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書き起こし NHKスペシャル「戦艦武蔵の最期〜映像解析 知られざる“真実”〜」 2016.12.04

(交信音声)70年以上眠り続けていた日本の戦艦が発見された。
その名は…太平洋戦争末期日米が激突した史上最大の海戦…その切り札として出撃した巨大戦艦武蔵。
日本の技術の粋を集めた鉄壁の防御力から無敵の不沈艦と呼ばれていた。
しかし武蔵の戦いを記録した写真や資料はほとんどなくどのような最期を遂げたのか真相は謎に包まれてきた。
今回NHKは武蔵を発見したアメリカの探索チームから100時間を超える未公開映像を入手。
最新の映像解析技術によって沈没の真相に迫った。
浮かび上がったのは定説を覆す新たな事実。
明らかになった武蔵の思わぬ弱点と海軍がそれを知りながら放置した実態。
生き残った元乗組員の証言と新たな発見から謎に包まれてきた武蔵の最期を完全再現した。
歴史の闇に埋もれてきた戦艦武蔵の真実。
知られざる最期に迫る。
マイクロソフトの共同創業者で実業家のポール・アレン氏による海底探査プロジェクト。
世界屈指の沈没船調査のプロを結集し武蔵の捜索が進められていた。
手がかりは残された僅かな写真。
沈没地点の特定には膨大な歳月が費やされた。
8年にわたる捜索の結果ついにその時が訪れた。
武蔵発見の歴史的瞬間。
世界の研究者が探し求めていた巨大戦艦が70年ぶりに姿を現したのだ。
全長5m重さ15トンともいわれる巨大ないかり。
艦首に残されていた菊の紋章の痕跡。
オーマイゴッド!武蔵発見のニュースが世界を駆け巡った。
公開された映像はごく僅か。
今回NHKは100時間を超える未公開映像を入手した。
そこには知られざる武蔵の姿が記録されていた。
武蔵が見つかった場所は深海1,200mの海底。
微生物の少ない低水温が腐食を最小限にとどめていた。
武蔵の甲板の一部。
はられていたヒノキの板が今も残っていた。
武蔵の甲板では時々娯楽映画が上映されていたという。
映像には乗組員たちが身につけていたものも映されていた。
探索チームはソナー探知機で海底の状況も詳細に調べていた。
音波を使い残骸の大きさや形などデータを収集。
その結果驚くべき事実が明らかになった。
武蔵は1km四方の広範囲にバラバラに散らばっていたのだ。
ちぎれた艦首の残骸。
そして150m離れた場所に裏返った艦尾が見つかった。
それ以外のパーツは原形をとどめないほど粉々に砕け散っていた。
太平洋戦争勃発の3年前極秘に建造が始まった武蔵。
その存在は軍の最高機密で関連の資料は戦後ほとんど焼却された。
詳細な姿を捉えた写真は僅かで全体の図面は戦後復元されたものしかない。
最大の特徴は絶対に沈まない不沈艦といわれた構造だ。
内部は1,000以上の区画に細かく分けられ多少の浸水では沈没せず戦い続けられるよう設計されていた。
更にエンジンなどの心臓部を守る装甲板は世界一の厚さを誇りあらゆる攻撃に耐えられるとされていた。
なぜ技術の粋を集めた無敵の不沈艦は沈みそして粉々に砕けたのか。
今回NHKでは100時間を超える映像を徹底的に解析し武蔵の最期に迫るプロジェクトを立ち上げた。
集まったのは造船技師や歴史学者爆発の専門家など7人。
専門家たちも初めて目にする実物の武蔵。
まず取りかかったのは武蔵とはどのような戦艦だったのかの検証だった。
そこで駆使したのが最新の映像解析技術。
海底に散らばる武蔵の全体像を探っていく。
入手した映像を1,000万枚の画像に分解。
それらを一枚一枚つなぎ合わせ3次元の立体モデルを作成していく。
最初に復元されたのは戦艦武蔵の中枢である巨大な艦橋。
高さ31m10階建てのビルに相当する。
そこにちぎれた艦首をつなぎ合わせる。
全体像が徐々によみがえっていった。
復元した史上最大の戦艦武蔵。
その全長は263m。
ジャンボジェット3機分の大きさだ。
元造船技師の岩裕さんが注目したのは世界最強といわれた武蔵の攻撃力。
この構造物は武蔵の主砲の一部だという事が明らかになった。
人間と比較するとその巨大さが分かる。
内部には160発の主砲弾が格納されていたと見られる。
その攻撃力とはどのようなものだったのか。
海底の映像と残された資料を基に再現した。
武蔵が想定していたのは戦艦同士の砲撃戦。
圧倒的な長距離砲で攻撃される前に敵を殲滅する戦術だった。
世界最大の46センチ砲は前方に2基後方に1基の3基を搭載。
40km先の敵艦を正確に撃破する事ができたとされる。
主砲を撃つ武蔵を捉えた唯一の写真。
強力な爆炎の熱で海面に水煙が立ったといわれている。
軍事史が専門の一ノ瀬俊也さん。
映像解析でよみがえった巨大戦艦の姿から伝わるのは不利な対米戦を覆そうとする当時の軍の思惑だという。
武蔵の構想が始まったのは艦隊の強さが重視された大艦巨砲主義の時代。
昭和8年日本は国際連盟を脱退し世界的に孤立。
軍縮条約で主力艦の保有比率をアメリカの6割に制限され追い詰められていた。
こうした中進められたのが数を補う強力な巨大戦艦大和と武蔵の計画。
武蔵は構想から9年の歳月をかけ極秘に建造された。
太平洋戦争末期サイパングアムなどが次々に陥落し窮地に立たされていた日本。
南方の重要拠点フィリピン・レイテ島に侵攻するアメリカ軍を殲滅するため武蔵は大和と共に出撃した。
しかしその作戦の途中シブヤン海で沈没した。
武蔵はどのような最期を遂げたのか。
映像解析を進めるとその真相が徐々に明らかになってきた。
30年にわたって武蔵の研究を続けてきた手塚正己さん。
注目したのは艦首左側のこの部分。
鉄板が3.5mにわたって大きく曲がっていた。
損傷していたのは分厚い装甲板の外側。
魚雷の爆発で鉄板がまくれ上がったと考えられる。
手塚さんは水の抵抗と浸水で機動力が落ちたのではないかと指摘した。
実はこの損傷は武蔵が想定していた戦艦同士の戦いによるものではなかった。
レイテ沖海戦で武蔵の攻撃作戦に参加した…フリーリーさんはアメリカ海軍の元パイロット。
武蔵を攻撃したのは航空機だった。
至近距離から魚雷を命中させる訓練を繰り返し重ねていたという。
日本の真珠湾攻撃で空からの攻撃の脅威を知ったアメリカ。
戦況を左右するのは航空機であるという認識を新たにした。
アメリカが最高機密だった武蔵の情報をつかんだのはレイテ沖海戦の半年以上前。
空からの波状攻撃で撃沈する戦術を練り続けていたのだ。
アメリカの航空機の攻撃で生じたまくれ。
艦首には大量の浸水があったと考えられる。

 

 

 

 


これは攻撃を受けたあとの武蔵を捉えた写真。
浸水で艦首が沈み込んでいるのが分かる。
こうして武蔵は原形をとどめたまま沈んだというのがこれまでの定説だった。
しかし艦首からの浸水だけでは武蔵は沈まないという新たな事実が今回明らかになった。
分析に当たったのは船舶工学が専門の橋本博公さん。
今浸水してる区画というのはこの前方部ですね。
この辺り。
艦首の部分を浸水させるシミュレーションを行った。
船体は前のめりに傾く。
しかし中央部と後方に浮力が残りこれ以上沈まないという結果が出たのだ。
では武蔵沈没の原因は何なのか。
なぜ粉々に砕け散っていたのか。
その謎を解くにはバラバラになった残骸の詳細な検証が必要となった。
しかし武蔵の内部構造は軍の最高機密でその特定は困難を極めた。
武蔵の最期を解明するためある未公開資料の取材が初めて許可された。
建造に当たった三菱重工が70年間部外秘としてきた200枚を超す詳細な内部の図面。
海底に散らばっていた残骸が武蔵のどのパーツなのか一つ一つ特定を進めた。
その結果散乱していたのは機関室のボイラーなど武蔵の心臓部を形成していた部分である事が明らかになった。
絶対に壊れない装甲板に守られていたはずの部分だ。
無敵の不沈艦の象徴装甲板はどうなったのか。
その手がかりを探った。
専門家が注目したのはデータに記録されていたある構造物。
映像を確認すると30mにわたる巨大な鉄の壁が横たわっていた。
装甲板の一部が見つかった。
これこれこれ…。
見つかったのは船体の側面を覆っていた装甲板のこの部分。
一体何があったのか。
武蔵の装甲板は船艦による遠距離からの砲撃に耐えられるよう世界一分厚く造られていた。
しかし当時の溶接技術では分厚すぎる装甲板をつなぐ事ができずリベットといわれる鉄の留め具で固定されていた。
武蔵のリベット工事に携わっていた会社が今も大阪にある。
当時の様子を特別に再現してもらった。
つなぎ合わせるのは2枚の分厚い板。
穴に通した鉄の棒を両側からハンマーでたたいて潰す事で固定する。
武蔵の装甲板は4万本のリベットでつなぎ合わされていた。
今の割れてるとこってこの辺りですよね?専門家たちはこのリベットが鉄壁の装甲板を破られた原因ではないかと指摘した。
専門家の分析はこうだ。
遠距離からの戦艦の砲撃の角度に対して強度を高めていた武蔵の装甲板。
しかし航空機の魚雷は真横からのものだった。
複数の魚雷がつなぎ目付近を直撃。
リベットが外れ板ごと中に押し込まれる。
その隙間から大量に浸水し武蔵の沈没につながったのではないかというのだ。
装甲板のつなぎ目の弱点は実は早くから危惧されていた事も明らかになった。
武蔵の元乗組員が生前語り残した証言の録音。
レイテ出撃の10か月前同じ構造の大和がたった一発の魚雷で装甲板のつなぎ目をやられたと聞いていた。
更に海軍上層部はその弱点を知りながら対策をとろうとしていなかった。
武蔵の建造に携わった牧野茂の手記。
日本の行き詰まった戦局の打開を武蔵に託した海軍。
しかし致命的な弱点は最後まで放置された。
18歳で武蔵に乗った…多くの若者が武蔵は無敵の不沈艦だと信じ戦い続けたという。
決定的な弱点を抱えたまま2,400人の乗組員を乗せ出撃した武蔵。
その最期とはどのようなものだったのか。
元乗組員たちに映像を見てもらい武蔵の最期を検証した。
当時17歳だった…航空戦に対応するため急きょ設置された機銃。
乗組員たちは防御壁がないむき出しの状態で戦った。
大きくゆがんだ台座は爆弾が近くに落ちた痕跡と見られる。
配置されていた機銃員は9人。
塚田さんは機銃員たちが吹き飛ばされる様子を間近で見ていた。
大石さんが目の当たりにしたのはアメリカの航空機による攻撃でヒノキの甲板が遺体で埋め尽くされた光景だった。
何て言うかな…。
艦長をはじめ中枢の士官たちがいた艦橋付近が大きな被害を受けていた事も明らかになった。
艦橋の右側で見つかった幅6mの巨大な穴。
爆弾が直撃した痕跡と見られる。
そのそばにいて奇跡的に助かった乗組員がいた。
この爆撃で艦長が重傷を負ったほか士官たち50人以上が戦死したという。
生存者の証言や専門家の映像解析を基に武蔵の最期の戦いを再現した。
晴れ渡る空から米軍機40機以上が武蔵がいる艦隊に押し寄せた。

(ラッパ)武蔵を襲う航空機の波状攻撃。
魚雷が武蔵の船体をとらえる。
アメリカの空襲は5度にわたって繰り返された。
魚雷攻撃で側面にまくれが生じ速力を失い始める。
午後3時過ぎに始まった最後の攻撃は100機以上が殺到。
10発以上の爆弾が命中した。
更に魚雷を積んだ航空機が挟み撃ちで武蔵に襲いかかる。
複数の魚雷が装甲板のある中央部に命中。
武蔵に致命傷を与えた。
速力をほとんど失った武蔵。
ついに艦長や士官たちがいた艦橋付近が狙い撃ちされた。
武蔵はこれ以上戦う事ができなかった。
5時間を超える戦闘の末武蔵は沈み始めた。
左に大きく傾くと同時に乗組員の多くが海に投げ出された。
乗組員の証言によると沈没の直前煙突に海水が流入し小規模な爆発があった。
それでも船体は形をとどめたままゆっくりと沈んでいったという。
しかし海底の武蔵は大きく破壊されバラバラになって見つかった。
なぜこのような姿で武蔵は沈んでいたのか。
爆発のメカニズムに詳しい吉田正典さん。
沈没した武蔵が水中で大爆発を起こしたのではないかと指摘する。
何が大爆発を引き起こしたのか。
吉田さんが注目したのはある残骸だった。
それは最強の攻撃力を誇った主砲の一部。
弾を格納していた頑丈な部屋が激しく損傷し散らばっていたのだ。
想定していた戦艦同士の戦いにならず武蔵は戦闘で主砲を撃つ機会がほとんどなかった。
そのため160発以上の弾とそれを発射するための100トンの火薬が残っていたと見られる。
吉田さんはこれらが爆発したと考えたのだ。
前後の主砲付近の船体は原形をとどめているため爆発したのは2番目の主砲だと推測した。
主砲付近の火薬が爆発すると船体にどのような影響を与えるのか。
吉田さんはコンピューターでシミュレーションを行った。
その計算結果だ。
爆発の衝撃で鋼鉄で覆われた船体は大きく破損。
船体が2つに分断された上に中心部はバラバラになって砕け散った。
損傷状況は海底に散らばる武蔵とほぼ一致した。
水中爆発を裏付けるかのように海底に散らばっていた大量の火薬の缶の残骸。
日本の命運をかけ戦況を覆すための攻撃力があだとなったのか。
武蔵は砕け散った。
乗組員およそ2,400人のうち1,000人以上が戦死した。
亡き戦友に黙とう。
10月24日。
武蔵が沈没した日元乗組員や遺族が集まって慰霊祭が行われる。
武蔵に乗っていた事を70年以上誇りに生きてきた元乗組員たち。
深海に眠る無残な武蔵の姿は不沈艦が幻想だった事を突きつけるものだった。
最後まで武蔵を信じ疑う事なく戦死していった仲間たちの事を今も悼み続けている。
2016/12/04(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「戦艦武蔵の最期〜映像解析 知られざる“真実”〜」[字]

世界初となる深海の未公開映像、そこには“伝説の巨大戦艦”の秘密が記録されていた—。100時間に及ぶ深海映像、元乗組員の証言や専門家の分析で、戦艦武蔵の謎に迫る。

詳細情報
番組内容
日本の最高機密として極秘に建造された戦艦「武蔵」。太平洋戦争末期、壮絶な最期を遂げたとされるが、資料が少なく、真相は謎に包まれてきた。去年3月、フィリピン沖1200mの深海で武蔵が発見され大ニュースとなった。NHKは膨大な未公開映像とデータを入手。最新の映像解析技術で知られざる武蔵の“真実”が浮かび上がった。驚くべき内部構造やすさまじい攻撃力。定説を覆す“意外な姿”とは。戦艦武蔵の謎に迫る。
出演者
【語り】遠藤憲一