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地上波テレビの字幕を全文書き起こします

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字幕書き起こし 土曜ドラマ 夏目漱石の妻(4)(最終回)「たたかう夫婦」

(猫の鳴き声)荒井と申します。
先生にお会いしたくて3日かけて足尾から歩いてきました。
(金之助)足尾?
(房子)
その人は突然夏目家にやって来ました
僕は先月まで足尾銅山で坑夫をやっておりました。
銅山や自分の事をお話ししてそれを小説に書いて頂けないかと思いやって来ました。
とにかく話が面白いんだ。
小説に使えるかもしれないんだ。
あの方の素性も知らないんですよ。
そんな訳の分からない方をいきなり泊めるなんて私にはできませんよ。
そんなある日社会主義者の集まりの中に荒井さんの姿を見かけたのです
あっ荒井さん!逃げるんだ。
さるほどに平家の一門馬上ちょっと。
(舌打ち)房子ちゃんが帰ってこないんですよ。
買い物に出たきり2時間も。
ひょっとしてあなたがいろいろお使いを頼んだのかと思って。
いや…。

(三重吉)ごめんください!
(三重吉)あっ先生。
お約束の文鳥買ってきました。
ああ!文鳥?ええ。
ご執筆の合間にこういう美しい鳥をご覧になるのもよい気晴らしかと。
あっいや…三重吉がなかなかいいって勧めるもんだからね。
ちょっと飼ってみるかって。
なあ?
(三重吉)ええ。
ご自分で世話をなさるのならどうぞ。
ねえ表で房子ちゃん見かけなかった?
(小宮)いえ。
そう…。
どこ行ったのかしら。
こら止まりなさい!止まれ!
(荒井)すいません。
こんな騒ぎに巻き込んでしまって。
(房子)荒井さんは社会主義者のお仲間ですか?
(荒井)だったら怖いですか?別に。
皆怖がりますよ。
社会主義者は国を転覆させる危険な人間だって。
危険ですか?荒井さんは。
いいえ。
平民新聞ってご存じですか?名前だけは。
(荒井)足尾銅山の労働者に同情的な記事を書いてくれた新聞なんです。
その記者だった人と知り合ってその人の仲間の集まりがあるから一緒に行こうって誘われたんです。
そしたらその仲間の人たちがああいうふうに表に出て赤い旗振ってたちまち警官の餌食です。
(房子)それだけですか?それだけですよ。
(荒井)僕は何の主義も持ちません。
ですが今の世の中は変えた方がいい。
そういう気持ちはあります。
坑夫をやって地の底をはいずり回ってそう思いました。
一生光を浴びないで生きている人間がいてそういう者の上前をはねて一生光の中にいる人間がいる。
それは間違ってるって。
それはよく分かります。
分かります?はい!・
(筆子)お母様!お母様!
(筆子)房子さんが帰っていらっしゃった!あらそう。
すいません遅くなりました。
お帰りなさい。
心配して…。
こんにちは!あら…いらっしゃい。
市場でお会いしたんです。
金之助さんに先日の続きの話をしたいとおっしゃるのでお連れしました。
そう…。
今日は木曜会の人たちが見えてますけど…。
あっじゃあご挨拶だけでも。
こちらです。
(荒井)こんにちは!こんにちは!どうも。
ああ。
こんにちは荒井です。
鏡子さんは荒井さんに対し少し警戒心がおありのように見えました
おい文鳥が死んでいるぞ。
水も餌もない。
留守中ちゃんとやってくれと言っておいたはずだ。
見ろこれを!誰がこんな目に遭わせたんだ!私は何も知りませんよ。
あなたが責任を持って飼うとおっしゃったから。
出かける時水と餌を頼んだじゃないか。
私は聞いてませんよ。
筆だ。
筆に頼んだんだ。
あいつを呼んでこい!子どものせいにしないで下さい。
じゃあ女中を呼べ!そうだ坊主も呼べ!文鳥の葬式をやる!盛大にやる!やめて下さい。
みんな今忙しいんです。
たかが鳥のために。
(泣き声)無神経女め!
(泣き声)
(房子)電報です!朝日新聞社からです!朝日が?あ…。
何か急用ですか?年明けから始まる予定だった島崎君の連載が延期になった。
書けないそうだ。
文芸の欄の責任者は俺だからな。
穴を埋めてくれって言ってきている。
何でもいいから20〜30回分書けないかって。
年明けって…あと2週間ですよ!弱ったな…。
足尾銅山の話。
荒井さんからずっとお聞きになってるじゃありませんか。
小説になりそうだっておっしゃるから私はあの方に下駄を買って差し上げたり洗濯物もおヒサに頼んだり…。
銅山のお話でしたら私も読んでみたいです。
小説は早速書き始められる事になりました。
題名は「坑夫」。
小説は年を越えて書き続けられました
荒井さんは金之助さんがお書きになる銅山の描写に間違いがないかどうかを助言するためほとんど毎日のように夏目家にいらっしゃいました
(拍手と歓声)ひいふうみいよおいつ…。
小説「坑夫」は1月から連載が始まり月末には書き終えられました
(秦)今回の連載は一風変わった趣向でございますね。
出てくるのは男とばあさんばかりで舞台も山の中ですものね。
でも変に勘ぐられないからよろしゅうございますね。
勘ぐる?ほら「吾輩は猫である」。
あそこで猫を飼う苦沙弥先生ご夫婦あれは夏目先生ご夫婦だって誰でも想像しますものね。
(秦)「吾輩は」まだよろしいんですけどそのあとの「野分」になるとちょっと生々しい夫婦が出てきますでしょ。
作家になりたい学校の先生と生活が心配で学校を辞めさせたくない奥様とあの夫婦の口ゲンカ。
本当にあった事じゃないかって想像させますでしょ。
あそこのところは妹にも言われたわ。
「お姉様と旦那様はいつもあんなケンカをしているの?かわいそうね」って。
小説ですから作り事に決まってるのに妙に勘ぐってしまうんですよ世間の人は。
あの小説のとおりなら妻は夫との結婚を失敗だったと思っているのよ。
夫もそう。
救いのない夫婦でしょ。
そうですよ。
こうやって按摩なんかやってる場合じゃありませんよ。
そうよねえ。
(2人)ハハハハハハッ!先生ならさっきお散歩にお出かけになりましたよ。
なのにどうしてあなたここにいらっしゃるの?ああ先生が新しく書かれた原稿があったのでちょっと興味があって。
まだ途中なんですが。
まだ途中って…主人の許しを得て読んでいるの?先生と僕の間ですから許しなんて…。
そんなの駄目ですよ。
私だって読まないんですから。
奥さんは読まれない方がいいですよ。
先生だってこういうものは奥さんに見られたくないでしょうし。
は?「文鳥」?これは小説ではありませんがね先生の心境がよ〜く分かって実に面白い読み物ですよ。
ふ〜ん…。
例の文鳥ですよ。
飼い始めてすぐに死んでしまった文鳥
それにまつわる思いを正直に書かれているんです。
それが面白いの?ええ。
昔好きだった娘と文鳥が気持ちの中で一体となるところがあって先生の過去の秘密がちらとのぞけるんです。
秘密?
(荒井)相手はもの憂い首筋のほっそりとした浮世絵的美人です。
文鳥はその美人を思い起こさせる美しい生き物なんですよ。
回想大塚楠緒子もね。
美しい方なんですってね。
書くものもロマンチックで。
お好きだったのね。
当時はね理想の人だと思ったりもしたよ。
奥さんもいずれお読みになれば分かりますよ。
先生の書かれた美人は皆よく似ている。
作家の本音や好みは書かれているものの中に転がってるんだ。
そう思いません?フフフッハハハハッ!さて僕も出かけるとするか。

(ヒサ)奥様小宮様がいらっしゃいました。
先生はご在宅ですか?あら今出かけているんですよ。
約束でもありました?ああ…。
実は近くで女流作家を囲む会がありまして大塚楠緒子さんもいらしてたんです。
せっかくだからもし先生がおいでならお顔だけ拝して帰りたいとおっしゃってお連れしたのですが…。
お帰りは分かりませんか?それはちょっと…。
大塚さん今いらしているんですか?あっご紹介します。
大塚さん!大塚さん!あっこちらです。
どうぞ。
大塚でございます。
夏目の家内でございます。
先生はお留守だそうです。
車を待たせておくのもなんですし今日は引き揚げましょう。
そうですの?この度先生のご推ばんを頂き4月から朝日新聞に連載を書かせて頂く事になりました。
何とお礼を申し上げてよいか…。
奥様からも大塚が感謝しておりますとよろしくお伝え下さいませ。
それは…はあ…ご丁寧に…。
突然お邪魔致しまして失礼致しました。
ごめんくださいませ。
はあ…。
じゃ私もこれで。
ちょっと!あなたはいいじゃない!お送りしなきゃならないの?いえ…。
大塚さんは車を待たせてありますし私は別段…。
じゃあ話があるから。
ミルクホールでも行きましょうよ。
ええまあ…。
大塚さんっておきれいな方ね。
ええまあ…。
朝日にお書きになるのなら主人はよく会ってお話ししているんでしょうねえ。
ええ先日もお食事をされたみたいで…。
結婚した頃大塚さんのような方が理想の相手だって言われた事があるの。
誰がそんな事を?主人に言われたのよ!それはちょっと…。
ああ!でも先生そういう言い方をなさいますね冗談で。
冗談かしら?小説で書く美人も皆ああいうふうでしょ。
ほっそりして色白で…浮世絵風の。
小説は理想を書きますから。
だから理想はそういう人なのよ。
大塚さんのような!でしょ!はあ…もう!
(小宮)確かに先生も少し無神経なところがありますからね。
さっき木戸の所で荒井君と擦れ違いましたが僕にロクに挨拶もしない。
ああいう男を自由に出入りさせて我々木曜会の人間には厳しく制限を敷かれる。
坑夫の話をもらったから甘くなるのは分かりますが僕たちは不満ですよ。
そうあの方の事で聞きたい事があったのよ。
木曜会の人たちにお金を借りてるって話を聞いたんだけど本当?そうなんですよ。
何でも足尾銅山にいる友人と商売をやるから元手が要るって話らしいんですがね。
商売?四谷でおでん屋をやるんだそうです。
そうだ。
房子ちゃんも随分なお金を貸してるって話ですよ。
え?
このひとつき荒井さんは姿を見せませんでした
日を追うごとに不安が高まりました
ねえ房子ちゃん。
雨がやんだら四谷へ行ってみない?はあ…。
行ってみようおでん屋さんへ。
あっすみません。
はい?お尋ねします。
この辺りにおでん屋さんはありませんか?おでん屋?ええ。
最近出来たお店なんですけれど。
最近?ええ。
さあ…。
そうですか。
ありがとうございました。
そんな店聞いた事ないわよ。
そうですか…。
いくら用立てたの?8円です。
嘘をつくような人じゃないんです。
人と人がお互いに傷つけ合う事のない社会になるといいってよくおっしゃってて…。
すいませんご心配をおかけして。
いいのよ。
でも…あの人うちの猫みたいな人ね。
どこから来て誰に育てられてどうやって生きてきたのかさっぱり分からない。
それなのに猫もあの人も小説の題材になってうちに住み着いて…。
みんなに好かれて…。
筆ちゃんなんか大好きみたいですよ。
お勉強教わって。
お勉強教わるのはいい。
でも大好きになるのはどうかしら。
猫のようにどこへ行ったか分からなくなる事もあるでしょ。
そしたらつらいですもの。
確かこの辺りのはずなんだがな。
ここですかね。
ここだな。
(ヒサ)奥様!奥様!何?今警察の方がお見えになって荒井様を引き取りに来るようにとおっしゃっています!警察が?荒井さんを!?
荒井さんは足尾銅山の騒乱事件に関わった坑夫たちをかくまった疑いで警察に捕らえられていました
身元を最後まで明かさず金之助さんの名前を出して引き取ってもらったのです
房子ちゃん言いたい事があったらおっしゃい。
貸したお金はどうしましたか?お役に立ちましたか?あれは…飲んで食べて…使い果たしました。
じゃあお店を出すというのは?あの時はやるつもりでした。
しかしやろうとするとうまくいかない。
いつもそうなんです。
今度も警察に殴り飛ばされて正義だの社会のためだのってそんな事どうでもよくなってかくまった連中の名前を洗いざらいしゃべって尻尾を巻いて逃げ出してきた。
(荒井)僕はそういう人間なんです。
何をやっても中途半端なんです。
自分でもうんざりするほど。
君は僕も裏切った。
僕の知り合いの新聞社のところに行って「『坑夫』という小説は全て君から聞いた話で夏目はロクに調べもせずに書いた。
しかも書き終わったら知らん顔でビタ一文謝礼をよこさない。
ずるくてひどい作家だ」と言ったそうだな。
そうかね?ええそう言いました。
不満があるならなぜ私に直接言わない。
金が欲しいなら欲しいと言えばいいんだ。
金の事はどうでもいいんです。
あなたは僕の父とよく似ている。
それが嫌だったんです。
あなたの名誉を傷つけてやりたかった。
それだけです!君の父親がどういう人か知らんがね。
君のような息子を持ってさぞや苦労されただろうな。
父は僕には興味はありません。
父の興味は国を動かして戦争をさせ軍艦や大砲を造って浴びるほど金を稼ぐ事だけですから。
兄は戦争に行って旅順で戦死。
父は兄を褒めたたえ自分の商売を正当化してみせ名誉まで手に入れた!しかし僕の家は見事に壊れた。
(荒井)母は去り僕も…。
僕はうちを出る時先生の「吾輩は猫である」を読んでいたんです。
実に面白かった。
普通のうちのにぎやかでちょっとほろ苦くて温かい…。
夫婦と子どもと猫とそれを取り巻く人たちと…。
(荒井)そういう家族があるんだなって感動したんです。
(荒井)でも違ってた。
筆子ちゃんが先生の事を何て呼んでるかご存じですか?怖い!ただそれだけです。
恒子ちゃんも先生の近くには寄りたがらない。
機嫌が悪けりゃ殴られるかもしれない。
そう思ってる!奥さんそうでしょ?このうちだって壊れてる。
みんなバラバラだ!それに気付いてないのは先生だけです!大きなお世話だ!
(荒井)父もそう言いました。
僕が父に「母を愛してますか?大切に思った事がありますか?」。
そう聞いた時に言われました。
「大きなお世話だ!」。
この家がバラバラでないとおっしゃるのならお伺いします。
先生は奥さんを愛してらっしゃいますか?フフフッ…。
ハハハハハッ…。
主人にそんな事答えられる訳がないでしょ。
フフフフッ。
小説の事しか頭にない人ですよ。
もういい。
これ以上君に関わるのは御免だ。
金が必要なら家内に言ってくれ。
失敬する。
あいつに10円やって帰せ。
二度と来させるな。
話にならん。
そうします。
その前にお願いがあります。
何だ?最近お書きになった作品がありますね。
どこにもお出しになっていない。
それがどうした?私に読ませて頂けませんか?何?荒井さんがまだ書きかけのものをあなたにないしょで読んで中身を私に話してくれました。
文鳥はあなたの好きだった女の方を思い出させる鳥だそうですね。
だから文鳥が死んで悲しかった訳ですか。
荒井がそんな事を…。
どういう女の方を書かれているのか興味があります。
人の目に触れる前に読んでおきたいのです。
断る。
まだ手を入れている最中だ。
小宮さんはもう書き上がって大阪の朝日に載せるはずだと言っていましたよ。
それでしょ。
触るな!今までも読ませた事がないだろう。
何を急に言いだすんだ。
これは駄目だ!文鳥の事であなたは私に手をお上げになった。
私はあなたにとって何なんでしょうか?文鳥以下の値打ちですか!バカな事を!バカな事かどうか読めば分かるじゃありませんか!私はあなたの妻です。
これぐらいのお願い聞いて下さっていいはずです!よせ!夫が嫌だと言うものをお前は力ずくで取るつもりか!そんなにお嫌ですか。
嫌だ!じゃあお聞きします!その中に出てくる女の方を愛されたように私も愛されてきたでしょうか?答えて下さい!私一度聞きたかったんです。
これまで愛されたでしょうか?さっき君は答えてたじゃないか。
「主人にそんな事は答えられない。
小説の事しか頭にない人だ」って。
それでよろしいのですか。
いい答えだと思うがね。
このうちは…どこか壊れていますよ。
荒井さんが言ったとおり。
今これだけしかないんだ。
とりあえずこれを返します。
あとは働いて返します。
必ず。
これを返すとどこへも行けなくなるでしょ?心配してくれなくていいんだ。
僕やっぱり父のところに帰ろうと思って…。
父と縁を切って遠くへ行こうと思ったけど…どこへ行ってもこのありさまだ。
何も解決しない。
父とぶつかって金ふんだくって新聞社でも始めますか。
小さいけれど自由に新しい考えを主張できるような新聞を…。
(荒井)とりあえずうちに帰ります。
父に会います。
いいと思いますか?いいと思います。

その後荒井さんからお貸ししたお金の残りが送られてきました
でもお会いする事は二度とありませんでした
房子ちゃん。
呉服屋さんへ行かない?は?何だかクサクサしてしかたがないの。
着物でも作ってやろうかと思って。
あなた新しい羽織が欲しいって言ってたじゃない。
買ってあげるわよ。
はあ…。
行こう。
ねっ。
はい。
フフフッ。
あっ!
その年の秋猫が死にました
名前がないまま逝ってしまいました
私たちは猫の墓を裏庭に作りその死を悼みました
号外!号外号外!平民新聞号外!
それから2年がたち世の中は大事件に驚愕しました。
平民新聞などを出して有名だった幸徳秋水天皇陛下暗殺を企てて捕らえられたというのです
金之助さんはこうした世の中を横目で見ながらひたすら小説を書き続けていました
小説を書く度に胃の具合は悪化していました
何度も激痛に襲われのたうち回りながらの執筆となりついに胃腸病院に入院する事になりました
重い胃潰瘍でした
何をしていらっしゃるの。
何だお前か。
治療中なのに…。
甘い物は駄目だと言われているじゃないですか。
しかたないだろう。
春陽堂の社長が持ってきてくれたんだ。
持ってきたって召し上がらなきゃいいんですよ。
目の前にあれば食べるだろう!触るな!恒子。
お前クッキー好きだろ。
こっちへおいで。
お父様にご挨拶なさい。
今日はお見舞いでしょ。
お食べ。
(恒子)手が汚い。
(小声で)ねえもう帰りたい。
帰ろうよ。
え?
(恒子)行こう。
恒子。
恒子!申し訳ありません。
呼び戻してきます。
いい!ほっとけ!先週筆が来た。
恒子と同じだ。
ひと言もしゃべらずに帰った。
すみません。
ちゃんとお見舞いを言うように教えたのですが…。
筆も恒子も君によく似ている。
正直だが無愛想だ。
将来旦那になる男は気の毒だな。
困りましたわね。
ああ困ったね。
君と結婚した時はそういうところが自然でいいと思ったりしたんだがね。
後悔していらっしゃるの?君はどうだい。
私は…占いを信じていますから。
占い…。
あなたと結婚すると幸せになれるって。
結婚する時鏡の占いで神様がおっしゃったんです。
前にも聞いたよ。
ですから…。
もう信じちゃいないだろ!そんな占い。
正直に言ってみろ。
今はもう信じちゃいないだろ!時々迷います。
でも今まで信じてきましたから。
俺は神も占いも信じない。
親に捨てられて子どもの頃そう決めたんだ。
残念ね。
だから…。
俺たちは…。
はあ…もういい。
疲れた。
帰ってくれ。
俺はここを出たら伊豆へ行く。
修善寺でしばらく療養するつもりだ。
私も参ります。
来なくていい。
来るな。

8月に入って退院をした金之助さんは病後の保養のため修善寺の温泉にしばらく逗留されました
夏目さ〜ん郵便で〜す!
しかし間もなく奇妙な電報と手紙が鏡子さんに届きました
奥様。
今朝猫のお墓にシャケの切り身を供えられたでしょ。
あれさっき見たらカラスのやつが全部盗み食いしちゃってもう…。
どうかなさいましたか?修善寺の東洋城さんが主人の具合がよくないって言ってきてるの。
胆汁と酸液を1升も吐いたって。
え?変ねえ今朝の電報には「来るに及ばず」ってあったのに…。
(羽ばたく音)あっ!
(鳴き声)こらっ!こらっ!あっち行きな!こら!
(ヒサ)ほら!もう!しっ!うわっ!ああっ!
(せきこみ)お湯をお持ちしました!電報を頼む!至急だ至急!漱石先生が重篤だ。
夏目家に電報を!へい!ああっその前に朝日新聞につないでくれ!電話だよ電話!
8月18日。
鏡子さんのもとに再び電報が届きました。
金之助さんが重体だというのです
回想
(時子)お姉様!今のは夏目様じゃありません?お姉様にお気付きにならなかったのかしら?私あの方のお嫁になると思う。
え?今決めたの。
お嫁に行こうって。
回想
(音程を外して)・「味方に正しき道理あり」あなたそこ違う。
・「味方に正しき道理あり」よ。
分かってる。
(音程を外して)・「味方に正しき道理あり」
(笑い声)やっぱり違う!小説家になりたい。
小説を書きたい。
夢だがね。
ただの夢だ。
いらっしゃいませ!お荷物をお預かり致します。
奥様どうぞこちらでございます!ああ奥さんお待ちしてました。
さっどうぞどうぞ!奥様お気を付けて!奥さん!朝日新聞の坂元です!こちらです。
今少し落ち着かれたところです。
さっどうぞ。
氷ですよ。
ゆっくりおかみ下さい。
いいですか?
(森成)容体は安定していらっしゃいます。
先ほどまで皆様とお話もされていました。
どうぞおそばへ。
俺…は大丈夫…だぞ。
そう…。
一句出来た…。

金之助さんは鏡子さんが来てからの数日間は胃の出血も徐々に減ってゆき回復の兆しが見え始めてきました
東京から主治医の先生が来られた日も同様でした
うん。
大丈夫ですよ。
間もなくご帰京できると思いますよ。
先生…一緒に帰りましょう。
(笑い声)それでは。
ありがとうございました。
とりあえず病状は良好と思われます。
詳しいお話はまた後で。
お気持ち悪いですか?あっちへ…。
ううっ!ああっ!
(悲鳴)ああ〜っ!ああっ!あなた!あなた!誰か!早く…。
先生…誰か来て〜!・はい!あなた!
(悲鳴)先生呼び戻して!早く!早く!あなた!しっかり!あなた!あなた!
(吐く音)先生!先生!寝かせて。
はい!あなた…あなた!あなた!
(坂元)脈がありません脈が!
(杉本)カンフルカンフル!
(杉本)食塩注射を!はい。
野田に使いを!はい!・早く先生を!・はい!杉本さん!森成さん!奥さんしっかりなさい。
うん。
カンフル効いてきたね。
もう反響がある。
子どもを…子どもたちを呼んだ方がよろしいでしょうか?こうなった以上はそうされた方が…。

(坂元)奥さんその前にお召し物を着替えられた方が…。
ここは大丈夫です!着替えてらっしゃい。
カンフル…もっとカンフルを!はい!先生!先生!先生!先生!このまま…駄目という事もありますでしょうか?何ともそれは…。
ただもう一度吐血しては駄目でしょうね。
(坂元)先生?奥さん先生が…。
夏目さん!分かりますか?妻は?妻は?何?大丈夫だ…。
大丈夫だよ…。
心配…するな。
大丈夫。
大丈夫ですよ。
鏡子…。
うちへ帰ろう…。
はい。

金之助さんは再度吐血する事もなく危機を脱しました
病の癒えた金之助さんは長野へ講演に行く事になりました。
私は名古屋の方との縁談がまとまりこの荷造りが最後のお手伝いになりました
鏡子君は本当に一緒に行く気かい?はい。
あなたはお嫌でしょうが一人で旅をなされば行くさきざきでいろんなものをたくさんお食べになるでしょ。
あれがいけないんだって森成先生もおっしゃってましたよ。
私がついていかなきゃ心配でしょうがありませんよ。
小学校の教師たちの前でしゃべるんだ。
女房なんかがそばにいちゃみっともないだろ。
昨日小児科の豊田先生がおっしゃってましたよ。
自分が講演に行く時は必ず妻を連れていきますって。
変わった人だね。
妻はうちにいてお留守番。
もうそういう時代じゃないんです。
ふ〜ん…。
私もそうだと思います。
先日平塚さんがお見えになりましたでしょ。
今度女たちのための雑誌を作るんだっておっしゃっていました。
ああ青鞜社ね。
平塚君も変わった人だからな。
(房子)でもおっしゃっている事は間違っていないと思いました。
人には個性がある。
女にもある。
女も男の人と同じように個性を生かした生き方があるはずだって。
美しい生き方はそこから生まれるはずだって。
ふ〜ん。
私この4年間鏡子さんのそばに置いて頂いてその事がよく分かったんです。
え?
(房子)人には個性がある。
女にもある。
そこから美しい生き方が生まれるって事が。
フフフッ。
(せきばらい)いやしかし残念だな。
房子ちゃんは名古屋に行くのか。
僕はてっきりうちに来る東洋城とか小宮と一緒になっていい奥さんになると思ったんだがな。
それだけはないと思ってました。
ん?そうね。
ないでしょうね。
(鏡子と房子の笑い声)何でないんだ。
ねえあなた。
うん。
一度聞いてみたかったんですけど。
あなたがお書きになった「坊っちゃん」。
あの中に清というばあやが出てきますでしょ。
子どもの頃坊っちゃんは乱暴者でお父さんに叱られてばかりいてでもばあやの清さんはいつも坊っちゃんをかばっていろいろ世話を焼いてくれるじゃないですか。
うん。
性格は生一本で男っぽいところがあるけれど優しくて四国へ行った坊っちゃんに恋文のような長〜い手紙を書いてああしろこうしろってお説教して…。
それがどうしたんだ。
あれ…私でしょ?ん?私の名前は鏡子だけれどあなたもご存じのとおり本当の名前は漢字1文字で鏡と書いてキヨと読むんですよ。
子どもの頃はキヨキヨと呼ばれていました。
清はばあやだけれど性格は私によく似てる。
死ぬ間際に同じ墓地に入りたいと頼むでしょ。
そこで坊っちゃんを待っていたいって。
Di2016/10/22(土) 00:10〜01:25
NHK総合1・神戸
土曜ドラマ 夏目漱石の妻(4)[終]「たたかう夫婦」[解][字][再]

文豪・夏目漱石ユニークな夫婦生活を描くエンターテインメント・ホームドラマ。頭脳明せきで几帳面な漱石、一方妻・鏡子は天真らんまん。正反対の二人が築く夫婦の絆とは

詳細情報
番組内容
最近夏目金之助漱石長谷川博己)が女流作家の大塚楠緒子(壇蜜)と親しくしていると知った鏡子(尾野真千子)は、気分が穏やかでなかった。そんなある日、夏目家に親しく出入りしていた足尾銅山の元坑夫・荒井(満島真之介)が、鏡子のいとこの山田房子(黒島結菜)から借金したまま姿を消す。房子と荒井の行方を捜す鏡子。一方その頃から小説の執筆で忙しくなった金之助は、持病の胃の病の療養のため静岡の修善寺に行くが…。
出演者
【出演】尾野真千子長谷川博己黒島結菜満島真之介壇蜜柄本時生,梅沢昌代,川俣しのぶ,田中隆三
原作・脚本
【作】池端俊策