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字幕書き起こし 100分de名著 中原中也詩集(最終回) 第4回「“死”を“詩”にする」 2017.01.30

生きる事の悲しみを詩に書き続けた…人生の終盤中也は再び大きな喪失と向き合う事になります。
愛する息子の死。
それを詩の言葉にしようと自らの命をすり減らしてゆく中也。
そして詩が残されました。
最終回は中也の最晩年の詩をたっぷり味わいます。

(テーマ音楽)

 

 

 

「100分de名著」司会の…中原中也ついに最終回ですが前回までいかがでしたか?毎回毎回何か感動するような事を教えてもらってて専門家2人の前で自由な解釈をさせてもらったりとかうれしい事ばかりです。
楽しんでらっしゃるのが伝わってきますよね。
はい。
今回も引き続き作家の太田治子さんをお招きしています。
(一同)よろしくお願いします。
そしてゲストには前回に引き続き…よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今回は…ついに「死」がテーマになってきました。
悲しいですね。
中也は本当に晩年悲しい別れがありました。
それを受けてねまたすばらしい詩が生まれたという事はまたとてもつらい事ですね。
それではまず最初に家庭を持ってささやかな幸せを感じていた頃の中也の詩をお聴き下さい。
昭和9年詩集「山羊の歌」は文壇で好評を得て中也は詩人としての展望に大きな希望を抱きます。
東京での親子3人の暮らし。
中也は手放しで息子文也をかわいがりました。
昭和11年29歳になった中也はこんな詩をよみます。
この詩ですけれども太田さんとてもお好きだとか。
はい。
故郷にいた12歳の頃とそれから故郷を汽車に乗って出てきた時。
更には今現在の女房子供を持った今と…決して立身出世とははるか遠くどうなっちゃってるんだなと自信も持てないけどでもいいじゃないかと。
生きてるかぎり明るくいこうよという何かそういう…そこからね明るいあきらめからまた新たな希望が湧いてくる。
そういう希望を感じさせる詩のように私には思えるんです。
29歳の時の詩という事ですけど当時の中也の気持ちがそういう明るいあきらめだったんでしょうか。
そうだったんだと思いますね。
よき女房とかわいい文也君ですよね男の赤ちゃんができて最高にこのころは幸せな気持ちになっていたんだと思うんです。
確かに前回までは悲しみとかさみしさの詩を読んできましたからちょっとここで私たちもほっとするような部分ありますね。
中也の詩ってすごく「遥かなもの」への思いとか憧れが繰り返し出てくると思うんですけどこの詩にも12歳の時の自分をすごく憧れるというと変なんだけど懐かしんでますよね。
一方今は自分は女房子供持ちになって生活世界にも生きているっていう。
それで昔がこんなに恋しいとねこの女房子供を背負って生きていくの自信がないよみたいに言ってるからその2つの間で引き裂かれてるというそんなイメージに僕は読みました。
すごく救われるのは最後にちょっと大人の立場からまるでその少年時代の自分を諭すみたいに……という締め方はちょっといいですよね。
大人として生きていく覚悟みたいなものが僕は感じられて。
最後のね「ものですよ」が僕はいいんですねぇ。
普通の人はね今みたいに大人の自身の側に当然味方しますよね。
今の自分だから。
はい大人だから。
でも中也はかなり少年度が高くていつまでも少年が住んでるから味方しきれないんですよね。
目の前に女房子供を見ていても。
だからこんな心の揺れが出るのかなというふうに思いますね。
ささやかな家庭を持ち幸せを感じていた中也なんですがそんな中最大の悲しみが襲います。
中也は文也を連れて上野の博覧会へ行きました。
その時の事を後にこう書いています。
しかしその3か月後文也は小児結核にかかり僅か2歳で突然その生涯を閉じるのです。
息子の死を前にして中也は自分の全てが無と化すような強い衝撃を受けました。
せめて文也の記憶をこの世にとどめようと中也は原稿用紙にその思い出を一気に書きつけます。
やがてそれは詩の形になりました。
まあちょっと言葉もないですけどね。
本当にかわいがっていた文也を亡くして衝撃だったでしょうね。
中也さんはね二代がかりなら二人して詩人としても「可なりなことが出来よう」とそういうふうに書いていますから。
本当に文也さんを自分以上の詩人にしようとしていたんだと思いますね。
今ね我々はその背景を知ってこの詩を読みましたけどもし知らずに読んだらどうだろうって思うんですよね。
そうすると不思議な詩ですよね。
「博覧会はかなしからずや」といって「かなしからずや」「かなしからずや」って何度もリフレインされるんですけど…というか楽しいものですよねどっちかというと。
博覧会に行ってお買い物してみんなで飛行機に乗ってという一番幸せな情景に…そうすると読者としては読んでいくうちにこれは何かただならぬ事が起きたなって思うんだけどそれが正体が何かという事は最後まで出てこないんですよね。
「死」とかそういう言葉は一切出てこない。
そこに何かすごさを感じますね。
あとやっぱり生活と芸術という事を聞いちゃうとねこんなに悲しい事がこの作品を生んじゃうんならそれは生活として最悪の事が芸術として血肉になっちゃうみたいな面って…。
あとこうされちゃうのがもう中原中也の運命みたいな感じがとてもしますね。
遊園地の飛行機の乗り物に乗った様子がこの辺りで描かれてますね。
(穂村)最後は「その時よ、坊やみてありぬ」。
「その時よ」の繰り返しでこの時というのは最も幸福な一瞬で…中也の気迫みたいなものがあって。
詩の中で一個だけ一番最後に「!」がついてるんだけど完璧にこの詩ってできてるって感じるんだけどでもまだ何か「!」をつけて万感の思いがここに籠もるみたいな最後に一番幸福な瞬間に坊やが見ていたその空というものを永遠にしたいという。
こんなに悲しい事をよむのに「かなしい」という文字をこんなに使うんだというのはむしろテクニックでやる時って使わないって決めちゃうじゃないですか。
でも感情でやるから過不足なく使うし自然に離れるしみたいなところがすごみみたいものにちょっとつながってて。
理屈じゃなくてできちゃってるという要素が僕はでかいような感じが。
ではもう一編こんな詩をお聴き下さい。
僕のもうダイレクトな感想はこれは駄目だ。
これはまずい事になるという感じしかしないけどな。
狂気がもう入ってきた感じが…。
何か悲しいけどおどけちゃったのかそれとも悲しさが突き抜けちゃったのかちょっと受け手としては困惑する詩ですよね。
やっぱりそれだけ絶望が強すぎたんだと思いますね。
人間はやっぱり…それしかないんですよ。
「喜び過ぎず悲しみ過ぎずテムポ正しく握手をしませう」ってすごいこんな明るくてはじけてどうしたのって思うけれどそれはやっぱり絶望が強すぎればこういう世界に行ってしまうものだと私は思いますね。
穂村さんはどうお感じになりますか?出だしから強烈ですよね。
これって生活世界に生きている我々にはハードルがとても高いんだけどでもこの気持ちが全然ないわけじゃもちろんなくてその断言に憧れるようなところはありますよね。
でも中也は純度の高い人だからその思いがやっぱり強くてそれが彼をすごく追い詰めたという印象があって。
2回目は「ハイ」が出てきますよね。
「ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に」。
この辺りはもうだいぶ向こう側に壊れているようなイメージがあって。
でもそれって純粋さの裏返しで愛する者が何人死んでももちろん自殺なんてしないよという人だっていっぱいいるわけでねその人はここまで追い詰められないというふうに思います。
僕この詩で唯一正常だと思うところは唯一でタイトルが「狂想」ってなってる事だけなんですよね。
要するにここがただ「春の日」って書いてあったらもうおしまいだと思う。
それだけですね俺の中でまだよりどころみたいなのが。
とても怖いです。
それではその後の中也と残された最後の詩の言葉をお聴き頂きましょう。
愛する者を失った中也は少しずつ精神を病み昭和12年千葉の療養院に入院します。
退院後文也のいた東京には戻りたくないと鎌倉に転居しますが中也は結核にかかり更に衰弱してゆきました。
ふるさと山口に帰る決心をすると第2詩集「在りし日の歌」を編集しその原稿を友人の小林秀雄に託します。
後書きにはこう書かれていました。
しかし帰郷の願いもかなわず詩人中原中也は僅か30年の生涯を閉じたのです。
たった四行の詩が原稿用紙に残されていました。
いろんな悲しみを味わってきた中也ですけれどもまるでね病死ではあったんですが悲しみに耐えきれずに亡くなったようにも見えてきますよね。
中也自身はもう一度山口に戻って体を良くしてやり直したいというそういう気持ちは持ってたんですがそれに体がついていかなかった。
これってその生活と芸術というものを恐らくこれ表にしてみるととても興味深い気がする。
生活は多分山口だったと思う。
芸術は都会とか東京だったと思うし。
奥さんと亡くなった子供子供は僕は生活も芸術も両方のところにあったような気がするけど泰子さんはとても芸術寄りの人ではあったけど生活寄りの人ではなかったりとかそういうバランスの中で最後は芸術じゃなくて生活だって思った決意を何かその芸術の神様詩の神様が許してくれないような終わり方っていうのかな。
…に見えてしまうんですよね何かね。
何かもうやっぱり全然職業とかじゃないですね。
この詩を書くという事がね。
生活世界の中でなまぬるくもがいている私なんかからするとまあ僕だけじゃないと思うけど自分の代わりに生きて燃え尽きたみたいなね。
そんな魂を燃やしたという印象で中也をやっぱり捉えてしまって。
もう本人はずっと昔にいないんだけど言葉だけが残っていてそれを読む事でその魂に今もすごく生々しく触れるという。
やっぱすごいなと思いました。
やっぱり私は中也の詩を読んでるとこれだけ絶望して苦しんで苦しんでいる時にでも何かねふっと気が抜けたような明るさを私はですよ中也の詩から感じて。
そうすると人生諦めないで歩いていこうって中也の詩に私は励まされて私希望が湧いてくるんですね。
だからとてもとても中也は大きい人だったと思いますね。
伊集院さん4回にわたって中原中也の詩を読んでまいりました。
とても今でもファンの多い中也ですけれども伊集院さんはどんな感想を持たれましたか?言葉の無限の力という事に対して改めてちょっと襟を正す感じというんですかね。
希望もあるし恐ろしさもあると思うんです。
今割と軽はずみに文章を割と省略してボンと出すんだけどねそんな事も少し感じましたね。
ええ。
こんなに感受性が豊かで繊細で表現を追い求めていた人なんだなというのにまず感動しましたし作品としてやっぱり面白いなって単純に純粋に思いました。
すごいですよね。
今も「ゆあーんゆよーん」がね。
俺も帰りボタン落ちてたら拾っちゃうもんね。
今まで見逃してたんだけどしばらく見ちゃうなと思った。
どこか心に引っ掛かる詩を書かれる方なんだなというのを楽しみました。
今回も本当にいい名著を教えてもらいました。
太田さん穂村さんどうもありがとうございました。
(太田穂村)ありがとうございました。
2017/01/30(月) 22:25〜22:50
NHKEテレ1大阪
100分de名著 中原中也詩集[終] 第4回「“死”を“詩”にする」[解][字]

晩年の中也の詩には「死」がつきまとう。幸福の絶頂にあった中也を襲った息子、文也の死。あまりにも痛切な出来事が中也を変えた。詩は絶望から人を救うことができるのか?

詳細情報
番組内容
晩年の中也の詩には、「死」がつきまとう。幸福の絶頂にあった中也を襲った息子、文也の死。あまりにも痛切な出来事が中也を変えた。「春日狂騒」といった詩では、まるで中也の存在を「死の影」が食らい尽くしていくように、言葉を深い闇が覆っていく。しかしそんな中でも、必死で「光」を見出そうとする姿もかいまみることができる。第四回は、中也が死とどう向き合ったのか、「詩」は絶望から人を救うことができるのかを考える。
出演者
【ゲスト】歌人…穂村弘,【講師】作家…太田治子,【司会】伊集院光,礒野佑子,【朗読】森山未來,【語り】山根基世