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字幕化書き起こし 「100分de名著 ルソー“エミール”第1回〜第4回」 2017.02.19

自由と平等を求めたフランス革命。
その背景にあったのはジャン=ジャック・ルソーの思想でした。
代表作「エミール」は教育論でありルソーの理想が詰まった人間論。
18世紀革新的だったメッセージは今も我々に響きます。
「100分de名著」「エミール」。
第1回はルソーという思想家が目指した理想の教育に迫ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…伊集院さんルソーご存じですか?ルソーに関する記憶は教科書に肖像画が載っててそれがすごく二枚目で当時「太陽にほえろ!」に出てた沖雅也さんに似てた。
あそういうイメージ?はい。
以上です。

 

 

 

 

 


フランス革命に影響を与えた思想家として広く知られているんですがそんなルソーの名著「エミール」を4回にわたってご紹介したいと思います。
では早速今回の指南役をご紹介しましょう。
東京医科大学哲学教室教授の西研さんです。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
哲学者の西研さん。
専門は西洋近現代哲学。
「100分de名著」ではかつてニーチェを解説しました。
今回はルソーの教育論「エミール」を読み解きます。
私たちの前にルソーの全集が並んでいます。
数もすごいんですけれどもジャンルもさまざまでして有名な論文「人間不平等起原論」ですとか「社会契約論」。
これは聞いた事ありますね「社会契約論」。
そうした硬派なものから実は恋愛小説も書いていまして。
意外!そうなんですか?これ「新エロイーズ」という名前の小説なんですけれども貴族の娘とそれに身分違いの平民の男性が家庭教師としてつくと。
この2人の間で道ならぬ恋が発生という悲恋も含めた小説でこれもうめちゃめちゃにヒットしまして…音楽の才能もあったんですって?ルソーは最初音楽で身を立てようと思ってたみたいなんです。
有名なところで言うと童謡で「むすんでひらいて」というのありますよね。
実はあれはルソーの作ったオペラで「村の占い師」というのがあるんですがそのメロディーの一部らしいです。
「むすんでひらいて」ですよね。
あれと「社会契約論」が一緒の人だという。
すごい人ですね。
今回読んでいく「エミール」の基本情報を見ていきましょう。
ルソーが49歳の時の作品です。
架空の少年エミール君の成長によってこのように五編に分けられています。
子どもの発達段階に応じて書かれているものなんですね。
教育の本なんですけれども実は子どもに発達段階があるというのは僕らにとってはもう当たり前の事なんですけれども18世紀のフランスだとこの考え方すごく新しかったんです。
そのつどそのつどの発達の中で一番ふさわしい教育があるよとそういう考え方を述べたんですね。
僕らには子どもはまだこの段階理解できないからまずこういうところからみたいなのって当たり前にそう育てられてきたので逆にちょっとぴんとこないですね。
ルソーはこんなふうに書いています。
俳優の要潤さんによる朗読でご紹介しましょう。
ルソーが批判したのは上流社会で行われていた「優れた教育」。
大人顔負けに古典を暗唱させるといった事がよい教育とされていました。
しかし子どもはあくまで子ども。
発達段階に応じた教育をすべきと唱えます。
こちらが今お聴き頂いた引用部分なんですけれどもここにルソーのものの考え方が詰まっているという事なんですね。
ルソーという人は文明に対してちょっと否定的なところがあるんです。
でもこれは実はルソーはそういうふうに言ってなくていかに今の社会が身分やそういうものでがんじがらめになってるとしてもそれを全否定して原始社会の自然に戻る事はもうできないと。
やっぱり教育をしたり自分たちの文明の中で人間というものをもう一回ある意味で作り替えるという事をしていかなくちゃいけないんだ。
しかしそういう事がなければ全てはもっと悪くなるのであって…だからほっときゃいいとは言ってないんですね。
そうなんです。
きちんとした教育をしましょうという事でルソーが目指した教育の基本です。
こちら。
「3種類の先生」による3つの教育というのを提唱しました。
この「自然の教育」というのは海や山じゃなくて体そのものが「自然」ですね。
その「自然」がだんだん発展していくと手も動かしたくなる足も動かしたくなる言葉も覚えてくる知恵もついてくる。
こういうふうに人間のこの体というものがおのずから本来の自然的なコースを持ってるんだと。
ここに「先天性」ってありますけどこれを軸にして今度は人間がそれに沿って教える。
これ親や教師などが教えるわけですけどこの「事物の教育」というのは要するに経験から学ぶって事ですよね。
これは礒野さんは1歳児のお母さんだから興味津々だよね。
まさに今この発達段階の最初の部分を目の当たりにしてるわけですけれども。
もともとの自然な流れのコースにちょうどこの2つが沿うような形で進むと人間として非常によい完成形になると一応そういう設計図なんです。
そんなルソーが「エミール」で掲げた教育の目標があります。
西さん何でしょうか?ひと言で言うと…キーワードです。
「自然人」「社会人」。
「自然人」というのは原始の人でもいいんですけれども人間はもともと基本的には自分の欲求を満たすために生きてると。
でも人間が社会を作っていくと社会人になって…この2つ大体対立しやすいわけですね。
この2つを統合できれば一つ自分も大きな事を大事な事を述べた事になるはずだろうというふうにルソーは言ってるんですね。
これはもう子育て飛び越えて多分誰しもちょっと悩むところだと思いますね。
僕が思う日本人は何かず〜っと社会人として頑張ってきたんだけどじゃあ自分の人生って何だったんだろうみたいな事に悩むみたいな事があるかなと思うんですけど。
そのためにルソーはまず15歳くらい第三編までは徹底的に自分のために生きる人間「自然人」として育てるという方針を打ち出しているんですよね。
だからある意味で言うと自己中に育てるわけですね徹底的に。
その上で15歳を過ぎて他人に対する思いやりの気持ちを育てていって。
だから「自然人」かつ「社会人」になるわけですね。
さあここで「エミール」を読む際に重要なキーワードになってくるものをご紹介したいと思います。
「一般意志」。
自分たちで話し合って社会を作るという…「一般意志」というのはその「社会契約論」の一番大事な考え方というか概念なんです。
言葉の意味は簡単で「みんなが欲すること」。
「みんなの意志」でもいいですけどそういう事なんですね。
何が大事かって事なんですけれど。
さんざん検討するわけです議論して。
でも何か「エミール」と「社会契約論」全く一緒だなと思ったのはこれこそが「自然人」と「社会人」を共存させるというか自分の。
さっき言ってたそういう事ですもんね。
すごい!自分のしたい事とみんなでしたい事とをちゃんとすり合わせて答えを出しましょうというか提案しましょうという。
いやこれ…伊集院さんすごいですね。
違います。
先生すごいの。
先生がおっしゃってる順番でそうかそういう事かと思って。
そうなんです。
会議でそれぞれ自分の都合を言えってルソーは言うんですよ。
自分を置いてみんなのためみんなのため考える。
これバツだと。
つまりまさにおっしゃったように…だからその「エミール」と「一般意志」って…「社会契約論」ってつながっちゃってるわけ。
ちっとも離れてないですね。
そう。
ただ出版された当時のフランスというのはどういう時代だったんですか?一番上に絶対王政として王様がいます。
そういう時代なので自分たちでもって法律作ると。
話し合って一般意志取り出して。
法を行政に具体的に移す時には役人がいるけど王様って役人だよって言ってるの。
だからこれ危ない事を言ってたって事です。
ルソーが生まれたのは絶対王政の国フランスではなく独立した都市国家ジュネーヴでした。
生後間もなく母を失い時計職人の父親のもとで育ちます。
10歳の時に父親が決闘沙汰を起こして逃亡。
孤児同然の状況に陥ります。
その後時計彫刻職人への弟子入りなどを経て15歳でジュネーヴを離れ放浪の旅に出ます。
そんな中出会ったのが夫を亡くした貴族の女性…ルソーは彼女の家に転がり込みます。
そこには図書室がありました。
ルソーは本を読みあさりさまざまな知識を得ます。
正式な学校教育は受けないまま独学で教養を身につけたのです。
転機が訪れたのは38歳の時。
懸賞論文に応募して一等に入選します。
ルソーが書いたのは学問や芸術が人間をいかに堕落させたかという事でした。
ルソーは何かこう生っ粋のエリートとかではないんですね。
ちょっとそこ意外でしたよね。
ですね。
この人はやっぱりちょっとなかなか屈折してて知識人のサロンとかそういう所に出はいりしてるようなええとこの坊っちゃんできた人たちに対してコンプレックスも恐らくあったと思うけどでも逆に「いや俺はあんな連中とは違う」という誇りにもしてるというか。
でもそれが人気出る秘密かなってちょっと思うんですよね。
エリートの連中が生まれながらの環境でろくなもんになってねえという文章ですもんねあの文章は。
そしてまた文章がね何と言うんですか生々しいというか。
思いました。
時々脱線してお行儀悪いんですね。
そういうちょっと勝手な書きぶりも含めてすごく面白い人間的な感じがあるんですね。
ただ理想の教育論というのを「エミール」で書いたりしていますけれどもそれには似つかわしくないスキャンダルな面もあったんですよね。
さっきの「学問芸術論」ですごく注目がだんだんされていくわけですけれどもその前の不遇の時代にまあ彼はパリで下宿してるんです。
するとそこで給仕や洗濯なんかをしている女の人がいてテレーズというんですけれどもその人と恋仲になる。
それはいいんですが子どもが次々できるんですね。
ほ〜…。
これをヴォルテールという当時の大物知識人がすっぱ抜いた。
理想の教育論「エミール」の著者は…というわけで大変な大スキャンダルになっちゃった。
「お前は人の事言ってる場合か」みたいな事ですもんね。
僕ちょっと同情するところがあって…というのは彼は財産ない。
彼は音楽か文筆で身を立てたかったんですけれどもその生き方を貫くためにはこれもうね孤児院に預けちゃうしか他に道がなかったと思うんですよ。
ただルソーの中にはその事への負い目は僕はあったろうと思うんですね。
そう読むとまたちょっと深いもんがありますね。
だからこのエミール君を育てていくというのはこんなふうにして育てられたらよかったのになとかそんな思いもあったかも。
それではいよいよ「エミール」の第一編をご紹介していきましょう。
主人公はエミールという架空の男の子です。
エミールは孤児なので語り手の家庭教師ルソー自身が事実上の親代わりとなって育てます。
その他エミールにお乳をあげる乳母がいます。
そして育てる環境なんですけれども田舎で育てる事になるんですよね。
当時の社会というのはやっぱり身分お金まあ名声ですねそういったもので人を差別する社会ですからそういう所から隔離したいという事ですよね。
隔離して完全に自分がコントロールできる状況で2人だけで理想の教育をすると。
さあエミール君どんなふうに育ってゆくんでしょうか。
その成長を一緒に見守っていきましょう。
第一編は0歳から1歳頃までの乳幼児の育て方です。
発達段階に応じてふさわしい教育があるはずだと説くルソーは乳幼児期に大切なのは運動能力を十分に発揮させる事だといいます。
当時のフランスでは裕福な母親は社交界を優先し子育ては乳母に任せっきりでした。
楽をしたい乳母は赤ん坊が動き回らないように産着で体を締めつけその上壁に引っ掛けたりしていました。
そうして赤ん坊を放っておいて泣いたらしかたなくお乳をやる。
そんな子育てにルソーは異議を唱えたのです。
家庭教師ルソーは都会を離れ自然豊かな田舎でエミールを育てます。
窮屈な産着から解き放ち自然な成長を促します。
乳児エミールは泣く事により自分の欲求を伝えます。
泣き声の抑揚や音色を聞き分け乳母はお乳やおしめの交換をします。
しかしその泣き声に無制限に取り合っていると子どもをわがままな「暴君」に育ててしまいかねないとルソーは警告します。
子どもの最初の泣き声は願いだけど気を付けなきゃいけないよ。
それずっと聞いてると今度はもう命令になるからという。
お母さん実感としてどうなの?大体何で泣いてるかというのは母親分かってくるんですよね。
あおしめだおっぱいだというのは。
だけれどもそこが命令に変わる瞬間というのはちょっと怖いですね。
1歳の子どもにまでそういう事を無理な事を言っているのかなというふうに僕は思いますけどね。
まあ一番言いたい事ですよね。
子どもの発達に関わってる精神医学…お医者さんから聞いた話なんですけどもわ〜っと最初不快だと泣きますよね。
あっおむつが冷たいんだねと言って世話してあげる。
今度はあっおなかすいたのねとおっぱいをあげるというふうに…おむつが冷たい感覚の不快とおなかがすいた時の不快がだんだん区別できてくるというんです。
子どもの感覚自体が。
だからこれ逆に言いますとね泣いた時にとても機械的に口の中に哺乳瓶を突っ込むと。
こういう虐待と言っていいような対応ですよね。
そうやって育った子どもは感覚の異常が見られる事が結構あるんですって。
つまり寒いのにTシャツ一枚でも全然平気だとか。
興味深い。
寒くて泣いてるのにごはん食べる。
そうするとごはん食べる事自体は嫌な事じゃないんだけど寒さはおさまらないという事はとても上手に循環してないですもんね。
機能として働いてないですもんね。
つまり人間の感覚って自分のものって当たり前だと思ってるんです。
つねれば痛いし。
でも感覚が育つためにはちゃんと親がその思いをくみ取って対応するという中で育つんですって。
この感覚や感情欲求そういったものを自分のものとしてちゃんと自覚できるって事が特に「自然人」教育では非常に重要になってきます。
さあ次回は引き続き「エミール」の第二編と第三編です。
少年期へと進みます。
西さん次回もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
家庭教師のもとでエミールは少年へと成長します。
この時期最も大切なのは体験から学ばせる事だとルソーは説きました。
キーワードは「好奇心」と「有用性」。
もうどれだけ愛情あふれてるか。
「100分de名著」「エミール」。
第2回は自立した人間になるための教育に必要なのは何かを考えます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…前回に引き続き「エミール」の世界を読み解いてまいりましょう。
指南役は哲学者の西研さんです。
よろしくお願いいたします。
今回は第二編と第三編を見ていきます。
第二編が口がきけるようになってくる1歳頃からです。
そして第三編は少年後期15歳。
ここでルソーはエミール君どんなふうに教育するんでしょうか?基本的には第一編と同じで自分のために生きる人間に育てていこうというわけで「自然人」教育ですね。
この第二編の方ですねすごい面白い事を言ってて…教育というとどうしても将来に役立てる将来のためのものを身につけさせたいどうしてもそう思うわけですよね。
でもルソーはこんなふうに言うんですよね。
未来を予想する力ですから。
何でかというとどんどんどんどん先を考えてこんなふうになれればよいのにと思うと想像力がブワーッと広がっていくと。
いや大人になってみるとそれはもっともだと思うんですけどただ極端ですよね。
ある意味子供に「夢を持て」って言うじゃないですか。
僕なんか結果こんな感じで運動音痴なんだけどプロ野球選手になりたいと思った事はあったし。
ルソーだって「活躍したい」「サロンで認められたい」みたいなそういうのを持ってたはずなのでちょっと後から言ってる感じありますよね。
自分が相当悔しい思いをして恐らく皆夢を持つのはいい事だと言うかもしれないけどこの挫折から立ち直れなかった時期が自分にはあったという事のちょっと裏返しかしらと。
そうですね。
僕もそういうところあると思うなうん。
さあエミール君に存分に子供時代を満喫させながら家庭教師は一つだけ積極的に「ある事」を学ばせようとしました。
こちらをご覧下さい。
田舎暮らしの中で畑仕事に興味を持ったエミールは家庭教師と一緒にそら豆を植えます。
毎日水をやりそら豆が育つのを楽しみにしていました。
ところがある朝…。
畑はめちゃくちゃに掘り返されていました。
幼いエミールは泣きじゃくります。
犯人は庭師のロベールでした。
苦情を伝えに行くと思いがけない事に逆に抗議されます。
何ですって!?あなた方こそこんなふうに私の作ったものを台なしにしてしまったんですよ。
実はエミールより前に彼はそこに貴重なメロンの種をまいていたのです。
そら豆のせいでメロンが駄目になった事を家庭教師は謝罪。
畑の隅を少しだけ耕す事を許してくれたら作物の半分を分けましょうと提案します。
ロベールは合意しますが…。
ただしもし私のメロンに手を触れたらまたそら豆を掘り返しますからね。
ここでエミールが学んだ事というのは?先生。
正義の観念を知るというのがこのエピソードの意味なんですね。
そういう話なんですね。
文章で読んだりとかお説教で教わるんじゃなくて彼は体験で学ぶわけですもんね。
そうですね。
理屈で教えるんじゃなくて体験で教えさせるには…という事でこういう事を仕組むわけですね。
こうして体験を重んじるルソーなんですけれどもこの時期エミールを読書から遠ざけていたんですよね。
当時フランスの子供がみんな読んでた童話があるんですけどそれを例に引いて一段落ごとに分析してこの時期の子供にはまだ無理だよ。
こちらなんですけれども。
知ってるよ「烏と狐」。
有名です。
あのイソップ童話でもおなじみのお話でしてチーズをくわえて枝にとまっている烏に狐が鳴き声についてお世辞を言います。
喜んだ烏は口を開けてしまってこのチーズは落ちて狐のものになるというお話ですね。
この話そのものがいろいろ細かく分析すると分かりにくいところが入ってるというだけではなくてこれ結局…はあ〜!どっちがかっこいい?それは狐でしょう。
正しくルールを守ったり人間同士の約束事を守るという事よりもずる賢いやつの方がかっこいいという事を学んじゃうよと言ってますね。
うわ〜でも一理も二理もあるな。
自分の子供の頃「仮面ライダー」みたいなヒーローものの悪役に変に憧れる事ってあるんですよ。
悪の軍団の方にも変な魅力を感じるでしょ。
もしかしたらそういう事をちょっと心配するんだと思うんです。
本で学ぶと偏るよという。
ましてやもともと学問が人間を自然じゃない形にしてるんだという主義ですもんね。
そうだ。
そういう事を言ってる人でしたね。
まだこの時期はやはり「自然人」教育。
肉体の感覚と運動を何よりも育てる事が中心だというふうに書いているんですよね。
そうですね。
感覚と運動を育てる事が一番最初の理性「感覚的な理性」。
感覚や運動を鍛えなさいと。
それぞれを鍛えなさいと言ってるんですけどもただ一個ずつ鍛えるんじゃなくてそれぞれを比較したり連動させたりする事が大切だと言うんですね。
いわゆる五感と言われるものですね。
これを「感覚的な理性」を育てるために連動をさせる。
僕らは見た瞬間にこれツルツルしてるなとかザラザラしてるなってもう触らなくても分かりますよね。
だから子供も目で見た感じと重さの感覚を比較させてみるとか。
これものすごいたくさんページ割いて感覚の訓練法を書いてるんですよ。
へ〜。
面白い。
結構面白い遊びでね家で真っ暗闇の中でジュース飲むって面白いんだよね。
どうして?視覚情報とかパッケージとか見て飲むとねそれに引っ張られて雑な味がするんですよ。
なるほど。
これはオレンジだ。
オレンジ色でオレンジだから酸っぱいに決まってて甘酸っぱいでこうと思うんですけど真っ暗にしてみんなで飲むとね味がものすごいリアルになるの。
は〜なるほど。
何の先入観もないから。
親戚の子供とか来てやるとね喜ぶんですよ。
それすごく近いです。
単独にそうやって取り出させて訓練するみたいな事もやっぱりやってますね。
だからこの時期はとにかく…そうやって自分のために生きる「自然人」を作ろうというそういう事ですね。
こうして伸び伸びと子供時代を過ごしたエミール君。
12歳まで育ちます。
ここまでが第二編。
ルソーは面白い事書いててエミールというのは凡俗な人普通の人にはわんぱく小僧にしか見えないだろうねと。
家庭教師としては分が悪いよねなんて書いてるんですよ。
当時の古典をバーッと暗唱するようなそういう天才児には全然見えないと。
それでよいのかなと思いますけど。
ここで現代的視点から読む場合に西先生が補足しておきたい論点が2つあるそうですね。
まず1つ目が「『自由』の前提としての適切な『依存』」。
ある意味で親の目という守られてるところがあって初めて子供って自由闊達に自分のエネルギーを発揮できるんだと。
エミール君がねわんぱくに野原を走り回ったりいろんなものをなめたり口に入れたりいろんな事をする。
でもこれちゃんと家庭教師見守ってて危ない時があればぱっと取り上げたり助けたりする。
ルソーはそこまでは言っていないんですけれど僕らがこれから自由に生きるという事を考えたら自由の前提として適切に依存できた方がむしろよい。
そして2つ目。
「『ほめられる快』をどう見るか」。
こっちなんですけれどもルソーは競争社会の中で目立つという事を否定したい。
なのでほめるという事をあんまりしないわけです。
あっそうなんですか。
うん。
僕はですね何て言うか…そこの読み解きが面白いのはほめられたい時に全くほめられてないじゃないですか。
ほんとに遅咲きだからルソー自体が。
「俺はほめられなかったからうまくいったんだ」と思いたいみたいなのちょっと分かる。
そうかもしれない。
ついこの間それこそこの番組でアドラーがやっぱりほめるとほめられるからやるんだという意識ができすぎるから何か他者と比べてほめるみたいのは過剰にやらない方がいいって考え方でちょっと近いのかなと。
まさしくそういう事を言ってるんですね。
だからそっちに行かせたくないという気持ちがあるんですね。
そうするとルソーの書いた事と先生に教わった事を総合して実践に移す時にやっぱりほめ方みたいな事を一回考える。
「誰々と比べてすごいね」と言うよりは「助かったよ俺」ってお父さんが言うみたいなのってその中間のいい意見だと思うんですね。
ほめないわけでもないしかと言って他者との競争意識をあおるわけでもないみたいな。
さあここまで第二編を読んできました。
続いて第三編にまいりましょう。
少年後期にいよいよ入ってきます。
今で言うと中学生くらいですね。
この時期は研究の時期勉強の時期だというんですね。
今まで感覚鍛えてきたんですけどもうちょっと抽象的な事。
…なんですがやっぱりルソーとしては経験が先になっていかなくちゃいけない。
じゃあその経験から入るってどういう事かというと好奇心。
好奇心を刺激して「どうなってるんだろう」「これなぜ?」というふうに子供自身が問いというか疑問を持つようにさせていく。
これが肝だよねというふうにルソーは考えるわけです。
そんなエピソードがありますので。
はい。
地球と太陽のエピソードです。
ご覧下さい。
ある日家庭教師とエミールは沈んでいく太陽の見える場所を散歩します。
翌朝同じ場所で日の出を見ます。
家庭教師は幼いエミールの好奇心を刺激するために何の説明もせずこう言います。
ルソーの投げかけた疑問に好奇心をくすぐられエミールは太陽の軌道について考え抜き自分なりの答えを出すのです。
うふふ…やっぱりねもうどれだけ愛情あふれてるか。
だって早く言いたいもん俺だったら。
早く答えを教えて「そうか」という顔をすぐ見たいですよ。
でもそれじゃ身にはならない。
ルソーこんなふうな事言ってるんですね。
好奇心によっていろいろと考えたりまた自分で調べたりする。
そうするとその中にまた問いが生まれてきてこれはじゃあどうなってるんだろうねというふうに……というふうにしむけなきゃいけないと言うんですね。
これですね今「アクティブ・ラーニング」という言葉お聞きになった事ありません?「問題発見・解決型学習」と言ったりするんですけれどもそういう考え方のルーツですね。
この場合は最初から「太陽と地球はこういう関係でね」とかって見ながら言っちゃいけないわけですよね得意げにね。
あと難しいのは「不思議だろ?あれの事知りたいだろ?」ってあんまいくのも多分違うんでしょうね。
だから結構難しいのよ。
相当難しい。
好奇心に加えてルソーはもう一つこの時期の教育には大切な事があると言っています。
何でしょう。
「好奇心」と「有用性」この2つが軸になると。
有用性って何かというと結局…その事を考えたりするという事が出てくる。
でも大人があれこれとこれは将来役立つんだからさと言っても全然子供にはぴんとこない事もあると。
じゃそういう場合どうすんの?というエピソードがあるんです。
ある森がありました。
家庭教師とエミールはその森が自分たちの暮らすモンモランシーの北にある事を観測します。
するとエミールは途中で…。
翌朝家庭教師の提案で森へと散歩に出かけた二人は道に迷います。
エミールは不安で泣きだしました。
家庭教師は森がモンモランシーの北にあるのだから家は森の南にある事。
更に正午の太陽の位置から影が北を指す事を思い出させます。
そして帰るには影の逆の方向に進めばよいと気付かせ地理や天文学が役立つ事を実感させたのです。
僕ね中学校の時英語が全くできなかったし学習意欲も全くなくて。
僕の中にはどうせ僕は日本から出ないから英語なんて使う事はないって。
でも「洋楽の意味が知りたい」というところから入ってたらもしかしたらもうちょっとやったかなとも思うんです。
だから有用性からスタートすれば頑張るかもしれませんね。
ここで地理と天文学が身をもって役に立つという経験をしたエミールですがそれから初めて読書をいよいよ許すわけですね。
一番最初の本は「ロビンソン・クルーソ−」これで決まりと。
何でかと言いますと無人島でねロビンソン・クルーソ−一人で流れ着きますよね。
いろんな知恵を使いながら快適な生活を作り上げていくんですね。
結局これも有用性の教育のつながりですけどどんなふうにやったら役立って…そのエミール君順調に育っていまして第三編いよいよ「自然人」教育の終わり仕上げの時期ですよね。
終わりではどんな事を学ぶんでしょう?一番最初は工場に連れていきます。
工場と言うべきかもしれないんですけどその工場の中でもいろいろ職人さんがいて工場の中でも分業をやってるねというのを知りますね。
今度は更に社会全体としてもいろんな分業がなされている。
そしてその分業したものをいろいろ交換し合って社会が成り立ってるよ。
つまり分業と交換という話をする事になります。
そこで家庭教師ルソーが提示するのがこんな社会なんです。
「十人社会」というイメージです。
ある人が生きるのに10種類の必要なものがあるとします。
例えば伊集院さんが生きていくにしてお米を作ってくれる米農家。
あと洋服が欲しいから仕立て屋さんがいたりとか。
これを一人で全部やるととても大変ですよね。
ただ分業を導入してそれぞれが違った一つの仕事だけをすれば他の人の成果をもらう事によって全員が必要なものを満たす事ができますよと。
ここでルソーの言いたい事は何でしょうか?ひと言で言うと…一番得意なものとか向いたものをそれぞれがやってそれを交換し合うという形でやればとても豊かな快適な暮らしができる。
そういうふうに社会というのは出来上がっているんだよと十人社会モデルでエミールに教えてあげるというところですね。
今まですごく個人の欲求を勉強してきたけどもこれはどうやら個人だけでは済まないんだなという世の中というのはという事がだんだん分かりますね。
はい。
だからここまでが「自然人」教育で実用的ある意味では。
本人の欲求と有用性でいきますから。
ですけどここからは更に「正義」「善」「生きる意味」そういったより抽象的な生き方の根本に関わるような問題にまで次元が深まっていくという事になるわけです。
では次回はいよいよ「社会人」教育の始まりです。
西さん次回もどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
思春期を迎えたエミールにルソーは「社会人」教育を始めます。
教えたいのは他者をあわれむ「共感する心」。
そして宗教の根源から伝える「生きる意味」。
そういう答えを一応出したという事なんですね。
「100分de名著」「エミール」。
第3回はルソーが目指した教育から互いを思いやる社会に必要な事を読み解きます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…今月はルソーの教育書「エミール」をご紹介しています。
指南役は哲学者の西研さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回からは第四編に入りますね。
エミール君は15歳から20歳になる頃。
家庭教師はどんなふうに育てていこうと思っているんでしょうか?第三編まではまさしく自分のために生きると。
まあこれがようやく思春期に入るので今からすると遅い感じですけれども性の目覚めが。
そうするとどうしても異性に気に入られたいと。
やっぱり目立ちたいし競争心も目覚めてきますよね。
ルソーとしてはいきなりその「目立ちたい」に入る前に同じ人間に対する共感とかそういう力を他の人間の思いを分かる力を育てたいと。
これが社会人教育の一番大きな柱になっていきます。
共感をまず覚えさせたいという事ですがそのために「ある事」を考察するんですね。
はい。
フランス語だとpassion。
これ哲学の方では「情念」と訳されます。
自分の意志とか理性と違って自分の体にビーッてやってきちゃうもの。
これをここで徹底的に考察してみようというわけですね。
ルソーはですねあらゆる人間の「情念」というのは「自己愛」自分に対する愛から生まれてくると言うんですね。
お隣に似た言葉で「自尊心」という事が書いてあるんですがこれ×が付いてます。
違うものなんですね?はい。
これあくまでもルソーが区別しているだけなんですけれども要するに自分に関わる言葉を2種類一応立てて一応区別をしようという事なんですね。
ではルソーの考える自己愛と自尊心についてお聴き頂きましょう。
朗読は俳優の要潤さんです。
ここであえて言葉を分けるとするならばその「自己愛」に対しての「自尊心」なんですけど「自尊心」ははっきり区別して駄目だと言ってますよね。
はい。
こっちは競争心なんですね。
他と比べて自分が褒められたい認められたいという気持ちなのでルソーに言わせると自分はこいつよりは上だぞと思ってもまた自分より上がいるかもしれないので結局ほんとに満足する事はないんだと言うんですね。
ただここで言う「自尊心」。
ルソーは×としてるものですがこの年頃の男の子にとってはそういう気持ちって湧いてくるものですよね。
あとやっぱり受験とかをする年だから。
中学高校とね。
むしろそれが湧くようにも育てられたりするわけで今。
いや僕ルソーもねやっぱり自分出世したいと絶対思ってたと思うんですよ。
競争心の塊でなかったはずがないわけ。
でもそこをやっぱり振り返ってこう言ってるんじゃないかな。
そうやって聞くとねすごく腑に落ちるしそしてすごくルソーが好きになりますね。
上からこうやりゃ正しいって言ってるわけじゃなくていろいろぶつかってぶつかって今思えばそうやって生きてくるべきだったという事をこの架空の少年に託してるというか。
そうだと思います。
さてエミール青年の「共感力」を伸ばそうとしている家庭教師ですがこんなふうに言っています。
そういうふうに受け取ればいいと思うんですね。
人間というのはやっぱり一人では生きられなかったりどんなにまあ元気な人でもいろんなつらいところというのは持ってるかもしれない。
その事が私たちのはかない幸福を生むんだというんですよ。
「はかない幸福」という言葉はルソーが好んで使った言葉なんですよね。
はい時々使うんですね。
フレール・ボヌールと言うんですけど…そこに一瞬だけれども…その弱さが逆に幸せを生むという事につながるという事があるよっていう。
この辺りは結構好きなところ。
ただ人はいつでも他者に共感できるわけではありませんよね。
はい。
では一体どんな時に人は他者の苦しみに共感する事ができるのでしょうか。
ルソーはこんなふうに書いています。
共感についてルソーは3つのルールを提示します。
気の毒だと思う人には同情できますが幸福そうな人に対しては羨むばかりで共感は難しいもの。
しかし一見幸福そうでも実は悩みを抱え寂しい人かもしれません。
表面的なものの見方では共感できないのです。
事故や災害に遭った人には自然と共感できるものです。
一方でホームレスの人を「怠け者」と見なして共感しない人も多いでしょう。
しかし自分にも起こりうる事態と思えば共感できるはずなのです。
人は敬意を払っていない相手の苦しみを軽く見てしまうものです。
逆に言えばどんな人も見下す事なく対等と認めれば苦しみの大きさも受け止められるのです。
更にルソーは言います。
西さんは今の最後の部分に感銘を受けられたそうですね。
はい。
人を「ああ気の毒だな」と思うという事は自分は彼らほどひどい状態じゃなくて自分にはまだエネルギーがあるしやれる事があるしというふうに思うわけですよね。
これ普通とても口に出せない事じゃないですか。
でもルソーはねこれでいいんだって言うんですよ。
これ偽善じゃないって人間ってこういうもんだと。
自分より調子悪い人いますよね。
かわいそうだなっていう時に「まあ俺はまだマシだけど」って思ってていいという。
ただ思ってるだけだったらあれなんですけど…なるほど。
…っていう感じですね。
やっぱり善行をする時に自分の事を「俺って結構いいやつかも」って思うという事はこれはねそれでよいんだよというふうに言うんですよ。
ただこの「あわれみを感じなさい」というふうに上から言ってるわけではないんですね。
…ではないんですね。
あわれみを持ちなさいと言って命令してもしょうがないわけであって要するに…そのためには今度は社会や歴史の中に生きる人間をよく知ろうという話になって社会・歴史の教育につながっていきます。
ルソーは社会を知る事が人間を知る事だしまた人間を知る事によって社会がよりよく分かるようになるというふうに言うんですね。
こういう話なんですね。
どのようにして具体的に教えていくんですか?だからやっぱり伝記を読ませるというのがこういう状況のもとで人がどんな思いを持って生きているかを知るには最適だろうというんでエミール君にいろんな伝記を読ませようというわけです。
これねすごく分かる。
僕は歴史がとても苦手でこの番組をやるようになってちょっと歴史って面白いじゃんってちょっとずつそっち側に行ったんですね。
だからもしかしたらだけど歴史の年表を覚えるより先に大河ドラマを見るべきだったんじゃないかとちょっと思うんです。
はいはい。
ただ年表を書かれても人がやってる事だという感じがしないんです。
やっぱりルソーも年表だけのいわゆる歴史は違うと思った?はい。
ルソーという人は「情」の人で何かこう正しい歴史の見方とかこれが絶対の正義ですよみたいなのを振りかざすみたいな事が嫌いなんですよ。
人の情が分かるというのはすごい大事って思ってたんですね。
だから歴史だって…こうして社会や歴史を学んだ上で次の課題は何でしょうか。
今までかなり自分にとって必要な事の知識は得てきた。
他人というもの人間というものについても知るようになってきた。
その上でとうとう宗教論をエミールに教えたいわけですね。
それで途中にある聖職者を登場させて「サヴォアの助任司祭の信仰告白」というタイトルを付けた読み物を一つ挿入してるんです。
あっ中に。
はいはい。
エミール君ちょっと置いといて。
本の中にもう一冊本が入ってるような。
そうです。
書き方勝手な人なのでそういう事をしちゃうわけ。
その昔ある貧しい青年が飢えをしのぐためにカトリックの救護院に入ります。
青年はそこでの教義に耐えられず不平を言っては罰せられついには罪人扱いを受けるようになりました。
そんな青年を助けてくれたのがある聖職者。
自らも貧しいのに周囲に善行を施し尊敬されるような人物でした。
聖職者は自暴自棄になっていた青年を救います。
いい話だけど急に別の話に。
そうなんですよ。
それはそれでね。
しかもこの青年というのが実は若き日のルソーなんですよね。
そうなんです。
もう面倒くさいこれは僕の事ですというふうに突然こう書いて。
はい。
自由ですねまた。
書き方が自由なんですね。
モデルの聖職者は2人いたと言われてるんですね。
そこから抜け出すためにいろんな哲学書を読んでみたと。
じゃあどうするんだというので自分の「内面の光り」というんですけど自分の心の中の理性に照らして…そういう事を始めたんだよと。
何かちょっと興味深い。
僕の思う聖職者の感じと何か違う。
生き方の原則というのをいわゆる「聖書」の理解から教えてもらうのが僕は聖職者なのかと思ってたからそれを自分の内面から考えるんだったらまた別の感じの職業かってちょっと。
ああそうですね。
だからやっぱりこれ哲学者の姿勢ですよね。
そうですね。
哲学と言っていいわけですよね。
ルソーの哲学。
さあこの後更に宗教について考察を深めていきます。
こちらをご覧下さい。
聖職者の告白という形を借りて神や信仰に関するルソーの思想が語られます。
まず確認するのは「わたし」という存在について。
感覚器官を用いて「わたし」は「わたし」以外の「物質」の存在を認めます。
「物質」には静止状態と運動状態があります。
そして運動には2つの種類があります。
人間のような意志を持った自発的な運動と他から伝えられる運動です。
地球や太陽など無生物も動いていますがそれ自体に「意志」はないはずです。
という事は「意志ある別の何か」によって動かされているはずだと言います。
世界を動かしている意志を持った存在。
それこそ我々が「神」と呼ぶものであると言うのです。
ここでルソーは聖職者の告白という形でこんなふうに考察しているんですよね。
今の朗読部分に当たるところなんですけれども改めて教えて頂けますか?まず一番最初に感じたり思ったりする「わたし」はあるだろう。
いろんな「物質」からの刺激をもらってるわけだから物質はありだから宇宙もあるだろう。
ここからスタートするんですね。
でもその宇宙というのは美しい秩序を持ってる。
特に自然を見ると大変美しい秩序があると。
そうすると神様がいるはずだ。
その神様は知性と善性を持ってるはずだというふうに推論をしていくんですね。
でもルソーは人間の世界は歴史を見ると戦争ばっかりだったりして混乱ひどいと。
人間の中には良心とか理性と言われるように何がよい事かを判断する力があると。
でももう一方で良心に背いて情念の方に負けちゃおうみたいな両方の2つの面が人間にはあるんだって言うんですね。
その時に人間ってでもこれ選べるんだと。
要するに神というのは人間にわざわざ自由意志を与えた。
なぜ?というと…ここまで複雑にね「神様とは」「信仰とは」について教える。
ここまで手間をかけて教える。
それはなぜですか?エミール君15歳ぐらいまでは自分が生きる上で役立つかどうかという事を考えてきたんですね。
でもやっぱり成長してくると人って何のために生きてるんだろうという…それに対してルソーの答えは…とてもいい意見だと思うんですけどこれは当時は受け入れられるんですか?素直に。
あの…やっぱりカトリックですねフランスは。
ルソーとしてはカトリックが唯一だ絶対だみたいなの嫌いなんですね。
「俺の宗教が絶対だ」というのは「宗教的不寛容」と言いますけどこの「不寛容」に非常に反対をしていてそれに対して…宗教の一番の根本の部分だけはっきりさせればあとはまあどうでもいいんじゃないのという考えです。
まあでもそういう事を書いちゃうとどうなったかというとこれは禁書になってしまいました。
発禁ですね。
やっぱり駄目なんだ。
もう今僕らは21世紀に生きてるんですけれども世界では貧困や格差と結び付いて宗教的な不寛容という事がものすごく起こってる。
極めて凄惨なテロが多発してるわけですよね。
ええ。
ルソーの頃からこの問題はずっと残ってるという事になるとは思います。
さあ次回はいよいよ最後の第五編を読み解いていきます。
エミール君に恋の季節がやってまいりますよ。
西さん今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
家庭教師ルソーの教育のもと大人になったエミールは恋に落ちます。
家庭教師は最後のレッスンとして社会の一員となるための心構えを説きました。
そこには「社会契約論」に書かれた理想的な社会も示されます。
浮かび上がるのは現代にも通じる幸福の在り方。
「100分de名著」「エミール」。
第4回はルソーが残した社会哲学から今私たちが目指すべき世界を考えます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…ルソーの「エミール」。
ついに今日は最後の第五編を読み解いていくんですが伊集院さん赤ちゃんの時から見守ってきたエミール君がついに結婚に向かっていきますよ。
何でしょうね。
架空の少年のエミール君ですけどみんなで育ててきた感じありますんで。
手塩にかけて。
何かちょっと感無量ですね。
ええ。
今回も読み解いて下さるのは哲学者の西研さんです。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
第五編。
青年期最後の時期20歳からという事で。
エミール君の結婚物語が始まりますがどのように始まっていくんでしょうか?実は第四編の一番最後にそろそろ奥さんの事考えようよという話が出てきてそれで2人でいろいろ理想の女性像についてあれこれ想像するんですね。
その想像した架空の恋人の事を家庭教師が「ソフィー」という名前にしようよというふうに言うんです。
そういう事が前提になってるんですけど第五編では。
じゃあ本当に奥さん探しだと言ってパリに出る。
社交界デビューをすると。
するんですけれどもなかなか理想の女性に会わないねというところで田舎にちょっと旅行に行くとその田舎の村で一目ぼれをすると。
ではエミールとソフィーの出会いをご覧頂きましょう。
花嫁を探すためにエミールと家庭教師は旅をしていました。
ある日道に迷った2人は雨の中たどりついた家に泊めてもらう事になります。
その家には娘がいました。
その名はソフィー。
かつて理想の女性像に家庭教師が付けた名前です。
ソフィーと愛し合うようになったエミールに家庭教師はこんな質問をします。
エミール。
鋭い叫び声を上げぼう然と家庭教師を見るエミール。
しかし家庭教師は笑みを浮かべソフィーは元気だと伝えます。
混乱するエミールを散歩に連れ出し家庭教師は語りました。
エミールに「ソフィーが死んだらどうする?」。
死んだという知らせ。
これは伝えたかった事は何なんでしょう?エミールとソフィーが愛し合うようになってるんですね。
既にもうだいぶ気持ちが通じ合っている。
エミール君はソフィーの事で頭がいっぱいなわけですよ。
そこに対して欲望に自分を支配させては駄目だと。
自分の良心でもって欲望を支配しないと駄目なんだよとこういう事を言いたいんですね。
ルソーはこんなふうに書いています。
これは自分の欲望が自分の中で一番「最高の掟」でだからもう自分の欲望に絶対従うのだという姿勢に君なってしまっていないかという事ですよね。
本当にこの事は君を幸せにし周りを幸せにするような事なの?というその問いかけ。
これ良心ですよね。
これがなくちゃ駄目じゃないというそういう事を言いたいわけです。
欲望の奴隷にならずに良心に従って生きるという事でそんな人になるためにルソーはこんなふうに書いています。
ルソー特有の表現で欲望に引きずられてるんだったら欲望の奴隷だよ。
その欲望をちゃんと自分で見つめ直してこれはやっていい事だなとか。
これは本当に自分の幸せ人の幸せに通じてるなって事をちゃんと判断した時に……という事をルソーは言うんですね。
さてこの後家庭教師はエミールにソフィーと一旦別れろと言うんですよ。
おおどうする。
何でそんな事言うのか。
永久に別れろじゃなくて2年間待ちなさいって言うんですね。
というのはソフィーと結婚するんだから一家の主人になると。
職も就かなければいけないしまあどっかの国に住まなくちゃいけない。
そういうわけだから…家庭教師と一緒にいろんな国を旅して政治というものについて研究をしようではないかと言うんです。
そこでエミール君に講義をするというんじゃなくていきなり…これが非常に読みにくいのでその骨子となる所を大胆に解説していこうかと思います。
よろしくお願いします。
ではこちらをご覧下さい。
「社会契約論」は権利や正義法の正当性はどこから来るのか?という問いからスタートします。
ルソーが主張するのは…例えばある国が他の国を力で征服し支配権を主張します。
征服された国は従いますが抵抗する力が育てばその支配を打ち破ろうとするでしょう。
力によって保たれる支配ではなく約束と合意のみが正当性を生むのです。
正当性の根源となるのは「社会契約」。
契約の動機は互いに平和共存するために仲間を作って助け合うためです。
ルソーはその根本条項を次のように言います。
何度読んでもちょっと難しいな…。
解説お願いします。
ちょっとホッとしましたよ。
難しいから。
そう感じてましたから。
是非解説をして頂きましょう。
まずルソーの考える「社会契約」のもとでは個人の財産や所有物というのがどうなるのか説明して頂きましょうか。
はい。
まず国家がつくられる以前というのを考えますね。
そうするとこの人は自分の土地を持ってて自分の土地は自分の力で守ってるわけです。
ですけれども自分の土地を自分の力だけで守るというのは結構難しくて…その時に初めて「契約」をする必要が出てくると。
それぞれの所有物土地などを守ろうという約束をするわけですね。
これは土地は皆でもって守るわけですからこの土地の根本の所有権は国家のものになるというんです。
…なんだけどこの土地を実際にどうやって使うか。
まあまた誰かに売るかみたいな土地の管理権はその人に戻されると。
これがルソー的なルソーの言う社会契約の例ですよね。
そうですね。
ルソーの考えだとあらゆる権利というのは人々が契約をつくってそこでお互いが認め合い保証し合ってできるものなので。
そういう考え方なんですね。
逆の考え方があるかというとやっぱりあるんです。
ルソーよりちょっと前のイギリスの哲学者にロックという人がいてロックはですね所有権と自由の権利というのはこれ神様が与えたものなのでもう絶対だと。
国家があろうがあるまいが国家以前から与えられた権利だって言うんですね。
それは今でもアメリカではその考え方がかなり強くてそうすると個々人の所有物にいろいろ制約をかけたり税金をどんどん取り立てたりする事に関しては抵抗があるというふうに言われているんですね。
このルソーの考え方は現代の日本でも生かせるとお考えなんですよね。
例えば過疎の地域ありますよね。
そこで空き家が出来てくると。
ぼろぼろに崩れてきたり草ぼうぼうの土地になってきたりすると。
そういう時に所有権はあくまでも所有者にあるという考え方をとるとそこを放置しとくしかないわけですよね。
でも自分たちの町・村を公共の空間をどうやって育んでいくの?というふうになった時には…ここ数年やっとゴミ屋敷問題とか廃屋問題とかそれこそ過疎とかじゃない都会のど真ん中で出始めてそこに関してある程度強制的に自治体が介入できるみたいな条例がやっと出始めた。
そうですね。
でもそういう事ですよね。
共同体にとってかなり不利益になっちゃうんだったら少しはその所有権の一部権利の一部に関して制約させなさいよという事ですねそれは。
フランスやドイツではその私有地をどのように使っていくかどんなふうな建物を造るのかみたいな事は相当コントロールしてて土地所有権ってやっぱり絶対じゃなくて一定の公共性を持たないと駄目だよというのは非常に自然に生きてる感じがします。
先ほどの朗読にもありました部分。
「一般意志の最高指揮にゆだねる」という表現も当時としては革新的だったそうですね。
社会契約でつくった国家というのは法を持たなければいけないと。
じゃあその法というものはどうやって作られるのかという事になるんですけれども…みんなが欲する事「一般意志」と言えるよねってそうやって決まったものを法にすると。
この法がですねその社会の中で一番の最高のものだよという事なんですこれ。
こうしてお話聞いてきますとね今の日本これから18歳以上の方には選挙権をなんて事にもなりそうですしその際一般意志を確かめ合う教育ってねされているんでしょうかね?今いろんな所で模索されてるとは思います。
僕常々思ってる事があって安全・安心にお互いの都合もね多少勝手かもしれないけど「自分ってこう感じるよ」というのが言えるというそういう雰囲気がつくれないといけないと思うんですね。
でもそのためにはまず意見を言った時に賛成反対いきなり言っちゃうんじゃなくて「君が言う事って僕にはこう聞こえたんだけど僕のこの理解で合ってる?」とかっていうふうに…なるほど。
そういう事をやっぱり部活だったりいろんなクラス単位とかそういうとこで実際に体験しないといきなり「あなた主権者です」「18歳です」と言われてもなかなかそういかないと思うんですよね。
そういう事が根づいていくと民主主義っていうかね自治っていう事がお題目じゃなくなっていくかもしれないですよね。
社会を学ぶために家庭教師と旅に出たエミール。
何を学んだのでしょうか。
続きをご覧頂きましょう。
2年間各国を見て回ったあと家庭教師はエミールにこれからどうするつもりかと尋ねます。
するとエミールは答えます。
「誰よりも自由に生きるつもりだ」と。
エミールは農村でソフィーとの新たな家庭を築きます。
家庭教師の教育は終わりの時を迎えました。
うわ〜何かこのまとめの解釈なんですけどやっぱり人間は幸せになるために生まれてるという事なのかしら。
これはね多分自分が育ててきたエミールがとても幸福な結婚をしてその事を見る時に自分の胸は幸福感で圧倒されそうになりますよ。
まあ永遠に続く喜びかは分からないけれども今はもうその喜びでいっぱいですよみたいな話だと思います。
これだけ理屈を書く人がこう書く事が何かその僕には幸せである事を全肯定してる瞬間が何か頼もしいというか。
この瞬間のために私やってきましたという感じ。
こうして無事結婚したエミールですがフランスに住む事になります。
ほんとに正義の貫かれた国はどこにもないねという話になるんです。
だからエミールはどこでもいいんじゃないと言うんだけどでもお前さんはどこで育った?フランスで育ったんでしょ?みんなのフランスの人たちのいろいろな支えによってあなたがあなたになったんでしょというふうに言って…農村で土地を買ってそこで農業をしながら暮らすと。
こんなふうに言うんですね。
…というふうに家庭教師は言うんですけどもこの2人ならば村人たちの生活をよりよくするという事に貢献していくって生き方を彼らが選ぶ事は間違いないだろうと。
というのでこの「幸福な恋人たちが美徳に満ちた尊敬すべき夫婦になるんだ」と言ってそして2人に子供ができてとうとうエミールがついに父親になるというところで幕が閉じられるわけでございます。
これまで読んできた「エミール」。
私としてはちょうど子育て真っ最中1年半のママ歴ですけれども子供を育てるという営みは社会の一員を育てるという事なんだなと改めて強く感じましたね。
4夜にわたってこの「エミール」を学んできて思うのはちょうど僕らの世代僕今48ですけどね僕らの世代は全員が全員じゃないですけど社会の流れとして割とこの「エミール」の逆きたなと思うんです。
我慢して我慢して自分を殺していった方がいいという事が割と僕が生まれてから中学生ぐらいまでの時代。
そのあと「違うよ個性だよ。
自由だよ」というのがきた。
でも「エミール」の論法逆じゃないですか。
最初に割と自由の方をやって自分が何やりたいのか何やってる時に楽しいのかみたいな事をやってそのあとにちゃんと社会とねバランスを取りなさいという事じゃないですか。
真逆をやっちゃった真逆の時代の中にいた僕らがこれから学ぶ事とかみたいな事を何かこう洗い直す材料にしたいですね。
「自分の軸」を持って生きるという事ずっとこの中で中心のテーマになってきたんですけれども本当にこれは…そういう生き方の提案というふうに思うんですね。
ルソーの場合は一応宗教というのが生き方の軸になるんだよという事になってるんだけど僕らの場合はやっぱりそれに代わるものがどうやって軸を作れるかという事で言うとやっぱりお互いの思いを出せる場があるかどうかに関わってるような気がするんです。
例えば何か文学が素材でもいいしそれこそお笑いが素材でもいいわけですよね。
だんだんと「やっぱ俺これでいくわ」みたいな…だからその対話の関係をどうやって育てるかって事がこれからの教育だけじゃなくて生き方も含めてすごいポイントじゃないかと僕は思ってるんです。
今僕の中でがっちりはまったのは自分の生き方に自信を持つという自分の価値観に自信を持つという事は恐らく自分を愛するという事だと思うんです。
あ〜そうだ。
そこつながると思うんです。
自信を持つから言えるんだと思うんです。
主張ができるし。
いろんな事を教えてくれてるこの「エミール」だけど何か一つの核として僕はそこがあるような気がちょっとします。
じっくりと読み解いて頂きました。
西さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2017/02/19(日) 00:00〜01:37
NHKEテレ1大阪
お願い!編集長「100分de名著 ルソー“エミール”第1回〜第4回」[解][字]

「お願い!編集長」では、視聴者からの再放送希望の多かった番組を再びお届けする。今回は、人気の「100分de名著」から、ルソーの「エミール」を一挙再放送!

詳細情報
番組内容
100分間で古今東西の名著を読み解く「100分de名著」。新しいスタイルの教養番組として人気を集めているが、その中で今回は、自然への称揚、人為への批判をベースにして教育論を展開したルソーの「エミール」を一挙再放送!第1回「自然は教育の原点である」、第2回「“好奇心”と“有用性”が人を育てる」、第3回「“あわれみ”を育て社会の基盤に!」、第4回「理想社会のプログラム」。ルソーの根本思想に迫る!