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書き起こし 徹子の部屋 野口五郎 2017.01.26

巫女が色鮮やかな「もち花」をつけて仕上げます。
節分までに大小900本が準備されるということで大社は、吉兆の彩りで一足早く春を迎えたような雰囲気に包まれています。
「君はもう君は還らない」

 

 

 


(黒柳)今日のお客様が16歳の時の熱唱の場面でございましたけれども。
1970年国民的スターに上り詰めトップアイドルにして大活躍だった野口五郎さん今日のお客様です。
しばらくでした。
お元気そうで。
しばらくです。
今日はよろしくお願いします。
(拍手)なんとその野口さんも15歳でデビューして今年45周年っていうことでございますもんですからそれとそれとを足しますと…。
ぴったりです。
ぴったりですね。
ちょうどあなた還暦?そうです。
お若いわね。
今みんな若いからもうあれですけどね。
もう来月プラス1になっちゃいます。
もうそんな?はい。
還暦すぎ?はい。
ホホホホホ…。
「ホホホ」じゃないです。
「ホホホ」…。
あなたがね。
そうです。
今あれ歌っていらしたの16歳ですよあなた。
あれ16歳ですね。
でもあなたもあれですよね年上の先輩がたくさんいらっしゃって。
ハナ肇さんとかクレージーキャッツの皆さんがとても可愛がってくだすったんですって?もう僕がデビューして…15歳ですからもうその頃テレビ創成期といいますか九年会の方…8年…九年会の方とかはすごく可愛がっていただいて。
谷啓さん始めハナさんもそうですし本当…。
いかりや長介さん。
長介さんも可愛がっていただきました。
それであなた加藤茶さんに転び方を習ったっていうのは本当なの?それ。
そうなんです。
いやまあ本当歌手ですからそんな必要はなかったんでしょうけど。
例えば大橋巨泉さんの司会の時の間ですね。
間のおき方こう…。
やっぱり音楽的なんですね皆さん全てが。
リズムが。
リズムだったんでその…ドンと誰々…。
「五郎」っていくんじゃなくて「五郎」ってこう8分休符が「五郎」ってくるような…。
ああすごいなとか。
あともうこけ方。
ポンっていうそのこけ方をあの休符をどういうふうにして作ってらっしゃるのかなと思って。
今でも…ちょっと見せてっていうの…。
なんか3段階あるそうですけど。
「本当真剣に教えてください」って言われて…「じゃあ教えるよ」って言われたんですけど。
そういうの私知らなかった。
この方がそういうのできるって。
いや要するに軽くこける時これ右でも左でも使えなきゃいけないんですけど。
だから軽くこける時は例えば歩いててこう…。
うまい!こうですね。
すごい。
本当に転んだのかと思った私。
大きくこける時はもうちょっと上のほうでこうこけるんですけども加藤さんに教わったのはこのかかとに足を掛ける。
これを右でも左でもどのタイミングでも8分休符でパッパッてどっちでも掛けられるように練習しろって。
それで前につんのめる?そうです。
それで大きくこける時はこの膝の真後ろ。
そうすると飛んでいっちゃうんです。
そう。
そうすると本当にそういうふうに転んだみたいに見えるの?そうですそうです。
それを教わりましたね。
つんのめるっていう感じに…自分でやればね。
はい。
さてさっきの16歳で歌っていらっしゃるのがありますけど15歳でデビューなすって。
初め演歌歌手としてデビューなすったんですってね。
演歌だったんですけど。
でもちょっとヒットしなかったんで今度ポップス歌手に転向してそうして出した曲が大ヒット。
それで国民的スターになっていく。
当時ファンの声がすごくてなんか女の子たちがあなたの指さすほうで倒れたんだって?「失神」とかいう言葉がはやってる時代…。
こういうふうに指さすとその方角が倒れるんだって?そうそう。
「君は」ってこうやってやるとこっちが…お客さんがザーンと倒れて。
今度「君は」ってやるとこっちが…。
ザーンと倒れる?そのうちお客さんいなくなっちゃって。
そうよね。
さっきの16歳の時のがちょうどございましたので歌っていらっしゃるところをちょっと歌番組ご覧いただきたいと思います。
16です。
うわっ。
すごい。
ここから撮ってるのすごいな。
本当ね。
「泣いて叫ぶ僕のこの手に」すごいわね後ろから撮ってる。
「君は」これだね倒れるほうが…。
「もう君は還らない」いい声ね。
いえ…。
「泣いて叫ぶ僕のこの手に」ああすごい。
なんか…。
随分揺すってるね体ね。
そうですね。
こんなことをやってたんですね。
本当揺すってらっしゃるのね。
まあそういうふうなだったんですけども。
あなた美空ひばりさんの曲をお作りになった米山先生?はい。
実はもうひばりさんが大好きでそれでひばりさんには到底届かないので『リンゴ追分』をお作りになった米山正夫先生のところで何とか弟子に…門下生になれたら嬉しいなと思って米山先生が審査員をなさってるオーディション番組に狙って出続けたんです。
何とか覚えてもらおうと思って。
それで米山先生の練習生といいますか…。
うまくいきました?はい。
でもその頃なんか変声期が来ちゃったんですって?はい。
曲も出来上がって…。
中学2年の13歳で上京したんですけど2週間…15日目に変声期になってしまって。
うわーちょっとね…。
もう変声期なんで…15日目で変声期になってしまって米山先生のところへ行ったら「変声期だからちょっとしばらく休んだほうがいい」って言われて夢と希望を持って上京したんですけどもう未来も過去もその時はなくなってしまいまして。
それはそうだわね。
はい。
これごく最近なんですけどおやじ今…20年前に他界してるんですけど最近…何かな?と思ってごく最近出てきた…おやじの手紙が出てきたんですけど。
お父様からの?はい。
こんなことが書いてございました。
どんなこと?「昭和44年5月3日」「自分はもとより妻も次男も永久に忘れることのできない日付である」「子供も大きなギターを唯一の財産として当てもない東京未知の世界へ」「子供のはかない希望を叶えさせるためにとはいうもの今振り返ってみるとよくもできたものと自分自身あきれるこの頃」と書いてございます。
お父様何歳ぐらいだったんでしょうねその頃。
今のあなたよりずっと若いでしょう?全然若いです。
50前だと思います。
ねえ。
そう。
本当に月に1回おやじが仕送りといいますかお金を持って東京に来てくれるんですけどスッと帰っちゃうんですよ。
悲しくなって追い掛けたんだけどお父様全然振り返らなかったんですって?そうなんです。
僕もう駄目なので変声期で声も出ないからもう駄目だから「おやじもう駄目だよ。
僕は帰るよ岐阜へ帰るよ」って言おうと思って後をくっつけるんですよ駅まで。
で気付かれたくないしでも気付いてほしいという気持ちで。
でも気付いてほしい。
でもおやじは気付いてるはずなんですけども振り向くこともなくそのまま地下鉄へ…毎月入って…。
そう…。
それもねここにちょこっと書いてあったんですけども…。
「上京して15日にして声変わり。
月1度の東京詣で」「帰る時はさよならも言わず走り去り地下鉄に乗り寂しさを紛らわせつらさ一つ一つが走馬灯のように次々浮かび今どうにか歌手として成長した次男と…次男をテレビで見た時自分の子供として実感が湧かず」と書いてございます。
そう…。
「小学生時代ギターを持ちアンプを持ちあちこちとのど自慢に付き添っていた時応接間でテープレコーダーを師匠として練習に練習を重ねてそばであれこれ文句を言ってた当時が一番懐かしく子供とのつながりひしひしと感じられるこの愛」と書いてあります。
でもなんていう親子愛でしょうね。
僕は子供にできないですねそんな崖から落とすようなことは。
そんな子供のはかない夢を果たすためとはいえ自分にできるかなっていったら…。
これ…。
はい。
右が母親で左がおやじなんですけど。
可愛いわね。
あなたお父様の何してるんだろう?白髪見てるんですかね?何してるんでしょうねなんかね。
瞬間的に色んなことを思い出すでしょ?こういうのを見ると。
駄目ですねもう。
最近はもう思い出しちゃうとつらいですね。
つらいというかなんで言ってくれなかったのかなとか…。
お母様は?元気です。
まあね本当にアイドルといわれてた方にもそういったね色んな苦しみがあったんだと思いますよね。
これが米山先生の直筆の譜面なんですよ。
えっ本当?『友情の花束』?っていう曲が僕の本当はデビュー曲だったんです。
これでデビューするはずだったんですけど15日目で変声期になってこの曲がなくなってしまったんですけど。
それの声が入ってる…。
あるんですか?テープがあるんですってなんか。
いいです?ちょっと聴いて。
どんな声かちょっとその変声しちゃった…。
「いつか君が僕にくれた」「白い花束」「胸に抱いて固く抱いて」「別れを告げた」中学2年です。
「泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて」この辺もう出ないんですね声が。
そうなの?もう出てないんですね。
そう…。
これ自分でキーを…コードをですねだんだんだんだん下げていってるんですねこうやって。
そうなの?本当だ本当だ。
最初はDマイナーだったのがCマイナーになって最後Eマイナーって…。
随分下がってますね。
1音高くなってそれをオクターブ低く歌ってるんですね。
1音上げてオクターブ低くして。
そうじゃないともう声が出なくなってきたの?声がだんだん低くなって。
でもね『友情の花束』っていうの本当だったらこれでデビューだったんですか?はいそうです。
すごい。
僕の宝です。
そうですか。
なんかこういう話伺うと胸がいっぱいになりますよね。
でも色んなお父様の若い頃のことを最近知ったりなんかして。
お父様もやっぱり歌手になろうと思った時代があったっていうことがなんかわかったんですって?そうです。
最近まで知らなかったんですけど。
本当に自分のことを話す人ではなかったので。
戦前に絵が好きだったんでずっと絵を描く仕事をしていたんですけどやっぱり一方歌が好きで。
その当時のど自慢大会があってそれで優勝すると歌手デビューができるというのがあったらしく。
ある時名古屋のほうへ出ていってコンクールに出て2位だったらしいんです。
あら。
その時の1位が田端義夫さん。
えー!で田端さんとはずっとライバルで切磋琢磨してたみたい…。
田端さんも岐阜の方なんで。
そう…。
はい。
随分偶然ですね。
そうなんです。
で翌年は次はおやじが1位になってデビューしようと思ったら召集令状が来て…。
兵隊さんにいらしたの?そのまま…はい。
無事に帰っていらして良かったね。
無事に帰ってきたんですけど帰ってきた時にヒットしていたのが『かえり船』という曲だったんですね。
田端さんの?うわー…。
僕はおやじに教わった曲っていうのはたった1曲だけ。
『かえり船』という曲なんですよ。
なんでこの曲を僕に教えるのかなっていうのは50年以上経って初めて知ったというのか…。
田端さんとライバルだったっていうのが。
でも照れ屋のお父様はいつもあなたに「お前の味方だぞ」って仰ってくださってたんですって?それはもう…そうですね。
僕が随分大きくなってからなんですけどひと言だけ。
「どんなことがあっても…お父さんはお前の味方だからな」って言ってくれたことがすごく嬉しくて。
なるほどね。
自分に子供ができたら絶対それを言ってやろうと思って。
でも僕の時は僕が19か二十歳ぐらいの時におやじに言われたんですけど待てないんで幼稚園の頃からずっと言ってます。
今子供何人いるの?今2人ですけど。
小6と中2でずっと味方味方って言ってます。
そうすると歌手になりたいらしい?隠れて歌ってますね。
そう…。
隠れて…。
お姉ちゃんのほうはずっとピアノをやってるんですけど息子のほうは隠れて…。
歌ってるらしい?ほう。
今日は実はですねせっかくおいでいただいたんでここで野口五郎さんに歌っていただこうと思ってるんですよコマーシャルの後で。
いいですか?この流れでということで。
さて野口五郎さんに歌っていただくんですけど何ていう曲を歌っていただけますか?ものすごく僕は勇気がいることを今やろうとしてるんですけど。
実は『黄昏のビギン』という曲なんですが。
永六輔さんと中村八大さんなんですがすごく最近もう…なんかずっと興味があるんですけどすごく仲がおよろしかった黒柳さんの前で僕これを歌うというのはすごく勇気がいる。
これを一人で実はゆうべカラオケを一人で作ってきたんですよ。
今はパソコンで色んなストリングスとかそういったものも全部作れるので。
ご自分で?はい。
全部機械音で作ってきました。
じゃあ『黄昏のビギン』。
勇気いりますけど…。
じゃああなたの作ってくだすったオーケストラで?はい。
僕野口五郎オーケストラでやってみます。
じゃあお願いしますね。

(拍手)ありがとうございました。
永さんも八ちゃんも喜んでると思う。
嬉しいです本当…。
本当ねえ。
ついでなんですけど…。
はい。
ほんのひと節なんですが『上を向いて歩こう』という曲なんですがこれを自分の声だけでカラオケを作ってきたんですよ。
えー!ほんの50秒で終わっちゃう…。
お願い。
お願い。
お願いします。
すいません。
やってみていいですか?いいですいいですよ。
「上を向いて歩こう」「涙がこぼれないように」「泣きながら歩く」「一人ぽっちの夜」「上を向いて歩こう」すごい!よくそんな高い声出ますね。
いやすごい。
じゃああれはあなたご自分で…自分の声で作ったの?そうです。
例えばテープレコーダーが12個あるとしたらそれに1個1個入れて全部同時に再生するとこういうふうに自分の声で…。
すごいわね。
あなたそういうの好きなの?大好きなんです。
昨日夜作って。
夜?はい。
2曲。
すごい。
2曲も大変でしたね。
そうですね。
考えるのに大体2日ぐらいかかって録音するのにやっぱり2日ぐらいかかってやると50秒で終わっちゃうっていう。
でもやっぱり今の…誰もやったことのないタイプのアレンジだったんだけど。
『上を向いて歩こう』ねあんな高い声ですごい素敵な…。
なんかね私なんか若かった頃の九ちゃんを見てるような気持ちがしましたよちょっと本当に。
野口五郎さんは45歳の時に元タレントでいらっしゃいました三井ゆりさんと結婚なさいまして16年?はい。
お二人のお子さんがいらっしゃって奥様には色々感謝することがあると。
そうですね。
まあ本当に僕は夢追い人なんで夢ばっかり追い掛けててあの…よく我慢してくれてるなと思います。
そして僕の母親の面倒もよく見てくれてるし本当に…。
いい方と結婚なさいましたね。
本当に感謝しております。
本当にね。
はい。
ありがとうございます。
でもデビューなさってからこれだけになるんだけど毎日自分の声帯のことを考えなかったことはなかったってあなた。
僕…そうですね。
振り返った時に毎日自分の声のコンディションっていうのは考えなかったことがない…本当にないです。
それだけはむしろデビューする前から…上京する前から歌手を志した頃から1日たりとも自分の声の状態を確認しなかった日はなかったですね。
そうでしょう。
さっきの高い声ねビーンって出てたんでね。
そうですね。
新幹線乗ってても自分の声が要するに遠鳴りするかどうかって確かめるんですね。
どうやるの?5番目ぐらい先の人に届くかどうかっていうんで…。
ンー。
ンンンンンー。
ってやるんですよ。
うん。
これが遠い人まで届けばオーケー。
すぐここの人が…近くの人がふっと振り向いたらなんか近くで鳴ってるな駄目だな…。
今どうやったの?ねえ教えて。
私音楽学校を出てるけどそういうの習わなかったね。
これ僕も学校へ行ってないので全部自分で…。
イメージなんですけどそのまま声をこう脳天にぶつけてる感じで。
だから…。
ンー。
ンー。
アー。
ンー。
アー。
蚊が飛んでるみたいですね。
そう。
そうですか。
そういうふうにして毎日毎日声のことを心配して…。
そんなことばかりで。
でもすごいですよね。
45周年だっけ?そうです。
45周年おめでとうございます。
ありがとうございます。
本当にね。
コンサートをなさいますこの方が。
ぜひいらしてください。
2月5日に。
はい。
オーチャードでコンサートをやります。
あのすごいオーチャードホールでなさるそうでございますよ。
それからなんか全曲デュエットのアルバムで色んな女の方たちと一緒に?はい。
男は全部僕なんですけど女性の方がそれぞれ色んな方に…。
小林幸子さんとか研ナオコさんとか色んな女性の方と。
はい。
早見優さんから…。
早見優さん?いいわね。
色んな方に。
それデュエット…曲ばかり?全部僕と大谷さんという2人でアレンジして演奏も自分でできるだけたくさん全部してドラムベースに…。
すごいわね頑張って。
それは2月22日ってだいぶ先なんですけどそれに出るそうでございます。
えー。
でもそういうふうに着々とね元気でそういうふうになさるの本当にいいと思いますよね。
ありがとうございます。
ねえ。
『ベストテン』で最初に出てきてあなたがほら本当に冗談を仰ると…。
他の人の時はならないんです。
そうやってあなたの時だけ煙たいて大変でしたね。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
野口五郎さんでした。
ありがとうございます。
2017/01/26(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 野口五郎[解][字]

〜見守ってくれた父の愛…&感動の歌声!〜野口五郎さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
15歳でデビューし昨年45周年を迎え、現在60歳!野口五郎さんがゲスト。スタジオでは永六輔さんの名曲『黄昏のビギン』の「徹子の部屋 特別アレンジ版」をギターで熱唱。さらにサプライズで…
◇番組内容
デビュー当時は先輩に可愛がられた野口さん。“転び方”の勉強がしたくて、加藤茶さんに聞きに行った事があるという。転び方には3段階あって…と、今日はその技を披露!アイドル時代はコンサートでファンが失神してしまうという伝説もある野口さんだが、デビュー前には辛い挫折の日々があったと語る。また、最近になり父親も実は歌手になる夢を持っていた事を知った野口さんが、父が残した手紙に綴られた“父の愛”に涙ぐむ姿も…