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書き起こし 徹子の部屋 小林亜星 2017.03.02

(黒柳)こちらは今日のお客様がですね41年前ちょうど『徹子の部屋』が始まった時にご出演くださった時の作曲家の小林亜星さんです。
まあそれからお太りになったりお痩せになったかちょっとわからないんですけどもお元気でいらっしゃることは確かなんでね本当に。
どうもありがとうございます。
素晴らしい名曲をたくさんお作りになっていらっしゃるっていうことでも…。
色々お話伺います。
どうもよろしくお願いします。
(拍手)いやあ小林亜星さんの曲は素敵な曲がいっぱいあって。
私クイズやってるから「この木なんの木ふしぎな木」って。
あれ亜星さんだって伺った時嬉しかったですよ。
お耳を汚して…。
いえいえ。
奇麗な曲でね。
ありがとうございます。
素敵だなと思っています。
それから色んな…。
それからあの都はるみさんの『北の宿から』。
珍しく演歌に挑戦してみました。
そう。
そしたらそれが大ヒットでね本当によかったと思いますけど。
ありがとうございます。
その他たくさんもうねもうわからないぐらい…。
8000曲ぐらい?全部で。
そういうことを言われると恥ずかしいからね内聞にしてもらいたい。
内緒にして?あとコマーシャルもいっぱいあるしね。
そういうのも入れてですからね。
でもまあそれにしても8000だったって何だってすごいじゃないですかね。
いやあ恥ずかしいですよ。
本当に。
そう?どうして?えっ?「そんなに曲を…どうしてそんなできるの?」って言うからいや…苦労して皆さんね…曲を作る時大変な苦労をして作るって言ってらっしゃる方多いしそう思っていらっしゃるからね…。
別に苦労はないんですよ。
だからあんまり感心されてもね照れちゃうの。
苦労はないっていうとそれじゃあ例えば『この木なんの木』みたいなああいう木のところについて作曲してくれって言われるとすぐ「この木なんの木」っていうのは頭に浮かぶんですか?すぐは浮かばないの。
あのね…まあひと月ぐらい待ってるとね今作るとちょうどいいなっていう時があるんですよ感じで。
ほう…。
本当に?そういう時にね作るともうすぐこう…。
書けちゃう?ええ。
あの…ここまで作って次考えてどうしようかってこういうふうにやったら絶対いい曲できないの。
いいのできない?できないできない。
天から降って湧いたように…どんどんどんどん…。
全部は湧いてこないのね。
すごいのね。
大体湧いてきたやつ?湧いてくる…。
まあ前の日飲み過ぎちゃってね翌朝起きてから作ったことあるけど内緒。
でもすごい。
ほとんどショパンですね。
ショパンはねピアノのところに座るとやっぱりね上からこう降りてきたっていいますからね音楽が。
そうですか。
あなたお父さんが音楽家だからやっぱり色々そういうこと知ってるからまずいな。
うちの父はそうじゃない。
弾くだけですけど。
ショパンはね座ったらね…。
それは天才ですよそれは。
上から降ってきたっていう…。
それと同じじゃありませんか。
いやそれとは全然違うの。
違うの?そういう大した…大曲じゃないからね。
コマーシャルは好きでも嫌いでもとにかくかけちゃうからね。
かけてくださいって言わなくても。
そうそうそうそう。
だから自然と耳にねなじんじゃうんですね何回もだから。
そう。
あのクイズなんかも全部ね出ますからね。
そうですね。
34年前に『徹子の部屋』に出てくださいました時のVTR…。
どういうことで出た…。
どういうお話でしょうね。
ちょっとご覧いただいていいですか?「失礼でございますが今はどのぐらいおありですか?」「僕は104キロと105キロの間をちょっと行ったり来たり…」「昔ねドラマ…『貫太郎一家』をやってた頃はね113キロあったんです」「まあ…」「この体形だと少しぐらい…9キロ痩せたんですけどね痩せてもあんまりみんな言ってくれないですよね」「タクシーの乗車拒否にお遭いになったりする?」「それはねあったんです若い頃ね」「よく龍虎さんとね四谷辺りで酒飲んでてね2人でもって止めるとね夜中に。
行っちゃうんですよ」「やっと乗った人に聞いたら“いやあこういう人を乗せたらパンクするから”って」「実際パンクしたこともある?」「ありますね。
それは偶然だと思うんですよね」「僕のせいじゃないと思うんだけどね」「たまたま僕の座った側の後ろの車がいっちゃった…」「あらー」「いやあもう運転手さんがねチェッ!なんて言ってね不機嫌になっちゃってね」そう。
そういうことあった。

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  そんなことがあった?あんまり進歩してないねこの顔は。
進歩っていうよりもお元気そうなことは今のほうがお元気そうかもしれないぐらいです。
そうですか?嬉しいな。
だってものすごくしょっちゅうチェックしていらっしゃるんですってね。
チェックが好きっていうより医者が好きなんですよ。
元々医学部でしょ?それはね医学部っていうようなところに…まあまあ医学部なんだけど入った時は。
教養学部時代でねあの頃は。
もうこれはね僕はならなくてよかったですよ。
ものすごくねおっちょこちょいなんですよ。
そうなの?今のでわかったでしょ?だからなんかつなげるなんてあるじゃない?こう電気が。
そうするとね必ず違うところにつなげてる。
「あっいけね」「あっいけね」…。
「あっいけない」がね僕のもう…。
毎日「あっいけない」でねこれじゃ人がね…。
患者さんが…。
患者大変なことになりますからならなくてよかったです本当。
でも一応慶應の医学部ご卒業っていうことで…。
ご卒業じゃないですよ。
やめたの?3年いく時経済に変わった。
そうそうそう。
経済に変わったって仰いましたよね。
これが不経済でねまた。
不経済?それでも卒業はなさったの?卒業はちゃんと4年で。
じゃあいいじゃないですかまあね…。
まあ何とか卒業できるもんですね。
今大体何キロぐらいなんですか?今ね93キロかな?ああじゃあ前に比べたら随分いいですよね?そうですね。
一度82〜83キロまで落ちたことあるんですけどね。
えー。
落としたんでしょ?それはかみさんがねダイエットに凝っちゃってねやってくれたんだけどその時だけはよかったんです。
その後どうしてそんなになっちゃったんですか?やっぱりまたね…やっぱりこれが好きだから。
お酒?ええ。
もうこれに目がないから。
お酒がお好きなの?そうですよ。
私甘いものかなんかがお好きなのかと思った。
あなたお肉が好きだって聞いてますけどね。
お肉も好きだし私甘いものも好き。
甘いもの好き?じゃあなんかお土産持ってくるんだったな。
いいえそんな…そんな。
ご心配…。
なんかくださるんですか?ハハハハッ。
お土産…お土産欲しかった。
ハハハッ。
でも昔は銀座でしょっちゅう豪遊していらしたってね。
豪遊はしてないけどね。
でもまあ銀座へ行ったらもうクラブとか行ったらもう豪遊…。
そういうところ行かないの。
その高いようなさそういうところは行かない。
女の人が来て「ねえねえ」なんてそういうところいらっしゃらないの?大体ばあさんがいるところでね。
ばあさん?割と…何ていうんだろう?おふくろコンプレックスっていうのかな?だから大体ばあさんいますよ。
でもばあさんっていうのはあれですってねお話ししてると面白いんですってね。
そうですね。
面白くないばあさんのところは行かないけど。
ハハハッ!ばあさんで面白くなかったら最低ですね。
そうですよね本当。
でも普通ばあさんっていったら面白いじゃないですか。
面白いですね。
ねえ。
でも私も…。
お見通しですから全部。
お見通し?だからそういうの絶対面白いと思う。
でも私前から伺おうと思ってたの。
ちょうど2000年になるちょっと前に「絶対痩せる」って仰ってね「このまんまいったらねどうもね早く死んじゃうらしい」と。
「そうすると自分はね2000年になった時に色んな催しがあって仕事がいっぱい来るだろうから死んではいられないから痩せるんだ」って仰って…。
それはね時々僕なんかでもね講演なんか頼まれてね行くとね「21世紀の初日の出を見るまでは皆さん生き抜きましょう」なんて言ってね色々やってたんです。
そんなのとっくに終わっちゃってもうねそれ以上生きちゃったんだこれ。
でもその時仕事ありました?どの…?2000年になった時に。
2000年になって…。
仕事。
どういう仕事?音楽の仕事ですよ。
音楽の仕事はありましたよまだ。
たくさんさ…。
2000年の頃はね。
今は年に1〜2度…あるかな?そんな?いやあ…。
そんなことはないでしょ。
そんなことはないけどまあ大体あれですねご奉仕の仕事が多くなったんですよ。
学校の…。
校歌とか?違う違う。
母校のね合唱団のために作ってくれって言うからね。
この年になるとそんなものですよ。
でも私はどうしてもその年が知りたいの。
その2000年になる…1999年から2000年になる時には恐らく仕事がいっぱい来るだろうからその時のために太ってはいられない。
痩せなきゃって仰っていらしたからあの時。
そう?そうよ。
私忘れないですよ。
あの時仕事いっぱいあったかなと思って。
ああ…。
あったことはあったんだね。
あったでしょ?じゃあよかったじゃないですか。
まあね。
だってそうじゃないとその前に死んじゃったかもしれないから太ってて。
だからその時それを痩せて乗り越えたので色んなお仕事がおできになったんだったらね。
うーん…まあ。

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  覚えていらっしゃらないの?ちょっとお家の中の演奏してらっしゃるみたいな音楽室をちょっと見せていただいたみたいなんですよビデオ…。
なんか撮りに来られてさ恥ずかしいけど…もうでたらめ弾いてたら怒られちゃった。
誰に怒られたの?フフッ。
あら大変。
音楽室?ここ。

(演奏)」やっぱり…首が太いな。
そんなのしょうがないじゃないですか。
『この木なんの木』これ何ていうピアノですか?これは一応スタインウェイ。
えー。

(演奏)」ここお勉強室?『夜がくる』何やってんだろうこんなてめえの…。

(演奏)」『ひみつのアッコちゃん』うわーいっぱいある。

(演奏)」自分の曲なんか弾くの恥ずかしいね。
ご自分の曲が恥ずかしい?ご自分の曲だったんですか今の。
照れちゃう。
そう。
やっぱりご自分でなんか弾いたりなんかしておやりになってみることあるんですか?頭の中だけで作らないで。
そうですね。
それはなんかないとやっぱり…。
あったほうがいい?確認してしなきゃいけないからね。
まあね。
頭で考えたことが本当かどうかね。
私この間ねハワイへ行ったんですよ。
それだものですから『この木なんの木』のところへ行ったんですよ。
それはそれは。
それで私今ねインスタグラムってね自分で写真撮ってやったりするんですよ。
でも私がそれは撮ってもらって…行ってきましたから見てください。
こんなで…。
インスタグラムって…。
「この木です!」本当だ。
「この木なんの木気になる木」「名前も知らない木ですから」「名前も知らない木になるでしょう」「この木なんの木気になる木」「見たこともない木ですから」トットちゃん?これ。
私です。
可愛いねなんか。
「見たこともない花が咲くでしょう」いやあでもあそこなんか観光名所みたいになってね色んな人がいらしてるって。
僕はまだ行ったことないんだけど。
いらしたことないの?あらいらっしゃればいいのに。
そうですね。
気持ちいいですよ。
すごく風が吹いていてね。
ハワイには何度も行ってるんだけど。
あそこいらっしゃらないの?近いですよ。
そうですってね。
一度ぜひいらっしゃってくださいよ。
照れくさくてね。
「この木なんの木ふしぎな木」ってちょっと叩いてみたら喜ぶと思いますよ。
やっぱり生きてる間にそれやらなきゃいけないな。
そうですよ。
向こうだって待ってるだろうと思いますからね。
『寺内貫太郎』っていうのをなさいました…『一家』。
あの時は俳優としてもう本当にあの時の…。
俳優なんて言うと怒られちゃいますよ本当の俳優さんから。
いやいやいやいや。
本当にあれですよね…。
でも初めて向田さんがあれですってね小林亜星さんをご覧になった時…。
あの人ね失礼な人だったんですよ。
僕のことをね…。
僕がその頃TBSで『ドラマが3つも』って番組やってねそれでそれ全部僕が音楽をやってたんですよ。
それだもんだからTBSのドラマ班の人はみんな知ってるわけよね。
それで「誰かデブいないか」って言ったらね色んな人に当たったの。
フランキーさんとか。
フランキー堺?でも皆さんね忙しくて出られない。
フランキーさん映画を作ってたなあの頃。
それでね亜星はどうだってことになってね。
それで彼女に言ったら「嫌だわあんなスケベそうな人」って言われちゃってね。
「私嫌だあんなスケベそうな人」とかって…。
「じゃあまあ」…。
久世さんが…ディレクターのね久世さんが「じゃあ…お前頭刈ってこい」って言ってね…。
その前長髪…。
そう。
長髪。
でサングラスして。
嫌な感じなんだ…。
それでね頭刈ってきてね法被を着て出たら陰でね向田さんが見て「ああこれが貫太郎ね」って言ったって言ってねそれで…。
いいじゃない。
気に入られちゃってさ。
それでもうやめられなくなっちゃったの。
だけどやったこともないんだからさ。
芝居なんてね。
全くよ。
そう。
でも面白かったですよねあれね。
うちのおふくろはね劇場にいた人なんですよ。
お母様って築地小劇場ですって?新築地小劇場って…。
すごいと思う私。
でもお母様の時代はたぶん後々俳優座とか民藝とか文学座を作った方たちがみんな築地小劇場にいらした…。
そうなんですかね。
杉村春子さんとか東山千栄子さんとか色んなね…岸輝子さんとか色んな方がいらっしゃってみんなそこで随分民藝の…。
なんか詳しいけどその頃からまだやってたわけじゃないでしょ?私はまだねその時生まれてないですよ。
でも色々調べましたからね。
ああそうですか。
それでそこの築地の…本当の築地に築地小劇場の跡っていうのありますけどね。
あるんですか?こんな書いてありますよ。
「ここ築地小劇場の跡」…。
それでそこのところからみんな新橋まで歩いて帰ったんですってよ。
そうですか。
通って。
へえー。
そこで色んな面白い芝居やって面白い芝居…外国の芝居なんかやったりなんかして。
いわゆる新劇ですよね。
そうそう。
それがたまたま築地小劇場が広島へ行ってやった時にそれをご覧になった杉村春子さんが…。
あの方学校の先生になろうと…音楽の先生になろうと思ってたんだけどこんな面白いものあるんだったらこれやらなきゃねと思ってそれで東京にいらっしゃって築地小劇場に入ったっていうの。
もうほとんど有名な俳優さんは全部築地ですよ。
その頃はね。
うん。
そうです。
今はもうねもうないから駄目なんですけど。
おふくろはろくな役じゃなかった…。
でもお母様ってすごい方で『不思議の国のアリス』をお読みになってて…。
それ言われるとね…。
もう私本当に面白い方だと思うお母様って。
いやあねあれ僕がね『不思議の国のアリス』っていう本を買ってきてね読んで面白かったからおふくろに「これ面白いよお母さん。
読んでみなさい」って言ってパッと見て「世の中にね…お前馬鹿だな」「世の中に不思議なんてことはないんだ」「もっと物事は科学的に考えなさい」って言ってボンッてぶたれちゃった。
ハハハハ…。
あれからもうね恨んでるのずっと。

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  不思議とかね怪しい…江戸川乱歩とかがね大好きになっちゃった。
そうなの?不思議とかっていうのは駄目なのねお母様にとってはね。
駄目なんだなあれ。
でもお母様102歳まで?102歳まで生きました。
すごい。
それで最後までお元気だったの?そんなふうに。
最後はね「もういいわ」って言ってた。
「もう生きたくない」って。
すごい。
でも当時は102歳大変ですものね。
まあね。
当時っていったってまだ10年ぐらい前じゃないかな。
ハハハッ。
ごめんなさい。
そうなの?そう。
おやじはね八十いくつで亡くなったんですよ。
そう。
でもそれなのにそのさ世の中に不思議なんてものはないんだから何でももっと理屈から考えなさいって仰るような方がそのままずっと102歳までいらしたらすごいわね。
まあねああいうおふくろだからこっちもへんてこな人間になっちゃった。
でも音楽をやることについては何も仰らなかったの?いやもう音楽なんてもう…。
最初ね僕がバンドを作って中学の時やったらねちょっと学校から…変なところへ出演しててねNHKでやったんだけど停止になっちゃったんですよ1カ月。
学校?うん。
それでねそれおやじが怒ってね僕のギターをね焚き付けにして風呂焚いちゃったの。
それからやれなくなって。
だから音楽はもう親の…何ていうの?隙を見てやってたんですね。
お母様も何も仰らなかったの?それでピアノもないしねうちは貧乏人だから。
その時は…。
貧乏?そりゃあそんなことしたら貧乏ですよね。
そうですよ。
官吏ですからうちのおやじは。
郵政省の。
そうなの?お母様お仕事は?お仕事はしてなかったけどね家にいるだけで。
昔の親はみんな家にいるだけ。
そうだけどそれだけの方だから築地やめたあとなんか仕事なすったのかと…。
やめたあと子供ができちゃったからね僕なんか。
あっ何人兄弟?最初ね弟が1人いてその人は…その子はもう3歳で亡くなっちゃってねそれから妹ができて妹はイラストレーターやってるんだけどね今。
でも「最初は」って言うけど最初は亜星さんでしょ?最初は僕。
亜星さんがいて弟がいて妹がいたんでしょ?そうそうそう。
だから…。
「最初は弟がいて」って言うからさ…。
その弟は亡くなった。
可哀想。
そのあとに妹ができて。
2人兄妹ですけどね。
イラストレーター?そうですねええ。
それでその妹がねレナウンに勤めてたんですよ。
それで僕がねコマーシャルはまだやったことなくてNHKの音楽番組とか編曲ばっかりやってたのね。
そしたらなんかレナウンでコマーシャル作るっていう話になってね。
あれそう?「レナウンレナウン娘が」そうそうそう。
それで「うちのね兄貴もねそんなのやってるわよ」って言ったらさそしたら「そう。
じゃあ頼んでみるか」ってね頼まれてね。
やったことないんだけどさコマーシャル。
頼まれて初めて作ったのあれだったの。
「レナウンレナウン娘が」あれがそうなんですか?そう。
あれが第1号僕のコマーシャルソング。
そう。
じゃあ妹さんの引きで。
そう。
そうなの。
だから頭上がらないんです。
フフフ…。
4月23日ちょっと先なんですけども杉並公会堂で。
ね。
ええ。
童謡まつりね。
今度は6回目かな?そうなの?亡くなった永さんもねずっと出てていただいて。
去年はやっぱり病気になって出られなくなっちゃった。
あら残念。
でも永さんにあれでしょ「いい女紹介してやる」とか言ったでしょ?もう口が利けない頃ね日大病院にお見舞いに行ったらね永さん寂しそうにしてるから「今度早く退院したらいい女紹介するからよ」って言ったらニタ〜ッと笑ったのが忘れられない。
そう。
それで最後になっちゃったのね。
まあでも永さん最後まで元気でしたよ。
永さんを思い出してこの会もね永さんについて…。
ああ追悼?お嬢さんと語ることになって。
そう。
ますますずっとやっていくように…。
杉並区「童謡・唱歌」まつりというのだそうですけれどおやりになってくださいませ元気で。
4月23日です。
でも健康は今も全然健康なんですってね。
今のところね。
なんでなんだろうね。
どこも悪くないの?健康法って何にもやったことない。
ふーん。
体操もない?酒は飲むわ…。
体操も大してしないね。
酒飲むだけ?酒飲むだけ。
フフフフフッ。
全くろくなものじゃないよ。
やっぱり食べ過ぎはしない?あまり食べられなくなったですね昔ほどは。
昔大食いでね。
おかげで太っちゃったんだけど。
そう。
じゃあ今お酒飲んでるの?お酒は飲んでますねよく。
酒の肴みたいなものは食べる?そうですね。
そういうの。
奥様がやってくださるの?そう。
うちのはね割とそういうことをまめにやってくれる。
それで助かってるんだけど。
よかったですよね。
毎日飲むの?毎日でもない。
飲まなきゃ飲まないでいいの。
へえー。
飲まなきゃ飲まないでもいいの?平気なの。
それじゃいいですよね。
うんそう。
何なんだろうこれ。
それであれですか?注文があるとコマーシャルなんかすぐ出てきたらやる?そうですね。
まあ…楽しいものを作るのはねやっぱり楽しくないとね。
思い出すと面白かったですね。
色々おかしなことをやって…。
そうでしょ。
お元気で何よりです。
どうもありがとうございます。
2017/03/02(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 小林亜星[解][字]

〜大作曲家“寺内貫太郎”の素顔とは!?〜小林亜星さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
作曲家・小林亜星さんがゲスト。
◇番組内容
今まで亜星さんが作った曲は約8000曲。そのうちCMソングがほとんどを占め、あの「この木なんの木」は黒柳さんも大ファンだという。俳優としてのデビュー作『寺内貫太郎一家』では、実は当初、脚本家の向田邦子さんが「見た目が嫌い」という理由で亜星さんを配役する事に大反対していた。だが、長髪をばっさり切った坊主姿を見て「イメージがピッタリ」と納得したという。他、進歩的な考え方だったユニークな母親についても語る