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書き起こし サワコの朝【雨宮塔子▽批判は覚悟の復帰!】 2017.02.11

(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはフランス帰りです。
美しいです。
このTBSで「NEWS23」のキャスターをやってらっしゃいます雨宮塔子さんにおいでいただいております。
よろしくお願いします。
出てきづらいですね。
はいはいはいはいはい!よろしくお願いします。
お手柔らかに。
もう半年?そうなんですよ。
ねえあっという間に。
あっという間ですね。
でもその前フランスに住んでらしたのがええ〜10何年でしたっけ?17年。

 

 

 


17年って…言葉は?言葉は…言葉の問題もちろんあるんですけども。
不便なし?いや不便はあるんですよ。
(フランス語風に)モジョモジョ…。
モジョモジョって…。
ちょっとフランス語聞いてないから。
いや勘弁してください…。
阿川さんSですか?S?ふふふっ…。
人によってSになったりMになったりするのよね。
(フランス語で)メルシーボークー!ふふふっ。
(ナレーション)今日のゲストは22歳のときTBSのアナウンサーとして入社し「どうぶつ奇想天外!」のアシスタントに。
その後も「チューボーですよ!」の初代アシスタントを務め天然キャラで一躍人気アナウンサーになりました。
(堺)これでいいの?
(雨宮)は〜い。
(堺)あははっ!
(スタッフ)あははっ!しかし入社から6年後突如結婚出産離婚を経験しフランスで17年間過ごした雨宮さんですが…。
(星)こんばんは。
(一同)こんばんは。
去年「NEWS23」のキャスターになりました。
(星)雨宮塔子さんです。
はい。
よろしくお願いします。
二児の母である雨宮さんにとってこの仕事を引き受けるのは大きな決断でした。
はい。
つらかった?そうですね…。
今日は45歳でキャスターとして再出発した雨宮さんの働く女性としての覚悟にサワコが迫ります。
「NEWS23」半年やってみてどんな感じですか?今。
あっという間なんですよねやってみたら。
毎日とはいえね。
もう日々…日々「23」という。
起きたら「23」。
なんでしょうねオンオフの切り替えができないんですけれども相変わらず。
怒られたりすることあるんですか。
怒られないですよ。
絶対ね阿川さん絶対ね絶対今のを勘違いされてると思うんです。
今報道は全然…あの〜私もどんだけ怖いんだろうと思ったんですけれどもあの〜もっと柔らかい雰囲気だと思うんです。
昔はTBSの報道は怖かったよ。
ってもうおっしゃるからほんとに怖かったんですけど。
何度泣かされたか。
うっ…思い出しても涙が出るわ。
ほんとに?だって阿川さん20歳…20代だったんですもんねあの当時。
いやいや「NEWS23」やったときはもっと年取ってましたよ。
36〜37?
(雨宮)ほんとですか?で「23」は2年しかいなかったから40になる直前にやめたんです。
もっと長くやってらっしゃるイメージがありますね。
全然。
私だってね…ってこんな話をしてたらどうすんだって。
あの〜「情報デスクToday」っていう番組がまあ素人から初めてやったときに何を怒られるって目つきが悪いっていうところから始まりましたからね。
目つきですか?「目がキョロキョロキョロキョロするから落ち着かないからやめてくれ」って言われて「どうすればいいんですか?」って言ったらほんとに真面目に「いいか黒目は常に白目の真ん中に置きなさい」って言われた。
あははっ!分かるような分かんないような。
「ここですか?」って言って横向くときこのまま…「こんばんは」って。
(雨宮)怖いですよね。
首が凝っちゃって大変だったんだけど。
そんなことまで言われたんですか。
そう。
はあ〜。
でもともとはTBSのアナウンサーとして入社なさったのが…。
93年ですね。
ええ。
93年?はい。
ちょうどバブルがはじけ…。
はじけたあとです。
あと?でもアナウンサー受験するとなったらアナウンサー学校とかなんか一応訓練してからいかなきゃいけないんでしょ?そうみたいですね。
特に今はそうみたいですね。
でも私たちの時代はもうちょっと緩かった気が…。
あっそうなんですか。
もうスキーばっかりやってましたし。
あっスキーやってたの。
ええ。
そうです体育会スキー部。
体育会スキー部にいたんですか。
そうなんです。
はあ〜。
それでたまたまその年もタイムレースの出場者を決めるときに大学3年生だったのかな?シャ〜シャ〜シャ〜!もうポールをやってたので。
へえ〜!でそのときにケガをしてですねあの〜まあそのまま診療所に運び込まれてで一応大事を取りましょうって東京に送り返されちゃって私だけ。
みんなまだ合宿中だったんですけど雪の山で。
急にみんな…私もまだまだ続ける気が満々だったのに1人こう東京にいて私どうしようと思って。
でもそういえば世間では皆さんこうなんとなく就職のことを考えだしてるシーズンでああじゃあ本屋でも行こうかなっていってたまたまこう本屋さんに行ってそのときになんか就職セミナーみたいなチラシを見たのがきっかけですね。
でもどっちかっていうと一般のあれだとバラエティで活躍してたイメージが強いからそれこそ「チューボーですよ!」とか「どうぶつ奇想天外!」でしたっけ?あれはどうだったんですか?あの〜私今でも覚えてるんですけどあの…外にリポートに出させてくださいってよく行きましたね。
はい。
スタジオより外に行きたいですって。
リポートどうだったんですか?体は張ってましたね。
ああ〜。
あの〜水族館でこう見るからに動物の糞がぷかぷか浮いてるような所でこう泳いでみたり一緒に。
(阿川・スタジオ)ええ〜!なんで泳げってことになったの?
(雨宮・スタジオ)なんででしょうかね。
まあ当時の女性ディレクターもちょっとSがかった人が多かったっていう…。
あははっ!放送で言えるか分からないんですけども。
「ちょっとそこで泳ぎなさい」。
「雨宮!これいいんじゃない?」って。
「はい!」とか言うの?「はい!」って言って。
従順なのね。
いや〜でももうね体育会ですし元から。
あっそうか体育会のMが入ってんの?体育会のM入ってますね。
先輩に言われたことはもう「うっす!うっす!」とか。
もうそれでいいならやりますみたいな。
そういうことで泣いたりめげたり。
いや〜それはないですね。
なんか泣く自分が嫌いだったんですよね。
仕事場で泣いたことはないんですか?あの〜泣かなかったと思いますね。
たぶん泣いたこと見たことがある人はあんまりいないんじゃないでしょうかね。
それ我慢してるんですか?はい。
なんで?泣いちゃいけないと…。
うん。
なんかこうそれこそ学校でも「何々ちゃん泣いてる〜」ってよくあのね同級生で言い合ったりするのが恥ずかしいと思うような。
そこだけ変にこうほんと男っぽいんですよね。
なんか涙を見せるなんてありえないと思って。
私TBSでしょっちゅう泣いてた。
あははっ!ほんとですか?女は仕事場で泣くなって無理で〜す!とか言って泣いてた。
ふふふっ。

(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
だいぶ慣れてきたぞ。
意外とできるのね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
和食の厳選レシピが50種類選べるレンジ。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
どう?なかなかのもんだろう。
ふふっご自分でおっしゃるんですね。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」ではそろそろ2曲選んでいただいてる1曲目今でも記憶の中に残っている曲はなんですか?あのですねNujabesという方のアーティストの…。
フランス人?いえ日本人なんです。
日本人なんですか?日本人なんです!「Luv
(sic)」という曲を。
曲を。
これはどこで知ったんですか?この曲は実はフランスで聴いたんですね。
初めに聴いたのはそれこそバーで。
はい。
えっフランスのバーで日本人のアーティストの曲とか流れてるもんなんですか?そうなんです阿川さん。
でもねそんなにたくさんは流れてないんですけどもうまずは日本人と思わなかったんですよね。
最初聴いたときに?聴いたときは。
でもなんだかこの曲大好きと思って。
おお〜!なんかすごい格好いいなというかどんな心情のときもこの曲をよく聴いて。
特に車を運転してるときとか。
今でも?今でも聴きます。
へえ〜。
でTBSのアナウンサーをやめられたのがいくつのときですか?20…30歳手前ですね29歳だったと思いますはい。
それでもうちょっと限界っていうことでやめたんですか?そうですね。
一回ちょっと自分のペース…なんていうんでしょうねほんとに自分で納得しないとこう進みづらいというかなんか怖くなったんですよねふと。
えっこの毎日が続くということが。
自分でのペースじゃなくてこうその日その日の仕事を考えるだけで精いっぱいで自分がどういきたいのかとか。
だってピークでいくつぐらい番組掛け持ちやってらしたんですか?ええ〜でもですね特番があったときはでも3…3〜4本だと思います。
ええ〜っとですねレギュラー番組と重なっているときはやっぱり早朝があったのにそのあと…。
あとはねラジオでこう6時間半あったあとに打ち合わせがあってその…なんていうんでしょうそのあとにまた特番で結局こうつながっちゃう1日がっていう…。
それ途中途中で「はぁ〜疲れた」とか言って「雨宮大丈夫?」とか言うと「大丈夫じゃないです…」とかいうことは言わないんですか?ああ〜でも「大丈夫?」ってあんまり言われたことがないかもしれないですね。
はい?たぶん体育会で強いと思われてるのもあると思いますね。
はあ〜。
倒れちゃえばよかったのかもしれないんですけど点滴を打ったりしてましたけどねでも。
ええ〜!行ってこう20分ぐらいやってちょっと復活してもう一回行き直したり。
取材に行ったり。
行ったりとか。
だからたぶん帯状疱疹とかになったり不思議なかたちで体に出はじめた。
体に支障を来しちゃったんですね。
へえ〜。
でどうしようとそのときは思ったんですか?そのときは一回あの…全部リセットしたかったですね。
うん。
っていうのは…。
しばらく仕事も何もしないでもうあの〜好きなフランスで…。
フランスは昔から好きだったんですか?あの…そうですねなんかず〜っと憧れというか大人っぽい街なんだな〜ってパリですけどもね思いがあって。
でフランスに行ってどれぐらい行ってようと最初は思ってたんですか。
まあ最低3年は帰って来れないと思いましたね。
最初はだって西洋美術かなんかの勉強をしてたって聞いたんですけど。
それはなんとなくこうそういう大義名分がないとやめられない…。
そうなのよね。
なんかないとね。
後付けぐらいの理由です。
もちろん好きですけれども実際に聴講生をルーヴル美術館でやったりとか…。
やりまして好き…もちろん好きなんですけれどももっともっとそのやっぱり何か今の自分に…。
自分の中の大きな理由は…。
やっぱりそうですその何か今自分が求めてる答えがフランスにあるっていうこう漠然としたものだけですね。
で不安はなかったんですか?
(雨宮)なんかこう何か失うものがないと入ってくるものもないんじゃないかなと思って。
そこで小さく収まるのは逃げだと思ってもういっそのこと逃げ道を残したくなかったんですよね。
あっそこも潔いんですね。
潔いと言えば格好いいかもしれないんですけどそこまでもなんていうんでしょうね…初めて本気で自分で決めて自分で責任を取ってみたかった。
へえ〜。

(ナレーター)パナソニックのエイジフリーハウスでは支え方を変えることで筋力を鍛える生活リハビリを行っています。
よりそうささえる。
パナソニックの介護エイジフリー。

(娘)《久しぶりの実家だった》
(父)みんなで食べるとおいしいよなぁ!
(母)いつもはこんなに食べないのよ。
そうなの?
(ナレーター)愛する家族に贈りたい家電があります。
2人分でもかまど炊きのおいしさに炊き上げる炊飯器。
パナソニック「Jコンセプト」最高だよ炊飯器!ふふ。
また食べに行くからね。
でもそれで結局3年のような予定が17年?はい。
なっちゃったっていうのはなんだったんですか?まあ結婚したのもあるんですけどもね。
ええ子どもが生まれて。
パティシエの方と出会ってで…フランスで生きていくっていうことになった。
そうですね。
でええ〜お別れになって。
ええ。
前伺ったときには旦那様がほとんどうちに帰って来てくれないって。
そうですねまあ職業柄もあって。
あと日本にお店を出してるのもあって…。
ああそうか管理しなきゃいけなかったから。
冬はほとんどそうでしたね日本…。
まあねそういうご夫婦の間の問題はね他人がなんかかんか言うことじゃないからあれだけどもそういった結果でそれでお子さんと一緒に過ごしていてそしたら「NEWS23」に出ないかって話がきたと。
はい。
また一つの人生の決断をしたわけでしょ?はいそうですね。
まあこれも予想外だったんですけれどもね。
予想外。
ええ。
これはもうほんとにあの…ほんとに悩んで。
悩んで。
ええこればっかりは…だいたいいつも自分で決めちゃうんですけれども。
うんうん。
あの…決められなかったですね。
楽観的な塔子ちゃんが。
ええ。
まあ駄目だと思ったんですけどもねほんとに。
もう無理だなこれはと…。
もう引き受けないぞと。
はい。
それは何がいちばん気がかりだったんですか?子どもたちですね。
やっぱり離婚しているのでそこで大きく環境を変えて…。
お子さんたちはなんておっしゃったんですか?子どもたちにもなかなか話せなくてですね。
怖くて?怖いしもう分かってたんで行きたくない日本に行きたくないし。
まあもうまずはその離れるというよりも日本に連れていこうと思ったんですね。
私も離婚してあの…生活しないといけないためにはやっぱり働かないといけないしどっかで働かないとというのはあるけれども…。
働かないとっていうのはあったのね。
はい。
ただパリではやっぱり細々描いていくだけでは生活は苦しいなというのももちろん分かってたんですけれどもでもやっぱり何を置いても母親業だろうなっていうのはあって。
でも漠然とどっかでは不安なんですねこの先どうやって子どもが大学いったりしたら…。
お金払っていけるのかしら。
とかね。
まあ家賃…いろいろありますけれども。
その一方でうんあの…子どもたちが大好きなんですね今のフランスの学校が。
あっ要するにパリにいたい子どもたちは。
今のまま…もう離婚はしたけれどもこの環境のままいきたい子どもたちは。
それが分かってたんですよ。
「お母さんについて日本に行く?」って言ったら絶対「嫌だ」って言うだろうっていう。
はい。
で実際言いました。
ああそう。
ええ。
「いやママ悪いけどあの…私はパリにいたい」「僕はパリにいたい」ってはっきり言いましたからね。
お姉ちゃんと弟さん両方?ええ。
でも最終的にはその…私はこういうことをこの仕事をやりたいと思ってるってことを言う前にですねあの〜まあ娘ですけれどもまあある日そうなんていうんでしょうねふと「でもねママこの仕事は絶対諦めちゃ駄目だよ」って言うんですよ。
断るなって?ええええ。
それでそのなんとなくこう娘もそういう思いをさせちゃったんでしょうねたぶん。
彼女の方からおもんぱかってなんかこう言ってくれたんですよねきっと私の気持ちを。
へえ〜。
うん。
もうそれで…うんそれでまあ決心がついた一方で決心というかその前向きになった一方ででもその言葉にほんとに甘えていいのかっていう…その気持ちが分かってたので。
子どもってやっぱりお母さん好きなので嫌でも「いいよ」って言っちゃうものなんですよねたぶん。
「離婚していい?」って言うときも嫌だとは言うかもしれないですけど基本はやっぱり「ママのしたいようにして」って言っちゃうと思うんですよね。
だからそこに甘えてもっていうので。
そうか我慢してるんだけどもママ頑張ってこなきゃ駄目だよって。
でも子どもを残してで自分は日本でずっと仕事をするっていうその不安とかどうしようっていうのはなかったんですか?そうですね。
それは元夫の協力がないとできない。
やっぱりその…彼が今の奥様と一緒に見てくださる。
そしてその彼がいる工場というのは日本人パティシエさんがもう…私たちの子どもがほんとに赤ちゃんのときから見てくださってる人たちがそのままもう…それこそ青春をあそこで過ごしてるような。
村みたいになっていてですね。
そこで預かってくださる…。
そうです。
そこでみんなでこう育ててくれるっていうのがないともちろん無理ですね。
仲よく離婚しといてよかったね。
ほんとですね。
ドロドロの関係だったら…。
もう無理ですね。
無理ですよね。
それは快く引き受けてくださったわけですか。
はい。
彼は半分…やっぱり親権が両方ですからもちろん親としての責任はあると思うんですけれどもやっぱり奥様がほんとにそういう思いをうん…なんていうんでしょう彼と一緒に共有してくれて協力してくださらないと無理な話ですよね。
ほんとに恵まれてると。
でもそれはまあご家族の決断だと思うしそれはちゃんと采配なさったんだけども雨宮さんが日本に帰ってらしてからパリに子どもを置いてニュースキャスターとして再就職したっていうことに批判的に言われた時期もありましたよね。
それはどう受け止められました?当然だと思います。
ちょっと…。
あははっ!なぜ?いや私の友達でも…パリにいる友達でもやっぱりあの〜みんなでこういうことになるかもって言ったときにあの〜仲のほんとにいい人に…。
それはフランス人?いや日本人の友達。
フランス人の友達のマダムはキャリアはもちろんよねっていうもちろんそういう女性が多いんですけどやっぱり日本人の友達はあの〜やっぱりこう母親っていう仕事はいちばんの仕事だよねって。
それを置いてどうして行けるのっていうふうにやっぱりほんとに親身に思って。
それは親しい友達に言われたときはどう思ったんですか?泣けますよね。
今も…。
彼女もボロボロ泣いて…。
つらかった?そうですね…。
はあ〜。
その不安定なママのちゃんとやりたいことを見つけたんだったら子どもとしては応援しなきゃいかんと。
なんでしょうね。
腹をくくったのね。
そういうのがあるんでしょうね。
へえ〜。
いろいろ悩ませたと思うんですけれども今でもたぶんあの〜認めてないとこもあるかもしれないですけどね。
うん。
あとこう息子にかぎってはほんとに元夫にですねあの〜あのねママもあんまり…私がこういう仕事する前ですしお金ないと思うから私の両親…おじいちゃんおばあちゃんに何かあったらパパが見てあげてくれる?って頼んじゃうような…裏で。
あははっ!子なんですよ。
男の子ってママのために頑張るんだね。
そうみたいですね。
それをもうないしょでやってますからそういう…。
だからたぶん私もこのままだとママは将来が心配とたぶん思ってるところもあったと思います。
へえ〜。
でお嬢様がなんかスタジオに見にいらしたんですって?ええ〜そんなことまで伝わってしまって。
こないだ10月に彼女日本に来てて…。
母親の仕事場を見に来た?見たいというか。
ええ。
お休みの期間に。
そうです。
学校がフランスって2か月置きにバカンスが2週間の休みが取れるんですね。
何!?2か月置きに。
じゃあそのたんびに日本にはいらっしゃれるんですか。
来ようと思えば来れますしあとは彼女は彼女でお友達に旅行に誘われたらそこで行ったり。
まあそれは自分の自由に好きなようにしなさいって。
で10月に帰ってらしたときに…。
来てそれでなかなか土日しか遊んであげられないのでじゃあ平日ちょっと番組…「いいですか?娘連れてきて」って言って。
それはお嬢さんが見たいっておっしゃったの?そうですね興味があって。
ええ。
それで?であの〜お弁当あるんですけどお弁当を2人で半分ずつ食べたりなんかして「おいしいねママ」なんて言って。
ああそう。
こんな豚シャブに梅がちょっとのってる…。
仲よく食べて。
でなんかその〜ちょっとこう番組が本番の前のバタバタした感じから…。
そこらへんから見学したの。
もちろんもちろん。
あの〜打ち合わせも全部見て。
横にいて。
でそれはなかなかできない体験なんですごい喜んでくれて。
社会科見学ですね。
で本番を見て。
見て。
じゃあ番組終わるまで12時過ぎまでいてで感想はどうだったんですか?そうですね。
深い感想はないんですけれどもあの〜やっぱりこう臨場感っていうかなそういうものは伝わったみたいで。
ふ〜ん。
でも意外にアットホームだねってやっぱり言ってましたね。
へえ〜。
これだけまあ半年やってきてまあ毎日ですからねなんかもっとこんなことやりたいとかこの番組をこうしたいっていう要望はありますか?外には出たいですね取材はやっぱり。
少し出はじめてますよね。
出はじめてますね。
そうね。
やっぱりスタジオにいるだけだとねなんかものすごく不安になってくるんですよね。
出た方がなんの取材であろうとなんか腰が据えるというか。
そうですよね。
まあこれからもほんとにキャスターとしてやっていただきたいですが。
もう一曲選んでいただいている曲。
あの〜心に響く曲はなんですか?あのですねMr.Childrenの「Everything」っていう。
好きなんですねミスチル。
ミスチル。
昔から好きなんですけれどもあの〜この曲も前から知ってたんですがほんとに聴き直してあの〜なんていうんでしょう今の気持ちに沿う歌だなというのがうん…この歌ですね。
どういうときに聴いてるんですか。
ちょっとこうあの〜なんていうんでしょうパリの人たちに思いをはせるときとかうん…。
大事な家族のように。
ああ〜。
でもね…なんて…。
先輩。
言うのもなんですが。
(雨宮)はい。
旦那帰って来なくて寂しくてやってらんないっていって離婚なさったんでしょ。
そしたら今度…ふふふっ…子どもたちにお母さん帰って来ないっていう生活をつくっちゃったんだよ。
そうなんですよ。
だからもうこれはしょうんでしょうね。
しょう。
だからこう…だからこの歌がなじむんだと思うんです。
ああ〜。
だからこの歌をいつも私は十字架みたいに背負ってると思ってます。
こういう心境?そうですね。
うん…。
まあ着ぐるみ着てたね最初の6年間と今の「NEWS23」に出ている雨宮さんはちょっと違うとしたらどういうところですか?基本変わってないんですよ。
ああ〜。
基本変わってないんですけれどもなんでしょうねでもこうやっぱりずれちゃ嫌なんですよ。
変わってないところがあるとしたら。
ずれるっていうのは自分の言っていることと…。
その求められるものと心と。
そうですね。
そこがだからそこをより妥協できなくなったっていうのは変わったところかもしれないし…。
むしろね。
だけどそこが気持ち悪いっていうのは昔から変わってないですね。
それは大事にした方がいいですね。
(山本)とかってなんかこんなんなるじゃないですか。
あははっ!今後も…。
豪華なゲストが続々登場します。
お楽しみに。
2017/02/11(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝【雨宮塔子▽批判は覚悟の復帰!】[解][字]

フリーキャスター・エッセイスト/雨宮塔子▽「娘の方から、私の気持ちを言ってくれた…」45歳で再出発!雨宮塔子にみる“働く女性の覚悟”とは!?阿川佐和子が迫ります

詳細情報
番組内容
ゲストは、キャスターの雨宮塔子さん。22歳でTBSのアナウンサーとして入社。「どうぶつ奇想天外!」や「チューボーですよ!」などの番組でアシスタントを務め一躍人気アナウンサーに。しかし、29歳でTBSを退社。その後17年の歳月をフランスで過ごし、結婚・出産・離婚を経験してきました。
そんな雨宮さんは、去年7月から同局の「NEWS23」でキャスターに。二児の母であり、母親業が最優先という思いが強く、
番組内容2
キャスターの依頼が届いた当初「無理だ、断ろう」と思っていたといいます。批判を覚悟の上でパリに子供を残し、キャスターとしての道を歩み始めた雨宮さん。その大きな決断を後押しした娘からの一言とは…!?45歳でキャスターとして再出発。アナウンサーを目指すきっかけとなった学生時代の意外な出来事をはじめ、体を張って挑み続けたアナウンサー時代を振り返りながら、雨宮さんの“働く女性の覚悟”にサワコが迫ります。
 
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
雨宮塔子(フリーキャスター・エッセイスト)
 
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ