどういう事?困ったらすぐにわしを呼ばんかい!あっ塔ちゃん!さっきも見せたなこの五重塔。
よく見ると階段の端と建物の柱が同じ直線上にあるのが分かるかな?あっほんとだ。
確かに一直線に並んでますね。
古代の塔は基本的にこのパターン。
つまり現場で見つかった側面の石の延長線上に七重塔の柱があるという事になるのだ。
な〜るほど!調査チームはようやく最初の手がかりを手に入れたというわけですね。
そういう事だ。
エッヘン!発掘開始から1か月。
基壇の北側でも大きな動きがありました。
階段そのものの発見です。
しかも表面が真っ黒。
恐らく源平合戦で七重塔が炎上した時焼け焦げたものと考えられます。
当時の様子を生々しく伝える貴重な遺跡です。
しかし…。
出てきたのは階段の一部分。
柱の位置の特定にはつながりませんでした。
一方初めに階段側面の石が見つかった南側。
更なる調査が進んでいました。
階段の向かって右側部分が出てきました。
という事は反対の左側にも同じものがあるはずです。
ところが掘っても階段側面の石は見つかりません。
出てきたのは基礎部分らしい石だけ。
調査はまたも行き詰まりました。
しかし翌日。
大きな発見がありました。
メンバーが注目したのは前日に見つかった石の表面。
ぱっと見気付かない…分かりませんよね。
もともとこの線より右側に階段側面の石が置かれていて見つけた線はその痕跡らしいのです。
(廣岡)面白いのは…更にその先をたどった結果…右側の石とまさに対になる形。
ようやく階段の両端と柱の位置が判明したのです。
全く謎だった七重塔の姿が少しずつ明らかになってきました。
2日後。
チームは階段の幅を計測しました。
神野さんスタンバイお願いします。
合ってます?やりました。
やりました。
幅はちょうど9m。
奈良時代の単位でも30尺になります。
ところがこの結果が新たな謎を生みました。
謎とくればわしの出番だな。
あっ塔ちゃん!ご苦労さまです。
普通五重塔は正面から見ると柱が4本並び階段は内側の柱に合わせる形になっている。
柱と柱の距離は大体同じだ。
実は今ある五重塔のほとんどがこの形。
調査チームも初めは七重塔も同じだろうと予想していた。
ところが七重塔の基壇は一辺24m。
そして今回階段の幅が9mと出た事で…。
その外側に更に9m間隔で柱を置こうとすると基壇からはみ出してしまう。
え?基壇より大きい塔って事?んなわきゃない!この謎を解く鍵があるのだ。
以前北側で見つかった…そのすぐ下にある石に何のためかよく分からない切り込みが見つかりました。
これが何でこういう事になるのかな。
何か意味があるんじゃないかという事でちょっとジオラマを消しゴムで作って考えてみたんですけどつまりここに階段を分割する仕切り石があった事になります。
見つかった仕切り石の位置を南側の階段に当てはめると…。
ここに来ます。
しかしこのままではアンバランス。
反対側にも同じような仕切り石が置かれていたはずです。
更に仕切り石があるという事は両端と同様その延長線上にも柱があったと考えられるのです。
ここから解明は一気に進みました。
階段の前には柱が4本大体3mの間隔で並びます。
9mではなく3m間隔。
これなら外側の柱も基壇の中に収まります。
柱は1列に6本。
それが6列。
柱の数は五重塔の2倍以上。
「100mの塔を建てるには柱の数を倍にして一番下を強くする」。
古代人の優れた知恵でした。
現在残っている塔にはない独特の柱構造。
それは超高層の七重塔のため考え抜かれた特別な構造でした。
皆さんところでこの七重塔何のために建てられたのかご存じですか?その答えがこちらの巻物です。
…といってもただの巻物ではありません。
紫色の紙に本物の金でお経を書き写した豪華な経典です。
内容は「この経典を大切にすれば仏教の守護神・四天王が国を守ってくれる」というもの。
奈良時代この教えに感銘を受けた聖武天皇は経典を納めるために特別な建物を用意しました。
この経典は塔の一番てっぺんですね。
宝珠にあたる丸い玉のようなものがありますけどそこに納められたという事が記録に書かれています。
そういう建築だったと言えると思います。
あの大きな大仏を造ったのも聖武天皇です。
その上お経を納めるために七重塔まで建ててしまうなんてスケールの大きな方だったんですね。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
いよいよ七重塔が現代によみがえります。
どうもおはようございます。
ご苦労さまご苦労さま。
発掘も終盤にさしかかった9月末。
リーダーの鈴木嘉吉さんをはじめチームの建築の専門家が顔をそろえました。
塔の柱構造は分かりました。
では七重塔がどんな姿をしていたのか議論が始まります。
何かこんな感じですよね。
前もっていくつかの想像図が準備されました。
注目を集めたのがこちら。
塔の根元の幅はおよそ15m。
軒の長さは基壇をすっぽり覆う5mと推定。
全体的に細長いスタイルとなりました。
一方意外な案も登場しました。
それがこちら。
高さは100mよりぐっと低い70m。
一体どういう事なんでしょう?箱崎さんこれについての考えがあったらちょっとその辺から。
この70m案を考えていた古代の塔の専門家箱崎和久さんです。
箱崎さんが70m案に行き着いた背景には以前から注目していたある塔の存在がありました。
奈良時代に作られた小ぶりの五重塔です。
実はこれ建てられた年代が七重塔と最も近いもの。
箱崎さんはこれをヒントにしました。
まず正面の柱の数を4本から6本に増やし更に屋根を2つ足せば七重塔になります。
これを10倍すると高さがおよそ70mに。
しかし100mだったはずと思いきや実は別の記録に「二十三丈」つまり70mという記述もあるのです。
これまで単なる字の書き間違いと考えられていました。
しかし箱崎さんはこちらの方が正しいと考えました。
こういった図を検討していくとですねやっぱり高さ的には100mというのは厳しいかなというような。
100m案については別のメンバーも疑問を投げかけました。
こちらの図面ですね。
…という意見です。
しかし鈴木さんは100mにこだわります。
更に検討する事になりました。
ひとつき後。
鈴木さんたちメンバーは発掘現場にいました。
100mの可能性を探るためです。
(鈴木)この辺になるわけでしょ。
この辺に来るわけでしょ。
140くらい?すると意外なアイデアが飛び出しました。
塔ちゃ〜ん!今度はどうした?今鈴木先生がおっしゃった「モコシ」の意味が分かりません。
分からん事はすぐに聞く。
よい心掛けだな。
よしではモコシについて教えてやろう。
これは世界最古の木造建築…今「五重塔」と言ったが屋根はいくつある?数えてみなさい。
え〜?5つに決まってるじゃないですか。
いきますよ。
あれ?6?五重塔なのに屋根が6つ?実は6つ目塔の根元を取り囲んでいる部分を裳階という。
塔の根元を雨や風から守っている。
ふ〜ん。
しかし今回はもう一つ裳階に大事な役割があるぞ。
背が高く不安定な塔を根元でガッチリ押さえ安定させるのだ。
へ〜!裳階ってすごい!鈴木さんのアイデアが盛り込まれた塔の姿が披露されます。
それがこちら。
塔の根元第一層には全体を安定させる裳階を設置。
更に一層ごとに木組みで囲み補強しました。
その結果安定度も増した新たな100m案が出来ました。
裳階を付けるなんていうのは割とアイデアとしては落ち着かせる方法かもしれないですけどね。
裳階が出る方がむしろ均斉が取れるんじゃないかという気はするんですけどね。
「これなら100mも可能かもしれない」。
検討会の空気が変わりました。
更に鈴木さんから驚きの指摘も。
(鈴木)ねえ。
100mなら各層も広くなり人がのぼるスペースの余裕もできます。
となると展望タワーとして聖武天皇が使ったかも。
ロマンあふれる議論は…さあ新たな100m案を基に七重塔が現代によみがえります。
基壇の四方には3つに仕切られた階段。
その階段に合わせて柱が6本ずつ立ちます。
中心には心柱。
七重塔独特の構造です。
更に第一層には補強のため裳階が付けられました。
そこから一層ずつ組み上げていきます。
そして一番上。
ここから聖武天皇が大仏殿と奈良の街を一望したかもしれません。
幻と言われた七重塔。
長らく歴史の闇に埋もれていたその姿が今一つの形を結びました。
鮮やかな彩り。
りんとした立ち姿。
この塔を実際に見た古代の人々はさぞ目をみはった事でしょう。
けれども七重塔の謎を解く旅はまだ終わりません。
今後研究が進みもっと驚くような姿で私たちの前に現れるかもしれません。
その時は改めて古代ミステリーをめぐる冒険に出かけましょう。
2017/01/27(金) 20:00〜20:43
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア選「古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎」[解][字]

古代ミステリー・東大寺“七重塔”。1300年前に建てられ、歴史の闇に消えた幻の塔は一体、どんな姿だったのか?謎がついに明らかに!幻の七重塔の秘密に迫る。

詳細情報
番組内容
ヒストリア新春スペシャル!古代ミステリー・東大寺“七重塔”の謎。奈良・東大寺の七重塔は、1300年前に建てられ、歴史の闇に消えた幻の塔だ。記録では「高さ100m」とあるが、実態は分かっていない。どんな姿をしていたのか?高さは本当に100mあったのか?東大寺の呼びかけで専門家がスペシャルチームを結成、謎の解明に挑んだ!半年に渡る調査から導き出された“幻の七重塔”の驚くべき姿—古代史のミステリーに迫る
出演者
【キャスター】井上あさひ