人生流されっぱなしとお嘆きのあなた!迷わずビシッ!と決める知恵ありますよ。
(ビビる大木)ここですここです。
行きましょう。
行きましょう。
いい店なんですよここが。
いやいやいやいやあっどうぞどうぞどうぞどうぞ。
いやいやどうも。
あら?何やってんの?ホッホッホッホッホッホッホッホッ。
意外とうまいな。
何やってんですか?けん玉ですよ。
何ですか?急に。
いや私もね40になりまして人生何だか流されっぱなしなんですよ。
そこで子供の頃得意だったけん玉やって原点に戻ろうとしていたんですよ。
いらっしゃいませ。
あそういう事なの?どうぞどうぞおかけ下さい。
そうか。
そう。
店長もいろいろと流されたりして迷ってんですね。
流されて迷ってるんですよほんとに。
あのねちょうどいいや。
そんな迷ってる時はこれですよこれ。
今日持ち込みですか?持ち込みですよ今日は。
ちょっと見て下さい。
ほら!ダーンと。
「土佐清水ジョン万次郎」じゃないですか。
これですよ。
やっぱりね…ジョン万次郎知ってます。
でもどうしてビビるさんがジョン万次郎を…?あれ?知らないんですか。
うん?そうなんですか?おみそれしました。
勘弁して下さいよ。
失礼しましたそれは。
そして驚かないで下さい。
僕のお隣にいらっしゃるのが…ええっ!?時は幕末外国へ行くなどもっての外だった時代。
なんと地球を2周して世界を知り日本とアメリカの懸け橋になろうとした男がいました。
四国土佐の漁師だった万次郎は運命のいたずらでアメリカへ。
やがて日本に帰国するや西洋の最新知識を広め開国の時期に大きな役割を果たしました。
その人生はまさに奇想天外。
信じ難い困難の連続でした。
大海原に投げ出された万次郎。
助けてくれたのは全く言葉が通じないアメリカ人でした。
手も足も出ない環境に置かれた万次郎。
その後アメリカで一人前の船乗りへと成長した万次郎でしたが耳にしたのは船乗り仲間がふるさと日本にひどい目に遭わされているという現実。
そしてついに開国の時を迎えた日本。
困難に立ち向かう万次郎をいつも支え続けた魔法の言葉。
今宵は数々の厳しい選択を迫られたジョン万次郎の生き方から人生の困難を乗り切るヒントを探ります。
そんな万次郎の知恵を読み解くのは22年にわたり東南アジアで医療ボランティアを行ってきた…その活動はミャンマーで始まりました。
1995年まだ軍事政権に支配されていたこの国へたった一人で乗り込んだ吉岡さん。
…という厳しい現実を目の当たりにします。
日本に生まれていれば助かるはずの人々が苦しみ無念の死を遂げていく…。
そこで吉岡さんは日本の医師たちが進んで現地医療に参加したくなる独自の仕組みを作ります。
現地での経験を帰国後も生かせるようにする事で2,500人もの医療ボランティアが参加したのです。
2つの国を医療でつなぐためあえて困難に挑んだ吉岡さん。
その原動力とは何なのでしょう?過酷な現実に向き合う道を選んだ吉岡さんは苦難に流されず的確に自分の道を選び続けた万次郎の知恵をどう読み解くのでしょうか。
こんばんは〜。
あっいらっしゃい!吉岡さんお待ちしておりました。
先生だ!さっきの。
こんばんは〜。
はじめまして。
どうぞこちらおかけ下さい。
日本には結構来られているんですか?年間4か月だけですね。
3分の2はもう向こうへ行って。
そうですねアジアの各国で…。
はい。
活動されてるんですね。
貴重な時間ありがとうございます。
ご来店今日は。
(一同)よろしくお願いします。
今日中濱さんにも直系ですからねちょっとじっくりといろいろね。
ねえ教わりたい。
今日テーマはですねこちらです。
え〜ザザンと!あら!吉岡さんは人生において困って選択迷った経験はあるんですか?僕は最初恐らく…自分で…その辺りのね何を考えて何が選択の決め手になったのか伺っていこうと思うんですよね。
やっぱり今日も万次郎さんの知恵をちょっとたっぷりと…。
たっぷりと味わって下さい。
たっぷりと行きましょう。
行きましょうかじゃあ。
ええ。
お願いします。
おおったっぷりと…!太平洋に面した高知県土佐清水市。
中浜という小さな漁村で生まれた万次郎。
5人きょうだいの次男として育ちます。
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彼の人生は始まりから苦難の連続でした。
兄は病弱で代わりに幼い万次郎が…そんな万次郎は好奇心旺盛。
何でも試したくなる子供でした。
ある奉公先で万次郎は大きな道具を使って大量に米を精米する「米搗き」を頼まれます。
しかし子供には大変な重労働。
なかなかはかどりません。
ここで万次郎に妙案が…。
「小石を米の中に入れてみたらどうだろう?」。
なんと石と米が擦れて見事に効率アップ!誇らしげな万次郎。
さぞかし褒められると思いきや…。
「手抜きをするな!」。
工夫が認められない上に怒られるなんて。
万次郎は生まれ故郷を少し窮屈に感じていたかもしれません。
時はたち万次郎が14歳になった年の冬運命の日が訪れます。
仲間4人と生まれて初めての漁に出たところ…。
突然天候が崩れ海は大荒れ。
舵を流された万次郎たちは流れに身を任せるしかありませんでした。
太平洋を黒潮に乗って1週間万次郎たちは土佐からおよそ700キロも漂流。
たどりついたのは…周囲6キロの絶海の孤島「鳥島」という無人島でした。
ここで島に生息していた鳥や海藻を食べ雨水を飲み必死に命をつないでいったのです。
島にたどりついてから…お〜い!お〜い!助けてくれ〜!なんと万次郎たちの目の前に大きな船が!アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われたのです。
当時欧米では鯨からとれる油「鯨油」は生活必需品。
ろうそくやせっけんなどの原料として欠かせないものでした。
鯨を求め多くの捕鯨船が日本近海へ来ていたため万次郎たちは助かったのです。
船長のウィリアム・ホイットフィールドは5人をひとまずハワイまで送り届けるといいます。
いわゆる鎖国状態の日本には帰れないため万次郎たちはこれから外国人に囲まれ言葉も通じない異文化の中で暮らさねばなりません。
不安に陥りそうな時万次郎は思い切った行動に出ます。
ある日の事。
万次郎は自分から申し出て船の見張り台に立ちました。
自分も鯨とりを手伝ってみたい!持ち前の好奇心は抑えられません。
そして…。
これは鯨が吹く潮を見つけた事を他の船員に伝える英語。
ふだんから船員が使っていた言葉をまねてみたのです。
これがきっかけで鯨をしとめる事に成功。
万次郎は船員たちから大いに感謝されます。
更に褒美として船長から水夫の帽子が贈られました。
たとえ…そんな精神を表す言葉が万次郎がのちに残した漂流記に記されています。
ジョン・ハウランド号の船尾に書かれたラテン語。
万次郎はこの言葉を終生大切にしていました。
実はこれあのオバマ前大統領が好んで使っていた言葉でもあるんです。
…という意味。
多様な人々から成り立つアメリカ合衆国の基本的な精神を表します。
捕鯨船の上で役目を果たし仲間の一人として認められた万次郎。
この船での経験によって大きく学び成長していったのです。
救助されてから5か月後。
船はハワイに到着。
ここで万次郎は大きな選択を迫られます。
もしアメリカへ行けば二度と日本に戻れないかもしれない。
万次郎が出した答えは…。
そうする事で万次郎は自らの人生を切り開いていったのです。
アメリカ行きを決めるまでをまずは見て頂きましたが。
すごいですよね。
でも急に「君行く?」って言われたらなんか「え?僕ですか」とかってちょっと一瞬思いそうじゃないですか。
ちゅうちょしちゃいますね。
行ったら本当に帰れないかもとかいろいろ考えそうですけどそこの決断は…。
そこは…。
ああ…。
あと印象的な言葉がありましたよね。
ありましたね。
ちょっと知ってます?それ。
知らなかったです。
すみません。
いや僕も知らなかったんですけど。
コインが…実際にコインに書いてあるんですよ。
コインってそれアメリカのコインですか?そうですよ。
分かります?この上の文字の下ですよ。
ほんとだ。
そうですね小さく…。
頭の上にちょっとだけ…。
書いてる書いてる。
ちょっとだけあるんですよこの理念が。
これを万次郎さんがね大切にしてたって事ですね。
ねぇ〜。
でその知恵「不安の中でも動いてみろ」という知恵ですけれども吉岡さんはその知恵と通ずる経験というのはありますか?僕もたった一人でミャンマーに乗り込んだのは30歳の時ですがほんとにこう…当時は悲惨な状況ですからねミャンマーというのは。
バタバタ人が死んでいってましたから。
その時にもう…でも一般の人ってなかなかこう衝動があったとしても決断ってできないじゃないですか。
できないですよ。
考えてやっぱり今日も何も動かなかったなという日々って絶対出るじゃないですか。
ありますよね。
迷った人はどうすればいいんですか?あの〜失敗するのが怖いんです。
そこですよね失敗するのが怖い。
怖いですよね。
怖いです。
ですけど失敗というのは…あるいはそこに向かって努力するプロセスでいろんなものを学ぶ事ができますね。
副産物が得られれば。
副産物が…。
それをまたもとに次の成功を導いていきますね。
実際に。
もっと言うと失敗しない事はよくないという事にも…。
そうです。
つながっていきますよちょっとね。
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だから僕も…大失敗しろと10代のうちにって言ってます。
人生にものすごい影響いい影響を与えるからと。
いいですね。
(笑い声)だけど…。
まだ今は。
今はですよ。
なるほど…。
いよいよですね若くしてアメリカに渡る事になった万次郎ですけれどもその先で更なる困難な状況が待ち受けているんです。
まだ困難が…。
そうなんです。
16歳になった万次郎はアメリカ東海岸のニューベッドフォードに到着。
新天地での暮らしをスタートさせました。
父を早く亡くしていた万次郎にとってホイットフィールド船長はまさに父親代わり。
一方の船長もまだ子供がおらず日本人である万次郎を我が子同然に育てていきました。
これは当時…生まれて初めての学校通い。
授業は全て英語ですが万次郎は瞬く間に身につけます。
更に数学航海術測量術ひいては造船技術まで数々の専門知識をものにしていったのです。
乗り込んだのはやはり捕鯨船でした。
万次郎はこれまで学んだ成果を発揮。
船乗りの才能を開花させ仲間の信頼を勝ち得ていきます。
そして…
(船員)John,Akin,John.なんと年上の船員と並んで…船長の座は譲ったものの万次郎は…世界中の海を巡る捕鯨船の航海はおよそ地球2周分にも及びます。
このまま万次郎は広い世界を自由に渡る船乗りとして生きていくと思われました。
しかし万次郎には一つ気になる事がありました。
それは航海の中で度々耳にした…例えば…更にホノルルの新聞にはこんな記述が。
「上陸したら…」。
「病気になり精神錯乱に追い込まれた」。
いわゆる鎖国が続く…多くの船が…万次郎は戸惑います。
恩返しに…しかし今日本へ戻れば幕府に背いた者として処罰を受ける事は確実。
命の保証すらありません。
人生の岐路に立たされた万次郎。
ここで彼は自分の信念に従い進むべき道を選び出すのです。
万次郎はこの時の決断を育ての親であるホイットフィールド船長につづりました。
選んだのは日本へ帰る道。
日本に港を開くよう促す事ができるのは外国人の立場を理解している日本人つまり…万次郎はそう考えたのです。
そしてその説得をして…そういうところまで気持ちとしては持ったように思いますね。
万次郎は帰国するための旅費を稼ごうと驚きの方法に目をつけます。
それはゴールドラッシュ!当時アメリカ西海岸で大きな騒ぎとなっていました。
カリフォルニアに向かった万次郎。
一獲千金を目指す人々に交じり金を探し求めたのです。
万次郎はここでも才能を発揮。
現在の価値で…万次郎は欲望に流される事なくもう目的は果たしたと金探しをやめてしまいます。
そしてカリフォルニアから船に乗って日本を目指すのです。
その途中万次郎にはただ一つ心残りがありました。
命の恩人である船長にきちんとした別れの挨拶をせずに出てきてしまったからです。
いや〜もう複雑だったでしょうね。
当然ねえふるさとにはお母さんも待ってるしただ自分をね一人前に働けるようにね学校に行かしてくれたのも船長ですし。
そうですよねえ。
輝かしい船員生活が待っていたかもしれないのにやっぱり帰国する事を選択した。
ゴールドラッシュサンフランシスコからハワイに寄って残された4人の仲間に会いに行くんですね。
…ってところに私は万次郎の魅力を感じるところです。
ゴールドラッシュでハワイにいる仲間の分の帰りのお金の準備金も全部万次郎が働いてるんですよ。
じゃあ1人分だったらもっと早く帰れたかもしれないところを。
すごいですよね責任感というか。
いやすごいですよ。
自分にしかできない事を選択したという経験。
吉岡さんはお一人じゃなくて団体をつくって途上国の方の医療をやってらっしゃいますよね。
僕が途上国で医療をやった時は…でも僕は気付いたんです。
僕1人で充分だというわけではなくて…短い期間ですと皆さんどれぐらいで来られるんですか?もう2泊3日ぐらいから来れます。
2泊3日?あっそれでもいいんですか?それでも結構なんです。
しかもびっくりしたのが無償なんですよね。
無償で来られますね。
はいそうなんです。
で例えば技術を上げたいという人も来ますしほんとに純粋に患者さんたちの事を思って来てくれる人もいますけどいろんな人がいます。
たとえ技術がうまくなりたいという人が来たとしてもでも治療を受けられないよりははるかに患者にとっては意味があるじゃないですか。
ですから今まで日本になかったそういう人たちが働くシステムを作り上げれば…医療者はそのために動けばいいという事ですね。
自費で来て医療と向き合う若い人が多いって聞きましたけれどもその人たちはどういう変化というか…。
向こうへ行ったらとにかく治療しなければ受けられない人たち。
でもやれば感謝されるんですね。
そしたらみんながですね…思い出して帰っていくんですよ。
もっと広い視点で見れば…そうですね日本のためにもなる。
ほんと自分にしかできない事を見つけるって言葉ではたやすいですけれども…。
机上では全くわからないです。
ですからやっぱり現場に僕は今でもず〜っと居続けてるのはそこでしかわからない世界がやっぱあるからだと思います。
さあ万次郎の人生を見てきましたけれどもこのあと帰国するわけです。
そのあとどんな人生が万次郎に待っているか見ていきましょう。
漂流から10年後の…24歳になった万次郎は小さなボートで…当時外国から帰ってきた者は犯罪者扱い。
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万次郎も取り調べを受けなければなりませんでした。
それでも万次郎の思いはブレませんでした。
幕府に港を開かせるためアメリカが危ない国ではないと必死にアピールし続けたのです。
しかし役人は聞き入れず万次郎は故郷土佐での幽閉を言い渡されてしまいます。
そのころ時代は大きく動き始めます。
8か月後の…とうとうアメリカが国を挙げて開国を迫ってきたのです。
アメリカとは一体どんな国か。
開国を求める真意は何か。
慌てふためく幕府が目をつけたのが万次郎でした。
万次郎は急ぎ江戸へと呼び寄せられ…ペリーとの…ところがここで思わぬ横やりが入ります。
開国に慎重な元水戸藩主徳川斉昭が万次郎の起用に異を唱えたのです。
その事を示す貴重な証拠が残されていました。
中には斉昭が万次郎に抱く強い不信感が記されていました。
万次郎はアメリカのスパイではないかと疑われ一度は決まった通訳を外されてしまいます。
日本はアメリカと和親条約を締結。
ついに港を開きます。
日本に港を開いてもらおうと命を懸けて帰国した万次郎ですが自らの力でそれを実現する事はできませんでした。
しかし…。
開国したばかりの日本では…万次郎のもとには次々と依頼が舞い込みます。
まずは…これは万次郎が学んだ…今なお出版されている航海術の決定版です。
万次郎はこれをおよそ…世に出します。
更に万次郎は日本初の英会話辞典も執筆。
当時高まっていた英語を学びたいという声に応えます。
いつでもすぐに使う事ができるよう大きさは…そして中身には万次郎ならではの工夫が。
それぞれの単語の発音をカタカナで表記しすぐ役に立つ辞典を目指したのです。
開国間もないこの時代万次郎は…43歳になった万次郎は政府が派遣した海外視察団の一人として再びアメリカを訪れました。
そこで育ての親である…「いつかまた会える日が来ると信じている」。
あの決意の手紙を書いてから20年。
万次郎は約束を果たしたのです。
明治31年万次郎は71歳でその激動の生涯を終えました。
漂流し命をアメリカ船に救われてから数々の困難な選択を迫られた万次郎。
自分の進むべき道をひるむ事なく選び続けた一生でした。
貫いてそして船長に会いに行ったんですね。
再会できたっていうのがうれしかったでしょうね。
見つかった?写真が。
ちょっと見て下さいよこれ。
これがですね万次郎が暮らしたニューベッドフォードの図書館にあったらしいという事でその再会した時の写真ではなかろうかと言われている。
万次郎と船長のホイットフィールド。
…と言われていると。
今調べてる最中らしいです。
へえ〜。
「せっかく会ったんだから写真でも撮ろうよ」ってなったのかなとかね考えると。
いいですよね。
いいんですよ。
どんな話したんだろうなとかね。
ねえ!ねえ〜。
今も交流っていうのは続いているそうですね。
それが26年続いてまして今参加者が4万5,000名になりました。
すごい。
すごいですね。
そのセレモニーに実はホイットフィールド家中濱家から参加してますので毎年そのセレモニーで会う事はありますしまた今ではEメールとか電話でしょっちゅう…。
ちょっと時代を感じますね。
ご子孫同士がまだ連絡取り合ってるってこんなすてきな話ありませんよ。
1回そこに…ありますね。
黒船ペリーのご子孫が。
そこに?そこに。
とんでもない会合が今なおあるんですよ。
いやつながってるんですね〜。
つながってるんですよ今も。
いやすごい。
吉岡さんも単身乗り込んだ時と今のその若い医療従事者たちへの広がり実感としてどういうふうに受け止められてます?今やられてるように…僕の恩師の先生なんかよく言うんですけど命を助けられた国民がその国と助けてくれた国と戦争する事はないって言うんですよ。
そういうふうになればいいなとは思います。
それはお互いに信頼関係ですよね。
あの〜ここまで万次郎を見てきて…吉岡さんどうですか?日頃からサボっててとか楽をしてて同じようなチャンスが彼と同じように巡ってきたとしても絶対こんなにうまくいかないじゃないですか。
物事に対する姿勢をもう一度見つめ直すのにほんとにいい人じゃないかなと思いますね。
その姿勢がまさに人生困った時の選択につながっていくんですね。
いやほんとに深く学びました。
名誉館長今日いかがでしたでしょうか?あと4週やりたいですね。
(笑い声)それぐらいの一生ですからこの方。
自分はほんとにいかに甘く生きているかというのをね感じちゃうんですよ。
この方の話を読んだり聞いたりすると。
私もこの小さな居酒屋の経営でねくよくよ悩んでちゃいけないと思いました。
けん玉だけじゃ駄目ですよ!駄目ですか?こんな店ですみませんでした。
いえとんでもない楽しい店です。
ありがとうございます。
2017/02/28(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉▽人生困ったときの選び方〜ジョン万次郎流されてたまるか[解][字]
幕末、日本を飛び出して世界を見たジョン万次郎。漂流、異文化との摩擦、スパイ疑惑…次々にやってくる困難を前に、進むべき道をどう見出したのか?流されずに生きる極意!
詳細情報
番組内容
幕末に日本を飛び出して世界中を見た男・ジョン万次郎。その人生は思わず耳を疑うほどの困難の連続!土佐の漁師だったのに、悪天候に巻き込まれて漂流、ようやく無人島にたどり着いた後、アメリカの捕鯨船に救助され、それが縁で渡米。当時最新の航海術を身につけると、今度は日本へ命懸けの帰国に挑み、無事帰国した暁にはアメリカのスパイだと疑われ…。どんなときも、進むべき道を確実に選んでいった万次郎、シビレますよ〜!
出演者
【出演】ビビる大木,中濱家五代目当主…中濱京,小児外科医、NPOジャパンハート代表…吉岡秀人,【司会】近田雄一