(淳也)・「希望が遠ざかり」・「今の自分に自信がなくて」渡勝子さんと淳也さん親子です。
淳也さんは8年前脳内出血で倒れ体と脳に重い障害を負いました。
息子のため自宅での介護を決意した母。
それは想像以上に厳しいものでした。
(勝子)123だよ。
まだまだまだまだ…。
まだだよ。
まだだよ。
いくよ。
123!うわ…。
よいしょ!よいしょ!重いな〜。
勝子さんが書いた手記には親子の壮絶な日々が赤裸々につづられています。
笑顔を忘れた日々。
そんな2人を救ったのは淳也さんが大好きな歌でした。
本当に奇跡を見せてもらったと思ってる。
うん。
歌があるからね。
俺はね。
深呼吸してみな。
1234…。
「今を大切に生きていく」。
手記を基に渡さん親子の日々に寄り添います。
こんばんは。
「ハートネットTV」です。
今日は昨日に引き続きNHK障害福祉賞の入選作品をご紹介します。
今夜は福島県いわき市にお住まいの渡勝子さんの作品「今を大切に」です。
作品には突然倒れ障害を負った息子さんの介護に奮闘する姿がつづられています。
まずは渡さん親子の日々からご覧頂きます。
(勝子)淳也おはよう。
(淳也)おはよう。
は〜い。
今日いい天気だよ。
そう。
うん。
いい天気だ淳也。
朝7時半。
よいしょ。
よっこいしょ。
よっこいせ。
よいしょ。
はいこっちも。
…ああいいね。
楽だね。
このくらいいつも曲がっといいね。
右曲がったね。
大したもんだ。
はいカウントして。
高次脳機能障害を負っている淳也さん。
障害の程度は重く体を動かす事はままなりません。
特に体の左側に麻痺が強く残っています。
左手を動かすのも一苦労。
はい今日もお願いします。
お母さん年取ってるので。
車椅子に移ります。
いくよ。
…足滑んないでね。
はいいくよ。
123!身長180センチ。
がっしりした体格の淳也さんを支えるにはかなりの力が必要です。
常に話しかけよく笑う勝子さん。
でもその笑顔が消えた時期がありました。
東京で1人暮らしをしていた淳也さんが脳内出血で倒れたのは27歳の時でした。
発見されたのは18時間後。
幸い命は取り留めたものの重い障害が残りました。
勝子さんは淳也さんのためそれまで勤めていた会社を辞め介護に専念します。
はいバックするよ。
はいバックして。
はい左手動かす。
「治してみせる」って。
「こんな病気ちょろいもんだ」みたいな。
「母親だから治せる。
私が治せる」と。
「私に治せない病気はない」。
そんな思ってたんで…。
はい左手頑張ってね。
頑張ってね。
いくよ。
いくよ!はい。
はいよ。
自分で立ちな。
昼間は毎日2人きり。
うん。
はい立った立った。
はいよ。
しっかりね。
はいごはん食べるよ。
はい行くよ。
はい来な!お母さんの方。
こっち。
逆逆逆…。
一回転しちまう。
お母さんどこだ?お母さんに来て。
お母さん…。
勝子さんは介護にリハビリを取り入れました。
しかし淳也さんは何か月たっても車椅子を動かす事さえできません。
なかなか思うようには回復しない現状にいらだちだけが募っていきます。
障害のせいだと分かっていてもつい声を荒げてしまいました。
180度自分の息子が変わっちゃってそれに私が順応できなかった。
受け入れられなかった。
「何で?何で?何で?」みたいな。
どんどん怒ってくと怒りに火がついて「ダ〜ダ〜ダ〜ダ〜!」みたいな。
それで自分でも疲れちゃって…みたいな。
そんな毎日の繰り返しで。
淳也さんは色や形でものを識別する事がうまくできません。
ごはん探してみな。
ごはんどこにいっか。
探してみなごはん。
目の前のものが何なのか分からなくなります。
ごはん探してみな。
俺のごはん。
俺のごはんどこだっぺ。
返事しねえだろごはん。
うん。
そのため片ときもそばを離れる事はできません。
これっぽい?そうけ?記憶力が弱く近くに人がいないと不安になってしまう淳也さん。
24時間付きっきりでの介護は勝子さんを追い詰めていきました。
疲れ果てた勝子さんは最悪の選択をします。
ゆっくりね。
はい自分の脚を上げつつ…。
それまで勝子さんがどんなに厳しく怒っても反抗しなかった淳也さん。
心中しようとした時だけはありったけの力で抵抗したといいます。
私が本当に…本当に命を絶とう。
…であの子の命を絶とうとした時にやっぱり「これは駄目だよ」みたいな。
「何やってんの!」みたいな。
「お母さん!」みたいな…。
スタジオには渡勝子さんと淳也さんにお越し頂きました。
よろしくお願いします。
(2人)よろしくお願いします。
お願いします。
勝子さん今映像を見て涙を流されていましたけども大変な時はたくさんありましたね。
はい。
まあ今も現在進行形なんですけどあの時よりは自分で生きたいって生きるって思えるようになったんで。
ねっ?楽しまないとね。
ねっ?はい。
ありがとう。
一番大変だった事って何ですか?記憶ができないっていうのはやっぱり…。
全部体の動きも忘れちゃうし本当に食べた事も忘れてしまうのでそれはつらかったです。
病院を退院する時に「聞き流しなさい」って言われてたんですけどそれがもう1対1なので全部耳に入っちゃってそれで「今食べたでしょ!」みたいな。
それでちょっといらいらが募りましたね。
お母さんどんな姿ですか?怒る時って。
おっかない。
おっかない。
「何でこんな怒るんだろう?」って。
「何でこんなに怒るんだろう?」って。
障害だからしかたがないと分かってはいるけれどもどうしても…。
うん。
もうちょっとこう広〜い気持ちでゆったりした中で看病できたらなって…。
焦んないでね…。
それが焦っちゃったね。
早く歩かせようって。
歩かないんだったら這わせようみたいな。
ベッドから引きずり降ろして。
もうきっと壊れてたんだと思います。
私の中でも精神状態が…。
治してあげると思ってうちに退院したんだけどちょっと私にはやっぱり荷が重すぎたんだろうかって自分の中で自分が壊れていったんだと思います。
淳也さんは抵抗しようとはしなかったんですか?お母さんに…。
怒られていた時に。
いやそのとおりだなっていう。
…しか思えなかった。
反抗するという事は…自分に負けてんのかなって。
2人で死のうと思った時期もあったと。
(勝子)はい。
これもつらかったですね。
うん。
そうですね。
何回も…1回2回じゃないね。
一緒にね。
だけど「死なない」って。
俺には夢がある。
うん。
淳也さん。
はい。
その夢を教えて下さい。
芸能人です。
芸能人!?はい。
芸能人になりたい?はい。
ちなみに誰になりたいってこういう人になりたいっていう人はいますか?フフッ…恥ずかしいんすけど。
フフフ。
いいですよ。
木村拓哉さんとか…。
木村拓哉さん。
あっキムタク。
はい。
ああ〜そうですか。
はい。
そういう芸能人になりたいという夢を持っていた。
ありえないですけどね。
いえいえ。
そういう夢が2人の苦しい生活を変えたんですね。
どんな出来事があったんでしょうか。
こちらをご覧下さい。
・「手を合わせてそこに生まれる」渡家には毎日淳也さんの歌声が流れています。
幼い頃から芸能人になりたいと夢を抱いていた淳也さん。
倒れる前は雑誌などのモデルをしながら活動を広げていました。
歌が大好きで自ら作詞作曲しギター片手によく歌っていた淳也さん。
障害を負ってからも夢と歌う事だけは忘れませんでした。
歌っている時は穏やかな時間が流れていました。
11月11月。
11は…11。
書いてみな。
今日のお昼何食べたか覚えてっけ?お昼。
もやしいっぱい入って…。
うん。
うん。
何そばだったっぺ?お昼に食べたの。
うん!ピンポンピンポン。
「やきそば」って書けっけ?リハビリのため文字を書く練習をする淳也さん。
(勝子)やきそば。
やきそばだけでは何か寂しいよね。
それがどうしたんだっけ?今も単語と単語をつなげて一つの文章を書く事がなかなかできません。
ところが介護を始めて3年目。
ある出来事が起こります。
「戻ると紙に何か書いてあった」。
「あなたのなみだが心から消える時が来るなんてありえないよね」。
それはまるで詞のような一文。
「音楽が大好きな息子。
歌の歌詞なら書けるかもしれない」。
この子は音楽っていうか音楽に対する能力なら記憶できるんだって。
前の言葉が記憶できるんだっていう事が目の前で見せてもらって本当に奇跡の瞬間で…。
絶対曲にすれば絶対残ると思ったんで能力っていうか脳に記憶できると思ったんで…。
そして2人はこの詞にメロディーをつけ一つの曲を完成させます。
また私が笑顔の似合う明るいお母さんに戻ってほしいっていう私に対するメッセージかなみたいな強くすごくこれは感じましたね。
2人は月に一度いわき市内にある仮設住宅を訪ねています。
その中にある集会所ひだまり。
初めて訪れたのは5年前。
原発事故の影響でふるさとを離れた人たちのため淳也さんの歌で励ませたらと思ったのです。
おはようございます。
よろしくお願いしま〜す。
皆さんおはようございま〜す。
(一同)おはようございま〜す。
(勝子)今日は11月の25。
(淳也)25。
淳也年いくつになったっぺ?年。
24?
(観客)鯖読んだ!
(一同)ハハハ…!
(淳也)32?
(勝子)あっ惜しいな。
32から3年たった。
35だ。
うん。
35歳になりました。
(観客)正解!やったぜ。
今日も一日よろしくお願いします。
ありがとうございました。
(拍手)大きい声で歌って。
はい。
この出会いが淳也さんによい影響をもたらします。
はいスタート。
「ねんねん」だよ。
(一同)・「ねんねん」記憶力に改善の兆しが見えたのです。
・「ねんねんころりよおやすみよ」
(拍手)
(観客)かわいい!ありがとうございます。
俺?この俺が?うん。
かわいい?かわいい。
(淳也)うそ〜。
うそうそうそ〜。
ありがとうございます。
風邪ひかないでね。
はい。
風邪ひかないように。
ここでもらった笑顔を失わずまた会いに来たい。
その思いが2人の支えです。
あっ吸い取られて…吸い取られた!苦しい〜苦しい〜。
若さを取っちゃうのよ。
いや〜本当にいい場所ですね。
ありがたいです。
本当に。
うまいですね歌。
ありがとうございます。
本当ですか?本当ですよ!フフフ…!本当ですよ。
うれしいです。
いや〜本当ひだまりであのような笑顔がこぼれるって…。
入った途端にまた表情もがらっと変わりましたしね。
そう。
ありがたいんだよね。
ありがたい。
これはひだまりの方が作ってくれたお守りですよね。
歩けるようにわらじねとかスリッパねとかあとお守りとかもっともっとあるんですけど本当にね気持ちも一緒にこのスタジオに来て頂けたらなと思いまして。
こうやってたくさん応援してくれて。
はい。
いつも一緒だっていう思いもねうれしいですよね。
すごいうれしいです。
ずっと淳也さんが歌が大好きだった。
はい。
夢があるっていう。
はい。
「記憶できないのに何が夢だ」ってけなしてたんですけど。
それが今となっては…。
はい。
歌でこういういろんな方のつながりを得られて今こうやって振り返ると体の回復よりも穏やかな気持ちの中で毎日生活する事がこの子にも私にも家族にもあと応援してくれる方々に対してもあと近所の方もたくさん応援してくれてるのでその方たちに対する恩返しになるかなって穏やかな気持ちで生活したいと思います。
誰だ?誰だ?祥大。
おお〜。
祥大。
淳也おんちゃん。
淳也おじさんだよ。
だっこちて。
だっこしてって。
最近渡家にうれしい出来事がありました。
淳也さんの甥っ子祥大くんの誕生です。
淳也は毎日がどんな日だったらいい?楽しい毎日。
楽しい毎日。
うん。
そっけ。
この日淳也さんが愛用していたギターを出してみる事にしました。
淳也ここで弾けるかな?もうちょっとバックしようか。
バックしようか。
(勝子)手のひら出してみな。
そうそうそう。
不自由な左手でギターを支えます。
淳也のギターも「弾いてほしい」って言ってるよね。
(ギターの音)でも久しぶりに弾いたギターの音は少しずれていました。
取材クルーがチューニングをしてみます。
少しずつよみがえっていくギターの音。
(勝子)淳也のギターだよ。
(ギターの音)
(取材者)もうちょっと待ってね。
もううれしい。
それだけでもううれしい。
(ギターの音)左手動くといいね淳也。
奇跡が起きるかもよ。
ほら起きろ起きろ起きろ…。
「弾かせてくれ」って。
弾かせてくれ。
「弾かせてくれ」って。
「いつかまたこのギターを弾きたい」。
それが淳也さんの夢です。
うん…うんそう。
うん。
(取材者)左手グーパーで。
(勝子)おっいいね。
おおいいねグー。
うん。
(取材者)何かさっきより動いてる気が…。
グーパーグーパーグーパーパー。
(勝子)うん。
すごいですよね。
動くもんやっぱりね。
ギターに触ったからかな。
ねっ?自分が希望を持ってればこの人はきっと応えてくれると思うので夢を…希望は…奇跡は…諦めません。
・「笑顔で笑顔で笑顔で」2016/12/28(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV NHK障害福祉賞2▽介護に追い詰められた母子を救ったもの[解][字]
障害のある人など体験記を募集するNHK障害福祉賞。今年の受賞作を紹介。高次脳機能障害を負った息子と介護に奮闘する母。介護に追い詰められていく親子を救ったものとは
詳細情報
番組内容
ハートネットTVはさまざまな「生きづらさ」を抱える人たちのための番組です。テーマは、貧困・虐待・自殺・うつ・依存症・発達障害・認知症・がん・難病・介護・リハビリ・障害・LGBTなど様々。ホームページも情報満載!みなさんがつながりあえるよう情報交換の場も設けています。