全文書き起こしサイト

地上波テレビの字幕を全文書き起こします

スポンサードリンク

書き起こし SONGSスペシャル「吉田拓郎〜風のように…なんて考えた事があったなぁー〜」 2016.12.23

吉田拓郎70歳になって初めてのライブに挑んだ。
2時間半フルスロットルで歌いきった。
身を削るようにして拓郎は何を伝えたかったのか?執念とも言える綿密なリハーサル。
体は悲鳴を上げた。
しかし自ら集めた年下のミュージシャンたちと伝えたい音楽があった。
フォークのプリンスとして若者のカリスマになってからおよそ半世紀。
拓郎の人生を決定づけたボブ・ディランをサプライズで歌った。
アンコールで感極まったように見えた拓郎。
彼をここまで駆り立てた原動力は何だろう?「SONGSスペシャル」吉田拓郎。
風のように生きた男の70年。
たどりついた思いに迫る。

 

 

 


(一同)ワンツーワンツーロックン・ロール!おはようございます。
今年8月吉田拓郎は2年ぶりのライブに向けて動きだした。
今回のツアーは首都圏で僅か5回。
しかしリハーサルは1か月半もとった。
異例の長さだ。
そこは今回のステージに特別な意味があるから。
今70歳を迎えられるわけですよね。
ライブ直前スタジオでその訳を聞いた。
今年やろうと思ったのは何か理由があるんですか?70歳をこの間体験した時に随分元気が足らないなっていうのが…自分で思ってるんですよ。
それは体なのか…。
体も精神も心もね…もっと燃えてたはずだっていうのがちょっと足りないなっていう実感があるんですよ。
それは歌ってないからかもしれないっていう事に気が付いて1年半以上やってませんからライブとかを。
歌って自分を試してみたい。
ちょっと一生懸命ほんとに歌うんだという気持ちで…バンドメンバーは全て年下。
拓郎が自ら声をかけ集めた。
(笑い)細かいですよ。
ねえ。
もう聴いてたら絶対分かんないんですけども…私たちをかきたてる拓郎のメッセージはどこから生まれるのか。
原点の青春時代を語ってくれた。
僕は広島出身って事になって鹿児島生まれなんですけれども広島から出てきたんですけどもやっぱり東京に対してはある種のアンチテーゼがあったんですよ。
東京で音楽で勝負するっていうかそういう人生になるんだけども絶対に東京の中心の文化には負けない。
「東京だ」っていうふうにして偉そうにしてるテレビ局とか「東京なんだぞ」って言ってるラジオ局なんかには…そういう連中には何でぃ…という気持ちでやるんだっていうね…昔はテレビにあまりお出に…。
出ませんでした。
それはどういう理由からなんでしょう?それはねテレビ局っていう所で見かけたプロデューサーたちは指輪をはめてる男の人で金時計をしてる人で頭テカテカにオールバックでこうやってるようなそういう種類の人種がテレビ局の権力者だったんですよ。
それってすごい腹の立つ事で…テレビとかテレビ局とかこういうのを僕らは広島で見ていて喜んでたんだなと思った時に「うそだい」と思ってこんなうそな話はない。
うそつきだっていう事になったんです。
僕の中で。
権力への反発首から提げたブルースハープ。
そのスタイルはあの男の影響だった。
字余りの歌詞ぶっきらぼうな歌い方そして歌詞にあふれる反骨精神。
拓郎はディランに憧れてギターを手に取った。
後にディランについてこう語っている。
ディランのノーベル賞受賞を知ってサプライズで歌った。
デビュー当初弾き語りがトレードマーク。
しかし「フォークのプリンス」と呼ばれもてはやされると怒りを覚えた。
もともとフォークシンガーって呼ばれてる事にずっと疑問があって僕は「違うんじゃないの?」っていうのが若い時からあるんです。
僕はスタイルとしてギター一本で歌う事はあるけども…これは吉田拓郎って男が作ってる…フォークソングっていうこういうジャンルに入らないっていうふうに自分ではずっと思いながら。
むしろ僕が好きなのは…アメリカの黒人がやってる音楽が大好きでアマチュアのころは広島でそういうバンドを組んで米軍のキャンプなんかで演奏してたんですよ。
だからそういう音楽の方が好きであまりフォークソングってよく分かってないんですよ自分の中で。
でも世の中は拓郎さんをフォークというふうに言いましたよね。
もう吉田拓郎はフォークソングのオーソリティーのように語られてるんですけどもずっと僕は違うってばって言ってるんですけどもそういうふうに言っても全然認めてくれないわけ。
…っていう感じになっちゃったんですよ。
ファンとか音楽を聴いて吉田拓郎のコンサートに来る人たちはなかなか僕を見抜けない。
だからいまだに…歌ってくれるんじゃないかと思ってるらしいです。
1か月半に及んだ真夏のリハーサル70歳の体は悲鳴を上げていた。
若い頃はねよく酒を飲む男だったんですよ。
もう大変なグラグラくるてんてこまいになるようなお酒の弱さで…よくねいろんなコマーシャルとかねサプリメントのお話とかをコマーシャルで見てると50代60代から人生が始まるっておっしゃってる人がいらっしゃいますけども僕は大うそつきだと思っていますので。
拓郎は今の自分自身と向き合った曲をセットリストに加えた。
2年前に発表した「アゲイン」。
一人の70歳のおじいちゃんがステージで…自分が口下手だったとかそういうのが苦手だとか思わないんですけれども…拓郎は仲間を大切にする。
自分だけ目立ってもライブで良い結果は出ないからだ。
今回は若いコーラスを加えた。
刺激をもらい新たな音を作るために。
バンドマスター武部聡志は初めて参加したメンバーへの拓郎の気遣いに驚いた。
「新しいバンドの一体感を観客に伝えたい」。
拓郎はメンバー全員で歌う演出を考えた。
ワンツー…ワンツースリー。

(拍手と歓声)そして自分を支えてくれたミュージシャンたちに感謝を込めて拓郎はメンバー紹介にこの曲を選んだ。
「全部だきしめて」。
今日まで一緒にやってくれたすばらしいミュージシャンたちを紹介します。
温かい声援をお願いします。
ドラムス河村“カースケ”智康。
パーカッション玉木正昭。
ベース松原秀樹。
ギター渡辺格。
コーラス加藤いづみ。
吉岡悠歩。
今井マサキ。
土居康宏。
・「全部だきしめてきみと歩いていこう」・「きみが笑うならきみの笑顔まで」ギター鳥山雄司。
キーボード武部聡志。

(コーラス)・「全部だきしめて」・「全部だきしめて」・「全部だきしめて」・「全部だきしめて」やっぱり打ち込んでるなと思うんですよ。
我ながら今回。
自分でもう既に何か月も前から曲順を決めてああでもないこうでもないって考えながら…70歳になった拓郎。
今の自分が選ぶならベスト5はこれという楽曲をラジオで発表した。
1位は名曲「人生を語らず」。
そして2位がこの曲「朝陽がサン」。
自ら作ったレコード会社を離れた2001年心機一転で発表した曲。
拓郎は今新しい一歩を踏み出す思いをこの曲に重ねている。
今回のライブで最後に「人生を語らず」っていうのを歌いますよね。
それは作った時のお年が28歳でいらっしゃって私実は今29なんですね。
自分が去年人生の事を語ろうなんて思うかなと思ったら絶対ないんですよ。
どんな心境だったんですか?この時は。
だから21〜22の若者にしては言ってる事とか話してる事とかお酒を飲んだりして討論してる事とか全てねすごく304050ぐらいの…不思議なんですけどね僕に限らない。
みんな当時のフォークソングっていう人たちが作ってる歌詞はかなり老成してます。
言い方を良くすればかなり達観した考え方をする若者がいっぱいいて…そういう若者がいっぱいいたんですね。
今とは随分違うんですよ。
当時は「Don’ttrustover30」って言って「30以上を信じるな」という合言葉があったんですよ。
30ですよ。
30って言ったらもうおやじだったんですよ。
いやいやいや。
だから僕らは楽器を弾きながら30になったらやめようぜってこんな事は。
もちろん40になったりしてギターなんか弾いてたらもうとんでもない話だったんです。
70になってやってるんですよまだ。
今もう人生を語る事はできますか?今語れるような気がしますね。
そういうのは含めて考えるとねいろいろだったなっていう気はしますけども。
ただそれらもね…いいんですよ音楽の中に浸ってると。
アンコールのラスト歌い終えた時拓郎は深々と頭を下げ感極まった表情を見せた。
46年間音楽を糧として歩んできた人生の喜びが全身からあふれていた。
吉田拓郎70歳のメッセージ。
「人生を語らず」。

(コーラス)・「越えて行けそこを越えて行けそれを」・「越えて行けそこを越えて行けそれを」
(拍手と歓声)2016/12/23(金) 22:50〜23:50
NHK総合1・神戸
SONGSスペシャル「吉田拓郎〜風のように…なんて考えた事があったなぁー〜」[字]

吉田拓郎のライブを独占収録▽旅の宿・落陽・春だったね・人生を語らずなど名曲をたっぷり▽8月に行われたリハーサルの密着ドキュメント▽ボブ・ディランをカバー

詳細情報
番組内容
70歳になった吉田拓郎のライブを独占収録▽なぜここまで全力で走り続けたのか?▽ラストで感極まった理由は?▽「旅の宿」「落陽」「春だったね」「人生を語らず」など名曲をたっぷり▽更に8月に行われたリハーサルの密着ドキュメントそしてNHKで行った単独インタビューを一挙公開▽年齢との戦いを通じて感じた思い▽憧れのアーティストボブ・ディランをカバー▽70年という歳月で達した拓郎の音楽への熱い思いに迫る
出演者
【出演】吉田拓郎